姫様達の狂想曲 1



 夏に入り始めたこの季節は、かつて不毛の大地、と呼ばれていたこの南トラキアでも少なからず緑が見え始めるようになる。乾いた風にも、いくらかの湿り気が感じられ、時として雨が降る。雨は大地を潤し、この南トラキアにおいても、いくらかの農作物の収穫が見込めるのだ。
 南トラキアにとって、短い実りの季節がやってきた。
 人々は、この季節に出来るだけ多くの食料を、備蓄しようとする。無論、北トラキアからは多くの食料が送られてくるが、それにいつまでも頼りきりでは、南トラキアの国土全体が富むことはない。トラキア大公アリオーンは、常に南を北と同じ水準にまで引き上げようと、努力しつづけているのだ。
 この季節、大公アリオーンを悩ませる問題の最大のものは、盗賊や野盗の類である。
 南トラキアで農作物の取れる地域は限られている。そこから、トラキア各地に輸送するわけなのだが、それらを狙う盗賊はあとを絶たない。無論、可能な限り取り締まってはいるのだが、こういうものを撲滅するのは不可能であることは歴史が証明している。
「かといって対策を講じないわけにもいかないからな。ディーン、竜騎士団を可能な限り派遣してくれ。また、交通の要所には重甲冑騎士団を配置するように伝達してくれ。……すまんな。苦労をかける」
 最後の言葉は、大公としての命令ではなく、共に戦場を駆けた友としての言葉だった。
「いえ。大公殿下こそ、養生なさってください。盗賊の件は、お任せを」
 竜騎士団長ディーンはそう言うと、一礼してアリオーンの寝台から離れる。
 アリオーンは一年前の『黒の処断』の最初の戦いにおいてロプトウスの力にさらされ、重傷を負った。その時にディーンや、トラキア王国王子ディオンもやられたのだが、アリオーンがもっとも傷が深く、未だに寝台から起きることはできない。というよりは、既に竜を駆って戦うことは絶望的である、とされていた。今も、妻のアルテナに支えられながら、どうにか上半身を起こすことが出来る程度なのだ。
 かつてのアリオーンを知るディーンには、見ていて少し辛い。
 ただ、アリオーンの長男サリオン大公子が、アリオーンの後を引き継ぎ、竜騎士団を指揮して立派に戦って見せた。あるいは、かつてのアリオーンと同等かそれ以上に。それゆえか、アリオーンにもアルテナにもそれほどの心配はないらしい。サリオンはまだ十五歳という若年ながら、竜騎士団の中では人気があり、民にも人気がある。後継者としては、申し分ない。
 もっともそれはディーンとて同じである。サリオン大公子と同じ年の息子エルウィードは、竜騎士として優れた才能をもっていて、しかも母シルティールの才も受け継いでか、魔法を使うことも出来る。もうすぐ正式に騎士叙勲を受けるが、そうなれば、竜騎士団創設以来初の魔法騎士の誕生ということになる。これは、父親としても誇らしい。
 そんなことを取りとめもなく考えつつ、部屋を出ようと扉のノブに手をかけたディーンの目の前で突然扉が勢い良く開け放たれた。後ちょっと気付くのが遅かったら、見事に顔面に扉が直撃しているところだった。
「どうした、何事だ」
 入ってきたのは、城内の侍女である。相当急いで走ってきたのか、肩で息をしている。髪も少し前まできれいに結い上げてあったのだろうが、それがぐちゃぐちゃだ。
「ああ、ディーン様、こちらでしたか。あ、あの。レンティーナお嬢様が……」
 レンティーナはディーンのもう一人の子供である。今年で十四歳。容姿は母親に良く似ているのに、中身はまるで違う。お転婆を絵に描いたような性格で、落ちつきがない。一体誰に似たのだろう、と時々不思議になるほどだ。
 その侍女から少し遅れて、淡い薄紅色の髪の女性が入ってきた。手には、何か紙を持っている。
「シルティール。どうしたんだ?」
「はい。レティの置手紙。毎度のことですけどね」
 そう言ってシルティールは苦笑した。手紙を受け取ったディーンは、毎度のような娘の筆跡に思わず笑みを洩らす。
『お父様、お母様。ちょっと出かけてきます。すぐ戻りますから、心配しないで下さいね。 レンティーナ』
 簡潔極まる文章だ。というよりは、毎回文面が同じである。もう少しひねりはきかせられないのか、などとディーンはずれたことを考えてもいた。
「ディーン、なにかあったの?」
 アルテナが少し心配したように声をかけてくる。その言葉に、ディーンはやや皮肉そうに笑いつつ振り返った。
「いえ、大公ご夫妻のお気を煩わせるようなことではありません。……まあ、いつものこと、ということで」
「ああ、なるほど。大変ね」
 アルテナはそれだけ言って小さく笑うと、アリオーンに視線を戻した。アリオーンもまた、皮肉そうに笑っている。
 ディーンとシルティール、侍女は廊下に出て、そのまま自室に向かう。竜騎士団長であるディーンの住まいは、市街にも用意されているが、城内にもある。ディーンは極力市街の家に帰るようにしてるが、今日は少しだけ城内で休んでいくことにした。シルティールが後に続く。
「……しかし誰に似たんだ、レティの性格は」
「私じゃ、ないですよ」
「俺だというのか?」
 ディーンは複雑な表情で問い掛ける。だが、あまり否定している風ではない。
「確かに、ターラの公女より俺の方が破天荒な生き方をしていたからな」
 その言葉に、シルティールはくすりと笑う。もう捨て去った過去とはいえ、忘れられるわけではない。いや、忘れるはずがない。あの地は、ディーンと出会った場所であるのだから。
「収穫祭の時に、こっそり行ってみよう。まだお前のことを知る者はいるだろうが、少し変装していけばいい」
 その言葉に、シルティールは嬉しそうに頷き、その後に少しだけ心配そうな顔になる。
「どうした?」
「……いえ、レティがターラに行ってないといいと思って。あの子、昔の私にそっくりだから……今の私が行くよりもっと、混乱させる気がするわ」
 ディーンの頬を冷や汗がつたった。確かに、レンティーナは昔のシルティールに酷似している。その彼女が、ターラに行けば昔を知る者はこぞって勘違いするだろう。かつてのターラ公主リノアンだと。
「でも、なんとなく大丈夫だと思いますけど」
「……根拠はあるのか?」
「あまり。でも、あの子、少し前からイザークのミリー公女と仲がいいみたいなの。だから」
「イザークの……?だが、どうやって知り合った?」
 するとシルティール――リノアンはくすくすと笑ってから答えた。
「旅先でばったり、ですって。要するに、同じような……」
「突風娘か」
 リノアンは笑いながら頷いた。つられて、ディーンの表情も緩む。
 一応、ターラにレンティーナが行った場合の対応だけは命じておく必要があるが、それもあまり必要ないように思えた。確かに、レンティーナは自分の若い頃に良く似ている。型にはまらず、自由を好む。もっとも、レンティーナのは自由というよりは冒険を好んでいると言った方が正しいかもしれない。
 もっとも、ディーンはひそかに、レンティーナの性格はやはり妻のものではないか、とも思っている。
 立場上、彼女は常に立ち居振る舞いを注目される状態にあり、常に自分を律してきた。だが、彼女の本来の性格がどのようなものであるのか、となると、これはまた別問題であり、それはレンティーナに共通するところがないとは言えない。
「とりあえずターラには連絡だけやっておくか。ま、しばらくしたら戻ってくるだろう」
「……そうね」
 確かにそうかからずレンティーナは戻ってきた。だが、この時彼らも予想もしなかったことが、あとで待ち受けていたのだ。

「は〜。ヒマ……」
 壮麗な城の窓口に佇む少女が一人。白い窓枠の下辺はガーデニングされていて、夏に入ったばかりのこの季節には、色とりどりの花が咲いている。それに美少女とくれば、それだけでそれなりに絵にはなる。ついでに横に可愛いネコのオプション付だ。しかし。
 その少女の顔はどこまでも浮かない顔だった。大きなこげ茶色の瞳と、同じ色の少し撥ねたような癖のある長い髪、やや小柄ながら、一応出るべきところは出て、それなりに成長していて、全体的に抱きしめたくなるような愛らしさがある。リボーの公主セディの娘であり、通称『ネコ公女』ミリーとは彼女のことである。
 なぜそう呼ばれるかというと、それはリボー城の彼女のエリア――リボーの城の第三層はそのほとんどがミリーの『部屋』とされてしまっている――に入れば分かるだろう。どちらを向いてもネコが目に入るのだ。そのほとんどは元ノラネコである。
 ミリーはリボーでも――下手するとイザークや近隣諸国でも――有名なネコ好きで知られている。そして、ノラネコを見るとすぐ拾ってくる、という癖があるのだ。普通ノラネコは、あまり人には馴染まないはずなのだが、なぜかミリーはネコに好かれる。時々、ネコのほうから彼女にくっついてくることもあるほどだ。
 ただし、ミリーは飼いネコは絶対に連れてこない。当たり前のようだが、時々薄情な飼いネコがいるもので、勝手にミリーについてくることがあるのだ。ただそういうとき、ミリーはそのネコに話しかけるように――というよりは実際話しかけて――説得して、ちゃんと帰ってもらうのだ。ネコの言葉がわかるのではないか、という噂すらある。これが、彼女が『ネコ公女』と呼ばれる所以だ。
 もっともその一方で、炎と雷の魔法に関して、それぞれの聖戦士の血を引く――といってもセディ公は実際ファラの血脈であるから、ミリー公女にも聖痕はあるらしいが――聖戦士と同じくらいの実力を持つらしい。才能がある、ということだろう。加えて母マリータの才能もきっちりと受け継いでいて、イザークでは唯二の魔法と流星剣の使い手である。末恐ろしい、とは彼女のためにある言葉かもしれない。
 ただし。
 その少女の性格は、どこまでいっても『お転婆で猪突猛進』の言葉だけで括られるものであった……。
「おっかし〜なぁ……今日あたり来ると思っ……あっ」
 南の空を見ていたミリーは、その空に何かを見つけると、嬉しそうにクローゼットを開き、素早く服を着替える。それは、公女というより旅人が身に纏う旅装束にしか見えない。そして、クローゼットにある大量の服に隠されるように置いてあるショルダーバックを取り出した。中には、着替えやら保存食やら旅の必需品が詰まっている。それらは普通公女様が、少なくとも普段から用意しておくようなものではないのだが……。
 それを取り出したミリーは、ふとあることに気がついて扉の鍵をかけた。その直後、ドンドン、という扉を叩く音がして、ガチャガチャ、と扉を開けようとする誰かが、扉の向こう側にいることを教えてくれた。だが、鍵をかけたのでそう簡単に開くはずはない。
「ミリー、開けろっ。こらっ」
 若い男の声。ミリーの一つ上の兄、レディオンの声だ。
「兄様だんだん気付くの早くなってきましたねぇ。でも、まだまだですよぉ♪」
 そういうとミリーは、窓の枠に足をかける。そしてその時には、ミリーが空を見ていて見つけたもの――飛竜はかなり大きくなっていた。
「アナリーとセシオンによろしくね〜。ちゃんと指示はしてあるから♪」
 この二人はミリーの友人である。いや、正確にはリボーの侍女なのだが、ミリーの同類――つまり、無類のネコ好きのため、いつもミリーと一緒にネコの世話をしているのだ。そして、この様にミリーが外出する時は、ミリーの代わりにネコの面倒を見るのである。本人達は好んでやっているし、本来の仕事もちゃんとやるのでとりあえず問題はないといえばないのだが。
「こらっ、そういう問題じゃないっ!! ミリー〜〜〜〜〜!!!」
 ドカン、と扉を思いっきり蹴る音が聞こえた。だが、頑丈に作られた扉は、その程度で開くはずがない。そのうち、合鍵が届いたのか、ガチャガチャと鍵を回す音がして、ついに扉が開け放たれた。しかし。
「う〜ん、残念。またどうぞ♪」
 すでに窓枠の上に立っていたミリーは、部屋の逆側の扉のところにいる兄ににっこりと微笑むと、迷いもせずにぴょんと飛びあがった。ちなみにここは三層である。
「ミリー!!」
 慌ててレディオンが窓際に行くと、強烈な風がレディオンの顔を撫でた。ばさり、という風を受ける巨大な翼の音が聞こえる。
「レディオン様、お久しぶりです。このような場所から、失礼しますね」
 言葉も丁寧だし、声も宮廷などにいる『深窓の令嬢』をそのまま表現したような、そんな雰囲気すらある。声を発した人物の容姿も、淡い薄紅色の長い髪と、小さな顔、それに細身の容姿と『深窓の令嬢』と表現するには申し分ない。ただし、その声が飛竜に乗った、妹と同じような格好をして、飛竜の上から発せられなければ、だ。
「レンティーナ様、あなたもご両親が心配されるでしょう!!」
 トラキア王国竜騎士団長ディーンの娘。性格は一言で言ってしまえば、ミリーの同類である。ただ、ミリーが活動的な、どこかネコを思わせるような容姿であるのに対して、レンティーナは容姿や雰囲気、それに言葉遣いなどは、完全に母シルティールの若い頃に酷似しているらしい。それだけに、そのギャップは見た者にしか分からない、ある種の絶望すら誘う。なにしろ南トラキアからリボーはいくら飛竜でも四、五日はかかるはずだ。なのに、その距離をあっさりとやってきてしまうのだから。
「大丈夫です。ちゃんと置手紙をしておきましたから」
 そういう問題ではないだろう、とは誰もが言いたくなるが、同時に言っても無駄である。
「私は置手紙ないけど、兄様がその代わりね。じゃ、父様と母様によろしくね、兄様♪」
「待て、ミリー!!」
 無駄と知りつつも言わずにはいられない。だが、妹達は当然そんなことを聞くはずもなく、仲良く手を振りながら、大きく方向を転じて西の空に消えていく。
 後にはがっくりと力を失った黒髪の少年がうなだれていた。
 そして、その光景を一つ上の階から見ていたのは、公爵夫妻であった。
「毎度のことながら……いいのかな?」
「あら。昔の自分を思ったら、止めても無駄って分からない?」
 妻に言われて、リボー公爵はぽりぽりと頭をかく。その態度は、明らかに否定ではなかった。
「むしろレディオンの方が、誰に似たんだろう、というところなのかもしれないな。まあ実際、あの子達なら滅多なことはないだろうけどね」
「これが初めてではないですしね」
 前にまだミリーとレンティーナが十二歳だったとき、二人は揃って一月も行方不明だったことがある。さすがに心配になり、シルティールがリボーに来たりして捜索しようかと思った頃に、二人は帰ってきた。なんとミレトスまで行って、しかもミレトスで脅威となっていた盗賊集団を叩き潰してきたらしい。この豪胆さと大胆さには、さすがに当時は驚いたものだ。
 それ以後、あの二人の行動範囲はどんどん広がっていて、今では平然と一月くらいいないこともある。全体でみても、一年の三分の一は城にはいないだろう。ただミリーの場合しっかりしているのは、留守にした期間と最低でも同じだけは、ちゃんとネコ達に構っているのだ。さすがは、百匹近くいると思われるネコ達の名前を、全部記憶しているだけのことはある。
「それにまあ、ミリーが出かけているとお菓子責めはないからね」
 その言葉に、公妃マリータは思わず吹き出した。
 ミリーのもう一つの特技というか趣味はお菓子作りである。味は下手な菓子職人より美味しいかもしれない。それはいい。だが、作る量が問題なのだ。城中の人間に配って回ってもまだあまる。無論ミリーが結局ほとんどを処分するのだが、あれで太らないのは奇跡としか言えない、とは兄レディオンの言葉。
 たださすがに、ミリーが出かけている間だけは、それを恐れなくていい。もうミリーの『おでかけ』は恒例になってしまっているので、あまり驚かないのだ。
 だがそれでも、今回は特殊だった。セディもマリータも、そしてレディオンも、それを思い知ることになる。
 無論、それ自体に問題はなかったのかもしれないが――。



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