し る べ   
風の道標・第三話




 いつもいた人が突然いなくなっても、人はしばらくそれを実感できないことがある。
 突然出奔したレヴィン王子。フュリーも、マーニャもラーナ王妃も、まさかこれほど突然失踪するとは思ってもいなかった。だから、すぐに帰ってくるのでは、と思っていたのだ。しかし、その期間が10日、一月と経つと、さすがにその長さが異常であることには気づく。
 グランベル方面へ行ったというが、シレジアは、グランベルとは正式には国交がない。商業的な取り決めはあるが、これは国家間で決めたものではなく、商人の間の取り決めだ。そのため、グランベルに正式に王子の捜索を依頼するわけにもいかなかった。

 マーニャが仕事を終えて、宿舎に戻ろうとした時見つけた明かりは、鍛練場のものだった。すでに陽が落ちてからかなりの時間が経っている。もう誰もいないと思っていたのに、と見に行ってみると、そこにいたのはフュリーだった。
 鍛練場は、本来騎士同士が模擬戦を行うための場所である。天馬を降りた時の戦いの鍛練の場所だ。ただ、天馬騎士は基本的に降りた時は弱い。ほとんどが女性であることもあり、力がない。馬上で使う槍も、普通の騎兵の槍よりも遥かに軽く作られている。とはいえ、空中から高速で降下して繰り出される一撃は、普通の騎兵に何ら劣ることはない。だが、剣を使うのは天馬騎士達は苦手としてた。戦いが空中で、高速で展開されることが多いため、剣はあまり役に立たないというのが、最大の理由である。この鍛練場は剣の鍛練のための場所であるが、このような理由から、あまり使われることはない。もっとも、今は冬であり、屋外では訓練ができないことが多く、それゆえに使われることはある。
「もう終わり?栄えあるシレジア天馬騎士の一員として、情けなくないのか?」
 聞こえた声は、フュリーのものではなかった。マーニャは驚いて声の主を見る。それは、パメラだった。シレジア四天馬騎士の一人。マーニャの同期であり、マーニャに次ぐ実力者である。彼女は、普段マーニャを、あからさまではないにせよ、嫌っていた。しかし、そのパメラがフュリーの訓練の相手を務めてくれているのは、意外であった。
「ま、まだやれます」
「……その根性だけは認めてあげるわ。だけど、実際それ以上やると、あなたが死ぬわよ。私も、あなたの姉の前であなたを殺したくはないしね」
 そういうとパメラは剣を収めた。そして、出口に向かう。
「根性だけはあるわね。あなたの妹。さすがは天馬騎士団最強のマーニャの妹、と言ったところかしら?」
 パメラはそういうと、そのまま宿舎へと向かう。相当長時間、フュリーに付き合っていたのだろうが、全く疲れたそぶりを見せていなかった。ふとフュリーに目をやると、彼女はもう立ち上がる気力すら残ってはいないようだ。
「随分無茶な特訓ね。あまりやったところで、体をいじめるだけよ。何をそんなに焦っているの?」
 マーニャはそう言いながら、落ちている練習用の剣を、棚に戻す。
「む、無茶でも、いいんです。早く、強く、ならないと……」
 息が荒く、言葉が途切れ途切れになる。
「とりあえず落ち着きなさい。それから、今日は私の部屋に来なさい。もう宿舎の食事の時間は過ぎているんだから。その状態じゃ、満足に食事も作れないでしょう?」
 マーニャはフュリーに肩を貸し、立ち上がらせ、そのまま宿舎へと向かった。フュリーは、自分一人ではまともに歩けないほど消耗していたのだ。

「このごろ、随分疲れていると思ったら、あんな事をしていたの?いくらなんでも無茶が過ぎるわ」
 マーニャはフュリーを諭すように言った。疲れきっているフュリーにも食べやすいように、温かいスープを作って、テーブルの上に並べる。
「早く、強くなりたいんです。早く強くなって……」
「レヴィン王子を捜しに行きたい?」
 フュリーの言葉に続けるように、マーニャは言った。フュリーは、一瞬言葉を失ってしまう。
「でもあれじゃ、探しに行く前にあなたが倒れちゃうわよ。そうしたら探しに行けないでしょう?」
 そうは言ったが、パメラはおそらく、フュリーが翌日までには回復するギリギリの線まで付き合っている。それは、マーニャにも見て取れた。
 レヴィン王子の捜索は、もちろん行っていた。だが、情報が少なすぎた。レヴィン王子が、グランベル方面へ向かった、と分かった時すぐに探しに行けば、あるいはすぐ捕まえられたのかもしれないが、捜索に行き始めたのは、レヴィン王子がいなくなってから一月も経った後だったのだ。そしてその時には、レヴィン王子の足取りを追うことは、すでにほぼ不可能になってしまっていた。
 緑の髪と瞳は、シレジア人特有のものである。だが、グランベル王国は多民族国家だ。シレジアの人も、決して少なくはない。また、あまりに人が多いために、人ひとりを捜すというのは、大変困難なのだ。
 それでも、毎月何人かの天馬騎士が、あちこちへ捜索には行っていている。しかし、いずれも空振りで終わってしまう。たった一人の人物を探すには、このユグドラル大陸はあまりにも広かったのだ。
 派遣される騎士は、いずれも経験や実力で選ばれた。遠く、シレジアを離れて行動する以上、予定外の危険、というものも考慮しなければならない。そのためには、若輩の天馬騎士に行かせるわけにはいかなかったのである。
 フュリーはもちろん、この選考に洩れている。フュリーはまだ騎士になって一年半。やっと、後輩の騎士が入団してきたばかりなのだ。
「……でもね、もうレヴィン王子がいなくなって半年。王子がどこにいるかなんて、もう見当もつかない。もしかしたら、そのうちひょっこり帰ってくるかもしれないわ。その時、バテバテで迎えたくはないでしょう?」
 そう言ってはみたが、やはり効果はなかったようだ。というより当然だろう。マーニャ自身、王子が自分から帰ってくるとは、思っていないのだ。
 あの王子は、まさしく風なのだ。決して束縛されることを望まない。王子、という立場は、あの青年にはあまりに不向きだった。だが、あるいはシレジア王家に生まれたからこそ、あのような性格なのかもしれない。風の化身とまで呼ばれた、十二聖戦士の一人、風使いの子孫であるからこそ。
「マーニャ姉様、私はやっぱり王子を……レヴィン様を捜しに行きたいです」
 フュリーは半ば泣いている。マーニャはふぅ、とため息をつくと、空になった食器を片づけ始めた。
「とにかく、今日はもう寝なさい。いくら疲れているからって、天馬騎士団としての仕事は、ちゃんとやって……」
 食器を洗い終わったマーニャが見たのは、テーブルにうつ伏せになって寝ている、妹の姿だった。
「あらあら……まったく。これも無断外泊になるのかしら」
 そう言ってクスクスと笑う。フュリーがまったく起きる気配がないのを確認すると、ベッドまで運び、毛布をかけた。フュリーは、そのまま朝まで安らかに寝続けた。

「フュリーを四天馬騎士の一人に?」
 パメラからその提案を受けたマーニャは、初め耳を疑った。とてもではないが、パメラはマーニャに好意的であったとは言い難い。フュリーの特訓に付き合ってくれているのが、むしろ不思議なくらいである。
「四天馬騎士、とされているが、今は一つ空席だ。どうせ明日、誰がその空席を埋めるか決定するのだろう?」
 四天馬騎士は、現在三人しかいない。マーニャ、パメラ、そしてディートバ。先日、もう一人の四天馬騎士が、結婚して辞めたのだ。相手がアグストリア人だったため、騎士を続けることができなかったのだ。
「でも、あの子が四天馬騎士を名乗るに相応しい実力があるの?」
 マーニャの言葉には、身内だからといって優遇するつもりはない、という意志が見える。パメラも、それは重々承知していた。
「明日になれば分かる。まぁ、確かにまだ実力的には不足気味かもしれないが、いい腕をしている。お前の妹、というを抜きにしてもな」
 パメラはそう言って立ち去った。
 マーニャがフュリーの『特訓』を目撃してからもう一年が経っていた。その間、フュリーはパメラや、他の天馬騎士達と特訓していたらしい。ただ、マーニャは国内の情勢が安定していないため、あまりフュリーに構うことができなかったのだ。
 先王の弟であるダッカー、マイオスの両公爵は、レヴィン王子が出奔してからというもの、ずっと王位を求めていた。シレジアの王位は、風の神魔法フォルセティの継承者をもってあてる。それが大原則であった。しかし、この十数年、実質的に王位にあるのは、先王の妃であるラーナである。ラーナは代王である、と言い続けているが、こうもそれが長いと、それも説得力を持たない。レヴィン王子がさっさとフォルセティを継承して王位に就いてくれれば全てが解決するはずなのに、王子は成人した後も継承を拒み、そして出奔してしまったのだ。
 ダッカー公、マイオス公は天馬騎士団にも引き抜きをかけているという。すでに、ラーナ王妃では、彼らを押さえることは難しい。最悪の場合、内乱になる恐れすらある。マーニャは、なんとしてもそれだけは避けたかったのだ。
「パメラが認めるほど、フュリーは強くなったの……?」
 正直、まだ少し信じがたかった。子供のころは、フュリーはいつも自分の後ろに隠れていたような気がしている。人見知りをする、という性格なのだ。だから、妹が天馬騎士になりたい、と言い出した時は驚いたものだ。
 もちろん、今ならその理由は分かっている。だが、それだけであそこまで出来るもなんだな、と思う。それは、フュリーの想いの強さを表していた。

 翌日。新たに四天馬騎士を任命することは、すでに発表されていた。だが、それが誰なのかはまだ決まっていない。
 四天馬騎士は、天馬騎士600人のなかで、特に四人にだけ与えられる名誉ある称号である。武芸、学問、礼法などに優れた騎士を予め選出し、その中でもっとも優れたものを選ぶ。方法は、模擬戦である。
 四天馬騎士は現在三人。騎士団長でもあるマーニャ、副団長を務めるパメラ、ディートバ。各々が、直属に150騎を従え、実質的にはほぼ同格である。この四天馬騎士となることは、シレジアの天馬騎士にとっては、いわば目標であり、また憧れでもある。
 今回、新たに任命されることになっている、最有力候補はフィシアという23歳の騎士だった。マーニャやパメラの一年後に騎士となり、これまでもいくつも功績を立てている。というより、今回は、彼女だけが選ばれて決定戦(模擬戦)はないだろう、と噂されていた。しかし、呼ばれた名前は、一人ではなかったのだ。
「わ……私が?!」
 もう一人、名前を呼ばれた騎士――フュリーは、一瞬、自分が呼ばれたことにも気付いていない様だった。無理もない。フュリーは天馬騎士団に入団して、まだ三年目の若輩に過ぎないのだ。
 周囲からもどよめきが洩れる。当然の反応だろう、とマーニャは思った。彼女自身、いまだにこれでよかったのか、決めかねているのだ。
 確かに、フュリーの力は同期の中ではずば抜けていた。武芸、学問、礼法、いずれも群を抜いて優れている。しかし、フィシアの方がまだ優れていた。それは記録や、模擬戦の様子からも明らかである。それでもなお、フュリーを指名したのは、やはり昨日のパメラの言葉があったからだ。
「わ、私がフュリーと同格だというのですか?!マーニャ様!!」
 フィシアが詰め寄る。当然の反応だろう。フィシアは天馬騎士団に入団してからすでに7年。フュリーはまだ二年経つか経たないか、という程度だ。それで、同じ四天馬騎士の候補、というのはある意味では屈辱だろう。もしフュリーが四天馬騎士になるのであれば、その早さはマーニャをも凌ぐことになる。
「これは、私と、他の四天馬騎士達との話し合いによって決定したことです。その決定に不服があるのですか?」
 マーニャが、静かにフィシアを見下ろす。決して威圧的ではないマーニャだが、何故かこのような時に、他の天馬騎士達は圧倒されてしまう。フィシアは、悔しそうに唇を噛んでいた。
「なにもまだ決定というわけではありません。正午、決定戦を行います。では、解散!!」
 マーニャの声に弾かれるように、天馬騎士達は各々の仕事に戻っていく。そんななか、フュリーは呆然と立ったままであった。まさか、自分の名前が呼ばれるなど、思ってもいなかったのだ。確かに、いつか四天馬騎士となってみたい、とは思っていた。だが、四天馬騎士は天馬騎士団600人の中で、たった四人にしか与えられない、名誉ある称号である。正直、それに相応しいという自信は、まだフュリーにはなかった。
「何をやっているの!!早く仕事に戻りなさい!!」
 フュリーはマーニャの叱責を受けて、弾かれたように我にかえり、慌てて持ち場に戻る。フュリーの今の仕事は、シレジア西部の巡回だ。たとえ決定戦を控えているからといって、別に仕事を休めるというわけではないのだ。

 昼近くになると、再び城内に天馬騎士達が集まってきていた。まもなく、決定戦が始まるからである。比較的仕事が早く終わった騎士達は、フュリーのこれまでの功績を確認したりしていた。そしてその時、フュリーがこの一年の間、どれだけ努力していたかを知ったのである。
 フュリーは、天馬騎士団の中でもペガサスの扱いはかなり熟練していた。姉マーニャには及ばないにしても、自分より5年以上年上の騎士より上手い。そのため、彼女の仕事は単独での巡回が多く(フュリーのペガサスの速さについてこれる同期の騎士がいない)あまりフュリーの仕事ぶりを知らなかったのである。
 単独での巡回の最中、特に半年前から彼女の功績は目立っていた。単独で盗賊に襲われた隊商を救ったり、雪崩が起きることを、いち早くふもとの村に伝達したり。彼女のペガサス、イルオスが他のペガサスより強靭であるとはいえ、これらの行動は、一歩間違えば大怪我か、あるいは死ぬ危険すらあるような任務をこなしていたのだ。
 加えて、学問においても十分すぎる成績を上げていた。それが、今まで目立たなかったのは、皮肉にも「マーニャの妹」というめがねを通されていたからである。
 しかし、大方の予想は、フィシア有利であった。
 決定戦はペガサスに乗っては行われない。いくら刃を止めた剣や槍でも、ペガサスで戦って、高空から落下したら死は免れないからだ。そのため、地上で行われるのである。

 正午。円形の闘技場にはラーナ王妃をはじめ、天馬騎士団、魔法師団の者たちが多く集まっていた。また、市民も少なくない。戦いが公正であることを示すため、市民にも見ることが許されているのだ。
 フィシアは、槍を握っていた。槍の穂先は丸い。とはいえ、それによる打撃の威力は、実戦と変わるものではない。フュリーが持っているのは剣だった。刃は削られ、どちらかというと鉄の棒、という感じである。ただ、かなり短めのものを持っていた。間合いの差は、圧倒的である。
「やはり止めるわけにはいかないのですか?マーニャ」
 そう聞いてきたのは、ラーナ王妃である。彼女は、このような決定方法にはむしろ賛成しかねていた。だから、これまでの四天馬騎士の任命では、マーニャの時以外、複数の候補が立てられたことがない。
「私もフィシア一人にしようとは思っていました。ただ、パメラもディートバも推しましたし……私も甘いみたいです、妹には」
 ラーナもマーニャも、フュリーがレヴィン王子を捜索に行きたがっているのはよく知っている。しかし、入団してわずか2年の新米騎士が派遣されることはない。だが、四天馬騎士であればもちろん、そのような任務に就くことができる。パメラやディートバがチャンスをくれたのも、あるいはフュリーの気持ちを知っていたのかもしれない。
 正午の鐘が、静かに鳴り響く。それが鳴り終わると同時に動いたのは、フィシアだった。圧倒的な経験の差、それに武器も自分の方が有利なものを選んでいる。一瞬で勝負を決める、というつもりで間合いを詰め、槍を突き込んだ。もちろん、一撃で終わるとは思っていない。牽制の攻撃で隙を作り、そこに止めを繰り出すつもりだった。だが、フュリーが狙っていたのは、その一番最初の攻撃だったのだ。
 フュリーは、その最初の突きにいきなり突っ込んだ。フィシアはフュリーの意図を計りかねた。そのため、わずかに突き込みの速さが鈍る。その瞬間、フュリーはわずかに上体をずらし、一気に踏み込んでフィシアの間合いの内側に入っていた。両者の動きが止まった時、フィシアの喉元にはフュリーの剣がつきつけられていた。どちらが勝者であるのか、考えるまでもない光景である。
「勝負ありました。天馬騎士フュリーに、四天馬騎士の称号を授けましょう」
 静まり返った場内に、ラーナの声が厳かに響く。やや遅れて、歓声が響き渡った。
 新たな四天馬騎士誕生の歓声である。

「随分危険な賭けに出たのね。一歩間違ったら、顔に一生残るような大怪我をしていたかもしれないわよ」
 マーニャは、そう言いながらも妹がここまで努力してくれたことを、嬉しく思っていた。これで、フュリーをレヴィン王子捜索のメンバーに加えることに、誰も文句は言えなくなる。というより、立場上、フュリーが捜索隊を指揮することになる。
 しかし、さすがにどこへ派遣すればいいのか、見当すらもうつかなくなっている。さすがに、もし今戦争中のイザークや、動乱の気配があるアグストリアにいる場合、かなり慎重に行動しなければならない。常に火種を抱えているマンスターでも同じだ。
 また、四天馬騎士となったフュリー自身もまた、多忙であった。なにしろ、これまで部下を一人も持たない身であった状態から、突然シレジア天馬騎士団600騎のうち、150騎を預かることになったのだ。その編成作業に追われ、レヴィン王子を探しに行くどころではなかった。そんな、どこにいるかもわからない不確実な捜索に、そうそう四天馬騎士が出るわけにもいかないのだ。
 だが、運命というものはやはりあるものである。行方不明のレヴィンの情報は、意外なところからもたらされた。

 ラーナ王妃は、レヴィン王子がいなくなってからというもの、ふさぎ込むことが多くなっていた。そんなラーナ王妃を案じて、マーニャが待ちで評判の吟遊詩人を呼んだのは、大地がようやく緑の絨毯に覆われ始めた、春の終わりであった。
 その吟遊詩人はイズバールといい、卓越した、とまで言うほどの技量ではないのだろうが、それに気付いた者は、ほとんどいなかっただろう。シレジア人で他の国を旅するものはあまりいない。遠い異国の話は、とても珍しいものなのだ。しかし、その席で、レヴィンの名が出るとは、誰も予想していなかった。
「レヴィン、と確かにおっしゃったのですか、イズバール殿」
 イズバールはいきなり問われて、驚いたように王妃を見た。王妃は、半ば信じられない、というような表情を自分に向けている。
「はい。一年ほど前、バーハラで。ですがそれが何か?」
 レヴィン、という名前はシレジアではそれほど珍しくはない。だから、イズバールは王妃が驚く理由は、分からなかった。
 これまでどのような旅を続けてきたか、ということを話しているなかで、レヴィンの名前が出たのだ。もともと、イズバールがシレジアに行ってみよう、と思ったのはレヴィンに会ったからというのが大きい。だから、話さないわけにいかないのだが、それにしても、これほど過剰な反応を示されるとは、思ってもいなかった。
「どのような格好をしていましたか?」
 王妃に代わって、その横に控えていた長髪の天馬騎士が聞いてきた。立っている位置から、おそらくはもっとも重要な立場にいる者なのだろう。イズバールは、別段隠す必要も感じなかったから、素直に話し始めた。
「間違いないですね。王妃様。早速、派遣するものを決めてよろしいでしょうか?」
 イズバールの話が終わると、傍に控えていた騎士が、王妃に確認を求める。イズバールには何のことだか、さっぱりわからなかった。だが、ふとあることに思い当たる。
「あいつ……本当に王子だったのか」
 イズバールは今更のように驚いた。シレジアの王子がレヴィンという名であることは、シレジアに来る前からもちろん知っていた。また、シレジアに来てから、どうやら王子が失踪しているらしい、ということも耳にした。だが、さすがにそれであのレヴィンとシレジアの王子を結び付けるところまでは、考えが行くものではない。まして、あのレヴィンはおよそ王族らしからぬ考えを持っていた。
「あれも、自分が王族であるがゆえに起きる考えか、あるいは」
「イズバール殿?」
 一人考え事をしていたイズバールは、騎士団長が呼んでいたことに気づいていなかった。慌てて顔を上げる。
「レヴィン王子の情報、本当に感謝します。ただ、願わくば……」
「別に王子がいないなんてことを、いちいち吹聴するつもりはありませんよ。シレジアに来てもう一年近く。結構この国は気に入っているんです。できれば、このまま平和であって欲しいですね」
 やや皮肉げに言う。イズバールは、ダッカー、マイオスが王位を求めていることをもちろん知っているのだ。だが、シレジアが気に入ったということもまた、嘘ではない。
「感謝します。イズバール殿」

 イズバールが帰った後、マーニャは直ちに派遣する天馬騎士の選定に入った。といっても、今回はさすがにフュリーを派遣することにした。もともと、フュリーはこのために努力してきたのである。やや私情が加わっている気もするが、今回は構わないだろう、と思っていた。
 また、四天馬騎士級が行く必要がある、というのも理由である。アグストリアの賢王イムカが、一年前に急逝し、王太子であったシャガール王子が王位に就いた。これ自体には、問題はない。だが、この直後にグランベルの軍がアグストリア南のエバンスを制圧し、また、アグストリアの各諸侯の動きにも、不穏なものが広がり始めていた。噂では、傭兵を雇う領主まで出ているという。
 シレジアは、アグストリアとは隣国ともあって、友好的な関係を維持し続けていた。先王イムカであれば、天馬騎士を派遣して捜索を頼むだけでよかったと思えるのだが、今のシャガール王の評判を聞く限り、そういう期待は持てそうにない。うかつに、騎士を派遣して、なにか事故があったら、それこそ大変である。
 その意味では、フュリーもまだ経験が浅く、派遣するには向かないのかもしれないが、これを経験とすることもできる。また、他の騎士では、レヴィン王子に撒かれる可能性もある。フュリーの場合、レヴィンにやり込められる可能性もなくはないが、きっと離れはしないだろう。自分がいければ、連れ戻す自信があるのだけど、とは思うが、さすがに天馬騎士団を統括する立場にあっては、そうもいかない。

「ほ、本当にいいのですか?私が行っても?」
 レヴィン王子の捜索を命じられたフュリーの第一声はこれであった。普通に考えれば、妥当な選択肢なのだが、フュリー自身の感覚が、四天馬騎士である、ということについてきていないのだろう。
「当然よ。同行する部下はあなたが選んでね。ただ、アグストリアを無用に刺激しないためにも、10騎くらいにした方がいいわ」
 そういう時のマーニャの顔は、天馬騎士団長としてではなく、姉としての顔だ。
「は、はい。すぐにも出発します!!」
 まるでそのまま飛び出していきそうな勢いである。マーニャは、その妹に微笑ましいものを覚えながらも、ちゃんと任務を達成できるのだろうか、という不安も感じてしまった。
「こらこら。メンバーが決まったら、ちゃんと私とラーナ様に報告すること。それ忘れちゃだめよ。それに、色々準備もあるのだし、アグストリア王に親書をしたためなければならないのだから、出発は三日後。それまでに、ちゃんと準備しておきなさい」
「はい!!」
 そう言ったフュリーの笑顔は、レヴィン王子がいなくなってからこの一年、見ることのなかったものだった。

 三日後。四天馬騎士の一人、フュリーを隊長とした10騎の天馬騎士は、シレジアを出発した。目指すはアグストリアの王都、アグスティ。まずそこへ行き、王に協力を求める。可能ならば、国内の捜索の許可を取りつけるのだ。
「それでは姉様、行ってまいります!!」
 フュリー以下10騎のペガサスナイトは、シレジア城を出発した。グラン暦757年。もうすぐ、シレジアの短い夏が訪れようという季節であった。



第二話  第四話

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