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聖夜に降りる天使 第三話




 十二月二十三日。クリスマス・イブの前日にして、日本では天皇誕生日として祝日という、なかなかに美味しい日である。
 世間一般の家庭では、クリスマスパーティーの準備に奔走する日となる。
 街はもはや完全にクリスマス一色に染まり、子供達のプレゼントの希望を親は聞きつつ、「じゃあサンタさんにお願いしようか」と答える親達の声が聞こえる。
 そんな中を、美典は一人歩いていた。昨日、さすがに寝たのが相当に遅くて、起きたらもう昼近かった。いくら休みとはいえ、寝過ぎである。
 すぐに水希の家に行こうとも思ったが、昼間だと彼女は寝ている可能性がある、と考えた。とりあえず電話してみたが、携帯は切られていた。固定電話は留守電になっている。彼女は勉強に集中するときは携帯を切る習慣がある。昨夜勉強したまま寝て、まだ眠っているのだろうか。
 とりあえず昼食を摂り、英語の参考書などをカバンに詰める。水希の家に行くにしても、さすがに勉強の邪魔をするわけにもいかないが、一緒に勉強しようということなら問題はない。少なくとも、英語に限れば彼女より自信がある。
 夕方くらいになって、もう一度電話をかけたが、やはり留守電だ。
 おかしい。
 いくらなんでもこの時間なら起きているはずだ。急に心配になってきた。
 急いでカバンを持って駅へ向かう。しかし、その駅の前で、美典の視線はある一点に凝縮された。
 三日前に見た女の子が、目の前に立っていたのである。
「あ……」
 その少女の気配は、やはり他の人とは明らかに違う。探しても探しても見つからないので、幻覚を見たのではないかとすら思ったが、違う。
 その少女は、美典が近付くよりも先に、すっと近寄ってきた。
 一瞬身構えそうになるが、相手は小学生の女の子だ。さすがに警戒している自分に呆れたが、それでも警戒は解かなかった。
「あなた……」
「ねぇ、お姉ちゃん。あたしに聞きたい事、あるんだよね?」
 いきなり機先を制された。美典は言葉に詰まり、かろうじて小さく頷く。
「来て。教えてあげる。あたし達のこと」
「え?」
 そういうと、少女はすたすたと歩き始めた。慌てて追いかける。
 少女はそのまま柏尾川を渡る橋を越え、低層マンションまで来る。そしてその一階にあるレストランに入っていった。
「……こんなお店……あったっけ……?」
 このレストランから美典の家までは、五分とかからない。もう三年は今の家に住んでいるが、まったく知らなかった。
 見れば、結構品の良さそうなレストランである。『たべるなあるぴーな』と書かれた、茶色にオレンジ色の文字が、一際目を引く。
 一瞬迷ったが、別に準備中にもなってない。意を決して、美典はレストランへ入った。
 内装は、やや古い、ビクトリア朝というやつだろうか。居心地がいいな、というのが第一印象だった。
 テーブルは四人がけのものが全部で十ほど。あまり大きなレストランではないらしいが、他にカウンターがあり、そこにも五人ほど座れる。
 そのカウンターの椅子に、先ほどの少女がちょこん、と座っていた。そしてカウンターの向こう側に、四十歳ぐらいだろうか。おしゃれなスーツを着た男性が立っている。年齢から察するに、その少女の父親だろうか。
 そしてその横にいる女性を見たとき、美典は「あ」と声を出した。確か、一昨日少女を探している時に話しかけてきた女性だ。
 カウンターの、少女が座っているのとは逆側には、壮年の、がっしりした体格の男性が座っている。その手前のテーブルに、女性が一人。こちらは神秘的な雰囲気を感じさせる、不思議な女性だった。
 だが、美典はその直後、唖然とする。
 先日会った女性以外の気配が、ことごとく、若干の差異こそあれ、少女と同じ異質さを感じさせたのである。
「え……これって一体……」
「ああ、すみません。もう来てましたか」
 そういって階段から降りてきたのは、美典よりいくらか年上と思われる男性。だが、その彼もまた、気配の異質さは少女達と同じだった。
「あ、あなた方は一体……」
 美典は思わず、半歩後ずさり、身構えた。
「大丈夫。私達は貴女に危害を加えるつもりはありませんから」
 少女の父親と思われる男性が、口を開いた。
 不思議なくらい、柔らかい、優しい印象の声だ。
「まず何から話したものか……と思うが、分かりやすいところを示した方がいいだろうね。う〜んと、希佐奈さん、お願いします」
「私より波川君の方が……あ、そうか。今は昼ね」
 希佐奈、と呼ばれた、手前のテーブルに座っていた女性はすっと立ち上がる。そして次の瞬間、その姿が消えた。代わりにそこには、人の頭ほどの大きな水晶球がある――いや、浮いている。
「え……?」
 何が起こったのか、理解出来なかった。人が消え、水晶球が現れ、しかもそれが浮いている。
「これが私の本来の姿。水晶占いというものに対する人々の想いが生んだ、全てを見通す水晶。それが私」
 その『声』は、その水晶球から響いてきた。どこに口があるのか、まったく分からない。
 服もどこへ行ったのか、なくなってしまっている。
「い、一体……」
「一般に『妖怪』と呼ばれる存在。その単語くらいは貴女も知ってるわね?」
 こく、と美典は頷いた。もはや頭の中は真っ白で、入ってきた単語の意味だけかろうじて解釈できているだけだ。
「妖怪というのは、実際に存在する……正しくは、存在する、と信じられた私達が、存在するようになった――。例えば有名な妖怪では、河童。水辺に棲み、きゅうりを好み、頭の皿が枯れると死ぬ――そう信じる人によって、河童は生まれるの。その通りの存在として。そうやって、色々な存在を信じる人によって、妖怪は生まれていく――」
「ま、待ってください!!」
 美典は、半ば以上混乱した頭で、それでも無理矢理頭の中を整理した。
「じゃあ、あなた方みたいなその……妖怪が、たくさんいるって言うの!?」
「その通りだ」
 答えたのは、カウンターに立っている男性だった。
「彼女は、水晶占いの水晶が、全てを映し出すのではないか、という人々の想いから生まれたんだ。そして、君には見えるのだろう? 私達のオーラが、人とは異なるのが」
「オーラ?」
「気、と言ってもいい。私にはそれは見えないのでどういう風に視えるのか、よく分からないんだけどね」
 美典は頭が完全に混乱していた。
 妖怪が存在し、しかもそれは多数存在するという。そして今、目の前にいる人達がことごとく――。
「じゃ、じゃあ……そちらの女性以外、ここにいる人は皆……?」
「私も妖怪よ。ただ私は、オーラを、人と同じように見せる能力があるの。だから、貴女の力でも見分けることは出来ないだけ」
「ウソ……じゃあ、皆さん全員……?」
「ああ。私は……ちょっと特殊だが、吸血鬼だ。娘もね」
「え?」
「私はちょっと特殊でね。半分だけ妖怪なんだよ。私の父は吸血鬼だが、母は人間だ。このように、妖怪と人間の間に子供が生まれることもある。そして、私の娘は私と人間の女性の間に生まれたのだが、やはり吸血鬼だ。もっとも、見た目はもう人間となんら変わらないがね」
 美典は呆然と、他の人に視線を移した。
「私は魔女なの。これでも、六百年くらいは生きてるわ。妖怪は不老不死なのよ」
「私は人狼だ。狼男、と言った方が分かりやすいかな。マスターのお父上に仕えていた」
「僕は……あまりメジャーじゃないんだけどね。イルカの妖怪なんだ」
「イルカ?」
 こくり、と遅れて降りてきた青年は頷く。
「三十年くらい前かな。イルカが知能を発達させて、いつか陸に上がって人間に復讐する、って話が広まったことがあるんだ。それによって生まれたのが、僕だ」
 そいえば、昔古い本でそんなのを見たことがある気がする。
「けど……なんでそんな話を、私に……?」
 妖怪がいるらしい、ということは、まだ納得できていないが、現実として目の前でふよふよ浮いている水晶球をみれば、少なくとも否定することは出来ない。だが、なぜそれをわざわざ自分に教えるのか。
「一つは、君が娘を必死に捜していたからね。本当はもう少ししてから、天城氏――君のお父さんから伝えてもらおうと思ったのだが」
「父さん!?」
 予想もしない名前が出て、美典はびっくりしていた。
「ああ。君のお父上、天城和樹氏は、私達と繋がりがあった。残念ながら、人間に対して好意的な妖怪ばかりというわけではない。中には人間を害することを目的とした妖怪もいる。そうやって事件を起こした場合、出来るだけ我々で対処する。だが、人間の協力者もまた、欠かせない。特に警察関係者はね。君のお父上は、妖怪の存在を知り、私達に協力してくれていた警察官だったんだ」
 あの、のんびりした父が、実はそんな秘密を抱えていたなんて。
「そして――これが君に我々のことを教えた最大の理由――。君は、おそらく我々の仲間だ」
「は?」
「いきなりこんな話を受け入れられないのは、分かる。だがこれは、君のお父上からも頼まれていた話でね。君が、妖怪ではないか、と」
「はぁ?」
 何を言い出すのだろう、この人は。
 私が妖怪?
「じゃあ、お父さんかお母さんが、あるいはお祖父ちゃんやお祖母ちゃんが妖怪だったって、言うんですか?」
 先ほどの話の通りなら、親や祖父母などが妖怪だったら、妖怪になる可能性があるらしいし。
「いや。君の両親も、いや、確認出来る範囲の君の親族に、妖怪はいない。だが、極めて稀なケースだが、遥か先祖に妖怪がいた場合に、その力が継承されることがある」
「そんな、私はただの人間です!! そんな力……」
 美典はそこで言葉に詰まった。
 普通の人間には、ないと思われる力。人の、いや、人や妖怪のオーラを見る力。
「思い当たるようだね。そう。君が持つオーラを視る力。それは、人間では非常に特殊な能力になるが、妖怪では、珍しいというほどの能力ではない」
「そんな……」
「ただ、君がどのような存在なのかは、私にも分からない。天城氏に聞いた限りでは、およそ七百年ほど前、天城家に翼を持つ娘が降り立った、という記述が、古い書物にあるらしい」
 翼、といわれて、美典ははっとなった。
 このところ、毎夜見るようになった、自分が光の翼を持ち、空を飛ぶ夢。
「思い当たることがあるようだね」
 美典は答えない。
 ここで肯定してしまっては、これまで自分が存在してきた世界全てが否定されてしまう。そんな気がしたのだ。
「あまり固く考えない方がいい……ただ、ここ数日娘をひたすら捜索しているようだったし、希佐奈さん……ああ、その水晶球の人だけど、彼女の占いでも、君の目覚めが近い、と出ていた。だからまあ、いずれにしても近々君に話すつもりだったんだ」
 ようやく、美典は頭を落ち着かせていた。
 彼らが妖怪である、というのはどうやら本当らしい。
 そして、父は彼らのことを知っていたという。
 ここまではいい。
 ただ、自分が妖怪である、というのはどうも納得できるものではない。
 確かに、自分の『オーラを視る』という能力は普通の人間では説明できないものかもしれない。
 だが、特別な能力を持っている人間かもしれないし、それに、自分自身に、妖怪であるという自覚なんてない。
 そこまで考えてから、美典はふとあることに思い至った。
 あの少女に見えたオーラは、妖怪のものだという。そして、水希の足や手に感じたオーラは、それと同じものだ。水希自身は間違いなく他の人と――つまり人間と同じだったにもかかわらず。
「あの……聞きたいことがあるんですが……その……」
「ああ失礼。私は久我山薫だ」
「あたしは久我山鈴」
「僕は綱島和也」
「波川霧雄だ」
「私はリージア・ロットよ」
「私は……っと、そろそろ人の姿になるわね」
 とたん、水晶球の姿が歪み、次の瞬間には先ほどまで座っていた女性がそこに出現していた。服も元通りになっている。
「私は石神希佐奈よ」
「あ……どうも……あ、私は天城美典です」
 混乱しながらも、美典は頭を下げ、会釈した。こういう礼儀作法は、子供の頃から徹底的に躾けられてきたので、もはや反復動作に近い。
「他にも何人かいるんだけどね、今はこれだけだ」
「……えと、久我山さん達が妖怪なのは分かりました。私が妖怪っていうのは、納得できませんが……それはいいんです。ただ、教えてください。人間が、その一部分だけ妖怪になるなんてこと、ありますか?」
 その言葉に、久我山達は顔を見合わせた。

 電話のコール音が響く。二十回ほどコールしたところで、美典は諦めて受話器を下ろした。
 もう五回目だ。携帯は何度かけても、電源が切られているか、電波が届かないと言われる。
「水希……」
 久我山達の話では、体の一部だけ妖怪になる、という例は聞いたことがないという。どこに問い合わせたかは分からないが、そういう例がないか、と仲間に聞いてくれたらしい――要するにここ以外にも妖怪はいるということだ――が、やはり聞いたことはないという。
 彼らの話のうち、少なくとも妖怪の存在はもう美典は疑っていなかった。携帯を取り出した時に、そのカメラで写してみるといい、と言われてモニターを覗き込んで仰天した。彼ら全員が、モニターに映っていなかったのである。
 世界の法則の外にいる彼らは、機械には映らないらしい。
 もはやそれで納得するしかない。
 となると、やはり機械に映る――怖くなって自分で確かめた――自分は妖怪ではないに違いない。そう信じることにして、とりあえず精神の安定を図った。
 とにかく今気になるのは水希のことだった。
 妖怪のオーラを、手足にまとわりつかせている、というのは一体どういうことなのか。
 それは彼らもわからない。ただとにかく彼女と連絡を取らないとならないが、いまだに電話は繋がらない。
「出ないか」
「はい……もう、行ってみます、直接」
 水希の家には何度か遊びに行ったことがある。東戸塚駅から歩いて十五分ほどの、バブル末期に造成された住宅地にある一戸建てだ。
 元々行く予定だった美典は、荷物を持つとレストランを飛び出した。
 薫達が止めるよりも早く、美典はそのまま駅へと走っていく。
「どうする?」
「彼女の話は気にはなる。波川、悪いが彼女と一緒に行ってくれ。もうすぐ日が暮れるしな」
 波川は頷くと、レストランを出て行く。その後に、リンが続いた。
「あたしも行ってくるねっ」
「お、おい……」
 薫が止めるよりも先に、リンも出て行った。
 二人は駅に向かって走り出す。
 駅までは走れば一分程度でいける。急いで改札をくぐり、ホームに出たところで、ちょうど横須賀線が入ってきた。そしてそれに飛び込む美典を見て、二人とも慌てて電車に飛び込んだ。それから、車内を移動して美典の下にたどり着く。
「あ……えと、リンちゃんと……」
「波川だ」
「あ、すみません。でも、あの……」
「この件には妖怪が関わっている可能性がある。そして、君は少なくともまだ目覚めてはいない。それに、仮に目覚めたとて、戦闘に長けた妖怪であるとは限らない」
「その点、あたし達は、特に夜は強いんだよ」
 そういえば、確か人狼と吸血鬼――クォーターだが――といっていた。どちらも確かに、夜の妖怪だ。そもそも、妖怪といえば基本的には夜の住人だろう。
 そんなことを考えているうちに、東戸塚駅に着いた。
 東戸塚駅も、戸塚駅同様東口と西口の様相は大きく異なる。東口には、数年前、テレビでも話題になった、大手百貨店と大手スーパーが駅の目の前の同じビルに店を出している他、近年再開発が行われている。
 対する西口は、少し前に整備されて以後、あまり開発は行われていない。
 水希の家はこの西口から十五分ほどの距離にある。
「その水希さんって、お姉ちゃんの友達?」
 こくり、と美典は頷いた。
「高校からの友達だけどね。一番仲のいい友達よ」
 彼女だけしか友達がいなかったわけではない。クラスはずっと一緒だったが、部活は違った。いつも一緒に帰っていたわけではない。
 でもいつしか、二人は会うことが増えていた。元々美典は、友人といえるのは多かったが、その容貌や空手部の主将という立場などから、友人というより憧れの存在、として認識されていることが多く、休みでも会おうという友人はほとんどいなかった。
 一方の水希は、そういうある種のとっつきにくさはなく、親しい友人の数、という点では美典の比ではない。
 ただ、美典も水希も、不思議なほど気があった。一緒にいるのが当たり前と思えるほどに。
 そうこうしているうちに、水希の家が見えてきた。
 だが――。
「誰も――いない?」
 明かりがついていない。
 美典ははっとなって、駆け出した。二人も慌てて続く。
 だが、家の前に来ても人の気配はない。インターホンを押すが、当然反応はない。
「水希!!」
「なに?」
 予想もしてなかった返事に、美典はぎょっとして振り返った。そこには、水希がいる。
「水、希……?」
「美典、どうしたの? ……あ、ごめん。携帯、電源切っちゃってたの。ああ、やっぱり、何度も? ごめんね」
 水希は携帯の電源を入れると、留守番サービスで件数を確認して謝る。
「う、うん。あの、大丈夫?」
「なにが?」
 いつもの水希だ。だが。
 集中してオーラを見てみる。すると、なんと両手ともに、『妖怪』のオーラを感じられた。
 しかし、彼女の様子は、むしろ昨日より安定しているくらいだ。
「ミズキ、カノジョハ??」
 その声は、ミズキの後ろからだった。その時になって、美典は水希の後ろに男が立っていることに気がついた。金髪の、はっとするような美形である。
 年齢は、二十半ばというところか。
「ああ、ごめんなさい、ディオネル。えと、この人、ディオネルっていって、近くに住んでる、お父さんの友人」
「ディオネル・クーズです。ヨロシク」
 ディオネル、と紹介された男は、人懐っこい笑みをして、右手を差し出してきた。
 握手で挨拶する習慣は、美典には馴染みがある。だがこの時、美典は本能的に彼に触れたくなかった。
「天城美典です。よろしく」
 そういって、会釈する。空振りした手を、ディオネルは少し困ったように見てから、引っ込めた。
「ディオネルさん、イタリア人なんだけどね。日本語学校の教師なんだけど、英語が得意で、私英語弱いでしょう? だから教えてもらってたの。で、暗くなっちゃったから、送ってくれたの」
 ということは近くに住んでいるということか。
 納得できる説明ではある。にも関わらず、美典はある種の気持ち悪さを感じた。ざらり、とでも表現できるような、不快感にも似た気味悪さ。だが、初対面の人にそんな失礼なことを言うわけにもいかない。
「美典こそ、後ろの人は? 恋人……ってわけじゃなさそうだけど」
 十二歳の女の子と三十過ぎの男では、さすがに恋人に見えるはずはないだろう。
「あ……うん。その、近所の……そう、近所の人なの。さっき偶然会ったの」
 ある意味ウソではない……が、その様子は波川やリンが見ても『とってつけたような言い訳』と分かるほどにしどろもどろだった。
 だが、水希は気にした様子もなく「そうなんだ」と納得している。
「じゃ、ありがとう、ディオネルさん。美典、せっかく来てもらって悪いんだけど、私、これから勉強するから……」
「あ……」
 じゃあ私が英語を、と思ったが、彼女の言うとおりならば、英語は今日はみっちりやったことだろう。それに、ディオネルより上手く教えられる自信はない。
「う、うん。ごめん。連絡取れなくて、心配だったから……」
 両手足の妖怪の気配は気になる。だが、まだ『妖怪』という存在を受け入れ切れてない美典は、そう強く出ることが出来なかった。
「うん、心配させちゃってごめんね。また今度ね……まあ、受験勉強ばっかりだけどね、私」
 そういって笑った水希の笑顔は、確かに美典の記憶している笑顔だった。

 翌日。クリスマス・イブである。
 世間では恋人と甘い一時を過ごそうという人達がいるようだが、灰色の受験生活を送るはずだった美典には、恋人などいない。それを別に寂しいとは思わないが。
 水希は今も勉強しているのだろうか。彼女の両親の仕事はパン屋だが、ケーキも扱っている店なので、今日はクリスマスケーキの売込みで、朝から仕事だろう。
 彼女のことは気にはなるが、一体自分に何が出来るというのか。
 無力感というほどではないが、彼女の助けになれない自分に憤りを感じているのは事実だ。
「考えても仕方ない……よねぇ」
 何もする気がしなくて、そのままソファに横になっている。つけっぱなしのテレビでは、クリスマスに染まる町並みを映している。
 途中はさまれた天気予報によると、今日の気温はこの冬一番の寒さになるらしい。雪が降る可能性もあるという。
 十八歳のクリスマス・イブとしては果てしなく色気はないが、元々あまりクリスマスで騒ぐのは好きではないので、別にいいか、と思っている。
 昨日のことは、まだ美典の中で納得は出来ていない。
 妖怪がいる、という事実は、納得できている。さすがに目の前で見せられれば、納得せざるを得ない。
 機械に映ることのない、人ならざる者達。そして彼らは、人間の『想い』で生まれたのだという。これについては、生まれる瞬間を見てないことにはなんともいえないが、美典は自分の目より科学を信じる科学信奉者ではない。彼らがそこにいる以上、彼らの存在は事実として存在するのだ。
 ただ、自分がその妖怪の一人だ、というのはまったく納得できない。
 生まれてから十八年余り、自分が人間ではない、と思ったことはない。
 確かに、身体的には恵まれている方だろう。運動神経は、かなり優れている方だ。ただこれは、幼い頃から空手をやっていて、体を動かすことに慣れているというのが大きいと思う。
 また、合唱部に誘われることはもちろん、街角でも声をかけられるほどに声が美しい、らしい。でもこれとて、人間ではたまにいることはいる。
 ただ、一番大きいのは『オーラを視る』という力だ。
 この力は、妖怪では誰でも持っているというわけではないが、珍しい、というほどではないらしい。だが、人間がその能力を持っているとなると、かなり稀だという。
 自分が後者のケースである、と考えるほどに美典は楽観的ではない。
 機械に映るではないか、と一応反論はしたが、生まれ変わりの場合は、完全に覚醒するまでは、普通の人間とほとんど変わらないという。ただ、目覚める前に、主に感覚系の能力が使えるようになることがあるらしい。
 さらに決定的だったのは『夢』だった。
 ここ数日、ますます鮮明になってきた、空を飛び、そして撃たれるという『夢』。
 彼らによれば、それは『前世の記憶』の可能性が高い、ということだった。
 基本的に『生まれ変わり』は元の妖怪の記憶などは受け継がないものだが、まったくない、というわけでもない。ごく稀に、まるで転生したように記憶が残っていることもあるという。
 だとすると、美典の中に眠る力は、光の翼を持つ妖怪ということになる。
 たださすがにその夢の内容、というよりは美典の力については、全員が首を傾げた。
 翼を持つ妖怪というのは日本にも多い。生まれ変わりということは、少なくとも数十年から、長いと数百年も昔のケースがあるし、天城家の記録が正しいとするならば、美典の前世は七百年前の存在ということになる。その時代の妖怪となると、かなり種類は制限されるが、そんな中に光を翼を持つ日本の妖怪など、ほとんどいない。
 ただ、古い妖怪で、光の翼を持つ妖怪、というものについて全員が思いつく存在があったらしいが、それについては詳しくは教えてくれなかった。
 いずれにしても、彼らの中では、美典が何かしらの妖怪であるというのは、彼らによればほぼ確実らしい。
「私は一体……何?」
 無駄に広いマンションの中で、答える者はいない。
 時計を見ると、すでに午後十一時近い。外はもう真っ暗だ。
 お昼に適当に食事した以降、ずっと横になって考え込んでいて、時間が経っているのに気付かなかった。
 ここ数年、クリスマスケーキは水希の家のパン屋で買っている。ただ、今年は自分一人だからどうしようか迷っていたのだが、やはり買うことにした。それに、もしかしたら両親なら水希の何かの悩みなどを知ってるかもしれない、という思いもあった。自分が悩んでいるのに他人の事を心配している場合ではないだろう、と他人なら言うだろうが、そうしてしまうのが美典である。
 それに、一人でもそれなりにクリスマス気分はやはり満喫したい、という気持ちもある。ケーキとチキンかローストビーフ、それに適当な料理をすれば、それなりになるし、明日の夜くらいまでの分を一気に作ってしまおう。
 そう決めると、とりあえずまずケーキを買ってくることにした。その帰りに、スーパーで買い物をしよう。普段ならともかく、今日はどこも食品店は遅くまで開いている。
 とりあえず手早くお米を軽く研いで、炊飯器をセットすると、厚手のコートを取り出した。
 水希の両親が経営するパン屋『シノ・ベーカリー』は東戸塚と戸塚の中間くらいにあって、電車で行くにはやや不便な場所だ。普通ならバスを使うのだが、美典は中型オートバイの免許を持っている。去年まではスクーターだったのだが、去年、無理を言って中型免許を取らせてもらい、また、バイクも買ってもらったのだ。
 本当は真冬のこんな寒い時期は、ちゃんとライダースーツを着たほうがいいのだが、まだ奥にしまったままで出すのが面倒なので、美典はコートだけ羽織った。
 バイクでの移動は、思ったほどは寒くなかった。十分ほどで、『シノ・ベーカリー』の看板が見えてくる。この時間でもまだ行列が出来ているところ見ると、かなり盛況のようだ。
 美典はバイクを止めると、その列の最後尾に並んだ。程なく、列の最前列に移動する。
「えと、一番小さい……ショートケーキのクリスマスケーキ下さい」
「はいありがと……ああ、美典ちゃんじゃない」
 会計をしていたのは水希のお母さんだった。無論、何度も遊びに行っているので、覚えてくれている。
「はい、ご無沙汰してます、おばさま」
「水希が世話になってるね。あれ? 水希がケーキもって行ってないかい? 今日は友達の家に行くからって、家に一つ置いておいたんだけど」
「え?」
「あら? 美典ちゃんのところに行ってるんじゃないの?」
「いえ、来ていませんよ?」
 おばさんは、おかしいわねえ、と言いながら首を傾げる。
「いや、さっき電話があって、友達の家で勉強してくるって。遅くなっても心配しないでって」
「いえ、私の家じゃないですよ。ディオネルさんの家じゃないですか?」
 昨日も英語を教わっていたみたいだし、あるいは水希は、彼のことが気になっているかもしれない、とも思う。確かに彼は、外見はかなり良かったと思う。
 だが、その後のおばさんの反応は、美典のまったく予想しないものだった。
「ディオ……誰だい、その人?」
「え? あの、近所にいるっていう、ディオネル・クーズさんって……」
「クーズさんとこ、そんな人いないよ?」
 美典の中を、何か冷たいものが吹き抜ける。
 唐突に、昨日ディオネルに会ったときの、なんともいえない不快感にも似た感覚が思い出される。  何か分からない悪寒が、全身を包んだ。そしてそれが、急速に一つの像を結ぶ。
「すみません、ケーキ、後で買いに来ますっ!!」
 言葉と同時に、美典は身を翻してバイクに飛び乗っていた。そのまま、ほとんど一動作でエンジンをかけると、一気に回転を上げる。
「あ、美典ちゃん!!」
 背後におばさんの声が聞こえたが、美典はそのままバイクを発進させた。

 夜の暗い道は、まるで今の美典の不安を暗示しているかのようだった。




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