「……状況は」 「すでに裏門は突破されました。正門はまだエルンスト将軍が粘られておりますが、すでに我が軍の戦力は大きく削られ、城門付近まで撤退しております。言葉憚られることながら、正門が突破されるのは時間の問題かと……。裏門は敵も兵力が少数のため、突入しては来ないですが……」 「いわゆる最悪の状況だな。リーヴェ失陥は避けられぬか?」 「で、殿下っ」 慌てふためく側近を見て、長い薄青色の髪を持つ青年は苦笑する。 「安心しろ。私は負ける戦いはしない……」 そこまで言ったところで、彼は一度言葉を切った。そして、新たに室内に入ってきた騎士を迎える。 「戻ったか、セオドラ。兵達に伝えたか?」 「はい。城下にはまだ少数の兵が残ってはおりますが、まもなく兵舎に戻りましょう」 セオドラ、と呼ばれた青い髪に真紅の鎧を纏った女性は、少し辛そうにそう報告した。 「ご苦労だった。我が軍はもう全戦力を城外戦に投入し……それでも敗北した。生き残った彼らに、これ以上無駄な戦いは強いたくはない……」 「ジュリアス様は、彼らを生きて祖国に帰したいとお考えなのですね」 ジュリアス、と名を呼ばれた青年はそれには答えず、しばらく思考するように視線を宙に泳がせた。そして、再びセオドラの方に振り向くと、厳しい表情で口を開く。 「セオドラ、お前に頼みがある。聞いてくれるか」 「は、はい。私に出来ることならば」 ジュリアスがこの様に、ともすれば弱気とも思えるような言い方をするのは非常に珍しい。セオドラは心持緊張した面持ちになる。 「カナンに戻って様子を見てきて欲しい。兄上からは何の報せもない。それに、セネトの情報も知りたい」 「しかしそれではジュリアス様が……」 それはつまり、自分にここを離れろ、ということだ。たしかに、竜騎士である自分ならばカナンへ行って戻るまで、風次第ではあるが二日とかかるまい。常にある程度羽ばたかなければならない天馬と違い、空を滑空する飛竜ならば、丸二日くらい飛びつづけることも可能だ。 だが、今のこのリーヴェの戦局は、そんな二日の猶予すら与えられてはいない。 城外に展開した主軍は既に敗退し、城門を守る部隊の敗報が伝えられるのも時間の問題。そうなれば、このリーヴェ王宮を守る壁は、もう何一つありはしない。そして、残された兵はそのほとんどが新兵と老兵である。二日どころか、城門が突破されたら半日ともちはしない。 「心配するな。私は負ける戦いはしない。それはお前も、よく知ってるはずだ」 「それは……よく存じておりますが……」 カナンの三連星とまで呼ばれる、カナンの三人の王子、アーレス、バルカ、ジュリアス。その一人であるジュリアスの実力も、そして軍を率いる力もセオドラはよく知っている。だが、セオドラの知る限り、これほどに絶望的な状況は、かつてなかったはずだ。 「私も兵達の準備が整い次第、ノルゼリアまで撤退する。だがそれも、カナンの状況がわからなくては叶わない」 セオドラははっとなった。 確かにここで、勝手に軍を引けばジュリアスはもちろん、撤退した兵達も責任を問われるだろう。 だが、カナンでバルカ王子が成そうとしている事が成れば、ジュリアスは何の憂いもなく撤退できる。このリーヴェを、ユトナ同盟軍との交渉の際の重要なカードと見ていたバルカ王子ではあるが、事態がここまでに至っては、それは叶わないだろう。だが、カナンの状況がわからなければ、撤退もままならない。それでも、せめてカナンの兵達だけでも生きて故国に帰したい。それこそがジュリアスの願いであるのだ。 「分かりました。必ず、明後日……いえ、明日の夜までには戻ります。ですからジュリアス様、ご無理はなさらず。リーヴェが支えきれないとなったら、必ずノルゼリアにお退き下さい。バルカ王子は必ず……」 それは、切なる願い。本当なら、一時もこの場を離れたくはない、そんな想いがあるのに、それを口に出せない、その痛みがセオドラの胸をちくちくと痛める。 「分かっている。さあ、早くいけ。時は一時たりとも無駄に出来ん」 「はいっ」 セオドラは返事もそこそこに、半ば駆け足で立ち去っていく。ここで無駄にする僅かな時間すら、ジュリアスの命数を縮める気がしてならなかったのだ。竜舎に行く時間も惜しかったのか、バルコニーで笛を鋭く鳴らし、そしてしばらくしてからいきなり飛び降りた。その直後、巨大な飛竜が大きく羽ばたいて、東へ一直線に飛び去っていく。 「頼んだぞ、セオドラ……」 その後姿を、ジュリアスはいつまでも見つめていた。 |
その日は、結局日が暮れてしまったために、ユトナ同盟軍も一度軍を引いたらしい。夕方過ぎになって突如として嵐のような雨が降り始めたことが、カナン軍には幸いした。リーヴェ城は高台にあり、特に城門へ至る道は、大雨が降るとまるで滝のようになり、まともに登れなくなるのだ。 「そういえば水の神官家はリーヴェの王室と縁が深かったな……あるいはこれも、神の恩寵ということか?」 実際には、それほど都合のいいものではないことは分かっている。それに、もしかしたらセオドラもこの嵐に巻き込まれて、道程に遅れを生じさせているかもしれない。それに元々、ジュリアスはセオドラが間に合うことは期待はしていなかった。 この雨は、夜半には止む。そうすれば、明日の昼前には再び攻勢が始まるだろう。だが、疲労しきったカナン軍では、そういつまでも持つはずはない。 降りしきる雨の音がは、とても優しさなど感じる余裕はなかったが、だが、今のジュリアスには心地よかった。暗い暗黒の帳を下ろしたかのような窓の向こうでは、ユトナ同盟軍が今ごろ大雨の対策に追われているのだろう。 「恵み……というより、休息の雨ですかな、殿下」 「……エルンスト。陣はいいのか?」 ジュリアスは、突然部屋に入ってきた人物を、軽い驚きの目で見た。黄金の鎧に身を固めた、カナン最後の、そして最高の将軍。『カナンの剣』の二つ名を持つ将軍エルンストその人だったからである。 「ご心配なく。ユトナ同盟軍もこの城には詳しいでしょうからな。この雨によって危険地帯となった丘陵を超えてくることはありますまい。裏門の川も大幅に増水し、渡ることは出来ませんゆえ。それに、仮に無理に進軍したとて、その程度を追い払えぬ我が部隊ではありませぬぞ」 「なら、一杯どうだ?」 ジュリアスはそう言うと、棚から一本のワインを取り出した。 「ほう。それはぜひ、よろしければ」 ジュリアスはそれに、小さく笑んで応えると、二つのクリスタルグラスにその紅い液体を満たした。かすかな蝋燭の明りしかないこの部屋でも、その液体の鮮やかな紅だけは、なぜか際立って見える。 「もって、明日か」 何が、とは言わない。言うまでもないことだからだ。そしてそれは、エルンストにも分かっている。だから彼は、小さく頷いただけだった。そしてその後に、言葉を続ける。 「殿下。私が出来る限り敵を引きつけます。その間に、殿下は……」 「エルンスト」 その声は、決して詰問するようでも、弾劾するようでもなかった。だが、それだけでエルンストは言葉は遮られた。 「お前は私に、卑怯者になれというのか?」 「……しかし、セオドラ様のことも……」 「それを言ったら、お前には妻子がいるだろう。戦乱を避け、もう何年も前に疎開させたそうだが」 「そ、それは……」 エルンストはそれ以上の言葉を続けられない。 「それでもなお、戦場に立つのは何のためだ。カナンのためであろう。ならば、カナンの王子としての立場を持つこの私が、おめおめと逃げられるわけがなかろう」 「殿下……」 エルンストは悲痛な、だが鮮烈なまでのジュリアスの意思と覚悟を見て取った。 そうだった。 この王子は、幼少のみぎりより誰よりも誇り高くあろうとし、そして事実そうあり続けた人なのだ。 その意味では、この数年間、ガーゼル教国と結んでの戦いは、さぞかし不本意ではあっただろう。 ならば、もうこの王子の覚悟を止めてはならない。エルンストは、強くそう感じた。 「雨が……」 突然のジュリアスの言葉に、エルンストははっとなって窓の外を見た。無論、何も見えはしないが、同時に不気味なほどの静寂に包まれている。 「……止みましたか」 それは、夜明けと同時のユトナ同盟軍の攻勢を意味する。だが二人とも、それは既に覚悟したことであった。 「では私は、陣に戻り迎撃の準備を致します。殿下は、どうか城内にあって朗報をお待ち下さい」 「……分かった。だが、エルンスト。無理はするなよ」 「お言葉、恐れ多く存じます」 エルンストはそう言うと、大きな樫の木の扉の向こうに消えた。かつかつ、という軍靴の音が、静寂に包まれた城内に響き渡る。それはまるで、戦いの開始までの時を刻むかのように、ジュリアスには思えてならなかった。 |
予想通り、夜明け、というより日が昇り始めた頃に、ユトナ同盟軍の攻勢は開始された。 向こうも今日中に勝負を決めるつもりなのだろう。その兵達の声が、この王宮まで響いてくる。 「新兵達の脱出状況はどうか」 「ほぼ完了しつつあります。ただ、古参兵と新兵の一部が、脱出を拒んでおりまして……」 「脱出させろ。これは、カナン第三王子ジュリアスとしての命令だ」 残りたい、という兵達の心境が分からないわけではない。だが、この戦場は、もはやカナンの兵の死に場所ではない。そう言ったら、先日来からユトナ同盟軍の迎撃に出ていた兵達が浮かばれないが、だが、戦局がここに至った以上、もはやこの地に留まる理由はないのだ。 「だが……果たして私は脱出する意思があるのか……?」 「殿下……?」 声に出したつもりはないが、かすかに聞こえていたらしい。ジュリアスはそれになんでもない、と応じると壁にある槍を見遣った。 カナンの聖槍。 絶大な力を誇る、カナンの宝器の一つ。そして、ジュリアス愛用の槍である。 「とにかく兵達の脱出を急がせろ。ノルゼリアまで行けば同盟軍は追撃しては来ない」 その時、一人の兵士が慌しく入ってきた。その顔が土気色に染まっている。その兵が持ってきた報せがどういうものであるか、ジュリアスは一瞬で悟った。 「エルンスト将軍が……戦死なさいました……。ユトナ同盟軍は城正面を突破、市街へと至りつつあります」 「そうか……」 カナンの剣、とまで称され、カナンでも、いや、大陸でも最高といっていい勇将も、ついに倒れた。おそらく城外の部隊はすでに四散し、事実上全滅しているといって良いだろう。撤退準備をしていたこともあって、城内に残った兵はジュリアス直属の騎士隊と、あとはまだ残っている極少数の兵士のみ。ユトナ同盟軍に対抗できるとは、到底思えない。さらにそこに、別の伝令が駆け込んできた。 「ジュリアス殿下、ユトナ同盟軍のリュナン公子より、書状が届けられております」 「なに?かしてくれ」 ジュリアスは、書状を受け取るとやや乱暴にラゼリア公国の紋章で封印されていたその封を解いた。目を落とし、素早く読む。 「……まあ、当然の要求だろうな……」 ――城を明渡し、降伏されたし。捕虜には寛大なる処遇を約束する――。 想像できた要求である。というよりはこれ以外にないだろう。だが、捕虜になってしまっては兵達がいつ国に戻れるかは分からない。なにより、捕虜になるという事実が兵達を苦しめるだろう。といっても、まさか兵達が撤退を完了するまで待ってくれ、などとはこういう文書では書けるはずもない。あるいは、それを要求すれば、それは受け入れられるかもしれないが――。 「……リュナン公子に伝えてくれ。我らに降伏する意思はない、とな」 そしてそれが、リーヴェでの市街戦開始の合図となった。 |
「……もはやこれまで、か……」 いつの間にか日が暮れ始めていて、それは茜色に染まっている。その光に照らされたジュリアスの鎧は、紅く輝いて見えた。 手にあるカナンの聖槍は、すでにその魔力を失い、ただの重い槍と化していた。強力な衝撃波を作り出し、持つものに力を与える最強の槍。兄アーレスが使い、そして彼の亡き後ジュリアスが預かっていた槍だが、その宿った魔力はすでに使い切っていた。元々、その潜在魔力が少ない、という欠点がこの槍にはあるのだから、これは仕方ない。だが、その貴重な力をユトナ同盟軍相手ではなく、よりにもよって剣闘士どもに使ってしまったのは悔やまれた。 「ハイエナのような輩だというのは分かっていたのだがな……いや、これも我が命運ということか」 新たなる時代の潮流。その流れに、明らかに今の自分は逆らっている。あるいはこれも、ユトナ女神の意思だというのか。 要求を拒否されたユトナ同盟軍は、やむを得ずリーヴェ街区での戦闘に突入した。これに対するカナン軍に残された戦力はごく僅か。ゆえにジュリアスは自分と自分直属の部隊だけで同盟軍を相手にして、彼らの撤収時間を稼ごうと思っていたのだ。 だがそこに、剣闘士達の蜂起があった。 口々にリーヴェ解放を訴えてはいたが、彼らの目的はリーヴェ解放などではなく、虐殺と戦利品漁りである。だが、鍛えられている剣闘士に新兵達が敵うはずはなく、やむを得ずジュリアスは剣闘士達相手に戦わざるを得なかったのだ。 だが、さすがに剣闘士達との戦いは、ジュリアスの部隊にも少なからず被害を出した。さらにそこに、ユトナ同盟軍の攻撃を受け、ジュリアスの部隊はすでに散り散りになっている。ジュリアスもすでに、愛竜を失い、手にあるのは剣闘士から奪った剣と、力を失ったカナンの聖槍だけだ。竜を射落とされた時に地面に叩きつけられたため、全身が酷く痛む。 新兵達は無事撤退できたのか、それだけが気になるが、今のジュリアスにはできることはなかった。今の自分には、彼らを守る力はおろか、自分が生き残ることすら出来るかどうか分からないのだから。 「ふ……。カナンの三連星が、様ないな……」 自嘲めいた言葉しか出なくなってることに気付き、さらに滑稽な気持ちになった。 「殿下……」 まだ生きていて、今もなお自分についてきている部下のうちの一人が、力なく呼びかけてきた。その言わんとすることは分かっている。 「……分かっている。お前達は武器を捨てて降伏しろ。同盟軍の盟主リュナン公子は兄アーレスが友と呼んだグラムド大公の息子。無体な真似はすまい」 「し、しかし殿下は……」 「私はカナンの王子であり、兄上よりこのリーヴェの守りを託されながら、その役目を果たすことが出来なかった愚か者だ。おめおめと生き恥を晒すことは出来ん」 「殿下、それでは我らも……!!」 「ならん」 ジュリアスはなおもすがりつくように懇願する部下を、一喝した。 「これは、カナン第三王子ジュリアスとしての命令だ。いいな。貴公らはなんとしても生き残れ。そして、いつかセネトを助け、カナンを再興してくれ」 「殿下、それは……」 「命令だ。いいな」 ジュリアスは反論を許さない強い語調で再度命じると、そのまま大通りへと抜ける道を歩んでいく。そして、その道の向こう側には、予想通り同盟軍の部隊がいた。 「槍を失い、愛竜を失った私だが、それでもまだ、我が歩みは止まっているわけではない……」 同盟軍の兵士は、突然現れた騎士に、何事かと注目し始めた。彼らはすでに、カナン軍は組織的抵抗力を失っていたと思い、王宮に凱旋するだけだと思っていたのだ。だが、その王宮へと至る道の中央に、ジュリアスが現れたのである。 「我が名はカナン三連星が一人、竜王のジュリアス。ユトナ同盟軍よ、このリーヴェを奪い返したくば、我を見事討ち取って見せよ。だが、我が命ある限り、このリーヴェに貴公らの入り込む余地はないと思え!!」 道化だな、とジュリアスは一人ごちた。後の世の者から見れば、今の自分はさぞ滑稽に映るに違いない。おそらく、降伏さえすれば命を奪われることはないだろう。捕虜となっても、おそらく噂に聞くリュナン公子なら、それほど酷い扱いは受けないし、カナンとの和平においてもせいぜい多少の取引材料に使われるだけに違いない。正直別に、捕虜となることが嫌な訳ではなかった。 ただ、戦いの中にその身を置きたかった――のかもしれない。 絶望的とも言えるこの状況を、どこかで愉しんでいる自分がいることを、ジュリアスは自覚した。 これまで、本意でない戦いを続けてきたからかもしれない。 ガーゼルの魔道士どもと共に出撃する、あの不本意きわまりない戦いに比べれば、この戦いはなんと心が躍るものか。状況を考えれば、これとて不本意な戦いのはずなのだが、ジュリアスは、心のどこかに充足したものを感じずにはいられなかった。 やはり自分も武人ということか。 心残りは、成長した甥と姪――セネトとネイファに会えない事だ。立派に成長したであろうセネトと、さぞ美しくなっているであろうネイファ。一度で良いから、彼らに会いたかった……が。だが、それも今ではどうでもよく思えた。ただ、後一つの心残り――。 「――セオドラ、すまない。約束は守れそうにない」 一瞬、東の空を見やる。既に太陽は大きく西に傾いでいて、東の空には数個の星が煌いていた。その星の下には、あの母なるカナンの大地があるのだろう。そしてそこへ向けて一直線に飛んでいるであろう赤い鎧の竜騎士を、ジュリアスは再度 長剣を鞘から引き抜き、力を失った槍を捨てる。どこにでもある極普通の長剣が、ジュリアスの手によって力を宿したかのごとく、陽光の煌きを受けて美しく輝いた。 一方、同盟軍の方でもうろたえていた。ジュリアスの名は、もちろん彼らもよく知っている。 カナンの誇る三王子、アーレス、バルカ、ジュリアスの三人。その末弟たるジュリアスは、竜王の二つ名でも知られている。言わば、手柄首の代表例のような人物でもある。 その事実をやがて認識した同盟軍兵士達は、いきり立ってジュリアスに襲い掛かった。その様に、ジュリアス自身少なからず心が躍る。 「竜王ジュリアス、参る!!」 そして同盟軍は、竜王が地上にあっても恐るべき勇者であることを思い知った。 ジュリアスの振るう剣は、光の軌跡を描いて、まるで遮るもののないように戦場を自由自在に動き回った。そしてその軌跡に、真紅のしぶきが続く。それはさながら、光と血に彩られた、死の舞踏であった。 はじめのうち、手柄首だといきり立っていた同盟軍も、そのジュリアスの圧倒的な強さの前に恐れを抱き、やがて遠巻きにジュリアスを囲むだけになる。 「ふ。どうした。たかが一人の騎士も討ち取れないほど脆弱なのか、ユトナ同盟軍とやらは。それでよく、我がカナンの地を侵そうなどと考えたものだな」 その時、一人の騎士が軍列の前に進み出てきた。 年の頃は十七、八というところか。纏っているのは白銀の鎧。そしてそのマント止めにある紋章は、まぎれもないラゼリア公国の紋章。だとすれば、この騎士が――。 「……貴方が、ジュリアス王子ですか?」 「……貴公は?」 ジュリアスはそう問い返したが、その若者が誰であるかを即座に察することが出来た。これほどの人物が、そう何人もいるはずがない、と思ったからだ。 「私はラゼリアの公子、リュナンです。貴方が、ジュリアス王子ですか?」 「貴公がリュナン公子か。お初に目にかかる。私はカナン第三王子、ジュリアスだ。……できれば貴公とは、もっと別の場所で別の形で巡りあいたかったな。だが、こういう形も悪くはないか……」 張り詰めていた気だけで振るっていた剣が、今は腕に重い。だが、それでも今、この場で無様な姿を晒すわけには、絶対にいかない。ジュリアスは、ともすれば倒れそうになる四肢を、全身全霊の力をこめて支えていた。 「王子、もういいでしょう。あなた一人が戦ったところでどうなるというのです。これ以上の戦いは、もう無意味だ。撤退するというなら、追撃はしない。約束する」 予想通りの人物だ、とジュリアスは確信した。彼ならば、きっとカナンの兵達にも無体な処遇をしたりはすまい。 だが。 「お心遣い、真に感謝する。願わくば、私以外の全てのカナンの兵に対し、寛大な処置をお願いしたい」 「ジュリアス王子……?」 「だが、私はたとえ如何なる戦場であれ、敵に情けをかけられることを望まない……カナン三連星が一人、このジュリアス、貴公に倒せるかな……」 ざわ、と軍が騒ぎ出した。 ジュリアスの強さは、今みたばかりである。勝ち戦にある兵は、無意識に死を恐れる。戦死しては勝利を味わうことが出来ないからだ。 ジュリアスが一歩踏み出そうとすると、軍列が一歩引く。たった一人の男に、数万の兵が圧倒されているかのようだった。ただ、一人を除いては。 「ジュリアス王子。僭越ながら、ラゼリア公子である私が貴方に挑ませていただく……役者不足ではあろうが、どうかご容赦願いたい」 なんとなく、ジュリアスはリュナンならそうするのではないかと思っていた。無論、根拠はない。むしろそれは、願望であったのかもしれないが、今のジュリアスにそれを判断することは出来なかったし、また意味もなかった。 「感謝する、ラゼリアの公子よ」 「なりません、リュナン様。このような戦い、何の意味も……」 リュナンのすぐ後ろに控えていた初老の男が、慌てて止めようとするのを、リュナンは手で制した。 「オイゲン、下がっていろ。――誰か、ジュリアス王子に剣を」 そういわれて、ジュリアスははじめて、自分の持っていた剣の刃が柄から外れかかっているのに気が付いた。これでは、酷く不安定であり腕に負担がかかるはずである。 「リュナン様!!」 「オイゲン。私はガーゼルと戦うならば、如何なる手段をもっても勝利を求めるだろう。だが、この戦いはリーヴェとカナンの戦いだ。ならばそこには、礼節があってしかるべきだろ。あるいはこれとて偽善ではあるだろうが……」 その間に、ジュリアスに剣が渡された。よく手入れをされたその剣は、先ほどのものと比べて、段違いに扱いやすい。 (あと少しでいい。動いてくれ――) ジュリアスは神に――女神ユトナに対して背信たる陣営に属してしまって以来初めて――祈り、剣を握る手に力をこめた。腕はそれに応え、そしてゆっくりと剣を持つ感触を伝えてくる。 「では、参る……」 リュナンは小さく頷くと数歩進み出る。互いの距離が縮まり、あと五歩程度、という時、両者は同時に動いた。 紅に染まった空の下、二本の剣の激突する音が響き渡る。同盟軍も、そしてカナン軍もただ固唾を飲んで見守っていた。 技量は、本来であればジュリアスが上回っていただろう。それは、戦っているリュナン自身も分かっていた。だが、ジュリアスは既に疲労困憊であり、動きに精彩がない。リュナンも朝から戦場にありはしたが、ジュリアスほどには疲れているわけではなかった。 激突する二本の剣は、夕陽の色を映じて軌跡を描き、まるでそれ自体が光を放っているようにも見える。 恐らく、時間にすればごく僅かな勝負ではあったのだろう。ただ、その勝負は、見ているものを惹き付け、一瞬を永遠にも感じさせていた。 そして――その勝負は、夕陽よりもさらに紅い奇跡を剣が描いた時、終了した。 リュナンの剣が、ジュリアスの肩から胸を鎧ごと斬り裂いたのだ。鎧のおかげで深い傷とはいえなかったが、今のジュリアスの力を奪うには十分過ぎる一撃だった。 半瞬遅れて、ジュリアスの剣が乾いた音を立てて地面に落ちる。 「……見事だ、リュナン公子」 声の発せられる位置が、少しずつ下へとずれる。ジュリアスの視界が赤く、そして暗くなり、最後に見えたのは再び赤く、そして広い空だった。 「ジュリアス王子……」 「さすがは……グラムド大公の子息……。セネトもどうか、貴公のように……」 こふ、と一度口から血が溢れた。既に身体から生きる力が失われているのは、誰よりも彼自身が分かっていた。 その時、ジュリアスの視界の端に、かすかに黒い影が入ってきた。一瞬なんであるか考え、それが飛竜であることに、すぐ気付く。 (セオドラ……戻ったか……) 彼女がいかなる報告を携えているか、気にならなくはなかったが、だが、どうでもいい気がした。この戦いは、もう終わる。リュナンと、セネト。さらにはセネトと共に行動しているという、レダ王国の忘れ形見といわれるティーエとリチャード。そしてサリア王国を回復させたというホームズという名の戦士。 (風が……吹き始めたのだな……) ジュリアスも、最初からこの戦争に反対していたわけではない。むしろ、賛成していた。 神君カーリュオンの娘達の名を冠した古き四王国。しかし、永い時の間に、建国の時の清新さはとうに失われ、そして、権力に溺れた愚物が世を支配していた。元々、ジュリアスらの父バハヌークも、最初は世の腐敗を憂いて、軍を発したのである。それが歪んだのは、全ては――。 だが、彼らに後事を託せば、最初に挙兵した自分達の志を継いでくれるに違いない。 (後事を託せる者に出会えたということは……存外、幸運なことかも知れぬな……) そう考えている間に、視界が徐々に暗くなってきた。誰かが何かを言っている気がするが、それももう聞こえはしない。 「あとを――頼む……」 ジュリアスは最期にそれだけを呟き――声になってはいなかったが――永遠の安らぎにその身を委ねた。 |
後にジュリアスはカナンの王都を見下ろす高台に葬られた。 その隣には、バルカ、アーレスの墓もあり、カナンの人々はこぞってこう言ったという。 『カナン三連星の志を失わぬ限り、カナン三連星はいつまでもカナンを守護したもう――』と。 |
ふい〜。ようやく書いたというか。原型は実はティアサガクリア直後にはあったりしますが……なかなか満足行かなくて放置されていました。っていうかこれも出来が良いとは……あまり思えませんが(汗)。 ジュリアスは敵キャラでは一番のお気に入りです。ええ。もうあの強さといい性格といい文句なし。で、最期もあれだし。なのでかっこよく書こうっ!!と思って頑張ったのですが……というかミシェイルの話(竜騎士の王)ぐらいかっこよく……と思ったら。最期が……(汗) 確かにこの二人、似たタイプかなあ、と思ったんですが……甘かった。ミシェイルはあくまで自分が主体なのに対して、ジュリアスはやはりカナンなんですよね。この違いは……少なくとも私にとってはかっこよく書こうとすると弊害に……というか同じスタンスで描こうとしたのが間違いなのですが(爆) なので結局こうなりました。ラストも困ったんですけどね〜。まあこういうのはありかな、と。 ちなみにティアサガ話は基本的に『その他』に放り込みます。長編とか書く予定もないですし、任天堂との裁判で揉めてるから一応別扱いに(笑) そんなに数書く予定も、今のところないですしね。にしても続編求む。つーか出せ、エンターブレイン(爆) |