「さあ、今日こそちゃんとしていただきますっ!!」 けたたましい、と表現していい声が、あたりに響き渡った。ここは兵舎であり、常日頃から訓練する兵士達の声でうるさいため、普段なら、あまり気にする人はいない。 ただそれが、男性仕官が寝泊りしているはずの兵舎で響いた女性の声のため、不審に思う者は決して少なくなかった。 「何事だ?」 「っていうか誰の部屋だ、今のは」 声が響き渡った廊下で兵士が足を止め、互いに音源の方へと目をやる。そして、全員が一つの扉を注目した。その部屋以外は、その方向にある部屋はいずれも無人のはずだったからだ。 「……ルトガーの部屋……だよな」 「奴に女っ気なんてあったか?」 「……誰の声だった?」 などと。 ひとしきり噂していた彼らだったが、すさまじい勢いで扉が開け放たれた時、お互いすばやく視線をそらしていた。そして凄まじい勢いでどかどかと出て行く少女が一人。 「あれ、確かクラリーネとかいう貴族のお嬢さんじゃなかったか?」 「……何があったんだ……?」 そういう彼らの言葉などまるで聞こえないかのように、その当のクラリーネはそのままどかどかと兵舎を出て行く。 顔を見合わせていた兵達は、何があったのかの事情を知りたいという好奇心に駆られたが、結局誰一人としてルトガーに事情を聞きに行くことはしなかった。 |
その日、ディークは久しぶりにゆっくりと休める時間を手に入れていた。しかしそこに、文字通り嵐が飛び込んできたのである。 「……なに?」 「ですから、剣の使い方を教えてください、と言っているんです」 答えたのは、十五、六歳の金髪の少女。見た目にも細身で、剣など到底持てるようには見えない、細い腕をしている。 「……頼むから、もう一度最初から説明してくれ」 なんとなく無駄と知りつつも、事実の再確認をせずにはいられない、というところだ。 「物分りの悪い方ですねっ。ですから、わたくしにあのルトガーに勝てる剣を教えてください、と言っているんです」 少女――クラリーネは、さらりと、しかも平然と言う。 「ちょっと待て。一体何をどうやったらそういう話が出てくるんだ。もう一度、順序だててちゃんと説明してくれ」 「だから言ってるでしょうっ」 クラリーネはディークを怒鳴りつけると、一息ついてもう一度説明を開始した――。 |
現在、リキア同盟軍はエトルリア王都アクレイアに駐留している。 つい先日、フェレ侯子ロイ率いるリキア同盟軍は、ベルンに通じていた奸臣と、ベルン軍をエトルリアからたたき出すことに成功した。そしてついに、エトルリアはベルンに対して正式に宣戦布告、ここに大陸の二大強国による戦争が勃発することになったのだ。そして、その指揮官となったのが、これまでリキア同盟軍を率いていたロイ将軍。弱冠十五歳の若き将軍だが、これまでの功績から、その登用に異論を挟むものはいなかった。そしてリキア同盟軍はエトルリア王国軍として再編成されているところなのである。 これにより、軍団の編成等、忙しくなる者は忙しくなり始めているのだが、そもそも傭兵であるディークやルトガーなどはそれほど忙しくはない。ディークは自分の部下の把握だけしていればいいし、ルトガーなど元々一人で雇われているため、部下などもいないのだ。 一方、エトルリア王国も、正式に軍団を派遣することになり、改めてエトルリア三軍将、およびその麾下の軍団のうち、王都防衛部隊を除くすべてに出撃命令を出した。そして、クラリーネも正式に魔道軍の一員として従軍することに――兄は反対したが――なったのだが、出陣はまだ少し先。部下などはいないため、それまではむしろ暇な時間が続くのだ。そしてそこで、クラリーネがルトガーにあることを言い出したのである。 『エトルリア軍の一員として、恥ずかしくない出で立ちをしていただきます』と。 「……で、そこになんで剣が出てくるんだ?」 クラリーネの性格はまあある程度分かっていたが、怖いもの知らず、とはある意味恐ろしいものだ、とディークは思った。 ルトガーは、よく言っても寡黙、悪く言えば無愛想な男で、とてもではないが普通の人間なら話しかけるのすら二の足を踏みたくなる雰囲気の持ち主だ。しかしどうやら、クラリーネは最初にルトガーに助けられた時の縁があってか、ルトガーとはそこそこ話す機会もあったらしい。 「ですから、わたくしがその様に要求したところ『剣で俺に勝てたら言うことを聞いてやってもいい。いつでも好きな時にかかって来い』などというものですから。多分わたくしが剣など使えないなどと思って、侮っているのですわ。ですから、何が何でも剣でルトガーに勝たなければならないのですっ」 そんなことは天地がひっくり返ったとしても不可能だ、という事は確かだった。 「一つ聞きたいが、クラリーネ嬢ちゃん、あんた、一度でも剣を振るったことは?」 「ありませんわ。だから教えてほしい、といってきてるのではありませんか。このわたくしが。わたくしのしるかぎり、一番剣が達者なのは貴方ですから」 ディークは思わず眩暈がした。出来ることなら、この場で逃げ出したい気分だ。 「あのな……言いたかないが、お嬢ちゃんじゃ、たとえどれだけ努力したって、ルトガーには敵いはしない。こう言っちゃなんだが、純粋な剣の勝負だったら、俺だってあいつに勝てる自信なんざ、これっぽっちもない。俺の知る限り、あいつに勝てそうなのなんて、それこそ剣聖カレルとかそういうレベルだ」 「どなたですの? その方は」 「……いや、それは知らなくてもいい。だが、とにかくそのくらい大変なんだ。悪いことは言わないからあきらめてくれ」 しかしクラリーネは、きっ、とディークを睨み付けると、 「エトルリアのリグレ公爵家の者は、傭兵に侮辱されて黙ってなどいられませんっ!!」 と高々と宣言した。 そしてこの瞬間、ディークは出陣までのわずかな休みが、完全に消滅することを覚悟した。 |
「これが剣ですか。意外に軽いものなのですね」 クラリーネはディークに手渡された剣を持って、適当に振り回す。 「そいつはまあ、軽く、扱いやすく、と作られた剣だからな。実戦じゃ、威力がほとんど期待できないので使い物にはあまりならない。ただ、別に相手を倒す必要があるわけじゃないし、お嬢ちゃんの力じゃそのくらいがちょうどいいだろうしな」 「まっ。わたくしを侮辱なさるのですか!? いいです。その剣を貸しなさい」 言うが早いか、クラリーネはディークの持っていた剣――両手持ち用の大剣――を手に取ろうとして、あっさりと取り落とした。 「……な、なんですの、これは」 「これが実戦で使う剣だ。まあルトガーはあまりこういう重い剣は振り回さないがな。けど、それでも今お嬢ちゃんが持ってる剣の、数倍は重いものを使う」 クラリーネは驚いて、ただ足元に落ちた長大な剣を見下ろしていた。その目の前で、ディークがそれを軽々と持ち上げて背に背負う。 「とにかく、剣を振るったことがないってんなら、基本からだな。まずは……」 とりあえず本当に握り方の基本から教えることになった。 クラリーネは不承不承、最初に与えられた軽い剣で練習を開始した。 ふと、ディークはシャニーが自分の傭兵隊に来たばかりの頃を思い出す。天馬の乗り方と槍の基本的な扱い以外、武器の扱いなどほとんど素人同然だった彼女にも、確か最初に護身術や剣などの使い方を教えたものだ。 数時間後。 ディークは、どうやら自分は素直な生徒には恵まれるのかもしれない、という気がしていた。 かつてシャニーもそうだったが、このクラリーネも、つまらない基本の握りから振りを、文句一つ言わずに続けていたのである。しかし、さすがにクラリーネは体力がないのか、もうかなり息が上がっている。かなり休み休みやっていたのだが、多分もう限界だろう。 「とりあえずその辺で今日はやめておけ。明日、腕がまったく動かない、なんて事もありえるぞ」 ディークにそういわれて、クラリーネは手を止めた。すでに呼吸はかなり荒く、手を止めると同時にあっさりと座り込んでしまっていた。 「少しは、上達しましたか?」 「そうだな。最初に比べれば、という程度だがな」 「あとどのくらいで、ルトガーに勝てますか?」 「……だからなあ……」 たとえどれだけクラリーネが努力したところで、ルトガーに勝てる可能性はゼロだ。そもそも、ルトガーには剣に関しては天賦の才がある。それは、努力ではどうしようもない壁だ。ましてや、今まで剣を握ったことのない者が、ほんの数日で追いつけるようになど、なろうはずもない。 「では、それまで努力するだけですわ」 ディークは思わず、頭を抱えていた。 |
数日後。クラリーネは毎朝ディークのところにやってきては、剣を教えてもらっていた。確かに、上達はしている。基本的な使い方は完全にマスターしているし、構えなども様になってきていた。素人としては、かなりの上達具合といっていいだろう。そろそろ相手がいるといい、と思ってシャニーと手合わせなどさせてみたが、そこそこ見れるものであった。さすがに、実戦を潜り抜けているシャニーの方がまだまだ上手ではあったが。だが、ルトガーと戦えるかというと、それはまた別問題である。 「そういえば、ルトガーってベルンにどういう恨みがあるのです?」 ひとしきり訓練を終え、一休みしているところで、ふとクラリーネが尋ねてきた。 「なぜそんなことを訊く?」 「いえ、ルトガーってベルン人にしか見えないのになぜだろう、と思いまして。一度訊いてみたいのですが……その時、ものすごい表情で睨まれて、『お前には関係ない』なんて。ああっもう。思い出しただけで頭にくるっ」 クラリーネは思い出して怒ったように手入れをしていた剣をがちゃがちゃと玩ぶ。 「……それは……許してやってくれ。あいつはベルン人に見えるが、サカの人間なんだ」 「え……?」 クラリーネは驚いて目を瞬かせた。 サカの人というのは、基本的に黒髪黒瞳だ。極稀に例外もいるらしいが、ほとんどそのはずである。加えて、ルトガーは明らかにベルン人の容姿に近い。少なくとも、サカ人には見えない。 「あいつの故郷ブルガルは、ベルンの初期の侵攻で滅ぼされた。しかしあいつは生き残った……いや、殺されなかった。そして一人生き残ったあいつは、仲間の仇とベルンを恨んでいるんだ」 「え?」 サカが、ベルンの初期の侵攻で事実上滅ぼされたのは知っている。一部の部族の裏切りなどもあり、サカ最大の都市ブルガルが陥落し、以後、サカはベルンの支配下にある。ただ、確かその時サカの者達はことごとく殺されたはずだ。 と、そこまで思い出したところで、ルトガーがなぜベルンを恨んでいるのかに、クラリーネはなんとなく気が付いた。 多分彼は、生かされたのだろう。ベルン人にしか見えないルトガー。おそらく、ベルンの軍人には、ルトガーが同国人に見えたのだろう。ブルガルはベルンの国境に近い交易都市だ。ベルン人がいたとしても不思議はない。しかし、それはおそらく彼にとっては、何にもまして屈辱的な事実に違いない。憎きベルンと同じ容姿をしていたために、そのベルンに見逃されて生き残った、ということは。 クラリーネはこの時、初めて自分の迂闊さを呪った。『ベルン人なのに』という言葉は、彼にとってはとてつもない屈辱に違いない。あの時、彼の心の中はどれほどの想いが渦巻いていたのか、それはクラリーネには想像も出来ない。 「それじゃあ……彼は……」 「大体理由が分かったみたいだな。だが、戦争ではよくある話だ。さほど珍しい、ってほどのことじゃあない。そして奴は、その憎しみを糧に強くなった。いや、強くならざるを得なかったんだ。分かるか? 俄仕込みであいつに勝とうなんて、到底不可能なんだよ」 実は、これであきらめてくれれば、とディークは少し期待もあったのだが、クラリーネの返答はディークの予想を超えていた。 「いいえっ。それならば絶対、負けるわけにはいきませんわっ。そんな憎しみだけで、ベルンを倒せたらそれで終わり、なんて人生、わたくしが変えて見せますっ」 「お、おい……」 「そんな、戦いだけに生きる人生なんて、戦いが終わったら何もできなくなるじゃないですか。それを言うためにも、絶対にわたくしは負けるわけには参りませんっ。さあ、ディークさん。特訓再開ですっ」 ディークは思わず、天を仰いだ。 |
それから数日後。クラリーネとルトガーの勝負が始められることになった。といっても、真っ向から勝負したのでは、当然クラリーネの勝ち目はゼロだ。魔法を使ったところで、勝ち目はまったくない。 そこで、ディークはある勝負の方法を提案し、ルトガーもそれを了承した。 勝負は太陽が中天に差し掛かってから、日没までとし、場所はアクレイアから程近い森。そしてお互いに逆方向から森に入り、勝負をする。つまり、不意打ちが可能なのだ。不意打ちなら、あるいは雲をつかむほどの確率であってもクラリーネに勝ち目があるかもしれない、と考えたディークの苦肉の提案なのである。 立会人は、ディークとシャニー。といっても、勝敗の結果は自己申告制である。 また、魔法による攻撃は厳禁。さすがに不意打ちで長距離から魔法をかければ、クラリーネの実力ならいかにルトガーでも避けきれない恐れがあるし、それに、魔法では手加減がきかない。数日後には出陣となるはずなわけで、さすがに大怪我をするわけにはいかないのだ。 「やっても無駄だと思うのだがな。まあ、好きにしろ」 「まっ。そんなことを言って、負けたら覚えてらっしゃいっ。絶対貴方を私のエトルリア最先端の美的センスをもって見違えるような素敵な殿方にしてみせますわっ!!」 考えてみたら、押し売り迷惑とはいえ、これでも好意といえるのだろうか。一度やらせてやれば多分クラリーネは満足してそれですむのに、とディークなどは思うのだが、もっとも自分が同じメに遭わされそうになったら、やっぱり逃げるだろうな、とは思った。 「とにかくルールは以上だ。あとは好きにやってくれ。俺はもう知らん」 「ふん。どうせすぐに終わる」 ルトガーはそういうと、すたすたと歩き出し、やがて森の影に見えなくなった。 「……実際、勝算あるのか? こう言っちゃなんだが、ルトガーはかすかな物音や気配ですら察して、あんたの攻撃に気付くぞ。確実に」 「どうにかなりますわ。確かに、まともに剣の勝負になったら勝ち目はなくても、わたくしがまったくの計算もなしにこのようなルールを受け入れるわけがないでしょう」 クラリーネはそう、自信たっぷりに宣言すると、やはり森の影に消えていった。 「……無事に終わるといいんだが……」 「大丈夫じゃない? なんとなくだけど、女の、勘」 横にいたシャニーが、一人自信ありげに言う。 「シャニーの女の勘じゃあ、信用できんなあ」 「あ、ひっど〜い。ディークさん、私だって女なんだからね〜」 そうしている間に、太陽が中天に差し掛かる。 何の音もなく、その勝負は静かに始められていた。 |
当然だが、その勝負は即座に進行するようなことはない。そもそも、剣による激突が始まった時には、確実に勝負はついているだろう。それは、クラリーネにも分かっていた。リグレ公爵家の者としては不本意この上ないが、不意打ち以外にルトガーに勝つ術は、まったくない。一度、兄クレインに、もし自分が一流の剣士と剣で戦うことになったらどうするか、と訊いたところ、やはり同じような戦法しかない、という答えがあったので、それで不意打ち、という戦術を受け入れたのである。 実際、ルトガーがどれほど強いかはよく分かっている。兄が尊敬するディークと互角の実力を持つ剣士。一度など、戦場で矢を剣で叩き落としているのを見たことがある。自分では、到底出来ることではない。 「でも、勝ち目がまったくないわけではありませんわ」 自分を力付けるように、クラリーネは小さく声に出してつぶやく。声を出すと、発見される恐れがあるが、さすがに始まったばかりなのでそんな声が聞こえるような距離には、まだお互いにいないだろう。 そしてクラリーネは、自分で必死に考えた作戦を実行すべく、行動を開始した。 |
「……どこだ?」 すでに太陽は大きく西に傾いでいる。この勝負、ルトガーは日没まで逃げ切れば勝ちなのだが、こんな勝負にいつまでも時間をかけるつもりはない。さっさとクラリーネを降参させてしまえばすむことだ、と思っていたのだが、そのクラリーネの姿はどこにも見えなかった。 この森はそれほど広い森ではない。差し渡しでも、大体三百歩程度だ。木々は深い場所は全然見通しが利かないが、ある程度開けた場所もある。とりあえずルトガーは、クラリーネの目に付きやすいようにわざと開けた場所を歩いていたが、クラリーネの気配はまったくなく、やむを得ず少し歩きにくい場所を歩いていた。確かに不意打ちの可能性は十分にあったが、ルトガーには、クラリーネのわずかな動きの音や、呼吸の音、それに気配を察知する自信があったので、何ほどのものでもない、と思っていたのだ。 ところが、いまだに見つからない。こうなると、おそらくはどこかにじっと身を隠して、自分が現れるのを待っているのかもしれない。そうなると、ルトガーとしてはどこかで待機して、時間切れを待てばいいのだが、こうなると逆に見つけ出さずにはいられない、と考えてしまっていた。 そうしてさらに歩き回ること数刻。その変化は、ルトガーすらまるで予想しないほどに突然だった。 近くにいる、という気配を察したのは、潅木などが多く、身を隠すにはちょうどいいポイントの多い場所だった。ルトガーは、真後ろからの攻撃を警戒して、ゆっくりと移動し、木を背にする。だが、その直後、突然何かが降ってきた。 しかも、何の音もせず。それでも一瞬上を見たのは、かすかな気配の揺らぎを感じたから。だが、さすがのルトガーでも、それ以上の対応をすることは出来なかった。 一瞬、何か黒い影が見えたと思った次の瞬間、突然自分の上に何かが覆いかぶさってきて、ルトガーはそれに完全につぶされてしまった。したたかに背中を打ちつけ、すばやく立ち上がろうとしたルトガーの正面にあったのは、細い剣の切っ先。それは、実戦で使う剣などではなく、主に護身用として使われる短剣の類ではあったが、それでもこの距離にまで突きつけられたら、敗北を認めざるを得ない。そして、その短剣を握っているのは、もちろんクラリーネだった。完全にルトガーの上に乗ってしまっているため、ルトガーは上体を起こすことすら出来ない。 「わたくしの勝ちですわねっ」 クラリーネが勝ち誇ったように言う。確かに、それは認めざるを得ない。だが、木の上に待機していたからといって、まるで音もなしに落ちてきたのは一体どういうことか。 「……一体どうやって……」 気配は一瞬した。おそらくは、木の上でじっと待っていたのだろう。それは分からなくはない。さすがに木の上にいるなど思ってもいなかったので、それに気付くのが遅れてしまったのだ。 「魔法による攻撃は禁止されましたけど、魔法の使用までは禁止されていませんでしたわよね?」 「何?」 ルトガーは一瞬、意味をつかみかねた。 「魔法の中には、対象の音を封じる魔法があるんですの。本来それは、声を出す必要がある行為、つまり魔法を封じるために使われるものなのですけど、それをわたくし自身にかけたのですわ」 やられた、とルトガーは思った。確かに、魔法攻撃は禁じたが、魔法そのものを使うことは禁止しなかった。ルトガー自身を対象としないのであれば、魔法など回復と、あとは転移しかない、と思っていたのだ。転移は、確かに突然現れたら脅威ではあっても、その直前の気配をつかみ損ねることなどない、と思っていたし、その他にはこんな勝負で使える魔法などない、と思っていたのだ。まして、静寂の魔法は、ルトガーは通常かけられることなどないため、完全に失念していた。まさか、このような使い方があるとは思いもしなかったのだ。 「分かった。俺の負けだ」 その言葉に、クラリーネは満足そうに微笑むと、ルトガーの上からどいた。 ようやく立ち上がったルトガーが、ため息を一つついてからクラリーネを見ると、彼女は今度はなぜか酷くすまなそうな表情になっている。 「どうした?」 「一つ、謝りたいことがありますの。あの、先日ベルン人のようだ、と言ったこと……。わたくし、その、事情をまったく知らなかったので……」 「ディークか。余計なことを。気にするな。知らなければ、お前のように思うのは仕方ない」 多分この人は、これまでもずっとベルン人に似た容姿で苦しんできたのだろう。祖国を奪ったベルン。そのベルン人に似てるから、という理由で命を拾った自分を、ずっと呪ってきたのではないか。 「いえ、そういうわけには参りませんわ。とにかく、謝らせていただきます」 相変わらずな性格だ、とルトガーは苦笑した。口調は謝っているようにはまるで思えないのだが、それでもその表情と態度は真剣そのものだった。 実際、ルトガーはその様に誤解されることは少なくない。だから、別にクラリーネに言われた時もさほど気にしたわけではなかったが、それでもこのようにきっちりと謝罪する彼女の態度には、少しだけ感心した。 「もういい。そんなに気にしてはいない。余人がどう見ようと、俺はベルンと戦う。その事実に、変わりがあるわけではない」 「本当、ですの?」 クラリーネが、恐る恐る尋ねる。その様がなぜか普段の彼女と結びつかなくて、とても面白く感じた。 「フッ。だから似合わないことはやめろ、と前にも言ったはずだ。お前はうるさく騒いでいるほうが似合っている」 その言葉に、クラリーネの表情がかっと紅潮する。 「なっ……い、言わせておけばっ!! 大体、勝負はわたくしの勝ち。約束は守っていただきますからねっ!!」 その瞬間、ルトガーはしまった、と後悔した。あるいはこのままクラリーネにしおらしくしてもらっていれば、あの約束もなかったことに出来たかもしれないのに。もっとも、クラリーネの性格からして、その確率はないに等しかったが、この場合は自分から火中に飛び込んだ格好になってしまっている。 「さあっ、いらしてください。我が家で、エトルリアの最新鋭のセンスで、貴方を見違えさせて見せますわっ。まずは、髪型からですわねっ」 そういうとクラリーネは、とても嬉しそうにルトガーの手を掴むと、そのままぐいぐと引っ張って、森を出て行った。 |
その日。 リグレ公爵家の一室で、クラリーネがずっと鼻歌を歌いながら、ご機嫌で何かをしていた。 何をしているのかが気になって様子を見に行った兄のクレインは、後に『彼が同じ社交界にいなくてよかったと思った』とディークに洩らしていたらしいが、ルトガーは翌日にはいつもの格好に戻ってしまっていたため、その真偽は誰にも知られることはなかったという。 不思議なことにクラリーネも、再びルトガーを着飾らせようとはしなかった。 |
この話は上の絵を掲載するため『だけ』に書いたものです(爆) 掲載する条件が『なんか書いてください(はぁと<勝手につけるな)』だったので……というわりにはなんか思った以上に長くなったな、これ……。 一応カップリング話っぽくもなっただろう……か。なんか途中はクラリーネとディークか? とか思わされそうな話の展開でしたけどね(汗)。とりあえずルトガーとクラリーネ、それにちょっとだけディークとシャニー。もっともディークとシャニーってどっちかっていうと兄弟(妹じゃないような気も……)だよねえ(笑) ルトガーが素直にクラリーネに髪を弄られている理由を必死に考えて、まあこういう話になりましたが……ルトガーが負ける方法を考えるのが苦労した……。かなり無理矢理ですけどね。ま、いいか(ぉ このあとルトガーがどういう格好をさせられたかは、ご想像にお任せします(マテ)。まあ……実際かっこいいとは思うんですけどね。ただ、似合うかどうかは……キャラクターが変わっていそうで(笑)。ちなみにクラリーネが再び同じ事をやろうとさせなかったかは……決して似合わなかったからじゃないです。ええ。カップリング妄想を暴走させただけですので(何)。うふふ(ぉ 話の内容的には、明らかにルトガー、ディーク、クラリーネの支援はそれぞれAまでいってるレベルになってます。ゲームではありえませんが、まあご愛嬌って事で(^^; なにはともあれ、片桐さん、イラストありがとう〜♪ |
written by Noran illustrated by A.Katagiri |