祝勝会場は、大変な賑わいだった。 戦争が終わって一ヶ月。ようやく戦勝を祝うだけのゆとり――というよりバーハラに人がいなかっただけだが――が生じ、このバーハラ王宮でも、とりあえず体裁だけ取り繕っての戦勝パーティが開かれている。 街でも、今日だけは明日からの仕事を忘れ、暗黒教団の恐怖から解放されたことを、人々が心底喜んでいる。 無論、これから復興に向けての大変な作業が待っているのだが、今この時だけは、人々は暗黒の時代の終焉を祝っていた。 そしてそれは、これまで一年間戦っていた解放軍にとっても同じである。 これまでの熾烈な戦いが終わり、その中核となった戦士たちは、同時に各国の王族や継承者達だ。それは、今後の世界に対して、責任がある立場だと言うことを示している。 そしてそのうちの一人、ターラ公主リノアンは、一人バルコニーで風に当たっていた。 季節はもう真夏を過ぎ、夜になると涼気を感じさせる風が吹く。 ホール内は、ある種の熱気に包まれているので、バルコニーはその暑さを凌ぐにはちょうどいいくらいの涼しさであった。 「そこにいたのか、リノアン」 「ディーン……ええ、風が気持ちよかったので」 振り返ることもなく、リノアンは答える。 誰が来たか、などは声だけで――いや、気配だけで分かる。 夏の夜特有の、僅かな涼を感じさせる風が、二人の髪をなでる。 バルコニーは、ホールの喧騒が遠くに感じられるような、そんな静寂に満たされていた。 しばらく、バルコニーに沈黙が満ちる。 「明日には発つそうだな?」 その沈黙を破ったのは、ディーンだった。 「ええ。元々私は、ターラ奪還後、そのままターラにいる予定でしたから。それを無理言ってここまで来てしまったのですから」 無論、解放軍に力を貸す、という目的はあった。 バーハラ王家の力を継承するリノアンは、ユリア王女に次ぐ、強力な光の魔法の使い手として、解放軍の一翼を担っていたのである。 その力は実際、特にペルルークでユリア王女が攫われてからは、解放軍にとってなくてはならないものになっていた。 だがそれは、リノアンが解放軍に最後まで同行した理由ではない――無論、口に出しては言わなかったが。 「俺も数日後にはトラキアに発つ。アルテナ王女に従ってな」 トラキア王国の正統な後継者であるアリオーン王子は、現在行方不明である。先の戦いの最後において、アルテナ王女に手を貸したらしいといわれているが、魔皇子ユリウスが討たれた時には、すでにどこにもいなかったらしい。 結局トラキア半島はレンスター王国――すでに王統の絶えている北トラキアの各国も従う予定である――をリーフ王子が治め、元トラキア王国は、トラキア王国の王女であり、そしてリーフ王子の姉でもあるアルテナ王女が治めることになっている。もっともいずれは、レンスター王国――いずれはトラキア半島全てを統べる国となるであろう――に併合されることになるだろう。 そしてトラキアの竜騎士であるディーンは、そのアルテナに従ってトラキア王国の復興に尽力することになる。ターラへ行くリノアンとは、絶対に離れ離れになる。 「しばらく、お別れですね」 リノアンはそう言って、初めてディーンの方へ振り返った。 その顔は笑っていたが――ディーンは知っていた。それが、彼女が泣き出す寸前の笑みであることを。 「貴方に逢えて、貴方と共にいられたこの一年、とても、とても……楽しかったです」 本当は、熾烈とも言える戦いの連続だった。だがそれでも、これから先のことを考えれば、なんと光に満ちていたことだろう。 「本当は、あの時……私、本当に死んでもいいと思っていた……なんていったら、怒りますか?」 「リノアン……」 戦いの最後の局面。 ディーンとリノアンは、操られたユリア王女を解放するため、ヴェルトマーにいた暗黒教団の大司教マンフロイと対峙した。 他にも解放軍でも有数の戦士であるラクチェ、マリータ、アーサー、フィーらが共にいたが、マンフロイの力は絶大で、まるで歯が立たず、全員――フィーだけは逃がしたが――死を覚悟した。いや、実際、あのギリギリの場面でシャナン王子が現れなければ、間違いなく死んでいた。 「ここで死んだら、貴方と別れなくてすむ……もちろん、今生きているから言えることだと、分かってます。でも、あの時は本当に、そう思ったんです」 実際、それは今生きているから言えることだ。 死ななくて良かった。生きていて良かった、と心底思う。 だがそれでも、あの瞬間にそう思ったこともまた、真実の想いなのだ。 「……俺も、同じだったと思う。だが」 「でも?」 「生きていて良かった、と思っている。そうでなければ、今お前を見ることも、できなかった。それに……」 ディーンは一度視線を落とし、それから空を見上げた。 晴れ渡った夜空には、美しい月と共に、星々が瞬いている。 「確かに俺達は、明日には別れることになる。だが、永遠に逢えない訳ではない。あれは、その時の勢いで言ったわけではないだろう?」 あの、雪の積もったトラキアの、飛竜の上で交わした言葉。 いつか必ず、トラキアへ行く、という言葉。 「ずるい、です、ディーン、は」 リノアンが、必死に堪えていた涙が、溢れ出す寸前なのだろう。だがそれでも、リノアンは必死になくのを堪えていた 「私は、必ず、ターラを元の、素晴らしい街に、して、みせます、から……」 いや、あるいはもう泣いているのかもしれない。かつて彼女は、泣き顔を絶対に見せられない状態にあった。その時のように、きっと今も、泣くのを必死に堪えているのが、ディーンには分かった。あの、帝国の間接支配を受け、それでも必死に、痛々しいほどにターラの独立を保とうとしていた、あの頃のリノアン。 思えば、あの時に、すでにディーンはこの少女を守ることを決めていたのかもしれない。 だが。 明日から、二人は別れなければならない。 誰よりも伴にありたいと願っても、それをお互いの立場が許さない。 だから、今だけは。 言葉をかみ締めるように繰り出すリノアンに、ディーンはゆっくりと近付くとその両肩に手を置いて抱き寄せた。 「無理はするな、リノアン。今、まだ俺はここにいる。リノアンもここにいる。まだ耐えなければならない時ではない」 「ディーン……私、私っ」 そのリノアンの声はすでに涙声に変わっていた。 ディーンはただ、リノアンを包むように抱きしめる。 「ディーンっ!!」 リノアンはそのままディーンにしがみつくと、堰を切ったように泣き始めた。 「必ず、必ず私は……」 「分かってる。俺も、いつまででも待っている、リノアン」 それは、二人にとって、絶対の約束。 いつになるかも分からない、だが、いつか必ず果たす、という誓いにも似た約束だった。 |
翌日。リノアンは少数の兵を連れ、ターラへと戻っていった。 その見送りの列にディーンの姿がないことを、幾人かの事情を知るものが不思議に思い――そしてすぐ得心した。 空には一頭の飛竜が、挨拶をするように旋回していたのである。 |
2005.02.15 written by Noran |