し る べ    
風の道標・第十四話




 トーヴェ城周辺には、一つだけユグドラルでも有名な名所がある。トーヴェ河にかかる跳ね橋である。シレジアの建国よりも前に造られていて、誰が造ったのかもよく分かってはいない。トーヴェ河は、海に注ぐ直前まで川幅がかなり狭い。だがその分、河の勢いは急で、橋をかけることが困難であった。空を飛ぶことのできる天馬騎士ならばともかく、普通の騎兵ではその跳ね橋なしには、河を渡ることはできないのだ。そしていま、シグルド軍はその川の前で立ち往生していた。跳ね橋が、跳ねあがっているのである。
「管理しているのは叔父だからな。鍵がなくては、どうしようもない」
 レヴィンが、いまいましげに言った。鍵の構造は、それほど複雑なものではない。だが、それでも万に一つ壊してしまっては元も子もない。手先が器用、という点ではシグルド軍になぜかついてきている――ジャムカに助けられた借りを返すんだといっているが――デューという元盗賊がいるが、いまはセイレーン城にいる。いまから呼んでも、相当時間がかかってしまうだろう。だが、かといってここでいつまでも進軍を止めていては、どうしようもない。仕方なく、シグルドは天馬騎士の誰かに伝言を頼もうかと思ったとき、レヴィンのほうから思いもしない提案がもたらされた。天馬騎士と、レヴィンだけで行く、というのである。
 確かに、天馬騎士には河など関係ない。レヴィン一人くらいならば、連れて行くこともできる。だがそれで、300は残っているはずのマイオスの兵をどうするというのか。
「300程度の歩兵、天馬騎士の敵じゃないさ」
 レヴィンはあっさりと言いきる。確かに、シグルドも天馬騎士の力、というものはこのシレジアで初めて知った。
 女性ばかりの騎士団である、と聞いていたとき、正直その力は、やはり男性騎士を中心とした騎士団より劣ると思っていたのである。だが、実際には、個々の騎士の力も、騎士団としての戦闘力もなんら他の騎士団に引けは取らなかった。だが、だとしても今現在、フュリーの配下にある天馬騎士は160騎。しかし、まともに戦闘できるのは、せいぜい100騎である。3倍もの兵を相手にするのはあまりに危険である。まして、相手にも弓兵はいるはずなのだ。
「大丈夫だ。それに、これはシレジアの問題だ。マイオス叔父との決着は、俺がつける」
 そう言ったレヴィンには、今までなかった何かがあるように、シグルドは感じた。だから、無茶はしない、という条件付で、彼らだけでトーヴェへ進軍することを認めたのである。

「本当によろしいのですか、レヴィン様」
 レヴィンとフュリーは、トーヴェ城が見える丘の上にいた。他の天馬騎士は、ずっと後方に待機してもらっている。トーヴェでは、すでに天馬騎士団が河を越えてきた情報は伝わっているのだろう。弓を構えた兵士が、数多く見える。
「どっちにしても、あの中に天馬騎士を突っ込ませるわけもいかないだろう。ならば、この方が良い。それに、叔父とは話たいことがある。あの城の抜け道も、よく知っているしな」
「でも、もしものことがあったら……」
 レヴィンは単独でトーヴェ城に潜入、叔父と決着をつける、というのだ。フュリーとしては、心配するな、という方が無理である。だがレヴィンは、いつものいたずらっぽい笑みを浮かべると、フュリーの頭をなでた。
「無理はしない。安心しろ」
 レヴィンはそう言うと、気楽に鼻歌を歌いながら、トーヴェへと歩き出した。

 トーヴェ城は、もともと周辺の村や街を盗賊から守るために軍が駐留するための城であり、外部から攻められることはあまり考慮された造りになっていない。そのため、外部から進入するのは非常に簡単なのだ。ただ、いまトーヴェには300の歩兵が配置されている。それをかいくぐるのは非常に面倒であるが、それでもレヴィンにはたいして難しいことではなかった。
 もともと、天馬騎士が空中から来る、と思っているのだから、地上に対する監視は緩い。加えて、一度中に入ってしまえばまず見つからない。レヴィンはあっさりと叔父がいるであろうトーヴェの執政室の前まで来た。ただ、さすがにこの前には見張りがいる。風の魔法で倒すのは容易だが、できればもうこれ以上シレジア人同士で争いたくはない。しばらく考えた後、レヴィンはそのまま出ていった。立っていた兵士達は、一瞬同僚の誰かが報告に来たのか、と思ったが服装が違いすぎる。レヴィンの格好は、かつてと同じ、吟遊詩人の格好のままだったのだ。
「だ、誰だ。ここは……」
 レヴィンはその言葉を無視して、そのまま扉に手をかける。
「まて、きさま、一体……」
 レヴィンはその兵士を睨み付けた。彼は、一瞬で凍りつく。
「どけ。俺は叔父に用がある。それを、邪魔するのであれば、容赦しない」
「レ、レヴィン……王子?!」
 兵士は、驚いて数歩後ずさった。まさか、王子がただ一人で乗り込んで来るなど、まったく考えてもいなかったのだ。本来であれば、意地でも阻止すべきである。レヴィン王子を捕らえれば、すさまじい功績なのだ。まして、相手は素手である。無論、レヴィン王子は戦士ではなく、魔術師であるから、素手であるとはいえ油断できない。それでも、魔道書すら持っていないようだ。自分の腰には、剣がある。相手は、王子、聖戦士の力を継承するとはいえ、非力な魔術師のはずだ。だというのに。
 彼は結局、指一本動かせなかった。圧倒的な重圧。絶対的な畏怖に、彼はただレヴィンが扉を開けるのを見送ることしかできなかった。

「お久しぶりです、叔父上。何年ぶりでしょうか」
 レヴィンが入ってきたとき、叔父のマイオスはその執政室にの椅子に座って、ワイングラスを傾けていた。レヴィンが入ってきたのを見ると、少し驚いた顔を見せたが、そのまま、グラスを傾ける。
「レヴィンか、久しぶりだな。お前も、飲むか?」
 レヴィンは静かに首を振る。マイオスは、そうか、と残念そうに言うと、グラスに残ったわずかなワインを飲み干した。侍女が、グラスを下げる。
「叔父上、降伏してくれ。そうかからず、シグルド達もトーヴェ河を渡る。叔父上の軍では、勝ち目はない。だいたい、なんでこんなことをしたんだ。これじゃあ……」
 マイオスはゆっくりとした動作で立ち上がった。ゆったりとした、シレジア王族の礼服についた、小さな鈴がかすかな音を鳴らす。こうして並んでいると、レヴィンとどっちが王族らしいか、見るまでもないな、とレヴィンは思った。
「ならばお前に問う。なぜ、われらが突けこむ隙を与えたのだ。お前がフォルセティを継承してしまえば、それでことは片付いたというのに」
 予想していた問い。レヴィンは一度目を閉じて、それからまた開けた。
「力が、全てを押さえるとは俺は思えない。力の信仰は分からなくはないが、俺はそれが正しいあり様とは思えない。だが、それでも争いを止めるためであれば、俺はフォルセティを継承しよう」
 マイオスは何も言わず、ただレヴィンのその宣言を聞いていた。フォルセティを継承する。それは、シレジアの王位を継承する、ということだ。
「そうか。だとすれば、私はお前を殺す以外に、我が野心の達成の道はない。我らはもう、戻れないのだ」
 マイオスはそういうと、風の魔道書を取り出した。狭い部屋で、風が渦巻いていく。
「なぜだ、叔父上、それではダッカ―叔父の……」
「分かっておるよ、レヴィン。ダッカ―兄は、おぬしら、セイレーンの戦力を私に引きつけて、その間にシレジアを占領するんだろう。だが、利用されていると分かっていても、もはや止まれぬのだよ、私も」
 風が、変化していく。叔父もまた、風使いセティの力を継承する、最高クラスの風使いなのだ。
「どうした。このまま私の風に撃たれて、死ぬつもりか?フォルセティも継承せずに」
 風は、さらに強さを増していく。
「どうしても、戦うのか。叔父上」
 聞くまでもない。マイオスはもう戻れない、といった。そう。すでに、叔父と自分は共にあることは不可能になっているのだ。正統王位継承者と、簒奪者。この両者が並び立つことなど、ありえない。
「風よ。我が声、我が想いに応えよ。天空より降りて天へ還る竜となりて、全てをその牙の元に調伏せよ」
 風の最強魔法、トルネードの呪文。狭い部屋の中で発動された力は、強大な竜巻を形成し、天井をも突き破った。砕かれた瓦礫が、レヴィンにも降り注ぐ。だが、それはレヴィンに当たることなく、不自然な起動を描いて床に落ちた。
「自惚れか?ならば、我が力に撃たれて死ぬがよい、レヴィン!!」
 竜巻が、レヴィンを襲う。レヴィンは、ただその迫ってくる風に手をかざした。そして、ただ一言を発する。
「風よ、我が意のままに」
 竜巻が、突如方向を変えた。遥か天空へと昇っていく。
「マイオス様!!」
 さすがにこれだけの騒ぎになると、兵士達も気付く。だが、扉を開けたところで、その先に進める者はいなかった。魔力のないものですら、まるで、何かの重圧感を感じる。また、そうでなくても、これだけの惨状を引き起こせる存在に、近づけるはずもない。
「見物人が増えてきたな。お前もあまり長居はできまい。次で、幕としよう」
 マイオスは再び風を集め始めた。再び、風が吹き荒れる。レヴィン以外の、部屋の入り口にいる兵士達には、目を開けているのすら辛いほどである。
「叔父上。今ので分からないのか。叔父上の力では、俺には勝てない」
 レヴィンの言葉を無視するように、風は更に強さを増す。岩盤すら切り裂くといわれている死の刃。最強の風の魔法が、再び発動しようとしている。それも、先ほどより遥かに強力な力で。
「レヴィン。お前が王位を継がぬというのであれば、私か、兄上が王位をもらう。お前が王位を、フォルセティを拒否するのであれば、我らが王位を継ぐのに、なんら不都合はなかろう。シレジアの王位は、始祖たるセティ以来、フォルセティの継承者が継いできた。だが、それを継承者自身が放棄するのであれば、シレジアは、風の聖戦士の国ではない……」
 魔法は、発動した。
「なれば、我らの野望を阻止する資格は、お前にはない!!」
 風の刃が、竜となる。猛り狂う竜は、そのままレヴィンへと襲いかかった。
「風の精霊達よ。我が声を聞け。我が名は……」
 魔力が膨れ上がる。レヴィンは、叔父が己の命を懸けてまで、何を教えたいのかを悟った。
「我が名は、フォルセティ!!」
 風が、止んだ。まるで、何事もなかったかのように。ただ、荒れ果て、瓦礫が積み上げられた部屋だけが、そこで何事かがあったことを証明している。
「やはり、勝てぬか」
 マイオスは、力なく言った。兵士達には、一体何が起きたのかすら分からない。マイオスは、静寂の空間の中で、ゆっくりと短剣を取り出した。
「簒奪を謀った反逆者が生きている、というのはあってはならぬことだろう。レヴィン、お前はお前の信じる道を行け。それが、フォルセティの意志であろう」
 レヴィンは、マイオスが何をするのかに気付いた。
「叔父上、よせ!!」
 まるで、時が止まったような空間の中、レヴィンとマイオスだけが動いていた。だが、行動の完了は、マイオスの方がわずかに早い。短剣は、マイオスの胸に突き刺さっていた。
「な、なぜ……」
 助かりはしない。それは、見て分かった。少なくとも、自分の力では無理だ。まして、治癒魔法の杖を持ってきてもいない。深々と胸に突き刺さった短剣は、明らかに心臓に突き刺さっている。多分、短剣を抜くと、血が吹き出してくるだろう。
「あに……うえを頼む……」

 前シレジア王の弟、マイオスは、静かに息を引き取った。その場にいた兵士達は虚脱し、もはや武器を取るものもおらず、幾度か吹き荒れた風の魔法に驚いて駆けつけた天馬騎士に、全て降伏した。トーヴェの反乱は、鎮圧された。

「フュリー」
 レヴィンに声をかけられて、フュリーは一度手を休めて振り向いた。トーヴェの軍をまとめ、一部を残して軍を解体する。一部はそのまま、シグルド軍に編入するのだ。
 トーヴェの跳ね橋が降りたのに合わせて、シグルド軍はトーヴェまで来た。戦いは終わっていたが、そのまま軍を治安維持に向ける。シグルドは、一体何があったのかについては全く触れず、ただ天馬騎士をセイレーンに先に飛ばして、戦いが終了したことだけを伝えるように頼むと、軍の再編成作業に就いた。
「あ、レヴィン様はお休み下さい。お疲れでしょう」
 確かに、疲れていないわけではない。といってもこの間のフュリーほどではない。
「セイレーンに戻ったら、すぐシレジアに行こうと思う。付き合ってもらえないか?」
 フュリーは驚いて振り返った。
「母上にあって、もらうものをもらってくる。それが、これ以上の戦乱を避ける最良の方法だ。ちょっと遅かったけどな」
 なんのことを言っているかは、明らかである。風の神魔法フォルセティの継承。レヴィンが王位を継ぐ、というのは自分との距離がさらにできてしまうことである。だが、この場合はそれでも嬉しかった。レヴィンがフォルセティを継承して、王位につけば、これ以上の争いはきっと起きないだろう。
 もう、一緒に歩くこともほとんど出来なくなるし、話すこともあまり出来なくなるだろう。それはちょっと寂しいような気がしたが、それ以上に、もう同じシレジア人同士で争いたくなかった。
「それでは、すぐにでも王都にも伝達をします。よろしいですね?」
 レヴィンはそれに答えるのを一瞬ためらった。何が躊躇わせたかというと、結局王位を継ぎたくない、と思う自分がいるのだ。だが、それでも、例え王位を継いでこれまでのような生活が送れなくなるとしても、それ以上にもう、国内での争いはたくさんだ。もう、誰も殺したくはないし、殺されるのを見たくもない。マイオス叔父や、ディートバの死が、彼の目には焼き付いていた。
「ああ、頼む。もちろん、マイオス叔父のことも伝えてくれ。こっちは、全部終わったってな」
 フュリーは「はい」とうなずくと、すぐに体力の残っている騎士4騎を選び、それぞれセイレーンとシレジアに飛ばした。
 その一方で、シグルドもまた、セイレーンへの撤収準備を始めていた。トーヴェは元々あまり人口も多くはない。一応、2000人ほどはいるのだが、冬の間は事実上閉ざされるため、まるで死の街である。トーヴェは、シレジアの中でももっとも寒さが厳しいのだ。それを聞いたとたん、シアルフィの騎士アレクは「たとえ絶世の美女がいてもこの街にだけは住みたくない」と後で洩らしていたという。いずれにせよ、たいした混乱もなく、撤収の準備は進められた。その際、いくらか街のために食料を置いていくことにした。形の上では、レヴィン王子からの今回の騒乱に対する謝辞、ということになっている。
「そうか、シレジアへ行くのか。王位を継ぐのか?」
 今度は、レヴィンは即座にうなずいた。
「俺が王位を継がなかったから、こんな争いが起きたんだと思う。遅すぎるかもしれないが、動かないよりは、動いた方が良い。俺は、シレジアの王位を継ぐ」
 迷いはない。王が必要ない、と思ったのが誤りだとは、実は今でも思っていない。究極的には、王などいないのが理想だろう。だが、現実として、民は王を求める。民が、王を求めるのは、自分達の責任を放棄しているからではない。彼らは、彼らの責任の中で、努力し、己の生活を向上させようとしている。その手助けをするのが王なのだ。そのことが分かっていない王がいる国は不幸になる。アグストリアがそれだった。そして、グランベルもいま歪みが生じてきている。
 古い時代の詩人の言葉に「王は自ら王となるのではない。全てにとって王であるとき、王となるのだ」という言葉があることを、いまさらながらに思い出した。王は一人では王ではない。そして、それは叔父にもわかっているはずだ。なのに、彼らは暴発した。彼らの立場ならば、王位を望むことが出来たから。そして、その王位が空席だったから。
 野心という名の魔物は、確かにいる。叔父達は、その魔物に取りつかれたのだろう。分かっていながら、後戻りできないでいたのだ。
「そうか。君ならきっと、良い王になれると思う。私も、出来る限りの助けはするよ」
「それは俺じゃなくて、シグルドの方が必要じゃないか?」
 レヴィンはそれを笑い飛ばした。事実、シグルドはいまもなお、無実の罪で国を追われている身分だ。あるいは、シレジア王となったレヴィンの口添えは、大きな影響力を持つかもしれない。
「その時は、頼むとしよう。さて、私はもう少し準備があるから、これで」
 シグルドはそういうと再びオイフェ達の待つ天幕へと戻る。レヴィンは、南西の方角をみやった。遥かな山々が連なるその向こう側に、王都シレジアがあるはずである。次に自分があの門をくぐったとき、全ては解決している。いや、そうでなくてはならない。

 だが、事態はレヴィンが予想しているよりずっと早く進行していた。
 グラン暦776年初冬。ザクソン城のダッカ―はシレジアへ向けて兵を発した。ザクソン軍は天馬騎士150騎、魔法師団200人、歩兵200人。これに加えて、彼は『地獄のレイミア』と呼ばれる女性が率いる傭兵団を従えていた。対するシレジアは天馬騎士250騎、歩兵300人。
 世に云うシレジア戦役の始まりであった。




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