し る べ   
風の道標・第二話




「これが……バーハラの都か」
 旅人が行き交うバーハラの都の入り口。「聖者の門」と呼ばれるその門を前に、レヴィンは呆然と立っていた。バーハラの都の大きさは、商人達や、旅人達から良く聞いていた。だが、実際に行ってみると、その大きさは、想像を超えていた。
 シレジアの都が小さいと思ったことは、なかったが、この街と比べられたら、小さい、といわれても反論する気は起きない。それほどにこの街は大きく感じれらた。
 門から見える大通りの両脇にはたくさんの商店が並び、そのどれにも多くの人々が入り、また出ていっている。街に入って少し行くと、すぐ市場を見つけた。そこは、まるで大陸中の品物が集められたのか、と思うほどに、商品にあふれていた。
 レヴィンは、適当な店で食事をすませると、街を見物することに決めた。
 街はどこに行っても人にあふれていた。シレジアでは、これほど人が多くなるのは、年に一度の建国祭くらいだろう。この日であれば、シレジアにもこれぐらいの人が集まり、夜を徹して騒ぐ。だが、今日は特にそういう祭りではない。街に最初に入ろうとして、レヴィンは行き交う人の一人を捕まえて尋ね、田舎者呼ばわりされてしまったのだ。
「これほどに栄えることが出来るのは、やはり指導者の差なのだろうか」
 レヴィンは歩きながら、そんなことを考えていた。手には、先ほど買った果物の袋がある。良く知らない、南の方の果物らしいが、とりあえず美味しかった。
 現在のグランベル国王、アズムールについては、名君である、という評判を聞いたことはなかった。どちらかというと、凡庸な王である。だが、実際に政務を執り仕切っているのは、王子であり、王太子の地位にあるクルト王子である、と分かったのはバーハラに来て二日目のことだった。
 レヴィンは、服装などの様子はシレジアと変えていなかったのだが、それゆえに、吟遊詩人と見られることが多かった。もっとも、当のレヴィンは歌や演奏は得意であったが、吟遊詩人にとって、もっとも大切な「情報」ということに関しては落第点だった。
 だが、レヴィンは偶然、一人の吟遊詩人と知り合いになれた。その男は、イズバールといい、自称24歳、といっていたが、実際は30歳ぐらいだろうとレヴィンは推測した。多少無精髭が気になるが、それを除けば、美男といえる顔だった。詩人の生活が長く、人生の四分の三は旅だと言って、自慢していた。
 とにかく、レヴィンはイズバールから、色々な情報を聞くことが出来た。クルト王子について教えてくれたのも、イズバールだった。また、現在、バーハラの政府はクルト王子を筆頭とする王子派と、宰相であり、フリージ家の当主でもあるレプトール公爵との間で、静かだが、激しい権力争いが起きていることも、教えてくれた。
 イズバール自身は、クルト王子を密かに応援しているらしい。レプトール公爵にはあまりいい噂を聞かないから、というのがその理由だった。
「だが、それでもこのバーハラの都は豊かだ。人々の顔からは笑顔が消えない。結局、国なんてものは、誰が治めても同じじゃないのか?」
 レヴィンがそういうと、イズバールは酒がなみなみと注がれたグラスを一気にあおった。
「レヴィン。そんな事を言えるのは、お前が恵まれた国に育ったからだ。お前、シレジア出身だろう。その髪の色。あそこはいい国だ。ちょっと寒いのが難点だが、人々は明るいし……」
 イズバールはそこで話を止めて、グラスに酒を注ぐ。
「……美人が多い。あそこの国の、ラーナ王妃……たしか代王だったか?あれは名君だよ。さっさと女王にでもなればいいのに、自分がセティの血族でないことを、遠慮しているんだってな」
 レヴィンは自分の母親が誉められていることが、少しくすぐったいながらも、嬉しかった。
「ん?どうした。なんかにやにやしているぞ。ま、自分の国を誉められりゃ、嬉しいか」
 イズバールは空になった瓶を見ると、もう一本注文した。先ほど、レヴィンとイズバールはあるゲームで勝負して、負けた方が奢ることになっていたのである。イズバールがこのゲームのエキスパートであることは、ゲームが終了した後に分かったことだった。
「とにかく、シレジアはラーナ王妃が王をやっているから、あんなに平和なんだ。王がどうしようもないやつだったりした日には、その国の国民は大変だぞ。実際……」
 イズバールはまた話すのを止める。追加の酒の瓶をウェイトレスが持ってきたからだ。イズバールは、嬉しそうにグラスに酒を注ぐ。レヴィンは、少し恨みがましい目でイズバールを見たが、無視された。
「実際、俺の国がその一例だ。ヴァインスター、という国を知っているか?」
 その国の名はレヴィンも知っていた。5年ほど前に滅ぼされた、マンスター地方の一王国。レンスターの南東にあった王国で、確か、トラキア側に寝返って、騙まし討ちをされて、消滅した国家だ。
「おれの故郷はあの国なんだ。今じゃ、王国だった跡なんか、何にも残っていないけどな」
 イズバールはそう言うと、再び酒をあおった。
「俺はそのころには国を出ていたから、別に殺されそうにはなっていない。というか、6歳のときには、旅芸人の一座にいたからな。両親が死んだんでな……。死んだ理由は貴族の連中の気まぐれだ。俺はよく覚えていないが、貴族の馬車の前を、俺が通ってしまったらしい。それだけで両親は殺された。だが、その貴族達の行為が咎められることは、その国ではなかったんだ」
 グラスの中の液体の表面には、イズバールの顔が映っていた。その表面がわずかに揺らめいて、彼の表情が歪む。
「あの国はそういう国だった。統治者が腐っていると、そういうことになる。誰が治めても同じ、なんてこたぁない。国ってのは、一人の力で良くすることは難しい。だが、一人の力で腐らせちまうのは、簡単なんだよ」
 イズバールのグラスは、また空になっていた。
「じゃあバーハラが豊かなのは何故だ?あんたの言うとおりなら、腐り始めているはずだろう」
「腐り始めているさ。だが、誰も気づいていないだけだ」
 イズバールはそういって、再びグラスに酒を注ぐ。この男は底無しか、とレヴィンは思っていた。
「それにこの国には、先人達が積み上げてきた遺産がある。今はそれを食いつぶしているだけだ。今にそのつけを払うときがくるだろうさ。もっとも、今のところ、クルト王子が政務を執り仕切っているから、大丈夫だろうがな。レプトール公爵は、ドズル家のランゴバルト公爵ともつながりがある。ドズル公国は一度行ったが、あんまりいい国じゃあない。官憲が威張り散らしていたからな。フリージ家は……いまのところ普通だが、どこか窮屈な印象を受けた。」
 イズバールはそういうと、もう一本注文しようとして、レヴィンの顔を見た。自分の顔を見ることは出来ないから、レヴィンは自分がどんな顔をしていたのかは分からない。だが、イズバールは一瞬笑いを堪えるような顔をした後、それ以上の酒の注文はしなかった。
「今、俺の目から見て名君と思えるのは、シレジアのラーナ王妃と、アグストリアのイムカ王だな。レンスターの王も評判はいいが、俺は実際に見ていないから、よく分からん。シレジアとアグストリアは、行ってきた感想だ。まぁシレジアに行ったのは、もう4年以上前だけどな」
「アグストリア……」
「お前さん、シレジア出身じゃないのか?あの国の人々は、みんなラーナ王妃を慕っていたけどなぁ。もしかしてお前」
 レヴィンはぎくりとした。レヴィンという名前は、シレジアではそれほど珍しくない。だが、これだけ情報通のイズバールなら、あるいはもうシレジア王子の出奔くらいは耳にしているかもしれない。せっかく国を出れたのに、もう連れ戻されてしまう。
「ヒネクレ者だろう」
 続いたイズバールのセリフに、レヴィンはイスから滑り落ちていた。
「い、いや、俺も旅しているからさ、あんまりシレジアにはいなかったんだ」
「そうか?その割にはお前、世間知らなさすぎるぞ」
 イズバールはそういって笑ったが、特にそれ以上は突っ込んでこなかった。

 レヴィンはそれから二月ほど、バーハラに滞在した。実際、いつ国から手配が回るかひやひやしていたが、シレジアからの商人の話でも、王子の失踪の噂は聞けなかった。どうやら、王子失踪の事実そのものを、隠蔽しているようだった。

「とりあえず、アグストリアに行ってみる」
 二月ほど経った日、久しぶりにイズバールと一緒に食事をとっている席だった。イズバールもレヴィンも、普段はそんなに会う機会はなかった。二人とも同じ職業(レヴィンの方はなりすましていただけだが)である以上、商売敵、ということになる。ならば、わざわざ同じ地域で商売をする愚を避けよう、とお互いにかなり離れた地域で商売をしていたのだ。
 レヴィンの吟遊詩人としての技量は、一流、とまではいかなかったが、シレジア地方の歌は、かなり珍しく、結構な人気があった。
「そうか。行くのか。実はシレジアに行こう、と思っていたから案内頼もうかとも思っていたんだが」
 イズバールはメインの肉をつついた。今日は二人とも休業で、普段より早い夕食である。
「あ、いや、遠慮しておく」
 レヴィンは一瞬動揺した。シレジアに行ったら、今度こそ、城に閉じ込められてしまう。下手をすると牢獄に入れられてしまうのではないか、とすら思えてきた。
「なんかずいぶんシレジアに行きたくねぇんだな。お前、もしかしてシレジアに捨ててきた恋人とかいるんじゃねえのか?」
「ち、違う!!そんなことはしていない!!」
 レヴィンは思わず声を荒げてしまった。その様子を見て、イズバールは大笑いをした。
「お前、実はまだ恋人とか、いないんだろう」
 レヴィンは何も言い返せなかった。恋人、といわれたとき、一瞬マーニャの顔が浮かんだが、すぐに消えた。
 もう二月以上空けている。今まで、もっとも長く城を留守にしたときでも、半月だった。おそらくもう、自分がシレジアにいないことは、分かったいるだろう。心配をかけているのかもしれないな、と思ったが、何故かその時に最初に出てきたのは、フュリーの顔だった。
「別に、いたからってどうだってこともないだろう。いなくて、悪いかよ」
 一度、レヴィンはマーニャに恋人になって欲しい、といったことがある。レヴィンにしてみれば、一大決心で言ったのだが、あっけなく振られてしまった。
「はは、まぁ確かにな」
 イズバールはそういうと、残っていた肉を口に放り込んだ。
「アグストリアに行くなら、ノディオンにも行くといい。あそこのエルトシャン王も、名君だって噂だ。あの魔剣ミストルティンの継承者でもある。伝説の聖戦士様の末裔ってやつを見とくのも、悪くないと思うぜ」
 自分が風の神魔法フォルセティの継承者だと聞いたら、はたして、イズバールはどういう反応を示すだろうか、という考えが一瞬頭をもたげたが、それはさすがに言わなかった。

 数日後、レヴィンはアグストリアへ、イズバールはシレジアへ旅立った。
 その半月後、あのイザークのダーナ襲撃の報が、バーハラにもたらされた。
 イズバールはシレジアで、レヴィンの正体を知ることになった。偶然、王宮で演奏する機会があり、その時にレヴィンの話をしたときに判明したのだ。
 この時、すでにレヴィン王子が出奔して、一年半が過ぎていた。

 アグストリアを治めていたのは、賢王とまで呼ばれているイムカ王だった。イムカ王は、産業を振興し、村を開拓し、社会資本を整えた。アグストリアは、イムカ王が即位する前の、2倍の人口を持つ国となっていた。すでに在位40年を超えていたが、今もなお、国民に慕われていた。そしてそれは、シレジアでラーナが慕われている感覚と同じだった。
 しかし、その国王が、急死した。そしてほぼ同時期に、グランベル王国のシアルフィの公子シグルドが、軍を率いてエバンス城を制圧、そこからヴェルダンを征服したという話が伝わってきた。その時、レヴィンはアグストリア中央部にある、開拓村の一つにいた。

 この開拓村は、先王イムカの代に拓かれたもので、国庫から援助を受けていた。急激に増加したアグストリアの人口に対する対策として、始められたものである。しかし、イムカ王の死後、王位を継いだシャガール王は、開拓村への援助を打ち切った。ほぼ開拓は終わっていたとはいえ、まだ自給自足するには、生産力が少ない村にとっては、これは非常に大きな痛手だった。
 もっとも、そんな中でも、人々は楽しむことは止めようとはしない。もともと娯楽の少ない村では、レヴィンのような吟遊詩人は大歓迎されるのだ。しかもちょうど、踊り子まで来ていたため、酒場はちょっとした祭りのような状態になった。踊り子の名は、シルヴィアといった。シルヴィアは、15,6歳の、グリーンの髪の踊り子で、最近になって自分が属していた一座が解散してしまったらしい。
 レヴィンの演奏にあわせて、シルヴィアが美しい舞を舞う。村人は、滅多に見られない幻想的な踊りに見入っていた。終わったとき、村人は大きな拍手を送ってくれた。
 仕事が終わって、二人は宿の酒場で一緒に食事を食べることになった。というより、レヴィンが食事していた席に、シルヴィアが一方的に座ってきたのだ。
「ね、ね、レヴィン。こうしていると、私達って恋人同士みたいだね」
 食事中に、シルヴィアはいきなりそう言った。レヴィンは思わず吹き出しそうになる。
「な………おい、いつ俺がお前の恋人になった」
「だから、みたいって言ったでしょ。でも本当になってもいいよ。さっき私のこと、『可愛い』って言ってくれたし」
 シルヴィアはそう言ってレヴィンに抱きついた。
「こ、こら離せ!!」
 レヴィンは慌ててシルヴィアを引き剥がす。その時、シルヴィアの髪がレヴィンの顔に触れた。
「お前の髪、その色って親の遺伝か?」
「うん。お母さんの。って言ってもわたしはよく覚えていなんだけどね。確かお母さんのお母さんも、こんな色だったって言ってた」
 そういってシルヴィアは自分の髪の毛に指を通した。頭の上に二つ、団子のようにかためられた髪型は、シルヴィアには良く似合っていた。だが、それ以上にグリーンの髪の毛はレヴィンに故郷を思い出させた。すでに、シレジアを出てから、1年以上が経過していた。
「レヴィンとおそろいの色だね。レヴィンってどこの出身なの?」
「ん?あぁ、シレジアだ。グリーンの髪はシレジア人特有の色なんだ」
「じゃあ、私、レヴィンと出身同じなんだ」
 シルヴィアは嬉しそうにそういうと、またレヴィンに抱きついた。レヴィンがまた振り払おうとしたとき、村人が飛び込んできた。
「た、大変だ。盗賊が、盗賊が襲ってくる!!」
 村人は息を落ち着かせた後に言った。とたん、酒場の客はパニック状態になった。
「おい、軍隊は来てくれないのか?一番近くのアンフィニーなら、内乱状態のこの国でも軍を派遣してくれるんじゃないのか?」
 レヴィンの考えは至極当然のものだった。だがこれは、レヴィンがアンフィニー城城主、マクベスについて、まったく知らないからいえることだった。
「来てくれやしないよ。というより、盗賊団を裏で操っているのがあのマクベスだろうさ。イムカ王の時代には好き勝手出来なかったからって、今のシャガール王の代になってからは、ずっとこの開拓村を狙っていたんだ」
 酒場の主人の言葉からは、心底シャガール王への怒りを感じられた。
 ああ、こういうことか。レヴィンは今更のようにラーナが国民すべてに慕われているのが、どれだけすごいことか分かったような気がした。シレジアの人々は、ラーナが治めている限り、こんな不安を抱かないだろう。レヴィンはなんとなくそう思えた。
「それじゃ、俺がちょっと行って盗賊どもを倒してくるよ。その代わり、礼ははずんでくれよ」
 レヴィンはそういうと、自分の荷物を持って出て行こうとした。
「お、おい。あんた武器も持ってないのに」
 慌てて呼び止めようとする主人に、大丈夫だ、と言って出ようとしたところで、突然服が引っ張られた。
「まってよ。私を置いていくつもり?」
「シ、シルヴィア。危ないからどっかに隠れていろ」
 レヴィンはそういうとシルヴィアを振り切ろうとしたが、シルヴィアはレヴィンの服をしっかりと掴んで離さなかった。
「ひどい。散々弄んでおいて用がなくなったら、置いていくの?!」
 そのセリフは一瞬周囲の人間を凍らせた。
「ちょ、ちょっと待て。俺がいつお前を弄んだ。食事を一緒にしたぐらいだろうが」
「だって……わたし嬉しかったんだよ。『可愛い』って言ってくれたの」
 シルヴィアは涙声になっていた。レヴィンは完敗、といった表情になった。
「それは俺の口癖なんだがなぁ………わかったよ。とにかく泣くな。分かったから一緒に行くぞ。でも、かなり荒っぽいことになるからな。覚悟はいいのか?」
 レヴィンがそういうと、シルヴィアはパッと明るい笑顔になった。
「うん!!わたし、荒っぽいこと大好きだもん!!」
 すぐ引き返すと自分の荷物から剣を取り出す。もっとも、剣といっても護身用の小剣だった。
「さ、いこ。レヴィン」
 シルヴィアの笑顔を見て、レヴィンは思わずため息をついた。
「さっき泣いていたと思ったら今度は笑っているし。子供みたいなやつだ」
 そう思った後で、レヴィンは、別の人のことを思い出した。
『あいつもこのくらい素直に笑ったり出来れば、もっと可愛いのに』
 レヴィンはそう思いながら、もう一年以上会っていない、シルヴィアと同じグリーンの髪の天馬騎士のことを思い出した。
 今ごろどうしているか、まったく想像もつかない。覚えているのは、泣きそうな顔をしている彼女である。騎士になる前は、笑顔もよく見たはずだが、思い出せなかった。
「何しているの?レヴィン。早く行かないと、村が危ないよ」
 その回想は、シルヴィアの声で中断された。

 ほぼ同じ時刻。アグストリアに10騎の天馬騎士が降り立った。
 隊を率いる天馬騎士は、フュリーという名だった。




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