剣聖・後



 イザークの攻撃は、これまでにない規模であった。文字どおり、闇の中から襲いかかってくる。半月のもたらすわずかな光と、野営の松明の明かり。イザーク人にはそれで十分な明かりであった。
 グランベル軍はまさか敵が明かりを全く灯さないまま、肉薄してくるとは思っていなかったため、その初期の攻撃で大きな被害を出した。また、イザークの戦士の力は非常に高く、兵力差を感じさせない。
 だが、それでも人数の差は大きい。グランベル軍が態勢を立て直せば、勝負になるはずはなかった。しかし、イザーク軍の狙いは、その態勢を立て直す、わずかな間に隙が生じさえすれば、それで良かったのである。
 マリクルは初期の攻撃には参加していなかった。狙うはただ一点。遠征軍総司令官クルト王子。彼を倒せば、少なくともグランベルは遠征軍を引き返せざるを得ないだろう。それこそが、イザークのただ一つの勝機だった。初期の攻撃の混乱に紛れて、マリクルは、一気にグランベルの本陣へ向けて、疾走する。
 刹那、マリクルは危険を感じて横へ飛びのいた。そこへ、凄まじい音とともに、巨大な斧が叩き付けられる。地面が、粉々に砕かれ、まるで流星が落ちたようにえぐれていた。
「ハッハッハ。やはりきおったか。イザーク王。わしの名はランゴバルト。そして……」
 ランゴバルトが手をかざすと、とても人が持てるようには見えないその斧が、ふわりと浮きあがり、ランゴバルトの手に戻る。
「これが聖斧スワンチカ。いまさら自己紹介もないな。貴公に直接の恨みはないが、ここで死んでもらう!」
 言うが早いか、ランゴバルトは再び聖斧を投じた。風を殴るような音をたてて、スワンチカが飛来する。マリクルは再び横に飛んで避けた。
「逃げてばかりでは何も出来まい。さあ、その名高き神剣を抜いたらどうだ」
 マリクルはまだ、神剣バルムンクを抜いていなかった。抜き身で持っているのは、鍛鉄で作られた大剣である。
 無視していける相手ではなさそうだった。だが、ここで時間を取られては、全てが水泡に帰す。しかしまた、迷っている時間も惜しかった。
 マリクルが意を決して神剣を抜こうとしたとき、横合いから、何者かがランゴバルトに斬りかかった。だが、ランゴバルトは焦りもせず、平然とその攻撃を受け止める。
「ふん。聖戦士の力も継がぬものが、このわしと闘うつもりか!」
 受け止めた攻撃を、こともなげに弾き返す。斬りかかった者は、素早く間合いを取った。
「アーディル、無茶だ。お前の勝てる相手じゃない。逃げろ!」
 斬りかかったのは、ソファラ公ラザンの息子、アーディルだった。剣才は確かにある。だが、今回は相手が悪すぎる。
 しかし、マリクルの声より早く、ランゴバルトはアーディルに、斧を振り下ろしていた。しかし、それは空を斬った。アーディルは素早く避け、大降りの斧の弱点である攻撃直後の不安定な、体勢を崩したところを狙いすましたのだ。間違いなく、致命傷を与えられる威力と、間合い。しかし、響いた音と手に伝わった衝撃は、完全に期待を裏切った。
「な……!」
 衝撃に腕がしびれる。いかに鋼造りの鎧であろうとも、人が着て動けるように作られている以上、その強度にはおのずと限界がある。先ほどの間合いからの一撃に、耐えられる鎧などあるはずがない。
「たいした技量だ。だが、わしを倒すには、威力がなさ過ぎるな。この聖斧スワンチカの力を、なめてもらっては困る」
 ランゴバルトは、今の一撃に、まるで動じた様子も見せず、平然と斧を構え直した。アーディルは、まるで信じられないものを見るようにランゴバルトを見上げる。
 アーディルは急いで剣を構え直す。しかし、その切っ先は微かに震えていた。
 恐怖。戦場において、もっとも恐るべき存在をアーディルは今感じていた。
 戦場において恐怖を抱かないことは、不可能である。だが、その恐怖を乗り越えて、戦わなければならない。それが、戦場だ。
 しかし今、アーディルはその恐怖に呑まれてしまっている。目の前の、斧戦士ネールの力を受け継ぐ聖戦士の力を目の当たりにし、自分の死を確実なものとして、感じているのだ。無理もない。彼にとって、これは初めての戦場なのだ。
「アーディル、逃げろ!」
 マリクルが叫ぶ。だが、アーディルには、もはやその声すら聞こえていないようだった。
 ランゴバルトは残忍な笑みを浮かべたまま、その巨大な斧を振り上げた。マリクルが駆け寄ろうとするが、間に合うタイミングではない。
しかし、斧はまたもや地面を砕いただけだった。
「よくよく邪魔が入る……」
 ランゴバルトは、自分の前に新たに出現した剣士をにらんだ。
「ラザン殿!」
「マリクル王。こいつは私にお任せを。王は早く中央へ!」
 ラザンはそう叫ぶと、剣を構え直す。
「たいした技量だな。このスワンチカの一撃を、受け流すとは。名を聞いておこう。そこの腰抜けより、相手になりそうだ」
 ランゴバルトは、ゆっくりと斧を地面から引き上げる。常人では持つことすら出来そうにないこの斧を、ランゴバルトは片腕で楽々と持ち上げる。
「イザーク王国、ソファラの公爵、ラザンだ。この子は私の息子だ。戦場は初めてでな。無様なところを晒してしまったようで、失礼した。貴公はグランベル王国ドズル公国公主、ランゴバルト卿だな?」
 ラザンはそういうと剣を水平に構えて、その切っ先をランゴバルトに向ける。ランゴバルトは、その動きに、何か油断ならないものを感じ、斧を構え直した。
「こんな田舎の蛮族が我が名を知っておるとはな。いかにもわしがドズルのランゴバルトだ。だが、それを知ってなお、わしと戦う気か?」
「生憎と、我らには後がないのでね」
 ラザンはそう言いながら、じわじわと間合いを詰める。ランゴバルトは悠然と構えていたが、その眼光は、武人のそれになっていた。
「マリクル王! ここは私にお任せを!」
 ラザンはそう叫ぶと同時に、ランゴバルトに斬りかかった。渾身の力を込めた一撃。だが、ランゴバルトは、その斬撃を易々とスワンチカで受け止め、そのまま押し返す。
「すまない、ソファラ公!」
 マリクルはそのままランゴバルトの横を駆け抜け、その戦場を去った。ランゴバルトは、一瞬その背にスワンチカを投げようとしたが、何故か躊躇し、その間にマリクルの姿は見えなくなった。
「まあよい。どうせ奴も生きてはおるまい。聖戦士3人同時に相手にするなど、愚かな奴よ」
 ラザンは油断なくランゴバルトを見る。隙があるように見えて、ない。聖戦士の末裔、というのはやはりだてではない。
「お前が聖戦士、というガラか。策謀に乗せられる狂戦士の方が様になるぞ」
 別に大した効果を期待したわけでもない挑発だった。だが、それに対する反応は予想以上だった。
「きさま、わしを愚弄するか!」
 言葉と攻撃が同時に迫る。ラザンはかろうじてそれを後ろに飛んで躱した。
 人は図星を突かれたとき、必要以上に激昂するという。普段から狂戦士といわれることを気にしているのか、あるいは。
 しかし、余計なことを考えている余裕はない。ランゴバルトの攻撃は、これまでの、余裕を持った攻撃ではなく、連続的に凄まじい速さで繰り出されてきた。
 あの巨大な斧を振り回すだけでも、戦士としては称賛に値する。しかし、いくら人並みはずれた力でも、斧の弱点である攻撃の間隔はなくせるものではない。ラザンが狙うのは、その一点だけだった。
「もらった!」
 ラザンの斬撃が、ランゴバルトのわき腹を直撃した。しかし、かすり傷すらついていない。むしろ、斬りつけた方の手が痺れている。まるで、鉄の塊を斬りつけたような、そんな感覚だった。
「大した技量だな。さすがはイザークの戦士と、誉めてやろう。だが、きさまらの力では、いくらやったところで、このわしには傷一つつけられはせん。わしに、イザークの戦士は勝つことなど出来んのだ」
 ランゴバルトは勝ち誇ったように言うと、スワンチカを再び振り上げ、襲いかかってきた。ラザンは素早くそれを避ける。
「なるほど。イザークの戦士では勝てぬというか。だが、貴公こそ、イザークの戦士を甘く見てはいないか?そのスワンチカを破る力を、イザーク人が持っていないと思っているのか?」
「戯言を!」
 スワンチカの一撃が振り下ろされる。ラザンは、それを剣で受けた。まともに受ければ、剣は粉々になる。ラザンは、剣の角度を変え、スワンチカの刃を滑らせる。スワンチカは、威力はそのままに、わずかに軌道を変えられてそれ、地面を砕いた。ラザンの前に、無防備なランゴバルトがあった。
 だが、ランゴバルトには自信があった。物理的な剣の攻撃で、スワンチカの守りを貫くことは不可能である。同じ神器の攻撃ならともかく、相手が持っているのは、ただの鍛鉄で造られた大剣だ。しかし、その油断こそが、ラザンが狙っていたものだった。
 刹那、光が生まれた。蒼い、まるで月の光を映したような蛍火。それが、一瞬で剣に集約される。
「な………?」
 ランゴバルトは、自分の鎧が斬り裂かれるのを、見た。まるで紙でも斬るように、ラザンの剣はランゴバルトの鎧と肉体を斬り裂いた。
「が……ば、ばかな」
 ランゴバルトは片膝をついた。その口からも、わずかに血が漏れる。
「イザークの祖、剣聖オードが編み出せし秘剣の一つ、月光剣。すべてのものを斬り裂く、我がソファラに伝えられし秘剣よ。いかにスワンチカの守りが堅かろうと、この技の前では無力だ」
「が……き、きさま……」
 ランゴバルトは、スワンチカを杖代わりにして立ち上がる。並の戦士なら、致命傷になってもおかしくはない一撃だが、ランゴバルトは、その生命力もまた、並ではなかった。
「まだ動けるとはさすが。だが、次の一撃には、耐えられまい」
 ラザンは、ゆっくりと切っ先をランゴバルトに向けた。ランゴバルトは、斬られた右わき腹が痛むのか、左腕だけで斧を構えた。右腕は、わき腹を押さえている。
「とどめだ!」
 ラザンは一気に間合いを詰める。ランゴバルトが、スワンチカを振り下ろすが、それを完全に見切り、再び間合いの内側に入った。再び蒼い光が生まれた。刃が、ランゴバルトの鎧に食い込んでいく。
 勝った。ラザンはそう確信した。しかし、それがわずかな油断につながった。ラザンの斬撃は、ランゴバルトの鎧を切り裂いてはいたが、体には、わずかに届いただけで止まっていた。ランゴバルトの右腕が、ラザンの左手首を掴んでいたのである。いかに月光剣といえど、刃が届かなければ、意味はない。
「た、大したものだ。侮っていたこと、詫びねばなるまいな!」
 鈍い音が響く。
「ぐあああ!」
 ラザンは剣を落とし、その場に崩れ落ちた。左の手首は、関節のないところが曲がっていた。
「貴公の名、忘れずにおこう。ソファラのラザンだったな」
 ランゴバルトは、スワンチカを振り下ろした。
「うわあああああ!」
 いきなりの声に、ランゴバルトは驚いて顔を上げた。先ほどの剣士がいきなり突っ込んできた。ランゴバルトは、痛みで一瞬対応が遅れる。だが、その一撃は、スワンチカの守りを斬り裂く力はなかった。アーディルは衝撃で、逆に吹き飛ばされ、尻餅をつく。
「……アーディルとか言ったな。父の後を追うか。それも良かろう」
 スワンチカが、再び振り下ろされた。

 マリクルは、すでに何人の敵と戦ったか、覚えていなかった。しかし、彼自身はまったくの無傷である。彼の剣の前には、死以外の何者もない、とすら思えるほどであった。すでに、グランベル軍で、彼の前に立ち塞がるものは、ほとんどいなかった。しかしそこへ、何人目かの、敵が立ち塞がった。しかし、マリクルはそこで足を止める。
「ついに出てきましたか。シアルフィのバイロン卿」
 マリクルは油断なく剣を構えた。しかしその剣は、ごく普通の大剣だった。もう血に濡れて、黒く変色してしまっている。
「ただの剣でこの聖剣ティルフィングに対するつもりか? イザークの王よ」
 バイロンはそういうと、腰に佩いた剣を抜き放つ。わずかな月の光と松明の明かり。それだけのはずのここにあって、まるでそれ自身が輝いているかのように、その剣は美しい輝きを放っていた。
 聖剣ティルフィング。神器三剣の一振り。グランベル王国シアルフィ公国に代々伝えられる、聖剣である。
「出来ることなら、あまり神剣は使いたくはない。オード以来、神剣は一度も戦いに使われたことはないのだ。私がその封を、解いてしまうのには、少し抵抗がある……」
 マリクルはそう言って、大剣を構える。周りはすでに、グランベル軍に囲まれていたが、ただ固唾を飲んで見守っていた。誰一人として、手を出してはいけない、そんな雰囲気がこの場にあった。
「我が名はグランベル王国、シアルフィ公国公主、バイロン」
「私はイザーク王国の国王、マリクルだ……」
 マリクルは、剣をゆっくりと構え直した。
「参る!」
 言うが早いか、マリクルは飛んだ。突如、光が生まれた。淡い、蛍火のような、翡翠色の光。
 イザーク王家の秘剣、流星剣。息をつかせぬ、連続攻撃を繰り出す秘剣である。ここまで、グランベルの兵士、騎士で、この攻撃を凌げたものはいなかった。しかし。
 バイロンはその全てを聖剣で受けきった。さらに、攻撃が終わった直後の隙に、反撃を繰り出してくる。マリクルはかろうじてそれを避けた。宙に流れたマリクルの髪が、わずかに宙を舞う。
「イザークの秘剣、流星剣か。噂ほどではないな。伝説に謳われる流星剣とは、この程度のものか」
 バイロンは平然と言い放つ。実際、彼は流星剣のすべての斬撃を見切っていた。
「……やはり、聖剣相手に、ただの武器では勝ち目はない、か……」
 マリクルは大剣を放り投げた。乾いた音をたて、剣は地面に落ちる。そして、神剣の柄に手をかけた。
「ここで私が負けるわけにはいかない……」
 マリクルは、一気に神剣を抜き放った。白銀の刀身が、聖剣にも劣らない輝きを放つ。周囲からは「おお」というどよめきが起きる。
 神器対神器。かのレンスターの地では、幾度か天槍対地槍の戦いがあったという。その戦いは、言語を絶すると言われている。しかし、ほとんどのグランベル兵にとって、神器同士の戦いは、初めて見るものであった。
 バイロンの方は、それほど嘆息している余裕はなかった。伝承どおりだとするならば、バルムンクを持ったオードは、風使いセティと並び、他のすべての聖戦士に恐れられた存在である。マリクルの実力が、どれほどのものかは、分からない。しかし、先ほどの攻防が、参考にならないことは、バイロン自身が一番良く知っていた。
 聖痕をもつ、神器の継承者達は、神器を持ったとき、まさしく神のごとき力を発揮する。自分とてそうである。先ほどの流星剣は、確かに容易に見切ることが出来た。だが、神剣による流星剣が、果たしてどれほどのものか、バイロンにも想像はつかない。
「あなた一人に時間をかけているわけにはいかない。悪いが、すぐに終わらせてもらう」
 マリクルが動いた。まるで、風のように。
 バイロンは決して油断していたわけではない。しかし、気付いたとき、マリクルに後ろを取られていた。その斬撃を防げたのは、多分に幸運の神が、彼に味方したからだろう。
 聖剣と神剣がぶつかる。その激突の音すら、ある種の音楽的な美しさがあった。その次の瞬間、マリクルの姿は、そこにはなく、バイロンはマリクルの姿を見失う。刹那。一瞬にも満たない間。だが、それは致命的な隙である。
 もう一度、バイロンがマリクルを視界の端に捉えたとき、すでに斬撃は繰り出されていた。しかし、その斬撃はバイロンをとらえることはなかった。
 代わりに、マリクルのいた場所の地面に、小さなな雷撃が穴を穿っている。
「レプトール卿! 一騎打ちゆえ、手出し無用!」
 マリクルはすでに、十歩以上の間合いをあけている。レプトールと呼ばれた、重甲冑を纏った男は、マリクルの方を見たまま、バイロンに答えた。
「そのまま討たれてよろしいのか。貴公一人の私闘ではないのだぞ」
 バイロンは、それには何の反論も出来なかった。敵の狙いが、自分達継承者を討つことにある以上、一騎打ちで倒されるのは、相手の思うつぼである。
「止むを得ぬか……」
 バイロンは憎々し気にレプトールを睨んだが、同時に、彼の言うことの正しさを、認めざるを得なかった。
 マリクルの強さは、想像を遥かに超えていた。聖戦叙事詩の中の、オードの力は、確実に今、目の前にある。そう認識せざるを得なかった。同時に、何故、他の聖戦士達が、オードを恐れたのか、それが分かったような気がした。
 強すぎるのだ。かつての聖戦のとき、ロプト帝国の皇帝、ガレを倒したのは、聖者ヘイムだった。それは、ガレのもつ特殊な力に対抗できるのは、光神ナーガの力を与えられた、ヘイムだけだったからと云われている。だが、本当にそれだけか。公式記録には、オードについての記述はほとんどない。これだけの力がありながら、それは何故か。答えは既に出ていた。
「二対一か。ちょうどいい。二人同時に倒せるのならば、手間が省ける」
 マリクルは不敵にも、そう言い放つと、ゆっくりと間合いを詰め始めた。
「剣士風情が、わがトールハンマーの力を思い知るがよい!」
 レプトールの前に雷球が出現した。そこから、一条の電光が走る。見切ることすら困難なその一撃を、マリクルは造作なく避けた。そのまま、一瞬で間合いを詰め、レプトールに斬りかかる。レプトールは、かろうじて、その一撃を盾で受けた。凄まじい衝撃が伝わってくる。盾を跳ね飛ばされないように、必死に足を踏ん張った。
 だが、その時すでに、マリクルは盾の前にはいなかった。
「レプトール卿!」
 バイロンの声は、後ろからだった。驚いて振り向くと、バイロンがバルムンクの一撃を、受け止めていた。マリクルは素早く後ろに飛び、トールハンマーに備える。
「な……なんだあの速さは……」
 レプトールが驚愕の表情を浮かべる。トールハンマーをいとも簡単に避け、しかも、一瞬で後ろを取られた。バイロンがいなかったらどうなっていたか、想像に難くない。
「残念だが、我ら一人一人では、かの王には対抗できん。想像以上の強さだ」
 バイロンの声には悔しさが混じっていた。戦士として、しかも聖戦士の末裔として、相手が勝っていることを認める、というのはある種の屈辱である。
「どうやら、そのようだな。まさか、貴公と協力せねばならぬとは思わなかったが」
 レプトールは、やや皮肉気に言う。
 正直、マリクル王がここまで強いのは計算外だった。レプトールは、内心で舌打ちをする。
 この、イザーク戦争で、イザークを滅ぼすことは、彼らの計画においては、重要なことではあるが、彼らの精神的なウェイトの置き方は小さかった。むしろ、戦争の勝敗が決まった後にこそ、彼らは重要なことを企んでいた。イザークなど、この圧倒的軍事力をもってすれば、容易に滅ぼせる、と思っていたのだ。たとえ、オードの後継者であるマリクルでも、神器の継承者が四人もいれば、楽に勝てると思っていた。
 しかし、その認識が誤りであることを、レプトールは認めざるを得なかった。
「背中合わせで、攻撃に対処する、か。だが攻勢に転じなければ、私は倒せぬぞ?」
「おのれ!」
 レプトールが再び雷球から雷を放つ。だが、それは、むなしく地面を撃った。土煙が上がり、視界が悪くなる。
「くっ!」
 バイロンはかろうじて斬撃を止めた。レプトールが、そこへ雷撃を放つ。しかし、それはまた虚空を貫いた。
 そこへ、凄まじい光の渦が叩き付けられた。それは、地面をえぐり、巨大な穴を出現させる。
「ようやく出てこられたか……」
 その穴の端に、マリクルはいた。そして、その光を放った者を見据える。およそ、戦士とは思えないような、ゆったりとした服。しかし、その人物は、眩いばかりの黄金色の光に包まれていた。
「イザークのマリクル王ですね。私はグランベル王国王太子、クルト。出来れば、別の形でお会いしたかったが……」
「我が王を謀殺しておいて今更何を言う。すでに我らの意志は、グランベル全てを拒む!」
 言うと同時に、マリクルはクルトへ斬りかかった。だが、クルトは、およそその風体からは信じられないような速さで、その斬撃を避ける。彼を包む光が、天へ舞い上がり、それが光り輝く竜を形作った。
 竜の口から、光が放出される。それは、寸分違わず、マリクルの頭上へ降り注がれた。
 再び、凄まじい爆音と共に、大地に大きな穴が出来た。クルトは、静かにその穴の端へ目をやる。マリクルはそこにいた。
「さすがは聖者ヘイムの力を受け継ぐ方だ。やはり、使わざるを得ないか」
 マリクルは、バルムンクを構え直す。マリクルの周囲に、小さな光が浮かび上がった。
「殿下! 避けて下さい!」
 バイロンが、半ば絶叫する。それがなければ、クルトはおそらく死んでいただろう。
 光が、流れた。
 無数の、まさに流星雨のような、光。その全てが斬撃であった。
 避けられたのは、奇跡と言ってよかった。それでも、数撃がかする。クルトの肩口から、腕から、鮮血が飛び散った。
「殿下!」
 バイロンが慌ててクルトとマリクルの間に入る。レプトールもそれに続いた。
「レプトール卿、殿下の治癒を!」
 バイロンに言われるまでもなく、レプトールは治癒の魔法を使っていた。まだ、クルト王子に死んでもらうのは、早すぎるのだ。少なくとも、イザークとの戦争で、勝利を決定付けてからでなくては。
 しかし、そのためには、イザーク王を倒さなければならない。だが、倒せるのか。そう考えたとき、レプトールは背筋が寒くなった。聖戦士が三人揃って、一人の聖戦士に圧倒されている。こんなはずではなかった。だが、現実として、自分達は圧倒されている。その事実は、認めざるを得なかった。
「レプトール卿、もういい」
 クルトは、そういうと立ち上がった。
「まさか、これほどとはな。あまり、なりふりかまってはいられないな」
 マリクルは、油断なく三人を見ていた。まだ、三人の連携は上手くとれていない。だが、あの三人に完全に連携を取られでもしたら、勝ち目はない。
 それに、そのうちランゴバルトも来るだろう。いかにラザンの力でも、ランゴバルトを討つのは至難だ。むざむざと敗れはしないだろうが、それでも、勝つのは難しい。とすれば、マリクルとしてはその前にクルト王子を倒さなければらなかった。
「悪いが……相談させる時間をやるわけにはいかない!」
 マリクルは再び流星剣を繰り出した。バイロンがその前に立ち塞がる。だが、マリクルはかまわずにそのまま剣を振り下ろす。
 無数の流星雨のごとき斬撃がバイロンを襲った。その斬撃は、先ほどの流星剣とは、速さも、重さも、その斬撃の数も全く違っていた。
「ぐああ!」
 バイロンは大きく吹き飛ばされた。ティルフィングが宙に舞う。しかし、そのおかげで傷は最少ですんだ。
 そのマリクルへ、光のブレスと雷撃が同時に襲いかかる。しかし、それは両方ともかすりもしない。その直後、クルトの左腕と、レプトールの肩口から、血が吹き出した。
「く……この化け物め」
 レプトールはマリクルを睨む。だが、一瞬後にそこからマリクルの姿は消えた。
「上だ!」
 バイロンの声に反応し、視線だけ上を向いた。すでに、淡い翡翠色の光が流れている。レプトールもバイロンも、クルトも体勢を立て直す時間はない。
 魔道書から力を引き出そうとするが、それより先に確実に流星剣が炸裂する。
 二人は、敗北を覚悟した。だが、その直後。
 突然、マリクルが空中で態勢を崩し、そのまま落ちた。その背には、深々と一本の矢が突き刺さっていた。矢を射たのは、リング卿だった。
「背後から射るとはな……さすがは卑怯なグランベルだ……」
 マリクルは苦痛に歪んだ顔をしながらも、なおも立ち上がってきた。しかし、その足はすでに震えている。
「卑怯と言われようが、クルト王子を殺させるわけにはいかぬ。騎士として、恥ずべき行為であったことは重々承知。この罪は、必ず裁かれよう」
 リングはそういうと、クルトの元に駆け寄った。そして、治癒の魔法を使い、クルトと、レプトールを癒す。
「いや、あなたの行動は、騎士としては正しいのでしょう。主君を守るためにあえて汚名を着る。戦士ではなく、騎士としては正しいといえる」
 マリクルの言葉は、すでに弱々しく、矢の一撃がどれだけ効いているか、を如実にあらわしていた。聖弓イチイバルの一撃ではないとはいえ、弓神ウルの力を受け継ぐ者の一撃である。傷の位置からすると、矢は、確実に急所を貫いていた。動けることが、いや、生きていることすら信じられなかった。
「だが……私は負けるわけにはいかない!」
 マリクルが再び突っ込んできた。だが、もう以前の速さはなかった。繰り出されてきた一撃も、流星剣ではなく、速度も重さも著しく落ちていた。
「すまん……許せ……」
 バイロンは、その一撃を受け止め、そのまま大きく弾き返した。神剣が宙を舞う。その衝撃で、マリクルは吹き飛ばされた。そして、もう動かなかった。

 イザーク王マリクル戦死。
 この報が流れると、イザーク軍の士気は著しく低下した。しかし、それでもなお、イザーク軍は自爆的な攻撃に出ることなく、整然と撤退した。
 翌朝、日が昇るとそこには凄惨な光景が広がっていた。この日の夜襲での死者の数は、イザーク軍二〇〇に対して、グランベル軍一六〇〇。数の上ではグランベル軍の大敗である。しかし、この戦いで、イザークはマリクル王をはじめとする、指導者のほとんどを失った。


 この後、イザークでの戦争が終了するまでには、なお半年を必要とした。
 イザークの民は、最後の最後まで頑強に抵抗し、グランベル軍は、さらに二〇〇〇もの兵を失うことになる。
 しかし、これはまだ、これから始まる悲劇の、序章でしかなかった。そして、そのことを知る者は、まだ、あまりにも少なかった。


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