光墜つ・第二幕



 吹き荒れる風は荒涼たる大地をさらに乾かすかのようにも思える。外で見張りに立

っていると、咽喉すら風が乾かしているようだ。背後ではためく、剣をあしらったシ

アルフィの軍旗と、弓をあしらったユングヴィの軍旗すら、大気が乾燥していること

を示すように、バタバタと乾いた音を立ててなびいていた。

 ふと水を飲みたい、と思ったがこのあたりの井戸は下手をすると屍毒に侵されてい

る可能性があるので、迂闊に飲むことは出来ない。したがって、戦いが始まる前に汲

んでおいた皮水筒のぬるい水を飲むしかなかった。だが、その水を今飲めることだけ

でも、幸運というべきだろう。彼は、生き残ったのだから。

 一緒に立つ見張りを見ると、こちらも水を飲んでいた。やはり咽喉が渇いたのだろ

う。

 戦いが終わって丸一日。しかしその疲れは未だに抜けきってはいない。だが、ここ

でグランベル全軍が気を抜いて休んで、もしまだイザークに戦力が残っていたら今度

こそ殺されてしまうだろう。

「普通なら・・・大敗だよな・・・」

 ふと同僚が呟く。だが、それを責めることは出来ない。先の戦闘だけでもグランベ

ルの戦死者は一五〇〇。常識的に考えて、全軍の四分の一以上の戦死者を出して、勝

ったというほうがおかしいのだ。

 当初、イザーク遠征に派遣された軍は総勢八千余。生きて故国に帰れることになっ

た兵は五千名程度。実に三千以上の兵を失ったのである。用兵の常識からすれば、歴

史的な敗北とされても仕方ない。単純計算で、五人に二人は戦死したことになるのだ

から。

「イザーク人を皆殺しにしないと終わらないかと思ったよ、俺は」

 誰にいうでもなく、もう一人が呟いた。

 彼我の兵力差は四倍以上。最初、この戦争は短期間に、容易に終わるものと考えら

れていた。

 だが、始まってみればイザークの戦士の力は一人一人がグランベルの騎士と互角以

上であり、また、地理的に不案内であるグランベル軍は、まさに神出鬼没としか思え

ないイザークの戦いに翻弄され続け、被害を拡大させてしまったのだ。

 無論この間にも、イザーク軍の兵力は確実に減少してはいた。だが毎回、それ以上

の兵をグランベルは消耗していたのである。

 もし今回の作戦の時、イザークにまだ一〇〇〇以上の軍が残っていたら、あるいは

ヴァイスリッターでも持ちこたえられなかったかもしれない。事実、クルト王子がそ

の神器である光のナーガの力を惜しげもなく使い、なんとか持ちこたえたのだ。

「いずれにしても、これで戦争は終わりだ。俺達も無事帰れるというわけだ」

 安堵のため息を洩らす。故国から遠く離れたこのイザークの地で、死を常に近くに

感じて、それに恐怖することもなくなるだろう。

「お前、国どこなんだ?」

「シアルフィの田舎にあるサジャって村だ。こう見えても、一度は騎士になろうとし

たこともあるんだぜ?」

「ホントかよ」

 貴族ならともかく、平民が騎士になるには、極めて難しいとされるいくつもの試験

を通過しなければならない。それは、並大抵の努力では通ることはない。第一それ以

前に、まずある程度実力を身につけて、貴族や名士の推薦を受けなければその試験を

受けることすら出来ないのだ。

「結局、落ちたけどな。平民出身で騎士になるのは辛いんだよ」

「でもその時の努力のおかげで、今回生き延びたのかもな。無駄じゃなかったんじゃ

ないか?」

「かも知れないな。あと、運かな」

 最初、イザークはわざと敗走して見せていたため、グランベル軍はイザーク兵を弱

兵と侮った。イザーク兵の真の力に当初から気付いていたのは、ごく一部の者達だけ

である。大半の兵士は、イザーク軍を侮り、戦勝気分に浸っていた。

 それは根拠のない自信を生み出し、そして驕りへとつながる。

 その精神的油断を突かれたのが半年前のソファラの戦いである。あの時、グランベ

ル軍は実に一五〇〇以上の戦死者を出し、そしてイザーク軍の戦死者はその八分の一

程度だったのだ。

 また、イザーク王一人を討ち取るのに、クルト王子、バイロン、レプトール、リン

グの各公爵が同時に戦ったといわれている。その事実は伏せられているが、噂という

ものはどうやっても広まるものだ。ただそれは同時に「イザークは侮れない」と、兵

士達の間に緊張感を取り戻させた。

 だが、緊張感を取り戻したところで、個々の能力の差が埋まるはずもなく、土地勘

のないグランベル軍に対して、イザーク軍はグランベル軍が「まさか」と思うような

攻撃を仕掛けてくる。その、長期にわたる戦術は、グランベル軍の士気を著しく減退

させ、脱走者を生み出すほどになってしまっていた。

 事態を重く見た王子、各公爵は脱走者を見せしめに処刑し、そして大きな犠牲を覚

悟の上での、今回の作戦となったわけである。

 また、この戦いに際して、グランベル軍はイザークの兵に対しては、必ず複数で一

人にあたるように徹底した。一対一ではグランベルの兵ではイザークの兵に歯が立た

なかったのである。もっとも、このおかげでクルト王子の部隊は大きな損害を受けな

がらも、イザークの兵も確実に消耗させつつ、援軍を待つことが出来たのだ。

 この戦いで、もっとも被害が大きかったのは無論囮となったヴァイスリッター、そ

して真っ先に駆けつけたシアルフィとユングヴィの軍であった。フリージ、ドズルの

軍はやや遅れてしまったのだが、これが逆に幸いし、イザーク軍の後背を攻撃するこ

ができて、包囲殲滅することが出来たのだ。もっとも、駆けつけるのが遅れた理由に

ついては、明らかにされていない。また、ようやく戦争が終わって帰国できる、とい

時に無駄に波風を立ててイザークに付け込む隙を与える理由もなかった。

「どっちにしても、これで帰れるよ。俺、帰国したら結婚するんだ」

 そういって彼は嬉しそうに同僚に指輪を見せた。銀の質素な、だが上品な装飾を施

されされている指輪だ。ユグドラルでは、結婚の永遠性を象徴するものとして、指輪

が結婚の誓いの際に交わされることが一般的である。これだけは、庶民から貴族まで

変わりがない。

「そいつはおめでとう。いいなあ。俺も帰ったら恋人でも探そうかなあ」

 もう一人がぼやいた。実際、このように大きな遠征に従軍したとなれば、小さな村

などでは、ちょっとした英雄になれる。生き残ったものだけが勝ち取れる、ささやか

な栄冠というわけだ。

「ま、どうせもうしばらくは大きな戦いもないだろうからな。平和な生活を送るさ」

「お前さんは国は?」

「ユングヴィさ。一時期、ひやりとしたけどな」

 無論、ヴェルダン王国のユングヴィ侵攻は、このイザークにも伝わってきていたの

だが、わずかな間にシアルフィのシグルドによってヴェルダンの侵攻が失敗したこと

も伝わってきている。使者が発せられたタイミングが微妙だったため、この二つの報

のタイムラグがわずか二日であったため、ユングヴィ軍は軍を返すことをしなくてす

んだ。

「シアルフィにしばらくは足を向けられないよ。シグルド公子様様だ」

 そのシグルドは、この功績を称えられてエバンスの城主となっているらしい。シア

ルフィの民としては、誇らしい限りである。

 とはいえ、ヴェルダンの蛮族に荒らされたであろう故国を思うと、ユングヴィ兵た

ちはやはり早く帰りたいのだろう。

「どっちにしても数日以内に、グランベルに向けて出発だ。それまでの我慢さ」

「そうだな」

 ちょうどその時、見張りの交代を告げて、次の当番がやってきた。「またな」とい

う声をお互いにかけてそれぞれの陣に戻る。だが、次の彼らの出会いがあまりにも残

酷な出会いであることを、彼らが知るはずもなかった。




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ちょっとだけ後書き
 名前付きキャラ登場せず(笑)
 戦争の、いわば底辺でありある意味中心でもある一般兵士達の話・・・だけで終わってしまった(汗)
 まあいいや。実際戦争なんて指揮官だけで出来るはずもなく(それが出来るのは将棋とかチェスくらい)こういう普通の兵士達が下を支えてこその戦争なんですよね。まだ陰謀とかは見えてきていませんけど、そろそろですね。ちまちま書いているし、実は一話あたりは前よりかなり短いので、結構話数だけは多いかもしれません。
 次はいよいよランゴバルト&レプトール登場・・・かなあ。にしても前回、今回は人死にがないですね。ま、この先に期待を(何をだ・爆)