変わらないもの


「一体何の用だい? こちとら、あんたと違って暇じゃないんだけどね」
 不機嫌そうな声の主は、一風変わった服装の、黒髪の女性である。髪を無理やり後ろで束ねているため、かえって撥ねてしまっているようになっているが、彼女――しいなにとっては、髪が邪魔にならないことが重要なのだ。
「あらら〜。つれないの。せっかく普段の労をねぎらってやろうと、食事なんか用意させちゃってるのに」
 応じたのは、赤毛の、やや軽薄そうな印象を与える人物。だが、このメルトキアで彼のことを知らない人物はほぼ皆無だろう。
 神子、ゼロス・ワイルダー。テセアラの神子であり、現在も、国王に次ぐ権限を持つ重要人物である。
「別に頼んじゃいないよっ」
「まあそう言うなって。今どうなってるかも聞いておきたいしな」
 しいなの鉄拳をひょい、とかわすと、ゼロスは入れ違いに冷えたレモン水で満たしたコップを彼女に差し出した。
 その所作は、どこまでも優雅だった。

「んじゃ、どうにか国王とファイドラってあのばーさんとの会談が行われるわけだ」
「ファイドラ様って言いなよ、全く……。ま、とりあえず一仕事終わったって気分だよ」
 戦いが終わり、世界が統合された時、混乱しなかった者は皆無だっただろう。
 何しろ突然知らない土地が増えたのだ。混乱しない方がおかしい。
 それは、それまでテセアラにて最高の権力を持っていたテセアラ王にしても、同じことだった。
 この場合、真っ先に考えられるのはテセアラ、シルヴァラント合わせて唯一の『国』であるテセアラが単一国家としてこの新たな世界を統治することだろうが、それにはテセアラもあまりに情報が少ない。また、世界を統合した神子と仲間たちもまた、単一国家による支配が正しいとは思えなかった。
 何しろシルヴァラントは『国』という存在が消滅してしまっている場所である。これは、八百年前にシルヴァラントを再生した神子スピリチュアの後、テセアラが再生されてからずっとシルヴァラントは衰退世界となっていたため、もはや『国』という形を維持することすら出来なかったためだ。
 ゆえに、もう数百年間、シルヴァラントには国がない状態が続いていた。その間に、人々の間には『自分たちのことは自分たちで』という意識が芽生えている。そこで、いきなり『国』などというものを押し付けられても、反発するだけだ。それは再び、争いの火種となる。
 ゆえに、特にテセアラ王家に近かったゼロスは先手を打ち、元シルヴァラントの人々との間に、対等の交渉を行うようにしかけ、その仲介役にミズホの民を使ったのである。
「で、どーなのよ、今んとこ」
 食事が終わり、今いるのはゼロスの屋敷のテラスである。
「さあねえ。とりあえず、テセアラ王家もそれほど余裕があるわけじゃないからね。元シルヴァラント側は、イセリア、ルイン、アスカード、それに復興の開始されてるパルマコスタがそれぞれ支援しつつ連合体みたいになってるよ。代表はマーテル教の代表でもあるファイドラ様さ。だから今回会談のシルヴァラント側代表なわけだけどね。それに、こっちのマーテル教会にも、彼女を教皇に迎えようって話も一部にはあるらしい。こっちは、マーテル教の代表がいないからね」
「教皇、いないもんなぁ」
 教皇は国王を毒殺しようとして王都を追われ、挙句に王女を誘拐して国王を脅そうとすらしたがそれも失敗し、今は獄中にある。さすがに処刑するのはためらわれ、そのうち鉱山労務などの刑に服することになるだろう。
 その点、ファイドラはシルヴァラントのマーテル教の祭司の頂点にあり、人望もある。
 何より、『天使』コレットの祖母、つまり神子の家系であるというのもまた、彼女を推す理由なのだろう。
「おかげでこっちは大忙し。ようやく、国王とファイドラ様の直接会談が実現するから、ミズホの民もこれでようやく落ち着けそうだけどね」
 一度は国王や教会を裏切ったミズホは、とにかくその立場を確かにするために必死だったのだ。
 それもようやく、落ち着いたということか。
「ご苦労様でした、てかぁ?」
「あんたは何やってんのさ」
「へ? 俺?」
「そうだよ。あたしたちが走り回っている間」
「でひゃひゃひゃ。そりゃあ、王都の俺様のハニーたちを……」
 がんっ!!
「殴るよ」
「だーかーらー。殴ってから言うなよー」
「ホントだったらもっと殴る」
 しいなはさらに拳に力を込めた。
「まあ、な。俺も別に遊んでばっかじゃねえよ。なんせ国王の近くにいるのは、とにかく今の自分の権益を守ろうって連中ばっかりだからな。例外はリーガルの旦那くらいだ。もっとも、リーガルはほとんどアルタミラにいるからな」
「だろう……ね」
 財産や地位のある者は、それを失うことを恐れる。たとえそれが自分たちの力ではなく、ただ親や先祖から継いだものだとしても。いや、だからこそか。
「ま、そういうわけで国王の相談役ってとこだな。あとはなだめ役。過激なやつが多くてよぉ。国がないなら全部制圧してしまえ、とかな」
「やっぱいるんだ、そんなやつ」
「ま、そこは俺様の人徳だな。懇切ていね〜いに説明して、納得してもらったぜ」
 どういう説得をしたのやら、と思ったが、それに対してはしいなは何もいわなかった。
「すんなりまとまってくれりゃ、万々歳だな。お前はその後はどうするんだ?」
「あたし? あたしは別に。ミズホの頭領継ぐことになってるから……里に帰るよ。あんたは?」
「俺? 俺は……ここで優雅に暮らすのも悪くねぇけど……正直暇なんだよな、ここ」
 よく言う、としいなは小さく毒づいた。
 実際には、ゼロスもこの会談に際してかなり動いていたのを、しいなは知っている。
 それは、神子としての義務感だったのか、それは分からない。
 神子は、この国では国王に継いで地位が高い。教皇をも凌ぐ。それは、いつかありうるかもしれない世界再生のためだった。
 だがすでに、世界再生の神子は必要ない。そして、クルシスの輝石を持って生まれてくる神子は、もう生まれてこない。輝石を授けていたクルシスが、すでに存在しないのだから。
 遠からず――といってもゼロスより後の世代だが――神子という地位はなくなるだろう。
「どーせ神子なんて俺で終わりだしなあ。あ、いっそミズホの民にでもなるか」
「はあ!? っごほごほっ」
 あまりにも唐突な言葉に、しいなは思いっきり素っ頓狂な声を出してしまった。さらに、飲みかけていたワイン――パルマコスタの名産品らしい――が変なとこに入ってしまったのか、思いっきりむせ返った。
「な、何をいきなり!?」
「いやあ、前からミズホの里ってのんびりしてていいなあ、とか思ってよ」
「あんたのちゃらちゃらした性格で、生きてけるかいっ」
「あ、ひでーな。俺様傷つくぞ。俺だってやるときゃやる男だぜ?」
「そういう問題じゃないっ。……大体、ミズホの里は部外者には閉鎖的なんだ。あの戦いは例外みたいなもんだよっ」
 それは結構有名な話である。
 ミズホの里は基本的に閉鎖的な社会で、部外者を受け入れることは稀だ。それゆえに、あの独特の文化を保ってこられたのだ。
「でも抜け道あるでしょーよ。例えば……」
 ゼロスは、まるで豹のように、音もなくしいなのすぐ目の前に移動すると、そのまま腰に手を回して抱き寄せた。
「えっ……」
「例えば俺様とお前が結婚する、とかな。頭領の夫なら、さすがにオッケーだろ?」
「なっ!!」
 言葉と同時にしいなの裏拳がゼロスの側頭部を襲う。だがゼロスは、それをあっさりと掴むと、そのまましいなをさらに引き寄せた。
「ちょっ……」
 ゼロスの顔が、おそらくこれまでで一番近い位置にある。その双眸が、しいなの目を捉えて離さない。
 いつものふざけた調子はなく、まっすぐにしいなを見つめている。
「どうだ?」
「ど、どうだって言われても……」
 力が入らない。慣れないワインなんて飲んだせいだろうか。ただ、そうではない、となぜか分かっていた。
 抵抗する意思が、消えかける。
「悪くねえアイデアだろ? なんたってミズホはエキゾチックな美人が多……〜〜〜〜〜!?!△×!☆?○◎!?」
 直後、ゼロスは足を押さえて転げまわった。靴の甲には、しいなの靴の跡がくっきりとついている。
「や、やっぱあんた、ただの大バカ野郎だよっ! まったく!! このアホ神子!!!」
 言うが早いか、しいなはテラスから飛び出して、メルトキオの街に消えた。
「あたたたたたた……ったく、暴力女が……」
 ただ、その遠慮のなさは、悪くなかいと思えてしまう。あるいはこれは、ずっと同じなのかもしれない。
 ようやく痛みの引き始めた足を押さえて、ゼロスはしいなの消えた夜の闇を見る。だがもちろん、しいなが戻ってくる様子はない。
「あ〜あ。どーして俺様ってば、こうなのかねぇ」
 そう言いつつ、うろたえたしいなの様子を思い出して、ゼロスは小さく笑っていた。



 シンフォニア王道カップル(と信じてます)の戦後話第三弾、ゼロしいです。ある意味、見てて楽しいカップル(可愛いのはロイコレ、微笑ましいのがジニプレです<個人的主観)でもありました。ドツキ漫才夫婦……(マテ)
 この二人にあまあま(書けないけど)やほのぼのは似合いませんな(爆)。っていうか……カップルとしては楽しいですが、くっつくのってどうやるんだろう……とか。でもどっかにはありそうですが。
 ただ……この二人がくっついたら、多分ロイド、コレット、ジーニアスあたりは驚愕するでしょうね(笑)。リーガルは不思議に思わないでしょうし、プレセアも自分のことじゃなければ気付いてる気がするし。リフィルは……「あっそう」で終わらせそうだ。っていうか終わるな(笑)
 ゼロスとしいなって、実際いつ頃からの知り合いなんでしょうね。スキットで、ゼロスが妹のセレスに『しいなは俺のスイートハニーだ』なんてことを言ったことがあるとあったというのが発覚してるので、結構前からだとは思うのですが。ヴォルトの事件も、ゼロスは知ってたようですし。『結構有名な事件』とありましたが、ミズホの里の閉鎖性を考えると、当時からミズホと何かしらつながりがなければ、やはり知りえない事件だと思うし。
 あるいは最初は、頭領の孫娘(養女だったみたいだけど)という立場にありながら、素直に感情を表現するしいなを羨ましく思ってたんじゃないかとも思うんですけど……どうなんでしょうか。だとすると、ヴォルト事件以後は結構気にしてたのかも……。異界の門での『バカしいな!』はやはり愛でしょう(笑)



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