イムカ




 シャガールの父親で、アグスティ王家の先代の国王。『賢王イムカ』として知られ、グランベルとも友好的な関係を築き、また国内を富ませるために中央の高地を開拓したりと内政の充実を図った王であった。しかし、暗黒教団にそそのかされた愚息シャガールによって暗殺され、その生涯を閉じる。
 自分の息子がエルトシャンであれば、とは思っていたようである。



 さしあたって、このゲーム中バトゥと並んで一番マシな国王だったんじゃないでしょうか。まあ息子シャガールの暴走した野心を見抜くことはできなかったとはいえ、好戦的でもなく、国を富ませ、アグストリアをグランベルに比肩しうる国家にまで育て上げているのですから。しかし、息子の愚かしさを完全に見抜くことはできず、その凶刃に倒れてしまいます。
 あるいは、これがなければ歴史はさらに別の道を歩んでいたのかもしれません。結局暗黒教団に唆された人間が、歴史を狂わせた、という一例でしかないですが。



 グラン暦694年生まれ。享年64歳。
 弱冠18歳でアグスティの国王に即位したイムカは、当時のノディオン王(エルトシャンらの祖父)と共にまだ荒廃していたアグストリアの統一と安定に尽力しました。結果として、彼がまだ30台のうちにアグストリアは安定し、魔人狩り、といった残酷な暗黒教団狩りもなりを潜めます。
 40台に入った頃から、彼は内政を充実させ、街道を整備し、また耕地を開拓してアグストリアを富ませていきました。最近では、未開地であった中央高地の開拓を開始しています。しかし不幸なことに、この頃に内乱が発生し、将来を嘱望されていた王子が戦死。その後、シャガールが生まれます。
 以後、イムカはより国内を充実させることに尽力し、アグストリアをグランベルに比肩しうるほどの国家にまで育て上げました。
 しかし、国が富むと余計な野心を抱くものが出てきて、それがイムカの悩みの種になります。何より、王子シャガールは死んだ兄の資質を、一つも継いでいないような人間だったからです。
 そしてグラン暦758年。シャガールは暗黒教団に唆され、父を暗殺。アグストリアは動乱への道を歩んでいくことになります。