光墜つ・第八幕



「射て」

 冷酷な指令と共に、弓弦の震える音が夜空に響いた。放たれた矢は、きれいな放物

線を描いて山向うの巨大な炎の周囲へと飛んでいく。ややあって、怒号と混乱に彩ら

れた叫びが聞こえてきた。間髪いれず、第二射が放たれる。

「ふむ。第一撃として上出来だろう。見事だ、アンドレイ殿」

 グランベル王国宰相にそういわれた、金髪の若者はかしこまって礼をした。

「いえ。裏切り者たる父の汚名を雪ぐための戦い、我らにできることがあれば、何な

りと協力いたしましょう」

 全ての事実を知る第三者がここにいたら、これ以上の茶番劇はないだろう。だがこ

の場にいる者で、全ての真実を知る者は茶番劇の出演者達だけであり、誰一人として

それを見て笑うものはいなかった。

「まもなく、出てくるぞ。ドズル公、首尾は?」

「ぬかりはない。やつらが来る道は、全て死出の旅立ちのための道よ」

 かがり火の明かりの中でもはっきりと分かるほど、ドズル公ランゴバルトは笑いを

浮かべていた。長年、政敵として幾度となく邪魔をしてくれたシアルフィ公が、ここ

にいたって裏切り者の汚名を着てくれたのだから、言うことはないだろう。周りはそ

う考えた。だが。

 確かにそれもある。だが、それが冤罪であり、クルト王子を殺害したのが他ならぬ

このランゴバルトであるなど、この計画に加わっているもの以外、誰一人として知る

由もないだろう。

「グラオリッター、全騎、前へ」

 ランゴバルトの命令を受け、彼の長男たるダナンが騎馬の上で長柄戦斧を振りかざ

す。それに応えるように、二百にも及ぶ騎士たちが、軍馬の足並みを揃えた。

 立て続けに射放された矢は三回。ややあって、山間から怒号が近づいてくる。それ

がなんであるか、この場にいる全ての者達が分かっていた。

「全騎、突撃!」

 ダナンの声が響く。同時に、地を揺らさんばかりの勢いで、グラオリッター全騎が

駆け出した。土煙が舞い上がり、いくつかしかない岩山の間の道に殺到する。

 グランベル王国が建国されて以来初めの、グランベル王国の騎士団同士の戦いの火

蓋が、切って落とされた。

 

「だ、誰だ貴様は・・・」

 スサールとて、昔は戦場に立ち、剣を振るっていた身だ。お世辞にも優れている、

とはいえなかったがそこそこの腕前ではあった。戦傷で剣を握れなくなっていなけれ

ば、あるいは今もバイロンの横にあって剣を振るっていたかもしれない。その頃の、

戦士としての感覚が教えてくれていた。

 この相手は危険だ。逃げろ、と。

 しかし、スサールは動くことが出来なかった。まるで全身を縛られているように。

いや、実際縛られているのだろう。「恐怖」という名の見えない呪縛に。

「ふむ。これから死ぬ者に名乗ってやることが意味がない、というか、あるいはこれ

から死ぬから最期に名を教えてやる、というか。どちらが正しいと思う。グランベル

にその人あり、と謳われたほどの智者であるおぬしならば分かるのではないか?」

「な、何を・・・」

 目の前の人物――いや、老人はおそらく笑っているのだろう、と思ったがその表情

自体はフードに隠れていて見えない。ただ、笑っているといっても、それは到底友好

的と表現できない種類のものであることは、容易に想像がついた。

「い、一体何者だ!」

 声を大きくしたのは、精一杯の虚勢である。だが目の前の老人には意味がないこと

もまた、分かっていた。

「くっくっく。恐怖か。そうだ。恐怖しろ。それが、我が神への糧となる」

 老人は恍惚とした声で、まるで何かに呼びかけるように言う。しかしその言葉で、

スサールはその老人の正体に気付いた。正しくは、気付いてしまった。

「ま、まさか暗黒教団か」

「・・・ほう。良く分かったな。いかにも。わしはロプト神を崇める暗黒教団の大司

祭、マンフロイじゃ」

 死ぬ前に相手の名前がわかったところで、意味がない。だが、スサールは今回の陰

謀の影に暗黒教団が確実に存在することを、確信し、そして同時に恐怖した。

 いかにランゴバルト、レプトールといえど、暗黒教団と手を結ぶとは思えない。彼

らとて、聖戦士の矜持を失っているわけではないはずだ。しかし、この一連の陰謀や

事件――もしかしたらイザーク戦争すら――は、間違いなく暗黒教団による陰謀だ。

そして、彼らが望むことはただ一つ。暗黒神ロプトウスを復活させ、再び大陸の覇権

を握ること。もし、ランゴバルトやレプトールがこの事実を知れば、彼らとて確実に

戦いを止めるだろう。だが、彼らは暗黒教団の陰謀に乗ってしまっている。彼らを動

かしたのは誰か、それは分からない。だが、少なくともグランベルの公爵に意見でき

る立場の人間に、暗黒教団の人間がいる、ということになる。

「ふむ、色々考えを巡らせておるようだが・・・無駄だ。おぬしを生かしておくこと

はできんよ。まして、わしの正体に気付いたとあってはな。わざわざ、おぬしを殺す

ためにわしがわざわざ出張っておるのだからな」

 老人――マンフロイはゆっくりと腕をかざす。だが、そのときになってもスサール

は動けなかった。だが、その時。

 マンフロイがかざした手を下ろし、跳ねるように跳びのいた。そしてそこに、矢が

突き刺さる。

「スサール様!」

 数人の兵士が、異常を察したのか駆けつけてきたようだ。だが。

「無益なことを・・・」

 老人の腕が躍った。同時に、そこから暗黒が放出される。

「や・・・」

 かろうじて、それだけを声にした時、すでに暗黒は兵士達を捉えていた。

「うわああ!」

「た、助けてくれ・・・」

「あ、あ、あ・・・」

 兵士達の苦しみの声が、やや遅れてスサールの耳に届く。振り返ると、兵士達はこ

とごとく地面に倒れ伏し、苦しんでいた。

「い、一体・・・」

 兵士達はことごとく倒れ伏し、苦しみうめいていた。外傷はないように見える。だ

と言うのに。

 やがて一人の兵士の肌の色が、黒く変色していった。それを皮切りに、次々と同じ

症状があらわれる。そしてそこが、まるで腐ったように崩れ落ちていく。まるで、人

が死に、死体を放置した経過を時間を短縮して見るように、目の前で吐き気のする気

味の悪い光景が繰り広げられた。しかも、その状態になってもまだ、兵士達に意識は

あるのである。その苦痛は、想像も出来ない。

「恐ろしいか。これも、我らが神から与えられた力の、ほんの一つよ。安心するがい

い。おぬしも同じ運命じゃ」

 マンフロイが、再びその腕をスサールに向ける。

 逃げたかった。だが、すでに己の足は恐怖と言う呪縛の鎖に囚われ、動くことが出

来ない。その間に、マンフロイの手に力が集まっていく。

「おぬしが生きておると、後々迷惑なのでな・・・」

 暗黒が、放たれた。

 

「マンフロイ様」

 すでに屍すらまともな形では残っていない宿営地に、ただ一人立っていたマンフロ

イはすぐ背後で出現した気配に驚きもせず振り返った。

「状況はどうなっておる」

「は。攻撃に出たバイロンをはじめとするグリューンリッターの一部は、今も戦闘中

です。さすがに、死を前にした人間、というのはことのほかしぶといものです」

 まるで自分達が人間ではないような口ぶりである。だが、二人ともそれに何ら不自

然さを感じてはいなかった。

「その他、最初の攻撃で傷ついた兵士や、指揮系統の混乱によって未だに行動の定ま

らぬ部隊が残っております。いかがいたしましょう?」

「余計な手出しはしなくてよい。まだ、我らが表立って行動するには時期が早い。放

っておいても、やつらがそれを見逃すとは思えん」

 マンフロイは愉悦の笑みを浮かべていた。

 ロプト神に敵対するもの同士が争い、殺しあう。そしてそれが、ロプト神復活の贄

となるのだから、これほどおかしいことはない。もっとも、真実を知ったとしたら、

たとえあの欲深いレプトール達でも、戦いを止めるだろう。そのためにも、まだ自分

達の存在はまだ闇にあって知られてはならない。

 男はさらに深々と頭を下げた。

「分かりました。では、我らはこれでここは撤退、と言うことでございますな」

「うむ」

 そう言ってから≪転移≫の術を使おうと、呪文を紡ぎ始める。だが、マンフロイは

何かを思い出したようにその動きを止めた。

「シギュンの娘はどうなっておる?」

「も、申し訳ありません。精霊の森から出た、ということはどうやら間違いないよう

なのですが、何処へ行ったか、未だにはっきりしておりません。ですが、同時期にそ

の辺りで軍事展開していたシアルフィの公子シグルドの軍が、あるいは何かを知って

いるかも知れぬ、ということで密偵を潜り込ませています。何か情報が入り次第、直

ちに手を打ちますれば・・・」

 男は焦燥した様子であたふたと答えた。だが、幸いマンフロイにそれで気分を害し

た様子はない。

「ふむ。急げよ。いかに我らの企みが上手くいったとしても、シギュンのもう一人の

子が見つからなければ、何の意味もない。それこそ、あの青二才の描いている空中楼

閣と同じじゃ。いや、やつの楼閣が本物になる可能性すらあるのだ」

「御意・・・」

 その言葉を最後に、二人の影が戦場から消えた。後には、シアルフィ公国軍の制式

装備が脱ぎ散らかされた様に散らばっていて、その中に一つだけ、軍師であることを

示す服が、やはり脱ぎ捨てたように地面に置いてあった。




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ちょっとだけ後書き
 しまった・・・。十幕は越える、確実に(汗) ちくしょ〜、ファイル名失敗した〜(謎爆) というわけで仕方なく全部直しました(汗)
 今回はマンフロイ様大活躍(笑) いや、別に私マンフロイのファンじゃないですよ、念のため(^^; まあとりあえずいやなヤツってことで書いてる・・・つもりです。実際全ての諸悪の根源は(発端になってしまったのはシギュンの失踪でそれに油注いだのがクルト王子だけど)マンフロイでしょう。このじいさんには「陰謀」って言葉がぴったりきますよね。だって聖戦でも1章から出張っていて、以後2,3,4,5,10章に出てくるけどいずれも戦えず。終章でやっと「年貢の納め時だ〜」ですから(笑)
 トラキア776でもあちこちに出てくるけどあっちじゃ全く戦えないし。もう完全に裏方(笑)
 というわけで今回も裏方。軍略に優れたスサールが生き残ると後々面倒だな〜とか思って、でも今人材不足(シギュンの娘=ディアドラ捜索のため)だからわざわざご足労してるんですね(笑)
 人に言えない企みってのは大変だ(爆)
 さて、いよいよ次回は(次回こそは)戦闘です。もう人馬入り乱れて暴れてもらいましょう。結果決まってるけど。でも、バイロン対レプトール&ランゴバルトはやりますよ♪ だって神器書くの大好きだし、私(^^;