帰郷



 懐かしい匂いがして、彼は一度深呼吸をした。
 微かに硫黄の香りすら混じったその匂いは、幼い頃に嗅ぎ慣れた、そして嗅ぎ飽きた匂い。故郷であるシチリアにある、今もなお火を噴く火山、エトナ山の匂いだ。すでに、水平線の向こうには、はっきりとエトナ山の雄大な姿が見え始めていた。
 ギリシャのアテネからイタリアのナポリへ、そこから船でシチリアのパレルモへ。テレポートすれば一瞬のことなのだが、なんとなく彼はごく普通の人間のように移動し、数年ぶりに――いつ以来だか覚えてもいないのだ――帰郷した。
 帰ろうと思えば、別にいつでも戻れたのだが、わざわざ帰郷するほど魅力のある場所ではない。本当に、今回はただの気まぐれだ。
 船はやがて、パレルモ港に入港した。
 降りる乗客は、さほど身なりのいい人物はいない。それもそうだろう。
 このパレルモは、あの悪名高きシチリアマフィア――コーザノストラの拠点とも言うべき場所だ。最近は、ずいぶん治安も良くなってきて、観光客も増えたというが、だが、このような寂れた船で来る観光客など、まずいない。この船に乗っているのは、金のない貧乏人か、あるいは空港などを使いたくない者――つまり犯罪者達くらいだろう。
 パレルモは現在でこそ乾いた街だが、かつてはヨーロッパ随一の大都市だったという。
 だから、今のその名残とも言うべき遺跡が、街中に存在する。この遺跡が、最近注目を集め、補修工事などが行われて観光地として売り出されているわけなのだが、こうなるとマフィアとしてはやりにくい限りだろう。観光地として売り出すのに、絶対条件として『安全』がある。それとマフィアは、基本的に共存できないものだ。
「ま、俺には関係ないけどな」
 故郷ではあっても、別にさほど思い入れはない。元々、十歳ぐらいまでしかいなかったし、街中にいたことなど、ほとんどない。
 とはいえ、記憶している限りの雰囲気と、だいぶ異なっている街並みには、いささかの違和感を覚えた。
 少なくとも、表通りは普通に観光客が歩いている。街路も整備され、傍目には立派な観光地だ。
 もっとも、一つ裏通りに入ると、そこはかつてと変わらない雰囲気が広がっていた。多分観光客は、こういう場所には入らないように、としつこくガイドブックなどには書いてあるのだろう。
 だが、さしあたって彼はそんなことを気にする理由もなかったので、平然と裏路地を歩く。この方が、人が少ないのだ。
 パレルモは先述の通り、遺跡が非常に多い。遺跡自体は、彼が普段いるギリシャ――それも特別な場所――に比べると新しいものだが、それでも貴重なものには違いない。そのため、あちこちで補修工事をしている様子が見られる。
 もう何年かしたら、ここもローマのような観光地になるんだろうか、と思わなくもない。あるいは、マフィアが観光事業に乗り出してくれば、それはありえるだろう。
 このシチリアで、マフィアと無関係でいることは不可能に等しい。だが逆に、マフィアの保護を受けられれば、その安全が保障される。最近は、警察の力も強くなってきているとはいえ、半世紀以上にも亘る、島に根付いたマフィアの勢力というのは、決して失われることはないに違いない。
「マルコ!! マルコじゃないか!?」
 そんなことをぼんやり考えていたとき、突然頭上から大声で呼びかけられた。
 一瞬、普段自分が呼ばれている名前――デスマスク――ではないため、他の誰かのことだろう、と思ったのだが、周りに他に人はいない。
 はて、と思って見上げた先には、黒髪の、多少日焼けした健康そうな青年が、バルコニーから身を乗り出して、自分に向かって「マルコ」と呼びかけていた。
「……人違いじゃないか?」
「間違いない、マルコだろう? そのシルバーグレーの髪は忘れないって。覚えてないか? 俺だよ。あんたに昔命を救われた、アルフィオだ」
「…………?」
 その名前が、微かに記憶に引っかかったため、彼――デスマスクは記憶を紐解き始め、そしてある記憶と結び付いた。
「……あ、あのアルフィオか!?」
 確か、六、七年前に帰郷したとき、そんな名前の男に会った記憶がある。確かあの時は……。
「思い出してくれたか!!」
 アルフィオと名乗った男は、嬉しそうにバルコニーから身体を引っ込めると、やや経ってから玄関から現れる。
「久しぶりだな、マルコ。七年ぶりだよ。あれ以来シチリアに現れないから、もしかして、って心配してたんだぞ」
 それでようやく、デスマスクはかつての記憶を完全に紐解ききった。
 確か、七年ほど前に今回と同じように――その時はテレポートを使ったが――帰郷したとき、マフィアに襲われていた青年――アルフィオを助けたことがある。何で揉めていたかはよく知らないが、助けたのは本当に気まぐれだった。その時の相手はナイフだけだったので――銃があってもまったく関係はないが――楽なものだった。
 その後、デスマスクはそのまま立ち去る予定だったが、その青年――アルフィオが非常に感謝し、また、デスマスクが宿をまだ決めてなかったことから、強引に自分の家に呼んで歓待してくれたのだ。確か、その時に適当に名乗った名前が『マルコ』だった。
 彼が心配してたのは、デスマスクがマフィアに殺られたのではないか、と思っていた、と言うところだろうが、たとえ全世界のマフィアが束になってかかったところで、デスマスクにはなんら恐れるものはない。もっとも、それをアルフィオは知らないのだから、無理もないだろう。
「……ああ、思い出したよ。お節介のアルフィオだったな」
「ひでえなあ、一応年上に向かって」
 確かアルフィオは、デスマスクより二つほど年長だったはずだ。もっとも、アルフィオもそれをまったく気にせず、命の恩人として遇してくれていたが。
「今回も久しぶりに里帰りか?」
「ああ。ま、帰る家なんてないがな。なんとなく、だ」
「宿は?」
「いや……特に……」
「じゃあうちこいよ。ここだから」
 言うが早いか、アルフィオはデスマスク――彼にとってはマルコ――の手を引っ張ると、半ば強引に家に引きずり込んだ。その時、デスマスクが抵抗しなかったのは、別に好都合、と思ったわけではなく、意外なほど彼の力が強かったことに驚いたからである。
「あら……お客様ですか?」
 続いてデスマスクは、さらに驚くことになった。家に入ると、いきなり色白の、栗色の髪の女性が出迎えてくれたのだ。これまで見た中でも随一の――同僚にいる約一名の『男』は例外としておくとして――美人といっていい女性だ。
「……この女性は?」
「ああ、紹介しておくよ。セラフィナだ。俺の……もうすぐ妻になる女性なんだ。今もたびたび、食事とか作りに来てくれててな」
 そういってはにかむアルフィオは、本当に幸せそうだった。
「ほう。あのマフィアに襲われて固まってたやつも、もうすぐ一家の主か」
「まあ……」
 さすがはシチリアの女性である。『マフィア』という単語程度では驚かないらしい。
「お前、今は何をしているんだ?」
 家の中を見渡したところ、裕福とはいえないまでも、生活に困窮しているようには見えない。
「ああ、今は……ある種、公務員かな。ほら、今この島の遺跡が見直されているだろう? で、あれの補修業、というところさ」
 なるほど。最近になって急速に伸びてきた職だから、マフィアの影響がほとんどない、というわけだ。
 そういえば、かつて少しだけ一緒にいた頃、この島の歴史遺産は、もっと世界に注目されるべきだと思う、と歴史談義をぶつけられたのを思い出した。
 もっとも、実在する神話の中にいるデスマスクにとっては、あまりありがたみのない話だったが、普通の人間にとっては、この島の遺跡は確かに貴重なものだろう。
 その後は、セラフィナ嬢――まだ未婚だからこの呼び方でいいだろう――の作ってくれた料理に舌鼓を打った。彼女は元々はナポリの人間らしく、近年パレルモに移ってきたらしい。しかも実家がレストランを経営していたとかで、その料理は非常に美味だった。デスマスクも、一応一通りは作れるが――同僚は作れないやつばかりだが――ここまで美味しくは作れない。
 話の中で少し驚いたのは、アルフィオが今は、マフィアとある程度仲良くやっているらしい、ということだった。
「マフィアって言ったって、本来は街に溢れているチンピラなんかじゃない」
 アルフィオの話は、デスマスクもある程度知っている。
 無論、マフィアは犯罪組織には違いない。ただ、半ば已む無く犯罪行為に手を染めているというのが実情だ。
 イタリアは、南と北で貧富の差が激しい。特にシチリアは酷い。そのため、利益を確保するために、社会的不整合を強要するような必要があったのは事実だ。
 もっとも、麻薬に手を出すようになってから、マフィアの色はずいぶん変わった、というが、デスマスクにそれは分からない。彼が知っているマフィアは、すでに麻薬によって莫大な富を得ていたからだ。
「この街の復興や遺跡保全にしたところで、少なからず利権が絡む。彼らと敵対してやっていくのは不可能だ。でも別に、俺は不当な金は払わない。ただ、彼らが保障してくれる安全に対する対価を払っているだけだと思うし……実際、警察は当てにならない」
 実際には、最近は言うほど警察が当てにならない、ということはないのだが、それでも場所による。
 特にパレルモは、代々マフィアの勢力が強い。幾度も、対マフィアの役目をおった市長が赴任したりして、少なからずマフィアと警察の間で凄惨な戦いが行われているが、未だに決着はつかない。
 おそらく、シチリアからマフィアの影響力を消すのは、少なくともマフィアの歴史と同じかそれ以上の時間は必要に違いない。それほどに、彼らの結束は固いのだ。
 やがて、セラフィナは帰宅し――アルフィオが送っていった――、その後は、お互いの近況を語り合った。
 といっても、デスマスクは話せることはほとんどない。とりあえず、自分についてはアテネのやや特殊な公務員、で通してしまった。無理矢理現代の仕事に置き換えるなら、多分間違いではないだろう。途方もなく広義に捉えれば、だが。
 そうしてしばらく話しているうちに眠くなり、酒も入っていたので、二人はさっさと眠りに就いた。

 翌朝、デスマスクが遅い朝食――聖域でも早く起きているわけではないが――をアルフィオと摂っていると、来客があった。アルフィオが玄関前で数言交わし、やがて扉を開ける。入ってきたのは、壮年のがっしりとした、どことなく紳士めいた人物。ただ、英国紳士のような雰囲気はない。むしろ――。
「紹介するよ、マルコ。サルヴァトーレ・ファリーナさん。俺に、今の仕事を紹介してくれた人だ」
「サルヴァトーレ・ファリーナだ。はじめまして。君の話は、アルフィオからよく聞いている。サルヴァトーレでいい」
「……マルコだ」
 デスマスクは、とりあえず差し出されたサルヴァトーレの手を握り返した。
「いい目をしてるな。俺のファミリーに欲しいくらいだが……」
「ダメですよ、サルヴァトーレさん。彼は俺同様、堅気なんですから」
 サルヴァトーレは「そうか」と言って笑うと、アルフィオの進めた椅子に座る。
 年齢は三十半ば、というところか。先ほどの言葉で分かるように、明らかにマフィアのファミリーの一員だ。だが、陰湿な感じはない。アルフィオが信頼している理由が、なんとなく分かる。
「大層腕っ節が強いらしいな。君の話は、耳にタコが出来るほどアルフィオから聞かされていてね」
「ああ、まあ」
 デスマスクは曖昧に相槌を打つ。
「そう警戒しなくていい。別に今は、アルフィオの友人として来ているんだ。友の友は、歓迎すべき人物。だから俺は、君を私個人として歓迎する」
「あんたみたいのが、なんでアルフィオなんかを?」
「ああ。こいつはいまどき珍しいくらいの男でな。この島に、この街にいながら、俺達と一切関係を持とうとしない。あくまで、正当なビジネスとしてだけで、ちょっとでも法からそれる要求は頑として撥ね付ける。そこに逆に、ほれ込んだのかも知れんなあ。だから、こいつに俺個人として色々回してやってるんだ。誤解のないように言っておくが、回してやってるのは、いずれも堅気の仕事だぞ」
「……あんたも相当変わりモンだな。コーザノストラってのは、決して自分からは名乗らない、と聞いていたが」
 するとサルヴァトーレは驚いたように目を見開き、それからにんまりと笑う。
「その掟を知ってるやつも、今じゃ減ってな。自分から名乗って脅す馬鹿が多い。っと、俺は違うつもりだ。ただ……お前さんは、誤魔化しても無駄だとすぐ分かったんでな。俺達と同じか、それ以上の修羅場をくぐったヤツなら、俺は尊敬する」
「やっぱ変わりモンだ」
 そういって、デスマスクは初めて笑った。
 サルヴァトーレは、デスマスクがアルフィオを助けた後に知り合ったらしい。最初、彼はアルフィオを自分のファミリーに入れたがったが――シチリアでマフィアに憧れる男は決して少なくはないのだ――彼は頑なにそれを拒み続けた。一度は、脅しすらかけたのだが、それでも屈せず、彼は逆にそれでアルフィオを気に入ったらしい。
 それ以後、サルヴァトーレ個人として、彼と付き合い続けているという。
 サルヴァトーレは今のマフィアとしては大変珍しく、堅気の仕事ばかりで――無論マフィアの勢力を背景に無言の脅しは働いているとして――稼いでいるらしい。
 最近誤解されがちだが、マフィアは最初から犯罪によって利益を得ていたわけではない。
 本来は、盗みは原則禁止だったし、売春は絶対に禁止されていた――アメリカマフィアなどはやるが。誘拐もよほどのことがない限りやらない。麻薬に手を出したのも、最初からではない。最初は、ごく普通の商売で稼いでいたのだ。彼はその時代のマフィアを、いわば復古主義的に再現しているというわけだ。無論それは、彼の並外れた企業家としての才能がなせる業ではある。
 シチリアの観光業に早くから目をつけたのも、その商才のなせる業といえよう。
 そして、観光資源ともいえる街中の遺跡保全のための会社を立ち上げ、その一部をアルフィオに回している、と言うことだった。
 昨日聞いた『マフィアへの安全料』というのも、実際にはサルヴァトーレの会社に払い込んでいるものらしい。さらに言うなら、受託した事業費の一部を天引きしてもらっているという。
「実際、サルヴァトーレさんがいなかったら、俺はどうなってたか分からない。時々、マルコみたいに強ければなあ、と思うよ」
「強いとは言っても、限界ってのはあるもんさ。それより、嫁さんとはいつ知り合ったんだ?」
「ああ、それもサルヴァトーレさんの紹介……かな。彼女の店も、サルヴァトーレさんの地区にあってな、で、年頃の娘がいるって聞かされて、ちょっと興味持って行ったんだが……」
「一目惚れか?」
「あ、いや、その……」
「はっはっは。そん時は見ものだったぞ、マルコ。滅多なことじゃ動じないこいつが、女を前にして、片言しか喋れなかったんだからな」
「そ、そこまで酷くはなかったですよ、いくらなんでも」
 二人の笑いと、一人の抗議が食堂に溢れた。
 その後は、アルフィオの結婚の話になった。
 そういう出会いでもあったので、アルフィオの結婚はサルヴァトーレが、やはり『個人』として世話することになったのだ。挙式は半月後。七月一日である。
「どうせなら、マルコも出席してくれないか? マルコがいなければ、俺は今頃、あそこで……」
 デスマスクは少し考えたが、さしあたって急いで聖域に戻らなければならない用事はない。いざとなれば、テレポートで帰ればいいだけだ。たまには、こういうものもいいだろう、と思ったデスマスクは、しばらくしてから首を縦に振った。
 その後、昼食をセラフィナのレストランで、という話になり、三人は海沿いにある彼女の実家のレストランへと行った。
 海沿いの、観光客向けに整備された通りにあるレストラン『カーサ』は、名前の通り家庭的な南イタリア料理を出す店で、雰囲気も家庭的な、やんわりとしたものだった。
 出迎えてくれたのはセラフィナ。彼女はアルフィオを見ると嬉しそうに駆けてきて、そのまま抱きつこうとして、さすがに仕事中であるからか、あるいはデスマスクやサルヴァトーレがいたからか、自制した。
 食事は文句なしに美味しく――昨日の料理で分かっていたがそれ以上に美味だったのは、彼女の父親が作っているからだというのは後で知った――三人は本当に当たり障りない雑談を楽しんだ後、アルフィオとサルヴァトーレは仕事に、デスマスクはそのまま街を歩くことにした。昨日は、アルフィオにすぐ捕まってしまったため、あまり街を歩いていないのだ。
 パレルモの街並みは、観光地として整備され始めているとはいえ、かなり雑然としている。というのも、第二次世界大戦後、郊外を中心に投機を目的とした質の悪い集合住宅がやたらと建設され、数多くあった中世の建築物が破壊された。そして、その建設の利益がマフィアの財源となり、マフィアが勢力を伸ばしたのだ。この地域が、歴史的観光名所として見直されるようになった最近でさえ、まだ安全に歩ける場所ではない。
 しかし、デスマスクはこの街の雰囲気が好きだった。
 自分が育った場所である、というのもある。ただ何より、画一的な善悪すら霞む、この闇の色の強い街と、光の象徴たる太陽の強い日差しが好きなのである。
 あるいはもっと時が経てば、この街もすっかり観光名所となるのかもしれないが、人間の心の中に闇がある限り、街が全て光となることはない。そしてこの街は、もっとも闇の強い街なのだ。
 デスマスクはある程度街を歩いたところで、郊外へと出た。そして、周りに人目のないことを確認すると、少しだけ意識を集める。次の瞬間、デスマスクの姿は、エトナ山の火口付近にあった。
「相変わらずの、くそったれた場所だぜ」
 かつて神話で、大神ゼウスが、テュポーンを封じるために放ったと云われる伝説の山。神話によれば、今でもエトナ山が噴火するのは、下敷きにされたテュポーンは不死身であるため、その放つ力が噴火となっているのだ、と云う。
 果たしてそれが真実であるかどうかを調べる術は、ない。
 ただ、実在する神話に触れているデスマスクとしては、真実であるかもしれない、とは思うが、とりあえずそんな伝説の化け物との対面は遠慮したいところだ。いかに地上最強と云われる黄金聖闘士でも、神話上の存在に対してまで無敵と云うわけではないことは、分かっている。
 それに今回、デスマスクがここに来たのは、別に神話を確認しに来たわけではない。ここは、かつてデスマスクが黄金聖闘士となるべく、修行を積んだ地であったのだ。
「良くまあこんなとこで、生きてられたもんだよなあ」
 師はもういない。デスマスクが蟹座の黄金聖衣に認められたのと前後して、行方知れずとなった。いつもフードを目深に被っていたため、顔は覚えていない。ただ、何回死んだかと思った、という地獄のような訓練だけはよく覚えている。
 感慨に耽ろう、というつもりはない。ただ、シチリアに来たら一度はここに来るようにしている。あるいは、師が戻っているかも知れない、という期待が、実はある。別に、再会に涙咽ぶつもりなどない。むしろ逆だ。あの時の修行の借りを、返したいだけだ。
 だが。
「ま、いるわきゃねえか。もうくたばってるんだろうな」
 その言葉を最後に、デスマスクの姿は、その場から掻き消えた。

「マルコ!!」
 それが自分を呼ばれた、と気付くのに一秒かかった。自分で適当に名乗っておきながらなんだが、あまりにもありきたりすぎる偽名を使ったものだ、と呆れてしまう。
「サルヴァトーレさんか。なんだい?」
「今帰りか?」
「ああ」
「少し話がある。いいか?」
「ファミリーに誘うってんなら、さすがに遠慮するが?」
「そうしたいのは山々だが、そうじゃない」
 言うと、サルヴァトーレは歩き始める。デスマスクは黙って、彼の横に並んだ。
「話と云うのは、セラフィナのことだ」
 デスマスクは沈黙で、その続きを促した。
 聞かなくてもいいことだ、とは分かっていた。アルフィオやセラフィナと、自分は無関係だ。だが、ああもなついてくれる――アルフィオの方が年上なのだが――相手のことで、しかも話題を振ってきたのがサルヴァトーレというマフィアの人間なだけに、少し気になった。
「正確には、彼女の弟のことだ。彼女には、ニックという弟がいる。だが……こいつがどうしようもないチンピラなんだ。で、お約束のようだが、コーザノストラに憧れている。だが――」
「ちょっと待った。いくらマフィアが最近その精神が弛んでるとはいえ、チンピラを仲間にするような組織じゃないのだろう?」
「……耳が痛いな。だが、残念ながら、そうはいかないのが最近の実情だ。街のチンピラの力と云うのは侮れん。彼らは何より、無言の恐怖ではなく、実際の暴力――それも手段を選ばないその狂暴さによって他者を支配しようとする。そしてこれにマフィアが対抗するためには――」
「チンピラの頭を、マフィアの一員とする、ということか? だが、マフィアの掟なんて、やつら守らねえだろう」
「……つくづく思うが、君は本当に怖い男だな。あるいはこの場で殺すべきじゃないかと思える……いや、冗談だ。まあ確かに君の言うように、やつらは掟を守るとは限らない。だが、マフィアというカリスマ的な信仰は、彼らにも有効なんだ。その名前で、彼らの動きをある程度統制できる」
「……張子の虎かい」
「なんだそれは?」
「いや、要するに見掛け倒しってことだ」
「返す言葉がないな。その通りだ。そして現在、そのチンピラグループの――」
「あー、分かった。そこまで言われりゃ分かる。だが俺に、どうしろってんだ?」
「……アルフィオを守って欲しい」
「あ?」
「ニックは、狂犬の様な男だ。盗み、強請ならまだしも、殺人すら平気で行う。正直、なんであのセラフィナの弟なのかが分からんくらいだ。で、ニックはコーザノストラの一員となることを望んでいる……そして、彼の代父(ゴッドファーザー)になる予定の男が、トト・グレンという男だ。恥ずかしながら、俺の同期でもある。別のファミリーだがな」
 パレルモは、地区ごとに別のファミリーがある。必ずしも友好的な付き合いとは限らない。明確な縄張り意識は強く、それで抗争が絶えないところもある。
 デスマスクは首を傾げた。さっぱり話が見えない。
「トトは、恐るべき男だ。コーザノストラの一員となるために、試練があるのは知っているか?」
「ああ」
 もっとも、知っているといっても、噂で聞いた程度である。
 大抵は、犯罪行為などに手を染めさせて、後戻りできなくする、という類だと思っていたが。
「なら話が早い。トトは、自分のその試練で、実の家族を殺している。勘違いするな。ヤツに与えられた試練は、ある実業家を仲間と共に襲撃しろ、というものだった」
「……それが、なぜ」
「ヤツに言わせれば『一人でやらなければ自分を評価してもらえない。そして、誰かを殺せば後戻りは出来ない。だが、無闇に人を殺すのは、コーザノストラのやることではない。自分の家族なら、悲しむ対象はいない』ということだ。それを聞いたとき、正直俺は、空恐ろしいものを感じた。……それからだ。コーザノストラの一員でありながら、俺が極力犯罪に手を染めなかったのは。ヤツとは違う、と言いたかったのかもしれん。ま、結局他人からみれば、マフィアには違いないがね」
 そう言うと、自嘲気味に笑う。
「それが、セラフィナの弟の……」
「そうだ。ヤツはニックに、家族やその婚約者を殺させる可能性がある。だが、俺はそんなことはさせたくない。最悪、ニックを殺しても、だ」
「何故その話を俺にする?」
「……そうだな。俺はこれでも、若いなりにかなりの修羅場を潜り抜けてきた自信はある。だが、お前はこの俺でも見たことがないような修羅場を潜ってきた……そんな感じがしたんだ。だから、もしかしたら、と思ってな。実際、強いんだろう?」
「まあな。……いいだろう。それとなく気は配っておくが……俺はいつまでもこの島にはいないぞ」
「結婚式まででいい。あの二人は結婚したら、実はフィレンツェに引っ越すことになっている。ヤツの補修技術が認められたんだ。俺としては寂しい限りだがな。だから、それまででいい」
「分かった。そのぐらいまでなら、この島にいるさ」
「そのうち、お前の話も聞かせてくれ」
「ああ。そのうちな」
 信じられるかどうかは別にしてだが。
 デスマスクは内心そう思いながら、アルフィオの家に戻っていった。

 それから数日は、平穏に過ぎた。
 デスマスクも特にやることがあるわけではなく、また、聖域からの召集命令も来ないため、のんびりと一種の休暇を楽しんでいた。
 一応、サルヴァトーレから聞いた話は、それとなく――無論、トトの話は伏せて――聞いてみたが、どうやらニックというどうしようもない弟がいるのは事実らしい。ただ、もう数ヶ月家にも戻ってない、ということだ。セラフィナは大変気にしているが、父親は諦めているという。ただ、二人の結婚にニックが影を落とさないかどうかだけを、とても心配していた。
 デスマスクは何をするでもなく、アルフィオの仕事場と、レストラン『カーサ』を行き来して襲撃などに気を配っていたが、特にその気配はまったくなく、ともすれば退屈な日々が続いていた。
 アルフィオは仕事が終わると必ずレストラン『カーサ』に現れ、そのままレストランを手伝い、レストランが閉店すると、セラフィナと二人で――デスマスクも一緒に行くのだが(離れて帰ろうとしても、彼らが一緒に、とせがむのだ)――家に行く。そしてセラフィナはアルフィオとデスマスクの夕食を作り、そしてアルフィオがセラフィナを送って(デスマスクがこっそりつけているが)、その後はデスマスクと飲む。
 なんの変哲もない日常だが、悪い気はしない。強いて言えば、アルフィオとセラフィナの仲睦まじさを見せ付けられるのに、そろそろ辟易しているくらいだ。
 そんなある日、いつものようにアルフィオが『カーサ』に現れたのだが、するとセラフィナが仕事着ではなく――エプロンがないだけだが――普段着で出てきた。そしてそのまま、アルフィオと店を出て行ってしまったのである。
 慌てて追いかけようとするデスマスクだったが、突然店のオヤジ――つまりセラフィナの父親――に呼び止められた。
「まあまあ。たまには若い二人だけにしてやってくれい」
 デスマスクはほんの少しだけ考え、それから得心したように頷いた。にしても、この父親も寛容なことだ。
「んじゃ、俺は少し夕暮れの街でも見て回るか」
 デスマスクは勘定を済ますと、夕闇の支配しつつある街に繰り出した。
 まあ、たまには二人きりで過ごさせてやるべきだろう。このところ、デスマスクは常にあの二人と一緒にいたが――それで彼らが気にしていた様子はないが――二人きりじゃないと出来ないようなことだってあるに違いない。
 襲撃者が気になるが、少なくとも、昨日まで襲撃の気配などまるでなかった。彼らを監視する存在にも気を配っていたが、彼らを見る普通の人々の視線はあっても、険のある視線は、まったくなかったのだ。ということは、少なくとも、今は彼らは監視されていないに違いない。
 しかしそれは、マフィアという存在を軽視していたということを、後で思い知ることになるとは、この時デスマスクは想像もしていなかった。

「何だお前らは」
 途中から、自分をつけてくる複数の人間の存在に気付いたデスマスクは、わざとほとんど人通りのない道に入ると、足を止めて振り返らずに問いかけた。
 帰ってくるのは沈黙。
 しかしやがて、その沈黙に耐えかねたのか、そのうちの一人が進み出る足音が聞こえ、そして恭しく礼を――空気の流れでわかった――した。
「マルコさんですね。私はアルバート・ボノ。トト・グレンの兄弟、といえば分かるでしょうか」
「……で? そのマフィアの大物が、ただの観光客の俺に何のようだ?」
 デスマスクは面倒くさそうに振り返った。男は四人。いずれもナイフ、あるいは銃を隠し持っているようだ。
「いえ。トトからのお誘いです。貴方を、カンボアーネ・ファミリーの一員として迎えたい、と」
 そのファミリーの名前は記憶になかったが、多分トトが属するファミリーの名前だろう、とは分かる。
「断ったら?」
「そうはなさらないでしょう。貴方は、我らと同じ匂いがする。すなわち、殺戮と破壊を、そして力を求める者特有の匂いが」
「ほう……なるほど、違いない」
 聖闘士として、それは否定すべきなのだろうが、生憎デスマスクはそれを否定できるだけの材料を持っていない。力が正義。それは、いかなる時代であれ、普遍だと思っている。神話の時代、アテナが地上を守ることを正義と出来たのは、やはりアテナがもっとも力が強かったからだと、今でも思っているのだ。
「でしょう。であれば……」
「だが生憎だったな。俺はこれでも……かなり特殊だが、堅気の人間でな」
 人殺しすら命じられることがあるとはいえ、聖闘士もある種堅気だろう。司祭や司教の様に、神に仕える立場であるには違いないのだから。
「……残念です……」
 アルバートは、言葉に続いて拳銃を抜いた。そしてその狙点を、デスマスクに合わせる。
「何の真似だ?」
「仲間にならぬときは殺せ、と。そう命じられております」
 デスマスクは、半ば呆れた。この街中で、しかも仮にも観光客を殺すというわけだ。トト・グレンという男がどういう男か、サルヴァトーレに説明を受けていなくても、十分に分かるというものだ。
「殺されてやる理由はねえなあ。俺には」
「残念ながら、貴方に選択肢はありません」
 まあ確かに、普通の人間が銃を向けられたら、何も出来ないだろう。だが、デスマスクは普通の人間などでは、断じてない。銃など、彼には何の役にも立たない。
 本来、聖闘士としての力を一般人に振るうことは、極力禁止されているが、さしあたってこれは例外としていいに違いない、などと、普段守りもしない戒律を思い出しつつ、デスマスクはほくそ笑み……そして、突然微かな気配の消失を感じた。
 ここ数日、共にあった者の気配……その気配が極端に弱くなっていくのを。
「……貴様ら、アルフィオに何をした!?」
 今度は男達が驚く番だった。
「な、なぜそれを!?」
 迂闊だった。ここ数日監視の目がないと思って、油断しすぎたということか。この弱まっていく気配は、間違いなく。
「くそったれ!!」
 その瞬間、デスマスクの姿はその場から掻き消えた。
 後には、呆然とした男が四人、夕闇の中に立ちすくんでいた。

「アルフィオ!!」
 テレポートで――人目につくのも気にせず――戻ったデスマスクだったが、視覚より先に、嗅覚がすでに手遅れであることを悟らせた。
 濃密な、血の匂い。部屋が、床中血まみれだった。そしてその中心に、寄り添うように互いにもたれかかっている男女がいる。
「や……あ……遅いじゃないか……マルコ……」
「しっかりしろっ!! まだ……」
 そうは言ったが、手遅れであることは明らかだ。すでに、セラフィナは息絶えている。
「はは……せっかくだから君の誕生日……と思ったんだけどね……やっぱり、ちゃんと言ってなかったのが……」
「たん、じょう……び?」
「ほら、前に……聞いてたから……」
 見ると、テーブルの上には――血まみれであったが――贅を尽くした、とはいえないまでも、豪勢な料理が所狭しと並んでいて、その中心にケーキまで置いてある。
 確かに、すっかり忘れていたが、今日は自分の誕生日だった。そういえば、かつて助けたときにせがまれて、教えた記憶がある。
「ぼく……らが……いられるのは……きみ……の……おかげ……だ……あ……り……」
「アルフィオ!!」
 だが、半開きになったアルフィオの瞳が光を宿すことは、もうなかった。
 いかに黄金聖闘士とはいえ、死したる人間を蘇らせることはできない。
 究極まで高まった聖闘士の力なら、あるいは死を乗り越えることすら可能だと云うが、それを一般人が出来るはずもない。
「アルフィオ!!」
 突然、バタン、と扉が大きな音を立てて開き、サルヴァトーレが飛び込んできた。そして、目の前の光景に愕然となる。
「……すまない、頼まれて、おきながら……」
 デスマスクは、それ以上何も言えなかった。
 迂闊すぎた。監視の目がないとはいえ、気を配らなければならなかったはずだ。彼らが、自分をあのように評価していた以上、おそらく彼らは自分とアルフィオ達が離れるのを待っていたに違いない。そして、この街はマフィアの街だ。マフィアに頼まれて、彼らを監視している者が、いなかったと言えるだろうか?
「……いや、俺も迂闊すぎた。実際俺も、まさか、と思っていたんだ……こんなことなら、兵隊を割いておくべきだったんだ……」
「あんたはコーザノストラだ。そしてアルフィオは違った。そんなことをしたら、あんたが立場を失うだろう」
「それでも、俺はこいつを死なせたくなかったんだ……俺の……弟を……」
「何?」
 デスマスクは驚いて聞き返した。
「俺達兄弟は、アルフィオがまだ幼いうちに、両親が離婚したんだ。ああ、分かってるよ。マフィアの、コーザノストラの一員は、家族以上の結びつきでつながっている。俺にとっても、コーザノストラ以上の存在はない。だが……」
「そう思ってるなら、一つだけコーザノストラの掟を破り、そして俺のこれからの行動を見逃してくれ」
「……何をだ?」
「やつらの……カンボアーネ・ファミリーの居場所を教えてくれ」
「!! ま、待て!! お前一人で行ったところでどうなる!! 殺されるだけだ!! 言っただろう、やつらは殺しなんて……」
「俺もどうも思っていない。言っただろう。堅気とはいっても、特殊だとな」
「……軍人……か?」
「ま、近いかもな。とにかく教えろ。さもなくば、この街の全てのファミリーを、俺は潰すぞ」
 デスマスク――彼にとってはマルコ――が本気であることを、サルヴァトーレは悟った。
 彼が、カンボアーネ・ファミリーのいる場所を教えたのは、それからすぐのことだった。
 教えられたのは、パレルモ市内ではなく、エトナ山麓の小さな村。『試練』が終わった以上、彼らはそこでコーザノストラに入るための『儀式』をするはずなのだ。

「良くやった、ニック。これでお前は、晴れてコーザノストラの一員となる資格を得た……」
 トト・グレンはそう言うと、厳かに儀式の開幕を宣言した。
 ここは、エトナ山麓にある小さな村の、はずれにある屋敷。無論、カンボアーネ・ファミリーが所有する屋敷である。
 ニックは、返り血を浴びた服を着替え、きちんとしたスーツを着ていた。
 まずはマフィアの歴史。そして、マフィアの――いや、コーザノストラの掟が読み上げられる。だが、それをサルヴァトーレが聞いたら、さぞ顔を顰めただろう。それは、彼の知る掟とは、まるで違うものとなっていたのだ。
「さて、ここまで聞いたところで、お前には選択肢が与えられる。ここまで聞いたところで、お前はコーザノストラに入りたいか。否か。たとえここで否、としても、お前の身には何も起きはしないだろう……」
 その後も、トトの言葉は続こうとしていたのだが、それより先に、ニックは大きく頷こうとした。
 だが、それよりも先に、ドン、という大きな音が、屋敷全体を震動させたのである。
「な、なんだ!?」
 その場に揃っていたマフィア達は、驚いて周囲を警戒した。
「残念だが、その儀式は取り止めだ。お前らは全員、ここで死ぬことになるんだからな」
「何者だ!!」
 過去、限りなく多種多様な言葉で繰り返されてきた文言を、トトが吐いた。それに応じるように、正面の扉が開かれる。そこに立っていたのは、シルバーグレーの髪を持つ、長身の青年。
「お前は確か……マルコ」
「あんたがトト・グレンかい。なるほどな。俺と同じ匂いがするな」
「ほう……では、我がファミリーに加わるというのか」
「勘違いするな」
 デスマスクは、吐き捨てるように言うと、トトを睨みつけた。
「俺はお前達の仲間になんざ、なるつもりはこれっぽっちもない。第一、俺は弱い連中とつるむ趣味はねえよ」
「なんだと!!」
 トトではなく、周りの男達がいきり立った。それぞれに、銃やナイフを抜く。驚いたことに、中には自動小銃を持っている者すらいる。
「所詮手前らは、つるまなきゃ何も出来ない弱虫だ。力を求めることに、俺は反対するつもりはねえ。力がなければ何もできやしない。だがお前らは、ただ弱者をいたぶって、それで自分達が強者であると勘違いしてるだけだ。本当は弱いくせに、な」
 トトはしばらく黙って聞いていたが、突然その顔が、憤怒の表情になる。
「言いたいことはそれだけか、チンピラ。かまわん!! 殺してしまえ!!」
 トトの言葉と同時に、マフィア達の銃口が、火を吹く――その直前。デスマスクは、自分の中の力――小宇宙を高めた。
 その瞬間、ありとあらゆる感覚が、常人のそれから、聖闘士の――それも最強の地位にある黄金聖闘士の――ものへと切り替わる。
 そして、世界は停止した。
 いや、正確には動き続けている。だがその動きは、デスマスクからすれば止まっているようにしか見えない。
 今のデスマスクには、銃爪が引かれ、撃鉄が落ちるまでのその間に銃を破壊することすら、造作もない。
 銃弾を弾き、あるいは返してやることも。
 だが、銃弾がのんびりと飛来するのを待つ理由はない。
 デスマスクは、指先の、ほんの先端にかすかに力を込め、撃ち出した。その力は、細く、そして凄まじい衝撃となって、銃弾の火薬が炸裂するよりも速く銃口を貫き、銃を破壊する。それをその銃を持っていた男がそれを知覚するよりも先に、デスマスクは次々に銃を破壊していった。
 一瞬にも満たない時間。人間が知覚不可能な間に、デスマスクは全ての銃器を破壊していた。
 ゆえに、銃声はただの一発も響かなかったのである。
 男達がそれに気付いたのは、たっぷり二秒は経ってからだった。
「な、なんだ!?」
「銃が!?」
「言っただろう。手前らは弱いってな」
 デスマスクは、その場から一歩も――実際に――動いていない。しかし、男達の銃は全て、完全に破壊されていた。しかも、原型をとどめてもいない。
「な……」
「お前らが、俺がいる間にアルフィオを襲わなかったのは正解だよ。万に一つも、いや、たとえ奇跡が起きたところで、どうにもできなかっただろうからな」
「バ、バカな……」
「うおおおお!!」
 その場にいたマフィアのうち、一番身体の大きな男が、突然殴りかかっていった。身長はデスマスクより頭一つ、体重にいたっては倍以上はあるであろう大男である。おそらく、体格的にねじ伏せられると思ったのだろう。
 だが。
 ドン、という音と共に、その男は壁まで吹き飛ばされ、そして壁を突き破って隣の部屋に転がった。
「理解力のねえやつらだな……ま、頭が良ければ、こんなバカはやらねえか」
 デスマスクは、すぐ脇で完全に腰を抜かしているニックを睨みながら言い放つ。
「さて……正直に言えば、俺の腹の虫が収まるには、お前らを八つ裂きにしても足りねえが……」
 男達の何人かが、ひい、と後ずさる。
「いちいち手前らをぶっ殺すの面倒だ。まとめて、あの世に送ってやるよ。完全にな」
 その時男達は、暗黒の中に、ぼんやりとした星の門を見た気がした。
「あの世で、アルフィオに詫びて来い!! 積尸気冥界波!!」
 その瞬間、立っていた男も、腰が抜けていた男も、突然がく、と力を失って倒れこむ。その、恐怖に凍りついた表情のまま。
「あ……ひぃ!!」
 その場で生きている人物は、二人だけ。一人はデスマスク。そしてもう一人が、ニックだった。
 失禁し、完全に恐怖で凍り付いているニックを、デスマスクは見向きもせず、屋敷を後にする。
 ニックをなぜ殺さなかったのか、デスマスクにも分からなかった。
 本当に、気まぐれだったのかもしれない。

 村を出て、少し歩いたところで、デスマスクは予想していた人物と対面した。
「……殺ったのか」
「ああ」
 デスマスクはそれだけ言うと、サルヴァトーレの横を通り抜ける。
「最後に聞かせてくれ。お前は一体、何者なんだ?」
「……聖闘士だよ」
「セイント?」
 サルヴァトーレが聞き返そうとして、振り返る。だがそこに、彼の姿はなかった。

 久しぶりの聖域の太陽に、デスマスクは眩しそうに目を細めた。直接戻っても良かったのだが、なんとなくアテネで一泊してから戻ったのである。あるいは、愚痴を聞かせる相手が欲しかったのかもしれない。
 その聖域の最深部、十二宮の入り口で、デスマスクは見慣れた顔を見つけ、小さく舌打ちをした。
「ずいぶん長い休暇だったな」
「別にいいだろう、シュラ。いつもこの十二宮にいなければならないって決まりはない」
「……憂さ晴らしは程々にしておけよ」
「うるせえ」
 デスマスクはそれだけ言うと、十二宮の階段を登り始めた。
 その途中、今のやり取りだけで、少しだけ自分の気が晴れていることに気付く。
 そういう時、結局、自分の居場所はここなのだ、と思うのだ。



 二年連続で参加させていただきました、『笑う小宇宙の館』様主催のデスマスク誕生日イベント『CarniVal』……通称『蟹ばる』(笑)
 レア、とか言われてしまったシリアスネタでした。でも結構シリアス作品も多かったです(w
 なお、今回のテーマは『かっこいいデスマスク』でした。いつもお笑い芸人扱い(マテ)されてるデスマスクですが、黄金聖闘士である以上、本当はめっちゃくちゃ強いはずで……というわけでこんな感じに。一般人相手に強いのは当たり前ですがー(^-^;
 なお今回の作品を書くに当たって、マフィアというかコーザノストラの資料を探したのですが……なぁい(涙)。いや、ホントに少ないんです。まあそれも当然で、マフィアの存在は知られても、内情が明かされるようになったのは最近で、で、同時にちょっとブームを過ぎてたため本屋にはほぼ皆無……。まあどうにか図書館で見つけて参考にしたのですが。というわけで、マフィアについての記述は、その本が嘘書いてない限り(元マフィア幹部の回顧録みたいなものですから多分それはないでしょうが)少なくとも八割以上は正しいこと書いてるはずです。ただ、そのマフィアの人はカターニアの人(ちなみにカターニアにマフィアファミリーがあることはず〜っと知られてなかったらしいです)で、パレルモについては五十以上のファミリーがある、というくらいしか情報がなく……結構想像です。まあそれほど変わらないと思うんですが。でも、信用はしないように(ぉ 結構デフォルメしてると思うし。
 とりあえず捕捉しておくと、作中のようにコーザノストラが街のチンピラを仲間に入れるようになったのは事実ですが、その動き自体は70年代頃からあります。また、街のチンピラとマフィアの対立ってのもあったようです。この辺りはまあ創作ってことで(^^; ホントは時間とって、映画『ゴッドファーザー』を視ておくと良かったのかもしれませんが(汗) というか、時代的にはかなりずれていると思われます。少し前の実情を踏まえて書いていますので。その辺りはご了承ください。あくまで、創作ということで。
 あと、パレルモ(シチリア州州都)に遺跡が多いのは本当です。これも別の本で調べたのですが、かつてパレルモは一万人で大都市と云われる時代に、三十万人もの人口を抱えた巨大都市だった時代もあるそうで。今ではマフィアの巣窟ですが。でも、作中で触れたように、遺跡が見直されて観光地として再出発しようとしてるのも事実です。あるいはホントに十年とか二十年後には、シチリアもイタリアのオススメ観光地になってるかもしれませんね。
 なお、作中の名前はほとんどその参考資料から。適当に開いたページの名前使いました♪(爆)
 とりあえず一応、デスマスクの誕生日をちょ〜っとだけ絡ませました……ホントはもうちょっと絡む予定だったんですが(^^;
 なおこの作品ですが、時間軸の設定はありません。星矢たちと戦う前でもいいですし、ハーデスとの聖戦が終わって、なぜか全員生きていた(生き返った)後の話でもいいです。……いいはずです(汗)
 また、ラストでアテネ一泊はどこにいたかは……まあ、説明は省こう(ぉ 一人二人はそういう相手がいるでしょう、多分(コラ)
 で、最後に一言。
 蟹さん、誕生日おめでとう〜♪<祝ってます、多分(ぉ


 参考文献
 名誉を汚した男達
  ピーノ・アルラッキ著 和田忠彦訳 新潮社刊
 南イタリアへ! 地中海都市と文化の旅(講談社現代新書)
  陣内秀信著 講談社刊




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