「ったく、なんだってこんなことに!!」 レヴィンは吐き捨てるように言いつつも意識を掌に集中させて、風を集めた。それが、手に持った魔道書と呼応する。 「風よ。その身を刃と化し、一振りの剣となれ。その力もて、わが敵を打ち払え!!」 集められた風は、無形の刃となってレヴィンに斬りかかろうとした騎士を襲った。騎士は、魔法が飛来するのは分かっていたが、自分の装備が少なからず魔法に対する抵抗力を持っているので、無理に避けようとはしなかった。確かに、並の魔道士の魔法であれば、一撃で殺られることはないだろう。だが、レヴィンは並の魔道士などではなかった。 ドン、という音すら聞こえそうな衝撃波のあと、騎士は自分が致命傷を受けたことだけを悟った。意識が闇に落ちる。しかしレヴィンの前にはすぐ別の騎士が立ちふさがってきた。 「レヴィン様!!」 上空からの声に一瞬レヴィンは気を取られる。しかし直後、レヴィンに迫っていた騎士は、天空から一気に突き降ろされた槍に貫かれていた。天馬騎士最強の攻撃手段である急降下のランスチャージを受けたのだ。 「フュリー、無茶をするな、相手はただの騎士じゃないんだ!!」 騎士の国アグストリアでも最強とされるクロスナイツ。エルトシャン率いる騎士団で、アグストリア最後の軍隊。追いつめられたシャガール王最後の切り札でもある。 |
アグストリアでの滞在を、レヴィンはギリギリの一年は確実に経つ、と見ていた。そしてその後にどうなるか。その予測は実はついていなかった。グランベル本国が、シグルドにアグストリアからの撤退を命じるとは思っていない。数ヶ月滞在し、現在政権を握っているレプトール卿の人柄はなんとなく掴んでいる。まして、今対抗しうる王子派の筆頭であるクルト王子はいない。イザーク王国への遠征の帰路にあるのだ。 一方、アグストリアにはすでに戦力らしい戦力はクロスナイツしか残されていない。先のアグスティ攻防戦で、アグストリアの戦力はほぼ壊滅してしまったのだ。だから、一年経ってまだシグルドがアグスティにいる場合、どうなるか。これが分からなかった。話に聞くエルトシャン王の性格だと、クロスナイツを率いて攻めてきそうなものである。だが、彼はシグルド、キュアンの親友でもある。王という公人の立場と、友という私人の立場。その間に立ったとき、エルトシャンがどう行動するのか。それはレヴィンにも分からなかった。 しかし事態は一年という時間を待つことをしなかった。どこにそれだけの金があったのかは分からなかったが、シャガール王は傭兵を集め、アグスティへの攻撃を開始したのである。そして同じ時に、クルト王子がイザーク遠征の帰路、バイロン卿によって殺害された、という報がもたらされた。 バカバカしい。そう思う。むしろやりそうなのはレプトール卿やランゴバルト卿だ。わずかな間にしかバーハラにはいなかったからあまり詳しくは知る機会を持てなかったが、逆にその短い間だけで、レヴィンにそういう印象を抱かせた人物である。今回の事件、なにか一連の陰謀めいたものがレヴィンには感じられてならなかった。 だが、シグルドには多くの選択肢は残されているわけではない。今出来ることは、というとアグスティに来る敵を退けることだけだったのだ。シグルドは、始めは迎撃戦を展開していたが、敵の数の方が多く、埒があかなくなったため、結局シャガール王の現在の主城であるマディノを陥落させた。ところが、シャガール王はしぶとく逃げ延びて、エルトシャンのいるシルベール城へ逃げ込んだのである。別に誰も逃げるのを見たわけではないが、手持ちの兵を失ったシャガール王が行く場所といえば、もはやそこしかなかったのである。 こうして、シグルドは親友と戦わざるを得なくなった。アグスティによって篭城したところで、援軍を期待できるような状態ではなかったのだ。そして、そこへさらに、シグルドの妻ディアドラの失踪の報がもたらされたが、シグルドは今はクロスナイツ迎撃が優先だ、として数名の兵に捜索を任せると、クロスナイツ迎撃の指揮を執った。もっとも、基本的な戦略は、エルトシャン王の妹姫、ラケシス王女が兄を説得してみせる、というのに賭けている、というのが実状でもある。 こと用兵に関してはシグルド、キュアン共にエルトシャンには及ばないらしい。軍師であるオイフェもまた、エルトシャン率いるクロスナイツとまともに戦うのは得策ではない、と進言したほどだ。 戦場は北側に森のある、やや限定された地域で展開された。機動力のある騎士隊の能力を少しでも削ぐためであるが、やはり無駄だった。あっというまにシグルド軍の戦列は混乱する。だが、乱戦ゆえに混成軍であるシグルド達の強みも出てきて、なんとか互角に戦っている。あとは、シグルドかラケシスがエルトシャンと話し合ってでもくれればなんとかなるかもしれない。しかし、それまでは戦場はすぐ隣に死を感じられる場所なのだ。 |
「邪魔だって言っているだろうが!!」 この場にマーニャ辺りがいたら、王子らしくない言動だ、と諌めるかもしれないが、この場合それも許してもらえるだろう。クロスナイツ一人一人の力は、正直脅威であった。中には、レヴィンの風の上級魔法でも倒せないものまでいる。フュリーや部下の騎士の援護がなければ、あるいは自分もまた骸の仲間入りをしているかもしれない。だが、それでもフュリーの無茶は目立つ。 「無茶をするな、フュリー。怪我をしたら一度後方にもどれ!!エスリンかエーディンに治してもらえ!!」 そう言って聞く娘でないことは承知しているが、かといって放っておくわけにもいかない。レヴィンは一応回復魔法を使うことも学んではいたが、特殊な発動体――回復の杖――なしにはその力は使えない。 しかし、レヴィンは一方でフュリーの上達には驚いてた。以前より遥かに強くなっている。よほど努力したのだろう。だが、それでもまだクロスナイツの方が手強い。フュリーの着けている鎧は、金属製ではあるが、かなり軽く作られているので、まともに攻撃を受けたら容易に貫かれてしまう。もちろん、フュリーも部下もそれをよく分かっているのか、ペガサスの機動力を最大限に生かして決して留まらず、一撃離脱を繰り返している。 圧倒的な存在感を感じたのは、その時だった。同時に、クロスナイツの列が割れる。そこには、黒馬黒鎧の騎士がいた。いや、騎士ではない。レヴィンは直感的に悟った。 「……ノディオン王エルトシャンか」 レヴィンは油断なく距離を取る。エルトシャンの手には黒刃の魔剣が認められた。魔剣ミストルティン。神器の中でも、最強の攻撃力をもち、魔を喰らい命を吸う、とすら呼ばれているものだ。だが、レヴィンは魔剣は所詮武器であると感じていた。おそらく、目の前の男が持っているからこそ、魔剣は最強の神器たるのだろう。 「ただの魔道士には思えぬな。天馬騎士はシレジア王国にしかいないもの。天馬騎士がトラキアの竜騎士よろしく傭兵をするとは聞いてはいないが」 そこまで言ってからエルトシャンはレヴィンをもう一度見直す。その顔には、わずかに覚えがあった。かつて、まだ自分が士官学校を出たばかりのころにアグスティの王宮で会ったシレジア王。それにそっくりだったのだ。 「まさか……シレジア王家の縁者か?」 この質問はレヴィンを驚かせた。まさか、エルトシャンが自分のことを知っているなど思いもしない。 「先のシレジア王によく似ておられる。……なるほど、シレジア王子の出奔という噂は本当だったか。しかもまさか、シグルドと行動を共にしているとはな。だが、邪魔をするのであれば、誰であろうと容赦はしない」 エルトシャンは魔剣ミストルティンを静かに構える。今、手元にシレジア王家に伝わる風の神魔法フォルセティがあるのであれば、あるいは互角に戦うことも出来るかもしれない。しかし、今自分ではせいぜい最上級魔法までしか使えない。それで、ミストルティンに対抗できるのか。考えてみれば自分がここで戦う理由はないのだが、レヴィンはここは引くべきではない、と感じていた。それに、この後ろは非戦闘員がいる場所でもある。もちろん、間に傭兵達がまだいるが、彼らにエルトシャンを止められるとは思えなかった。ならば、ここで派手に暴れてシグルド達が来る、その時間稼ぎをするべきだ。 「邪魔をしている、という認識はないけどな。だが、ここは通せない」 「レヴィン様、無茶です!!」 フュリーが慌ててレヴィンを下がらせようとするが、レヴィンはそれを押しのけた。 「どいていろ、フュリー」 その声には、フュリーが今まで感じたことのない、強い意志が宿っていた。だから、フュリーは圧倒されてしまった。 「エルトシャン……すまないが呼び捨てにさせてもらう。それだけの力がありながら、何故シャガールなどと言う愚かな王に盲従する?あの王がこのアグストリアのために何をした?あの王が、アグストリアにとって有益であるか、害毒であるかは貴公なら分かるはずだ!!何故それに目を瞑る!!」 フュリーは驚いたようにレヴィンを見ている。いや、それは部下の騎士も同じだった。これほど強く他人にものを言う王子を、彼らは初めて見たのだ。 「……耳が痛いな。確かに、シャガール陛下がアグストリアにとって、何の益にならぬことは承知。だが、それでもあの方はアグストリアの王だ。そして、黒騎士ヘズルの直系でもある。俺は、ノディオンの王。ヘズルに、アグストリアに忠誠を誓い、その報酬として魔剣を与えられた、騎士に過ぎない」 「それが、アグストリアにとって、なんの益にならぬと承知でもか!!」 レヴィンは本気で怒っていた。一体何をやっている。正しいと思うことを実行できなくて、間違っていると分かっていてなお、そんな血統の呪縛に縛られるというのか。 「俺が騎士でなければあるいは別の道も取れるだろう。だが、俺はノディオンの王である前にアグストリアの騎士だ」 エルトシャンは静かに手綱を握る手に、力を込めた。 「自由なる風の王よ。我が道は誤りだ。我は、聖戦士の義務を果たせぬ、愚か者に過ぎない」 この男は、自分が誰かに止められることを願っている。レヴィンは直感で悟った。騎士という鎖に縛られ、アグストリアに害をなしてしまう自分自身を、止めてくれることを。だから、クロスナイツをシグルドに向けたのだ。 「……風よ。我が声、我が想いに応えよ。天空より降りて天へ還る竜となりて、全てをその牙の元に調伏せよ!!」 風が、止んだ。ほんの一瞬。そして直後に強烈な耳鳴りと共に、巨大な竜巻がレヴィンの前に出現した。砂塵を、はるか天空まで巻き上げている。風の最上級魔法トルネード。風の刃を束ねた死の竜巻を巻き起こす呪文である。 「これで貴公を止められるとは思えないが……今の俺ではこれが精一杯なんだ」 すでに、クロスナイツのほかの騎士達は、レヴィンの巻き起こした風に圧倒されている。その中、エルトシャンだけが立っていた。 竜巻が移動し、意志あるもののようにエルトシャンに襲い掛かる。しかし、竜巻はそこで消滅した。 「さすがは魔剣ミストルティン。魔を喰らう、というのは伊達ではないか」 分かっていたことだ。今の自分の力では、ミストルティンには対抗できない。神器に対するには神器しかない。ここにいる誰でも、エルトシャンには勝てないだろう。それでもなお、エルトシャンを止められるとしたら、妹であるラケシスが、同じ時を共有していたシグルド・キュアンだけだ。フュリー達は、もはやエルトシャンに圧倒されて、まったく動けずにいる。 「シレジアの王よ。願わくば、我が愚挙を最後まで見届けてくれ。そして、二度とこのような愚か者が出ぬように頼みたい。騎士ではない、貴公に」 レヴィンは驚いて顔を上げた。その時、エルトシャンとクロスナイツはすでに剣を収めている。 「シグルドはどこにいる?」 これは邪魔してはいけないものだ。レヴィンはそう感じた。だから、シグルドがいるであろう場所を素直に教えることにした。どうせ、そこにはラケシスもいたはずだ。 エルトシャンとクロスナイツは、あっという間に駆け去っていった。フュリー達が呪縛から解放されたのは、それからしばらくしてからのことである。 |
あとの顛末を、レヴィンは人づてに聞いたに過ぎない。結局、ラケシス王女の説得で、エルトシャンは軍を返した。そこで、どのような心境の変化があったのか、それは分からない。だがいずれにせよ、親友同士が殺し合う最悪の事態だけは避けられた、というわけだ。だが、レヴィンにはそれで終わったとは思えなかった。 シャガール王は確実に狂気に囚われている。いや、自分で陥ったのか。いずれにせよ、おそらくまともな説得など応じるはずもない。エルトシャンとて、それは分かっていたはずだ。誰よりも。そして、それを承知で軍を返した。だとすれば……おそらく死を覚悟している。多分、抵抗もしないだろう。最後の最後まで、エルトシャン王は騎士であろうとするというわけだ。 自分をもっとも愚かな王として、歴史に刻み込むつもりなのだろう。 「獅子王、とまで呼ばれた男のやることじゃないな」 誰に言うでもなく、レヴィンは一人ごちた。だが、あの生き様は人々に鮮烈に刻まれた。エルトシャンは、もっとも騎士らしい騎士だった。そして、もっとも王らしくなかった、ということか。王位にある者の行動としては失格だろう。多くの、王を失った民は、これからどうすればいいのか。そこまで考えて、レヴィンは自国を思った。 王位継承を嫌って出てきた自分。血統による支配が正しいとは、今でも思えない。自分に王の資格があるのか、などとは考えるだけ無駄だ、と思っている。事実、一度は民を見捨てた王子だ。だが、エルトシャンに比べて自分はなにもしていない。エルトシャンは騎士としての生き様は貫いた。王としては落第だったかもしれないが、騎士としてはまさしく大陸でもっとも優れた騎士だったのではないだろうか。 自分は騎士ではない。そして、王となることも拒否した。では何か、と問われたら吟遊詩人である、と答えるのか。それは違うと思う。エルトシャンは騎士に逃げたのではない。騎士であることを選んだのだ。自分は、王であることを逃げるために吟遊詩人になった。逃げたのだ。同じ神器の継承者であっても、レヴィンには、今の自分とエルトシャンを同列に置くことは、到底出来なかった。 「どうなさったんですか?レヴィン様」 いつのまにか、フュリー達のペガサスのあるところまで来ていたらしい。シルヴィアは、まだ後方で待機である。本来なら、アグスティの街に置いてくるはずだったのだが、シルヴィアがどうしてもついて行く、というので後方支援に回ってもらっている。今は行方不明のディアドラの計らいだ。「好きな人についていきたい、という気持ちは分かりますから」と言っていたが、まさか自分自身がシグルドと別れてしまうとは思わなかっただろう。 このディアドラ失踪については、シャナンが攫われるところを目撃しているらしい。話の通りなら、暗黒教団の関係者だ。確か、シグルドが最初に侵攻したヴェルダン王国にも暗黒司祭の影があったらしい。噂だが、シャガール王の周辺にも怪しげな司祭がいたという。やはり何かがおかしい。ここ1,2年の歴史の加速が、レヴィンには不自然としか思えなかったのだ。 「いや。なんでもない。考え事をしていただけだ」 考えても情報が少なすぎる。それに、全部を悪い方に考える必要はない。今は運が悪いだけかもしれないのだ。 「レヴィン様?」 フュリーは不思議そうにレヴィンを見ている。同じようなグリーンの髪でも、フュリーとシルヴィアではやはり全然違う気がした。それが、シルヴィアが純粋なシレジア人でないからなのかどうなのかは、レヴィンには分からない。 「いや、考えてもどうしようもないな、と思ってな。それより、いつでも出撃できるようにはしておけよ。多分……」 レヴィンの言葉が終わる前に、敵襲を知らせる伝令士が走ってきた。 |
事態は、さらに昏迷の度を深めていくように、レヴィンには感じられた。 |