すれ違いの再会




 急激に吹き抜けた強い風が、少年の髪とマントを跳ね上げた。そのどちらもが、炎を映じたように紅い。春先に吹く、強い風は、これから暖かくなることを知らせる風であり、冬の冷たい風とは異なり、なぜか気持ちを柔らかくさせてくれるような気がした。
 大抵のものならば、その少年が市井の、庶民でないことは見て取れるだろう。上質の絹を纏える庶民など、そうそういるものではない。加えて、このグランベル王国の者であれば、少年が、グランベル六公国の一つ、ヴェルトマー家縁の者であることが分かるだろう。炎を映したような、真紅の髪の毛は、炎の神魔法、ファラフレイムを継承する血筋の証である。
 現在のヴェルトマー家当主はバーハラ近衛兵隊長を務めるアルヴィスである。弱冠21歳の青年は、才に秀で、若くして近衛兵の一人となり、王国聖騎士の位も授与されている。まもなく、近衛師団の団長に就任する、ともいわれていた。
 先代のヴェルトマー家当主であったヴィクトルには、多くの子がいた。正妻はシギュンという娘であったが、彼女以外にも幾人もの愛人がいたのだ。幸い、というべきか、当主となるべきファラの聖痕が顕れたのは、シギュンの子であるアルヴィスであった。しかし、突如ヴィクトルは妻シギュンへの怨みの遺書を残し、自害した。そして、シギュンもまた、それに居たたまれなくなったか、すぐに失踪してしまった。そのため、アルヴィスはわずか7歳でヴェルトマー家を継ぐことになったのである。
「兄さんはすごいよ、やっぱり。僕はとてもできない」
 少年は一人ごちた。アルヴィスのことを『兄』と呼べるのは、今では一人だけである。ヴェルトマー公子アゼル。彼だけは、ヴェルトマー家に残ることが許された。
 ヴェルトマー家を継承したアルヴィスが、最初に行ったことは、父の愛人やその子供を追放することだった。
 いたずらに多い父の子供たちは、というよりはその母親や祖父が、アルヴィスのヴェルトマー継承に際し、何かと意見してきたのだ。まだ若年であるアルヴィスに、強大な権力を与えてよいものか、というのである。無論その裏には、自分がなんとかアルヴィスの後見人となり、強大な権力を振るいたい、という欲望があったからに相違なかった。
 アルヴィスの後見人となったのは、そういったヴェルトマーの一族である。しかしアルヴィスは、まだ幼年であったにも関わらず、立派にヴェルトマーの当主として振る舞った。それは、アルヴィスが生来持つ王者の気質、とでも言えたかもしれない。いずれにせよ、彼らはアルヴィスを傀儡にして、自分が実質的な当主たろうとしていたが、それは失敗した。すると今度は、ヴェルトマー家の財産の割譲を求めようとした。だがその前に、アルヴィスは自分の弟妹達を追放し、財産の相続権を失わせたのである。ただ一人を除いて。
 アルヴィスが、ただ一人だけヴェルトマー家に残したのがアゼルであった。彼の母親は、身分の低いヴェルトマー家の侍女で、彼女がファラの血を引く子を産んだのは、ヴィクトルのほんの戯れであった。だが、彼女はアルヴィスや、母シギュンのことを常に気遣ってくれ、シギュンがいなくなった後も、随分と色々世話をしてくれたのだ。もっとも、アゼルがヴェルトマー家に戻ってきたのは7歳の時である。アルヴィスがヴェルトマー家を継いだ直後、アゼルはバーハラのヴェルトマーの屋敷に預けられていたのだ。アルヴィスは、唯一弟と認めようと思ったものが、権力争いに巻き込まれることを恐れたからだ。結局、権力を安定させるのにアルヴィスは8年もかかってしまった。その間、よくアルヴィスに尽力してくれたのは、他ならぬアゼルの母と、クルト王子であったという。しかし、母は4年前に病死している。ただ、安らかな死に顔だったことは覚えている。アゼルは、それがヴェルトマー家に自分が残れたことにより、母が安心して死んでいけたのだと思い、兄に感謝した。
 しかし、あまりにも優れた兄を持つ弟の心境はまた、複雑である。兄は誇らしいと思う。弟の目から見ても、あれほど優れた人物はそうはいない、と思う。兄がヴェルトマー家を継承したのは7歳の時だというが、自分は今14歳である。だが、それでももし、今かつての兄と同じ状況になった時に、兄のように振る舞う自信は、自分にはなかった。
 三年、という条件をもらって、士官学校に入るのも、兄に追いつきたい、という思いの一方で、兄から逃げたい、という気持ちがあったのかもしれない。しかし、兄はその様な思惑を知ってか知らずか、快く士官学校への入学を許可してくれた。
 バーハラの士官学校は、非常に格式が高い。入学者は、主に各国の王族、貴族などである。アゼルも立場としてはヴェルトマー公子であり、別に、見劣りするわけではないのだが、やはりやや気後れしてしまう。
 そんなことを考えているうちに、バーハラの街が見えてきた。街道をすれ違う人も増えてくる。ヴェルトマーからバーハラは近く、街道も整備されているので、今回アゼルは一人で来ている。アルヴィスはアゼルを心配して、最後まで護衛をつけようとしたのだが、アゼルは今回それを固辞した。もっとも、兄のことだから、ひっそりと護衛をつけていたりするかもしれないが、とりあえずその気配はない。というよりは、いたとしても自分には分かりはしないのだから気にしないことにした。
 バーハラはアゼルには懐かしさを覚えさせる。幼少期を過ごしたバーハラだが、ヴェルトマーに戻ってからは一度も来ていなかった。多くの平民の友達と遊んだのが懐かしい。ヴェルトマーに来てからは、同世代の友人はいなくなってしまったのだ。時々、ドズルのレックス公子が、父ランゴバルトとともにやってきて付き合ってくれていた。彼もまた、兄が優秀だから悩んでいるのかと思ったが、レックスは別に、その程度のことで悩むような性格ではなく、単にアゼルが面白いから付き合っているんだ、と言っていたが。
 バーハラの士官学校は、バーハラ王宮に隣接する場所にある。敷地は広大で、校舎、寮、馬場、さらには模擬戦闘用の広大な「箱庭」すらある。娯楽のための設備などはないのだが、これは別に生徒をそういうものから遠ざけよう、という意図があるからではなく、門限さえ守れば自由に市街に繰り出すことが認められているのだ。他にも、多くの王族、貴族の子弟が通っているため、バーハラ家の騎士団、ヴァイスリッターが常に一個中隊駐留している。
 バーハラの街から士官学校の入り口までは、街の中央を貫く道を真っ直ぐ王宮まで行く。今回、アゼルは王宮にも用がある。兄アルヴィスからの親書を、宰相レプトール公爵に渡さなければならないのだ。
 正直、アゼルはこのレプトール公爵が苦手だった。別に、睨まれたことがあるわけではない。ただ、なんとなく直感的に「嫌だ」と感じる相手なのである。
 ふぅ、とため息をついたのは、バーハラ王宮の庭である。王宮の敷地はあまりにも広く、建物まではまだかなりある。ユグドラル最大の勢力を誇示するように、その庭は広い。子供のころ、何度かバーハラ王宮に入ったこともあったはずだが、子供にはその大きさを感じることすらできなかった。懐かしい、という感覚はあまりない。あまりにも現実離れしている、という感覚の方が強いのだ。
 その時、不意に目の前が真っ暗になった。一瞬驚いたが、それが、誰かの手で目を塞がれているからだと分かったが、このようなところで、そんないたずらをされる覚えはない。
「だ、誰?!」
 誰だか分からない者にこういう事をされると、自然、恐くなってしまう。その手を振り払ったアゼルは、反射的に身構えていた。だが、正面に立っていたのは、女の子だった。紫がかった銀色の髪を肩の辺りまで伸ばして、それを赤いリボンでまとめている。アゼルと、ほぼ同じ年のようだ。一瞬、どこかであったことがある気もするが、思い出せなかった。呆然としているアゼルに、女の子の方が先に口を開いた。
「久しぶりね、アゼル。元気だった?」
 いきなり自分の名前を呼ばれて、アゼルは驚いた。そして、その後から女の子の言葉の意味を掴もうとする。確かに、女の子は「久しぶり」と言った。じゃあ、前に会ったことがあるのだろうか。なおも呆然として、何も言ってこないアゼルに、女の子の方が再び口を開いた。
「あ〜、やっぱり私のことなんて忘れていたのね!! ひどい!!」
 そう言って顔を膨れさせる。その仕種が、アゼルの記憶と結びついた。
「ティルテュ、ティルテュなの?!」
「ようやく思い出したの? 泣き虫アゼル」
「……な、泣き虫っていつの話だよ!そんなの、もう……7,8年前の話じゃないか」
「だって今のアゼルの顔、泣きそうだったよ。ホラ、涙出ているし」
 アゼルは慌てて目の辺りに手をやる。だが、別に涙が出た様子はない。すると、ティルテュがクスクスと笑っていた。
「あ、また嘘ついたんだな。そんなことだからいつまで経ってもおてんばっていわれるんだぞ」
 ティルテュは、「別にいいよ〜」というと、つかみかかるような動きを見せたアゼルから遠ざかる。アゼルは、追いかけようとして、その行為があまりに子供じみていることを感じ、踏みとどまった。
「エーディンとは大違いだ……」
 アゼルの声は、呟きのようなもので、何気なく出た一言だが、その言葉がティルテュの表情を曇らせた。
「エーディン公女……知っているの?」
 極力感情を抑制したような声。普段、喜怒哀楽のはっきりしているティルテュがやると、非常に不自然に感じられるが、アゼルはあまり気にしなかった。多分先ほど追いかけなかったことで、自分が子供だと思われたことを不服に思ったのだろう。
「うん。去年かな。ユングヴィのリング卿がヴェルトマーに来た時に。とってもきれいな人だったな」
 エーディン公女はアゼルより一つ年上で、弓騎士の家柄であるユングヴィには珍しく、司祭としての修練を積んでいる。しかし、アゼルは彼女の優しそうな雰囲気から、それがとても自然に感じられた。自分より一つだけ年上なのに、彼女のもつ雰囲気はずっと大人に思えた。バーハラに来たのも、一つにはエーディンと会う機会が増えるのではないか、という期待もあったのだ。
「私、もう行くね」
 ティルテュは突然そういうと、後ろを向いて、城外に向かって歩き始めた。
「あれ? ティルテュ。どうしたの? どうせこれから、君のお父さんに用があるんだから、一緒に行かない?」
 しかしティルテュは立ち止まらない。一度振り返ると、そのまま「べ〜」と舌をだしてから、今度は走り出してしまった。アゼルはただ呆然とティルテュを見送ってしまっていた。
「一体どうしたんだ? ティルテュ……」
 アゼルはティルテュの行動を不思議に思いながらも、思わぬ時間を食ってしまったことに気づき、慌てて王宮の方に向かっていった。

「鈍感。アゼルのバカ」
 ティルテュは王宮の門のところに佇んでいた。追ってきてくれることを、期待していなかったわけではないが、来ないこともどこかで分かっていた。足元にある石を、思いっきり蹴り飛ばす。石は、何度か乾いた音を立てて転がった後、停止した。
 ティルテュはもう一度バーハラの宮殿の方を見る。アゼルの姿はもう見えなくなっていた。
「アゼルのバカ〜〜!!」
 ティルテュの大声も、バーハラの王宮の中にいるアゼルまでは、届きはしなかった。



written by Noran

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