午前の授業の終了を知らせる鐘が、校舎に鳴り響いた。それを聞いた壇上の教師が「今日はここまで」と言うと、生徒の一人――日直が「礼っ」と言って、それに応えてその教室の生徒全員が頭を下げる。教師もそれに応じて軽く頭を下げ、教室を出ていった。そして教師が教室の扉を閉めると同時に、教室のあちこちで話し声が湧き起こる。 今日は二学期の終業式。十二月二十四日である。午前中は式典で占められ、たった今いわゆる成績表が配られたところである。あちこちで悲喜交々、といったところだ。教室のあちこちでもれる声は年末年始にどうするか、ということに終始している。 もっとも、ここは全国でも有数の名門校であるため、半数以上は普通の学校では聞くことの出来ないような会話であった。 普通の高校で、放課後の会話として「今日はオペラを」などと聞こえるのはかなり稀だろう。挙げ句、今年は海外で、などは当たり前のように飛び交っている。 とはいえ、昨今は中産階級の子供もこのような名門校に入ってくることは増えてきているため、半分くらいは普通の会話が繰り広げられている。中には、この後の部活の話題に移っている者もいる。 そんな会話を横目に見ながら、彼は少し笑った。その笑みの意味は、多分このクラスの人間は誰一人として分からないだろう。 そうしているうちに、クラス担任がやってきて、ホームルームを片付けていく。それが終わると、日直の「起立、礼」の声に合わせて、全員が同時に頭を下げた。 そして生徒は、三々五々、それぞれに散って行く。 「星矢、帰りにゲーセン行かないか?」 「えっと……」 問われた方は、酷く戸惑った。 戸籍名杉崎星矢。戸籍上は両親は死別。それ自体は間違いではない。家族構成は姉が一人。この姉は、今は大学に通っている。かなりの美人のため、弟としては実は気が気ではない。もっとも、彼の本質はそんなところにはなかった。 地上を治めるべく、神々の御代から存在する、戦いの女神アテナを守る、八十八の聖闘士の一人。ペガサスの聖衣を纏う聖闘士。それが、彼だ。 しかも、本来ペガサスの聖闘士は聖闘士の中でも最下級の青銅聖闘士に属するのだが、彼は――いや、彼と彼の仲間達は――幾多の戦いを経て、聖闘士の最高位である黄金聖闘士と同等か、それ以上の実力を身に付けていた。そして、その聖衣もまた、既に青銅聖衣などではなく、神の血を受けて生まれ変わり、神聖衣となっていたのである。 神位聖闘士(Divine Saint)。いつしか星矢達は、そのように呼ばれるようになっていた。 一年前。 冥王ハーデスとの、地上の支配権を賭けた戦い――聖戦が終了し、この時代に生まれたアテナの役割は、一応終了した。そして聖闘士達も、事実上その役目を終えている。 無論、アテナと違い、聖闘士は次の聖戦に備え、常に自らを鍛え、そして次代にその力を譲り渡す役割を負っているので、ただ平和を謳歌するわけにはいかない。また、いつ地上の覇権を欲する存在が現れないとも限らない。 しかし、アテナが覚醒して以後、ひたすら戦い続けていた彼らを、アテナ――城戸沙織は少し休ませたいと思った。 そして、聖戦が終わってから彼らのたどった道が、普通の人として生活することだったのである。 星矢達は、本来の年齢で行けばまだ多分に遊びたい盛りでもあるのだ。 これは、グラード財団が全面的に支援した。 元々、星矢達の運命を弄んだのは、彼らグラード財団である。 星矢や、仲間達の本当の父親の名前は城戸光政。今は亡きグラード財団の前総帥だ。いわば、星矢達は全員が腹違いの兄弟ということになるらしい。この事実を知った時は、星矢も酷く混乱したものだ。しかしその後、実は城戸光政の唯一の子供と思われていた城戸沙織がアテナであることが分かったり、聖闘士の聖域が反逆したり海皇ポセイドンが復活したり、冥王ハーデスとの聖戦があったり、と文字通り気の休まる時がまともになかったため、いつのまにかそのような悩みはどうでもよくなっていた。 誰が父親だろうと、自分は自分なのだ、と開き直ったというのもある。 とにかく星矢達は、本当に年相応の生活を送ることになった。 紫龍は五老峰に戻り、春麗と共に生活しているらしい。 氷河も、シベリアへと帰っていった。 一輝と瞬は、今もそう遠くない場所に住んでいる。二人とも普通に学生をやっているという話だ。一輝が普通の学生をやっている光景はかなり面白いものがある気がするが、一度会ってみたら、妙に似合っていた。ちなみに瞬は、予想通りだが女生徒に大人気らしい。もっとも、一輝も人気があるらしいが、彼は相手にはしないと思う。 本当は一輝は、学生などやるのは抵抗したのだが、沙織がそうしなければ瞬の生活援助もしない、と言ったのがトドメになった。元々、星矢達は戦いがない間は城戸家に世話になっていた身分で、収入など何もなかったのである。 そして星矢も、ごく普通の、標準的な十六歳の日本人として高校に通う身分になっていた。 自分達は認識がなかったのだが、どうやら星矢達は、標準的な学力、という意味ではかなり偏りがあるものの、そこそこ日本人としては優秀だったらしい。というのも、とにかく語学が異常なほど強かったからだ。考えてみれば、世界中あちこち飛び回っていて、いやでも色々な言葉で話す機会が多い。星矢にしたところで、日本語はもちろん、英語、ギリシャ語はほぼ完璧に話せるし、その他も日常会話程度ならかなりあちこちの言葉が話せる。もっとも、そうでなければ世界のどこが出身地か分からない戦士達と会話することなんて不可能に等しい。なので、星矢は帰国子女扱いで高校を受験、あっさりと合格してしまったのだ。 ちなみにこの学校を勧めたのは、他ならぬ城戸沙織だったが、入ってみてから、星矢は最初少し後悔した。 いわゆる上流階級の学校だったため、酷く戸惑ってしまったのだ。ただでさえ、一般的な学生生活など送っていなかった星矢である。普通の人相手に、どのように接したらいいのか、最初はまるで分からなかった。 ただ、通ってみて、クラスメートと触れ合ってみれば、それほど自分と違うところがあるわけではなかった。もう入学して一年近くになるが、すっかり馴染んでしまっている。 ちなみにこの学校は、運動も盛んで、当然だが星矢は色々な部活に誘われた。星矢の、最近では珍しいほどに鍛え抜かれた身体は、かなり目立ったらしい。 たださすがに、星矢はこれらはすべて丁重に辞退した。 一般人との身体能力のあまりの違いを、よく分かっていたからだ。 限界を遥かに超えて鍛えられた肉体は、特に何もすることなく音速を超えた速度を生み出す。一番熱心だったのが空手部だったのだが、これは冗談にはならない。第一、勝負になるはずもない。星矢からしてみれば、一般人――たとえそれが空手の世界チャンピオンであろうとも――の拳など、スローモーションにしか見えない。対して、星矢の一撃を一般人が見切ることは、絶対に不可能だ。まして、小宇宙を高めると、星矢の戦闘能力は飛躍的に向上し、最終的には光速に限りなく近い速度を生み出す。こうなったら、もはや同等の力を持つ者以外は、一瞬で即死させることが出来る。 とはいえ、元々根が真面目な星矢である。そういうことで、手を抜くことがうまく出来る自信は、彼にはなかった。 まあそんなわけで、星矢はすべての運動部の誘いを断った。 こういう時は、孤児であることが幸いする。 形式上、星矢は奨学金を受けてこの学校に入っている。無論、普通なら奨学金だけで入れる学校ではないのだが、星矢の後見が城戸家であったので、学校側も入学を許可したのだ。 もっとも星矢ははじめ、ごく普通の高校でいい、と言ったのだが、グラード財団の総帥である城戸沙織――アテナでもあるのだが――がこれを頑として受け付けなかった。そして、自分が通う高校に、一緒に入学させたのである。また、これにはアテナの最後の一言が決定打になっていた。 「あら。星矢はアテナである私を守ってくださらないの?」 こう言われては、聖闘士としては反論の余地はない。それなら、一輝や瞬がいるだろう、と思ったが、あの二人は別の高校には行きたがらないだろうし、そうなると一輝がこのような高校に行くとは思えない。それならいっそ、邪武などの方が適任だろう、と思ったのだが、彼ら銀河戦争で集められた星矢達五人以外の青銅聖闘士は、今はギリシャの聖域に派遣されている。一応そこで、年相応の生活を送りつつ、聖闘士として聖域を守護しているのだが、自分達の扱いと比べると偉く差がある気がして、悪い気がするのは事実だ。もっとも、これには他の聖闘士全員が、星矢達のこれまでの功績を考えれば引退しても文句は言わない、と言っていたため、星矢としては引き下がるしかなかった。 とにかくそういうわけで、星矢はこれまで体験したことが無いほど穏やかな時を過ごしていた。 もっともそれは、戦いがない、というだけであって、現在の身分――すなわち学生として――はかなり多忙な日々ではあった。 とにかく、語学には問題がないのだが、他の科目は、さっぱりなものが多い。特に致命的だったのは、いわゆる社会科である。 数学や理科は、むしろ他の生徒より得意だった。ギリシャにいたからではないだろうが、師であった魔鈴は、星矢に相当な知識を一緒に教えてくれていたのだ。ただ、神々の勢力とか名前、歴史などは分かっても、社会科――特に日本の歴史、政治などになると、これは見事にまったく分からなかった。無理もない。そんなものを学ぶ必要など、まるでなかったし、これからもないと思っていたのだ。 そのため、今回の成績表も社会科だけ素敵な点数が付けられている。 最初、この成績表の見方が分からなかったので、気にもしなかったのだが、アテナ――沙織に見せた時に、酷くショックを受けていて、それからひたすら教え込まれているが……いかんせん、基礎からなのでいまだに人並みにすらならない。 ちなみに城戸沙織の成績は、学校では上から数えて片手の指で足りるほどである。何度も死にそうになったりして、結構自分達と一緒に戦ってきているはずなのに、この差はなんだろうか、と思ってしまう。 そういうわけで、今日もこれから城戸家に成績表を持って出頭(星矢にとっては既にこういう心境である)しなければならないのだ。 「それとも、誰かとデートか?」 「星矢、城戸家のお嬢様と今日はデートだろう?」 一瞬、この後のことを考えて陰鬱になりかけた星矢に、クラスメートがさらりととんでもないことを言う。 「だ、誰が。そんな……」 「だってよく一緒にいるじゃねえか。図書館とかで」 「そ、それは勉強教えてもらってるだけで……」 大体彼女はアテナだ。自分が仕えるべき対象であって、彼らの言うような好意の対象であるはずがない。 「そっか〜?あの人、俺達なんて全然相手にしてくれないよな。星矢、完全に特別だと思うけど」 それはそうだ。確かに特別だろう。だがそれは、あくまでアテナと聖闘士という関係のはずだ。 と、星矢は思っているのだが、他の者からすると、それは違うように映るらしい。しかし、この感覚ばっかりはいわば浮世離れしていた星矢にはまるで理解が出来なかった。大体、自分達はどうなんだ、と思う。 「でもこの後城戸邸に行くんだろう?」 「うっ……それはそうだが……」 どちらかというと、それは刑場に連行される死刑囚のような気分になるものだ。 散々時間を割いて教えてもらったのに、結局ほとんどモノに出来ていない。彼女は、一介の学生であるという以上に、アテナとして、そして巨大なグラード財団の総帥として多忙を極める中、星矢のために貴重な時間を割いてくれているというのに。 「いいよなあ。城戸低のクリスマスパーティー。お前、ちゃんとプレゼント持って行けよ?」 「プレゼント?」 その星矢の反応に、周囲が一瞬凍り付く。 「お、おい。まさかクリスマスを知らないわけじゃないよなっ」 「そ、それくらい知ってるさ」 幼い頃は姉と共に孤児院『星の子学園』にいたのだ。当然そこでは、毎年ささやかなクリスマスパーティーもあって、プレゼント交換――プレゼントとといっても彼らの用意できるのは精一杯の工作などだったが――などもあった。 確かに、城戸邸なら、さぞかし豪華なパーティーが催されることだろう。けどそれは、自分には関係ないし、いくら聖闘士とはいえ、アテナにクリスマスプレゼントを渡す義務まではない。 「おいおい星矢。お前、仮にも女の子にパーティーに誘われて、プレゼント持って行かないつもりか?」 「あ、いや……」 そういうものなのか、と聞き返したい気分だが、さすがにそれは言わなかった。 女性にプレゼントを渡す、という風習は確かにどこの国でも存在する。しかしそれは、普通極めて親しい間柄―― とまで考えて、星矢は確かに何か持っていかない理由はないと結論付けた。確かにアテナと聖闘士という関係は、ある意味では親しい関係、と言えるだろう。それに確かに、今日はパーティーをやるから、とは今朝アテナ――沙織にいわれたばかりだ。 「しょうがねえなあ。俺が城戸さんのためのプレゼントを選ぶのに協力してや……」 「と、とりあえず城戸邸行かなきゃならないから、またなっ」 そういうと星矢は、逃げるように輪の中から抜け出した。 そして、階段を一気に駆け降り――というよりは飛び降り――外に出る。この間、約五秒。ちなみに星矢達の教室は四階である。 「……なあ、あいつ、さっきまでここにいたよな……」 クラスメートは、昇降口から校門へと――陸上部真っ青の速さで――駆けていく星矢を、呆然と見送っていた。 |
「しっかしプレゼントと言ってもなあ」 クラスメートの魔手から逃れた星矢は、とりあえず商店街にやってきていた。この街は最近になってショッピングモールを全面的に建て直していて、小奇麗な店が並ぶ、ちょっとした名所になっていた。この辺りは東京都のはずなのだが、いわゆる山の手であるため、それほど騒がしくないこの地域で、ここだけ別世界のように人が溢れている。 とりあえず街を当てもなく歩いているが、さしあたって予算を確認することにした。ちなみに星矢には純粋な意味では収入はない。ほとんど城戸家に食べさせてもらっている身分である。具体的には城戸家から毎月生活費が――学費は奨学金でまかなっている――渡され、それをやりくりするのだ。家計を預かるのは、当然だが姉の星華。 何年もギリシャにいて、記憶喪失だったはずなのに、なぜか姉は金銭感覚が極めてよかった。というのも、どうやらギリシャではある商家で過ごしていたらしく、そこでお金の取り扱いもやっていたらしい。本当かどうかは分からないが、とりあえず星矢がやっても破綻するのがオチなので、全面的に姉に任せてしまっている。 そして、当然だが星矢の小遣い等も、その生活費から捻出されているのだ。 「えっと……と」 財布の中身は、四千円ちょっと。 星矢からしてみたらそこそこの額だが、プレゼントを買う、となるとあまり十分とはいえない。 各商店からは、クリスマス最後の売り出し、とばかりにプレゼントやらケーキやらを売り込む声が聞こえてくる。 「しっかしなあ。プレゼントなんていったって、どうせ城戸家のパーティーなんて、来賓が山のように来るんだろう?渡すチャンスなんて……」 「どうしたの?星矢」 「うわぁ!!」 いきなり声をかけられて、星矢は飛び上がるほど驚いた。 仮にも聖闘士が、不意をつかれるなどあっていいことではない。 「わあ、びっくりした。どうしたんだい、星矢」 「だ、だれだ……って、瞬!」 そこに立っていたのは、幾多の死線を共に乗り越えてきたかけがえのない仲間の一人、瞬がいた。星矢と同じ聖闘士で、守護星座はアンドロメダである。 「あ、いや。城戸家のパーティーに呼ばれているんだけど、クラスメートが『沙織お嬢さんにプレゼントを買っていけ』っていうから……でも何にしたらいいか分からなくてさ。そうだ、瞬。お前選んでくれないか?俺、こういうの苦手だから。二人で共同出資してさお前も呼ばれているんだろう?」 我ながらこれは名案だと思った。瞬なら、自分よりはずっと相応しいものを選んでくれると思うし、二人で買えばその分いいものも買える。 だが、瞬の返事は星矢の期待をはずしてくれた。 「僕が?……いや、遠慮するよ。やっぱりこういうのは、星矢が自分で選ばないと」 「だって俺達から贈れば、一緒だろ?まあ聖闘士がアテナにプレゼントってのもなんか違う気もするんだけどさ」 「いや、やっぱり星矢が選ばないと。それに僕、もう買っちゃってるし」 「あ、そうなのか……」 「じゃあ先に行ってるから。じゃあね、星矢。また後で」 「お、おい瞬……」 情けない声を出して呼び止めようとする星矢を、瞬はさっくりと無視して城戸邸の方向へと向かっていく。星矢は「協力してくれたっていいじゃないか」とか呟きながら、諦めて再び店を巡り始めた。 |
その日、城戸邸に揃ったのは、そうそうたる顔ぶれだった。 政財界のトップ、スポーツのトップ選手や有名歌手やタレント、そういった人間がぞろぞろと集っていたのである。さすがは世界でも有数の資産家、グラード財団の主催するパーティーだ。 「どっちかっていうと、場違いだよなあ」 「でも、俺達と同年輩の人間だって、いるぞ」 「あれ、確か有名な歌手だよ。去年、レコード大賞をとった」 「よく知ってるな、瞬」 「……紫龍が知らないのは無理もないとしても……星矢が知らないのは問題があると思うんだけど……」 「う、うるせえな。俺はテレビはあんまり見ないんだよ」 「そう言えば一輝と氷河は?」 「あ、兄さんならさっき出ていった」 さすがに一輝は退屈したらしい……と思ったらその後の瞬の台詞が予想を覆した。 「女性と出ていったから、なんかあるんじゃない?」 「なっ」 その場で、星矢と紫龍が飲みかけていたジュースを吹いた。幸いだったのは、飲みかけだったからコップの中に戻ったことだが、これを後で飲む気にはならない。結局ジュースが無駄になったという点では同じだろう。 「うん。星華さんと」 直後、星矢と紫龍の鉄拳が、瞬の頭をとらえたのは言うまでもない。 「いったぁ〜。何するんだよ」 「紛らわしい言い方をするなっ。でも姉さん、来てたのか。しかし一輝と何の話だ?」 「星矢を誘って、お姉さんを誘わない理由もないと思うよ。でもなんか、勉強の話してたみたい」 確かに、いわゆる大学受験まではあと一月ちょっとだ。一輝としては、受験を前にアドバイスでも、というのだろうか。 それに、一輝は星華と同じ大学を受けるらしい。これは、単にその大学がグラード財団によって運営されている大学のため、学費が破格ですむ、というのが最大のメリットなのだ。実は試験なしでも、入れてくれるという話もあったらしいが、それは、一輝のプライドが許さないらしい。そういうプライドもあったんだろうか、とも思うが。 まじめに勉強している一輝の姿を思い浮かべて、星矢は思わずまた吹いた。 「あ、酷いなあ。兄さん、かなりまじめにやってるよ」 「で、氷河はどうしたんだ?」 「確か気持ちがいいから、外に出てくるって」 ちなみに今日はクリスマス・イブ。しかも近年まれに見る寒波が夕方から関東地方を襲い、現在の外の気温はなんと氷点下である。 むしろ、氷河が寒波を連れてきたんじゃないか、とすら思いたくなるほどだ。 「……シベリア育ちって、やっぱり普通じゃないよな」 「普通じゃないのは氷河だけだと思うぞ……。どう考えても。一度シベリアに行った時、氷河以外の人々は妥当な防寒具を着ていたからな」 紫龍のいる五老峰から、シベリアまでは距離はあるが陸続きだ。その気になれば、行けない距離ではない。 「あの時のくじで、シベリアに氷河が当たったのって、運命だったと思う……」 星矢のもらした言葉に、他の二人は大きく頷いていた。 「楽しそうですね」 その時現れたのは、このパーティーの主催である、城戸沙織その人だった。 パールホワイトのロングドレスに、髪には小さな髪飾り。長い栗色の髪は、特になにもしていないように見えるのに、それでもなお光を放っているように見え、幻想的に流れている。 「あ、沙織お嬢さん。どうも、今日は誘って下さって」 瞬の言葉に、沙織はにっこりと微笑んでみせた。 「いえ。貴方達がこれまで戦ってきてくれた、その力添えに比べたら、せめてこの程度は。本当は、みんなだけで祝いたかったのですが……」 この場合の『みんな』とは要するに聖闘士やその関係者だけで、ということだろう。 たださすがに、グラード財団の総帥という立場を考えると、それは出来なかったらしい。 「春麗も喜んでいます。ありがとうございました」 「紫龍……いいのですよ。そんなに畏まらなくても」 沙織はくすくすと笑うと、沙織が現れてから緊張しっぱなしの星矢の方に向き直る。 「星矢、ちょっといいですか?」 「は、はいっ」 星矢は同じ方の手と足を、同時に前に出す歩き方で、沙織についていく。その様子を、紫龍と瞬は、首をかしげて見送っていた。 |
「どうですか、調子は」 屋内は今日の寒さに対抗するため、相当に暖房を効かせている。そのためか、少しだけ暖気が漏れてくるだけのこのバルコニーは、むしろ心地よかった。 「え、えっと……」 とりあえず、成績表を催促されているのだろう、と考えて、成績表の入った鞄は、会場の入り口で預けてきてしまっていることに気が付いた。 「あ、ちょ、ちょっと取って……」 「何をです?」 沙織の言葉に、星矢は「え?」と立ち止まった。 「……ああ、成績表ですか。いいですよ、今日は。また今度にしましょう」 その言葉に、星矢は一瞬安堵した。とはいえ、ではなぜ一人で呼出されたのかが、分からない。 「で?」 「え?」 いきなり言葉を促されても、何を言えば良いか、星矢には分からなかった。 「ですから、調子は……と。聞いてなかったんですね」 「あ、いや、そうじゃなくて……」 そういえば最初に聞かれたのは覚えていた。だが、完全に成績表のことだと思い込んでいたため、すっかり頭から抜け落ちてしまっていたのだ。 「調子は……いいかな。学校にもかなり慣れたし……それに、こういう生活は、悪くないかな」 以前、星矢はごく当たり前の生活が、不完全燃焼のような生活だ、と思っていたフシがある。しかし実際に体験してみると、そんなことはない、と思えるようになっていた。確かに、やる気のない、まるで無為に日々を過ごしている者もいるが、意外に学生の多くはまじめに何かしらの夢を持って将来に取り組んでいる者が多い。あるいは、星矢の通っている学校が例外なのか、それは分からない。 「それはよかった。私はあまり、時間のない身ですから、星矢が普段どうしているかは、あまり見ていられなくて」 別にそこまで気にしてくれなくても、と思うのだが彼女の性格なのだろう。 それにしても、時間がない、というのなら、わざわざ時間を割いて勉強を見てくれなくても、と思うのだが。挙げ句にあまり効果がないのだから、申し訳ないことこの上ない。 「友達も出来ましたか?」 「ああ。よく下校後に遊んでる。なんていうか、すごい新鮮な気はした。特に命の危険もなく、ただ過ごす日々なのに、驚くようなことがたくさんあったりな。で、それが他の人たちには普通のことだったり。つまらない退屈な日々だって思っていたけど、ともすると冥闘士なんかと戦っている時より、ひやひやすることすらあるしな」 「楽しいですか?」 少し、沙織が心配そうに訊ねる。 「ん?ああ、楽しい……かな。退屈だと思ったことはない」 「それは何よりです」 そう言って、にっこりと笑う。 その笑顔は、アテナのものというよりも、普通の、十六歳の少女のものだった。それでいて、星矢のクラスメートの女子などとはまるで違う、神秘的な美しさも持ち合わせている。一瞬、星矢はその顔に見とれてしまった。 「どうしました?」 「あ、いや……」 仕方がない。相手はアテナだ。かつて神話で、ヴィーナスとアルテミスとアテナが、それぞれ自分が一番美しい、と張り合ったことがある、と本で読んだことがある。つまり、それほど自負できるほど美しい存在なのだ。それに微笑まれて、戸惑わない方がおかしいだろう、と星矢は自分を納得させた。 「変な星矢」 そういうと、沙織はまたクスクスと笑う。 昔と比べると変わったものだ、と思った。 昔は無茶苦茶高飛車な、我が侭お嬢様を絵に描いたような人だったのだが、やはり自分の運命を聞いた時に変わったのだろうか。しかしその運命を、どうやって受け入れたのだろう、と思う。 それに比べたら、自分達の運命なんてたいしたことがない。 逃げ出そうと思えば、逃げ出すことだって出来たはずだ。けど、それは出来なかった。 それが、聖闘士としての義務感なのか、それは星矢には分からない。けれど、仮に途中で逃げ出していたとしたら、戦いが終わった後でもきっとどこか後悔が残っていた気がする。 その時、不意に強い風が吹き抜け、二人を強く煽った。沙織はあやうく吹き飛ばされそうになり、よろよろとよろめき、星矢が慌てて支えた。驚くほど軽い沙織の体重は、聖闘士である星矢にとってはまるで羽のように感じられいた。 「だ、大丈夫か?沙織さん」 「え、ええ。ありがとう、星矢」 バルコニーにわだかまっていた暖気が吹き飛ばされたのか、急激に寒くなる。 「や、やっぱりまだ冷えるよな。そろそろ屋内に戻……」 星矢の言葉はそこで止まってしまった。突然、沙織が星矢の首に腕を絡ませてきたのである。 「さ、沙織さん?」 戸惑う星矢に、沙織はなぜかくすくすと笑いながら、なおもその腕の力を強くした。 「もう少し、いいですか?大丈夫。星矢が暖かいですから」 「い、いや、俺はいい、けど……」 それでも、この体勢は傍目にはどう見えるかは、いくら星矢でも分かる。 「けど?」 そう言って、なおも笑う。 「いや、その……って、もしかしてからかって……」 「さあ?どうでしょう?」 沙織はそういうと、いきなり星矢の顔に自分の顔を近付けてきた。ほんの、手のひらの厚みほどもない距離。 「や、やっぱり寒いよ、な」 星矢は慌てて距離を置くと、沙織をちゃんと立たせて、少し距離を置いた。 沙織はただじっと星矢を見詰めている。星矢はその視線には気付いていたが、顔を逸らしていた。 数拍の静寂。それを先に破ったのは星矢だった。 「ああそうだ。クラスメートがさ、プレゼント買っていけって言ってて、今日もう渡すチャンスがあるかどうか分からないから、これ」 上着のポケットから、小さな箱を取り出す。 「沙織さん、こんなもんもらっても別に珍しくもないし、嬉しくもないと思うんだけど、とりあえず俺が買えるものなんてこんなのしかなくって。まあ、クリスマスってことで、一応」 沙織は、驚いて目を丸くしていた。 「星矢がプレゼントくれるなんて……」 「いや、ホントに大した物じゃないから、期待しないでくれ」 「開けても、いいですか?」 「あ、ああ。でも、ホントに大した物じゃないから」 沙織は丁寧に包みを開く。中に入っていたのは、小さなブローチだった。星を飾ってあるのが、星矢が選んだデザインらしい。 「そんなの、たくさん持っているとは思うんだけど……」 「いいえ。星矢。ありがとう。大切にします」 沙織は嬉しそうに微笑んで、それを愛しそうに手で包み込む。 「……お返しが、要りますね。すぐ、持ってきますけど……」 「え、あ、いいよ。別に……」 言いかける星矢に、沙織はふっと近付くと、そのままその頬に唇を触れさせた。一瞬、星矢はびっくりして凍り付き――無論寒さのためではない――それから目を瞬かせる。 沙織は、その星矢を見て、からかう様子ではなく、むしろ頬を赤くして――。 「星矢。私だって、戦いが終われば、一人の女の子なんですからね」 星矢がその言葉の意味を理解したのは、もっとずっと後のことだった。 |
「脈あると思う?」 「何しろ星矢だからな。気付くまでが最大の難関だと思うぞ。そういう感覚がそもそもあるのか。シベリアの永久氷壁なみに凍り付いている気もするからな」 「……その喩えはどうも……」 「そうは言っても、修行先でもまったく女っ気のなかった星矢だからな」 「だね。兄さんでもあったって言うのに」 「おい、瞬。お前、どこでその話を……」 「師匠が魔鈴だったのは……助けにはならんな」 「その辺は、修行先で伴侶を見つけた紫龍に意見を聞きたいところなんだけど」 「なっ、ちょ、ちょっと待て。まだ結婚したわけじゃ……」 「してるも同然じゃない。その辺りで、星矢に一つ講釈を」 「ま、まてまてまて。だからなぜそうなる」 「でも脈はあると思うんだけどね。クリスマスにプレゼント渡すなんて、普通は特別な人に対してでしょう?」 「……星矢の場合、星の子学園の交換会の感覚で購入していた気もするのですけど。あの子、ひたすら鈍いから……」 「うっ。さすがに身内は鋭いね……」 ……などと。 散々話のネタにされているとは露知らぬ星矢ではあった。 一番楽しそうにしていたのが瞬だったのは、実は今朝方『男から』プレゼントをもらった腹いせだったとかなかったとか。 |
ふっ……勢いで書きました。某方にある楽しい聖闘士星矢のサイト紹介してもらって、そしたら急に懐かしくなって……このために文庫版全部買ったのは馬鹿でしょうが……大全も買ったし。でも面白いのでいいや。中学生〜高校生のころはかなりはまりましたし。でも当時はお小遣いなくてコミックス買えなかったんですよね〜。社会人万歳(ぉ さて。まあこの話、見れば分かるでしょうが……沙織と星矢の話です。思い返せば、多分一番最初に好きになったカップリングだと思う(笑)。当時から作者とかが用意したのに弱かったのね、私。でも紫龍と春麗はそれほどでもないかなあ。謎だ。とりあえず勢いだけで書いたので、まあ細かいツッコミはなしの方向で(オイ) シリアスは書いてもなあ……戦闘の表現に無理があるし(笑) なのでこういうほのぼのが限界です(^^; |