姫様達の狂想曲 4



 家の中は思ったよりものにあふれていた。恐らくずっとここに住んでいたのだろう。壁や床などに刻まれた足跡やかすかな色の変わり具合は、何千何万回とその上を人が歩き、また触れたことを思わせる。
 置いてある家具も総じて古い。だが、大事に使われてきたのが分かる。それが、ここに住む人の人となりを感じさせた。
「丁度良かったわ。お昼を食べようとおもっていたのだけど、作りすぎたから。さあ、どうぞ」
 ミリーとレンティーナの簡単な自己紹介の後に出てきたのは、ミートボールシチューとサラダ、それにパンとレモン水。朝から歩きu続けてここまできた少女達の食欲を十分にそそる美味しそうな匂いが、部屋を満たしていく。
「いただきま〜す」
 少女達の声が、綺麗に唱和する。四人はしばらく食べることに集中した。
 食べ方にも、結構個人差はある。
 アイリーンとレンティーナは行儀良くゆっくりと食べている。レンティーナは母シルティールの躾の賜物で、アイリーンもこの祖父母か、あるいは両親の躾だろう。
 ミリーとナスリーンも行儀悪い、とは言わないが、だがどちらかというとやや無作法に見える。ただ、四人ともとても美味しそうに食べているのは一緒だ。料理に対する礼儀、というものは守っているらしい。
「……あの、フィール様。私がなにか……?」
 ふと、食事の手を止めてレンティーナが尋ねた。食事中、何度かレンティーナはフィールが自分を見ているような気がしたのである。
「いや、失礼。貴女が昔知ってる方に良く似ていたのでね……」
「私に? 母の若い頃には良く似ている、といわれましたが……」
「失礼だが、君のお母上のお名前は?」
「シルティール、と申します」
 するとフィールはやや意外そうな表情になり、それから考えるような素振りになる。
「あの、フィール様?」
「お父上のお名前は?」
 レンティーナは一瞬答えるのをためらった。というのも、竜騎士団長ディーンの名は、大陸でもかなり知れ渡っている。こんな場所にいる老夫婦が知っているかどうかは分からないが、だがもしかしたら連れ戻されるかもしれない……とまで考えたところで、自分が考え過ぎであることに気がついた。ここはシレジアであり、目の前の老夫婦はちょっと変わった雰囲気はあるが、かといってすぐ自分達を送り返そう、などということが出来る人物ではない。それに、いつまでも素性を隠しておくことにも、少々後ろめたさがあった。
「ミリー……」
 レンティーナは小さくミリーを呼んだ。自分の身分を明らかにするということは、ミリーの身分もすぐ分かってしまうだろうからだ。
「ふぇ?」
 ミリーは付け合せのパスタを口に含んだまま声を出そうとしたので、かなり間の抜けた顔と対応をしてしまった。慌ててパスタを飲みこみつつ、こくこくと頷いた。どうやら話は聞いていたらしい。
 なんとなく意図が本当に伝わっているのかちょっと疑問だったが。
「……父の名はディーンと言います」
 レンティーナは一応、そこで言葉を止めた。知らないなら、無理に言わなくてもいいのでは、と思ったからだ。
「……確か、トラキア王国の出身、とおっしゃってましたね?」
 優しい口調。詰問するような印象はない。けど、はぐらかすことはさせない、そんな気がした。それに元々、誤魔化すつもりはあまりない。
「はい」
「そして飛竜をもっていらっしゃる。ディーンというのは、トラキア竜騎士団長ディーン……ですか?」
 やっぱりご存知だったか、と思ったがそれほどは驚かなかった。その空色の瞳を見ていると、まるで知らないことはないような印象すら感じられるからだ。
「はい。よく、ご存知ですね」
 その言葉に、フィールは驚いた様子は見せなかったが、アイリーンとナスリーンは目を丸くしていた。無理もない。
 トラキア竜騎士団長の娘、ということはトラキアの貴族だ。少なくとも、平民からすれば、貴族などというのは雲の上の存在、というイメージが一般的なのだから。
「いや、有名だからね。するとミリーさんもごく普通のイザークの方、というわけではない?」
 ミリーは食べてる手を止めて、フィールの方に向き直った。ちょっとだけ佇まいを正してから口を開く。
「はい。私の父はイザークのリボー公セディ。母の名はマリータと言います」
「なるほど……するとその剣はお母上から譲られたのかな?」
 フィールは立てかけてあるミリーの剣のうち、大きい方を示して尋ねた。青い鞘に収まった、青玉のような色の美しい柄の剣。かつて母が解放軍時代に使っていたという愛剣で、今のミリーにはやや大きいのだが、それでも一番使いやすい剣だった。流星剣を習得したお祝いに母からもらったものである。
「はい。良く分かりますね」
 正直、ミリーは驚いた。普通なら父の剣と思うだろうに、この人はいきなり母の剣、と言い当てたのだ。そこまで考えてから、ふとミリーはある考えにいたった。
「もしかしてフィール様、お母様のことご存知なんですか?」
 その言葉に、フィールは少し驚いて、それから考える素振りを見せる。その後ラキナの方を見て、何かを問い掛けるように首を傾げた。それに、ラキナは微笑んで答える。それは、長年連れ添った者同士ゆえの意思の疎通というものだろうか。
「……その話は後にしよう。冷める前に食べきりなさい」
 フィールはそういうと、とまっていた自分の食事を再開した。ミリーもレンティーナも、何かとても気になりはしたが、とりあえず食事を再開する。なにより、冷めてしまうのがもったいないと思ったからだ。

 食事が終わってから、とりあえず少女四人は近くの池まで遊びに行った。フィールとラキナは留守番ではなく、少し遅れてからお菓子や軽食を持って追いつくらしい。
「元気な子供達ね。本当に」
 ラキナはバスケットに今朝焼き上げたばかりのパンと、昨日アイリーン達が帰ってから作ったお菓子を詰めながら呟いた。
「少し昔を思い出したよ。それにしても、なんか運命の繋がりすら感じるな……。そろそろ、言うべきなのかもしれない」
 フィールは簡単な野外調理器具を取り出している。
「そうね……少し早いけど、セレイオンに言ったのも、このくらいでしたしね」
「あの子達はどうするかな……」
 フィールは手を止め、考えにふける。
「そうね……でも、どう選んでも、それはあの子達が決めること。そうでしょう?」
 妻の、出会った時から変わらない優しい微笑みに、フィールはふと頬を綻ばす。
「そうだな。あの子達なら、間違えることはないだろう」

 池といっても、要は先ほどの家の前を通っていた川が、少しだけ溜まったようになっている場所である。つまり、水は常に流れているので、冷たく透き通っていて澱みもない。楕円形の池で、意外に大きい。長径は六十歩、短径も三十歩はありそうだ。フィールはここで釣りをするのが趣味の一つだという。アイリーンとナスリーンは釣りはそんなにやらない。一番の楽しみは、夏の間だけしか楽しめないが、ここで泳ぐことである。そして今日は、泳ぎたくなるような陽射しが照りつけていたのだ。
 というわけで二人は早速服を脱いで水に飛び込んだ。さすがにミリーとレンティーナは一瞬呆然としてしまった。一応下着だけはまだ着けているが、ほとんど全裸に近い。さすがにこれは育ちの違いであろう。いくら開放的な性格をしているミリーでも、ちょっと躊躇ってしまう。
「二人とも泳がないの?気持ちいいよ〜」
 確かにとても気持ちよさそうではある。
「ミリー、どうしま……」
 レンティーナがなおも迷ってる横で、いきなりミリーは服を脱ぎ捨てた。あっという間にアイリーン達と同じような格好になると、水に足を恐る恐るつけ、一瞬その冷たさに足を引く。しかしすぐそれになれると、レンティーナが止める間もなく、飛び込んだ。
「っきゃあ、冷たいっ」
「ミ、ミリー」
「レティも入らないの〜? ホントに気持ちいいよ〜」
 ミリーはそのまますいすいと泳いでいる。これは運動神経の賜物なのだろうか。イザーク人は、乗馬は得意だがその分泳ぎなどは苦手である。というよりは、そんなものが得意なのは漁師や船乗り、海辺やヴェルダンの精霊の湖のほとりに住む人々くらいのはずだ。
「レティ〜? 来ないの〜?」
 レンティーナはなおもしばらく迷っていたが、考えてみたらこんなところに人が来るはずもない。開き直ってしまえば、見られても減るものでもない。
「……そうですね。泳ぎます、私も」
 レンティーナは丁寧に服を脱ぐと、ミリー達と同じ格好になった。性格の違いが表れているのは、服をちゃんとたたんでいることだろう。
 その後、ちょっと水の冷たさを確認して、ゆっくりと滑るように水に浸かる。岸辺の付近はまだ浅く、腰の辺りまでの深さである。
「レティ〜。こっちこっち。深くて楽しいよ〜」
 すっかり順応してしまっているミリーは、そのまま水面下に没してしまった。
「ミ、ミリー?!」
 沈んでしまったのかと思ったが、いきなりミリーはレンティーナの正面に現れた。潜ったまま移動したのだ。
「お、驚かさないで下さい」
「レティも泳ごうっ。ほら、こっちこっち」
 ミリーはレンティーナの手を引っ張るとそのまま池の中央へと行く。どんどん深くなって、ついに足がつかなくなってしまった。あわてて手足をばたつかせてみるが、全然上手くいかない。
「わ、わ、ちょ、ちょっとまって、ミリー!」
 さすがにミリーも事態を察したのか、レンティーナを少し浅いところまで急いで引っ張ってくれた。底に足がついた状態で、レンティーナはようやく一息つけた。
「レティ、泳げないの?」
「……なんでミリーは泳げるんですか」
「だって私、レティに会う前にイードの東側で十日くらい漁師の人のところいたことあって、その時にちょっと教わったことあるから」
 さすがにミリーもいきなり泳げたわけではないらしい。でも、それっきり泳いでなくても今泳げたのはミリーの運動神経ゆえだろう。
「レティもこの機会に覚えよ、泳ぎ♪」
「え、でも……」
「私たちも教えますよ」
 いつ間に来たのか、アイリーンとナスリーンもレンティーナの傍にきていた。
「え、ええ……」
 結局、フィールとラキナの二人が来るまで、レンティーナの水泳特訓は続いたのであった。



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