春の訪れを祝う、という習慣を人々がその生活の苦しさから失って、もう四年以上が過ぎていた。今年も、それを祝う人々はいない。そこにあるのは、血生臭い戦いの声だけであった。 グラン暦七七七年、春。広大なユグドラル大陸の北東に位置するイザーク王国で、戦いが起った。小さな、だが大いなる意味を持つ解放戦争の、それが始まりである。 すべての始まりとなった、イザーク、リボーの部族のダーナ襲撃以来、イザーク王国は長らくグランベル王国、そして帝国の支配下にあった。皇帝アルヴィスの即位後、この地域の統治を任されたのは、ドズル家であり、以後、イザーク王国は、グランベル帝国の一翼、ドズル王国として、支配されてきたのだ。 いずれにせよ、ドズル家の支配はイザークの民を苦しめた。 最初はまだ良かった。窮屈なところや、不公正なところはあれど、民の生活はそれほど圧迫されるものではなかったからだ。 それが急に変わったのは、五年前。その時、突然子供がりが開始された。 最初は、親のいない孤児や家のない子供を狩る――名目上は保護する――だけであったが、ここ一、二年は親のいる子供すら連れて行くようになっている。 かつて、ロプト帝国で行われた、という生贄を求めるロプトに対する奉げものを『狩る』という、惨たらしい行為。中央から遠く離れていたこの地域でも、ついに本格化しつつあったのだ。 しかし、人々はいつまでも『狩られる』側にはいない。帝国は、支配が長すぎたのか、相手も同じ人間であることを忘れていたのかもしれない。 |
「雑兵に気を取られるな!! 兵力を集中して、城内へ突入するのだ!!」 解放軍の戦闘指揮を執るオイフェの声が響く。それに応えるように、弓隊を指揮するレスターの声が続いた。 「無理に狙おうと考えるな!! 騎兵、歩兵を狙う敵の弓隊に矢を降らせ、威嚇するだけでいい!!」 そう言いながら、自身も矢を放つ。とても狙っているように見えないが、その弓から放たれた矢は、遥か離れた敵の射手を射倒している。自分も、ある程度狙って射ってみるが、ほとんど当たることはない。矢がもったいない気がして、少し時間をかけて狙おうとしたところに、レスターの叱咤が飛んできた。 「ディムナ!! 足を止めるな、狙い撃ちにされるぞ!!」 言いながら更に射放する。その矢は、まるで吸い込まれるように、敵の急所に命中した。同じように、修行してきたはずなのに、と思わなくもないのだが、一方で仕方がない、と思っている自分がいる。弓使いウルの血をひく公子と、ただの平民である自分が、同じ技量を持てるはずもない。しかし、分かってはいてもやはり、悔しいものは悔しかった。 |
陽が地平にさしかかるころ戦いは終わった。 元々、イザークの主軍は領主ヨハンと共に、解放軍に降っているのだ。彼我の兵力差は問題にならないほどあった。 兵力差に加え、市民が蜂起したのもあり、イザークの城門はたやすく解放軍の前に突破され、イザークの留守を預かっていた将軍は、騎士デルムッドの剣の前に倒れた。 イザーク王国の王都は、十数年ぶりに、開放されたのである。 |
「やっぱり、懐かしいな」 戦いが終わった後、そのままイザークに駐留した解放軍は、次の戦いに向けての休息を取っていた。 いよいよ次は、現在イザーク王国を支配している、ダナン王の居城リボーへと進軍する。イザーク王国の王都は、伝統的にイザークであったのだが、ダナンはイザークの奥地にあるイザークの街を嫌い、国境(といってもその先はイード砂漠だが)に近いリボーに、豪華な宮殿を建てて、そこに住んでいるのだ。 もっとも、その様な場所がイザーク支配の中心であったからこそ、解放軍はこれまで発見されなかったとも言えるのだが。 イザークの街が王都でなくなったとはいっても、大きな街であることには変わりない。そして、街の人々は長い間、帝国の支配に耐えてきた。それが、解放されたのである。その騒ぎは、大変なものであった。 街のいたるところで人々の笑い声が響く。このイザークを預かっていたヨハンは、決して悪い領主というわけではなかった。というよりは、むしろ(一部の趣味を除けば)好意的に迎えられていた。実際、ヨハンは何かと理由をつけて子供狩りを行わないようにしていたため、イザークの人々にはむしろありがたい領主でもあったのだ。 だが、それでも独立不羈の精神の強いイザーク人にとって、グランベルに支配されている、という構図に変わりはない。また、ヨハンがいくら抵抗していたからとはいえ、いつ、強制的な子供狩りが開始されるかも、分からなかったのだ。 それらの恐怖から解放された喜びは大きい。そんな喜びの中を、ディムナは歩いていた。 もともと、四年ほど前まではディムナはこのイザークに住んでいた。 ごく平凡な、数十匹の羊と、牛を放牧する、イザークには珍しくない遊牧民。ただ、征服されたイザークでは放牧には危険が伴った。治安が悪いため、すぐ盗賊が出没するのである。そのため、放牧の仕事は父と母、祖父だけで、幼いディムナと妹のマナはイザークに住む祖母の家に預けられていた。 ディムナの記憶は、このイザークの街から始まっている。しかし、悲劇は訪れた。 四年前。グラン暦七七三年、イザーク王ダナンが、突然『子供狩り』を行うことを宣言した。毎年、百人に一人、子供を帝都バーハラへ送る、というのである。 それまで、孤児や浮浪者の子供に限られていた範囲を、普通の子供にも広げたのである。 もちろん、明確に『子供狩り』などと言ったわけではない。表向きは、特に優れた子供を帝都で教育して、後々の帝国を担う者を育成する、と標榜していたが、帝国の中枢で行われている『子供狩り』の噂は、ここイザーク王国でも既に広まっていたのだ。 こうして、最初の反乱が起きる。しかし、まとまりのない、個別の決起などは訓練された軍隊の敵になるはずもない。かくして、イザークの各地で起きた反乱は、次々と鎮圧され、関わったものは皆殺しにされた。そしてそれは、イザークの街で起きた反乱も同じであった。 イザークの街で起きたものは、これまででも最大のものであった。全部で千人近くが武器を取り、イザーク城を攻めたのである。しかし、この計画は事前に漏洩していたのだ。いつ、どのような時でも、裏切り者とはいるものなのである。 かくして、イザーク城内で待ち伏せられた市民達は、皆殺しにされた。そして、家族もその罪は同じとされ、すべて捕らえられ、公開処刑されることになった。そして、その掴まった中にディムナもマナもいた。彼らの父親もまた、反乱に参加し、そしてイザーク城内へ誘い込まれて、鋼の雨に打たれて死んだのである。 しかし、この公開処刑は行われなかった。処刑前日、市民が捕らえられていたイザーク城内の監獄が何者かに襲撃され、みんな逃がされたのである。そしてディムナもマナも、その時に逃げ出したのだ。 逃げ出したディムナ、マナにはもう行き場所はなかった。たとえ戻ったとしても、幼い彼らに生きていく術はなく、また再び捕まってしまうだけである。その時、彼らを受け入れてくれたのが、彼らを助けてくれた、解放軍だった。もっとも、当時はまだ『軍』というほどの規模でもなかったが。 あれから四年。ついに解放軍は立ち上がった。その戦力は決して少なくはないが、強大な帝国と戦うのには、あまりにも少ないだろう。しかし、それでもこうやってイザークの街を再びイザーク人の手に取り戻した。いつかは、ユグドラル大陸全てが、このように明るくなっていくに違いない、ディムナはそれを実感していた。 |
「あれ? ディムナ? ディムナじゃないの?」 突然呼び止められて、ディムナは驚いて振り返った。解放軍の仲間は、イザーク城で戦勝の宴の最中のはずだ。ディムナは、懐かしかったので街に出てきたが、他に出てきたものがいたのだろうか。しかし、振り返った方向には、見たことのある人の顔はなかった。 「私よ私。覚えてないの? って……人違い……?」 呼びかけてきたのは、ちょうど視界の中心にいる女の子のようだ。イザーク人らしい黒髪を、長く伸ばしていて、服装も、ごく普通の市民の女の子だ。なおも分からない、という表情をしていたディムナだが、急激に記憶の一片とその女の子が合致した。 「カレン? カレンなのか? ひ……久しぶりだな……」 かつて、まだディムナがイザークに住んでいた時、近所に住んでいた女の子である。彼女の父も、反乱に参加していたのだが、参加したのがリボーでの反乱であったため、イザークに住んでいた彼女にまでは軍も気づかなかったのである。 「やっぱりディムナ? ねえ、ホントに貴方なの?」 |
そのまま二人は、お祭り騒ぎのイザークの街を歩いていた。何もかもが懐かしいディムナの手を取って、カレンは嬉しそうに先を歩いて行く。夜も更けてきたところで、二人は食事をするために近くの店に入った。 「ホントに……久しぶりね……一体何年ぶりかしら……。あなたとマナがこのイザークの街を出ていってから。でもよかった……元気そうで」 一通り食事が終わったところで、カレンが何気なく口を開いた。 「うん。あれからずっとセリス様達、解放軍の隠れ里に住まわせてもらっていたんだ。そして、セリス様が帝国の支配からこの世界を解放するために、立ち上がった。ぼくも、少しだけどお手伝いをさせてもらっているんだ」 そういって、ディムナは置いてある弓を取る。イザークは、剣術が発展した国ではあるが、それ以外にも馬上で弓を扱う技術も優れている。遊牧民ならではだ。 「マナも?」 「うん。マナは驚いたことに魔法の才能があったんだ。魔法、といっても回復系だけど。マナも一緒に戦っている。ぼくたちとは違う戦い方だけど」 それは、兄にとっては誇らしいことだった。マナも、解放軍の役に立っている。自分が果たして役に立っているかどうか、になると自信はあまり持てはしない。だが、マナの回復の力は確実に役に立っている。 「あなたも役に立っているの? いっつも私に泣かされていたのに」 カレンがからかうように言った。四年前と同じ感覚。こうやって、いつも口では勝てなくて、でも喧嘩になっても勝てなくて泣かされていた記憶がある。 「立っているよ、一応ね。これでも、レスター公子の次に弓の腕はいいんだぜ?」 「レスター公子?」 カレンが聞き返す。彼女にしてみれば、セリス皇子やシャナン王子はともかく、他の公子達の名前など覚えているはずもないから、当然の質問だ。 「ユングヴィのエーディン公女のご子息、レスター様だ。ユングヴィ家ってさ、あの十二聖戦士の一人、弓使いウルの血を引いている家なんだそうだ。だからなのか、レスター公子もすっごい弓が得意なんだ。もともと、お父上がユングヴィ家の弓騎士だったらしいしね。ぼくなんかとは、根本的に違うのかなあ、とおも思うけど、でもぼくはぼくなりに頑張っている。今は、それでいいと思う」 「がんばってるんだ、ディムナ……」 いつのまにか、カレンはうつむいていた。 「どうしたの?」 するとカレンは慌てたように顔を上げると、そのままぶんぶんと横に振る。 「ううん。ディムナ、頑張っているんだな、って」 「ああ。カレンや、みんなが平和に暮らせる世界にする。ぼくだって少しくらいはお手伝いができるのなら、しなくちゃなって思うんだ」 「そっか……」 しばらく何かを考えていたようにしていたカレンは、急に自分がつけていた首飾りを外すと、ディムナに差し出した。 「これ、持って行って。お母さんの形見なんだけど、つけていると幸運が訪れるって。戦士のお守りなんだって」 「え、そ、そんなの貰えないよ」 ディムナが慌ててその手を押し戻そうとしたが、カレンはそのままその手を引っ込めはしなかった。 「いいの。持っていって。あなたが持っていった方が、きっとお母さんも喜ぶ。……私は戦士にはなれないから」 あなたにはついて行けないから。言いかけてその言葉をのみこんだ。それは、こらからも戦わなければならない人に、言うべき言葉ではない、と分かっていたから。 「……わかった。ありがとう、カレン。ありがたく使わせてもらうよ。そして、この戦争が終わったら、必ず返しに来る」 そういって、ディムナは首飾りを懐に入れる。 「ふふ……ディムナらしいわね……」 いつも借りたものは必ず返しに来た。たとえ、どんなものでも。そして今回も、必ず返す、と言っている。生きて帰ってこれるかも分からないというのに。でも、それがカレンには嬉しかった。 「こう言っておくと、帰って来れる、と思えるんだ。だから、絶対返しに来る」 そう言って微笑んだディムナは、四年前のディムナより、ずっと強く見えた。いや、四年も経っているのだから、当たり前なのかもしれないが、それでもなぜかカレンには誰よりも頼もしく思えたのだ。 「うん。待ってる。だから必ず無事に帰ってきてね」 「ああ、約束だ」 そういってからディムナは、はたと気がついて慌てだした。 「いけない、もう戻らないと。それじゃ、カレン、元気で!!」 あっという間に走り出してしまった。それでも、ちゃんと勘定は置いてある。律義なところは、昔のままだった。 別れるのは二度目。今度は、もう一度会う、という約束をしているから、前よりは辛くないはずであった。しかし、その再会には何の保証もない。それが、何よりも心細かった。 「ディムナ、元気でね。きっと、無事で、帰って、きてね……」 言葉は、涙で途切れ途切れになっていたが、それは、街の喧騒にかき消されて、誰の耳にも届いてはいなかった。 |
二日後。解放軍はイザークを出立し、リボーへと進撃を開始した。 後に『聖戦』と呼ばれた戦い。しかしそれは、聖戦士達だけではなく、多くの平民達もまた、自らの幸せと未来のために戦っていた。決して語られることのない、多くの勇者たちもまた、戦っていたのである。 |
written by Noran |