光墜つ・第七幕



「ケルセフ、バイロン様が会ってくださるそうだ」

 ラヴァウドの言葉に振り返った男は、グラオリッターの制式装備を身に纏った騎士

である。周囲を兵士に囲まれた天幕の中で、ともすると震えているようにも見えたが、

仮にも敵陣で、しかも武器を預かられている状態では、無理なからなぬ事かもしれな

い。その、自らの命を顧みない勇敢な行為をしてまで、シアルフィ軍を助けようとし

てくれる友人に、ラヴァウドは心から感謝した。

「そ、そうか。分かった」

 やはり震えているのか。やや声が強張っている。

「どうした。武器がないのが不安か?」

「いや、まあ少しな。あと、俺は暗いところが苦手なんだ。知ってるだろう?」

 確かにそんな記憶がある。まだお互いに幼かった頃、肝試しをしようとしてケルセ

フはすっかり恐怖で固まってしまったこともあった。

「すまんな。あまり明かりをつけて、敵軍――まあお前さんの軍だが、彼らに見つか

るわけにはいかないんだ。分かってくれ」

 ケルセフは「それはそうだな」と同意すると立ち上がり、歩き始めた。縄こそ打た

れていないものの、一応扱いとしては捕虜であるので、ラヴァウド以外に、兵が随行

しようとする。

「いらん。少なくともこの陣内においては危険はあるまい。それより、ドズル、フリ

ージの動きに注意していろ。いつどう動くかも分からぬゆえな」

 兵達は「分かりました」というと各々散っていった。彼らはケルセフを見張るため

にいたわけで、ケルセフをラヴァウドが見ているのであれば、ここにいる理由はない。

彼らとて、今の状況が非常に厳しい状況であることはよく分かっていた。それでもな

お、裏切りや脱走が出ないのは――スサールはその可能性を今も恐れているのだが―

―ひとえにバイロン公の名声と、そして清廉さゆえだろう。彼らは、バイロンを信じ

ているのだ。

「たいしたものだな、お前も」

 道中、ケルセフはふと口を開いた。ラヴァウドは「何がだ?」と横を振り返る。や

や小ぶりな松明で足元を照らし、移動しているため、ほぼ横並びで歩いているのだ。

「いや、出世したものだと思ってな。かつて、お互いに夢を語り合った。もうあれか

ら、どのぐらい経ったのか。だが、お前はそれを、実現させつつある。かつて、共に

それぞれの国で栄達し、そしてより良い国を作っていこう、と言った言葉をな」

「運も良かったがな」

 ラヴァウドは前を――正しくは足元を見ながら歩き続けた。

「バイロン様は、ちゃんと実力を評価して俺を取り立ててくださった。正直言うと、

俺程度の出身じゃ騎士団長なんて無理だと思っていたんだがな。けど、お前だってそ

う遠くないだろう。病弱な妹さんのためにも、がんばらないとな」

 確かケルセフの妹は、生まれながらに足が不自由で、今も屋敷から出ることが出来

ない。あるいはブラギの高司祭の力なら癒せるかもしれないが、下級貴族でなんのコ

ネもない彼らでは、そうそう頼めるものではないのだ。

「いや、ドズルは俺みたいな下級貴族出身は、なかなか上にいけないんだよ。賄賂と

かも横行していてな・・・。それこそ、こういうことでもない限りはな・・・!」

 今が昼間ならば、注意が足に向いていなければ、ラヴァウドは友と信じているその

男の言葉の中に、見逃せない感情が宿っているのに気が付いただろう。だが、ちょう

ど足元に出現した石を避けようとする方に、一瞬、注意を向けてしまったがゆえに、

ほんのわずか、それに気がつくのが遅れた。そして、それは致命的な一瞬となってし

まった。

「な・・・。ケ、ケルセフ・・・」

 ラヴァウドは信じられないものを見るような目で自分のわき腹の、鎧の隙間に深々

と突き刺さった短剣――というよりは暗殺用に作られた長めの刺突用の剣――を見た。

それはわき腹から斜め上に、心臓を貫くように突き刺さっている。ラヴァウドの手の

力が抜け、松明が地面に落ちた。

「悪く思うな・・・。これで、俺はグラオリッターの副団長の地位を手に入れられる

んだ・・・。そうでなくても、俺の家は、もう、がたがたで、こうするしか、なかっ

たん、だ・・・」

 がたがたと震えるような声で。半ば泣くようにケルセフは言葉を紡いでいた。

「お前が、お前がこんな立場じゃなければ、お前が隙を見せなければ、俺は・・・」

「ケ・・ルセ・・・フ・・・。な・・・な・・・ぜ・・・」

 かろうじて紡いだ言葉に続いたのは、ごほっ、という音と共に溢れ出してきた大量

の血であった。地面に落ちた松明が、本来赤いはずのその液体を、黒く映じている。

 それを最後に、ラヴァウドの全身から力が抜け、崩れ落ちるように倒れた。ケルセ

フは、ラヴァウドが地面に叩きつけられないように支えつつ、わき道にそれていく。

「許してくれ、なんて言うつもりはない。・・・俺はもう後戻りは出来ない。元々、

生きて帰るつもりもない。ランゴバルト様は、妹だけは確かに任される、と言ってく

ださった。すまん・・・。あとで文句はいくらでも聞くさ・・・。いや、聞けないか

な。お前と俺では、行く場所が違うだろうからな」

 ラヴァウドの遺体を見えにくい場所に置き、手を合わせてやると、ケルセフは地面

に落ちた松明を拾い、それからラヴァウドの剣をベルトから外した。

「剣だけは借りていく。返せそうだったら、返しに来る。それじゃあ、な」

 頼りなげな松明の明かりの中、ドズルの騎士はただ一人歩き去り、闇の中に消えて

いった。

 戦いが終わった後、一人のドズル騎士が、シアルフィの騎士の剣を持って死んでい

ることを気にする者は、誰もいなかった。

 

 突然天を焦がすような巨大な炎によって、周りが明るくなったことに、気付かなか

ったシアルフィ兵はもちろんいなかった。驚いて天幕の外に出ると、糧食や油などに

火がついている。それが巨大な炎となって、全てを照らし出していたのだ。

「な、一体何があった!!」

 さすがのこれには、バイロンも狼狽した。これでは、自分達がどこにいるかなど、

それこそリボーからでも分かるかもしれない。場所を知らせてやっているようなもの

だ。

 スサールもさすがにこの事態は予測できていない。

「い、一体これは・・・。まさか、内通者?!」

 そのときになって、二人は未だにラヴァウドが戻らないことに不信感を覚えた。ラ

ヴァウドが裏切ったとは思えない。だが、ラヴァウドの友までは、彼らに信じる理由

はない。

「いずれにしてもこれでは・・・」

 スサールの懸念はすぐさま現実となった。

 ざあっという雨に似た音。だがそれは、大地に潤いを与える豊穣の雨ではなく、人

に死をもたらす、鋼の雨。

 直後、大地が濡れた。だがそれは天からの水ではなく、地に立つ人の流した苦しみ

と絶望、そして恐怖に彩られた赤い雫。

「いかん、このままでは!!」

 スサールは慌てて侍従を呼ぼうとするが、彼の目の前で、駆けつけようとした侍従

は矢に首を貫かれて倒れた。どうなったかは、見るまでもない。

「おのれ、この様な殺戮を!!」

 バイロンは聖剣を手にとり、愛馬に跨った。

 冷静沈着、そして重厚なる武人として名を馳せていたバイロンが怒りに身を任せる

のは、後にも先にもこの一度きりであっただろう、とは後の歴史家の伝えるところで

ある。

「バイロン様、なりません!」

 矢の雨はあくまでも陽動である。いかに炎の周囲に射掛ければいい、といっても実

際には最初の一撃以外はそれほどあたるわけではない。この攻撃は、あくまでも混乱

を招き、そして冷静な判断力を失わせるためのものなのだ。

 だが、バイロンはあっという間に闇の中に消えてしまった。

 それでもまだ、戦士としての勘なのか、危険の少ない、すなわち崖の横を走り抜け

ている。しかし、今そんなことに感心している場合ではなかった。

「とにかく、全軍を集結させねば。ディルバーク、エッゾ。魔法で信号を出し、全軍

の混乱を沈静するのじゃ」

 本陣付きの魔法兵二人を呼び、スサールは手早く命じる。

 この時代、遠距離の連絡には昼間であれば狼煙を使うが、この様な暗闇では狼煙は

あまり効果がないし、複雑なメッセージを伝えることも出来ない。そこで、炎と雷の

魔法の組み合わせで、ある程度のメッセージを送る『魔法信号』の制度が最近になっ

て考案された。これらに使われる魔法は威力はなく、見た目だけ派手、つまり目立つ

ようになっていて、かなり遠くからでも判別がつく。それに、夜であればそれだけで

もかなり目立つはずだ。

「全軍矢の攻撃を防ぎつつ騎馬隊の攻撃を警戒せよ、と送るのじゃ。この攻撃はあく

まで陽動。確実にグラオリッター、ゲルプリッターによる攻撃がある」

「はっ」

 命じられた二人は魔道書をかざし、魔法を紡ぎだそうとした。しかし。

「くっくっく。困るのだよ。貴公らは全滅してもらわねば」

 どんな人間でも共通して「邪悪だ」と思わせるほど不気味な、そんな声。それが、

スサールの真後ろから聞こえた。

「な・・・」

 驚いて振り向くスサールの、そのまさに両側を、闇が嘆きの声と共に駆け抜けた。

直後、二人の魔法兵の、呪詛にも似た苦しみの声があたりに響く。

 その闇を放った人物は、紫闇のローブを纏っていた。

 だが、本来高貴な雰囲気を放つはずのその色が、スサールにはとてつもなく邪悪に

見えた。




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ちょっとだけ後書き
 さて、お待たせ(?)しました。大殺戮の開始です。まだ序の口だけど。でもその割には名前つきはあまり死なないですが。まあその分は一般兵士に、ね(鬼)
 マンフロイが出てくるのは最初は考えていなかったのですが、雰囲気的に出すと面白そうなので出しました。なんかヘッダ部に出張っていますが(笑)
 さて。不審に思う人もいると思うので一応解説を。ケルセフがシアルフィ軍を見つけられたのは偶然じゃないんです。軍を移動させて哨戒するのは難しいですが、当然単独であれば千人もの集団にはある程度気付きます。で、彼は当然単独だったので気付いたんです。ちなみにもちろんドズル、フリージ両軍は偵察を出してはいますが、これにはシアルフィ軍も神経張り詰めていますのでほとんど見つかっています。ケルセフも斥候だと思われて捕まったのですがラヴァウドにとりなしてもらったんですね。前回のような嘘をついて。
 無論、斥候のうち数名は戻ってシアルフィ軍の位置は大体わかっていたのです。スサールもそれは分かっていて、だから急ぎ軍を動かそうと思ったのですが、この辺はドズル、フリージ軍が、というよりマンフロイのほうが一枚上手だったようですね。スサールとしてもケルセフの話の真偽を確認する時間くらいはある、と思っていたのでしょうが。
 とまあそういうわけです。一応、補足までに。
 とりあえずあと二幕か三幕くらいで終わると思います。一話あたりがこれまでより短いから、それほどは長くないのですけどね、実は。