光墜つ・第一幕



「終わったのか・・・」

 朝陽が乾いた大地を赤く照らし出す。はるか彼方まで続く荒野にあるのは、夥しい

数の骸の山。まるでこの世の終わりではないかと思えるような、そんな光景だ。

 その騎士は、もう髪に白いものの方がはるかに多くなっているにも関わらず、その

肉体には衰えを感じさせるものはない。だが、それでも疲労を隠すことはできなかっ

た。鈍く光を放つ剣を杖代わりにして、なんとか立っている状態である。

「これだけの事を成して、果たして我らは正義といえるのか・・・?」

 剣をおろした騎士は自問する。だが、答えなど出るはずもない。主命に従うことを

絶対の掟としている騎士にとって、主命に対する疑いを持つことは、あってはならな

いのだ。

「それが真に殿下の御意であるのであればこのように迷わずにすむのか・・・?」

 考えていても答えはやはり出ない。そして、失われた生命も奪ってしまった生命も

戻ってくることはないのだ。ならば、これからのやりようにこそ、意味を見つけるべ

きだろう。

「バイロン様!!」

 騎士は呼ばれて振り返った。騎馬が数騎向かってくる。ただ、その先頭にいるのは

騎士ではない。いくら戦闘が終了しているとはいえ、その直後に戦場にあって鎧を脱

ぐ騎士などいるはずはないからだ。この戦場にあって、鎧を纏わずにいる人物など、

限られていた。

「スサール卿。ようやく、終わったのか?」

 スサール、と呼ばれたその男は静かに頷いた。

「バイロン様も、ご無事で何よりです」

 スサールはそういうと周囲を見渡した。目を覆いたくなるほど凄惨な光景であるが、

それを引き起こしたのが自分達である以上、それから目をそらすことは許されない。

「おそらくこれで、もうイザーク王国に我らに対抗する武力はないはずです」

 バイロンは「そうか」とだけ言うと剣――聖剣ティルフィング――を地面に突き立

てて地面に座り込んだ。

「バイロン様。お疲れでしょうが、まだ敵兵の生存者がいないとも限りません。どう

か陣にお戻り下さい」

 その言葉で、バイロンはやはり剣を支えにして立ち上がった。引き抜かれた剣先に、

乾いた土がついている。バイロンはそれを黙って見つめていた。

「スサール卿。我らは果たして、この大地を得て何をしようというのであろうか」

 突然のバイロンの問いに、スサールは返答に窮した。その間にバイロンは新たな馬

に跨る。

「すまん。気にするな。ふと思っただけのことだ。戻るぞ」

 バイロンは手綱を引いて馬首を返し、馬腹を蹴って馬を走らせる。スサール以下数

騎がそれに続いた。

「赤い大地か・・・果たして陽と血の、いずれの色であろうか・・・」

 

 グラン暦七五七年におこったイザークとグランベルの戦争は、グランベル側の予想

をはるかに上回るイザーク軍の抵抗によって、予定されていたよりもはるかに多くの

時間と兵力と、そして命を浪費することになった。

 イザーク王マリクルが戦死した後も、イザークは組織的な――といっても地理を利

した不意打ちのようなものが多かったが――抵抗を続け、グランベル軍としても無駄

に兵を疲弊させるような戦いが続いたのである。

 さすがにこの状況を芳しくない、と考えたグランベル軍の指揮官クルト王子は、イ

ザーク軍を罠にかけ、一網打尽にすることを決定した。クルト王子自らが囮となって

イザーク軍の兵力を集中させ、それを一気にたたく、というものである。イザークに

は、例え罠だとわかっていてもクルト王子を討ち取ることが出来れば戦争に勝利でき

るため、この誘いには必ず乗ってくるはずだ。しかし、これにはまずバイロンが反対

した。あまりに危険だからである。いくらイザーク軍がすでに主だった戦士たちを失

っているとはいえ、その力は決して侮れるものではない。万に一つ、クルト王子の身

に何かがあれば、この戦いが続けられなくなるのはもちろん、グランベルの王位継承

者がいなくなってしまう。クルト王子に次ぐべきナーガの血を引く者は、いないのだ

から。下手をすれば、内乱にもなりかねない。

 だが、レプトール、ランゴバルトらの賛成もあり、また何よりクルト王子自らの決

定によりこの作戦は実施された。

 戦端が開いてから実に一年以上が経過していた、グラン暦七五八年の秋のことであ

る。

 正直、バイロンも早く本国には帰りたかった。彼の息子であるシグルドが、妻を娶

り、またエバンスの城主となったというのに、彼は息子の晴れ姿も、新しい娘も一度

も見ていないのである。

 そして、バイロンですら望郷の念に駆られているのだから、いわんや兵士達には、

もう戦争に飽いていた。はじめこそ、蛮族討つべし、と意気込んできたが、一年も戦

っているとさすがにその狂熱も冷めてしまう。中には、イザーク人の娘を見初めて、

結婚の約束をしたものもいるという。士気に関わることなので、そういうものは出来

るだけ取り締まっていたが、大軍というものの末端まで管理することは不可能である

ことを、バイロンもスサールも改めて思い知った。

 そうしたいくつもの思惑が絡み合い、結局作戦は実行された。見事に誘いに乗った

――といっても向こうも罠であるのは承知だったのであろうが――イザーク軍と急行

したグランベル軍との間で、熾烈な戦闘が繰り広げられたのである。その戦いは、も

はや騎士と騎士との戦いというような、高尚なものではなく、文字通りただの殺し合

いであった。

 数だけで言うならば、すでにグランベル軍はイザーク軍の十倍に達している。まし

て、今回はかつてのソファラの決戦とは異なり、グランベル側が大軍を動かすのに有

利な地形を選んだつもりだった。一時的に散った各軍が戻ってくるまでのわずかな間、

クルト王子とヴァイスリッターはそのわずかな間だけほぼ同数のイザーク軍を支えれ

ばよかったのである。しかし、イザーク軍の攻撃は熾烈を極め、シアルフィ、ドズル、

フリージの各軍が戦場に戻った時にはすでに乱戦の様相を呈していたのである。こう

なってしまえば、大軍もその有利性を活かすことは困難である。

 その後の戦闘は、もはや目の前に現れた敵を殺し続けるという、凄惨なものであっ

た。しかもイザーク軍はソファラの時と同じく真夜中に攻撃を仕掛け、加えて倒れた

グランベルの兵の軍装をまとってグランベルに敵味方の混乱を招いたのである。

 結局戦いが終わった時、朝陽に照らされた乾いた大地に広がっていたものは、五〇

〇のイザーク兵と、一五〇〇のグランベル兵の骸だったのである。あのソファラ以来

の大被害であった。

 ただそれでも、イザーク軍の戦力は、今度こそ完全に底を尽いた。いや、尽いた筈

である。実際にはまだ多くのイザークの民がいて、戦う力を持つものもいるかもしれ

ないが、だがそれらをまとめ上げられる人物はもういないはずだ。だが。

「あまりにも大きな代償だな・・・」

 はるか彼方まで連なる骸の横たわる大地を見て、バイロンは一人呟いた。グランベ

ルにとっても、イザークにとってもこの戦いはあまりにも得るものが少なかった。い

や、正しくは失ったものが多すぎた。早くからイザークとの講和による戦争終結を主

張してきたバイロンにとっては、ほぼ最悪の結果だったといえる。これでは、おそら

くイザーク王国が再建を果たすまでには、少なくとも十年以上かかってしまうだろう。

一体誰が、このような結末を望んだのか。

「戦争という名の狂気か・・・。恐ろしいものだ」

「は?」

 今の言葉を聞きとがめたのか、横を進むスサールが訊き返してきた。

「なんでもない。それより、陣に戻るぞ」

 シアルフィの騎士は、勝利したというのになぜか抱えている陰鬱な気持ちを吹き飛

ばすように、馬を駆けさせた。そう。もう戦争は終わり、国に帰れるのである。妻や、

愛するものたちのいる故国へ。

 だが、彼らの望みが叶うことはなかった。凄惨なる現実の舞台の幕は、まだ下りて

いなかったのである。今、陰謀という名の陰が、静かに舞台に登場しようとしていた。




第二幕

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ちょっとだけ後書き
 これは現在『剣聖』の続編です。といってもその最初だけですが。本当はこれはマリクル主役の前半、バイロン主役の後半の二部構成の予定だったのですが、いろいろあって、ずっと書いてなかったんです。閉鎖中に一気に書き上げました。ちょっと長いですがお付き合いいただけると嬉しいですm(_ _)m