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聖夜に降りる天使 エピローグ




 クリスマスの翌日、美典は水希に呼ばれて彼女の家に向かっていた。
 会うのはクリスマス・イブの夜以来だ。もっとも水希があの夜の事を覚えているかは定かではない。
 あの後、『宿場町』のメンバーは大急ぎでランドマークタワーから撤収し、水希を家に送り届けた。幸い、誰にも見られる事はなかった。彼女の弟が友人の家のパーティに呼ばれてたのが幸いした。
 バイクを家の前に止めると、インターホンを押す。しばらくすると、中から反応があって、玄関の扉が開いた。現れたのは水希ではなく、弟の方だった。
「あ、こんにちは、天城さん」
「こんにちは。水希、いる?」
 はい、と言って美典は家に案内された。「二階にいるから」といって彼は居間に行く。テレビでも見てるのだろうか。
 二階に上がると、コンコン、と扉をノックした。すぐに「あ、入って、美典」と応答がある。
 一瞬ためらったが、美典は扉を開けた。そこには、今までと何も変わらない水希がいる。
「ごめんね〜。英語をちょっと見てもらいたくって」
 実際のところは、ほとんど口実に近い。センター試験まで後一ヶ月もないこの時期は、もう問題集などで勉強するのが普通で、人に頼る事などあまりない。が、水希は美典をよく呼び出していた。英語を教えてもらう、という口実で――勉強もする事はするが――おしゃべりをしたりしていたのである。もともと水希は英語が苦手というほどではなく、いまさら切羽詰って勉強するほどの事もないのだ。
 だが、今日は美典は気が重かった。彼女がクリスマス・イブの事を覚えている可能性があるからだ。
 人間ではなかった自分。それを水希に見られた可能性は、否定できない。
 妖怪の中には記憶を操作できる妖怪もいるらしく、それで記憶を消してもらう事にはなっている。だが、その妖怪は今は忙しくていないらしく、もう数日、かかるらしい。出来ればその間は会いたくなかったのだが、「絶対来て」といわれては断る理由がない。
 とにかく他愛ない会話を、と思った矢先、いきなり水希から切り出してきた。
「一昨日の夜、さ」
 美典は自分がびく、と震えるのを自覚した。それに気付いたのか気付いていないのか、水希は続ける。
「美典に会った気がするんだ。違う?」
 美典はどう答えるべきか、で頭の中がぐるぐると回っていた。ウソをつく自信はない。だが、もし彼女がおぼろげでも、クリスマス・イブの事を覚えていたら。
「私ね、あの夜、天使を見た気がしてるの。すごく怖い天使と、とても優しい天使と。怖い天使が、私を殺そうとしてね、それを優しい天使が護ってくれた」
「…………」
「夢だったのかもしれない。でもあの、雪の聖夜に降りてきた天使は、すっごく素敵だった。それがね、なぜか美典に見えたの」
 多分今の自分は真っ青になっている。それを美典は自覚していたが、どうにも出来なかった。
「で、起きたら自分のベッドだったけど……どうしてそんな夢を見たのかも分からないけど……ただ、ね」
 水希は堅く握られ、わずかに震えている美典の手に、自分の手を重ねた。
「私にとっては天使が悪魔だろうが、なんであろうがどうでもいいの。美典が私を助けようとがんばってくれた。そうでしょう?」
 美典は驚いて顔を上げた。水希は、にっこりと笑って頷く。
「私にとって、美典は誰よりも大事な友達。それは美典がなんであったって、変わらない。……私はそう思っているんだけど、美典は?」
 美典は思わず水希に抱きついていた。勢いあまって、そのままベッドに倒れこむ……が、そのまま押し倒された水希は壁に頭をぶつけてしまった。
「痛っ」
「あっ、ご、ごめんなさいっ」
「あのねぇ……大体、いきなり抱きつかないでよ。私、美典の事は好きだけど、恋人にするのはカッコいい年上の男の人って決めてるのっ」
 そう言ってから、水希は小さく下を出す。
「でも、外国の人はしばらく遠慮かもね」
 しばらく見つめあった二人は、どちらからともなく笑い出した。

「大丈夫そうですね、彼女らは」
「そうね」
 希佐奈はそういうと、これ以上は不要、と言うように水晶球から映像を消す。先ほどまで、笑いあう少女が二人、映っていた。
「で、≪バロウズ≫からはなんて?」
「天使であるといっても、天城美典は同時に人間でもある。よって、おそらくすでに『神』の意思からも離れているだろうってことで、他の妖怪と一緒に扱うって事になりました。一応、うちの所属と言うことで交渉しようかと、今度」
 薫の言葉に、希佐奈やリージアが頷く。
「そうそう。あのラスイルの言葉が気になって調べてみたんだけど」
 リージアが、どこから持ち出したのか、非常に古い、大版の本を取り出した。
「イシュリエルって天使は、ミルトンの『失楽園』に名前がある天使で、エデンに潜入したサタンの正体を暴いた天使らしいわ。ただ、イシュリエル本人はかなり古い天使みたいだったから、あるいはもっと昔に記述があったのか、それは分からないけど」
 そういって彼女は、ぱらぱら、と本をめくる。
「調べてみて分かったんだけど、あの千五百年前の戦いで、天使はすべて封印されたわけではなかったみたいなの」
 かつて行われた神と天使を封じた大戦は、妖怪側の勝利で終わり、神と天使はことごとく呪いによって封印された。その呪いが破れるのは第二次世界大戦まで待つ事になるのだが、あの時にも数十万ともされる天使全てを封じるには至らなかったらしい。そして生き残りの天使は、神を失って、その拠り所をローマ教会に求めた。以後、ローマ教会は密かに天使を守護者として持ち続けていたという。
 イシュリエルやラスイルもその一人だったらしい。
 だが、人間の中で暮らしていれば、自然、その影響を受ける。
 ローマ教会に属した天使たちの多くは、ヨハネ黙示録で与えられた役割を忘れ、人類――ローマ教会の守護天使へと変わっていったという。だが、一三二〇年、当時のローマ法王ヨハネス二十二世が、魔女を異端として狩るように命じた。実際には、無実の者を魔女として神の名の下に断罪し、財産を奪うという醜悪な『事業』であったらしい。
「で、これに反対した天使がいたらしいの。名前は残ってないけど。まだ当時、魔女狩りはそれほど凄惨なことにはなってないけど、彼女の力を考えたら……多分視えたんでしょうね。ただ、その天使は裏切り者として断罪された、とあるけど……」
 そこまで聞けば、分かる。
 実際には、イシュリエルは遥かこの東洋の島国まで逃げていたというわけだ。そして、人の中に紛れ込み、子をなし、その力が彼女に受け継がれた。
「そういえば、あの天使……ラスイルはなぜ篠崎さんを?」
「それなんだけどね。調べてみたら、天城さんと篠崎さん、親戚なのよ。といっても、二百年くらい家系を遡って、ようやく親戚だって分かるレベルだけど。で、ラスイルって天使の言葉覚えてる?」
「ああ、なるほどね」
 偶然、篠崎水希はかつてのイシュリエルと同じ魂の色を持っていた、というわけだ。魂の色、などというのは正直よく分からないが、天使には、少なくとも彼には見えていたのだろうが、それゆえに彼は勘違いしたのだろう。あるいは。
「篠崎さんも天使の力を宿している、なんて……ことはないか」
「どうかしらね。生まれ変わりなんて呼んでるけど、要は先祖がえりみたいなものですしね」
「まあ、その時は天城さんが今度はいい支えになってくれるだろう」
 薫はそういうと、コーヒーを一口すする。
 苦みばしった液体が、喉を潤していく。
 街では、すでにクリスマス一色だった雰囲気は消え、新年の飾りがあちこちにあるだろう。
 もうすぐ今年も終わり。最後になって大事件と呼んでいい事件があったが、それでも年は明けていく。
 新たな仲間を迎えるのは新年になりそうだ。確か彼女は、明日あたりから実家に行くらしい。
 家族に打ち明ける、と言っていたが、こっちは友人よりもっとすんなり行くだろう。
「よい年を」
 誰に言うでもなく、薫はコーヒーカップを掲げて、一人呟いていた。




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