本来味方であるはずの軍から突然攻撃を受けた時、普通どうなるか。考えるまでも ない。そして、いくら練度が高いといわれているシアルフィ軍でも、この場合は例外 ではなかった。つまり、パニックに陥ってしまったのである。 シアルフィを包囲する各軍には「シアルフィのバイロン卿は王家に弓引く意思が、 すなわち叛逆の意思がある。よってこれを討伐する」という説明を受けていた。しか も直後、クルト王子の暗殺が伝えられたのである。あまりの手際の良さから、王子と 親しいものの仕業に違いない、といわれ、直後に見張りの兵が立ち去るバイロン・リ ング両卿を見たという。 しかもその後、リングは罪の重さに耐えかねた、と息子アンドレイに言い残して毒 をもって自害したらしい。 そしてシアルフィ軍がドズル、フリージ軍に攻撃した。これは実際にはごく一部だ ったのだがこれはあたかもシアルフィ全軍が攻撃したように報じられた。 事態がここに至り、バイロンはシアルフィ軍全軍をもって陣を固め、ドズル、フリ ージ両軍との対決姿勢を明らかにしている――これらの情報が、多くの誤情報ととも に戦場を飛び交っていた。 混乱する事態の中、ドズル、フリージ両軍はこの事態を予見していた(という)ラン ゴバルト、レプトール両卿が各々の騎士団をイザークから呼び寄せていて、各騎士が 軍の混乱を治めていた。 ユングヴィの軍はリング卿の自害により一時的に混乱が広まったものの、息子であ るアンドレイ卿がその指導力を発揮してさしたる混乱もなく、ただ亡き公主の王子暗 殺という罪の処断を待っている状態である。 そして。もっとも混乱していたのはシアルフィ軍であった。 一部の部隊が突然狂熱に侵されたのではないかと思えるようにドズル、フリージ軍 を攻撃、そして直後にそれまで味方だと思っていた全ての軍に包囲され、攻撃を受け ているのである。そして、攻撃してくる側は「叛逆軍を討て」と言っているのだ。彼 らには、なんのことかさっぱり分からないまま、かといって無闇に反撃も出来ず、た だ遠くから射かけられる矢に対して、盾を構えるつつ闇にまぎれて撤退するのがやっ とであった。 「手際の良いことよ」 皮肉げにバイロンは一人呟いた。おそらく、前々から、あるいはもしかしたらこの 遠征の最初から計画していたのかもしれない。 シアルフィ軍は砂漠側に追いこめられ、それをドズル、フリージ、それにヴァイス リッター、ゲルプリッターが半月陣を敷いて半包囲している。死の砂漠、といわれて いるイード砂漠に追い込めればそれでも十分だから、この布陣は正しい。 ただでさえ彼我の兵力差は六倍以上。バイロンはふと、同じような戦力差がありな がら、グランベル軍に立ち向かったマリクル王やイザークの人々の勇敢さを、改めて 賞賛したくなった。 それに彼らは、少なくとも味方を裏切るような卑劣な輩ではなかっただろう。 「どちらが蛮国なのだかな・・・。いや、人が多いから、裏切りもある、ということ か」 「そのような認識は嫌でございますな、バイロン様」 夜明けまではまだかなり時間があるため、まだ空は暗い。加えて月も、女神が地上 の醜い争いを見るのを厭ったのか、雲のヴェールに覆われ光を地上には投げかけてく れていなかった。もっともそのおかげで、シアルフィ軍は屋外での明かりを消し、極 力見つかりにくいようにして陣を張っている。このあたりは砂漠との境界にあるため 岩山が多く、おそらくドズルやフリージでもシアルフィ軍がどこにいるか、正確な場 所は掴みきれていないだろう。だがそれも、夜が明けるまでの話だ。 「しかし・・・。リング卿が自害とは考えられんな。何者かに陥れられたか。あるい は・・・」 その先を口にするのは、いくらなんでも憚られた。父殺し、という大罪をそうそう 犯す者がいるとも思えない。だが、この場合それしか選択肢はないようにも思える。 「いずれにしても、このままでは我らはただ攻撃を受けやられるのみ。どうすべきと 思う、スサール卿」 バイロンはもっとも信頼する腹心の方を顧みた。 「彼らにまだ、罪を恥じる心があるのであれば、あるいはバイロン様が釈明に行くの もありでしょう。ですが、彼らはそうはなさりますまい。すでに一度、人として、国 を預かる重鎮としてありうべからざる行為をなしているのです。いまさら、恥を恥と も思いますまい」 言外にイザーク王マナナンのことを言っているのは、バイロンにも容易に想像がつ いた。 こうなってくると、マナナン王が釈明に来た時、レプトールが斬りかかられた、と いうのはおそらくでたらめだろう。始めから、レプトールらはイザークを攻め滅ぼす つもりであり、そのために王を謀殺したのだ。結果、戦争は長引き、シアルフィ軍は 甚大な被害を被った。おそらく、ドズル一軍が相手でも勝つのは極めて困難なほどに。 「なれば、ここはなんとしてでもこの包囲を突破し、その後にバーハラまで戻られて アズムール王に直接申し出る他はありません。事態が事態なだけに、仮に降伏しても まともな裁判は行われない・・・いえ、そのまま殺される可能性すらありますゆえ」 バイロンとしては「そこまでするだろうか」と思わなくはなかったが、すでに彼ら は主君であるクルト王子をその手にかけている。いまさら後戻りなど出来るはずもな く、そして彼らの罪を告発できる可能性のある自分を生かしておくはずもない。 「おそらく彼らは、夜明けとともに総攻撃にくるでしょう。我らとしては、その前に 包囲を突破するしかありません。ですが、やりようはあります。この闇夜では、どう しても各陣で連絡を取り合うことは困難であり、我らはその陣容の薄いところを狙っ て突破、そのまま闇にまぎれ軍を分散させます」 「だがそれでは、追っ手がかかった時に兵士達が己を守りきれぬぞ」 はるばるシアルフィから連れてきた兵士達を、半ば見殺しにすることにもなりかね ない。それは、バイロンには耐えがたい事実であった。 「しかしここでバイロン様が捕らえられた場合、最悪全てのシアルフィの兵、いえ、 シアルフィの民もが反逆者の烙印を押されることにもなりかねませぬぞ」 「む・・・」 そこまで言われては否、とは言えない。まだおそらく何も知らないシアルフィがド ズルやフリージの兵達によって荒らされる可能性を考えると、いかなる事をしても、 この濡れ衣を晴らさねばならない。 「それに、シアルフィの兵は強兵。そうやすやすと捕まりはいたしますまい。今は、 バイロン様がなんとしてもバーハラまで辿り着かれるのが、何よりも重要です」 「・・・わかった。おぬしの言に従おう。ラヴァウドを呼んで来てくれ」 「御意」 スサールは侍従の一人にグリューンリッターの団長であるラヴァウドを呼び寄せる ように命じると、自身は机の上の地図に目を落とした。蝋燭の明かりが頼りなく揺れ るのにあわせて、かすかに陰影が変化するその地図は、死の砂漠と呼ばれるイード砂 漠のものだ。 「我らの後ろはすでに砂漠。そしてグラオリッター、ゲルプリッター、ヴァイスリッ ターが半月陣を持って包囲しております。そこで我が軍が突破を狙うのは・・・」 スサールは地図の上で指を滑らせ、ある地点で止める。バイロンはそれを見て、軽 い驚きの表情を浮かべた。 「敵の正面ではないのか?」 スサールが指差した場所は、現在グラオリッターが陣取っている、やや起伏の大き い地形であった。グラオリッターを突破するのはグリューンリッターといえど非常に 困難であると言わざるを得ない。まして、すでに騎士団単独でも戦力差がかなり開い ているのである。 「いえ。この地形であればこそ、敵は戦力を集中できません。突破力であればグリュ ーンリッターはグランベルの騎士団でも随一です。戦力を細く集中し、一点を突き抜 ける。あとは、ただ駆け抜けるのみです」 「だが敵もそれくらいは考えよう。その道を塞がれてはどうする?」 スサールは、その可能性もありえますが、といいながら再び一度地図に目を落とす。 「そうはいっても道はいくつもあります。我らがこのうちのどれを使おうとするか、 そもそも我らがこの道を突破してくるのか。予想は出来ても絶対の確信は持てるはず もありません。いくら戦力差があるとはいえ、我らの逃亡の全ての可能性に対して、 完全な防御を引くことは不可能です。無論、我らも賭けに出なくてはなりませんが、 もとより我らに与えられた手札は少ないのですから、これはいたし方ありません」 そのとおりだ。確かに、ここで手をこまねいていては、いずれ夜が明け、敵は総攻 撃してくるだろう。そうなれば、勝ち目はない。そうなる前に、行動しなければなら ないのだ。 「ラヴァウド、参りました」 その声と同時に、天幕の入り口に人影が現れる。バイロンがもっとも信頼する騎士 の一人、ラヴァウドである。 今年で二十九歳。去年騎士団長に就任したばかりであるが、その実力はグリューン リッターの誰もが認めるところである。スサールの遠縁にあたる人物で、下級貴族の 出身ではあるが、実力でこの若さでこの地位を獲得したのである。 「来たか。入れ」 バイロンの言葉に、ラヴァウドは天幕の中にゆっくりと入ってきた。 スサールは手早く、決定した方針を説明する。 「分かりました。確かに、今採れる最善の手段でしょう。実は、私もこの手段を提案 しようと考えていました。もっとも、スサール様のような観点からではなく・・・」 「どういうことだ?」 「敵も、一枚岩、というわけではないようなのです」 ラヴァウドはそう言うと懐から一つの紋章を取り出した。斧を意匠化したそれは、 紛れもないドズル家、グラオリッターの紋章。そしてそれが、真っ二つに切り裂かれ ている。 「これは?」 騎士のいわば名誉の証とも言える紋章をこのように扱うことは、いかに他国の騎士 団のものといえど、抵抗を感じずにはいられないのが普通だ。 「私の友人に、ケルセフという男がいます。彼はドズル公国の下級貴族の出身で、グ ラオリッターの一員でもあるのですが、実はその彼が単騎、この陣にきているのです」 バイロンとスサールは驚いて顔を見合わせた。だが確かに、事の真相にある程度気 付いて、そして騎士たる心を失っていないのであれば、あるいはありえない話ではな いのだろうか。 「そのケルセフが、自分と同じような考えをもつ騎士達とともに、わざと防備の弱い 場所を作る、と言って来ているのです。無論、全面的に信用出来る、と私から言うこ とは出来ません。ですが、有効な手段ではないかと」 「ふむ」 実際、藁をも掴むほどの状況であるのは間違いない。その情報が確かであるならば、 生き残れる確率は格段に上がる。 「とりあえず、その男を呼んで参れ」 「御意」 出て行くラヴァウドの背を見て、なぜかスサールは一瞬、喩えようもない不安に駆 られた。だが、すぐにそれを振り払う。それが、予感であった事を知ることは、スサ ールには出来なかった。
|
あれ。まだ戦端が開いてない。しくじった。まあいいや。次、次♪ ちょっと状況の説明がわかりにくいかなあ、とか思って焦っていたりする私。ちょっと補足説明・・・って後書きですることかよ(自爆死) とりあえずイード砂漠と普通の(?)大地の境界付近で、ちょっと岩山とか起伏に富んだ地形になっているところが、今の舞台です。で、シアルフィ軍は全部で約一千。これが盆地みたいなところいくつかに分かれて伏せてて、敵軍はその地形全体を取り囲んでじわじわと包囲を縮めているわけです。ただ月もない夜中なので実際に攻勢に出るのは朝になってから、というつもりと見ているわけですね、バイロンたちは。果てさてどうでしょうね♪(楽しくてたまらないという邪悪な笑み)←(オイ) というか聖戦の五章でランゴバルトが「グリューンリッターはグラオリッターの騙し討ちで壊滅させた」とか言っていましたしねえ。やっぱり卑怯な戦術使わないと♪(鬼畜) 次には戦端開くはず。というか開きます。といっても戦闘というよりもうほとんど一方的な○○ですけどね♪(爆) |