今がいつもより賑やかだといわれても、初めて来た少年にそれが分かるはずはない。もっとも、普段からこのように騒いでいるとしたら、とんでもないことであり、そう考えるとやはり普段よりは賑やかなのだろう。実際、かなり大掛かりな祭りが開催されているのだ。 年相応の好奇心、というやつを抑えるのにはやはりまだ苦労する。生まれて初めて来た街で、しかもこれほど賑やかに、楽しそうにしている街並みを見て、心が浮き立たない方がどうかしているだろう。だが、それでも少年と共に来た老騎士は普段と変わった様子はない。年の功、というやつだろうか。 「ふむ、いかにお前でも心踊るか。まあ仕方あるまい」 少年の心を見透かしたように、老騎士が言う。少年はびっくりして、思わず自分がひどく背徳的なことをしてしまったかのような気持ちになった。 「ははは。無理もないわ。この老体とて、これほど賑やかだと、訳もなく心が躍る。我がレンスターの収穫祭でもこうはいくまい。とりあえず、成すべき事だけは終わらせるとしよう。よい時期に来たものだ。いや、だからこそ殿下がこの街に来られるのかな」 堅物だとばかり思っていたこの老騎士から、こんな言葉が聞けるとは思ってもみなかった。ちょっと、意外な面を見れた気がする。その少年の視線に気がついたのか、老騎士は歩調は緩めないまま口を開いた。 「私とて木石ではない。祭りとなれば、人並みの楽しみ方をするわ。……まあお前の前ではあまりそういうことはしないようにしておったがな」 心を開いてくれた、ということなのだろうか。あるいは、ある程度認められたということなのかもしれない。その認識は、少年には嬉しいし、また誇らしくもある。 そうこうしているうちに、目的地に着いた。が、情けないことに、少年はあんぐりと口を開けて佇んでしまった。老騎士も、表情こそ変えていないが心境としては同じようなもののようだ。 「ここ……ですよね、シグルド公子が紹介された宿」 少年の言葉に、老騎士はかすかに頷いた。確かに、宿名は同じである。それにしても。宿というよりまるで貴族の邸宅のようだ。磨き上げられた白亜の壁は、陽光を受けて美しく、かつ柔らかい光を放っているようにも見える。そこかしこにあるバルコニーには、きれいな花々が植えられていて、正直、下手な貴族の邸より豪華だ。 とにかく、といって老騎士は宿に入っていった。だが、そこでもまた、呆気に取られることになる。大理石と、様々な調度品が、落ち着いた、それでいて荘厳とも思える空間を創りあげていたのだ。 「正直、レンスター城より立派だな、これは」 そういって老騎士は苦笑した。ややあって、宿の使用人らしき者が近寄ってきて、用件を聞いてくる。老騎士はそれに受け答えをすると、やがて宿の受付に案内され、必要な手続きを取った。簡単な手続きと、あと相当額の金貨。フィンなどからして見たら、びっくりするほどの大金だが、今回は王から直接金を預かっているので、彼らの懐は痛まない。 「さて、キュアン王子が来られるのは予定だと明日だからな。我々も自分達の宿へ向かうとしよう」 その意見に、少年はもちろん賛成だった。正直、ここまで豪華だとかえって居心地の悪いものである。 |
彼らの宿も、もちろん予め連絡は入れてはおいた。この時期、このミレトスでは大きな祭り――ミレトス大橋建設100年祭――が催されているため、突然で宿など取れないのである。もっとも、だからこそキュアン王子はここに、後一人を伴ってくるのだろうが、それにしても手配を依頼してきたシグルド公子自身のことはどうなのだろうか、と老騎士は他国の公子の事ながら考えてしまう。 二人の宿は、こちらはごく普通の宿であり、二人を安心させた。無論、そういうのを選んだつもりだったのだが、ああいうのを見た後だと、この街の宿が全てそうなのではないか、という錯覚を覚えてしまう。 「はい、マイセン様とフィン様。確かに、ご連絡を頂いております」 対応自体は先ほどの宿と変わらないのだが、やはり場の雰囲気というのは印象を左右する。もっとも、二人には、特に少年にはこの方が馴染みやすかった。 部屋の場所だけ聞いて、一度荷物を置くために部屋に入る。寝台が二つ。そのうちの一つに身を投げると、一気に疲れが来た。実際、レンスターからミレトスは近くはない。それに、これだけ長い距離を旅したのも、少年には初めてであった。 「情けないな、フィン。私より若いというのに」 「マイセン様。そうは言っても私は長旅は初めてですから……」 フィンは抗議するがベッドに突っ伏したままではあまり様にならない。ただ、疲れきっている、というのだけは伝わるだろうが。その時、扉のノックされる音が部屋に響いた。 「はい、どなたでしょうか」 フィンが慌てて立ち上がって応対する。疲れているとはいっても、自分はまだ騎士見習い。今はレンスターの誇るランスリッターの長を務めるマイセンに、客の応対などさせるわけにいかない。だが、扉の向こうから響いてきた声は、フィンを無視していた。 「マイセン、お前だろう。俺だ。ラーガだ」 その声で、マイセンは驚いて立ち上がり、扉を開けた。立っていたのはマイセンとほぼ同年代の、髪に白いものの方が多くなり始めた、がっしりとした印象の男だった。 「ラーガ、お前、ミレトスにいたのか」 フィンにはさっぱり話は見えない。少年の顔に疑問符がいくつか浮いた状態を無視して、二人はしばらく話し込んでいたが、途中でマイセンがフィンに気付いて「すまん、忘れていた」と言ってから説明をしてくれた。 「この男はラーガといってな、私がランスリッターに入った頃からの友人だ。ただ旅から旅の生活をしている奴なので、滅多に会えなかったがな。お前も、この祭りに合わせてここに来たのか?」 ラーガはうなずいて、宿に入る二人を見つけたからもしや、と思って訪ねたのだといった。 「というか、実は俺もこの近くの宿に泊まっているんだ。まあお前同様、連れの子供がいるがな。その子は、お前の子……いや、孫か?」 ラーガはフィンを指す。 「ならいいのだが、残念ながら、違う。この子はレンスターの騎士見習いだ。キュアン王子に付いている」 「ほう」 ラーガは感心したような声を上げた。一国の王子に付く騎士見習い――従卒ともなれば、かなりの家柄が要求される場合が多い。いずれは、王の片腕となるべき人物などがが普通だ。 「色々訳ありでな。お前の連れというのは?」 「まあさる方から預かったんだ。この祭りを見に行かせてやりたい、ということでな。……そうだ。年齢近いからこの子に相手してやってもらえないか?正直、持て余し気味なんだ」 そういったラーガの声は、確かに心底困っているような感じがあった。フィン自身としても、自分と同年代の友人の方が、一緒に祭りを楽しむのには嬉しいが、だが本来自分はキュアン王子を迎えに来たのであって、祭りを楽しむのは二の次だ。 「そう堅く考えるな。まあ明日はキュアン王子が来られるし、もう遅いから……。明日、お前の泊まっている宿に行こう。久々に酒でも酌み交わそう」 前半はフィンに、後半はラーガに向けられた言葉である。ラーガも、それに同意して、帰っていった。 「半分は息抜きも含まれているんだ、今回は。私もいつも気を張っているとさすがに疲れるからな」 マイセンはそういうと自身もベッドに座り込んだ。実際、60歳近いマイセンは、フィン以上に疲れていたのである。 「明日には王子は来られるはずだ。その後は、しばらくお前も祭りを楽しむといい。実際、お前に年相応の楽しみなど、全く与えてやれなかったからな」 その声には、わずかに謝罪の響きが感じられた。だが、フィンはこれまで一度も、自分の運命を呪ったことはない。両親を、祖国を失いながら、それでも生きてこれたのはキュアン王子のおかげであり、騎士としての道を進めたのはマイセンのおかげである。 「マイセン様、私は……」 だがすでに、マイセンは静かな寝息を立てて休んでいた。よほど、疲れていたのであろう。すでに空は落日の色に染まり、高台にあるこの宿からは、街のあちこちに灯火がまるで星のように見える。まだ、人々は騒ぎ足りないのか、あちこちから聞こえる賑やかな歌や演奏、語りの声は、夜遅くなっても止むことはなかった。 |
翌日。 昼前に到着したキュアンと、それから一緒に来ていたシアルフィの公女エスリンには予想通り大層驚かれた。もっとも、誰でも驚きはするだろう。あの様子だと、シグルド公子が宿を取るように手配していたことも知らないかもしれない。 いずれにせよ、あとは祭りが終わるまでの3日間、マイセンとフィンは時間が空く。なにか、本当に急を要することがあったらそうは言っていられなくなるが、そんなことがあるとも思えない。 そういうわけで、二人はラーガが泊まっているという宿へ、足を向けた。 ラーガが泊まっている宿は、キュアン達が泊まっている宿ほどではないにしても、相当立派なものだった。一瞬、間違えたのかとも思ったが、教えられた宿は確かにここである。 入ると、すぐ宿の人が来て、用件を話すを「少々お待ち下さい」と言ってフィン達にはロビーにあるソファを勧めると、奥へ戻っていく。 ややあって、ラーガと、もう一人がロビーに現れた。そのもう一人は、背はフィンと同じ位で、確かに同じ年だとは思うが、しかしそれでもフィンはびっくりしていた。女の子だったのである。 輝くような美しい金色の髪と、白い肌をした、細い面持ちの女の子は、優雅にフィンに会釈した。 「あ、レンスターのフィンです。その、はじめまして」 考えてみれば、同世代の女性――というよりは女の子――と会うのは久しぶりである。無論、レンスターにもフィンと同世代の女の子は多い。だが、騎士見習いであるフィンとは、あまり接する機会はない。実はフィンは貴族の子女の間では人気があるのだが、本人がそれを知る機会がないため、全く知らない。 「ラケシスです。よろしく」 まるで小鳥のような声だ、と思ったのはフィンだけではないだろう。 「怪我だけはさせないようにな。あと、今は澄ましているが、実はお転婆だから気をつけてくれ」 その言葉に、ラケシスが反応する。 「ひどい。いきなり初対面の方にそんなこと言わなくてもいいじゃないの」 そう言いながら頬を膨らませている。ただ、フィンにはその表情の方が生き生きしているように見えた。 「どうせすぐばれるんだからいいだろう。さてと。それじゃ」 ラーガとマイセンはそれだけ言うと立ち去っていった。多分、昼から酒を飲むつもりなのだろう。マイセンは、普段の生活も厳格で、あまり酒などは飲まないのだが、実は無類の酒好きでもある。宴などでは一番飲んでいるだろう。ただ同時に、大変――フィンの目からすれば異常と思えるほど――酒に強い。ただ、あの様子だと二人とも酒好きのような気がする。今は祭りであり、昼から飲む場所には困らない。多分相当遅くなるだろうな、とは思ったが、それについてはフィンは触れないことにした。 「さて、私達も行きましょうか」 フィンが手を差しのべる。ラケシスは、少し戸惑いながらも、その手をとった。 |
最初は戸惑っていたのだろうが、ラケシスは慣れてくると色々と話を――ほとんど一方的に――した。故郷のこと、生い立ち、母のこと、そして自慢の兄のこと。そしてその兄がこの間結婚したこと。ただ、彼女がどういう階級の出身だかは教えてくれなかった。ただ、伏せる、ということはそれなりの階級であることが類推できる。 ミレトスへはやはり今回の祭りが目的で来たらしい。ただ、もう一つ目的があって、実は兄の新婚生活を邪魔したくなかったのだという。 「兄君がお好きなのですね」 フィンは普通に聞いたつもりだったが、ラケシスは露骨に嫌な顔になった。一瞬、フィンは自分が何か悪いことを言ったのだろうか、と思って慌てて原因を探す。だが、その結論が出るより先にラケシスが口を開いた。 「フィン、言葉遣いが堅い」 まるで拗ねた子供のような表情になる。いや、実際自分達の年齢では子供なのだろうから、この表現は正しくないかもしれない。 「いや、私はこういう言葉遣いで馴染んでしまっていて……」 そういうフィンの言葉も、少女には届いていない。 「いいから、もっと普通に話してよ。それに、私ばかり話しているし。フィンの話も聞かせて?どこから来たの?ミレトスには何で来たの?」 「あ、はい……」 質問を無視された形になったが、ラケシスがそれに気付いた様子はない。 「私は、レンスターから来まし……来たんだ」 語尾を無理矢理変えるがかえって不自然になっている。同世代の人と付き合うのがこんなに大変だとも思わなかった。 フィンは簡単に今回ミレトスに来た目的を話した。加えて自分の身分。ラケシスには、その一つ一つが珍しいのか、ニコニコしながら聞いていた。 結局、その日はほとんど話をしただけで終わってしまった。いや、実際には歩きながら話していたし、景色のいい場所なども結構歩き回ったはずなのだが、フィンには金色の髪の毛の印象が強く、他の光景をよく覚えていなかったのである。 「また明日ね」 別れしな、ラケシスはそういって宿に入っていった。フィンも自分の宿に戻る。足取りが、何故か軽い。理由は何となく分かっていた。「また明日ね」というその約束が、フィンには何故か嬉しかったのだ。 |
翌日も、マイセンとラーガは朝早くからいなくなってしまっていた。フィンが宿の朝食を摂って部屋に戻ってきたときにはすでに出かける準備を終えていたのだ。昨日戻ってきた時も、相当飲んでいたようだが、今日も飲むつもりなのだろう。文字どおり、羽目を外している。 ただそれでも、記憶や言動がおかしくなるところがないのは凄いところだ。多分、いざ戦闘になったところで全く普段と変わらないだろう。呆れるほど酒に強い。礼儀作法や、戦闘技術、学問など、マイセンからは数々のものを学んでいるが、おそらくこの酒の強さだけは学べない、とフィンは改めて思ったのだ。 そのフィンも、マイセンが出てからしばらくしてから部屋を出ようとして、扉に手をかけて押し始めたところで、いきなり扉が勢いよく開け放たれた。取っ手を掴んだままの手は、急に引っ張られ、上体が同じように引っ張られる。しかし、足が一瞬ついてこない。それでもなんとかフィンは、かろうじてバランスをとって倒れないように踏みとどまった。 「おはよう、フィン」 その声で、フィンは扉をいきなり開け放った者の正体を知った。多分、扉の前でフィンが扉を開けようとするのを待っていたのだろう。 「おはよう……ラケシス。早いね」 「あなたが遅いから、ラーガと一緒にこっちに来ちゃったのよ」 別に怒っている風ではないのだが、怒っているように見せかけようとしている。 「ごめん、長旅の後で疲れてたから……」 フィンの反応を聞いて、ラケシスは嬉しそうにうなずいた。 「うん、言葉遣い、ちゃんとなってるわね。それじゃ、行きましょう。今日は行きたいところがあるの。フィン、馬には乗れるわよね?」 一瞬、意図を測りかねたがフィンは頷いた。もちろん馬術は得意だ。レンスターの騎士は、基本的に槍を主に使う騎兵が中心なのだ。もちろんフィンも、マイセンから馬術を学んでいるし、それより以前に、父からも学んでいる。 「少し離れたところにとっても眺めのいい場所があるんですって。昨日、宿の人に聞いたの」 |
ラケシスはあまり乗馬は得意ではない、ということで二人ともフィンの馬に乗っていった。 フィンの馬は、やや小柄ではあるのだが騎馬として訓練されているだけあって、子供二人を乗せるのには全く問題はない。普通ならば女性が男性の前に乗るのだろうけど、フィンとラケシスではそれほど体格が変わらないため、それではフィンが手綱を握りにくくなる。結局、ラケシスはフィンの後ろに乗っていた。 「それで、どちらの方に?」 フィンの言葉に、ラケシスはまっすぐ南を指した。フィンは「かしこまりました、姫君」と冗談めかして言うと、正面を向いて、馬を走らせる。だから一瞬、ラケシスが驚いていたのには気付いていなかった。 ミレトスの街を出ると、意外なほど静かな道が続いていた。早春といっても、ミレトスはかなり南にあり、また気候も一年を通じて穏やかである。冬の寒さもそれほど厳しくはなく、早春ともなるとかなり暖かい。 そのため、一年を通じて、緑の絶えることのない場所でもある。レンスターも気候はいい方だが、冬は雪も降るし、常緑の木々を除いては、やはり灰色の季節になる。もっともそれはそれで、春の美しさを感じることができるから、フィンは好きであった。 「あ、あの丘の上。ほら、小さな建物が見えるでしょう?」 ラケシスが指差した場所は、やや高い丘――というよりは小山――があって、その頂に見晴台のようなものが建っている。まだ多少の距離はあるが、確かに見晴らしはよさそうだ。 「ね?見えた?」 フィンは頷いて、馬の歩調を速めた。 |
「うわあ、すごい〜」 ラケシスが感嘆の声を上げる。だが、その気持ちはよく分かった。確かに、感動的なほど景色がよかったのである。 ミレトスの白亜の街と、そしてそこから陽光を受けて輝く海と、その真ん中を通る白い橋。それだけで、一枚の絵の様な美しさがあった。ちょっと街から遠いが、それだけの価値は十分にあると思う。キュアン様にも、機会があったら教えて差し上げよう、と思う。 「ありがとう。ラケシスがいなかったら、こんな場所知らなかったよ」 「ふふっ。実は私、お兄様に聞いてはいたのよ。ミレトスから少し離れたところにとっても眺めのいい場所があるって」 「お兄さん、ですか」 「そう。私の自慢の兄よ。ただ今新婚だから。邪魔したくないの」 少しだけ、ラケシスの表情が翳ったのを、フィンは見逃さなかった。また、ラケシスもそれに気が付いたのか、はにかんだような笑みを浮かべる。 「私、お兄様の結婚相手なんて、認めない、って思っていたの。お兄様と結婚するのは私なんだって。おかしいでしょう?兄妹なのに。子供だったのね。でもね、その人、とってもいい人で……私、その人のことも好きになっちゃったの。……ちょっと複雑だったけど。だから、実は新婚邪魔したくないってのは半分は嘘。自分で、気持ち整理したかったんだ」 フィンは、この元気な少女の、真実の部分にちょっとだけ触れたような気がした。 「あれ?なんで私こんな話しているんだろう。……軽蔑……した?」 少し、目が涙に濡れているのが見て取れた。フィンは静かに首を横に振る。 「一番近しい人に憧れることは、そしてその人を誇りに思えるのは決して恥じることではありませんよ」 ラケシスはきょとんとした表情になって、それからクスクスと笑い出した。 「言葉」 「え?」 「言葉遣いがまた堅くなってるわよ」 ラケシスはそのままクスクスと笑う。フィンもつられるように笑い始めた。 「なんかすっきりしちゃった、話して。ありがと、フィン」 その言葉は、何故かフィンにはとても嬉しく思えるものだった。 |
祭り最後の日、というのはどの祭りでもそうだが一番騒ぐときでもある。マイセンは、というとこれまたさっさと出かけてしまっている。もしキュアン王子から緊急の連絡があったらどうするのだろう、とは思ったがフィンも結局出かけてしまっているのだから人のことは言えないだろう。 フィンがラケシスのいる宿に向かおうとしたとき、もう向こう側から金色の髪を揺らしながら、少女が駆けてくるのが見えた。昨日よりはマシかな、と考えると、フィンはラケシスのいる方へ歩き出す。 「やっぱり昨日と同じ事、できなかったなあ」 いたずらっぽい笑みを浮かべたラケシスは、そのままフィンの手を取ると、自分の手に絡ませた。 「今日はあなたが案内してよね。昨日は私が案内したんだから」 馬を駆ったのは自分なんだけど、とフィンは思ったがそれについては言わないことにした。しかし、いきなり困り果ててしまう。案内してくれ、といわれてもフィンも当然ミレトスは初めてであり、観光名所など全く知らない。ふと、マイセンが昨日帰って来てから、夕陽がとっても綺麗だった、という場所を教えてくれたのを思い出したが、いかんせん今はまだ昼にもなっていない。 「ふふっ。別に気負わなくてもいいわよ。エスコートしてくれれば」 そう言いながらフィンを引っ張る。結局エスコートされているのはどっちだろう、とはフィンならずとも思うところだろう。 |
結局至極無難な楽しみ方を二人は選んだ。祭りでの楽しみ方など、無理に探さなくてもいくらでもある。色々な出店にある珍しい品物や食べ物は、彼らの好奇心を十分に満たしてくれるものばかりであった。 「あ、あれ食べてみましょう、フィン」 そのセリフを、フィンは何度聞いたかは分からない。ただ今度ラケシスが指差したのは、フィンの目も引いた。滅多にない、氷菓子を売っていたのだ。 氷菓子は、名の通り、普通の菓子と違って氷のように冷たいものである。作り方はよく知らないが、なんでもシレジアの魔術師達が、最初に作ったらしい。氷のような冷たさが、夏には重宝されるのだが、あまりお目にかかれるものではない。 フィンは、二つ分の金を払って、一つをラケシスに手渡した。 「ありがとう、フィン」 ラケシスは嬉しそうに、ちょっと小走りに走り出す。そして一瞬、フィンの方を振り返り……いきなり人にぶつかってしまった。反動で尻餅をついてしまう。 「あ、あの、すみません、その、よそ見をしていて」 そういってからラケシスは背筋が寒くなった。氷菓子が、ぶつかった人――女性――のスカートにべったりとついてしまっているのだ。絹の服ではないだろうが、それでもかなり高価な服のように見える。 ラケシスがひどくおろおろしているのに気付いたのか、女性の方がかがみ込んで、視線の高さをラケシスに合わせてきた。怒った様子でもなく、優しそうな微笑を浮かべている。 「いいのよ、気にしないで。私もぼうっとしていたから。このぐらい、気にしないから」 その笑顔は、何故かひどく安心できる、とラケシスは感じた。自然、つられて笑みが洩れそうになる。 「どうしたの?ラ……」 やや遅れて現れたフィンはそこに立っている人物二人を見て驚いた。それは、キュアンとエスリンだったのだ。 もっとも、驚いたのは二人も同じで、異口同音に「フィン?!」という声を発している。ラケシスが一人、事情も分からずまたおどおどしてしまっていた。 「あの、お知り合いですか?」 フィンは一瞬、どう説明したらいいのか、迷ってしまった。気を取り直して説明しようとしたとき、それを制するようにキュアンが先に話し始める。 「フィン、お前も友達見つけていたんだな。まあ出発は明日だ。それまでは気にせずに遊んでいていいぞ。それじゃ」 それだけで、足早に二人は立ち去ってしまった。後には、呆然としたフィンが残されている。 「フィン?」 「あ、いや、ごめん。私の……主君なんだ。レンスターのキュアン王子。それと、シアルフィのエスリン公女」 それを聞いたラケシスは、半分驚き半分納得したような表情になる。 「そか。道理で見たことあると……」 「え?」 「あ、なんでもないの。それより、ごめんなさい。氷菓子、だめにしちゃて」 「別に、いいよ」 そう言いながら、フィンは自分の分をラケシスに差し出した。 「でも、あなたの分……」 「私はいいから」 ラケシスは「それじゃあ」というとそれを受け取った。そして歩きながら食べていたのだが、半分ほどになると、フィンに手渡した。 「はい。あと半分はあなたのよ」 フィンは戸惑いつつも、それを受け取った。 |
陽が大きく西に傾いてきた頃、フィンはマイセンから聞いていた場所へとラケシスを案内していた。無論、これまでに十分祭りは堪能している。 高尚な詩吟などは二人にはまだよく分からないが、大道芸や趣向を凝らした山車などは、彼らには珍しいものであり、時間を忘れて楽しんでいた。 それでもフィンが、この場所のことを忘れなかったのは、彼が物覚えがいいからというのと、あと多くの人が、大橋に向かっているのに気が付いたからである。マイセンが教えてくれた場所は、橋の近くの岬なのだ。 「ここ。教えてもらったんだ」 それは、ミレトス大橋の東側にある西で、岬というよりは、海岸にある岩がせり出したような場所である。ただ、夕陽に照らされた大橋が、朱色に染まって、とても美しく見えた。朱く染まった海の中に、遥か向こうまで続く、ひとすじの違う朱。さらに向こうの海は、夕陽の光を受けて、金色に輝いて見える。 「あら?あれ、キュアン様と、エスリン様……?」 ラケシスの言葉に、フィンは驚いて彼女の指差した方角を見た。確かに遠目だがキュアンとエスリンがいる。無論何を話しているかも聞こえないし、何をしているかもよく分からない。キュアンが何かを手渡したのは分かるが、何かまでは分からない。それから、しばらく経って、キュアンとエスリンは抱き合っていた。 考えてみれば、一種罪悪感を伴わなくもない。主君を、隠れて盗み見ているようなものなのだ。ただ、ラケシスは気にした様子はない。 「わ〜、もしかして、プロポーズしたのかな、あのお二人。ね、ねっ」 確かに、ラケシスに遠慮する理由などない。というより、王子とか公女とかのこんなシーンはなかなかお目にかかれるものではないから、はしゃぐ気持ちも分かる。 「あら?そういうことは、エスリン様もあなたの主筋になるのかしら?」 ふと、思いついたようにラケシスが口を開いた。フィンが「そうだね」と頷こうとしたとき、柔らかい風が吹いて、ラケシスの髪を持ち上げ、それが振り返ろうとしたフィンの顔をくすぐる。 「あ、う、うん」 「フィン?どうしたの?」 どうやらかなり不自然に見えたらしい。ラケシスが不思議そうにフィンを見ている。 「いや、なんでもない……」 そういって振り返ったとき、まともにラケシスと目が合った。別にそのまま流せばよかったのだが、何故かそのまま止まってしまう。自分が、なぜか緊張しているのがわかる。 「顔、紅いね、フィン」 「夕陽が紅いから……」 それ以外の要因でも自分が紅潮しているのは分かっていたが、この場合夕陽の紅がありがたい。ただ、フィンは自分を誤魔化すのに精一杯だったから気付かなかったが、ラケシスもあまり変わらない状態だったのだ。 陽の光が、ちょうどラケシスの背後から照らされていて、ラケシスの金色の髪が輝いていた。まるで、黄金を透かしたように見える。彼女自身が、金色の光を放つ宝石のように、フィンには思えた。 「今回、ありがとう、フィン。楽しかった」 ラケシスは、そう言いながら立ち上がった。フィンもそれに続く。いつのまにか、陽は完全に水平線の下に沈んでいて、辺りは暗くなり始めていたのだ。 |
「本当にありがとう、フィン」 宿の前で、ラケシスはもう一度礼を言った。たった3日だったのだが、お互い、別れがたい、と思う感情を残していた。だが、現実としてはそうはいかない。フィンは明日にはキュアンと共にレンスターへの帰路につくし、ラケシスも国に戻らねばならない。 「もし、縁があったらまた会いましょうね、フィン」 フィンは「うん」と頷く。ラケシスはその反応を見ると満足そうに頷いて、それからゆっくりと近づいてきた。 「それじゃ、またね」 その言葉と同時に、フィンの頬に柔らかい感触が触れる。呆然としてルフィンの前で、ラケシスは、薄闇でも分かるほどに顔を真っ赤にしていた。 「それじゃ!!」 ラケシスはそのまま宿に駆け込んでいく。フィンはまだ呆然と、それを見送っていた。 |
結局、フィンはラケシスの正体を知ることはなかった。キュアンに聞けばすぐに分かったのだろうが、まさか、キュアンがラケシスのことを知っているとは思わなかったのである。 ノディオンの王女であるラケシスは、フィンのことをずっと覚えてはいたのだが、ノディオンとレンスターはとても近いとは言えない。そうそう行くことなどできるものでもなかった。唯一のチャンスであったキュアンとエスリンの結婚式のときも、ラケシスは体調を崩して行くことができなかったのである。 手紙を送ることも考えたのだが、自分がフィンに、最後まで身分を明かさずにいたことが引け目となって、もし言うのならば必ず直接言おう、と思っていたのだ。 結局、彼らはお互いに会えないまま――ラケシスはずっと悩んでいたのだが――時だけが過ぎていった。 |
――――――そして3年後。運命は動き出す―――――― |