吹雪がおさまった後は、本当にさっきまで吹雪が吹き荒れていたのかを疑いたくなるような空だった。かすかなすじ状の雲がいくつか天に尾を引き、太陽は白く染まった大地に光を降りそそいでいる。鮮やかな青空は、これからここで、凄惨な殺し合いを行うことを、躊躇させてしまうほどであった。 だが、実際には止めるわけにはいかない。すでに、戦いは止められないところまで来ているのだ。戦いが行われない可能性があるとすれば、ダッカー公か、ラーナ王妃がこの場に来て降伏を宣言することくらいだろう。だが、それはありえるはずもない。 ほぼ同時に、両軍の先頭に立つ騎士の持つ槍が水平にかざされた。風の音以外の音が、消える。そして、その槍が静かに天空へと掲げられると、その後ろに控える数百の兵士に緊張が走った。 「全軍、進撃!!」 号令と同時に、無数の鳥たちが飛び立ったような羽音が響いた。実際には数百なのだが、その羽ばたきはどの鳥よりも力強い。純白の翼を持つ白馬が、天空に飛び上がった。同時に、数百の兵士が前進を始める。 シレジア軍550、ザクソン軍550。数の上では五分と五分である。ただし、その内訳は大きく異なる。 シレジア軍は、半数近くの250がシレジア最強とされている天馬騎士である。今回、マーニャは部隊を二つに分けた。一つはマーニャ本来の部下150騎士。もう一つは本来フュリーの部下であるはずの100騎を、マーニャの副官であるフィシアが統率している部隊である。 本来、四天馬騎士は常に150騎を統率するのが常であるのだが、今回、その一人であるフュリーはいささか特殊な状況にあったため、その配下の騎士の一部のみを従えて任地であるセイレーンに赴いていたのである。そのおかげで、シレジアは天馬騎士の数においてはザクソン軍を圧倒している。 だが、その分ザクソン軍は魔法師団を200人を従えていた。風の魔法を得意とする部隊で、強力な対魔法障壁を持つペガサスを駆る天馬騎士にはあまり通用しないが、普通の兵士には十分脅威である。まして、この魔法師団を指揮するのはシレジア最強の風使い――王族を除いて、であるが――と謳われているアーヴァである。こと集団戦闘においては、四天馬騎士よりも強力だ。風の最上位魔法トルネードは、一撃で数十の兵士を葬り去ることができるのである。今回、マーニャは、その魔法師団の撃滅をフィシアに任せた。 正直、ザクソン軍の天馬騎士を率いるパメラと戦えるのは自分だけである、という認識がある。そしてそれは、シレジアの天馬騎士全てが認めるところでもある。だが同時に、マーニャは同数の天馬騎士同士の戦闘であれば、負けない自信もあった。だから、あえてフィシアに魔法師団の撃滅を任せたのである。フィシアもまた、四天馬騎士の候補に上がったことのあるほどの手練れであり、その実力は四天馬騎士級と言ってもよいのだ。 文字どおり、天を埋め尽くしたといってもよい二つの巨大な流れ――天馬騎士団がが交錯した。やや遅れて地上でも戦闘が開始される。そして、シレジア軍の頭上すれすれを飛んでいたフィシアの指揮する天馬騎士が、そのまま歩兵の頭上を一気に駆け抜けて魔法師団を急襲した。 地上と空中。ほぼ同時に二つの死闘が開始された。 |
端から見れば、異様な、そして凄惨な光景だろう。空にまで血臭を持ち込む人間のあさましさに嫌気が差す者もいるかもしれない。 おそらく、数百にも及ぶ部隊が、空中で激突するのは、このユグドラル大陸に文明が生まれて、あるいは人の記憶が始まって以来初めてのことだろう。圧倒的な数の激突。ともすれば、血の雨が降るのではないか、とも思えてくる。そして、その雨が降り注ぐ地表でもまた、戦闘が繰り広げられていた。 「風よ。我が声、我が想いに応えよ。天空より降りて天へ還る竜となりて、全てをその牙の元に調伏せよ!!」 音楽的な呪文の響きの最後に、急激な気圧の変化が重なった。そこに、風の竜が生まれる。荒れ狂う風の竜は、そのままシレジア軍の歩兵20人以上を一瞬でまき込み、その牙で切り刻んだ。生きている者など、いるはずもない。 「アーヴァ殿!!」 風の魔法を放った魔術師は、己の名前を呼ばれて顔を上げた。その方向に天馬騎士の一団がいる。その先頭にいる騎士の名を、アーヴァは知っていた。2年前、四天馬騎士の候補に挙がりながら、フュリーに敗れたフィシアである。だが、その実力は四天馬騎士と同等の騎士。 「フィシア殿か。今からでも遅くはない。ダッカー様につかぬか?」 「戯れ言を!!」 フィシアの声と共に、天馬騎士が突っ込んできた。魔法師団200人に対し、天馬騎士は100騎。だが、相性的に天馬騎士は魔法師団より強い。そのため、その周囲を重甲冑を着込んだ兵士が固めていた。物理攻撃に弱い魔法師団の直衛というわけだ。もちろん、シレジアに重甲冑騎士がいるはずもない。彼らは騎士ではなく一般の兵士である。当然、普段重甲冑を着て戦うことになど慣れているわけもない。圧倒的に速い天馬騎士の攻撃に対応できるはずもなかった。そして、いかに重甲冑であろうと、天馬騎士が高空から突き下ろす槍の一撃に耐えられる鎧など、あるはずもないのだ。 「邪魔をするな!!」 フィシアの槍の一撃が、甲冑の隙間を正確に貫き、兵士に致命傷を与えた。迂闊に甲冑を貫いては槍を死者に奪われることになるのだが、フィシアはそのようなミスはしない。続く騎士達も、それに倣った。文字どおりの甲冑の人垣は、一瞬ごとに削り取られている。 だが、それでも時間を稼ぐには十分である。その間に、魔法師団は風の魔法を使って、天馬騎士を攻撃した。アーヴァもまた、上位魔法を駆使して攻撃する。さすがに、混戦になると影響範囲の大きなトルネードは使えない。 もちろん、ザクソン軍は弓兵を用意はしていたし、今も射ち続けている。だが、空中を高速で移動する天馬騎士に当てられる技量を持つ弓の使い手など、シレジアにはいない。結果として、まるきり無意味な存在となっていた。 「まさかこちらに、100騎もの天馬騎士を割いてくるとは」 アーヴァは自分達の計算違いを認めた。相手の方が天馬騎士が多いのは分かっていた。だが、それはその大半をパメラの率いる天馬騎士団にぶつけてくると思っていたのである。実際、天馬騎士が壊滅したら、ザクソン軍は圧倒的に不利になる。だがその間に、できるだけ短時間でシレジアの歩兵を撃破し、シレジアを占領、ラーナ王妃の身柄を抑えればいいと考えていたのだ。なにより、短時間で終われば、グランベルから来るという援軍を介入させないで済む、というのがあったからだ。 だが実際には天馬騎士はお互いがほぼ同数の激突となり、今も一進一退の状況のようだ。そして地上では。100騎の天馬騎士を相手にしては、魔法師団ではかなり辛い。全く効かないわけではないが、魔法が非常に効果が小さいため、相当消耗してしまうし、まして、指揮しているのは四天馬騎士級のフィシアである。彼女の指揮に従って戦場を自在に動き続ける天馬騎士に、ザクソン軍は翻弄されていた。 「フィシア殿を討たなければ、勝ち目はないか」 アーヴァの結論はそれであった。となると行動は早い。混乱する戦場で、もう一度フィシアを探し出した。そして、意識を集中し、呪文を唱え始める。風の、最大の力を顕現させるために。 「風よ。我が声、我が想いに応えよ。天空より降りて天へ還る竜となりて、全てをその牙の元に調伏せよ!!」 突如戦場に出現した風は、ただ一騎の天馬騎士めがけて急速に移動する。その騎士、フィシアはまさかこの混戦の中、トルネードを使って来るなど、夢にも思っていなかった。気が付いたときには、すでに避けようのない風の牙が、迫っていた。 「きゃああああ!!」 「フィシア様!!」 通り抜けた風の全てが敵となって、フィシアを襲う。いくらペガサスが強力な魔法障壁を持っているとはいえ、限度がある。だが、フィシアもまた、四天馬騎士の候補に挙がったほどの実力者であった。 「く、やはり倒し切れぬか!!」 無論、無傷などではない。むしろ、重傷を負っているといってもいい状態ではあるが、だが戦えないわけでもないのだ。フィシアは、愛馬の方向を変えると、一気にアーヴァへ向けて突進した。トルネードの魔法によって、両者の間に道ができてしまっているのだ。 「風よ……」 呪文を再度唱えつつも、アーヴァは明らかに間に合わないことを悟った。呪文が終わる前に、フィシアの槍が自分を捉えるだろう。アーヴァにしては、やや不本意な形ではあるが、これでよかったのかもしれない、と覚悟した。呪文の詠唱を途中で止める。だが、そのフィシアの攻撃が届くことはなかった。 代わりに傷ついたのはフィシア。その胸に深々と一本の矢が突き刺さっている。 「え……?」 フィシアもまた、呆然としていた。やや緩慢な動きで、矢の飛んできた方向を見る。その方向から、立て続けに幾筋もの鋼の先端をもつ死が飛来する。フィシアに、それをかわす力はもう残っていなかった。 |
天馬騎士同士が戦うことは、これまでにも幾度かあった。だが、それらは模擬戦であり、死の危険性はないわけではないが、少なくとも相手を殺すつもりでいることはない。そして、これほどの数が同時に戦場に存在すること自体、初めてである。正確には少し前にトーヴェでフュリーがディートバと激突しているはずだが、その戦いに参加した騎士は、もちろんここにはいない。ここにいる騎士達は、初めての体験でああった。 その先頭に立つのは、四天馬騎士のマーニャとパメラ。四天馬騎士筆頭と次席である。両者は、お互いの顔がぎりぎり確認できるほどの距離で対峙した。 「パメラ!!なぜシレジア王家に弓引く真似をするの!!今からでも遅くはない。本来、貴方達が忠誠を示すべき場所へ戻りなさい!!」 無駄だと分かっていてもやはり言わずにはいられなかった。同じシレジア人同士で争いたくはないし、騎士になってから、お互いに競い合ってきた相手を失いたくもない。正直、今でも命を懸けて戦わなければならない、という実感が湧かないのだ。 「マーニャ!!もう、シレジア王家には力はない。滅びつつある王家に忠誠を尽くすのは、ただの盲従だ」 何を根拠に、とマーニャは言いたいが、またパメラの言い分も分かった気がした。レヴィン王子は事とここに至るまでフォルセティを継承しない。今のラーナ王妃は風使いセティの力を継ぐ者ではない。力なき王家には、シレジアを治める資格はない、ということなのだろう。理屈は分かる。だが、それでマーニャは納得できなかった。 力を持つ者が王家だというのは、間違っている、とマーニャは思うのだ。ラーナ王妃は、確かに武力はない。だが、おそらくシレジアにもっとも相応しい王だと思う。 レヴィン王子の王としての資質は知らない。だが、あの王子もまた、ラーナ王妃同様、民のことを考えてくれる王になると思う。民のことを思いやれること。それが、何にも勝る「王」としてのありようではないのだろうか。少なくとも、マーニャにはダッカー公がそう考えられるとは思えなかった。 「話し合っても、無駄なようね」 マーニャは静かに槍を構えた。わずかに風が動く。セティが力を込めたといわれる、蒼風の槍。その力が解放された。風が渦巻き、それが穂先に集中する。 「そのようね。でも、貴方とは一度、しっかり決着を付けたかった」 パメラもまた、槍を構え直した。マーニャのもつ蒼風の槍と対をなす、碧風の槍。その持つ力は、風をある程度制御できるという。 どちらが先に動いたかは分からない。両者は、ほぼ同時に手綱で馬首を叩いた。半瞬遅れて、150騎が動き出す。二つの騎士団は、あっという間に混戦に突入した。 「どきなさい!!パメラ以外に用はありません!!」 マーニャは、自分に向かってきた天馬騎士の一撃を、それより遥かに重い一撃で弾き返すと、一喝した。騎士はもちろん、ペガサスすら気圧されて、そのままあとずさる。そこへ、さらに別の騎士が攻撃を仕掛けようとしたが、マーニャに睨まれただけで踏みとどまった。その時、彼女らは自分達の相手が、歴代最強とすら謳われているほどの天馬騎士であることを再確認したのである。 また、マーニャは個人の戦闘を行いつつもなお、全体の指揮も確実に執っていた。マーニャの指揮で、まるで全体が一つの生き物のように動くマーニャの天馬騎士団は、確実にパメラの天馬騎士団を追いつめていく。じわじわと、ではあるが、パメラの部隊は追いつめられていっていた。 だが、そのマーニャでも、地上に注意を向ける余裕など、ほとんどなかった。相手は同数の天馬騎士であり、油断すれば、自分達が追いつめられる。実際、魔法師団200人が相手であれば、フィシアの天馬騎士100騎ならばほぼ確実に勝利できるとみていたのである。 パメラの方は、計算違いをしていたのは否めなかった。極力、防御的な戦いで時間を稼ぎ、地上部隊がシレジアに到達するまで持ちこたえるはずだったのに、これでは地上部隊の援護のために早くマーニャの部隊を撃破しなければならない。少なくとも、集団戦闘で、自分がマーニャに勝てないのはもうよく分かっていた。もともと、防御的な布陣のため、連絡の伝達がしやすいように戦闘が始まってからは後方にいたのだが、もはや、それは無意味である。時間を稼がれて困るのは自分達に変わっていたのだ。 「私がマーニャと戦うしか、ない」 パメラはそう考えながら、その状況に興奮する自分を自覚した。騎士として、武を修めた者として、最強と謳われているマーニャとの闘いはある種の喜びを伴うのだ。 「パメラ様!!」 ペガサスを駆って、前線へ飛び出そうとするパメラを、控えていた天馬騎士が止めようとした。パメラは一瞬止って、振り返る。 「この戦い、マーニャを討たなければ勝ち目はない。討てるのは私ぐらいだろう?」 それだけ言うと、一気に加速する。 マーニャを見つけるのは簡単だった。同じようなグリーンの髪の毛、同じようなペガサス、同じ鎧。区別なんてなかなか付きそうにないが、パメラは簡単にマーニャを見つけることができた。槍が、お互いに引かれあったのかもしれない。だが、パメラはそれがなくても見つけ出す自信があった。戦場の中心。マーニャはそこにいるはずなのである。 「マーニャ!!!」 黙って突っ込めば、あるいは不意を討てたかもしれないが、パメラにはもちろん、そんなつもりは全くない。 マーニャはパメラの槍をかわすと、素早く距離を取った。 「さすがは四天馬騎士筆頭。このままじゃ、私達が勝てる確率がほとんどなさそうなので、あなたを直接討たせていただく」 パメラはゆっくりとお互いの距離を詰める。マーニャもまた、油断なく槍をかまえなおす。 「もう、戻れないの?パメラ。どちらが勝っても、後に残るのは、無残な国土と傷ついた人々。この戦いが、どれだけ無意味か、貴方なら分かるでしょう?」 だが、パメラはそれには答えずに、ただその槍に力をこめる。槍がそれに応えて、わずかに鳴動している。 「騎士が騎士として戦うとき、それに理由がいるのか?」 マーニャは一瞬面食らったような表情になったが、すぐその表情を戻す。マーニャの持つ槍もまた、かすかに震えている。 「あなたとはずっと騎士としての修行を共につんだ仲だけど、まさか戦うことになるとは、思わなかったわ。けど、こうなった以上、私は負けるわけにはいかない」 パメラは、一瞬気圧された。これが、四天馬騎士筆頭の威圧感というものなのだろうか。だが、自分もまた、少なくとも個人の力量では劣ってはいないはずだ。 「そうね。でもいつか、こういうことがあるような気はしていたわ。この先、滅びるしかない王妃に、いつまでも忠誠を尽くしたところで無駄だと思わないの?……いや、それがあなたの性格ね。これ以上の会話は無駄……」 パメラが、その静寂を打ち破るように、勢いよく手綱をたたいた。ペガサスが、それに応えて翼を大きく羽ばたかせ、一気に加速する。 「いまこの場で、どちらが筆頭の名に相応しいか、決めようじゃないの!!」 風を纏った槍が打ち交わされた。衝撃が、二人の騎士の周囲に広がる。数合打ち合わせた後、二人の騎士は距離を取った。 「あなたとまともに戦うのは久しぶりね」 「決着をつけたことはなかったわね。でも、今度こそ決着をつける」 再び加速した両者は、余人が手を出す隙すら与えないほど凄まじい勢いで槍を打ち合わせた。その戦いは、いまこの場にかのレンスターのキュアンがいたとしたら、賞賛を贈ったであろう。それほどに、両者の槍術は卓越していた。それぞれの持つ蒼碧風の槍が力を貸しているのは確かではあるのだが、普通の騎士が、この槍を持ったところでこれほどの戦いをして見せるのは不可能だろう。 だが、その二人の騎士が戦っているからといって、戦場が停滞しているわけではない。その他の戦場では、今も一瞬ごとに死がもたらされている。そして、また、戦場全体も確実に動きつづけているのだ。 |