光墜つ・第九幕



 誰でもおそらく一様に「凄惨」と表現するであろう光景が繰り広げられていた。

 月が雲に隠れているのは、やはりこの地上の凄惨なる光景を月の女神が見るのを厭

うたゆえではないだろうか。

 馬蹄が大地を踏み鳴らす音、怒号と苦痛のうめき、刃が肉を斬り裂く音、重い金属

による同じ金属を弾いた音が地上を満たしている。

 ある者は矢を胸に受け、落馬して他の馬に踏まれて、苦痛の声を上げる間もなく絶

命した。

 ある者は勢い良く振り下ろされた斧を受けきれず、そのまま肩口に直撃してしまう。

肩甲が破壊され、鎖骨が撃砕される。バランスを崩した騎士は、やはりその直後に全

ての感覚を失っていた。

 ある者はすれ違いざまに鋭い剣の一撃を頚部に受け、悲鳴の代わりに血の噴出す音

を伴って、絶命した。

 血と鋼と肉の饗宴が、文字通り大地を満たしていた。

「さすがはシアルフィ兵。強兵よ」

 小高い丘でその戦いを見下ろしていたランゴバルトが呟いた。シアルフィ兵はほと

んど一本道のような、岩山の間の道を出た直後にグラオリッター・ゲルプリッターの

両騎士団やドズル、フリージ兵に包囲され攻撃を受けているのだが、傷つきながらも

半数以上は突破し、陣容を整えつつある。元々、イザークの戦いにおいて最大の被害

を出していたシアルフィ軍の中でも、生き残ってきた強者達だ。そう簡単に全滅させ

ることが出来るとは、ランゴバルトもレプトールも考えていなかった。

「バイロンはどうなっている」

 レプトールに問われて、ランゴバルトは徐々に集まりつつあるシアルフィ軍の一団

を指差した。一団、といってもすでに百騎いるかいないか、程度の数になってしまっ

ている。

「さすがに聖剣を持ったバイロンを討ち取るのは、我がグラオリッターやおぬしのゲ

ルプリッターの精鋭でも辛かろう」

「そうだな。だが、もうよかろう」

 レプトールはそう言うと侍従に馬を引かせ、自ら跨った。

「ローヴェンエルク伯爵」

 馬具の具合を確認しつつ、レプトールは信頼する腹心を呼んだ。もっとも、腹心と

いっても今回の陰謀のことまでは知りはしない。

「岩山の向こう側にいるまだ出てきていないシアルフィ兵を壊滅させよ。臣下として

最大の大罪である弑逆罪に荷担した者達だ。容赦をする必要ない」

 その言葉は、言外に全てを殺せ、といっている。ローヴェンエルクも少し躊躇した。

「しかし、降伏する者は・・・」

「伯爵。私は同じ命令を二度言うのは嫌いだ。よいな」

 それだけを言うと、レプトールは馬腹を蹴って馬を駆けさせた。ランゴバルトもそ

れに続く。

 ローヴェンエルクはやや呆然としながら、それでもなおゲルプリッターの控えてい

た部隊を率いて、岩山のほうへ向かっていく。

 一度振り返って、それを確認したレプトールは、懐にしまっている神器トールハン

マーの魔道書を取り出し、力をこめた。

「あの聖剣は魔力をことごとく遮断する力を持つからな。我がトールハンマーを持っ

ても、まともに通用せん。加えて、やつの剣の技量は、悔しいが我らの比ではない」

 ランゴバルトは無言で馬の腹を蹴る。馬はそれに応えて小さく嘶くと、戦場へ向け

て駆け出した。レプトールがそれに続く。

 いかにランゴバルトと言えど、バイロンに勝つのは困難であった。

 一撃の破壊力はランゴバルトが大きく勝る。もともとの膂力が違うし、武器の破壊

力も上だ。だが、バイロンにはそうやすやすとスワンチカは当たりはしない。そして

いかにスワンチカの守りといえど、聖剣の威力を受ければ、ランゴバルトとて少なか

らずダメージを受ける。

 かつて、イザーク王マリクルと戦った時、ランゴバルトはマリクルに神剣を抜くこ

とを求めたが、今思えばあそこで戦わなくて正解であった。マリクルは、バイロン、

レプトール、クルトの三人をも圧倒するほどの剣技の持ち主だったというのだから。

多分、あそこで戦っていたら、討ち取られていたのは確実に自分だっただろう。

 そして、そのマリクルほどでないとしても、バイロンもまた、油断ならない戦士で

あるのは間違いない。だから、わざわざ消耗させる手を取っているのだ。

「いずれにせよ、ここでヤツの命運も尽きる」

 ランゴバルトは、一人呟くと、さらに馬に鞭を入れた。

 

「おのれ!」

 白い軌跡と共に、聖剣が空間を凪いだ。国の象徴たるスワンチカ同様、強固な防御

力をもって知られるグラオリッターの騎士が、文字通り紙のように斬り裂かれ、絶命

する。

 そこに、ゲルプリッターの放った雷撃の魔法が降り注ぐが、それらは全てバイロン

に届くことなく弾かれ、逆に聖剣が放った衝撃波を避けきれずに、大きな被害を受け

てしまう。

 ドズルとフリージの兵は、改めて神器というものの力を思い知った。

 すでに疲労は限界に近いはずで、しかもバイロンはもうかなりの高齢のはずだ。普

通なら、立てなくなっていてもおかしくはない。だが、誰一人として近寄ることすら

出来ず、やがて遠巻きに見ているだけになっていた。

 だが、バイロンのほうでも余裕があるわけではない。

 なんとか包囲を突破したと思ったが、その突破できたこと事体が罠であった。確か

に、追い詰められた軍というのは、通常では考えられないような力を発揮する。グラ

オリッターはそれを正面から受け止めるほど愚かではなかったのだ。包囲を突破し、

一瞬安堵した瞬間に出くわしたのは、天を埋め尽くすかのような雷撃と矢の雨であっ

た。雷撃は聖剣の力で防げたが、矢はどうしようもない。そして、バイロンに続いて

いたシアルフィの騎士や兵士には、矢も雷撃も防ぎようがなかったのだ。

 かろうじて生き残った兵は、半ば恐慌状態のまま包囲を突破しようとしたが、バイ

ゲリッターもゲルプリッターもそのシアルフィの進軍を邪魔することはなく、逆に攻

撃をしつつも道を開いて見せた。それは、明らかに罠であることはバイロンにも分か

ってはいたのだが、だがその時は敵の策に乗るより他になかったのである。その中で

活路を見出そう、と考えたのだ。

 しかし、それは甘い考えであることはすぐに分かった。

 フリージ軍とドズル軍は何重にもわたって包囲網を敷いていたのである。そして、

突破されたとしても先に突破された部隊がまた後から包囲する。圧倒的に数が違うか

らこそ取れた戦術である。

 この目的はただ一つ。シアルフィ軍、およびバイロンに疲労を強いること。そして、

その目論見は見事に成功したと言える。おそらく、この場にスサールがいたのであれ

ばそれを見破ったかもしれないが、そもそもバイロンがスサールの止めるのを聞かず

に激発して飛び出してしまったのだから、これは自業自得だろう。

 しかし、バイロンと戦っている騎士達も、バイロンを討ち取れるのか、という不安

に駆られていた。すでに、ぼろぼろの状態なのは見て分かる。だが、それでもなおバ

イロンの力は他の騎士を圧倒しているのだ。そのバイロンの姿に勇気付けられている

のか、他のグリューンリッターやシアルフィ兵もかなりしぶとい。普通なら、もう全

員倒れてもいいはずなのに。

「とにかく攻めつづけろ!いつか倒れるはずだ!」

 ゲルプリッターとグラオリッターの指揮官は必死に部下を鼓舞したが、だがすでに

全体の雰囲気が消沈してきている。

 無論グリューンリッターもシアルフィ兵もすでに気力だけでもっているような状態

なので、時間が経てばいずれ全く動けなくなるだろう。だが、彼らは何とか包囲を突

破しようとして、攻撃をかけてくるし、いくら多重の包囲網でも、素通りさせるわけ

にはいかないのだ。勝ち戦にある者達は、総じて自分の命を省みる。だから、死を覚

悟しているグリューンリッターやシアルフィ兵とは、兵によっては一合も交えずに逃

げ出してしまうていたらくである。

「お、おのれ。ここまで有利な状況を作っていながら・・・」

 だが、その直後。凄まじい雷撃がシアルフィ兵に降り注いだ。同時に、風を殴るよ

うな音と共にグリューンリッターの前衛が文字通り撃砕されていく。

「さすがは聖戦士の末裔。だが、大逆の罪を恥じる心があるなら、抵抗を止めるがい

い!」

 雷撃の残響が収まり、戦場が一瞬静寂に包まれた直後、レプトールの声が月のない

夜に響き渡った。

「よくも言えたものだな。己の心に恥じるところがあれば、己の罪を今ここで声高に

宣言してはどうだ!大逆の真犯人は己だと!」

 これが、すでに疲労困憊で戦うのすら辛くなっている人間の声かと思えるほど大き

な、通る声でバイロンが言い返した。だが、レプトールもランゴバルトもそんなこと

で動じることはない。

「この期に及んで、まだそのような世迷言を言うか。語るに落ちたな。かつてはグラ

ンベル王国において権勢を誇った者の、哀れな末路と言うわけだ!」

 この状況では、たとえ何を言っても無駄なことは、バイロンにも分かっていた。こ

の場で決定的な証拠でも突きつけられるのであればともかく、そもそもレプトール、

ランゴバルトがクルト王子を弑したというのとて、バイロンの推測に過ぎないのだ。

証拠などあろうはずもない。

「バイロン卿!もはや潔く我らに降伏し、グランベルの法の裁きを受けるがいい!」

 良く言う、とバイロンは吐き捨てるように言った。仮に今ここで降伏し、虜囚とな

ったとしても、正式な裁判など決して行われないだろう。グランベルの公爵を裁くの

であれば、ほぼ間違いなくブラギの神託が顕される。そして、そこに虚偽はありえな

い。となれば、彼らとしてはバイロンを裁判にかけるつもりなどあるはずはないのだ。

「降伏するつもりなし、か。ならば我らの手で、貴公を討ち取るのみ!」

 レプトールは馬を降りると静かに呪文を紡ぎ始めた。

「天より下りて、地を穿つ雷帝の鎚よ。その力、今我がもとにあり。我が力、我が鎚

となりて、我が敵を打ち倒さん!」

 呪文が終わると同時に、レプトールの持つ魔道書から光が溢れ、そしてそれがレプ

トールの全身を包む。直後、凄まじい爆音と共に、レプトールはまるで光の蛇に包ま

れているかのようになっていた。

「我がトールハンマーの力、受けてみるがいい!」

 レプトールの前に巨大な雷球が出現し、そこから一条の電光が走る。バイロンはか

ろうじてそれを聖剣で――正しくは聖剣の創り出す光の壁で――受け止めたが、弾か

れた雷撃はバイロンの乗馬を傷つけ、一瞬で絶命させていた。バイロンは何とか馬か

ら降り、背中から落ちるのを回避する。

 そこに、ランゴバルトが聖斧スワンチカを振りかざし、突撃してきた。

「死ねぇ!」

 馬上から振り下ろされる斧の威力は、普通のとは桁違いである。まして、それはた

だの斧ではなく、振るっている者もただの騎士ではない。

 バイロンは着地した直後の不安定な態勢のままであったため、その一撃を回避する

ことは困難と考え、聖剣で受け止めた。本来なら、そのまま刃の上を滑らせて勢いを

殺すのだが、疲労のためか、タイミングを誤りまともに受け止めてしまった。

「ぐっ・・・」

 凄まじい衝撃が剣を通って腕に伝わってくる。普段であれば、それでも何とか耐え

られるのだろうが、今の疲労困憊のバイロンでは、剣を離さないようにするのがやっ

とだった。

「くらえっ!」

 さらに再びトールハンマーの電撃が襲い掛かる。そのときにはランゴバルトはすで

に距離を置いていた。

 バイロンはかろうじてトールハンマーの雷撃を防ぎ、威力を殺ぐ。だが、少なから

ずその雷撃のダメージを受けてしまう。体が痺れ、腕が上手く動かない。

「もらった!」

 そのランゴバルトの攻撃を受けきれない、と判断したバイロンは一か八か、捨て身

の戦法を取った。つまり、その斧が振るわれる内側に飛び込んだのである。

 さすがにこれはランゴバルトも予想していなかったのか、慌てて手綱を引き、馬を

反転させようとするが、それより半瞬早くバイロンが完全に懐に飛び込んでいた。振

り下ろされたスワンチカの刃に、バイロンのマントが引っかかってずたずたに斬り裂

かれるが、バイロンを傷つけるにはわずかに浅かった。

 だが、バイロンも馬上のランゴバルトを斬りつけるほど腕を上げることができない

状態であった。そこで、バイロンは何とか腕に力をこめ、ランゴバルトの乗馬を斬り

裂いた。

 馬は悲痛な嘶きをあげて倒れ、ランゴバルトは全く予想していなかったために見事

に落馬する。

 バイロンが、そのランゴバルトに止めを刺そうとした瞬間、バイロンの全身を表現

しがたい苦痛が駆け抜けた。

「が・・・」

「一対一ではないことを忘れないでもらおうか」

 かざした手には、まだかすかに雷撃の残光が残っている。どうやら、完全に無防備

でトールハンマーを直撃してしまったらしい。すでに、全身の力は抜けていた。

「お・・・のれ・・・」

 ガラン、と音を立てて光を失った聖剣が地面に落ちる。バイロンは膝から崩れ落ち、

ややあって糸が切れた操り人形のように前のめりに倒れこんだ。その光景を見て、生

き残っていたシアルフィ兵に動揺が広がっていく。

「ふん。主が倒れてやっと己らの置かれている状況に気付いたか。だが・・・」

 いくらどれほど疲労困憊の状態の兵とはいえ、討ち取るとなるとこちらもそれなり

の犠牲を覚悟する必要があった。これまで、すでにそこそこの被害を出しているレプ

トールとしては、これ以上の被害は遠慮したい。だが、シアルフィ兵は一兵たりとも

生かしておくつもりもなかった。

「ふん。まあよい。貴様らにはこのトールハンマーに裁かれるという名誉をやろう」

 レプトールが静かに手をかざす。その様子に、シアルフィ兵は自分達がこれからど

うなるのかを悟り、恐慌状態に陥って、半ば自爆的な突撃に出た。

「無駄だ」

 レプトールの手に光が集まる。そしてそれは、そのさらに前に巨大な雷球を出現さ

せていく。

「や・・・め・・・ろ・・・・・・」

 そのかすかな声がバイロンのものだということはレプトールにはすぐ分かったが、

だが止めてやるつもりなど毛頭なかった。

「そこでかみ締めるがいい。己の無力さをな」

 光の、雨が降った。




第八幕 第十幕

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ちょっとだけ後書き
 ちょっと今回は長め。シアルフィ兵の一部、壊滅♪(オイ)
 でも実際はローヴェンエルク伯爵(実はゲルプリッターの長)の部隊によってすでに突貫をしなかった部隊も全滅(正確には多少は逃げた兵もいるでしょうが)してます。事実上、シアルフィ兵、完全に全滅(鬼)
 なお、バイロンはまだ生きてます。一応・・・多分次で終わりかな。ホントは二つにしようかと思っていたのをこの話で一つにしちゃいましたので。でも十幕か〜。思ったよりずっと長くなったなあ。まあいいや。
 この幕が長いのは当然です。やっぱり一番書きたかったところなので♪(オイ)
 マリクルの記述については一巳さんのサイトで公開してる『剣聖』を読んで下さい。これ事体、あれの続きなので。
 ちなみに裏設定でローヴェンエルク伯爵の長男がトラキア776で出てきてるラインハルトだったりする。まあこのときはまだせいぜい5,6歳でしょうが。オルエンも生まれたか生まれてないか(あるいはお母さんのお腹の中か)というところでしょうが。まあ出てきたりはしないですが。
 さて、これも残すところおと一幕。ひどい話に相応しいひどいラスト・・・になるかなあ。ある意味、落ちのないない話なんですけどね(^^;
 あと、実はトールハンマーの発動シーンは初めてなんですよね、私(^^;