し る べ   
風の道標・第五話




「それじゃ、よろしくお願いします。出来るだけ定期的に、連絡はするようにします、とラーナ様にお伝え下さい」
「了解しました、隊長」
 フュリーの命を受けた天馬騎士三騎は、そう答えると一気に天空へと飛び立った。そして、北に進路を取る。直線で行くのであれば、途中のアグスティは、ちょうど良い休憩場所であるのだが、今回、フュリー達を騙してくれたシャガール王の意図が分からない以上、それは避けるべきであった。北東へと行き、フリージ公国領を通って、シレジアに戻るルートを辿るのだ。
 三騎が見えなくなると、フュリーはレヴィン王子を振り返った。一瞬見てなかっただけなのに、またいなくなるのではないか、とすら思えてしまう。しかし、レヴィンは確かにそこにいた。
「それで、これからどうなさるのでしょう?」
 シグルド公子と行動を共にする、とは聞いたが、具体的に今これからどうすべきなのか、フュリーにはわかるはずもない。
「とりあえずもうすぐここの駐留軍がシグルド達と合流するから、それに合わせて一緒に移動だ。シグルドに事情を説明しなきゃならないしな」
 そう言うと、さっさと城内に入ってしまう。ペガサスを連れたフュリー達は、一体どこへ行けばいいのかわからなくなって、その場に立ち尽くしていた。すると、再びレヴィンが顔を出した。
「何ぼさっと突っ立っているんだ。とりあえずここの指揮官に話を通すから、表門の方に来いよ」
それだけ言って、また消えてしまう。自分だけでさっさと決めて先に行ってしまう性格は、昔のままだった。王子は、まだ自分の知っている王子でいてくれた。フュリーはそう感じていた。

 レヴィンとフュリー達天馬騎士七騎を加えたエバンス駐留軍は、4日後にシグルド軍と合流した。その間に状況は、というと、呆れたことに全く動いていなかったのだ。マッキリーから来た騎兵はすべて迎撃したのだが、シグルド達も、マッキリーを攻めあぐねていた。
 マッキリー城は細い峡谷の出口にある。西側の峡谷の上は、アグストリアの中央高地で、多くの開拓村が存在するが、その崖は切り立っていて降りるのも登るのも非常に困難である。東側は、文字通りの高山で、とてもではないが通っていくことなど出来はしない。そして、その高山の中腹にあるいくつかの踊り場には、遠距離攻撃用兵器シューターが配されているのだ。
 峡谷の底を通る細い道は、重甲冑騎士の部隊が足止めをしてくれる。狭いために大軍を一度に集結させることができず、また、道も険しいので馬で一気に駆け抜けることすら出来ない。そして、そこにシューターからの攻撃。多少の犠牲を覚悟すれば、突破することは容易なのだが、シグルドにはその決断ができなかった。
 こんな、本来戦うべきでもないはずの戦いで、無駄に犠牲を出したくないのだ。もっとも、シグルド軍を構成するほとんどは現在では傭兵であり、そのようなことを気にする方がおかしいのだが、それがシグルド公子らしいところでもあるのだろう。軍師オイフェも、その事はよく分かっているので、犠牲を最小限にしてマッキリーを攻略すべく、なんとかシューターを排除する作戦を立案しようとしていた。そこに、エバンスの部隊が合流したのである。
「天馬騎士が?!」
 アーダンから報告を受けたシグルドは、驚いて聞き返した。アーダン自身も、ちゃんと事情を説明されたわけではないので、説明は要領を得ない。ただ、急に天馬騎士が攻撃してきたかと思うと、レヴィンと何かを話して、三騎だけ帰って、あとは一緒に来たというのだ。
「と、とにかく本人から事情を聞きたい。来てもらってくれ」
 少し経って参上した天馬騎士を見て、シグルドは驚いた。シレジアの天魔騎士が、ほぼ女性のみで構成されていることはよく知られている。また、その平均年齢も若い。だがそれでも、こんな異国の地にまで派遣されてくる騎士にしては、あまりにも目の前の騎士は若い、と思えた。
「ええと……君が天馬騎士の隊長?私はシグルド。シアルフィの公子だ。一応……今はエバンスの城主でもある」
「初めまして、シグルド公子。私はシレジア天馬騎士団、四天馬騎士が一人フュリーと申します。まことに勝手ながら、レヴィン王子が今しばらくこの軍に留まる、ということなので、我々も従軍させて頂きます」
 フュリーと名乗った騎士は、完璧な礼儀作法で、そう答える。シグルドは一瞬、その姿に見ほれてしまっていたが、その言葉の中に引っかかるものがあり、慌てて質問した。
「王子……?レヴィン王子?どういう事だ?」
 その言葉を聞いて、一瞬フュリーは怪訝そうな顔をする。だが、すぐに表情を元に戻した。
「レヴィン様……いえ、レヴィン王子はシレジアの王位継承者なのです。風の聖戦士セティの血をひくシレジア王家の継承者であるお方なのです」
 シグルドは驚いた。確かに、ただ者ではない、とは思っていた。しかし、まさかシレジアの王子とは。だが、それならばアゼルの言っていたことにも、合点がいく。風使いセティの力を継ぐ後継者であるのならば、その力はアゼルの兄、アルヴィスと同等であるはずだ。
「レヴィンがシレジアの王子……。なるほど、ただ者ではない、とは思っていたが。でも、何故吟遊詩人などに?」
 シグルドは別に、吟遊詩人や旅芸人達を卑下するつもりはない。だが、すくなくともそれらを王族がやることは、普通ではない、とは思っている。
「それは……その、色々と事情があったのです。私の口からは申し上げられませんが……」
 そういって、フュリーは少し離れたところで様子を見ているレヴィンに目をやる。レヴィンは、じっとこっちを見ていたが、フュリーが見ているのに気がつくと、慌てて視線を逸らした。
「……わかった。レヴィンとはこれまで通り付き合っていくことにするよ。彼も、下手に王族として扱われる方が、嫌だろうしね」
 この公子は、もうレヴィン王子の性格を見抜いておられる、と少しフュリーは驚いた。
「それで、君たちはどうするんだ?これから。レヴィンはしばらく国に帰るつもりがないのだろう?」
「あ、はい。それで、公子がよろしければ、我々も従軍させて頂けないでしょうか?もちろん、指揮には従います」
「それは……願ってもないことだ。天馬騎士の君たちが協力してくれるなら、大助かりだよ。しかしよろしいのか?四天馬騎士の一人が……」
 シレジア天馬騎士の中でも最高位の四天馬騎士のことは、シグルドでも聞き及んでいる。それが、国を離れたままでいいのだろうか。
「あ、いえ、かまいません。私の今回の任務は、レヴィン王子の捜索、および国へ連れ帰ることです……が、王子がこの軍と行動を共にする、というのであれば、その護衛のためにも残らなければなりませんから」
 これが、マーニャ姉様であれば、多分引きずってでもレヴィン王子を連れ戻すのだろうけど、とは思ったが、フュリーはレヴィンにもう少し自由に行動させてあげたかった。王子が、帰りたくない、という気持ちだけでこの軍に同行しているわけではない、と感じていたからだ。
「そうか。正直言うと、君たちが協力してくれるのは大歓迎なんだ。ありがとう」
 そういってシグルドはにこりと笑って手を差し出した。
「はい、よろしくお願いします!!」
 フュリーが手を握り返す。その笑顔は、確かに年齢相応のものであった。

 天馬騎士達の協力によって、シグルド達はマッキリー城を制圧できた。当面の問題であった山岳地域のシューターは、フュリー達によってあっけなく排除され、基本戦略を崩されたマッキリーは一気に制圧された。城主クレメントがの振るうスリープの魔法が厄介であったが、それも、ディアドラのサイレスの魔法の前に封じられ、なにもできなくなってしまったのだ。
 シグルド軍は、そのまま王都アグスティへ進軍した。もともと、今回の争乱の最初の原因は、ノディオン王エルトシャンの投獄である。本来、このような行為は侵略に相当するのだが、ラケシス王女の、正式な要請のため、軍を動かせる。しかし、実際にはシグルドが制圧したハイライン、アンフォニーなどにはすでにグランベル本国から役人が派遣されて、もはやアグストリアを属国にしたかのように振る舞っている。シグルド本来の目的が、アグストリアの征服でないことは、一緒に行動している者にはわかっているのだが、他者から見たら、征服以外には見えないだろう。
「正直に言えば、シャガール王と和平の相談を、本当にしたいところだよ」
 シグルドが、レヴィンに疲れたように洩らした。正直、レヴィンはシグルドという人物の存在そのものが希有ではないか、とすら思っていた。これほどの実力をもちながら、シグルドという人物の本質は、呆れるほどに人がいいのだ。これで、少しでも野心があれば、あるいは、それほど悩まずにはすんだのだろう。
「ホントに人がいいな、あんたは」
 半ば、レヴィンは呆れたように言う。実際、呆れているところもあるのだが、それがなければこの公子の魅力がなくなってしまうのではないか、とも思えるのだ。
「協力するぜ、俺も。まあそんなに悩まない方がいいさ。その、エルトシャンって人を助けりゃ、万事解決するんだろう?」
 そうは言ったが、お互い、それで終るとは思っていなかった。本来の思惑はどうであれ、形として、グランベル軍がアグストリアを侵略し、しかもすでにその半分を制圧している。その事実は動かしようがない。そしてそれが、どういう結果を生むのか、ということもわかってはいる。
 今更、エルトシャン一人が戻ってきたところで、事態がそれほど良くなるとは思えない。だが、それでもここまで来て、エルトシャンを解放する、という目的を果たさずに撤退するわけにも行かなかった。


「レヴィン様、一度でいいですから、シレジアに戻って下さい」
 もう何度、このセリフを聞いたか、レヴィンは数える気にはならなかった。
 アグスティを制圧したシグルド軍は、そのままアグスティに駐留することになった。即撤退したいところであったが、国王の命令ではそれも叶わない。シグルドは、一年間、という期限を付けて親友であるエルトシャンに納得してもらった。そして、今もバーハラへ、撤退の要請をし続けている。ただ、どちらにせよ、駐留が長くなるのだけはわかっていた。だから、フュリーは何度もレヴィンに本国に戻るように言い続けているのである。
「あのなぁ。お前、しばらくシグルド軍に同行していい、って言ったじゃないか」
「それは……そうですが、でもこのままだと一年近くはここにいることになります。一度、本国にお戻りになって、それからもう一度来れば……」
 そこでレヴィンはやっと立ち止まってフュリーの方に振り返った。しかし、それで肯定的な返事が聞けるとは、さすがにフュリーも期待していない。
「あのなぁ。もし一回国に帰ったとしてだ、母上が再び俺がここに来ることを許してくれると思うか?」
 フュリーは答えられなかった。フュリー自身もそれが許されるとは思っていないからだ。
「そうよ、レヴィンがイヤだって言っているんだから、もうやめなさいよ」
 いきなり割って入って来たのは、シルヴィアであった。フュリーも、最初のころにレヴィンから紹介はされたのだが、その後、戦闘などで忙しくて、後方にいるシルヴィアとは話す機会はおろか、会う機会すらなかったのである。しかし今はフュリーは、何の仕事もない。グランベルの騎士でもなく、また雇われた傭兵でもないため、立場的にはレヴィンと同じだ。やることなど、当然ない。
 意地でも任務を遂行するのであれば、レヴィン王子をムリヤリ連れて帰るべきだろう。だが、フュリーはそれはしたくなかったのだ。部下の騎士達もそれは分かってくれているらしく、おとなしくアグスティに駐留している。
「やめなさいって。レヴィンだって迷惑しているでしょう!!」
 そういって、フュリーとレヴィンの間に入る。シルヴィアは、レヴィンやフュリーと同じ髪の色の少女で、年齢的にはフュリーよりやや下、というくらいだろう。シレジア出身ではないらしいが、母親がシレジア人だったらしい。
「わ、私はただ、レヴィン様に国に帰って……」
「レヴィンは帰りたくないって言ってるんでしょう!!」
 シルヴィアの決め付けるようなセリフを聞いて、レヴィンは慌てて訂正した。
「おい、別に帰りたくないわけじゃないぞ。ただ、もう少しここにいたいだけなんだ」
 レヴィンはそれだけ言うと、二人から逃げるように走り去ってしまった。

「別に帰りたくないわけじゃない」
 レヴィンはそう言いながら北の空を見上げていた。祖国、シレジアのある方角だ。シレジアを出て、もう二年近く。さすがに、懐かしくないといえば嘘になる。だが、まだ帰れない。もう少し、シグルドといるべきだと、レヴィンは感じていた。それが何かは分からない。また、それ自体も結局自分が今ここにいたいがための言い訳でしかないのかもしれない。
「帰らなきゃいけないのはわかっている。だが……」
 シグルド、キュアン、そしてエルトシャン。彼らは生まれながらに神器の継承者としての責務を負わされながら、それをまっとうしようと常に努力をしている。そして、自分もそれらをしなければならないはずだ。だが、レヴィンはやはり神器の継承者だから、というだけで王位を継ぐということに、抵抗を感じずにはいられなかった。
 人が望んでも、絶対に手に入らない力。それを生まれながらに継承することを定められた運命。しかし、その力にそれほどの価値があるのか。レヴィンにはそれが分からなかった。別に、望んでシレジア王家に生まれたわけではない。もっとも、それでも背負わなければならないのだろう義務、というものがある。レヴィンは、それだけは分かってきていたのだ。
「それでも……まだ帰りたくはない……しかし……」
 掌に意識を集中する。小さな風が、そこに渦巻いていた。呪文もなく、ただ意識するだけで風を操れる力。子供のころは、当たり前だと思っていたこの力こそ、風の聖戦士セティの力を継承している証だという。だが、ならば風のように生きてはいけないのだろうか?かつて、同じ力を持っていたというセティは、果たしてどのように考えて王という立場を受け入れたのだろう。
「俺は結局……何になりたいんだ……?」
 その質問に、風は何も応えてはくれなかった。



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