夜営の大きなかがり火の周りを、少女が一人、まるで滑るように踊っていた。兵士達は、それを思い思いの場所に座って眺めている。流れているか細い笛の音は、時として激しく、また時として優しい調べを奏でる。疲れきった兵士達には、この踊りは不思議なほどの心のゆとりと、活力を与えてくれる。 圧倒的な勢いでトーヴェの魔法師団を打ち破ったシグルド軍だが、その消耗は決して少なくはなかった。戦死者も少なからずでているし、傷を負わなかったものは、ほとんどいない。幸いにも、エッダの教主であるクロード神父が来てくれているので、傷を負ったものの手当ては、大体終了しているが、クロード一人では当然治癒しきれるものではなく、他の治癒魔法を使える者たちも、大忙しだった。傷が治ったところで、何故かついてきていた踊り子のシルヴィアが披露してくれた踊りは、あるいは最高の回復魔法だったかもしれない。元々は村の人に請われて始めたのだが、気がついたらシグルド軍の者たちも集まってきていたのだ。 踊りが終わると、シルヴィアは疲れたのか、早々に退散した。実際、寒空の中で踊りを踊っていたのだから、疲労以上に寒さが堪えたのかもしれない。笛を吹いていたレヴィンは、ちょっと話そうと思ってシルヴィアを探していたが、シルヴィアはクロード神父と何かを話していて、なんか会話に入っていけないような気がしたため、その場を離れて、別のたき火のある場所に座る。途端、疲労が体にのしかかってきたような気がした。無理もない。 魔法師団との戦闘が終了したのは、陽が落ちる寸前だった。その後、レヴィンはそのまま負傷した兵士の治癒にあたっていたのだ。あまり得意ではないが、治癒魔法を使うこともできる。クロード神父に言わせれば、レヴィンは十分すぎるほど治癒魔法の才能もある、ということだが、あまり実感はない。もともと、子供の頃から魔法全般は得意だったから、それほど認識はないし、大体あれほどの治癒魔法の使い手に言われても実感が湧かない。ただ、それでも確かに治癒魔法を覚えたばかりのフュリーよりは、レヴィンの方が慣れていた。 そのフュリーも、もちろん戦闘が終わってから治癒魔法を使い続けていた。彼女は、ほとんど傷を負わなかったのだ。もともと、天馬騎士は魔法には強い。ペガサスがもつという強力な対魔法障壁の力である。だが、それでも無傷とはいかないし、また、肉体的な疲労がないはずはない。 治癒魔法は、基本的に魔力を宿した杖を使用する。ここから魔力を引き出し、傷を治すのだ。だが、術者も全く疲れないわけではない。実際、慣れていない回復魔法は、かなり精神的に疲れる。クロード神父などは、複数の人々を同時に治癒したりもできるのだが、一体どうやったらできるのか、ぜひ教えてもらいたい。 ふと顔を上げたら、フュリーが目の前をフラフラと歩いていた。足元もおぼつかず、見ている目の前で石に躓く。 「おい、フュリー!!」 倒れる直前のフュリーを、かろうじてレヴィンが受け止めた。 「あ、すみません。ちょっとよそ見を……」 そこまで言ったところで、フュリーはレヴィンに受け止められたことを知った。慌てて立ち上がろうとして、逆にバランスを崩す。結局、レヴィンがもう一度支えることになってしまった。 「あ、あの。すみません、レヴィン様。その、あの」 混乱するフュリーを、レヴィンはそのまま抱きかかえた。身長のわりに、意外なほど軽い。もともと、天馬騎士は、その特性上体重が重くては勤まらないのだから、当然なのかもしれない。 「あの、レヴィン様。ちょっと、下ろして……」 言いかけたところで、レヴィンはフュリーをたき火の傍のシートに横たえた。自分は、もといた岩に座る。 「いいから、しばらく横になっていろ。お前、自分では見えないから分からないだろうが、顔色がひどいぞ。ディートバと戦う前にお前が疲れきっていてどうする。次こそ、お前達ががんばらなきゃいけないんだ。ちゃんと休んでおけ」 そう言いながら、レヴィンは竪琴を取り出した。携帯に便利な、小型のものもだが、弦を弾くと澄んだ綺麗な音が鳴る。レヴィンが、シレジアを出奔する前から愛用していた品の一つだ。 その弦をレヴィンが静かに弾いた。弦はかすかに振動し、神秘的な音を立てる。それはやがて曲となり、静かにシレジアの夜に響いた。ふと気がつくと、レヴィンが歌っていた。いつ間に歌い始めたかも分からないほど、自然に心に入ってくる感じのする歌。それは、とても心地よい感覚だった。 |
歌は祈りを 祈りは想いを 流れゆく想いは永遠を紡ぐ 紡がれた糸の かすかな揺らぎは 人々の希望の調べ 滞まらぬ時の中 一片(ひとひら)の歌を 風の中に舞わせよう 今は眠れ ただ時の中に 糸が紡がれる その時まで 今は眠れ ただ永遠を信じて |
シレジアに古くから伝わる子守唄である。もともとは子守唄ではなかったらしいが、いつのまにか子守唄として親しまれている歌だ。フュリーも、幼い頃はよく母に聞かされて眠りに就いたことがある。レヴィンがこれを歌うのを聞くのは、もちろん始めてだったが、レヴィンの歌を一人占めしている、というのがなんか嬉しかった。 「無闇に動き続けたって仕方ないだろう。明日に備えて休むのが、今のお前の仕事だ。いいから、休んでいろ」 「はい」 レヴィンの言葉に、フュリーは素直に頷いた。レヴィンが放ってくれた毛布に、そのまま包まる。途端、眠気が襲ってきた。 「いいぞ、寝て。火は俺がつけておく。俺もすぐ寝るしな」 そう言いながら、薪を火にくべる。フュリーは、王子が起きているのに、と思って起きていようと思っていたのだが、疲労から来る睡魔に抗うことなどできるわけもなく、眠りに落ちていた。 規則正しい寝息を立てているフュリーを見て、彼女が寝たことを確認すると、レヴィンはもう一度薪を火にくべた。パチッという枯れ木の爆ぜる音が、静かな夜に響く。ほとんどの兵士は、すでに休みについている。 「頑張り過ぎだよ、お前は……」 わずかに寝返りをうったフュリーの肩が、毛布から出てしまっている。レヴィンは立ちあがるとフュリーの毛布をかけなおし、再びもとの岩に座った。 偵察の報告に拠れば、ディートバの部隊は、ここか半日程度の距離にいるらしい。その気になれば、攻撃してこれる距離だが、あえてディートバはそこで軍を止めて、決戦を翌日にした。実際、疲れ切った状態の今のシグルド軍が、ディートバの天馬騎士団に襲われたら、おそらく負けるだろう。それをあえてしないのは、慎重を期すからか。あるいは…… 「あいつの、意地かな」 レヴィンの記憶する限り、ディートバは騎士として、マーニャと同じか、それ以上に誇り高い。パメラも同じだ。あの家柄は、マーニャやフュリーと違って、昔からのシレジアの貴族だから、そういう忠誠心とか誇りは、子供の頃から自然に培われているのかもしれない。だが、それでも彼女らはシレジアを裏切った。いや、マクヴァルの言葉通りだとするならば、裏切っているつもりはないのかも知れない。しかし、現実として彼女もシレジアに、母ラーナに逆らっているのだ。 「考えても分かりはしない、か。それでも聞いてみれば分かるから、まだマシか……」 空を見上げると、月の逆側の空は、文字通り満天の星空だった。星の一つ一つが、己の存在を主張するかのように瞬いている。昔、どこだったかの詩人が『人は、己の星を持っている』と言ったことがあると聞いたことがあるが、だとすれば、自分の星も、あの中にあるのだろうか。ならば、知りたいものである。なぜ、自分がフォルセティを継承すべき生を受けたのか。何故このような人の身には過ぎた力が与えられたのか。 だが、星々の悠久の瞬きは、その問いには答えてはくれなかった。 |
翌朝、フュリーの目が覚めたときすでに回りはあわただしく動いていた。慌てて、フュリーも跳ね起きる。 「起きたのか。もう少しくらいなら、休んでいてもいいんだぞ」 寝ぼけた頭を、一瞬で明瞭にしてくれたのは、レヴィンの声だった。振り返ると、昨日座っていた岩の上に、同じような格好でレヴィンが座っている。たき火はもう消えていた。 「あ、あの……まさか一晩中……?」 自分が眠ってしまったことも恥ずかしかったし、それをずっと見られていたんだろうか、と思うのも恥ずかしかった。 「いや、俺もすぐに寝たよ」 半分は嘘である。かなり長い時間起きていた。だが、さすがに翌日のことを考えて、レヴィンも眠ったのである。もっとも、仮眠程度ではあるが。 ディートバの部隊が動き出した、というか正確には出撃の準備を開始したのは日が昇る直前くらいだと言う。もっとも、伝令が届いたのはついさっきだ。すでに日はかなり高い。シグルド軍は、より戦いやすい場所へ移動を開始するところだった。 まともに考えるなら、天馬騎士と戦うには森の中が最適だ。天馬の機動力を自在に使うことができないおまけに、こちらからは容易に弓で狙い射てる。しかし、現在は冬になろうと言う季節である。足元は凍り、また木の根などは雪に隠れて見えなくなっている。騎馬を森の中で動かすには、非常に不都合な季節だ。トーヴェ軍がこの季節になるまで軍を動かさなかったのは、このためではないか、とすら思えてきた。加えて、フュリーの率いる天馬騎士の存在がある。深い森の中で戦っては、フュリー達が孤立する。それでは、事実上戦力分断の愚を犯すことになるのだ。 そのため、シグルド軍はセオリーとは逆の、広い平原を戦場と定めた。見通しが利くのはお互い様である。だがここならば、騎馬の機動力は最大限に活かせる。地上での機動力は、決してペガサスに劣るものではない。空中からの突撃にさえ気をつれば、なんとか戦えるだろう。 移動が完了したとき、太陽はすでにもっとも高い場所を過ぎていて、気温は少しずつ下がり始めていた。 「来たな」 騎兵の先頭に立っているシグルドは、北東の空を睨んだ。空にインクを落としたように見えた点は、一つ増え二つ増え、やがて空の一角を埋め尽くす。150騎の天馬騎士が空を綺麗な隊列を組んで飛ぶ姿は、ある種の美しさを感じさせた。しかしそれは、死をもたらすものの美しさだ。 シグルドのかざした銀の剣が振り下ろされたとき、まずミデェールの弓騎士部隊が天馬騎士団に弓を放った。天馬騎士団は、まるでそれ全体が生き物のように二つに分かれ、矢を回避する。それが、戦闘の始まりだった。 戦闘は最初、ディートバの天馬騎士団のペースであった。常に空からの一撃離脱を繰り返す相手に対しては、どうしても受動的な攻撃しかできない。ディートバは、天馬騎士の長所を最大限に活かして攻撃を繰り返した。その流れが変わったのは、同じ天馬騎士であるフュリーの率いる部隊が戦い方を変えたことだった。 最初、フュリーは地上部隊のカバーに回るような戦い方をしていた。急降下する天馬騎士を、途中で阻害し、その勢いを落とす。そこを地上からの攻撃で対応してもらっていた。だが、フュリーの天馬騎士は50騎、ディートバは150騎である。カバーし切れるものではない。それに、ディートバの部隊もまた、フュリーの戦術を読んでいて、数の有利を活かし、防御の薄いところから突破して、一撃離脱を繰り返していた。 しかしフュリーは、地上への攻撃を防げないのならば、と地上から一気に跳ね上がる騎士を攻撃の対象とした。高空から、落下速度も利用した強烈な槍による突撃は、そのあと一気に高空へと戻る。一度加速したら、なかなか方向は変えられない。かといって、地上に止まろうものなら、簡単にやられてしまうだろう。フュリーは、それを狙ったのだ。すなわち、加速して再び空中へ上がろうという騎士に攻撃をした。攻撃のみに専念して、地上への突撃をやった直後、どうやっても精神的な油断がある。そこに攻撃をされてはたまったものでない。慌てて急制動をかけて止まろうとした天馬騎士は、バランスを崩して失速、地に降りてしまう。そうなってしまえば、天馬騎士といえども、普通の騎士になる。あとは個人の力量の差だ。さすがに、女性である天馬騎士の力は、強くはない。 「やるようになったね、あの子も」 ディートバは悔しさ以外の感情も感じられる言い方で、だがそれでも冷静さを失わずに言った。確かに、やられてはいるが決して押されているわけではない。だが、このままではいずれ勢力が逆転する可能性もある。 「ここは任せた。私は、主将を討つ」 ディートバはそういうと自分の愛馬を御して、空を蹴るように跳ねあがった。その時、その前に一騎の天馬騎士が立ち塞がる。誰かは、確認するまでもなかった。 「フュリーか。良く腕を上げた、と誉めてはあげる。集団戦闘における指揮ぶりは、さすがマーニャの妹、というところかしら。けど、私と戦うのはまだ早いんじゃない?」 ディートバはそういうとその手に持つ槍の切っ先をフュリーに向ける。真銀で作られた、天馬騎士専用の槍である。普通の真銀の槍より格段に軽く作られており、女性である天馬騎士でも、片手で扱うことができる。飛竜と違って、安定性の低いペガサスでは、両手で槍を操ることができるものは、めったにいないのだ。 「分かっています。でも、あなたを倒さないとこの戦いは終わらない」 フュリーもまた、同じ槍を構える。ただし、彼女は両手で持っている。フュリーはその、数少ないペガサスの上で両手で槍を操れる才能の持ち主である。これは、よほどペガサスとの相性が良くなければならないのだが、フュリーのペガサスは、彼女が幼少の頃から一緒に育ってきているペガサスで、まれにみるほど息が合っている。 「ディートバ様。何故、あなたとパメラ様は、シレジア王家に対して、翻意を示されたのです。あなたは……」 フュリーの言葉を遮ったのは、ディートバが槍を振ったときの風を切る音だった。 「四天馬騎士になって、口だけ達者になったの?そうではないというならば、その槍で証明して見せなさい!!」 言葉の最後に、ペガサスの羽音が重なった。同時に、光の尾を引くような鋭い槍の一撃が繰り出される。フュリーはそれをなんとか受け流す。一撃の重さは、それほどではない。だが、当然だが、あたればただではすまない。そもそも、天馬騎士の鎧は、非常に軽く作られていて、まともに槍を直撃したら貫かれてしまう程度のものなのだ。 槍術では、ディートバがフュリーを圧倒している。じわじわとフュリーはディートバに追い詰められ、小さな傷をつけられるようになっていた。一撃の重さはフュリーの方があるのだが、いかんせん受けに回っているのではどうしようもない。それでもなお、フュリーはなんとか勝機を見出そうとするが、圧倒的なディートバの攻撃の前に、それすらもできなかった。 「もういいだろう。あきらめな」 ディートバは一度離れて、攻撃の手を休めた。槍が重い。フュリーは、もう自分がそんなに戦う力が残っていないことは、良く分かっていた。このまま戦いつづけていても、勝ち目はまずない。 「いいえ。まだ、あきらめません。レヴィン様が作られる新しいシレジアを見るときまで、私は絶対に……」 「あの王子が、シレジアを継ぐ気になったのか?」 ディートバは半分以上、本気で驚いていた。表情に、良く分からない不思議な感情が宿っている。 「いまは、まだ。でも必ず、レヴィン様はシレジアを導いてくださる。私は、そう信じています。シレジアを導くのは、マイオス様でも、ダッカ―様でもない。レヴィン様だと」 フュリーの言葉に、迷いはなかった。レヴィン王子に対する信頼、というものが良く感じられる。絶対の信頼に裏打ちされた強固な意志。そのまっすぐな瞳を、ディートバは見つめ返すことができなかった。 「いずれにしても……」 ディートバは再び手綱を握る。槍を持ちなおし、少しずつフュリーとの相対距離を詰めていく。 「もう、戻れないところまで来ているのよ。私も、マイオス様も」 来る。フュリーは、ディートバが自分にとどめを刺す、最後の一撃を繰り出そうとしているのがわかった。フュリー自身、もうあと1,2回槍を振るうのが限界だ。だとすれば、一瞬にかけるしかない。 「フュリー、これで……終わりよ!!」 予想通り、ディートバは一気にペガサスを加速させると、槍を構えて突っ込んでくる。風の上を滑るように、翼をほとんど羽ばたかせずに。フュリーもまた、ディートバにつっこんだ。しかし、加速が弱い。 勝てる、とディートバが思ったとき、ふとフュリーの構えが奇妙だと感じた。フュリーにしては珍しく、片腕で槍を構えてるのだ。、槍の端の方を持って、できるだけ穂先を前に突き出している。それでは、安定性が失われるし、穂先に伝わる力も落ちる。先手を取りたいのだろうが、それでは意味がない。 「もらった!!」 高速で二騎の天馬騎士が交錯する。ディートバはフュリーの槍をすんでのところでかわし、そのままフュリー自身を串刺しにしようとする。フュリーはかろうじてそれをかわすが、槍が右腕をかすめ、その痛みで槍が手から離れた。この突撃では命は奪えなかったが、槍を失った天馬騎士など、容易に倒せる。ディートバが勝利を確信した瞬間、ディートバの腹部に激痛が走った。 「な……?!」 そのままの速さで、お互いがお互いの横を通過する。フュリーの右腕は、その上腕部が大きく斬り裂かれてだらん、と力なく垂れ下がっていた。まるで時間の流れが遅くなったかのような動きで、フュリーの槍が地面まで落ちていく。それに、赤いフュリーの血が続いた。だが、ディートバの傷は致命傷だった。 「まさか……そんな手で来るとはね」 ディートバは己の敗北を悟った。フュリーの左手には、長剣が握られている。お互いがすれ違う刹那、フュリーは左手で剣をもち、それを水平に構えたのである。加速のついた状態で、フュリーの剣はディートバのペガサスの首を半ばまで斬り裂き、そのままディートバの腹部も斬り裂いたのだ。その衝撃で、フュリーの剣も失われていたが、ディートバ自身はすでに戦えない。一瞬のうちに絶命したディートバのペガサスは、方向を変えることもできないまま、地面へと向かって落下していく。 「ディートバ様!!」 フュリーはペガサスの方向を変え、ディートバを追った。だが、追いつくはずもない。ディートバのペガサスは、戦場から外れた森の中に落下した。フュリーは急いでその後を追う。フュリーがディートバを見つけたとき、彼女が助からないのは明らかであった。 「ディートバ様、あの、私……」 自分もひどい怪我をしているのだが、そのことすらフュリーは忘れていた。無我夢中で繰り出した一撃が、これほどの結果を生むことを、まるで予想していなかったのだ。殺すつもりなどなかったのに。 「ち……あの泣き虫にやられるとはねえ……」 「ディートバ様、いま、治癒魔法を……」 フュリーはディートバが話すのをみて、慌てて回復の魔杖をペガサスに取りに行こうとする。だが、立ちあがろうとしたフュリーの右腕をディートバがつかんだ。激痛が走って、フュリーはうずくまる。 「いら……ないよ。これ以上恥をかかせない……で」 フュリーにも分かっている。もう、回復魔法などでは助からないことなど。あるいは、クロード神父が持つ聖杖バルキリーなら助かるかもしれない。あの神父は、いまは戦場のどこかにいるはずだ。しかし、ディートバは手を離さなかった。 「もう……いい。と………りが……とう」 すでに声にならない。ただ、かすかに動いた口から、フュリーが聞き取れた最後の言葉は、確かに「ありがとう」だった。その意味はフュリーには分からない。ややあって、とす、という音と共にディートバの腕から力が抜け、地面に落ちた。 四天馬騎士の一人、ディートバは戦死した。 |
ディートバの戦死により、全体の統率を失った天馬騎士団であったが、フュリーもまた、直後に気を失い、戦線を脱落していたため、急には戦局に変化は出なかった。だが、ディートバの戦死が確認されると、その士気は大幅に落ち、次々にシグルド軍の手によって落ちていった。だが、それでもなお、彼女らは戦意を失わなかった。まさに死兵となって、最期まで戦うつもりなのである。 「いいかげんに……しろ」 レヴィンのその言葉を聞いたのは、すぐそばにいたクロード神父だった。今回、相手が相手だけに、レヴィンは後方で、補給物資の守備を任されていたのだ。 「もう、もうたくさんだ!!」 レヴィンは近くにあった馬に飛び乗ると、そのままクロード神父の制止する声も聞かずに、戦場へと駆けていった。その動きを見つけたトーヴェ軍の天馬騎士の一人が、レヴィンに襲いかかる。 だが、とたんその騎士は動けなくなった。相手が、レヴィン王子であるというのに気がついたというのもある。だが、それ以上に、彼女を凍りつかせたのは恐怖だった。圧倒的な存在感。そして、圧倒的なまでの力の存在。魔法を使えない彼女にすら、それが感じられたのである。やがてその感覚は、戦場にいる全ての者が感じ始めていた。 「これは……レヴィン?」 シグルドもまた、それを感じていた。怒り、悲しみ、そして苛立ち。そういった感情が入り混じった存在。 ふと空を見ると、風がまったくなくなっていた。全てが凍りついたかのような沈黙。戦場の、その全てが静止している。 「もう止めろ!!おまえ達が互いに争うことを、俺は認めない!!」 響き渡ったのは、確かにレヴィンの声だった。沈黙の中に、残響する声。 ふと気がつくと、天馬騎士はその全てが地上に降りていた。戦闘は、終了した。 |
「フュリー、大丈夫か。いくら傷をふさいだからって、まだ無理はしない方がいい。なんなら、クロード神父にもう一度治癒魔法かけてもらったほうが良いぞ。俺のじゃ、どうも効き目が信頼できないからな」 フュリーは静かに首を振った。包帯の巻かれた右腕を、ゆっくりとさする。 「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」 もう痛みがない、といえば嘘になるが、だがそれでもフュリーはレヴィンが心配してくれることが、何よりも嬉しかった。 戦闘が終了したあと、ディートバ配下の天馬騎士は、レヴィン王子への従属を誓い、そのままフュリーの下に組み込まれた。生き残った天馬騎士は元ディートバの部下が120騎、フュリーの部下が40騎。一時的だが、フュリーは本来四天馬騎士が指揮すべき騎士より多い部下を抱えることになった。もっとも、負傷しているものが多く、実際に戦えるのはその半分程度であるが、それでも戦力の増強は大きい。 戦死した天馬騎士、および騎士は、ディートバを含めてこの地に丁重に葬られた。式はクロード神父が取り仕切った。 「そうか。ディートバが最期にそう言ったのか」 式の最中、フュリーからディートバの最期を聞いたレヴィンは、ポツリとそれだけつぶやいた。フュリーは不思議そうに首をかしげている。彼女には、ディートバが最期にそう言った理由は、さっぱり分からなかったのだ。 そのフュリーの様子に気付かなかったのか、それとも気付かなかったふりをしただけなのか、レヴィンはそれ以上何も言わなかった。ただじっと、葬られていく騎士達を見つめている。最後に、ディートバが埋められるときになると、フュリーは涙が溢れてきた。命をかけた殺し合いをした相手であっても、それより以前の記憶が、次々とよみがえってきたのだ。 厳しく、無愛想に振舞いながらも、騎士団に入ったばかりの自分をちゃんと指導してくれた。四天馬騎士になるために、フュリーが特訓していたのを知って、暇だから、と付き合ってもくれた。実際には、暇なはずはなかったのに。私生活では、ほとんど触れ合うことはなかったけれども、もっとディートバと知り合いたかったと思う。けれど、それは永久に叶わなくなった。 「フュリー」 いきなりレヴィンに呼びかけられ、フュリーは慌てて涙をぬぐった。もう泣いているのは見られているのだけど、それでも涙で濡れた顔を見られたくない、と思ったのだ。 「おまえは、死ぬな。おまえにまでなんかあったら……」 フュリーは驚いてレヴィンの方に振り返る。レヴィンも、まっすぐにこっちを見ていたため、まともに正面から目が合った。 「あ、あの……」 「これ以上、俺は俺の知る誰かに死んでもらいたくはない。正直、お前がディートバと一緒に倒れているのを見たときには、背筋が凍りついた。もう、二度と無茶をするな」 自分を心配してくれているのが、良く分かる。きっと、レヴィン様は、あるいは王としての自覚が出てきているのかもしれない、とフュリーは考えた。だから、国民であり、部下である自分のことも気にかけてくれる。きっと、レヴィン様が王位を継げば、この戦いは終わるだろう。そうすれば、また平和なときが来る。同じ戦場に、一緒に立っていられることは嬉しいし、すぐそばにいられるから話せるけれども、やっぱり平和な方がいい。なにより、命を落とすことを恐れなくてすむのだから。 「無茶をするな、は約束できません……。けれども、私は必ず、レヴィン様が王位を継がれるときも、マーニャ姉様と一緒に、そばにいます。それは、お約束します」 レヴィンは、それを聞くと、やや複雑そうな顔をした後、視線を元に戻した。白い大地には、数十の墓標が並んでいた。 |