節分




 二月三日。いわゆる節分である。豆をばら撒いて鬼にぶつけ、そして厄を払い福神を呼び寄せるというあの年中行事だ。(幻水の世界にそんなものがあるかどうかのツッコミは却下する)
 どの家でも豆を炒って、それをばら撒き、そして年齢の数だけ食べる。そうすると今年一年病魔に襲われない、といわれているが…実際毎年医者が忙しい以上、迷信なのだろう。ただこういうのは気分の問題、というわけでここトラン共和国の首都グレッグミンスターでも、あちこちの家々で節分の豆まきの準備が始まっているらしい。香ばしい豆の匂いがそこかしこから漂ってくる。気の早い子供達の中には、早くも「鬼は〜外、福は〜内」などといいながら豆をばら撒いている者たちもいる。なおこの場合、鬼の役割を与えられるのは大抵一家の父親だ。
 さて。
 グレッグミンスターでも屈指の豪邸に住む、ある意味この国で一番の重要人物は、やや面倒くさそうな表情で自室で窓の外を眺めていた。階下からは香ばしい豆を炒る匂いが漂ってくる。彼の名はレイ・マクドール。かつてトラン共和国が赤月帝国と呼ばれていたとき、その帝国を打倒した解放軍のリーダーであった少年だ。いや、外見が少年、というだけではある。この世界の創世に関わったと云われている二十七の真の紋章の一つ『ソウルイーター』を宿す彼には、老いというものがないのだ。実際には、もう今年で二十歳になる。
 無論多少表情は大人びたものになってるし、多少背も伸びている。まったく成長しない、というわけではないらしい。
 ただ。
「こんなこと、毎年やっていても疲れるだけだろう……」
 簡単にいうと豆まきが面倒くさいだけである。しかし、付き人兼母親(間違いではない)のグレミオは「こういう行事はそれ自体に意味があるんです。だから、やらないわけにはいきません」と言ってレイを押し切り、準備しているのである。ちなみにこの家での鬼役は例年だとパーンなのだが、一昨年レイが力いっぱい豆を叩きつけて以後、恐れをなしてこの季節になると「寒さの中で自分を鍛えなおします」と言って逃げ出すため、鬼なしでただ豆を撒き、そのあと年齢分食べる。しかし今はまだいいが不老で基本的に不死である自分がこのまま何百年も生き続けたら、何百粒も食べるのだろうか。考えたくないが実際にテッドは三百年生きていたわけだし、あの月の紋章の継承者シエラは本当かどうか知らないが八百年も生きていたという。三百粒やら八百粒も食べたのだろうか、と一度聞いてみたくはある。
 それはさておき、マクドール家の当主が面倒くさがっている最大の理由は別にある。
「何もこんな寒い中を……」
 子供は風の子という言葉は彼には通用しない。
 寒いのは嫌いだ。いくら不老だろうと不死だろと、痛いものは痛いし、暑いものは暑い。当然、寒いものは寒いのである。しかも、ただ豆を撒くなんて面白くも何ともない。十歳の子供のときなら純粋に楽しめたが、今それを楽しむ、というほどに彼には童心というものは残っていなかったのである。
 しかし。
 そのマクドール家に今日最初の来客があったのは、ちょうど昼が過ぎた頃だった。

「珍しいね。久しぶり、ルック」
 豪奢な椅子に座って、レイは客人に対して口を開いた。
「新年の挨拶だよ。レックナート様がうるさいんだ。シュキは今どこにいるか良く分からないしね」
 トランの英雄に問われたその客は、別に臆した様子もなくしれっと答えた。見た目は非常に秀麗な細面の少年――だが、もちろんレイは彼が何者かも、どういう性格の持ち主かも熟知している。
「新年って、もう二月なんだけど。それとも、真の紋章を宿してるから、時間間隔もおかしいのかい?」
「別にいいだろ。その年の最初の挨拶には変わりない」
 数瞬の沈黙。事情のわからないものだと、一触即発の雰囲気すら感じさせる。
「この匂いは……ああそうか。今日は節分か」
「そうだよ。なんなら、参加していくかい?」
「君が鬼?」
「……なんで僕が鬼なんだ。そんなわけないだろう」
「そう?持ってる紋章のイメージにぴったりじゃないか」
 パキ、と音を立てて玄関においてあったテオの肖像のガラスにヒビが入った。
 この二人の力を知っている者なら、とりあえず一目散に逃げるしかないだろう。この世界で最強の力を宿す真の紋章の使い手二人の睨み合いなのだから。
 そのときだった。
 どんどん、という扉を叩く音がしたのは。
 思わず二人は睨み合いを中断し、玄関へと向かう。ルックもなんとなくついてきていた。そこには大きな樫の木で作られた扉があり、音はその扉を外から叩くものだ。
「……誰だい?」
 レイが先ほどまでの凶悪さはどこに、と言いたくなるほど静かな声で訊いた。
「お?レイ、そこにいるのか?俺だ、フリックだよ。ちょうど近くに来たから、寄ったんだ」
 青雷のフリック。レイにとっては色んな意味で友人といっていい存在だ。
 かつてのトラン解放戦争において初期から参加していて――一説にはオデッサに惚れていただけじゃないかという話もあるが――オデッサの死後も(かなり色々と問題はあったようだが)解放軍に協力、最後まで戦いぬいたがその戦いで行方不明になり、相棒(本人は否定)のビクトールとともに、いつの間にやら北の都市同盟軍に参加していたという、本人の資質はともかく、彼の運命は争いを好んでいるとしか思えない青年――そろそろ中年――である。
 そういえば都市同盟軍に一緒にいたニナという女の子に追い掛け回されていたが、あれはどうなったのだろうか。
「お〜い、いないのか?」
「ああ、ごめん。今開けるよ」
 ぎぎぃ、と重々しい音と共に扉が開かれる。立っていたのは、青で統一された衣装を身に纏ったさわやかそうな青年。しかし実際にはもう三十路寸前である。
 年齢考えて服選べよ、と言いたくなるのは多分一人や二人ではないだろう。大体、バンダナなんて似合う年齢じゃないだろう。
「お?ルックもいたのか。珍しい、というより久しぶりだな。どうしたんだ?」
「久しぶり。あれ。もう一人は?」
「……あのな。いつも俺がビクトールと行動しているわけじゃないんだが……」
 フリックは苦笑した。
「なんか用事があるからって。で、どっちにしてもグレッグミンスターには来るつもりだったから、あとでここで合流って事でな。で、せっかくだから来たんだが」
「ふぅん。そう」
 一瞬、ルックが怪訝そうな顔をした。レイ・マクドールとしてはやけに中途半端な対応のような気がしたからだ。
 だが。
「にしても、ちょうどいい時にきたね、フリック」
「は?」
 意味が分からない、という表情になる三十前のおっさん(違)とその横で急に納得したような表情になる美少年が一人。
「まあ、とりあえずあがってよ」
 レイはそういうと、ルックとフリックを邸内に導く。一瞬フリックは、何か刑場に向かう雰囲気すら感じさせたが、まさかそんなはずはない、とその感覚を振り払った。彼は、これをあとで後悔することになる。
「今日、何の日か知ってるよね?」
 客人二人を客間に導いたマクドール家の当主は、再び豪奢な椅子に座ると静かに訊ねかけた。
「ん?ああそうか。今日は節分か」
「うん。例年だとパーンが鬼役をやってくれて、豆を撒くんだけど、彼、今年はちょっと所用でいないんだ。で、ただ豆を撒くだけなんて面白くないな、と思っていたんだけど……」
「そうか〜。お前もやっぱり子供みたいのところ、残しているんだなあ。ちょっと安心したよ。なんなら俺が引き受けてやろうか?」
 実際はどうあれ、レイは見た目はほぼ十六、七歳の少年だし、ルックはさらに二、三年若く見える。豆まきを心底楽しむ年齢じゃなくても、まだそういうことに楽しみを見出してもおかしくはない年齢なのだ。外見だけは。
「いいの?それは嬉しいけどな。グレミオは色々忙しいから、こういうことは頼めなくて」
「おう。そうか、この香りは豆を炒ってる匂いだったんだな」
「坊ちゃん〜できましたよ」
 ちょうど、グレミオが木箱一杯に炒ったばかりの豆を入れて持ってきた。
「あれ、フリックさん。来ていたんですか。お久しぶりです。フリックさんも食べていきますか?」
「ああグレミオ、フリックが『快く』鬼役を引き受けてくれたから、せっかくだからちゃんとした豆撒きをやるよ」
「え?でも私は今日はまだやることが色々あるのですが……」
「いいよ。ルックもいるし。食べる分残して、あとは撒いてもいいだろう?」
「ええ、それは構いませんが……フリックさん、よろしいのですか?」
「俺は構わないぜ、別に」
 このときグレミオは別の心配をして訊いたのだが、グレミオほどにレイの本性を知らないフリックは、あっさりと快諾した。
「すみません、じゃあよろしくお願いします。そういえばビクトールさんは?」
「あいつはなんか少し遅れてグレッグミンスターに来るっていってたぜ。明日には来るとおもうが」
「じゃあ、今日は邸にお泊まりください。坊ちゃん、いいですよね?」
「構わないよ、それは」
「じゃああとは頼みます。私は掃除とかがありますので、これで」
 グレミオはそういうと、客間を出て行った。
「さて、じゃあ暗くならないうちに始めようか」
 レイが各々の年齢分だけ豆をとりわけ、残りの入った木箱を抱えた。それから置いてあった鬼の面をフリックに渡す。
「ところで家の中で撒くのか?掃除が大変だぞ」
「そんなことあるわけないだろ。こっちだよ」
 そういうと、レイは立ち上がって、客人二人を導いて外に出た。

「ここでやるのか?普通、家の中から鬼を狙うもんじゃないのか?」
 三人がきたのは、グレッグミンスターをでて少しいったところにある、小高い丘であった。数日前の雪が今も相当残っている。
「普通の家はね。けど、マクドール家は代々帝国を守護してきた将軍の家だ。だから、帝都に入ろうとする鬼を撃退するために、儀式としてこういう場所で大々的に豆撒きをするんだ」
 本当か、と訊ねたかったが、フリックには赤月帝国の、それも上流貴族の家の風習などに関する知識などありはしない。確かに、納得できる理由でもある。
「まあ最近は形骸化してたからね。僕も家にいなかったし。だから、ほとんど個人で楽しむものだけど」
「そういう、ものか」
 レイは嘘は言ってない。確かに、そういう儀式はかつては存在した。しかし。
 実際にはテオの世代でもすでにその儀式は行われていなかったのだ。レイは一言も「自分もかつてやっていた」などとは言ってないのだ。
「まあそういうわけで、追い立てる側も僕とルックだけだから、小規模だけどね。まあ場所だけはちゃんとした場所で、ってことで。じゃあ、始めようか」
「お、おう」
 なんか釈然としないものを感じつつ、フリックは鬼の面をかぶって距離をとった。
 とりあえず鬼は逃げ惑いつつ、豆にやられるもの、と思っていたのでフリックは適当に距離をとって動き回ろうとする。
 そこに。
 ゴッ!!という音でも聞こえそうなほど凄まじい勢いで、数粒の豆が飛来した。
「なあ?!」
 反射的にフリックは頭を抑えて屈みこむ。そのすぐ上を豆が通過し、すぐ後ろの木にめり込んだ
「ちょ、ちょっとまてえ!!」
「鬼の言うことには耳は貸さないよ。それ、鬼は外!!」
 豆……というかもはや飛礫である。フリックはまたもかろうじて避けた。
「だからそんなの当たったら……!?」
 背中に強烈な痛みを感じて、フリックは言葉を続けそこない、屈みこむ。
 そう。鬼を追い立てる人間は一人ではないのだ。
「さすがにグレッグミンスターを襲おうという鬼だけはあるね…一撃じゃ終わらないね」
 冷ややかな声。声の主が誰かは考えるまでもない。
「ルック、てめえ!!」
 すでに年長者の余裕など吹き飛んでいる。
 ただ、レイはともかく、ルックがどうやって先ほどの勢いで投擲したのかが一瞬不思議だったが、その疑問はルックを見た瞬間氷解した。
 ルックの周りには豆がふよふよと浮いていたのである。そして、その右手には輝く真の風の紋章。
「よ、よりによって紋章の力を使……!?」
 顔面に直撃しそうになるのを、かろうじて避ける。そしてその背中に浴びせられる冷酷な声。
「鬼の言うことは、聞こえないよ」
 取り付く島もない、とはこのことだ。
 前にはレイ(魂喰らい)、後ろにはルック(真の風)という前門の虎、後門の狼……いや、それより百倍ほどは危険な状況である。
「さあ、せいぜい逃げ回ってね、鬼さん。僕たちは全力を持って鬼を退治するから……」
 その言葉が冗談でないことは、フリックにも一瞬で看て取れた。
 そして。
 茜色に染まったグレッグミンスターの郊外に、絶望の断末魔が響き渡ったという。

「先にレイ様に挨拶しなくていいのか?」
「ん。ああ、いや、なんとなく嫌な予感がしたんでね。まあフリックが向かってるから大丈夫さ。しかしレパントの旦那も老けたなあ」
「ほっとけ。その年になって未だに風来坊やってる奴に言われたくはない」
 グレッグミンスターの大統領府(旧グレッグミンスター宮殿)の奥まった一室で酒を酌み交わしていたのは、現トラン大統領のレパントと、用事がある、と言っていたはずのビクトールその人であった。




 え〜っと、これはホームページ開設記念で閉鎖中にお世話になった方々(選別基準はかなり適当だけど)にだけ権利を差し上げた108カウント記念リクです。新しい蜃気楼の館の最初で最後のカウントリクエストとも言いますね。まあ該当者が取れなければ意味がなかったのですが……片桐アヅサさんが108+1カウントだったので一差ということでリクエスト権限をプレゼント。で、リクエスト内容が『ギャグっぽい坊ちゃんとルックのお話』でした。
 しかし……むずかった。いや、何がってギャグ自体。結局雰囲気的には私が大好きな「雲雀の御宿」様をに似てしまいましたね……。一応ご本人には伺いを立てましたが(^^;
 やっぱりギャグは難しいです。ホントに。すらすら書ける人てすごいなあ、と思います(^^;




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