「え、じゃあシレジアの人じゃないの!?」 アイリーンの大きな声に、ミリーは慌てて口に人差し指を当てて「シ〜」とする。アイリーンは慌てて自分の手で口をふさいだ。幸い、台所で料理中の母エゼリや、居間で話しているセレイオンや祖父達には聞こえていなかったようだ。 「うん。私はイザーク。レティはトラキアなの」 少女達で集まると、どうしても出身などの話はしないわけにいかない。さすがにこれで二人とも、何食わぬ顔で虚言を綴れるほど器用ではない。結局、素直に話すことにした。秘密にしてね、という前置き付で。 「すご〜い。イザークもトラキアもすっごい遠いでしょう?どうやってきたの? ペガサスじゃないよね? 歩いて? それとも魔法? 馬?」 「ほらナスリーン。そんな連続して聞いても、答えられないでしょう」 どうやら同じ顔、声の双子だが多少性格は違うらしい。姉のアイリーンは姉という自覚があるからか、少し妹のナスリーンをたしなめるような場面がある。ナスリーンは好奇心一杯、というところだ。正確にはそれを隠そうとしないだけか。この辺、ミリーとレンティーナに似ている。 「えっと、私の飛竜で……」 「え、飛竜持っているの!?」 今度は姉妹そろって驚いたように声を上げた。それを聞いて、レンティーナは少し迂闊だったか、と思ってしまう。 飛竜はシレジアにおけるペガサス同様、なぜか南トラキアにしか棲息しない。その希少価値は軍用馬に匹敵する。そのためペガサスも飛竜も基本的に国が管理し、軍用目的で使えるように鍛えるのだ。無論中には、そういう使用に耐えられるほど体の強くないペガサスや飛竜もいる。だがそういう場合も、特別な偵察任務や、伝書士などに渡される。つまり、飛竜もペガサスも、基本的には貴族、または騎士が所有するのが普通なのだ。 無論これには抜け道もあり、生まれたばかりのものや、幼いペガサスや飛竜に偶然出会うことができて、そのまま懐いてしまうことがあるのだ。もっとも、この場合でも乗り手は、多くの場合軍に編入される。特にトラキアの場合、飛竜は非常に気難しく、一度選んだ乗り手を変えることはまずない。そのため、かなり強引に軍に編入されることもある。 レンティーナのターティエは、大公妃アルテナの飛竜の子である。ターティエという名は、レンティーナがつけた。古いトラキア地方の言葉で、空の火、空の光を表す言葉だ。子供の頃――今もそうだが――レンティーナは飛竜を見るのが好きで、通いつめていたらいつの間にか懐かれたらしい。幸い、といかレンティーナが竜騎士団長ディーンの娘であったため、そのまま所有が認められたのである。もっとも、レンティーナは武器を扱う才能はほとんどなかったのだが。 「すごーい。おじい様からお話は何度も聞いたことあるけど……。ねえ、どこにいるの?今近くにいるの?」 この反応には、ミリーもレンティーナも少し驚いた。二人で顔を見合わせてしまう。 飛竜は、前述のとおり、トラキアにしかいない。しかも、そのほとんどは竜騎士の騎竜だ。だが、ここ二十年ほどは、竜騎士はトラキア以外の地に行った記録は、ほとんどない。わずかに、使者などで周辺諸国に赴いたことがある程度だ。だが、それでもシレジアに行ったという話は、少なくともレンティーナは聞いたことがない。 かつては、トラキア竜騎士団といえば『空の死神』と恐れられ、大陸のいたるところの紛争、騒乱に傭兵として参加して、大陸でもっとも恐るべき部隊として知られていた。だが、皇帝アルヴィスの即位後、大陸の騒乱は大きく減少し、竜騎士を見る機会は大幅に減少した。 そして、かつての聖戦では、トラキア王国はセリス皇子率いる解放軍と全面対決となり、結果として竜騎士団は壊滅的な打撃を受けた。解放軍に降った王女アルテナに付き従った騎士、および最後の戦いにおいてアリオーンと共にあった騎士以外は、ほとんどが命を落としたのだ。 竜騎士団が再建されたのは、聖戦終了から五年後のグラン歴七八三年。その時に竜騎士団の長となったのが、レンティーナの父ディーンである。だがそれ以後、竜騎士団は傭兵騎士団ではなく、れっきとしたトラキア王国の一騎士団として確立し、以前のように大陸のあちこちへ赴くことはなくなった。去年の『黒の処断』事件でも、結局竜騎士団はトラキア王国の外には出なかったのである。というのも、『黒の処断』事件の最初において、竜騎士団は壊滅的な打撃を受け、指揮官たるアリオーン大公、ディーン、ディオン王子の三人がいずれも重傷を負ってしまい、まだ若年であったサリオン大公子が竜騎士団を指揮することになったのだ。無論彼もまた、過不足なく指揮したのだが、いかんせん最初に被った被害が大きく、結局竜騎士団は最後の戦いには参加していない。そのため、半ば幻の存在のように思われてもいる、という。 逆にいえば、見たことがある、というのならば、今となってはかなり限られる。 一つはかつて解放軍に参加していた場合。これならば、トラキアの戦いでは竜騎士と数多く戦ったはずだから、当然見たことがあるだろう。 もう一つはかつてトラキア王国に住んでいた場合。トラキアからシレジアに移住する理由がいまいち分からないが、もし南トラキアに住んでいたことがあるのならば、見たことがあっても不思議はない。 そしてもう一つは、それよりさらに以前にシレジア以外に住んでいた場合。これが、実際一番確率は高い。レンティーナの記憶する限り、シレジア王国に竜騎士団が入った記録はない。同じ飛行戦力を持つシレジアと戦うのは竜騎士団としても困難であるし、第一シレジアはかの十二聖戦士の聖戦以後、国が乱れたのはあのアルヴィス皇帝登極直前だけである。これでは竜騎士団の出番はない。 だが、その後に続いたアイリーンの言葉には、二人も驚いた。 「おじい様ね、昔竜騎士と戦ったこともあるんですって。今はもうそういうこともなくなって平和でいい時代だっておっしゃっていたわ」 こうなると可能性は一気に絞られる。一つ目か、三つ目だ。どちらにしても、それはとても貴重な話が聞けるような気がした。 考えてみれば、先ほどナスリーンは移動手段の一つに「魔法」を挙げた。無論、転移系の魔法の存在は、広く一般にも知られている。だが、普通は移動手段としてその発想は出ない。魔法に慣れ親しんでいる者でなければ。 「ねえ、もしかしてアイリーンやナスリーン、魔法使える?」 二人はちょっと顔を見合わせた後、同時に頷いた。 「やっぱり」 確かにシレジアは、風使いの国だ。風の魔法を得意とするものは、大きな村なら一人はいるという。だが、転移系の、いわゆる司祭たちが使う魔法の使い手は逆に非常に少ないはずである。司祭系の魔法に関しては、田舎の方では存在すら知らない、というところもあるくらいだ。 「風魔法……だけ?」 予想通り、二人は同時に首を横に振った。 「まだ未熟なんだけどね、私は治癒魔法が使えるの。ナスリーンは治癒魔法は不得意だけど、風以外に雷や炎、光の魔法も使えるわ」 ミリーとレンティーナは思わず顔を見合わせた。光の魔法はよほど才能に恵まれたものか、あるいは聖者ヘイムの血を受け継ぐものにしか使うことは出来ないはずである。かく言うレンティーナも、母シルティールがヘイムの血を継いでいるらしく、右胸にかすかにヘイムの聖痕がある。 この時点で、少なくとも彼女らの祖父母のどちらか、あるいは両方は、かなり優れた魔術師であったと考えられる。 「それって、誰に習ったの?」 ミリーは一応確認してみようと訊いてみた。もしかしたら、近くに元天馬騎士とかがいるのかもしれない。もっとも、天馬騎士でも魔法を使えるのはごく稀なのだが。 「魔法はおばあ様。剣とか槍とかの扱いは、おじい様に。あまり昔のお話はしてくださらないけど、かつてはお二人とも騎士だったって、お父様がおっしゃっていたわ」 ナスリーンが答える。同じ声なので、一瞬どちらが話したのかわからなくなるほどだ。正直、瞳の色まで同じだったら、区別がつく自信はない。というかつかない。 魔法を使える騎士、というとその数はかなり限定される。グランベルのフリージ、ヴェルトマーにあるそれぞれの騎士団、あとは各国に数名から数十名程度だ。彼らはいずれも騎士階級、あるいはそれ以上の地位にある者ばかりのはずだ。となれば、少なからず記録は残っているはずである。しかも、竜騎士を知ってるとなれば、相当限られる。二人はますます興味を覚えた。 「ねえ、そのお二人に、お会いできないかしら」 レンティーナの言葉に、アイリーンとナスリーンの二人は顔を見合わせた。 「いいわよ。おじい様とおばあ様にお友達が出来たって、ご報告したいし。明日にでも、どう?」 その時ちょうど夕食に呼ばれ、四人は食堂へと向かっていった。 夕食は、シレジア特産の鹿肉のクリームシチューと、焼きたてのパン、それに野菜スープであった。 どれもとても美味しく、またアイリーン、ナスリーンやセレイオン、村長のエンディグ、それにセレイオンの妻のエゼリらとの会話も弾み、ミリーとレンティーナは、とても楽しい一時を過ごた。また、その食事の最中、二人は明日にアイリーン達の祖父母に会いに行くことを頼み、セレイオンらは快く許諾してくれた。 その夜、二人は明日を楽しみにしながらあてがわれたベッドでぐっすり眠ることができた。 |
翌朝。 まだ肌寒さを感じなくもない早い時間だが、既に外は明るい。シレジアの夏は夜が非常に短く、昼が長いのだ。 「おはよ……レティ……」 ミリーは朝早いのには慣れている。猫たちに食事を上げなければいけないからだ。この辺は、ネコ公女、と呼ばれているミリーらしからぬところいえなくはない。だが、レンティーナは対称的に朝は弱かった。この辺はのんびりした性格が出ているのかもしれない。 「……ん……もうちょっと……」 レンティーナはそのままもぞもぞとまたベッドに潜り込もうとする。 「こらぁ!! レティ!!」 ミリーはレンティーナがかぶっていた布団を勢い良く引っぺがした。一瞬抵抗があったが、純粋な力ではミリーの方が遥かに強い。 しかし、それでもなお、レンティーナは枕にしがみついて寝ようとしていた。 「レティ!!」 ミリーは耳元で大声で怒鳴る。さすがにこれは効いたのか、レティがびくっとなってから上半身を起こした。しかしそれでも枕に抱きついたままだ。 「起きた?」 「あ、ミリーおはよ……」 再び倒れそうになるところに、ミリーの回し蹴りが枕越しに炸裂した。 「な、何があったの?!」 それと同時に扉が開いて、金髪の二人の少女が部屋に飛び込んできた。空色の瞳と、翡翠玉の瞳の二人の少女。それ以外の容貌は、見事に酷似している。あるいは、寝惚けていたら分身を見ているのではないか、と思うかもしれない。というよりは。 「あれえ? アイリーンちゃんが二人? 違うなあ〜、ナスリーンちゃんが二人〜?」 見事に寝惚けていたレティは、ある種期待通りの反応をして双子を指差す。 そこに、もう一度ミリーの回し蹴りが炸裂した。 |
「まだ頭がくるくるしてますよ。ミリー、もう少し優しく起こしてくださってもいいじゃないですか」 「レティ、そんな方法じゃ絶対起きないじゃない。放っておいたら、昼まで寝続けるし」 「私はミリーと違ってそんなに体、頑丈じゃないんですから」 「ふ〜ん。頑丈じゃない人が飛竜で大陸中飛び回るんだ〜」 ルセントの村からアイリーン達の祖父母のいる家までは、多少距離がある。山一つ越えたところにあるのだ。なぜ祖父母がそんな場所に住んでいるかは、アイリーン達も知らない。ただ、ずっと昔からそこに住んでいたらしい。 最初、セレイオンがついてくる予定だったのだが、宿に団体客が来たために、それどころではなくなってしまったのだ。始め、子供達だけで行かせるのを村長などは不安がったが、ミリーとレンティーナに関しては心配はなかったし、アイリーンとナスリーンも武器や魔法の扱いは心得ている。少なくとも、並の男より、実はずっと強い。ただ一応、四人ともちゃんと武器は持ってきている。 ミリーは細剣に母の剣を背中に。魔力解放用(魔道書の代わり)リング。レンティーナは魔杖と魔道書を。アイリーンとナスリーンも魔道書と剣を持ってきていた。 そういうわけで、少女四人のハイキング、となったわけである。 最初こそ、毎朝の日課ともいえるミリーとレンティーナの舌戦があったが、二人ともすぐ景色に見入っていた。 それほどに美しかったのである。 途中の山道はかなり傾斜がきつく、少女達の足にはつらかったが、その途中の光景は、ミリーとレンティーナにとってはわざわざシレジアに来た甲斐があった、と満足させるに十分なものであった。 生い茂る緑はシレジアの夏の短い期間にその輝きを凝縮するかのように鮮やかに色づき、時々その木々が途切れたところからは、万年雪を頂にかぶった青い山々とまるで絨毯のような美しい緑が素晴らしい光景を見せてくれた。また、道の途中にある川の水はとても冷たく、そして透き通っていて少女達は時折そこで休んで疲れを癒した。 そして昼過ぎ。ようやく目的の小屋が見えてきた。森に囲まれた場所で、すぐ目の前に小さな川がある。その川から水を引いてるらしい。そこから家に一度入った水は、そのまま水車を回している。 ちょうどその時、家の扉が開き、一人の老婦人が出てきた。幾分髪が白くなり始めてはいるが、まだ鮮やかな金色の髪である。おそらく、二人の祖母だろう。アイリーンとナスリーンの髪は、この祖母から受け継いだのは間違いない。 「おばあ様っ」 アイリーンとナスリーンの二人が元気良く駆け出した。ミリーとレンティーナが慌てて後に続く。 近くに来て彼女らの祖母の顔を見て、ミリーとレンティーナの二人は思わずため息をついた。もうかなりの高齢のはずである。もうすぐ六十歳になる、と昨夜聞いたばかりだ。確かに、それだけ生きてきた、と思わせるだけの年輪とも言うべき皺はある。だがそれでもなお、なぜか美しい、と思わせるなにかを感じさせた。あるいは、今の姿から、まだこの人が若かった頃を容易に想像できるからなのか。 「アイリーン、ナスリーン。どうしたの? 昨日来たばかりでしょう」 声も少しかすれているが、まだ綺麗な通る声だ。 その間にアイリーンとナスリーンが祖母に説明したらしい。二人の間を通って、ミリー達の前に彼女が来た。 「いらっしゃい。ミリーさんに、レンティーナさん。孫達とお友達になってくれて嬉しいわ。私はラキナです」 そう言った声はとても暖かくて、そして優しく思えた。二人とも緊張してしまっていたのだが、それがふっとほぐれる。 「あ、私はミリーです。はじめまして」 「私はレンティーナです。はじめまして。突然お邪魔して申し訳ありません」 「ふふ。いいですよ。夫と二人、こんな場所ですから、お客さんは大歓迎です」 その時、扉が開いてもう一人の人物が現れた。アイリーン達の父親セレイオンと同じ、青色の髪と瞳。瞳の色だけは、アイリーンとも同じだ。やはり六十歳になろうかという年齢だというのに、まだ背筋もがっしりしていて、現役の戦士のような迫力すらある。年齢を感じさせるのは、その顔に刻まれた皺だけだ。 「あ、フィール。こちら、ミリーさんとレンティーナさん。アイリーン達のお友達ですって」 「それはそれは。ようこそ――」 ラキナに紹介された二人は思わず佇まいを正す、フィールと呼ばれたその老人は二人を見て挨拶をしようとして――一瞬言葉を止めた。まるで、何かに驚いたように。それからややあって、すぐに表情を戻すと、元のにこやかな顔になった。 「いらっしゃい。わざわざ遠いところから大変だっただろう」 フィールという老人はそう言うと扉を開き、少女達を招きいれた。ミリーとレンティーナはちょっとだけ不思議に思ったが、それはあとで訊けばいい、と思ってとりあえず誘われるままに家に入っていった。 |