光墜つ・第四幕



 人の気持ちによって、同じものを見ても、それはひどく印象を変えるものだ。かつ

て、戦いの時に見た銀色の月は、イザーク人にだけ明かりをもたらしているのではな

いか、と思えるほどに鬱陶しく思えた。だが今、その月は真円を描き、地上を優しく

照らしている。そこには、凄惨さも血生臭さも、もうない。あるのは夜の優しい風と、

ほんの少しの闇の恐怖。そんな中を、シアルフィ公主バイロンは、一人グラスを片手

に天幕の前に立っていた。先ほど、グリューンリッターの団長ラヴァウドから報告を

受け、そのまま天幕の外で佇んでいるのだ。

「イザークの月がこれほど美しかったとはな」

 見上げる夜空に美しく輝く月が、掲げあげた空のグラスの向こう側に見える。柔ら

かな月の光は、戦で疲れた体すら癒してくれているようにも思えた。

 そのイザークの月とも、もうすぐお別れである。無論月はどこで見ても同じである

はずなのだから、そう感慨にふける必要などあるはずもないのだが、それでもあの乾

いた大地で見る月は格別だったように思える。あるいは、地上の潤いを月が吸い上げ

ているのでは、と思えるほどに。

「それでもやはりシアルフィで見る月も懐かしいでしょう」

 いきなりかけられた声に、バイロンは軽い驚きをもって振り返る。といっても、声

には聞き覚えがあった。そこには、予想した人物が姿をあらわす。

「リング卿。それにスサール卿」

「今宵はよき月夜。一人で飲まれるなど寂しいでしょう」

 リングはそう言うと手に持っていた瓶を掲げてみせる。ユングヴィ特産のワインで

ある。

「悪くはないな。どれ」

 バイロンは侍従に命じてグラスをさらに二つ持ってこさせた。それぞれに澄んだ色

の紅い液体が注がれる。

「生きて故国に帰れることに」

 バイロンの言葉に、グラスがぶつかり合う小さな音が続いた。それぞれ、グラスを

傾ける。

 まだグランベル王国に入ったわけではなく、むしろイザーク王国の出口のような場

所なのでまだ「生きて帰った」というわけではないのだが、ここまで来ればもう命の

危険もほとんどない。噂に聞く砂漠の蛮族の襲撃に気をつければいいだけだが、彼ら

とて、このような大軍を狙うことはまずない。

「そういえばご子息のシグルド殿はアグストリアでも大層見事な働きだったとか。噂

は我が陣にも届いておりますぞ」

 バイロンの息子シグルドは、ヴェルダンの条約違反による突然の侵略を退けた後、

そのままヴェルダンを降伏させ、残った王子ジャムカを従えて凱旋した。そしてその

功績を称えられ、新たにエバンス城の城主となったのである。そしてさらにその数ヶ

月後、今度は親グランベルの立場をとってアグスティで投獄されたノディオン王エル

トシャンを救出するため、アグストリアへ侵攻。これは、侵略行為になるのだが、実

際にはアグストリアもグランベルに侵略する準備があったのだ、という情報があった

ためだといわれている。だとすれば先手を打ったことになるのだが、これについては

真偽は定かではない。結果としてはアグストリアのシャガール王にグランベル侵攻の

意図はあったらしいので、外交的にはさしたる問題はなかったらしい。

 シグルドは少ない兵力ながらも進撃を続けアグスティを攻略、エルトシャンを助け

て、そのままアグスティに駐屯しているらしい。経過はどうあれ、武門の公子として

は、華々しい功績といえる。

「シグルド様はよき公主となられましょうな」

「なんの。おぬしの孫・・・オイフェといったか。彼の知略もかなり助けになってい

る、とシグルドがよこしていた。感謝するぞ、スサール卿」

 二人の会話を聞いて、リングが少し羨ましそうな顔になった。

「よき後継者に恵まれて羨ましい限りだ。それに引き換え我がユングヴィ家は・・・」

「しかし此度の戦い、おぬしの息子のアンドレイ卿はずいぶん活躍なさったそうでは

ないか」

「・・・だがあやつは、イチイバルに選ばれてはおらぬ」

 バイロンは続く言葉を見つけられなかった。

 ユングヴィ家に伝わる家宝、聖弓イチイバルの継承者は、十五年も前に行方不明に

なっているのである。

 リングの長女、すなわちユングヴィの第一公女ブリギッド。

 幼き頃から聖痕を宿していたこの少女は、かつてブラギの塔を公爵一家で参拝に行

ったときに、嵐の海に投げ出され、行方不明となってしまったのだ。

 それからもう十五年。リングは半ば諦めてしまっているのだが、妹のエーディンは

「姉は生きている」と信じ、神の道を選び、姉の行方を神に問い続けている。だが、

未だに神託が降りたことはない。

 異母弟であるアンドレイも、最初は嘆いていたのだが、士官学校に入った頃からそ

のようなそぶりは見せなくなった。あるいは、自分が家を継ぐことになる、という使

命感が彼を変えたのかも知れない。だが、アンドレイは時々何を考えているのか分か

らなくなる時もある。リングは、それが時として言い知れぬ脅威に思えていた。

「・・・すまぬ。どちらにせよ、故国に帰れるというだけで気が晴れやかになるのだ

がな。それにバイロン卿はシグルド殿の細君にもまだ会っておらぬのだろう」

 やや強引にリングは話題を変えた。バイロンもスサールもそれに合わせる。

 話題は帰国後の政治や、またシグルドが制圧したヴェルダン、アグストリアについ

てなどに移っていった。だが、結局正確な情報もないままでは判断も出来ず、またク

ルト王子や宰相レプトール卿の意見とてあるだろう、ということで、結局簡単な方向

性だけ決めて、その場は散会となった。

 

「父上」

 天幕に戻ったリングを呼び止めたのは、そのアンドレイだった。手にワインの満た

されたグラスを二つ持っている。ふと、リングはアンドレイが喪章をつけているのを

見とがめた。

「どうした?」

「妻が・・・ラレイアが逝きました」

 その言葉は、リングにも少なからず衝撃を与えた。

 アンドレイの妻ラレイアはフリージ公国の貴族の娘で二年前に結婚した。アンドレ

イはやや遅れてイザーク戦争に参軍したのだが、これは士官学校の卒業を待っていた

のと、妻ラレイアの容態を思ってのことであった。しかし、そのラレイアが懐妊して

いることが戦中に判明し、リングは一度国に戻ることを進めたのだが、アンドレイは

「武人として一度戦場に来た以上、そうやすやすとは戻れません。ラレイアも分かっ

てくれるでしょう」といってそのまま軍に残っていたのである。結局彼は、妻に再会

することは叶わなかったのだ。

「そうか・・・それは残念だ・・・」

「はい。ですが子は生まれたらしいのです。いえ、むしろ無理をして産んだのが彼女

の体力を奪ったのでしょう。・・・男の子です」

 リングは驚いて息子の顔を見た。その顔には悲痛さと、そして少しの嬉しさが浮か

んでいる。妻を失ったこと、しかし同時に子を得たこと。その感情の整理がつかない

のだろう。サーガなどであれば、生まれ変わり、などと思いたくなるところかもしれ

ない。

「それで、父上にお願いがあります。その子供の、名を考えていただきたいのです」

「わしに、か?」

「はい」

 リングは腕を組んで考え込み始めた。数瞬の沈黙があたりを支配する。かがり火の

薪の爆ぜる音だけが世界の全てとなる。

「・・・スコピオ。ユングヴィ家の始祖、ウルの義弟であった人物の名だ。ウルにも

負けぬほどの弓の使い手であると同時に、騎士としても大変優れた人物であったと伝

えられている。お前の子も、その騎士のように立派な騎士となることを祈って」

「私は立派な騎士ではありませんか?」

 アンドレイが苦笑する。もっとも、士官学校での成績はともかく素行の面で入学当

初に幾度も注意されたという事実がある。それを思い出したのか、アンドレイはその

後の言葉は続けなかった。

「ありがとうございます、父上。それでは、これを」

 アンドレイは手にもっていたグラスの一つをリングに差し出した。このとき、リン

グが先にバイロンとともに飲んでいなければ、あるいはアンドレイの手がかすかに震

えていることを見逃さなかったかもしれない。だが、このときリングは多少酔ってい

たし、何より新たに孫が出来たことが嬉しかったため、そこまでは気付かなかったの

である。加えて彼は酒にむしろ弱い方だったのだ。

「ユングヴィ家の新たなる子、スコピオに栄光あらんことを」

「ユングヴィ家にさらなる栄光のあらんことを」

 二人は同時にグラスに満たされたワインを飲み干した。直後。

 ふっと。

 まるで操り人形の糸が切れたように、リングの体が崩れ落ちた。それをアンドレイ

が素早く支える。

「父上。少し飲みすぎたのでしょう。お休みになられませ」

 しかし、その言葉はもうリングには届いていなかった。目を閉じ、力を失ったリン

グを、アンドレイは寝台に横たえる。しかし、そのリングは全く動いていなかった。

本来人間ならあるはずの、呼吸による胸の動きさえも。

 

 グラン暦七五八年。陰謀の幕は切って落とされた。

 今、帰路にあるグランベル軍に静かに別の、臨戦体制にある軍が迫る。しかしその

軍は、同じグランベルの旗を掲げていた。




第三幕 第五幕

戻る



ちょっとだけ後書き
 リング卿、登場と同時に死亡(爆)
 アンドレイは書いていて味が出たというかなんというか。う〜ん、いい人になりかかってる。といっても父親殺しは変わらないけどさ♪(爆)
 スコピオっていつ生まれたんだろう?とか考えるとこの辺かな、と思いまして。まあ実際にはアンドレイが戦死するまではまだ一年以上あるわけで、その間でも良かったんだけど話題的にここでいいかと思いまして。ついでにスコピオってなんとなくレスター達より年上っぽい気がしましたし(^^;
 アンドレイが異母弟、とあるのはTREASUREで判明したことです。どうりで似てないと思ったよ(笑)
 彼の妻のエピソードは適当です。けど、これで彼が振り返らなくなった・・・のかもしれない(謎)
 さて、今回は死人は一人だけですね。もうちょっと進めるつもりだったけどまあいいや。次から・・・ケケケ(謎鬼)
 名前付きで死ぬのはあとひ〜ふ〜み〜・・・と。あ、意外に少ない。あ、名前だけ出てきたグリューンリッターの団長さんがいたか。ちなみに名前は音の響きだけで決めてます(^^;
 いよいよ次から本格的な大殺戮大会。覚悟しましょうね〜(鬼畜)