銀色の雫が、地上に降り注ぐなか、静かな舞が銀月の中に映し出される。人々は、ただ静かにその舞を見入っていた。やがて、その動きが緩やかになり、停止する。時が止まったかのような静寂。だが、誰となくその舞に拍手を贈り始めた。やがてそれは、舞を見ていた人全てに広がっていく。大勢の人々の拍手の中、少女は、まるで時が制止したかのように、そこで静かにたたずんでいた。 |
「見事な舞でした。村の人々も、喜んでいましたね」 シルヴィアが、クロード神父に声をかけられたのはトーヴェ城制圧直前であった。さすがに、寒くて焚き火にあたっているところである。シルヴィアは、踊る時は必ず踊り子の衣装を纏う。たとえどんな場所でも。それが自分の存在意義であるかのように。 「しかし、あのような格好で、寒くはなかったのですか?」 クロードの目は、あくまで優しい。エッダ教の教主であり、シグルドや、もうレンスターに帰国したキュアン王子と同じく、神器聖杖バルキリーの継承者だといういうが、神父という職業のせいか、穏やかな雰囲気がある。誰にでも、分け隔てなく優しい、というのがシルヴィアの印象だった。 「そんなことないよ、私、踊っている時はこの格好でも暑いくらい」 踊っている時は、周りの全てを内側に感じられる。そんな感覚がある。そしてそれらがもつエネルギーを感じられるのだ。だから、踊っている時に、寒さなど気にならない。さすがに、今はそうもいかないのだが。 「踊ることが、好きなのですね」 「う〜ん。嫌いじゃないけど……でもみんなが喜んでくれるのは、嬉しいな」 嘘ではない。自分の踊りをみて、みんなが喜び、元気になってくれるのは嬉しい。そして、ここの人たちは、みんな自分の踊りを見てくれる。かつてのように、野卑な視線ではなく、純粋に自分の踊りを見てくれているのだ。だから、シルヴィアは今もシグルド達とともに行動しているのだ。 「どこで、踊りを?」 パチッという薪の爆ぜる音がする。炎の向こう側で、クロード神父は、やはり穏やかな瞳でこっちを見ていた。まるで、すべての事象を見透かされているような、それでいてひどく優しく、安心させてくれるような瞳だな、とシルヴィアは感じていた。だから、話してもいい、という気になったのかもしれない。 「私、孤児だったんです。よく覚えていないけど、お母さんが死んだ時、ずっと泣いていたのだけ覚えてる。それから、旅芸人の一座に拾われて……踊りはそこで教えられたの。でもね、そこの親方がすごい嫌な人で、何かあるとすぐ鞭で叩くの。それで、逃げ出してきちゃった。その後はずっと踊り子として。皮肉よね。無理矢理教え込まれたものが、結局役に立っているのだから」 「……つらい人生だったのですね」 するとシルヴィアはそんなことはない、というように首を振る。 「でも私、今は幸せですよ。みんないい人だし、私のことを見てくれる。結局、私は踊り子なんだなぁ、って思うけど」 「そうですか。私の妹も、あなたのように強く生きていてくれればよいのですが……」 クロード神父の顔が翳る。シルヴィアは、その時初めてクロード神父の、内面に触れた気がした。 「妹……ですか? 神父様の」 聞いてしまったのは好奇心である。あまり聞くべき事ではない、と思いつつも年相応の好奇心は押さえられなかったのだ。 「ええ。生きているのなら、ちょうどあなたと同じくらいの年齢ですね。まだ赤子の時に攫われて、行方知れずのままです。当時は必死に探しましたが、結局見つかりませんでした。あの子も、あなたのように強く生きていてくれれば、と思って」 「神父様に、妹が……そっかあ。きっと私なんかと違って、上品できれいな人なんだろうなぁ」 その声には、羨望の響きもある。自分がどうやっても手に入れられないもの。生まれながらに、高貴な血を引くものへの憧れ。しかし、それらを羨ましい、とは思うことはあっても、だからといって妬むことはしない。自分には踊りがある。踊っている時、自分はすべての中心になっている。それが、シルヴィアの心を満たしてくれるのだ。 「そんなことはありません。あなただって、十分に美しい。それに気品もあります。でなければ、あなたの踊りに、あれだけ多くの人が魅了されることはないでしょう」 シルヴィアは、一瞬何を言われたのか理解できなかった。それが、自分に向けられた言葉である、と分かった時、信じられない、という表情をクロードに向ける。 「そんな……そんなこと……」 クロードはもう一度、シルヴィアに優しい笑みを見せた。 「本当です。きっと、他の人たちだって、そう思っていますよ。あなたは、誰にも負けないくらい、気品と、美しさを持っています。自信を持ってください」 シルヴィアは、自然に涙が流れていることにしばらく気づかなかった。でも、今は泣いてもいい、と分かっていた。だから、涙を拭うことを、シルヴィアはしなかった。 |
「おめでとう、フュリー」 シレジアの王城で、シルヴィアはフュリーを呼び止めると、素直にお祝いの言葉を言った。レヴィンとフュリーの結婚が決まった翌日のことである。フュリーはちょっと驚いたようにシルヴィアを見ている。少し前、シルヴィアはフュリーに、自分がレヴィンの恋人になる、というような内容の言葉を言ったばかりだ。 「え……あ、ありがとう。その……」 いわれたフュリーの方が戸惑っている。このままだと、シルヴィアは、自分が惨めになるだけだと思った。だから、その先の言葉をフュリーには続けさせなかった。 「いいの。ただちゃんと、おめでとうって言っておきたかったの。それじゃ!!」 シルヴィアはそれだけ言うとフュリーの前から走り去った。 嫌な女だ。シルヴィアは走りながら、そう感じていた。レヴィンのことが好きだった。でも、その想いはフュリーには敵わなかった。だからわざと、フュリーをけしかけるような発言をして、レヴィンとフュリーに一緒になってもらおうとまでした。そして、二人を祝福する。そのつもりだった。けれど、あんな言い方では、嫌味にしか取られようがない。なんでもっと素直に、言うことができないんだろう。 そんなことを考えながら城内を走っていたから、当然、曲がり角の向こう側に人がいることなど、考えているはずもない。 どん、と派手にぶつかってしまった。反動で、後ろに転びそうになるところを、そのぶつかってしまった人に支えられた。ぶつけられた方は、転ばなかったのだ。 「大丈夫ですか? シルヴィアさん」 声をかけられて、シルヴィアは自分がぶつかってしまった人物が、クロード神父であることに気がついた。途端、何故か涙が溢れてきてしまい、クロードに抱き付くと、そのまま泣いてしまう。クロードは、はじめ、びっくりしたように見ていたが、シルヴィアが泣き止むまで、ずっと肩を抱いていていくれた。 |
「ごめんなさい、神父様。もう大丈夫です」 「つらいのは分かります。でも、無理に泣くのを我慢する方が、よくないですよ」 シルヴィアはちょっとびっくりしたような顔でクロードを見た。クロードは、いつもと変わらない、優しそうな眼差しで自分を見ている。 「神父様って、なんでもお見通し、って感じですね」 「そんなことはありません。私にだって、分からないことはたくさんありますよ」 そう言ってくれるから、つい甘えてしまう。この時は、特にそんな心境だった。 「私って魅力ないんでしょうか?」 この質問には意表を突かれたのか、クロード神父は驚いたような表情をシルヴィアに見せた。それが、何故かおかしくて、くすくすと笑いが洩れてしまう。 「あ、そんな深い意味はないんです。フュリーの方が、ずっとレヴィンのこと好きだったし、私も、そんなフュリーを応援したいって思っていたところもあるんです。でも、それでも……」 声が小さくなる。なんでこんな相談をしているんだろう、という疑問も少し出てきてしまっていた。 「前にも言いましたけど、あなたは魅力的ですよ、十分に。ただ、人には巡り会わせ、というものがあるといいます。今回は、それがかみ合わなかっただけではないでしょうか」 「それって運命っていうやつ?」 するとクロードはしばらく考え込んでいる。そして、いつもの瞳をシルヴィアに向けて答えた。 「そうともいえます。ですが、運命もまた、人の手によって作られ、切り開かれるもの。常に前を向いて歩き続ける姿勢を持つあなたになら、きっとまだ、ステキな巡り合いがありますよ」 あるのだろうか。レヴィンと初めて会ったアグストリアの開拓村で、シルヴィアはただレヴィンについていきたいというだけで、シグルド達と行動を共にした。レヴィンが王子であった時、正直身分の違いがあるのでは、と思ったが、レヴィンはそれまでとかわらずに付き合ってくれた。しかし、彼が選んだのは自分ではなく、同じシレジア人の天馬騎士。これも身分の差があるといえばあるが、少なくとも自分よりはない。レヴィンが、身分のことを考えてフュリーを選んだわけではないことは分かっている。今ではレヴィン以外にも多くの人と知り合いになれているが、やはりまだ、レヴィンのことは頭から離れない。 「無理に振り払おうとなさらなくてもいいと思いますよ。あなた自身、まだ戸惑っているのでしょう。落ち着いて、周りをよく見たら、きっとあなたを想ってくれている方が、いらっしゃるはずです」 「神父様も?」 何も考えずに口から出たセリフだが、言ってしまった後で、その反応が恐くなってきた。 「ええ、もちろん」 その言葉を聞いた時、嬉しくて神父に抱き付いていた。 「シ、シルヴィアさん。どうしたんです?」 やや動揺しているのが分かる。この人でもうろたえることがあるんだな、と分かったことも、何故か嬉しかった。 「なんでもないです。神父様、ありがとう!!」 言うが早いか、シルヴィアは走り去っていく。あとには、すこし呆然としたクロード神父だけが残されていた。 何が嬉しかったのかは、分からない。けれど、何故か嬉しかった。 |
その数日後。ザクソン城で、レヴィンとフュリーの結婚式が挙げられた。本来なら、国を挙げてのお祭りとなるところであるが、内乱直後でもあり、またこれから冬に向かう季節、しかも冬が終わった後は、グランベル王国との戦い。そんな状態ではあまり大きなお祭りなど出来るはずもなかった。 それでも、シグルド軍の全軍、ラーナ王妃、生き残った天馬騎士団達が集まり、それなりに賑やかではある。そんな中、シルヴィアの踊りも披露された。 静寂に包まれた広間の中心で、シルヴィアは静かに、だが激しさを感じさせるような舞を舞う。彼女の装飾品が、燭台の炎を映して、金色の輝きを発していた。それが、黄金色の軌跡を描く。幻想的とすら思える美しい舞。 その踊りが、彼女のメッセージであることを、結婚式を取り仕切った神父はあとから気付くことになる。 |
written by Noran |