し る べ    
風の道標・第十七話




「ではダッカー殿。内乱終了の暁には、間違いなく」
 尊大な言い様は、しかしその尊大な態度に良く似合っていた。自分の半分も年を取っていない若造に、と思うが今ここでこの騎士と争ったところで意味はない。むしろ、自分達の被害を増やすだけだ。
「わかっている。わしがシレジアの実権を握れば、グランベルの反逆者であるシグルド公子以下の者は、間違いなく貴公らに引き渡す」
「結構」
 騎士は、満足そうに頷くと、みずからの乗馬に跨った。その手には、美しい弓が握られている。
「では、我らは戦場へ急行いたします。悪天候で、すっかり遅くなってしまいましたからね」
 そういってきびすを返すと、彼と、彼に続いた100騎ほどの騎兵が――全て弓を握っていた――が駆けていく。
 グランベルの誇る、六大騎士団の一つ、バイゲリッター。大陸最強の、弓使いの騎士団であり、またシレジアの天馬騎士団にとっては、天敵とも言える存在である。しかも、それを率いるのは最近ユングヴィ家の当主となったアンドレイである。グランベルでも最高の弓の使い手として名高い。
「アンドレイ卿が間に合わないことを祈るべきなのかどうなのか……」
 ダッカー自身の心中は複雑であった。パメラに、騎士としての戦いをまっとうさせてやりたい、と思う気持ちもある。だが、事実として、ほぼ同数の兵を動かしているマーニャに、パメラが勝てるのかというと、これは難しいだろう。そして、パメラ達の敗北は、ダッカーの滅亡も意味するのだ。
「全ては風の赴くまま……か。セティよ。不肖な我らをお赦し下さい……」
 ダッカーの独語は、風の中に消えていった。

 その三日後。パメラ率いるザクソン軍と、マーニャ率いるシレジア軍は戦闘に突入していた。本来、もっと早くに戦端を開くはずだったのが、天候により遅くなったことは、少なくとも戦いの結果だけ見るならば、運命がザクソン軍に大きく味方したことは後のすべての史家の語るところである。
 ザクソン軍は、マーニャによって戦術を看破されており、戦端を開いたときから、すでに敗色が濃厚であった。頼みの魔法師団は、マーニャの副官フィシアの率いる天馬騎士によって抑えられていて、予定通りの戦果を上げるどころか、壊滅の危機に晒されている。
 そして、パメラ直属の天馬騎士も、同数のマーニャの部隊を相手に、一進一退の攻防を繰り返していたのである。
 しかし、逐一打ち減らされるザクソン軍の歩兵・魔法師団が戦闘不能になってしまえば、フィシア率いる天馬騎士は、マーニャの部隊と合流できる。そうすれば、数において圧倒的に不利になり、パメラ達には勝ち目がなくなってしまう。
 パメラは、この状況の逆転策として、マーニャに一騎撃ちを挑んだ。軍を動かす能力では、マーニャには敵わないのだが、騎士としての力が、劣るわけではない。また、これでマーニャを拘束することによって、シレジア軍全体の反応力を落とす狙いもあった。無論、パメラがマーニャを討ち取れれば、それにこしたことはない。
 だが、パメラの予定はまず一つ、あっさりと裏切られた。
 マーニャ自身が指揮を執らなくても、すでにシレジア軍は確実にザクソン軍を追いつめていた。逆に、パメラの指揮を離れたザクソン軍は、確実に有機的な動きをもって追いつめてくるシレジア軍に対して、有効に対抗できないまま、次々と倒されていく。
「くっ」
 できるだけ早く、マーニャを討ち取らなければ勝ち目がない。だが、その焦燥は、逆にパメラの槍を鈍らせてしまっていた。マーニャの鋭い突きが、あわやパメラの胸を貫きそうになる。パメラはかろうじてそれをかわして、一度距離を取った。
 もう息が上がってきている。はあ、はあと肩で息をしてしまっていた。なのに、マーニャは全く疲れていないのか、平然としている。
 こんなにも実力に開きがあったのか、とパメラは愕然となった。実際には、パメラは焦燥感から、いつも以上の疲労を蓄積してしまっていたのだが、自分でそれが分かってはいない。
「もう降伏しなさい、パメラ。このまま戦っても、ザクソン軍が我々に勝つ可能性はないわ。あなたになら、それが分かるはずよ」
 マーニャは、戦闘の緊張は解かずに、だが槍の穂先を下げて静かに言い放った。
 そんなことはパメラにも分かっている。このまま、マーニャと戦い続けたところで、戦場の他の場所では、ザクソン軍が次々と撃ち減らされていて、すでにシレジア軍との戦力差は小さいものではなくなってきている。
 結局、勝てる相手ではなかったということなのか。その認識は、パメラには非常に悔しいことだったが、これ以上負け戦を続けていても、結局シレジア王国全体の国力低下につながるだけである。
「分かっ……」
 パメラが槍を下ろし、降伏しようとしたその時、異変は起った。
 死の雨が、地上から天へと放たれたのだ。鋼の穂先を持つ、死をもたらす雨。
 完全に虚を衝かれたマーニャとパメラは、ほんの一瞬、自失してしまった。はためいた旗に刺繍された紋章は、グランベル王国ユングヴィ公国のもの。そして、その紋章に弓を二つ重ねたのは、ユングヴィの騎士団、バイゲリッターを示すものである。
 そして、そのほんのわずかな間に、シレジア軍の天馬騎士は、壊滅的な打撃を受けていた。実に100騎近くのペガサスと乗り手が、共に絶命して地上に落ちていっていく。
「な……っ!?パメラ、あなたは!!!」
「ちがっ……」
 違う、と言おうとしてパメラはその弁解が無意味であることに気が付いた。その一瞬の思考の間に、マーニャの槍がパメラに迫ってくる。パメラはそれを、かろうじて受け止めた。
「これがあなた達の切り札、というわけね。グランベルの軍をシレジアに入れてまで、そうまでして……」
 マーニャが悔しそうに、そして怒りに満ちた目でパメラを睨む。
 実際、マーニャが気付かなかったのも無理はないだろう。パメラ自身、このバイゲリッターについては、全く考えないで戦っていたのだから。パメラも、忘れていたわけではなかったのだが、戦力としての認識はまったくなかったのだ。
「私は……」
 どう言えばいいのか、パメラにも分かっていなかった。いや、弁解すること自体無意味である。だがそれでも、マーニャに卑怯者呼ばわりされていることが悔しくて、その誤解だけ解きたい、とこの時は本当に思っていた。
 そこへ、二射目が放たれた。先ほどと同じような数の天馬騎士が、それも敵味方入り乱れているはずだというのに、シレジアの天馬騎士だけが落とされる。
「これ以上は!!」
 マーニャはいきなり天馬を加速し、パメラの横を通過すると、バイゲリッターに向かって一気に突っ込んでいく。
「マーニャ、無茶だ!!」
 ただ一騎で突っ込んできた天馬騎士に、バイゲリッターは少し驚いたが、所詮天馬騎士であ。バイゲリッター数騎が矢を放つ。だが、それらは一つとしてマーニャを捉えられなかった。一本の矢など、当たったと思ったらわずかに方角がそれたようにも見えた。
「あれが……!!」
 パメラには、マーニャを包んでいる風の力が、はっきりと感じられた。マーニャの持つ蒼風の槍の力を。それに呼応するように、碧風の槍も力を放っていた。これが蒼碧風の槍の真の力なのだろう。他の天馬騎士にも分かるのか、まるで硬直してしまったようにただ一騎で突っ込むマーニャを見守っている。
 奇妙な話だが、この時天馬騎士達はほぼ全員がマーニャが味方であるような錯覚を覚えていた。
 マーニャは飛んでくる矢を次々とかわしながら、ついに騎士団に肉薄した。懐に飛び込んでしまえば、弓騎士の力など大したことはない。弓使いとしての力はともかく、接近戦ではマーニャの方が遥かに優れているのだ。
「アンドレイ殿下、このままでは……」
 側近に呼びかけられたひときわ豪奢なマントと鎧を纏ったその騎士は、凄まじい目でその側近を睨んだ。途端慌てて側近は言葉を言い直す。
「公主閣下、このままでは、我々の被害も軽視できないものに……」
 今度は満足そうに頷いたアンドレイは、もう一度マーニャの方に目をやると、感心したような表情になる。
「女ばかりの騎士団など大したことはないと思っていたが、なかなかやるものもいるではないか。それに、あの力。風の力だな」
 その言葉を聞いて、側近が青ざめる。
「で、ではまさかかの者が風のフォルセティの……」
「ばか者」
 ぴしゃりと言いきった後、アンドレイは再び視線をマーニャに戻す。
「真にあの者がフォルセティの使い手であるならば、我らが戦場に着く前に戦いは終わっていたであろう。だが、風の力を秘めた、何かをあの女は使っている。……まあ我らには関係のないことだがな」
 アンドレイは静かに弓を構え、矢をつがえた。その間にも、バイゲリッターはマーニャただ一騎の前に次々と倒されていく。だが、アンドレイはそれを無視して、静かにマーニャに狙いを絞った。無論、混戦の中にあるマーニャが、それに気付くはずもない。だが、上空から見ていたパメラには、それが偶然目に入った。
「いけない、マーニャ!!」
 すでにパメラは、マーニャが敵であることは、完全に失念していた。声と同時に、マーニャに近付こうと、ペガサスを加速する。だが、その一瞬後、アンドレイの右手によって、ギリギリまで引き絞られた弦が、大気を震わせた。そして、そこから放たれた矢が、マーニャの胸に、まるで吸い込まれるように突き刺さった。
「あ……?」
 自分の身に起ったことだというのに、マーニャにはひどく非現実的な感覚がした。頭がぼうっとして、力が抜けていく。
「く……っ、こんなもの!!」
 マーニャは頭を振ると、槍を離さずに、胸に突き刺さっている矢を引き抜いた。血が、一気に溢れ出す。とたん、意識を維持する力も抜け落ちてしまったかのようだ。
「マーニャーーーっ!!」
 聞きなれた声が、頭上から聞こえてきた。淡く碧色に輝く槍を持った騎士。そうだ。自分はパメラと戦っていたはずだ。けれど……
 もう一度、マーニャの体が大きく揺れた。ほとんど同じ場所に、同じように再び矢が突き刺さる。視界が暗転し、自分の状態が分からなくなった。
 ぐらり、と傾いたマーニャの体は、そのまま地上へと――といっても民家の二階程度の高さではあったが――落下した。新雪が、鮮やかな紅に染まる。遅れて、パメラが地上に達した。だが、マーニャが助からないのは、誰が見ても明らかであった。
「マーニャ、死ぬな!! まだ、私との決着が付いていないだろう!! その前に……」
 パメラは必死にマーニャを抱き起こす。しかし、その体は、すでに力なく、ただパメラが揺り動かすのに任せるままになっていた。
「無益なことだな」
 冷淡な、それでいて神経を逆なでするようなその言葉は、パメラを激昂させるのに十分なものだった。
「なぜ我らの勝負に横やりを入れた!! 貴様らがいなくても私は……」
 続いたのは声ではなく、平手打ちの音であった。叩かれたパメラは一瞬呆然としてしまっている。
「くだらん。そんな女の感傷で、戦場を荒らされては困る。我々はザクソンのダッカー殿に、確実な勝利をもたらすためにここに来ているのだ。貴様らのじゃれあいなどに、付き合っていられるか」
「じゃれあいだと!!訂正しろ!!」
 更に詰め寄ろうとしたパメラの喉元に、一瞬で剣が突きつけられていた。いくら油断していたとはいえ、この男は、弓以外の技量も一流ということか。
「これでじゃれあいじゃなくてなんだというのだ?くだらん。さっさとお前らは次の任務を果たせ。王都を占領するのだろう。フォルセティを抑えるために」
 アンドレイはそういうと副官を呼び、軍を再編成するように命じている。パメラも、実際シレジア軍が壊滅した以上は、王都シレジアを制圧しなければならない。神器フォルセティを抑えるために。そして、ラーナ王妃に王位の移譲を認めさせ、ダッカー公に王となってもらわなければならないのだ。
 だけど、この空しさは一体なんなのだろう。ダッカー公が王になったからといって、なにがどう変わるというのだろうか。ここまで多大な犠牲を払うほどのことだったのだろうか。パメラには、まるでこの先の未来が見えてこない。ただ、失われたものの大きさだけが、重くのしかかってきているような気がする。
 パメラはふと、雪の上に横たわるマーニャを見た。すでに、息絶えている。胸に突き刺さった矢が、あまりにも無残に思えたので、静かに引きぬいた。
「マーニャ……私達は、一体何をしているのだろうな……。いや、あなたにはもう関係のないことね……」
 その時、まるで春の時に吹くような、暖かさと優しさを感じさせる風が吹き抜けた。驚いて、空を見る。しかし、空はいつのまにか傾いた陽によって、少しずつ朱色に染まっていく以外、なにも変わったところはない。
「あなたのために、フォルセティが吹かせたのか?今の風は」
 パメラはもう一度、マーニャを振り返る。その顔は、かすかに微笑んでいるようにも見えた。
「フォルセティか……レヴィン王子は、どうなさるのかな……」
 パメラはマーニャの遺体を部下に任せると、他の部下が集結している場所へと、足を向けた。

「え……?姉様?」
「どうした?フュリー」
 レヴィンとフュリーは、トーヴェ城のホールにいた。セイレーンへの帰還の準備も一段落して、久しぶりにゆっくりとお茶を飲んでいたところである。
 窓から見える西の空は、朱色から闇色に変わろうとしていた。
「いえ、マーニャ姉様の声が聞こえたような気がしたので……そんなはずないですよね」
「誰って?」
 割り込んできた3人目は、いきなりレヴィンに抱き付いた。
「う、うわっ。シルヴィア。こら、やめろ」
 レヴィンはじたばたとして、なんとかシルヴィアを引き剥がす。
「だって退屈なんだもん。レヴィン、ずっと構ってくれないし」
「あのなあ……」
 そう言いながらも、こういうシルヴィアの無邪気さは、今のレヴィンにはありがたかった。
 フォルセティを継承し、王位を継ぐ決心をしたとはいえ、まだ迷いがないわけではない。色々考えるべきことが多すぎて、頭の中がぐちゃぐちゃになりそうになる。
「お前は、能天気でいいよなあ」
 レヴィンにしてみれば、誉め言葉のつもりで言ったのだが、普通はそうは取らないだろう。当然、シルヴィアの顔が膨れていく。
「あ〜、ひっどい。なによそれ。私が何も考えていないみたいじゃない。いいもん、神父様のところに行こうっと」
 言うが早いか、シルヴィアは身を翻して部屋から出ていった。フュリーは半ば呆然として見ていただけである。
「……相変わらずだなあ……。ま、元気なのはいいことだろう。フュリーも、いつまでも暗い顔してないで、少しはシルヴィアみたく元気に振る舞ってみろよ……ってのは無理か」
 フュリーが悩んでいるのは、同じ四天馬騎士であるディートバと戦い、倒してしまったことである。同じシレジア人の、それも天馬騎士と戦う、ということは彼女に深い影を落としていた。
「もうすぐマーニャにだって会えるんだから、もうちょっと元気そうにしろ。元気がないと、マーニャも心配するぞ」
「はい、そうですね。いつまでも悩んでいたら、お姉様に怒られてしまいますね」
 言いながら、フュリーは少し笑う。その儚げな微笑みがびっくりするほど綺麗だったので、レヴィンは一瞬ドキリとした。
「レヴィン様?」
「あ、いや、なんでもない。それより、そろそろ夕食だな。行くとしよう」
 その時、どたどたとやかましい足音ともに、ホールの扉が、大きく開け放たれる。立っていたのはシルヴィアだった。
「フュリー大変!! なんか、シレジアの方で異変があったみたい!! さっき、天馬騎士の人が……」
 先にセイレーンとシレジアに行ってもらっていたうちのシレジアに向かった方が、急遽引き返してきたというのだ。
 二人の顔に緊張が走る。この時期、何かあったとすればそれは一つしかないからだ。そして、その予想した報告の向こう側に、さらに悲劇的な事実が待っていることを、今の二人には知る由もなかった。
「シレジア天馬騎士団、四天馬騎士マーニャをはじめ、戦死130騎。王都シレジア陥落」と。




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