ずっと、信じていた。 雪と山に閉ざされた場所にすら届く風。そこにはきっと希望があるんだって。遥か東から。他の誰にも分からない。けど、私にだけ分かる、暖かい風。そこに、いつか自分も行くんだ。そう思ってきた。 友達のカリンが行方不明の兄を追いかけて旅に出て一年。ついに私も飛び出した。希望の風の、その源へ。 |
「ミーズからの軍は竜騎士が中心です。出撃体制はほぼ整っていて、一両日中には出撃すると思われます。周辺にはシューターも配備されていて、また重甲冑騎士の姿も確認できました」 「ご苦労様、フィー。休んでいていいよ」 そう答えた青い髪の若者――解放軍の指揮官であるセリス皇子は広げてある地図に目を落とした。まだ19歳という若さでありながら、その双肩には大陸全ての人々の想いがかかっている。しかし本人は、その苦労をまったく見せようとしない。 「大体予想通りだな。セリス。どうする。このままではこのマンスターから動けんぞ。ミーズを攻略して後顧の憂いを払わない限り、グランベルには進軍できん」 セリスは黙って頷いた。その発言した人物は、そのまま思案するように腕を組む。ややあって、まだフィーが天幕にいるのを見咎めると、厳しい表情で叱り付けた。 「なにをしている。休めるときに休んでおけ」 直後、フィーは顔を怒気で紅潮させつつ、まるで地面を踏みぬくような勢いで天幕を出ていった。 「レヴィン、あれじゃあフィーが可哀想だよ。もう少し……」 「セリス。これは俺達親子の問題だ。口は出さないでもらいたい」 セリスは肩を竦める。なおも何かを言いたそうだったが、頭を一度振ってそれを振り払うと、再び地図に目を落とし、部隊編制の話を始めていた。 |
「フィーはレヴィンのことが嫌いかい?」 「はえ?」 突然話しかけられたフィーは、一瞬呆けてひどく間抜けな返事をしてしまった。慌てて振り返ると青い髪の青年が立っていた。先ほどまで天幕にいたはずのセリスである。 「え、あの、はい?」 まだ混乱しているのか、取り繕ったような言葉になる。 「ごめん。考え事の最中だった?」 「い、いいえ。何も考えないでボ〜っとしてただけです。で、なんでしょう?」 話しかけてきたのがセリスだと言うことに気が付いて、慌てて体勢を整える。その様子がひどくおかしかったらしく、セリスは笑いを堪えているようにも見えた。 「いや、フィーは、レヴィンのこと嫌いなのかな、って」 レヴィン、という名を聞いたときに、フィーは無意識のうちに体が強張るのを感じた。 レヴィンがフィーの父親であることは、誰が宣伝したわけでもないが、いつのまにか解放軍ではかなり有名なことになっている。また同時に、レヴィンが親としてフィーに接していないこともまた、みなが知っていた。 正直、ちょっとびっくりだった。セリスは、意識してレヴィンとフィーの関係については取り沙汰しないようにしていたのだ。無論、口に出してそうするように、と言ったわけではないが、その雰囲気は、他の者達にも伝わり、結局それについては極力触れないようにしてきている。フィーにとっては、下手に騒がれるよりはありがたかったのだが、それゆえに、余計にレヴィンと疎遠になってしまっている気がするのも事実だ。 「別に、嫌いじゃないです。でも好きじゃない。自分の父親でなければとは思いますけど。だってお母様、最後までずっと……」 その先は涙声になってしまう。父を待ち続けて逝った母。そしてその父は、大陸中を回って反帝国の準備をしていたという。確かに、それは立派なことだと思う。だが、大陸のことを案じる前に、自分の家族のことも考えられないような父親が、大陸の平和のことなんて、と思わずにはいられない。 「確かに、それはあると思う。私も、レヴィンのことはよく知らなかった。彼は、ずっと前からティルナノグ――私達がイザークで隠れ住んでいた場所なんだけど、そこに情報などを持ってきてくれていた。大陸で起きている色々なこととかね。そのおかげで、いま順調に進軍できているのは間違いない。……まあ、今はちょっとおかしなことになってるけど。ただ、レヴィンに家族がいることなんて正直考えたことなかった。私には父がいなかったから、果たして父というのがどういうものかは分からない。けど、フィーやセティにとっては、レヴィンは確かに父親なんだよね。子供の頃は一緒にいたんでしょう?」 セリスはそこで一度言葉を切る。フィーは、セリスがなにを言いたいのか、掴むことが出来なかったので、ただ頷くだけをした。 「私は正直、それが単純に羨ましい、とも思うよ。私には懐かしむ記憶もないからね」 それは、分かっていた。イザーク解放のときに再会してから、父が親として全く自分に接してくれていないことに対する憤懣を、周囲にぶつけてきたのだが、それ自体があるいは他の者達には残酷とも思えるようなものだったのだ。彼らには、親の記憶の全くないものが多いのだ。そんな中、親と今もなお話す事が出来る自分は、実はものすごく恵まれているといえるかもしれないのだ。けれど。 あんな態度を取られるくらいなら、いっそいない方が気が楽だ、とも思うのだ。無論、そう思うこと自体、他の、親の記憶を持たない、あるいは記憶があってもすでに親のいない仲間達には贅沢なことである。それは分かっている。ただ、分かっていても納得できないのは、自分がまだ子供だからなのだろうか。 「私が贅沢を言っているのは分かっているんです。けど、それでも……」 なんか自分がとんでもなく我が侭な、子供に思えてきた。実際、まだ子供なのだけど、それでもフィーは、現在では解放軍の、フィーを慕って集まってきた天馬騎士達を指揮する役目を負っているのである。子供の感情で判断を間違っては、あるいは全軍の命取りにすらなりかねない。 「うん。けど、それが普通だと思う。あまり気にしすぎるのはよくないと思うけど。それに、あんまりフィーがふさぎ込んでいると、私もセティも心配するよ」 そういってセリスがどくと、セティが心配そうな表情を浮かべて立っていた。 「フィー。父さんのことは、今は私達だけの問題だ。ならば、戦いが終わるときまで、とりあえず置いておこう。そのうち、父さんの方から何か話してくれるかもしれない」 セティは自分自身納得しているのかどうかすら怪しかったが、それでもなお、フィーにはそう言いきった。あるいは、そう言うことで自分を納得させようとしてるのかもしれない。セリスにはそう感じられた。 「フィーが落ち込んでいると、なんか軍全体が暗くなったようにもなる。私もね。フィーはやっぱり、元気な方が似合ってるよ」 セティがそれにすぐ同意する。しかしフィーは、顔をぷう、と膨らませていた。セリスとセティは、一瞬びっくりして、それからフィーが怒っている――というほどではないだろうが――ことに気が付いた。 「それじゃああたし、いつもいつも馬鹿みたいに元気みたいじゃないですか。私、そんなに能天気じゃないですよ〜」 そういって立ち上がると、そのまま走り去って行く。その足取りは、いつものフィーのものだった。 「いい子だね、セティ」 セリスのその言葉に、セティは臆面もなく頷いた。 「ええ。自慢の妹ですから」 「……ちょっと聞きたいんだけど、セティ、フィーに恋人が出来たらどう思う?」 その質問は全く予想していなかったのか、セティは少し考え込んでしまう。 「そうですね……フィーが選んだのであれば、多分妹に、それが一番幸せだと思えたから選んだのでしょう。だから、反対はしません。祝福しますよ」 セティの言葉を聞いていたセリスは、いつのまにか笑いを堪えるような表情になっている。セティはその理由がわからず、いぶかしげにセリスをみた。 「ああ、ごめん。やっぱりセティはレヴィンの息子なんだなあ、って。さっき、レヴィンに同じことを聞いたら、まったく同じ答えを返したよ」 それを聞いたセティは、なんとも複雑そうな表情になった。喜んで良いのか、悪いのか、迷っているという顔だ。その表情が、少し前まで『勇者』とすら称えられていたセティの顔と重なって、結局セリスは笑いをこらえ損ねてしまった。セティは理由も無く、笑われたような気がして、憮然とした表情になる。 「いいね、君達は。いや、君達だけじゃないけど、やっぱり兄妹がいるっていうのは羨ましいよ」 セリスは空を見上げた。北の方角。イザークのある方向だ。 「ティルナノグで一緒に育ったみんなは、弟妹みたいなものだけど、でもやっぱり本当の弟妹じゃない。感覚的になぜかユリアは妹の様に思えたけど」 「フィーも妹のように感じますか?」 するとセリスはちょっと首を傾げた。 「妹か……う〜ん。ちょっと違うかな。ただ、彼女の元気の良さは、私には本当にまぶしく見えるよ。一緒にいると、私の重荷を軽くしてくれるような気がするくらい。本当に良い娘だね、フィーは」 「はい。私もそう思います。それにフィーにとって、セリス様は希望だそうですよ」 セリスはちょっとびっくりして、少し目を見開いた。 「それはまた担ぎ過ぎだなあ」 「私も思います。特にフィーは、シレジアにいる間もずっと、希望の風、を感じていたそうです。それがセリス様、あなただそうですよ。だからフィーは、シレジアにいるときよりずっと明るく、元気に振舞っている、私にはそう見えます」 そこへ、フィーは走って戻ってきた。話題にしていた、その快活さを伴って。思わず二人は笑みが漏れる。 「セリス様、お兄ちゃん。ミーズ城に動きがあったって今連絡が。……なに? 私の顔になにか付いてる?」 セティがどう答えたものやら、と思案しているうちに、セリスが先に口を開いた。 「いや、フィーがずっと私と一緒にいてくれないかな、って」 驚いたのは緑の髪の兄妹両方だった。一瞬、二人とも凍り付いてしまっている。そして、その凍結が解ける前に、セリスは歩き始めていた。 「ミーズからの軍が来たんだろう? 急ごう。セティ、フィー。君達にも頑張ってもらうよ」 セリスはそう言って歩き去ってしまう。後には、セティとフィーだけが残された。 「お、お兄ちゃん。一体何を話してたの……?」 セティは、というとこちらの思考はまだ回復していなかった。マンスターの勇者は、こういう不意打ちには弱いらしい。 「いや……他愛もない……ことだったと思う」 「二人ともー!!出撃の打ち合わせするから来てくれ!!」 二人の会話は、オイフェの呼ぶ声によって中断された。 セティはその後、なんどもセリスとの会話を反芻し、あれが冗談でなかったという結論に達するまで、そう時間はかからなかった。 |
グラン暦七八一年。シレジア王妹フィーは、グランベル王妃となる――― |
written by Noran |