夜の幹線道路を、美典は高速でバイクを駆けさせた。
水希の家までは、バイクなら普通に走っても十分程度。だが今、美典は制限速度をあからさまに超え、バイクを走らせていた。
後日、よく警察に見咎められなかったと胸を撫で下ろしたものである。見つかったら、一発で免停になる速度だった。ついでに、事故を起こさなかったのも奇跡的かもしれない。
わずか五分で、美典は水希の家に着いた。だが、もうすっかり暗いにも関わらず、明りはない。
「水希!!」
インターホンを鳴らし、反応があるよりも先に門を通り、ドンドンと扉を叩く。だが、家の中からの返事はない。
「う……天城さん、かい?」
反応があったのは、扉の脇の、植え込みの影からだった。
「誰……え!?」
一瞬、目を疑った。そこにいたのは、人間ではなかったのである。
暗いから真っ黒に見えるが、本来は青色の、つやのある滑らかな皮膚。体長は一メートル半ほどか。手足はなく、代わりにひれ。だが、そのひれは、先端が器用に丸め込まれ、その手に奇妙な形の長いもの――アニメか何かで出てきそうな光線銃がある。
大きなイルカが、玄関脇に転がっていた。なんとも異様な光景だが、美典はその腹にある大きな傷に気がついた。
「えと……綱島、さん……?」
「ああ、この姿じゃわからな……ごほっごほっ。す、すまない。水を持ってきて、かけてくれないかな……」
一昨日までの美典なら、間違いなくパニックに陥っていただろう。だが、すでに事情を聞いている美典なら分かる。
美典は急いで庭の水場にあるバケツに水をいっぱいにため、もって来た。
「かけてくれればいい……僕はその、こういう存在だから、水が乾くとダメなんだよ」
よく分からなかったが、とにかく水をかける。すると、イルカは少しだけ元気になったように見えた。
「ああ、ありがとう……ところで天城さんは、篠崎さんを探してきた……わけだよね?」
美典は頷いて、それから事の異様さに気がついた。
なぜ彼がここに、しかも怪我をしているのか。
「順を追って説明した方がいいね。僕たちは、君の話を聞いて、篠崎さんに妖怪が取り憑いている可能性があると推測した。理由は分からないけどね。で、交代で彼女を見張ろうとなったんだけど……」
なんで相談してくれなかったんだ、と思ったが、彼らが美典に相談しなければならない理由はない。
「ほんとに、ついさっきかな。二十分くらい前。金髪の外国人みたいな奴が来て、篠崎さんは奴についていこうとした。僕は、オーラで妖怪を見分ける能力なんてないけど、でも奴はヤバイ、と感じて、それで呼び止めたら……」
いきなり攻撃された、と言うことらしい。
応戦はしたのだが、相手には水希がいたし、それに元々綱島は陸上で戦うのは得意ではない上に、相手は槍を出して接近戦を仕掛けてきたと言う。
「その人、ディオネル、とか名乗ってませんでした!?」
「ああ、確かそんな風に名乗ってた。篠崎さんの様子もおかしかったしね。僕が目の前で変身したのに、何も反応しなくて。何か、催眠術めいたものを使われていたのかもしれない。僕を倒した後、その男は車に篠崎さんを乗せて、行ってしまった……本当にすまない」
昨日ディオネルを視たとき、彼のオーラは普通の人間と同じだったはずだ。だが、リージアのように妖怪としてのオーラを隠す能力があったのかもしれない。
「二人は、どこへ!?」
「……ごめん、分からない。ただ、確かこの辺りでもっとも高い場所へ行く、と言ってた……」
この辺りで高い建物と言えば、東戸塚の駅前にあるツインタワーだ。だが、この近くにはそこより――いや、このあたりではどこよりも高い建物が存在する。
ランドマークタワー。みなとみらい地区にある、日本でも最も高い建物だ。ここからでも、車ならさほど時間はかからない。
直感的に、美典はランドマークタワーだ、と思った。そしてこういうときの勘は、一度として外れた事がない。
「急いだ方がいい。僕も、すぐみんなに連絡して、後から駆けつける」
はい、と応じかけてから、美典はいくらなんでも彼(?)をここに放置していくのは気が引ける気がした。
「あの……一緒に行きます? その方が合流するのも早いし……」
すると綱島は、イルカらしく「キュキュイ」と泣いて、首を振った。
「いや、その、申し訳ないんだけど、服が吹っ飛んでしまっててね。この格好じゃ、君のバイクには乗れないだろう?」
意味が分からず、美典は首を傾げる。
「ああ、妖怪が人間の姿をとる事が出来ると言っても、全員が希佐奈さんみたいに服を保てるわけじゃないんだよ。僕の場合、今この場で戻ったら、ちょっと困った事になるからね」
数瞬考えて、美典は顔を赤くした。なるほど、それは困る。
「分かりました。私はランドマークタワーに行きます。水希とあの男は、間違いなくそこにいます」
確信をもって、美典は断言した。
そして綱島の言葉を待つことなく、すぐにバイクに飛び乗り、発進させた。
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さすがに、水希の家に行った時ほどは飛ばせなかった。また、行き先が分かっている以上、無理に飛ばす必要もない。相手が車で、しかも今日はクリスマス・イブだ。ランドマークタワーはクリスマスには一番人気のデートスポットであり、車で行こうとする人も多い。渋滞、というほどではないにせよ、車の流れは悪い。だが、バイクである美典には、さほど影響はない。
しかしいざ着いて、果たしてどうやって屋上まで行ったものか、考えてしまった。
ここに来るのは初めてではない。展望室も一度だけだが行った事がある。
だが、屋上に出る道というのは知らない。また、展望室へのエレベーターは、長蛇の列が出来ている。当然と言えば当然だ。
どうしようか、と困っていると、突然肩を叩かれた。
「水希!?」
だが振り返ったところにいたのは、当然だが水希ではなかった。
「リージアさん?」
立っていたのは、昨日『たべるなあるぴーな』で会った『妖怪』達だった。リージア、久我山親娘、波川、それに傷を治してもらったらしく、元通り人間の姿の綱島もいる。
アレだけの重傷も、妖怪の手にかかればあっさり治ってしまうのか、と思うとちょっと驚く。
「ここの上?」
久我山薫が聞いてくる。美典は、確信をこめて頷いた。
「じゃ、行こうか。リージア、頼む」
まるで近所に出かけるような口調で言う。美典がどうやって、と考えるより先に、リージアが「はい」と答え、何か小さな石を取り出した。小さな呪文と共に、それが五つに弾け、美典たちの周囲に浮く。
「え? え?」
「これで、と」
その変化は急激だった。突然、薫の姿が変わったのだ。青白い肌、赤く輝く瞳と、長く突き出た牙。服は変わっていないが、その姿は、まさに吸血鬼だ。
「これが私の本来の姿だ。まあ、娘は姿が変わる事はないんだけどね。さあ、行くよ」
その時になって、美典は周囲の人が、まるで自分達に注視していないことに気がついた。人が一人、これほど派手に変化したのに、である。
「日本では『人払いの結界』とか呼ばれる能力でね。まあ要するに、限定空間に対して人の注意をまったく向けさせない力というのが、妖怪にはあるんだよ。さ、それより行こう。リン、綱島君を頼む。リージアは天城さんを」
そういうと彼は、波川の手をとって浮き始めた。リンもまた、綱島の手を取って浮き始める。
「うそ……」
確かに吸血鬼が空を飛ぶと言う話はある。あるが……実際に翼も何もなしに空を飛ばれると、あっけに取られるしかない。
「さ、天城さんはこっち。乗って」
いつの間に出したのか、リージアはホウキを横に倒して、それにまたがっていた。
「え、えっと……」
「早くっ」
「は、はいっ」
美典は慌ててホウキにまたがる。とたん、ホウキは音もなく急上昇を開始した。
「きゃっ……!!」
かろうじて叫び声こそあげなかったが、美典はすぐ前にいるリージアにしがみついていた。バイクで昔、後部に乗せてもらった事は何回かあったが、そのどれよりも怖い。地上は見る見るうちに遠ざかり、ランドマークタワーの威容が近付いていく。
やがて、ランドマークタワーよりも高く上がっていた。
それは初めて見る光景だった。
足元には何もなく、横浜の夜景が広がっている。右手は明りがまったくないが、これは海だからだ。
残りの方角は、明りが遥か彼方まで、地上の星のように連なっていた。
「すごい……」
その光景は、美典をして一瞬自分がここに何しに来ていたかを忘れさせていた。
「あそこ!!」
だがすぐ、リンの声でそれを思い出す。見ると、ランドマークタワーの、本来立ち入り禁止のはずの屋上に、一際明るい光がある。
そして目を凝らしてよく見ると、人影が二つ、見えた。
「いくぞ!!」
薫の声で、六人は一気に屋上に近寄った。
屋上には、各テレビ局のアンテナとヘリポートがあるが、そのへリポートの中心に、その光はある。無論そんなところに、通常光を発する装置などはない。
六人はヘリポートの脇に降り立った。予想通り、そこにいるのはディオネルと、水希だった。
だが。
「水希!!」
光を発していたのは、水希だった。正しくは、水希の後ろにあるものだ。
水希は今、さながら磔にされたキリストと同じように、十字架にかけられていたのだ。その十字架が光っていたのである。
そして彼女の両手、そして両足は、光の楔に貫かれて十字架に縫い付けられていた。
意識はないのか、水希は目を閉じたままである。
「ほう……この国の妖怪どもか。だが……邪魔はさせん」
ディオネルは、現れた六人にも、動じた様子はない。
「その子をどうするつもりです」
「吸血鬼風情が、この私に問うか。まあ良かろう。教えてやる」
ディオネルは水希の横に立つと、すっと手をかざす。すると突然、そこに光る槍が出現した。
「この娘は七百年前に、主に逆らった裏切り者なのだ。ゆえに私が遣わされた……だが、狡猾なこやつは人の中に逃げた。以後七百年間……ようやくこやつが転生している事が分かったのだ。ゆえに裁きを下す。それが、私の役割なのだ」
昨日とは違い、流暢な日本語だ。昨日は、演技していたということだろう。
「だが、なぜその子だと分かる!!」
「魂の色だ」
「魂の……色?」
「そうだ。この娘の魂の色は、七百年前に裏切ったあやつと、同じものだ。魂の色は人によって異なる。そして、あやつと同じ魂の色を持つこの娘は、間違いなくあやつの生まれ変わりなのだ」
「な……」
薫はそういいつつ、あまりにも奇妙な符号に、混乱していた。
七百年前に逃げたという彼のいう裏切り者。七百年前に天城家に降り立ったという翼を持つ妖怪。
この一致は何を意味するのか。
「どっちにしても……女の子をそんな風にするなんて、許せないよっ!!」
「リン!!」
リンが、一気にディオネルとの間を詰めた。そのスピードは、オリンピックの短距離選手が裸足で逃げ出すほどで、あっという間に至近距離に入っている。
「ぬっ!?」
外見が普通の人間となんら変わらないリンのそのスピードは予想外だったのだろう。ディオネルは完全に対応が遅れた。そこに、リンの蹴りが放たれる。
ディオネルはかろうじてその蹴りを腕でガードしたが、衝撃までは殺せなかったらしい。軽く五メートルあまりも吹き飛ばされた。
さらにそこに、波川が突撃する。彼は、走り出した次の瞬間、その姿が変わり、たくましい体躯の人狼になっていた。そして、その鋭い爪が、ディオネルを襲う。
「うおっ!!」
リンに吹き飛ばされ、体勢の整っていなかったディオネルは、かろうじてそれを槍の柄で受けた。だが、その衝撃でさらに吹き飛ばされる。
「天城さん、今のうちに!!」
人間の限界を完全に超えたその戦いに自失しかけていた美典は、薫の言葉ではっとなった。
そしてすぐに、水希のいるところへと走り出す。
光の十字架は、床に突き刺さっているわけでもなく、すれすれの位置に浮いている。何で出来ているのかもさっぱり分からない。
「水希!! 水希!!」
だが水希の返事はない。
ただ、時々苦痛に顔を歪めている。
光が貫いている手や足からは血が出ていたりする事はないが、痛みまで感じていないかは、分からない。
「こんなものっ」
美典は光の楔を引き抜こうと手をかけた。だがその瞬間、凄まじい衝撃が全身を駆け巡る。
「きゃあああああ!!」
がくり、と全身の力が抜けた。がくり、と膝を折って倒れこむ。
「天城さん!?」
綱島が慌てて近付いてきた。だが、その間にディオネルが割り込む。
「人間!! 汚らわしい手で、触れるな!!」
槍が横薙ぎに美典に迫る。美典は反射的にそれを受け流そうとした。
「あぐっ」
かろうじてダメージを受ける事はしないですんだが、その衝撃は凄まじく、美典は凄まじい勢いで吹き飛ばされた。
あと二メートルも転がったら、二五〇メートルのダイブをするところである。
「天城さん!!」
「おのれ!!」
薫が顔に手をかざすと、目から光が放たれた。だがディオネルは、それを転がりつつ避ける。
「どうあっても私の邪魔をするか……ならば、まずお前達から神罰を与えてやろう!!」
その瞬間、ディオネルが光った。
その光は本当に一瞬のことで、すぐディオネルの姿がはっきりする。だが、そのシルエットは、前と大きく違っていた。
淡く輝く全身、白い、ゆったりとした服。中性的な容貌。だが、何よりも特徴的だったのは、その淡く輝く、白い巨大な翼だった。
「……天使……?」
美典は思わず呟いてた。
そう、あれは天使だ。考えてみたら、妖怪の生まれる理由が人の想いであるのならば、天使だって生まれていてもおかしくはない。
だが、美典以外の薫達の受けた衝撃は美典の比ではなかった。
「て、天使……!!」
リン以外の四人は、世紀末に行われた『黙示録大戦』を知っている。神と天使が『ヨハネの黙示録』の通りに行おうとした、人類のほぼすべての抹殺計画。その計画は、世界中の妖怪達と一部の人間達の協力で防ぐ事が出来た。そしてさらに、『ヨハネの黙示録』の『神』の意味そのものも失わせている。
だが、『神』は確かに消えたが、天使はまだ多くが生き延びていた。やつはその一人だというのか。
「ふん。我が姿に覚えがある者もいるだろうが……我は『黙示録』の天使どもとは袂を分かった存在よ……いや、貴様らにはどうでもいいことだな」
正体を現したディオネルは、その翼をゆっくりと羽ばたかせ、宙に浮かぶ。
「我が名はラスイル。大天使ラグエルの配下にして、天使を裁く役割をあたえられし者。その役割に従い、我らを裏切ったイシュリエルを討つ。そして邪魔をするのであれば……貴様らも、討つ」
力が溢れる。
薫、波川、リージアの三人は、アメリカで行われた戦いにも参加していて、天使とも少なからずやりあっている。だが、その時戦ったどの天使よりも、ラスイルと名乗った天使の力は上に思えた。
「だからといって、その子を見捨てる事も出来ないよ!!」
リンが再び跳躍し、ディオネル――ラスイルに殴りかかる。だが今度は、ラスイルは軽々とそれを避けると、ゆっくりと手をかざした。とたん、リンの周囲に十余りの拳大の光が浮き上がる。
「え……?」
「消えろ、不浄なるものよ」
「リン!!」
光は一気に加速し、その全てが中心にいるリンに襲い掛かった。とたん、凄まじい衝撃と爆発が生じる。
「マスター!!」
波川が先ほど以上の速度でラスイルに襲い掛かった。だがラスイルはそれをこともなげに避けると、凄まじい速度で槍を突き出した。避け切れなかった波川のわき腹を、槍が突き通す。
「ぐっ!!」
「失せろ、獣風情が」
同時に、先ほどと同じ光が、波川を襲う。
両方の爆風が晴れた時、リンと波川は共にボロボロの状態で倒れていた。まだ生きてはいるらしく、かすかにうめき声も聞こえる。
ラスイルは、何事もなかったかのように、再び十字架の横に降り立つ。
「無駄だ。お前達の力では私に抗う事などできぬ。私の役目はイシュリエルの抹殺。お前達を殺すことは本意では……ぬ?!」
「水希がなんであろうが、そんな事させない!!」
ラスイルの言葉が途切れたのは、美典が攻撃をかけたからだ。
ただの人間である美典が、まさか自分に攻撃をかけてくると思っていなかったラスイルは、美典に対する注意を完全に怠っていたのである。
「人間を殺すことは禁じられてはいるが……だが、裁きを妨げるのであれば、容赦はせんぞ!!」
「いけない!! 天城さん!!」
リージアが叫んだが、遅い。神速の槍が、美典の胸に向けて突き出される。だがその瞬間、美典はなんとそれを紙一重でかわし、ラスイルの懐に飛び込んでいた。
「なっ!?」
そして呼吸を一瞬で整えた。
寸打とか寸徑とか呼ばれる打ち方である。父に教わった中で、最も威力のある攻撃。だが同時に、絶対に一般人相手には使ってはならない、とも厳命されていた。だが、今そんな事を言ってられないし、第一相手は一般人どころか人間ですらない。遠慮する理由はない。
ドン、という確かな手応えがあった。
だが。
「ほう……人間にしては強力な打撃だ。だが……人の身で、天使に手をかけるとは……許されんぞ!!」
槍がうなる。それを美典は、かろうじてかわした。だがその直後、槍の石突が二段目の攻撃として繰り出されていたのを避ける事は出来なかった。
とっさに手をかざし、その石突を受け止める。掌が砕けるかと言う衝撃に、反射的に後ろに飛ぶ。だが、その後に襲ってきた衝撃は、先ほど以上の勢いで、美典を吹き飛ばした。
「きゃっ……!!」
美典の体は、軽く三十メートル余りも吹き飛ぶ。だが、ランドマークタワーの屋上の中心から、三十メートルも飛び出せば、その下にあるのは屋上の床ではない。遥か下に、地面があるだけだ。
「いかん!! リージア!!」
薫の声に、リージアがホウキにまたがって飛び出そうとした次の瞬間、リージアもまた、光の球に囲まれた。
「我が裁きを邪魔する事は許さん」
その間に、美典は誰も届かないほどに落下していた。
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風が痛いほどに頬に叩きつけられてくる。今年一番の寒さで、しかも高さ数百メートルでは、寒くて当然だろう。だが、その高さはどんどん落ちていく。
奇妙な事に、自分がどうなっているのかは分かっていても、恐怖はなかった。
刹那、何かが見える。
両親、妹、たくさんの友達――水希もいた。
(確か人間、死ぬ前にこれまでの事が見えるって、聞いた事があったっけ。走馬灯……だったかな?)
突然光景が切り替わる。
見た事もない女性が、縄に縛られて引きずられている。足には重石までついている。そしてそのまま、大きな水瓶に沈められた。
(酷い……死んじゃうじゃない、そんな事をしたら)
だが周りにいる人は止める様子はない。そこには、神父みたいな格好をした人までいるのに。
次々に女性が殺されていく。ある人は水に沈められ、体中に針を刺され、あるいは火に焼かれて。
(ああ、そうか。これって魔女狩りだ)
前に歴史の本で読んだ事がある。中世にあったという魔女狩り。リージアも、その頃の魔女に対する人々の『想い』によって生まれたのだろう。
だが、その光景は凄惨を極めていた。
(酷いでしょう? しかもこれが、神の名の下に行われる。それが、私には視えたのよ)
突然響いた声。それは、耳ではなく頭に響いてきた。
だが不思議と、違和感がない。
(だから私は教会に――神に逆らった。そして彼が来た。でもまさか、あんな思い違いをするなんて――)
(思い違い?)
(そう。彼女が私と同じ魂の色を持っているのは事実。確かに彼女もまた、私の子孫ではあるから、とても低い確率の偶然で、彼女は私と同じ存在に、彼には見えるの)
(同じ存在?)
(そう。彼の言う裏切りの天使。それが私。そして、貴女)
(私?)
(ええ)
その瞬間、意識が急速に現実に戻ってくる。
(じゃあ、水希は私と勘違いされて……それで殺されるって言うの!?)
沈黙。だがそれは、肯定を意味していた。
(でも、どうしようもないの。私では、彼には勝てない。それは貴女も、何度も見ていたはず)
(そんなの……)
「そんなの、関係ない!!」
美典の中で、何かがはじけた。
その瞬間、ランドマークタワーを見上げていた人は、凄まじい光が一瞬はじけるのを見た。
だがそれがなんであったのか、答えは誰も得る事は出来なかった。
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「よくもまあ邪魔してくれたものだが……終わりだな」
ラスイルは、仰向けに倒れた薫に槍を突きつけた。
すでに波川と綱島は倒れている。リンも気を失って動かない。
リージアと薫だけが動けるが、リージアはすでに魔力が尽きていた。
「ふん。面白い偶然だな。イシュリエルを殺そうとするところに魔女が邪魔するとは」
「……?」
「なんだ、知らんのか……いや、知る必要もないな」
ラスイルの手に力が込められる。ずぶずぶ、と槍の穂先が薫の左胸に沈み始めた。
「がっ……!!」
吸血鬼たる薫は、滅多な事で死ぬ事はない。だが、吸血鬼である以上、その弱点からも完全に逃れる事は出来ない。その一つが、心臓だ。
心臓を白木の杭で貫かれると、蘇る事すら出来ない。そして、今心臓に突き立てられようとしているのは、それと同じくらい、吸血鬼にとっては危険な存在――天使の槍だ。
「久我山さん!!」
リージアが立ち上がろうとした瞬間、無数の光球が、リージアの体を貫いた。
「きゃあああああ!!!」
「そこで見ていろ。邪悪なる吸血鬼が滅する様をな」
槍はなおもゆっくりとめり込んでいく。だが次の瞬間、ラスイルは槍と共に薫のそばから飛びのいた。
「お、お父さんはあたしが守る!!」
相当なダメージであったはずだが、リンが立ち上がってきた。さすがに、吸血鬼だけあって再生能力も高いのだろう。だが。
「ふん。人間に近いゆえ、見逃してやろうと思ったが……」
ずん、という音がして、リンがうずくまった。槍の石突が、彼女のみぞおちにめり込んでいる。
「邪魔をするのであれば、容赦はせん!!」
ラスイルの槍が振るわれる。リンはまるで、ボールか何かのように吹き飛ばされ、そのまま屋上を飛び出してしまう。いくら空を飛べるとはいえ、それはあくまで意識があれば、の話だ。今のリンはほとんど意識が飛ばされていた。
「リンちゃん!!」
だが、助ける術はない。先ほどの攻撃で、ホウキも砕かれてしまっている。
「さて、残るはあと……」
その時。ラスイルは一瞬寒気を覚えた。長く戦い続けていた彼だからこそ持つ、戦場における危機感知能力。それが今、脅威の到来を告げていた。
「なにも……な!!」
その『光』は、輝く翼を羽ばたかせ、優雅に舞い上がった。その手には、先ほど吹き飛ばされたリンが抱きかかえられている。
リージアと、かろうじて意識のあった薫の二人は凍り付いていた。
その、淡く輝く体と、輝く翼。そして、ラスイルが持つそれよりも、さらに美しい槍。その容姿は、圧倒的な美しさと共に、見る者に本能的な『畏怖』を感じさせる。絶対的な美しさがもたらす恐怖というものがある。今現れた天使は、まさにその美しさを備えていた。
緩やかな白い衣は、だが女性である事が分かるふくらみがあり、全体の印象はどことなく優しい。でなければ、あるいは二人ですら恐怖で失神していたかもしれない。
「バカな……イシュリエル!! なぜ貴様が、そこに!!」
この場で一番動揺していたのは、他ならぬラスイルだった。
彼は、今出現した天使イシュリエルと、今もまだ十字架に磔にされている水希を見比べる。
「貴方は思い違いをしたのよ。確かに水希は、かつての『イシュリエル』と同じ魂の色を持っていた。けれど、『私』はここにいる。魂の色が同じと言うだけで、予断によって人に害なすことは、今においては許可されてないのではないかしら?」
その声で、リージアと薫はぎょっとなった。その声は、確かに美典のものだったのだ。
「天城……さん?」
その天使は、小さく頷くと、腕に抱いたリンをそっと床に降すと、音もなく翼を羽ばたかせ、ゆっくりと空に舞い上がる。
「ふ……ふふふ……なるほど。私は貴様に騙されたと言うわけか。だが!!」
ばさ、と音を立ててラスイルの翼が広がる。
「貴様が目覚めようが、私には勝てぬ!!」
ラスイルは翼を羽ばたかせると、一気にイシュリエル――美典に向かっていった。
「それは、どうかしら?」
美典は慌てることなく、手をかざす。自分の力の使い方は、なぜかすべて頭に浮かんでくる。
キィィィィィィィ。
光が、その掌中に集まる。そして、あと十メートルほど、という距離までラスイルが来た時、美典はその光を解き放った。
濁流のような光が、ラスイルに向けて放たれる。その威力は、薫らが使う破壊光線の比ではない。
だが。
ラスイルはなんとその光をまるで無視して、美典に突っ込んできて、そのまま槍を突き出してきたのである。美典は慌てて、槍でそれを受ける。
「ふはははは。忘れたか? 私は天使を裁く立場にある。ゆえに、私に天使の攻撃は効きはしない!!」
凄まじい連撃が放たれる。美典はあっという間に劣勢になった。
「くっ」
何とか捌ききって、慌てて距離をとる。
「確かに、天使としての力は貴様の方が上だ。だが、私には天使の攻撃は通用しない。そして、私は接近戦では貴様を凌駕する!!」
再び突進。美典は一気に飛び上がると、背後を突こうとしたが、それもラスイルには見抜かれた。突き込んだ槍の穂先と、ラスイルの石突が激突し、衝撃で弾かれる。空中戦、というより足が踏ん張ることが出来ない状況での戦いなど、美典はもちろん初めてだ。そのため、その弾かれた衝撃を上手く逸らすことが出来ず、バランスを崩してしまう。
「終わりだ」
一瞬体勢が崩れたところで、美典は自分が光に囲まれている事が分かった。いや、それは光ではない。莫大な数の光球だ。
「死ね」
光の壁が迫ってくる。だが、逃げ場はない。
だが。
次の瞬間、美典のいる場所で起きるはずの爆発は、別の場所で生じていた。
「ぐおおおおおおおお」
爆心地にいるのは、ラスイル。
さすがに自分の攻撃は無傷とはいかないらしい。白い肌からは血が溢れ、白い翼は無残にも焦げ付いている。
「バカな……貴様……何をした!!」
「知らないわよ!!」
そういいながら、美典は何が起きたのかを理解し、また、自分が勝てる事を確信した。
今、美典はラスイルの攻撃を、すべて弾き返したのだ。だが、この力はラスイルは知らなかったらしい。
おそらく、転生した事によって、力が変化しているのだろう。そして、ラスイルが知らない、美典の頭に浮かんだもう一つの力が、ラスイルに勝てる事を確信させたのだ。
「おのれ!! こうなったら槍で突き殺してくれる!!」
ラスイルが槍を突き出す。それに対して、美典は槍をいきなり投げつけた。
「なっ!!」
まさかそう来るとは思わなかったのだろう。ラスイルはかろうじて槍を弾く。だが、その隙で、美典には十分だった。
完全に懐に飛び込む。ラスイルは慌てて槍を振りかざそうとするが、美典はてこの原理で、その支点近くを痛打した。一瞬、ラスイルの動きが止まる。
美典は、手刀をラスイルを両断するように繰り出した。
避けられない、とラスイルは判断したが、問題にはならない。人間より遥かに強い力を持つ天使だが、それとて素手での攻撃力はたかが知れている。強力な神力によって護られた天使の防護は、武器や強力な光(妖術)でなければほとんど貫けない。接触状態では、ラスイルの持つ対天使の絶対防御は機能しないが、素手の一撃などおそるるに足りない――はずだった。
瞬間、光が溢れた。
そして次の瞬間、ラスイルは自分の視界が急速に下に向かうのを認識した。
イシュリエルの顔が、上に移動する。
大きなダメージを受けて浮力を失ったのだと気付き、翼を羽ばたかせようとする。だが、まったく力が入らない。
そして、すぐ下で、べちゃ、という音がした。そこには、奇妙に折れ曲がった二本の白い棒が転がっている。その棒は、片方で大きな白い箱にも見えるもので繋がっているが、箱は一方が赤い。
それが自分の下半身だと気付くより先に、口から血が溢れた。
「なっ……」
その時になって、ラスイルは自分が腰斬されたことに気がついた。
振りぬかれたイシュリエルの手が、淡く光に包まれている。そしてその光から、恐ろしいほど強い力を感じ取れた。
あろうことか、イシュリエルは至近距離で、自分の手にその力を宿して爆発させてきたのである。
「残念、だったわね」
その言葉を、ラスイルが聞けたかは分からない。
彼の肉体は、文字通り光となって消えていった。
それが、天使ラスイルの最期だった。
「す……すごい……」
あの強力な天使を、文字通り一撃。しかも素手で。
かつての決戦で多くの天使と戦った薫やリージアでも、ラスイルほどの天使にはほとんど出会っていない。まして、ラスイルは対天使戦の能力を持っている。その天使を一撃で屠る天使がいるとは。
強風が吹きつける中、美典――イシュリエルはその風にほとんど影響を受けていないように、ゆっくりと翼を広げてランドマークタワーの屋上に降りていく。
その時、鐘が鳴り響いた。午前〇時を告げる鐘。ランドマークタワーの屋上に取り付けられたスピーカーから響くその音と同時に、ちらほら、と白い雪が舞い降り始めた。
「う……ん……」
鐘の音で気付いたリンは、翼を広げてゆっくりと降りるイシュリエルを見て、自分達を救ってくれる天使が降臨したと思ったと、後に話している。
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