まず見えた光景は、閃光の嵐。 次に見えた光景は、鮮血の嵐。 そして次に見えた光景は、苦しみの呪詛が木霊し、死が大地を覆い尽くした光景だ った。 そのあとのことは、よく覚えていない。気が付いたときは、暗く冷たい石で作られ た部屋の中にいた。グランベル六公国の公主の扱いとしては、不釣合い極まる待遇だ。 元々このリューベック城はシレジア王国の監視のための城であり、牢獄の居住性な ど、かけらも考えられていない。 もっとも、ここにいる者がグランベル公爵だといっても、誰も信じはしないだろう。 髭も髪も手入れもされぬまま伸び、すでに公爵たる風格など、微塵もありはしない。 己の身の証を示すものといえば、右腕に刻まれているバルドの聖痕ただ一つだけ。 ただそれも、弑逆罪の烙印を押されたという証明に過ぎないだろう。 あのまま事態が推移したとなれば、自分と、ユングヴィ公リングは王太子クルトを 害するという大罪を犯した咎人となっているのだから。ただ、いざ裁判となれば、ブ ラギの神託を必要とするはずだ。グランベルの六公爵を裁くためには、それが必要と されている。そうなれば、真実は露見するだろう。自分を罠に嵌めた者達が、そのこ とを知らないはずはない。 とすると、自分はもう戦死したか、あるいは捕まっていないことにされているのだ ろう。どちらかは分からないが、戦死扱いになっている可能性が高い。 聖剣はすでに失われ、また仮に手元にあったところでもはや自分に聖剣の力を引き 出すだけの力が残っていないことも分かっていた。 望みはもはや何もない。 こうなると、いっそレプトールやランゴバルトが何を考えて自分を生かしているの かが不思議になってくる。生かしておく意味はないはずだ。 無論、だからといって死を望むつもりはない。たとえ、どのような扱いを受けよう とも、グランベル六公国の一人、シアルフィ公爵として後世に恥になるような末路だ けは迎えない。 そう、いつか真実というものは必ず明らかになるはずなのだから。
「バイロンは生きてはいるのだな」 シアルフィ公爵がいる牢獄とは比べようもない、豪奢な装飾と調度品で溢れた部屋 で、その人物はトレードマークの片眼鏡のズレを直し、窓の外を見た。 春を知らせるいくつかの花が、環境の厳しいはずのリューベックの庭をあざやかに 彩っている。このリューベックにも、遅い春が訪れたことを教えてくれているのだ。 「うむ。死なぬようには気を配っておる。だが、もう・・・」 答えた方は壁に飾ってある一振りの剣を指差した。他にも何本か、名剣といえるよ うな剣が飾ってあるが、その中でもその剣の輝きは他の剣とはまるで違う。 「ヤツには、この聖剣を振るう力すら残ってはおらん。それより・・・」 「ヤツの息子のことだな。残念だが、シレジアに逃げてからのヤツの動向ははっきり していない。秋にシレジアの内乱にバイゲリッターがこの城から出撃して手を貸した ということだが?」 「それは、本人から話を聞いたほうがいいだろう。だれか、アンドレイ公子をここへ」 その言葉に応えて、扉の前に待機していたらしい騎士の一人が「お待ちください」 と言ってから部屋を出て行った。ややあって、同じ声で「アンドレイ公をお連れしま した」という声と共に、扉が開く。 「困りますね、ランゴバルト卿。すでに私はユングヴィの公爵となる身。公子と呼ば ないで頂きたい」 尊大、というほどの口調ではないが、父親を殺してまったく悪びれた様子がないの が、ランゴバルトにはひどく鼻についた。だが、それを言うと自分も主君殺しをやっ ているわけで、大きな事を言えるわけでない。とりあえず、ランゴバルトはそのこと に対してはそれ以上は気にするのをやめた。そのまま、レプトールに発言を促す。 「アンドレイ卿、貴公は秋の終わりにシレジアに進軍したという。そのとき、シアル フィのシグルドの軍の動きはつかめなかったか?」 シグルド公子は、アグストリアの内乱の際に捕らえてしまおうと、正しくは抵抗し た、と発表して謀殺してしまおうと思っていたのだが、どういうわけかそれまで百年 間中立を保っていたシレジア王国がシグルドを保護し、シレジア王国に連れて行って しまった。 中立国であるシレジア王国に対しては、レプトールもランゴバルトも表立って軍を 動かすことは出来ない。一応シレジア王国に対して、反逆者シグルドを引き渡すよう には書簡を送っていたが、予想通り何の反応もなかった。もっとも、逆にシグルドの アズムール王に対する書簡を握りつぶしているのだから、ある種お互い様なのかもし
れない。 子一党を引き渡す、と確約してはくれました。私としても、シグルド公子を自分の手 で捕らえたいという気持ちはあったのですが、どうも向こうの人にも土地にも馴染め なくて。それに、ラーナ王妃に味方する天馬騎士団は壊滅状態に追い込んだので、そ うかからず内戦でダッカー公が勝利し、シグルド一党を引き渡してくれると思ってい るのですが」 アンドレイは自身ありげに言うが、レプトールとランゴバルトはそう楽観は出来な かった。 シアルフィの公子シグルドの噂は、彼らの耳にも届いている。 士官学校でも優秀な成績を収め、文武両道に優れていた。レプトールの息子ブルー ムは同じ時期に士官学校にはいなかったが、ランゴバルトの息子ダナンは同じ時期に 士官学校にいて、シグルドやキュアン、エルトシャンに少なからずやり込められたら しい。そういう意味でも腹立たしい相手だが、だが武才があるのは確かだ。 加えて、ランゴバルトの息子レックスがシグルド軍に同行しているという。勝手に 出て行ったと聞いた時は、しばらく好きにさせておけ、と言っておいたが、事態がこ うなってくると、下手をすると実の息子と刃を交えなければならなくなってきている。 あまり、愉快な状況ではない。 それに、レプトールの方でも長女のティルテュ、次女のエスニャが行方不明である。 レプトールが遠征から戻った時にティルテュがいないことに気付き、話によるとどう やらクロード神父について、ブラギの塔に行ってしまったらしい。だとすると、シグ ルドと行動を共にしている可能性が最も高い。 次女のエスニャもその可能性に気付き、シレジアに行かせてくれ、とせがんでいた のを無視していたら、突然いなくなってしまっていた。普段から体が弱く、内気な方 だった娘がそんな行動に出るとは、さすがに思いもしなかったのである。 だとすると、高い確率でレプトールも娘達と敵対する形になっているのだ。これも 家のため、と割り切るには親としては納得できない感情が多い。 その点ではアンドレイも姉エーディンがシグルド軍に同行しているはずなのだが、 その辺はどう考えているかはよく分からなかった。この、不敵な表情を浮かべている 若者からは、肉親と戦う、ということに対する葛藤は見られない。 「いずれにせよ、シレジアの冬が終わらぬことには、なんとも分からぬ状況というわ けか」 「・・・万に一つを考え、バイロンを生かしておいた意味があるかも知れぬな・・・」 「まあ、シグルドがダッカー公に引き渡されてくれば、一番楽ですけどね」 アンドレイの、高慢とも言える声がこの席の解散の合図になった。
状況が急変したのは、陰謀を巡らせている――自分達が陰謀の主役だと思っている ――三人が話し合っていた一月後であった。そのうちの一人、レプトール公はすでに バーハラに戻っている。 その報せは、リューベック城にいた者たちを少なからず震撼させた。 曰く『シレジア国境より軍が発せられり。旗印はシアルフィ公国』と。 「なんと・・・内乱は一体・・・」 すでに勝利は動かない、とみて軍を引かせたアンドレイは呆然としていた。何しろ これでは、自分は結局何の仕事もしなかったことになる。 「ランゴバルト卿。我がバイゲリッターも出撃させていただく。よろしいな」 ランゴバルトとしても、ユグドラルに冠たるバイゲリッターの実力は、ぜひ借りた いところだった。 ドズル公国の誇るグラオリッターは現在もなおゲルプリッターと共にイザーク王国 にある。駐留している根拠はクルト王子の生前の最後の命令であるが、本当は大半を グランベルに返す予定だった。 ところが、イザーク王国の民は、しぶとく糧食などを狙い、小さな反乱を繰り返し ていたのだ。なまじ敵の目標を絞り込めないため、その鎮圧に予想以上に手間取って いるらしい。精鋭を率いてるのに不甲斐ない、とは思うが今ここで地団太を踏んでも どうしようもない。 「すまぬ。頼む、アンドレイ卿」 いくら暫定的に同格の公爵とはいえ、自分の息子のような年齢の若造に「頼む」と いうのはある種の屈辱であるが、この場合本当にバイゲリッターの戦力は必要なのも のであるから、仕方がない。 「任せておけ。寄せ集めのシグルド軍など、この私とバイゲリッターをもってすれば、 雑兵のようなものよ」 高笑いでも聞こえそうなほど高い軍靴の音と共に、アンドレイは立ち去っていった。 その姿には、姉と戦うかもしれない、という葛藤など微塵も感じさせないし、父親を 殺したという罪悪感も感じない。 「・・・リング卿も哀れなものよ・・・」 ランゴバルトの独白は、無論誰の耳にも入っていなかった。
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すみませ〜ん。この幕で終わる予定だったんですが・・・。書き上げてみたら予想以上に長くなっていたので分けました。 バイロンに関しては、ゲームではずっと逃亡中ってことになっていますけど、まともに考えるとほとんどありえないと思うので捕まってもらいました。だってバイロンが逃亡中って言われるの、三章のクロード神父の情報でしょう。で、それから五章の頭まで逃げつづけて・・・って考えにくいです。というかシグルドがシレジアにいることなんて、ちょっと調べれば分かったでしょうから、なんとかしてシレジアに行ったでしょう、いくらなんでも。それにあれだけ消耗しているっていうのもなんか変。 そういうわけです。意見とかある気もしますが、とりあえず納得してください〜(^^; さて、いよいよ次で終わりです。 長かったような短かったような・・・。 |