無限の時の果てに



 手足を動かそうとしたが動かなかった。どうやら相当痛めつけられたらしい。感覚

がない、ということはそういうことなんだろう。

 老いを実感する時間は与えられそうにない。あの女は自分ではなく、自分の右腕に

宿っていたものが欲しかっただけだ。まだ生かしているのは、それを手に入れるため

の手段としてだろう。

 二十七の真の紋章の一つ。生と死を司る、もっとも業深き呪いの紋章・ソウルイー

ター。人の魂を喰らい成長する、忌むべき紋章。そして。自分を三百年もの間老いさ

せることもなく生き続けさせた力。

「俺がまだ殺されないってことは、レイがまだ捕まっていないって事だろうな」

 光すらもう何日見ていないから分からないが、もうそこそこ時間は経っているはず

だ。

 あの時。

 ぎりぎりまで追い詰められた自分は、最後の手段としてソウルイーターを親友であ

ったレイに渡した。あの絶大な力を誇る紋章を、この世界を呪っているあの魔女に渡

すわけにはいかなかったからだ。だが今でもその選択が正しかったか、迷いがある。

 あの紋章を宿したばっかりに、レイは帝国を追われ、今では反帝国の運動をしてい

る解放軍のリーダーになっているらしい。自分が、あの時レイにソウルイーターを渡

さなければ、多分彼は帝国五将軍の一人、テオ・マクドールの息子として、何不自由

ない暮らしをしていただろう。

 それを奪う権利が自分にあったはずはない。

 けれど、あの時はそれしかなかったのだ。

「ソウルイーター・・・。まだ成長しつづけるのか?」

 だてに三百年も一緒だったわけではない。ソウルイーターの状況は、今も手にとる

ように分かる。どうせなら、レイがいまどうなっているのかまで分かればいいのに、

ともどかしく思うが、ソウルイーターとのつながりがあるだけでも奇跡のようなもの

だろう。

「あの時会わなければ良かったのかなあ。俺達」

 ふと、想いを過去に遡らせた。今でもよく覚えている。初めて、彼と出会った時の

ことは。

 

 

「う〜ん。さすがにこのあたりは気候が穏やかだなあ」

 テッドは思いっきり伸びをして大きく息を吸い込んだ。大きな内海を持つこの地域

は、春には適度に湿った風が大地を吹き抜け、森の中まで潤してくれる。たとえ何年

生きているとしても、やはり自然の美しさは素晴らしいと思う。特に、灰色の冬が過

ぎた後の春の木々の瑞々しさは、いつになっても気持ちのいいものだ。

「このあたりは久しぶりにきたけど・・・自然はそう変わるものじゃないよな」

 変わるとすれば人だ。

 前に来たのは皇帝バルバロッサ登極の直後だ。あの時は、人々も生き生きとしてい

た。戦争による荒廃から復興を成そうとする活力に満ち、何より人々が明るかった。

だけど。

 ここに来るまでの町々で聞くのは皇帝や帝国軍人の横暴さに対する不満ばかり。無

論、かつての皇帝への敬意を忘れているわけではない。けど、それ以上に人々の不平

不満というのがたまってきている気がする。

 もっとも、自然の中にいるとそれすら関係がない。それに、国なんてどうせいつか

なくなるものだ。この三百年間で、いくつもの国の興亡を見てきた身としては、もは

や『なるようになる』としか思えなくなっている。幾度か、この右腕に宿るソウルイ

ーターを狙ってあの魔女の手下などが来るたびに、住処を変えた。そのうち、どうで

も良くなって一所(ひとところ)に住むことがなくなるまでは十年もかからなかっただ

ろうか。心休まることのない逃亡生活。けれど、それも三百年近く続けていれば、慣

れてしまう。

 人と関わることなく暮らしていくのは、最初こそ辛かったのだが慣れてしまえば何

のことはない。望まずして与えられたとはいえ、この無限の時間を使えば、世界中だ

って見て回れる。ソウルイーターがあれば、実際普通なら身の危険になるようなこと

もどうということはない。そう開き直ってしまえば、それなりには楽しめる。

 それでも、ふと寂しさを覚えるのはどうしようもない。数十年ぶりに訪れた村で、

かつて少しだけ知り合った人の墓を見たとき、なんともいえない気持ちだった。

 けど、自分は人と関わるべきではない。この呪いの紋章は、所有者に近しい者の魂

を喰らって成長する。喰われた魂がどうなるかは分からないけど、あまり気持ちのい

いものではない。ならば、自分はこの紋章を永久に宿し、そして永久に人と関わるこ

となく歩きつづければいいのだ。

 かつて生まれ育った村は、すでに何も残されてはいない。そこに村があったことす

ら、もう分からなくなっている。幼馴染もいたはずだけどもう顔すら覚えていない。

一抹の寂しさも覚えるが、だがそういうものだろう、と割り切ってしまっている。無

限の時間とはそういうものだろう。

 友達が欲しいという気持ちもかつてはあったが、どうやら肉体は老いなくても精神

は老いているのか、ある種達観してしまっている自分をよく自覚する。

 ふと見ると気持ちのよさそうな澄んだ水の流れをたたえた川が見えた。きれいだ、

と思う前にその向こう側に立ち上る煙が見える。

「戦、か」

 皇帝への不平不満というのは、地方ほど噴出してきている。強力なカリスマに支え

られた統治、というのはあるいは脆いのかも知れない。かつてバルバロッサを遠めで

見たときは彼が皇位にあるあいだはこの地は安定していると思えたのだけど。

「放っても・・・おけないな」

 目の前の川に足をつけて一休みする欲求も捨てがたかったが、だが目の前であるい

は殺されようとしているであろう人々を見捨てることは出来なかった。

 

「盗賊か」

 襲われているのはそれほど大きな村ではない。襲っているのは十人ほどの盗賊だ。

 かつて、皇帝の権威が国の隅々まで行き渡っていた頃は、盗賊も息を潜めていた。

だが、皇帝の治世に歪が生じてくると、地方からその影響は出てくる。そしてこのよ

うな輩が溢れてくるのだ。

 テッドは素早く弓に矢をつがえ、続けばやに放った。それらは正確に盗賊たちを捉

える。三人立て続けに盗賊たちはうめき声を上げて倒れるが、致命傷ではない。彼ら

とて、おそらく自ら望んで盗賊に身をやつしているわけではないのだろう。生活のた

め、仕方なくやっていることも多いのだ。それを考えると、殺してしまうのに一瞬抵

抗がある。

「くそ、あのガキを殺せ!!」

 首領らしき男の命で、盗賊が数人、こちらに向かってくる。だが、いずれも動きは

容易に見切れる。だてに三百年も生きてきたわけではない。水準以上の体術は修得し

ているのだ。賊の動きを正確に読み取って、半身をずらす。その際に足を片方だけ残

し、そのまま低く蹴りこんだ。突っ込んできた盗賊は、足を払われて無様に転倒して

しまう。

「このガキ!!」

 首領が斧を振り上げて突っ込んでくる。そんなもの避けるのはわけない、と思って

いたのが油断につながった。横合いから両端に金属の錘をつけた縄が投じられたので

ある。とっさに腕で顔をかばったが、彼らの狙いはテッドの足元だった。

 縄が引っかかり、錘の勢いで縄が両足に撒きついた。当然、バランスを崩し転倒す

る。

「けっ、このガキが。なめた真似しやがって」

 テッドが身動き取れなくなったと思って首領はまるで舌なめずりでもするように残

忍な表情で近づいてくる。

(使いたくなかったけど、仕方ないか)

 真の紋章の使い手には「死」という人生の終焉はないという。仮に肉体が滅ぼされ

ても、紋章がいつか本人を再生してしまうらしい。二十七の真の紋章の「不死の呪い」

である。そういう考えでは、殺されたところで問題はないといえばないのだが、かと

いって殺されるということを許容できるかどうかは別だ。冗談ではない。

 右腕の手袋に手をかける。それを取り去ろうとした瞬間、テッドの横に立っていた

盗賊がいきなり殴り倒された。

「なにっ?!」

 立っていたのはテッドよりやや年下――といっても見た目だけだが――に見える少

年だった。細い武術用の棍を持っている。

「なんだ手前は!!」

 首領のその声が合図になったのか、二人の盗賊が少年に襲い掛かった。だが、少年

は素早い動きで盗賊の斧を受け流してしまうと、みぞおちに棍を叩き込む。盗賊は悶

絶してそのまま気を失った。

 その間にテッドは小刀で縄を切り、立ち上がる。

「大丈夫だった?」

「それはこの後だな」

 テッドの言葉と同時に盗賊たちが襲い掛かってくる。だが二人は上手く背中合わせ

に戦ってしのぎつつ、反撃を繰り出す。その見事な連携に、盗賊たちは次々に打ち倒

されていく。

(すごいな)

 テッドは少年の動きに感心した。まさか真の紋章を宿す者ではないだろうから、こ

の年齢でこれだけの力を持っていることになる。かなりの素質があり、かつ鍛錬を積

んでいるのだろう。

「くっ!」

 しかしさすがに盗賊たちも馬鹿ではない。テッドの意識が一瞬少年の向いていた時

に、攻撃してこようとした盗賊がいきなり横に飛び、その背後にいた盗賊が短刀を投

げてきて、それがテッドの腕をかすめた。少年の方を見ていたので、敵のさらに背後

の敵に気付かなかったのだ。その痛みで、一瞬テッドの体勢が崩れる。そこに盗賊が

一気に斬りかかろうとしてくる。

(しくじった・・・!)

 致命傷を負わないように体をひねらせようとしたテッドだが、その手前に少年が割

って入った。だが、さすがに無理に入ったため、受け止めきれずに斧が少年の腕を斬

り裂いた。

 鮮血が飛び散り、激痛で少年が棍を落としてしまう。

「大丈夫か!」

 テッドは斧を振り下ろしきった盗賊に半ば飛び込むように蹴りをいれて突き飛ばし

た。少年の傷は深くはないが、だが棍を振るうには辛そうだ。

「なんて無茶を・・・」

「だって、そのままだったら君が怪我していたじゃないか。下手をすると死にかねな

いような大怪我していただろし」

 一瞬、あきれてしまう。自分が大怪我をするような可能性は考えなかったのだろう

か。ただ、どちらにしても状況が悪いのは一緒だった。少年は武器を使えないし、テ

ッドの傷も小さくはない。

 盗賊は相手に武器がないことで余裕を持ったのか、半ば包囲するようにしてゆっく

りと近づいてくる。

 やばいな。

 テッド自身はいざとなればソウルイーターを使うという奥の手もある。けど、この

少年の前でそんな力はあまり使いたくはない。だが、そう贅沢を言っていられる状態

ではなさそうだ。

 少年を確認してから、ソウルイーターを使おうとして少年の方を見た。始め、少年

は悔しそうに盗賊たちを睨んでいたのだが、何かを見つけたのか、急に表情が和らい

だ。死を覚悟したのかと思ったが、そうでもなさそうだ。

「なめてんじゃねえぞ!!」

 その少年の態度がよほど気に食わなかったのか、首領が大斧を振り上げて襲いかか

ろうとしたとき、その首領の眼前に凄まじい勢いで槍が突き立てられた。

「だ、誰・・・」

 首領は口を開きかけてそこで停止していた。いつのまにか、百以上の兵に囲まれて

いたのである。そして、今まさに槍を投じたであろう人物が一人静かに歩み寄ってき

ている。ただの一指揮官でないことは、テッドにも盗賊にも分かりすぎるほど分かっ

た。

「恐れ多くも皇帝陛下の領地を汚す罪人よ。皇帝陛下に成り代わり、このテオ・マク

ドールが貴様らにふさわしい罰を与えてくれよう」

「ひ・・・ひいいいい!」

 盗賊は完全に戦意を失っていた。無理もない。

 テオ・マクドールといえばかつて皇帝バルバロッサと共に継承戦争を戦い抜いた戦

士の中でも、特に大きな功績のあった帝国六将軍――今は五将軍だが――の一人。圧

倒的な突撃力と突破力を誇る鉄甲騎兵団の長。別名百戦百勝将軍。盗賊たちでは、逆

立ちしても勝てる相手ではないのである。

「抜け。貴様らにせめてもの最後の抵抗の機会をやろう」

「う・・・うあがああ!!」

 まるで何かが壊れたように、盗賊たちはほぼ同時にテオに襲い掛かった。五対一。

だが少年はもちろん、周りの兵士達も心配している様子は全くなかった。直後、倒れ

ていたのはいずれも盗賊たちだったのである。しかも、テオは剣を鞘のまま腰帯から

外している。それで腹部や胸部を強打したのだ。

「捕らえよ」

 テオの命令に、兵士達がうめいている盗賊たちに縄をかける。

「まったく、無茶をしおって。かすり傷ですんだから良かったようなものの。一つ間

違えば命を落とすところだったのだぞ」

 テオの一喝に少年は先ほどとは打って変わって小さくなって反省している。

「でも、ぼくが早く来なきゃ、彼は・・・」

 そこでテオはテッドのほうに向き直った。

「この村の者か?」

 テッドは一瞬、自分は何も悪くないのに気圧されてしまう。

「い・・・」

 いいえ、と言おうとしてそれが不自然であることに気が付いた。このあたりには、

他に村もなく、テッドくらいの外見の年齢の少年が遠くに出歩いているはずはないの

である。

「親を失ったのか。もう少し早く我らが駆けつければな」

 言いよどんだことを、親を失ったショックと勘違いしてくれたらしい。テッドはな

んとなく安心した。

「来るのが遅くなってすまなかった。申し訳ない」

 テオは頭を下げて謝った。さすがにこれにはテッドも呆然としてしまう。栄えある

帝国五将軍の一人が、たかが村人に――実際は違うのだが――頭を下げるなど思いも

しなかった。

「息子を助けてくれて感謝する。こいつはすぐ走り出してしまうからな、全く。ほら

お前を礼を言え」

 息子、といわれて先ほどの少年の棒術に納得がいった。なるほど。あのテオ・マク

ドールの息子ならば、武術は嗜んでいて当然だ。

「ありがとう。ぼくはレイ。君は?」

 一瞬、答えていいものかどうか、逡巡する。けど、この状況で答えないのもかえっ

ておかしい。

「ぼくはテッド」

 他の自己紹介をどうしようか考えたが、嘘をつくのも気が引けるし、かといって本

当のことを言うわけにもいかない。

「テッド君とやら。ご両親は?」

「いません。もともと」

 これは、多分嘘にはならないだろう。

「行くあてはあるのかね?」

「ありません」

 これも嘘ではない。あてがない旅を続けているだけだったのだから。

「そうか・・・。どうだろう。帝都に来ないか?帝都であれば、私も援助することが

出来る。この村がこうなった責任の一端は私にある。残念ながら、この村の者はほと

んど殺されてしまっている・・・。その罪滅ぼしの意味も含めて」

「ぼくからも頼みたいな。君、強かったし。友達になってほしいよ」

 これは、思いもしない誘いだった。一瞬、どうすべきか考てみる。

 あてのない旅でも、いつかあの魔女には見つかってしまうだろう。だけど、逆に人

の多い場所なら隠れやすい。まして、テオ・マクドールの保護があれば、仮に見つか

ったとしてもあの魔女も迂闊に手を出してきたりしないだろう。それに。

 テッドはレイと名乗った少年を見た。澄んだ瞳だ。大将軍の息子、となれば多少高

慢なところがあってもおかしくはないのだが、そんなところは全くない。三百年の放

浪生活ですでに諦めていた『友達』を得られるような気がした。

 無論、それが錯覚であることはわかっている。

 今はまだいい。だが、数年経っても自分は変わらない。そのときには、嫌でも真実

を話さなければならなくなるだろう。けど、それでもテッドは逃げつづける生活に疲

れていて、どこかで休みたいと感じていたのである。

「い、いいんですか?」

 その言葉は、気が付いたとき口から出ていた。

 

 

「あれから二年、か。でも、俺は幸せだったよ。あの二年間が、それまでの三百年の

中で一番輝いていた時期だ。本当俺って、恩を仇で返した人間だよな。ごめんよ。け

ど、あの女にソウルイーターを渡さないようにするには、これしかなかったんだ」

 あるいは迂闊に近衛などに入らなければ良かったのか。レイと付き合っていると、

まるで自分が若返ったような、かつての子供じみた感情も取り戻していたように思え

た。けど、だからこそレイと友達になれたのだろう。

 その時、暗い部屋に一筋の光が生じ、部屋を照らし出した。シルエットしか見えな

いが、テッドには誰だかすぐ分かる。

「おばさんかい。なんか用かい?」

 精一杯の憎まれ口だが、あまり効果はないだろう。

「出なさい。あなたの利用価値があったみたいだから」

 何に使うか、検討はつく。だが、そうはさせない。

(思い通りにはさせない。俺の友達を、お前なんかに傷つけさせはしない)

 テッドは静かに決意を固めた。そして、痛む体をゆっくりと起こし、表向きウィン

ディに従うようについていく。

 

 その日、ソウルイーターを宿す右腕がかすかに疼いていたのがなんだったのか、後

にレイは知ることになる。

 呪われし紋章は、ただひたすら最後の贄を待ちつづけていたのだ――

 



駄文・後書き・蛇足

戻る