迷路




 戦いの鬨の声が、大地と天空を満たした。追い詰められた兵士達は、あまりにも頼りのない砦に引きこもって、最後の抵抗を続けている。このまま攻めていても、そうかからず陥落するだろう。
 その後に待つものは、反逆者としての死。
 愚かにも、あるいは無謀にも神聖アカネイア帝国に逆らった者の末路は定まっている。たかが一地方領主が、敵うとでも思ったのか。だが、それを知る必要はなかった。
「無駄な戦いを」
 戦場の後方の、小高い丘の上に立っている若者は、そう呟いた。
 風が背中の方向から吹いてくれているため、戦いの泥臭い匂いは、後方のここまでは来ない。代わりに首後ろで括ってある金髪が顔の左側から前に流れて、一瞬視界をふさぐ。それを面倒くさそうに後ろにはらったが、再び風が髪を流したので、諦めてそのまま戦場を見つめていた。
 しばらく事態を静観していたその金髪の若者は、その目の端に何かを捉えたのか、肩にかけてあった弓を取り、矢をつがえて弓弦を引く。キリキリと音を立てて弦は限界まで引き絞られた。その直後、若者は手を離す。
 ビン、という弦の音に、矢の飛ぶ音が続いた。矢は鋭い音をたて、ゆるい放物線を描いて、三百歩は離れていたであろう砦の城壁へと飛んでいく。それは、常識では考えられないほどの弓勢である。そして。
 矢がその若者が狙った城壁上の人物――半身以上は陰に隠れていたのだが――に達する直前、その矢は炎の塊と化し、そしてその人物に命中する。苦悶の声が城壁上に響き、ややあって倒れ、動かなくなった。その人物からの、一斉射撃の合図を待って城壁上に待機していた弓兵たちは、指揮官を失いわずかな間、指揮系統が混乱する。
 その直後、馬四頭に引かせた巨大な破城砕――巨木で作った鎚に車輪をつけたもの――が門扉に激突し、扉がひしゃげてしまう。それを迎撃しようとしていた弓兵たちは、その時なって事態を察したが、すでに手遅れだった。その隙間から兵士達が砦内に乗り込んでいく。
「もう俺の出番はないな。後は任せる、アストリア」
 勝敗を決定付ける一矢を放った人物は、そう言うと戦場に背を向けて自分の乗馬に戻ろうとする。
「おい、待てよ。総大将が最後まで見届けなくていいのか」
「もう勝敗は決している。後は任せる。………命令だ」
 その言葉で、アストリア、と呼ばれた金髪の若者は口をつぐんだ。それからややあって、姿勢を正す。
「拝命いたしました。ジョルジュ将軍閣下」

 戦後処理の雑務をことごとく副官に押し付けたジョルジュは、一人天幕で休んでいた。
 頼りない蝋燭の明かりの下には、アカネイア大陸の地図がある。といっても、大陸全図ではない。アカネイア大陸の北は、人跡未踏の大地なのだから。
 ふと立ち上がったジョルジュは、羽ペンを取り出し、先についたインクを確かめると、地図の上にペンを走らせて丸印をつけた。
「今年に入って、これで俺が出撃しただけでも三回目か……」
 印がついた場所は、つい先ほどまで戦闘が繰り広げられていた砦の場所である。その他に、二箇所、印がついている。
 二年前、オレルアンの王弟ハーディンが、大陸の宗主国アカネイア王国の王族最後の一人であるニーナと結婚し、アカネイアの玉座についたとき、誰もが大陸に平和が戻ることを信じて疑わなかった。
 事実、ハーディンはその強力な指導力をもって、荒れ果てた大陸を復興させていったのである。そのハーディンが皇帝を名乗り、神聖アカネイア帝国を宣言した時も、人々はこれを歓呼を持って迎えたものだ。
 しかし。
 その皇帝の治世は、一年と経たずして歪を生じさせていた。
 相次ぐ反乱、それに対する弾圧。かつてドルーア帝国に対して協力的な立場をとり、戦後も監視状態にあるグルニア王国やグラ王国などの噂は、真実かと疑いたくなるほどひどいものが多い。
 中央から派遣された役人の腐敗、街中を我が物顔で歩く兵士。それに怯える民衆。
 こんな国のために戦ったわけではない、と思っていても、自分について回るのはアカネイアの将軍と言う立場。アカネイア王国における軍事面での最高責任者の一人である。こういうとき、父親から継いだ名前が本当に鬱陶しい。
 かつて、暗黒戦争で共に戦い、おそらく個人としての資質も軍人としての資質も自分とそう変わらないはずのオグマなどは、その後も仕官の誘いを断り、どこへとも知れぬ旅に出ていると言う。
 無論自分とて、その地位に相応しいだけの報酬を受けている身ではあるが、だが自由な生き方に憧れるのもまた、事実だ。まして、昨今のように己の望まぬ戦いばかりを強いられる身となれば。
 立て続けに起きる反乱は、中央への不平不満の表れだ。しかも、起こすのは耐え切れなくなったからであり、なお今も中央の圧政や役人の暴虐に耐えている地域はたくさんあるだろう。もし、それが一度に噴出したら。おそらく、自分をもってしても抑えきれないに違いない。幸いなのは、それらをまとめる人物がいないこと。いや。
 まとめられる人物が立ち上がっていないからだろう。
 アリティア王太子マルス。いまだ、正式に即位してないが、実質アリティアの王といってもいい人物。なんでも来年の春頃にタリス王国のシーダ姫との婚姻と同時に即位する、と聞いている。ジョルジュもその婚礼には内々に招待されるだろう、という話は聞いていた。それ自体は楽しみであるが、もしマルス王子がこの叛意を受けて立ち上がることがあれば。おそらく、大陸中が立ち上がるだろう。
 無論、それを各個撃破すればいいことだが、だがそれはひどく気が進まない。なにより、あのマルス王子を敵に回すなど、考えたくもなかった。かつての暗黒戦争における英雄。誇張ではなく、この大陸の救世主でもあるのだ。
 だが、そういう考えに至る時点で、かつてドルーア帝国が大陸を席巻していた時期と、変わらないのかもしれない。そして、その元凶は他ならぬアカネイア………。
「考えていても、どうしようもないな」
 気が付くとペン先のインクはすっかり乾いていて、表面が固まってしまっている。そのひび割れた黒が、不当な扱いに対する抗議のようにぺり、とはがれた。
「ふう、ここで考えていても仕方ないな」
 頭のもやを払うようにジョルジュは頭を振って、立ち上がろうとして、ふと先ほど届けられた被害の概算報告に目を留めた。予想したより、遥かに大きい。
 確かあの砦には百人もいなかったはずだ。それに対して、五百の兵をもって攻めたのだから、ほとんど一方的なはずである。だが、そこに記された数字は、アカネイア軍にゆうに百近い被害があったことを報告している。
「……何があった?」
 しかもそれだけ被害を出しておきながら、反乱の首謀者を取り逃がしたらしい。
 もっともこの遠征の目的は反乱の鎮圧であって、首謀者を捕らえることではない。もっとも普通は捕らえられるものだ。
「妙だな……アストリアに聞いてみるか……」
 ペンを置いて立ち上がろうとしたその時、背後の強烈な殺気に気がついた。反射的に椅子を後ろに蹴飛ばして背後の何者かを牽制しようとしてみたが、どうやらそれも、その相手には予測された動きだったようだ。天幕の柱の一つに背中をつける格好になったジョルジュの首に、鋭い剣先が突きつけられていた。
「………ナバール………」
 その相手を、ジョルジュは良く知っていた。
 かつて、暗黒戦争においてマルスが旗揚げした初期から軍にいた剣士。その実力は、ジョルジュも間近で見る機会を何度となく得ている。正直、あのアストリアより格段に強い。
 暗黒戦争以後、行方不明になっていたと聞いていたが、まさかこんな形で再会するとは思わなかった。
 表情は良く見えないが、だが、放たれている殺気は本物だ。自分も、体術や剣術も十分学んでいるし、実際アカネイアにあってもアストリア以外には敗れたことはないが、さすがにこの男に対抗できると思うほど自惚れてはいない。距離があり、弓があればともかく、この状態ではどうしようもない。
「久しぶり……というにはあまり歓迎できない状況だな」
 目の前の人物は応えない。
「俺を……殺すつもりか」
 あまり訊きたくはない質問だったし、無意味な質問であるとは分かっていたが、だが他に言うことが思いつかなかったのも事実だ。
「そういう依頼だった」
 ナバールはそれだけ言うと、突然剣を引き、鞘に納めた。
 ジョルジュは、体中から汗が出ているに、気付いた。肌に触れている服の布地が湿っているのが分かる。
「ならば、なぜ」
「依頼主はもういない」
 いつの間にか、殺気も完全に消えている。ジョルジュはこのときになって、一息つけた。
「あいつらに雇われていたのか」
「ああ」
 こういう状況から突然斬りかかってくるような男ではないことは知っていたので、ジョルジュは少し落ち着いて、それから机の上に転がったままの羽ペンをしまう。そのとき、先の被害報告が目にとまり、同時のその被害の原因が納得いった。
「お前が来た時から勝ち目はない、とは分かってたが」
 ナバールはそれだけ言うと、天幕の出入り口へと歩いていく。
「まて、ナバール。なぜお前はなぜ、俺を殺さなかった」
「……お前を殺したところで、もう報酬をもらえはしない」
 それだけを言うと、ナバールは暗闇の中に消えた。
「……このアカネイア軍の陣内を、平然と抜けてくるか」
 その大胆さには敬服する。
 全く気付かれなかったのか、あるいは気付かれたとしてもおそらくは。
 かといって、彼を追う気にはなれなかった。もう一度、ふう、と息をつくと倒れた椅子を起こして座りなおす。
 ナバールはああはいったが、実際彼が金で動くような人間でないことは、良く知っている。善悪にとらわれず、己の価値観だけで生きている人間。その生き方に、羨ましいと思うことはあっても、自分でその生き方を選べないことも知っていた。
 アカネイア王国に忠誠を尽くす。それは、彼自身の誓約である。その生き方に疑問をもったことはない。
 ただ。
 アカネイア帝国、となった今のアカネイアが、かつてジョルジュが何にも代えて取り戻そうとしたアカネイアと同じなのかどうか、すでに彼自身の中に疑問が生じている。
 ナバールのような生き方が出来ないとしても、このままでいいのか、という疑問は感じている。
 かつて、解放されたときに大陸に溢れていた笑顔は、もはや完全に失われている。パレスですら、昔の繁栄を取り戻しているといってもどこか違和感を感じる。
 即位したとき、その力強さにおいて、何者も寄せ付けないかに思われたハーディン皇帝だったが、今正直ジョルジュは彼自身に対する猜疑の念を消すことが出来ない。
 かつて、ニーナ王女を助け、草原の狼と謳われ、解放軍の先陣を切って戦う姿は、ジョルジュにも頼もしく見えた。だから、主君として仰いでもいい、と思ったのだ。しかし。
 今のハーディン皇帝に忠誠を尽くす気には、到底なれない。
 堅物のアストリアは、それでも真面目に皇帝の命令を実行しているが、ジョルジュは特に最近頻発している反乱鎮圧すらも、やる気が起きなかった。
 また、自分が出陣している反乱ではなく、もっと小規模の反乱に対しては、別の将軍が出陣しているが、正直ジョルジュはその将軍達と自分が同列にある事すら吐き気がした。どうみても軍才も武才もなく、己自身の力以外でその地位を『買った』ようにしか見えない将軍達。
 しかもそういった反乱のとき、その反乱を起こした首謀者はもちろん、その近隣の町村まで略奪されているらしい。報告では、反乱者が略奪したといっているが、真実が違うというのは、彼らが『戦利品』として持ち帰った多くの貴金属などからも明らかである。
「こんな国を取り戻すため、俺は戦ったわけじゃない……」
 一体自分が何をすべきなのか。その答えすら未だに出ない。
 あのナバールがこの戦いに力を貸していたことが、気になった。
 一体、どちらが正しいのか。いや、人の営みは単純に善悪で割り切れないものだというのは分かっているが、それでも考えずにはいられない。
 前の反乱を鎮圧したときの、首謀者が処刑される前に言った言葉を、急に思い出した。
「皇帝に盲従する愚かな者たちよ。その目で見、耳で聞いたことからいつまでも目を逸らすがいい。いつか、貴様らには天罰が下るだろう」
 ハーディンのアカネイアが正しいのか。それとも反乱を起こす者達の言葉が正しいのか。
 まるで、出口のない迷路だ。
 ある意味、前の暗黒戦争の方が気が楽だった。
 何も考えず、ニーナ王女に忠誠を尽くし、マルス王子を助ける。それで、アカネイアを取り戻せると信じて疑わなかった。
 だが、実際にはどうか。
 平和になったと思えたのはわずか一年。そのあとは、望まぬ戦いを続ける日々である。
 一体ハーディン皇帝はどうしたのか。そもそも、ニーナ王女の顔すら、最近は見ていない気がする。
「……今度、陛下に申し立てよう。これ以上はたくさんだ」
 そう決めると、少し心が楽になった。

 だが。
 彼がニーナに謁見する機会は、訪れなかった。
 王都パレスに戻ったジョルジュを待っていたのは、反乱を起こしたマルス王子を討伐せよ、という信じがたい命令だったのである。



 唐突に書いてみたジョルジュのお話。私は、ジョルジュとナバールは、ほぼ最強の位置にある存在だと思ってます。弓と剣の違いはありますが。で、なんとなくその二人。だけど全然絡まなかったなあ。失敗。
 性格的にはジョルジュの方がずっとマシですけど(笑)
 読めば分かると思いますが、時間的には紋章第二部の開始直前くらいです。
 単にパルティアを描きたかっただけ……かもしれない(爆)
 今回はジョルジュ、いいところあまりなかったですね(汗) なんか機会があったらまた今度はかっこよく書いてあげたい(^^;
 ちなみに私のジョルジュやナバール他、紋章キャラのイメージはほぼ100%、箱田先生のイメージです♪



written by Noran

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