「はあっ!」 気合と共に、長剣が振るわれた。直後、剣と剣とがぶつかる音が、周囲を満たす。 「惜しい」 剣を交えているのは、銀髪と青髪の若者。二人とも、秀麗、と表現するに十分な容姿を持っている。しかしその二人の間で交わされている剣は、少なくとも素人から見たら本気の殺し合いにしか見えないほどに激しいものだった。 各国の王族に詳しいものならば、二人とも、あるいは詳しくなくても青髪の若者の名は分かる者が多いだろう。 グランベル王国第一王子にして、つい先だって立太子の儀を済ませたセリオ王子。彼の容姿を知らなくても、『光皇』とまで称される彼のことを知らぬものは、大陸にはいない。 もう一人は、イザーク王国ソファラ公爵家の第一公子ルシオ。『オードの再来』とすら称されるシャナン王の従弟、スカサハ公爵の子で、剣士の国イザークでもフィオ王子に次ぐ剣の使い手として名高い。 その二人の剣の勝負など、そうそう見れるものではない。 無論、別に殺し合いをしているわけではない。 確かに刃を止めてあるような訓練用の剣ではなく、真剣を使ってはいるのだが、二人とも卓越した剣才の持ち主であり、滅多なことでは怪我をすることなどない。 もっとも、実際にはルシオはほぼ全力でセリオに対していた。 「くっ」 自信のあった一撃をあっさりと受け止められたルシオは、一度地を蹴って間合いを取る。すでにルシオは少なからず息が上がっているのに対して、セリオはまだ呼吸すら乱していない。 (聞いてはいたけど、本当に強い) ルシオはセリオの力に改めて驚愕した。 ルシオはセリオより一つ年下で、それゆえにバーハラの士官学校でセリオと共に学ぶことはなかった。ただ、従兄のフィオ王子から、何度もセリオ王子の力については聞いてはいた。 正直、三星剣のうち、流星と月光をも使いこなし、解放軍最強の剣士の一人、と呼ばれていた父スカサハの血を継ぐ自分が敵わない相手など、同じイザークの人間だけだと思っていた。実際、それまで自分が剣で敵わなかったのはシャナン王とフィオ王子、それに父だけである。だから正直、フィオ王子がセリオ王子に勝てなかった――負けもしなかったらしいが――というのはグランベル王子という立場に遠慮したものだと思っていたのだ。 ルシオはぜひ一度、セリオ王子と手合わせしてみたい、とは思っていたのだが、やはり一つ先輩、ということとグランベルの第一王子、という立場に遠慮している間にあの事件が始まってしまったのだ。 『黒の処断』事件。 去年あった、大陸中を戦乱の渦に巻き込んだ暗黒教団の反乱は、そう呼ばれている。 その戦いにおいて、セリオ王子は聖剣ティルフィングと光の神魔法ナーガの二つの継承者として、その圧倒的な実力を大陸中に知らしめた。それ以後、セリオ王子は畏怖と尊敬の念をこめて『光皇』と呼ばれている。 ただそれは、神器をもつ者の力であって、セリオ王子自身の、剣の実力とは無関係だと、つい先ほどまではそう思っていた。 だが、今ルシオはその認識が全く間違っていたことを思い知らされている。 母ユリアが久しぶりにバーハラに訪問する付き添いで来たのだが、話が長くなりそうだから、と外に出たところ、偶然セリオ王子に会い、手合わせを申し出たのだ。 ルシオは、始め遊び程度のつもりだったのだが、すでに全力で――無論殺意などはないが――戦っていた。だが、それでもセリオ王子にはまだ余裕がある。 「もうちょっとだね。でも、さすがに強いね」 その言葉には、増長も油断もない。完全に余裕から来る言葉だ。 ただこれは、イザーク王国でも随一の剣の使い手、として名を馳せていたルシオにとって、ある種屈辱である。 「な、ならばこれはどうです!」 ルシオは大きく息を吸い込むと、一気に気を解放した。そしてそれが、鮮やかな翡翠と月光の輝きを帯びる。 そして。 その輝きが次々と刃となり、セリオに襲い掛かった。 直撃すれば、あるいは致命傷にもなりかねない一撃だったのだが、ルシオはこの時それを考える余裕は、なくなっていた。手合わせで、三星剣まで使うのは、シャナン王、フィオ王子と戦う時以外では初めてである。ただ、彼らは自分自身が同じ技を使えるので、お互いに封じあい、通用しない。しかし、セリオ王子は三星剣は使えないはずである。いくらなんでもこれなら、と思った直後。 ルシオはセリオの姿を見失った。一瞬前までいたはずの場所には、誰もいなかった。勢いの止まらないルシオは、その威力を地面に叩きつける。凄まじい音と共に、きれいに植え込まれていた芝生が、無残に抉られた。 「さすがはイザークの剣士だね。一瞬、驚いたよ」 ルシオは、自分が敗北したことを知った。喉元に、セリオの剣が突きつけられていたのだ。 「負けました、セリオ王子」 ルシオは剣を離し、手を上げて降参の意を示す。セリオはそれを見るとにっこりと笑った。 「正直、こんなに強いと思わなかったよ。さすがはスカサハ公爵の子だ」 セリオのその笑顔は、つい今しがたまで戦っていた、と言うことを忘れさせるに十分な優しさと、和やかさを持っていた。釣られて、ルシオも笑ってしまう。 「流星剣はね、繰り出したあとの隙が大きいんだ。だから、避けられるとどうしようもなくなる」 あっさりと言ってくれているが、そもそも普通の人間はそんなことには気付かないだろう。 「それ以前に、そんな簡単に避けられるのは、あなたぐらいだと思いますよ」 ルシオはそういいながら、すとん、と芝生に座り込んだ。セリオもそれに倣う。 春の暖かい陽射しが、グランベル王宮の広い中庭を優しく照らしていた。少し離れたところにある木々からは、小鳥達の可愛らしい歌声も聞こえてくる。 適度に木の枝が頭上に張り出してきていて、陽射しをある程度遮ってくれている。時折風が吹いて、葉のずれる音が心地よい。 敗れはしたが、こうはっきり負けたのなら、いっそ気持ちは良かった。上には上がいるのだな、と納得させることができる。無論だからと言って悔しくないわけではない。そんなルシオの心中を察したように、優しい風が二人の間を吹きぬけた。 「話には聞いていましたけど、本当に強いのですね、セリオ王子」 するとセリオは「う〜ん」と首をかしげている。 「どうなんだろうね。でも強いっていうなら、シャナン王なんて強いなんてもんじゃないよ。フィオだって強いし。君だってとても強かったよ」 「………説得力ないですよ、少なくとも私に関しては」 「そうかな」 光皇、とまで称されるほどの王子なのに、どこか変わっている気がする。実際、これほどの実力があれば、もうちょっと実力を自負していてもいいのに、と思う。 もっともこれに関しては、自分も剣以外に関してはのんびりしすぎている、とはよく言われるのであまり人のことは言えないかもしれない。 「ルシオ公子の剣はフィオによく似ているからね。だから、癖とかもわかっちゃって。シャナン王に教えてもらったのでしょう?剣は」 「え、あ、はい」 ルシオは頷きながら、自分がセリオに全く敵わなかった理由を納得した。 初めて戦う相手であっても、癖などはセリオ王子にはよく知った人物と同じだったのだ。イザークのフィオ王子と。 確かに、幼い頃からシャナン王や父スカサハに剣の手ほどきを受けていたから、自然、似たような癖も身についてしまっていたのだろう。ただそれでも、完敗には違いない。 しばらく沈黙が辺りを支配する。やがて、少し落ち込んでいるルシオを見て、セリオは話題を転じてきた。 「しばらくはバーハラにいるの?」 「ええ。帰りはすぐですし」 今回のバーハラ来訪は、母ユリアの付き添いではあるが、実際母は、転移の魔法で来て転移の魔法で帰るのだから、そんなものが必要だったのかどうか疑わしい。もっとも、イザークとグランベルの間を転移することの出来るほどの魔力の持ち主など、そう何人もいるわけではない。というよりは、母ユリアはグランベルでも最高の力を持つ魔術師として名高い。だからこそ、そんな長距離の転移も出来るのだ。 本来はルシオも士官学校があるのだが、今は年の変わり目であり、士官学校は長期休暇に入っているので、ルシオは国許に戻り将来のために政務の勉強をしていたのだ。 「本当は私が付き添う必要なんてなかったはずなのですけどね。なぜか、今回は来るように、って」 母がバーハラに行くのは、それほど珍しいことではない。 元々、今でこそ光の神魔法ナーガをセリオ王子に譲り渡したとはいえ、母もナーガの継承者、つまり本来はバーハラにあるべき人物なのだ。当然、祭事などの時にはバーハラに赴かなければならなくなる。 セリオが王太子となったのは、そういう役目をユリアから引き継ぐ、と言う意味もあったのだ。もっとも、それにしては少し立太子が遅かった気はしなくもない。 「お兄様!」 突然聞こえてきた元気のいい声に、二人は驚いて振り返った。 立っていたのは、白いローブを纏った、春というより、夏のような眩しさを感じさせる金髪の少女である。 「シア。あれ。クローディア王女は?一緒にいたんじゃないの」 「クローディア王女も間もなく参りますわ。私は………」 そう言うと少女は、くるりと向きを変えてルシオと向き直った。 「ルシオ様、フィオ様はお元気でしょうか?」 突然話を振られたルシオは、すぐ反応が出来なかった。もっとも、それは突然話の矛先が向いたからだけではない。 『クローディア』という名前が、ルシオの頭の中を埋め尽くしていたのである。 「ルシオ様?」 「あ、ああ。すまない。ええと、フィオ王子?」 その時になって、ルシオはようやく現状を把握できた。 そういえばセリオ王子の妹姫、シア王女はイザークの王子フィオとの婚約が決まっている。予定では来年には婚儀のはずである。だが、それまでの間離れていざるをえない遠地の恋人のことはやはり気になるのだろう。 去年までは、フィオ王子もバーハラの士官学校にいたのだが、先年で卒業してしまい、今はもうイザークに帰ってしまっているのだ。 「元気ですよ。もうシャナン陛下の政務をお手伝いなさっています。もっとも、ご本人はまだなれぬご様子でしたが」 シア王女は瞳を輝かせて聞いている。 『夏の姫』 シア王女を指して言ういくつかの言葉の一つの意味を、改めてルシオは納得した。 その活動的な、明るい性格は、際立った美人――あくまで大陸で最も美しいと謳われるアグストリアのセフィア公女やイザークのフェイア王女と比べての話だが――というほどではなくても、時としてどんな女性よりも魅力的に見えることもある。 フィオ王子との詳しい馴れ初めはルシオも聞いたことはないが、フィオ王子がバーハラの士官学校にいる間に仲良くなったらしい。 ルシオなどからすると、やや苛烈に思えるフィオ王子だが、シア王女といる時はほとんど別人のように見えるからかえっておかしい。あるいは、この姫の活発さにはフィオ王子も敵わないのかもしれない。 「そうですか。シアが『ご無理はなさらぬように』と言っていたと伝えてくださいね」 「嬉しそうですね、シア様」 その声は、シアの後ろのほうからした。シアの明るい声とは対照的な、だが冷たさを感じさせるわけではない、どちらかと言うと深山の霧の中に響くような、そんな声。 「クローディア様。遅いですよ、全く」 シアが少しだけ口を尖らせているような言い方をして、振り返る。そこに立っているのは、新緑を透かしたような緑色の髪と瞳の少女だった。 「ごめんなさい。お花畑があんまりきれいで、見惚れていたの」 「クローディア様は今は士官学校におられるのだから、いつでも見れますのに」 「それはそうですけど、きれいなときに見ておきたいですから……あら?セリオ様と……?」 クローディアはそこでルシオを見とがめた。同時に、その瞳が大きく見開かれる。 「え……?ルシオ様………?」 「やあ、久しぶり……」 そのすぐ横ではシアがクスクスと笑っている。ルシオはそれで、シア王女が謀ったのだと気がついた。 シア王女は今ルシオがバーハラにきているのは知っていたはずである。そして、彼女には明らかにルシオの気持ちは知られているのだ。 ルシオが、クローディア王女のことを好きだということを。 幼い頃、ルシオは度々隣国のシレジアに行くことが多かった。それは、イザーク王国がまだ完全に統一されていないがゆえに、下手をすると子供達にまで危険に晒してしまう可能性があり、父スカサハはそれを危惧したのだ。 そのとき、年の近かったシレジアの王女クローディアと仲良くなったのは、別段不思議なことではない。ただ、ルシオは気がついたら、この少しだけ年下の王女に、親愛の情以上の気持ちを抱くようになっていた。 しかし、クローディアはセティの聖痕を持つ、シレジア王国の継承者である。 そういう立場にある彼女の結婚、というものはどうやっても政治的な色合いを持つ。 確かに自分も、イザーク王国ソファラ公爵家の第一公子であるが、それは同時にソファラ家を継がなければならない、ということである。つまり、婿に行くことは出来ないのだ。しかしクローディアもまた、他国に嫁ぐことは許されない。彼女はすでに、シレジア王国の王位を継ぐことが決定しているのだ。 だから、もう諦めるしかない、と分かってはいるのだが、だからといってそう簡単に割り切れたら苦労はないのだろう。 「いらしているとは……知りませんでした。そうしたら、すぐにでも駆けつけましたのに」 そういいつつ、クローディアは少し恨みがましそうな目を、シアに向けた。少なくとも、シアは知っていたはずだからである。 だがシアは、その視線に気付かないフリをして、いきなりセリオの腕を取った。 「兄様。ちょっとよろしいですか?ユリア叔母様がお呼びですの」 そういいつつ無理矢理セリオを立たせると、そのままずるずると引きずり始めた。 「お、おい。待てよシア。そんないきなり……」 だが、セリオの抗議を完全に無視して、シアはセリオを引っ張って、建物の影に消える。あとには、呆然とそれを見送っていたルシオとクローディアが残された。 セリオとシアが完全に消えてしまうと、なぜか同時に奇妙なほど周りが静まり返った気がした。シア王女が、周囲の喧騒までも連れて行ってしまったかのように。 「……あの、いつこちらに?」 長い沈黙のあとに、クローディアが口を開いた。 ただ、ルシオの沈黙は、実は言葉が混乱して結局何も言えていないだけであった。 言いたいことは、それこそイザークの山々以上にもあるのに、いざ言葉にしようとすると、何も出てこない。 正直、これならば戦場で数百の兵と相対している方が、気は楽だ。シア王女は、多分気を利かせてくれたのだろうけど、昔ならいざ知らず、今では緊張してしまって会話もろくに出来ない。 もっとも、それは実はクローディアも同じだったのだが、お互いその事実には全く気付いていない。 「あ、ああ。昨日から。といっても母上の付き添いだから、明日には帰ると思う」 ルシオはかろうじて、それだけ言った。 「そう……ですか。でも、久しぶりにお会いできて嬉しかったです。また、いらしたときは教えてくださいね」 「あ、うん。いや、でも私もすぐ来るよ。士官学校はまだあるから」 そうは言うものの、実はルシオはクローディアがバーハラの士官学校に入っていた事実も知らなかったのだ。 そう考えると、少なからず心が弾む。士官学校が始まれば、会おうと思えばいつでもクローディアに逢えるのだから。 そして、その気持ちはクローディアも同じ。 しかしその後、結局二人は何も話さずに、ただ芝生の上に座っているだけであった。 本当は、たくさん話をしたかったのだが、それ以上に、お互いが傍にいてくれる、この時間をかみ締めたかったのである。 |
その二人の様子は、実は建物の影に隠れて大回りをし、二人の様子を盗み見ているシアとセリオにも見えていた。 「まったく、なにやってるよ、ルシオ公子は!」 シアとしては、せっかく二人きりにしてあげたと言うのに、会話すらしない二人に歯痒さを覚えてしまう。 「シア………」 あきれきったセリオの声に、シアはその夏の陽射しにすら喩えられる、強い視線を兄王子に向けて睨む。 「何言ってるのよ。第一、両想いなのよ、あの二人」 「へ?」 まさに初耳、といわんばかりの兄の反応に、シアはがっくりと肩を落とした。 「兄様………もしかして気付いてない?」 シアの言葉に、セリオはなおも首をひねり続けている。その様子を見て、シアはさらに肩を落としていた。 |
「子供達も、仲良くやっているみたいだね」 中庭を一望できる部屋で、その中庭を含めた宮殿の主は、久しぶりに会った妹を招いて、妻と共に午後のお茶の一時を過ごしていた。 「でもセリオ王子はなんか何もご存知なかったみたいですけど、兄様」 「う〜ん。あいつは、鈍いからなあ」 「セリス様。鈍いのではなく、あの子はいつも……」 そこでラナは声を少しだけ小さくして「ボケているだけですよ。誰かの性格を受け継いでいて」と続けた。セリスはそれには苦笑いを浮かべ、それ以上の言及を避ける。 「ルシオ、どうするのでしょうね」 ユリアがまるで他人事のように言う。セリオは微笑して妹を見やり、それからまた中庭に視線を戻した。 実際、ユリアがイザークに嫁ぐ時にも、多くの重臣の猛反対があったのである。バーハラ王家の象徴であるナーガの継承者が、イザークなどに降嫁するのか、と。だが、結局ユリアは周囲の反対を押し切って、イザークに嫁いだ。それは、何よりもお互いを想う心があったからである。 「結局、あの子達次第ですけどね」 「まあ、ね。出来ない、と思い込んだら何も出来はしない。まず自分で方法を探さないとね。あの子達だって、それが出来るはずなんだから」 「厳しいですね、セリス様」 ラナの言葉に、セリスは少し意地悪そうな笑みを浮かべる。 「私達が出来たんだ。あの子らに出来ないはずは、ないだろう?」 ユリアとラナは何も言わずに、ただ笑ってそれを肯定していた。 |
春の陽射しは優しく、そして穏やかに若者達に降りそそいでいた。 |
後書き書きたかったのは実はセリオだったり……。天然ボケの最強王子です。なんせナーガとティルフィングの両方を使える化け物……。ルシオも決して弱くはないんです。というかめっちゃ強いです……が。セリオにかかるとこんなもの。セリオは三星剣こそ使えはしませんが、見切ることは出来ますし。 ただその話だけだと持たないのでルシオとクローディアの『片思い同士』を出してみました。しかしこれでお互い気付かないんだから、実はこの二人、めっちゃ鈍い……?(^^; 唐突に書いたもので、この先彼らの話を書くかどうかなんてのはまったく考えていません。要望がやたらあったら考えますが……そうそうあるとも思えんな(笑) |