し る べ     
風の道標・第二十一話




 雲一つない青空が広がっていた。肌を突き刺すような風が舞っているとはいえ、平時であればちょっと遊びに出かけたくなるような天候である。
 しかし、今王都シレジアの前に集まっている者達は、そういう感情とは無縁だった。騎兵と歩兵、そしてシレジアの誇る天馬騎士達が整然と並ぶ様は、ある種の威圧感すら覚える者がいるだろう。その数は合計で600。フュリーが従える天馬騎士が約200、シグルド軍の兵が歩兵100に騎兵100。さらにシレジア軍の生き残りのうち、まだ戦える者を再編成したのが200。合計で600の軍が出来あがったのである。
 実戦指揮官はシグルド。ただし、フュリーの天馬騎士はその特殊性からほぼ独自に行動する。
 最初、シグルドはレヴィンにシレジアの兵達の指揮権を渡そうとしたのだが、レヴィンはそれを固辞した。自分には用兵の才能がない、というのがその理由である。ただし、名目上の指揮官はレヴィンである。
 対するザクソンの部隊は傭兵を含めて歩兵が400、騎兵が100、そして天馬騎士が150。数の上ではほぼ互角と言っていい。しかし問題は、歩兵の中に多くの魔術師を含め、錬度の高い傭兵が数多くいることだ。時間が経てばやがて行軍不可能な冬になる。そうなってしまえば、シグルド達の負けだ。春にはグランベルから大軍が投入されてくると見て、まず間違いないのだ。向こうもそれがわかっているだろうから、時間稼ぎをしてくる可能性は十分にある。
 それに対抗するため、シグルドの取った戦術は軍を二手に分けることだった。
 傭兵を主体とした軍は迎撃のためにすでにザクソンを進発しているという情報が入ってきている。シグルド軍がこんまま進軍すれば、ちょうどマーニャが戦死した戦場に近い場所で戦うことになるだろう。だがこの季節、いつ豪雪となって軍を進めらなくなるかなどわかったものではない。シレジア出身のレヴィンやフュリーはもちろん、まだ一年しか過ごしていないシグルドでも、それは容易に想像がついた。
 そのため、あえて機動力の低い歩兵を中心にした部隊はまっすぐ戦場に向かわせ、騎兵と天馬騎士は大きく迂回して直接ザクソンを襲撃しようというのである。
 無論、ザクソン側に気取られてはならない。迂回コースは山間の場所も多く、もし襲撃されれば全滅必至のような場所もあるのだ。少なくとも、別働隊が敵迎撃部隊とぶつかるまでは気付かれてはならない。
 その別動隊の指揮を、シグルドはレックスに任せた。
 キュアンがいればキュアンに任せたのだが、あいにくと彼はもうレンスターに帰ってしまっている。兵達に絶大な人気と信頼のあるラケシスは、現在身重でこの戦いには参加していない。かといって、シグルドが別動隊の指揮を取らないわけにも行かない。アイラは実力は申し分ないが、兵を率いて戦う才能はあまりない。加えて、現在彼女は出産を経た後で、シグルドとしては出来れば戦って欲しくない、とも思っているくらいなのだ。
 そうして絞り込んだ結果、レックスが最適であると判断されたのである。あまり真面目な生徒ではないらしいが、それでもバーハラの士官学校では優秀な成績をあげており、実力も申し分ない。用兵についても信頼できる。
「それでは頼む」
 シグルドはレックスにそれだけを言うと、馬足を速め、先行している部隊の方へと向かっていった。

「壮観、というのかな、こういうのは」
 少し小高い丘の上で、レヴィンは眼下に展開していく軍を見てつぶやいた。いや、眼下だけではない。空中にも、天馬騎士が展開していく。この時期のシレジアとしては珍しいくらいの晴天で、騎士達の持つ槍が光を受けて輝き、その様はまるで地上と空に光を散りばめた様にも見えた。
 そのはるか向こう、少しだけかすんで見える城郭は、ザクソン城だ。シレジアの陸の出口であり、今は反逆者ダッカー大公の居城でもある。
 シグルド軍本隊は、ザクソン軍に気付かれることなくザクソン城に肉薄するこの場所まで来ることができたのだ。
 だが、これからが正念場である。
『兄を頼む』
 ダッカーの弟マイオスは、そう言って倒れた。その真意は、レヴィンには未だにわからない。一体彼らが、何を求めて戦いを起こしたのか。そして、何故今もなお戦いを続けるのか。
「レヴィン様」
 聞きなれた声に、レヴィンは振り返った。
「フュリー、どうした」
「布陣は終わりました。今は一度全騎地上に降りてもらっていますが。まもなく、ザクソンからの敵兵もこちらに到達するものと思われます」
「シグルドには?」
「シグルド様にはすでにお伝えしました」
「なら、わざわざ俺に言いに来なくてもいいのだがな」
「あの、でも、指揮官はレヴィン様ですから……」
「そうなんだがな……」
 建前上、この戦いは王子レヴィンが反逆者を討伐する、ということになっている。シグルド達は、あくまで客人として力を貸しているだけであり、グランベル王国としては無関係である、という形を取るためだ。いささかバカバカしくなるが、こういう形式も重要であることは、レヴィンもよくわかっていた。
「いよいよ、ですね……」
「ああ」
 レヴィンはもう一度編成の終わった軍を見下ろしてつぶやいた。
 この戦いで、シレジアの運命が決まる。いや、その表現は正しくない。
 レヴィンには、この戦いの結末がすでに漠然と掴めていた。
 自分たちはこの戦いには負けない。負けるわけにもいかないし、また、負けないという絶対の自信があった。
 それはうぬぼれではなく、確信であった。
 自分の手の中にある無限の風の力、フォルセティ。その力は、少なくとも今これから戦おうとする相手を圧倒することが出来るものである、とレヴィンは分かっていたのだ。
「そ、それでは私は戻ります。失礼いたします」
「あ、フュリー……」
 レヴィンが慌てて呼び止めようとしたときは、すでにフュリーは足早に立ち去ったあとであった。伸ばした手がむなしく宙を掴む。
「……何をやってるんだろうな……俺は」
 レヴィンは自嘲気味に言うと、握った手を引き寄せ、立ち去っていくフュリーの後姿を見つめていた。

「パメラ様、天馬騎士、全騎布陣終わりました。シレジア軍は予想通り天馬騎士と一部の兵が傭兵部隊を迂回してこちらに接近、すでに布陣を完了しているとの事です」
「……分かった。すぐに行く」
 部下の立ち去る音を確認してから、パメラはふう、と溜息をついた。
 軍を分けてくるのはある程度予想はできたのだが、深い山中、どの道を通ってくるかなど分からない以上、襲撃もできなかったのである。だが、平地であれば正面から激突できる。
 しかし、この戦い、勝ち目はすでにないことは、パメラには分かっていた。彼我の兵力差はほとんどなし。だが、向こうには聖戦士が、そして何よりフォルセティを継承した王子がいる。理屈ではない。シレジア人にとって、フォルセティの継承者というのは、絶対的な存在であるのだ。正直、それに対して戦いを挑もうという時点で、パメラ自身身震いがする。
「さすがに、フォルセティ相手は恐ろしいか、パメラ」
「ダ、ダッカー様」
「ここには他には誰もいない」
 ふわり、と。沈むような感覚と共に、パメラはダッカーの胸に収まっていた。
「すまんな。本来なら……」
 パメラは少し離れるとゆっくりと首を振った。
「いえ。私は私の意思で貴方と共にある道を選びました。それに後悔はしてません」
「パメラ……」
 そのパメラを見下ろすダッカーの目は、暴虐な反乱の首謀者のものではなかった。そしてまた、公爵として配下の騎士を見る目でもない。
「だが、これだけは命じておく。たとえ私が倒れようとも、お前が倒れることは許さん。良いな」
「……はい。それに、今私が倒れると、子供達が困ります。……きっと、フュリーやレヴィン王子なら悪くすることはないと思いますが、でもやっぱり私の子ですから」
「……そうだな。あの子らは元気か?」
「はい。元気すぎて……困ります」
 パメラは微笑んで答えた。その表情は、シレジア四天馬騎士のものではなく、一人の女性としてのものである。
「それでは、行って参ります。ダッカー様もお気をつけて」
 そういって離れた後のパメラの表情は、もう凛とした騎士の表情に戻っていた。
「うむ。いけ。まだ勝敗が完全に決したわけではない。そなたの活躍に期待する」
「はっ」
 パメラは踵を返すと、一度も振り向くこともなく愛馬の元へと早足に行った。振り向けなかったのである。振り向けば、自分は絶対に泣いてしまうことが分かっていたから。
 自分の愛する人がすでに死を決意していることを、誰よりも分かっていたから。

 戦端が開いたのは、正確に正午であったと伝えられている。
 この時期としては珍しいくらい強い陽射しが照りつけており、これが両軍の天馬騎士を戦力としてかなり使いづらいものにしてしまった。
 一面雪に覆われた戦場では、空から見下ろす天馬騎士には大地が陽射しを照り返して、非常に眩しく見えてしまうのである。しかし地上からの弓による攻撃もまた、角度によっては太陽の光で非常に狙いを定めにくい状態にあった。シグルド軍に随行しているウルの継承者ブリギッド公女や、ヴェルダンでも最高の弓の使い手であるジャムカ王子、正規の訓練を積んでいる騎士ミデェールなどはともかく、傭兵たちに弓を得意とする者達は非常に少なく、また、シレジア兵も弓を得意とする兵士はほとんどいないため、結局空と大地とで戦場が分かれることになったのだ。
「やはり空は分が悪いな」
 レヴィンは今回指揮官という名目上、後方に位置していた。前線指揮官はシグルドであるが、名目上、この戦いは叛逆者ダッカーを打ち倒すべく、正統の王位継承者であるレヴィンが兵を挙げた、という形になっているからである。
「フュリー様の方が数が多いですし互角に見えますが……」
 不思議そうに首をかしげたのは本陣に残った天馬騎士の一人、リーヴィである。愛馬の怪我が酷くて飛ぶことができないため、待機しているのだ。
「いや。フュリーとパメラでは経験が違う。なんとかがんばっているが…。それに、今の部下はマーニャの部隊との混成だ。天馬騎士同士の戦いでは、互いの連携が何よりも大事だからな……」
 地上での戦闘と違い、水平方向以外に垂直方向も警戒しなければならない空中戦において、特に集団での戦いでは互いが互いをいかにカバーするかが勝敗を分ける。そしてそれは、一朝一夕で構築できるほど容易なものではない。この場合、数が多くても混成部隊であるフュリーの方が明らかに不利なのだ。
 やがて、その見てる前で、フュリーの部隊が次々と陣形を崩されていく。一度壊乱状態になった天馬騎士を個別に叩くことは容易だ。そして、戦いにおいて制空権を完全に失うことは、戦いの敗北を意味する。
 上空から高速で飛来し攻撃してくる敵相手の訓練など、積んでいる軍隊はまずないのだ。シグルド軍がこれまで天馬騎士を相手に戦ってこれたのも、フュリーがいたからである。だが、今回の相手であるパメラは、フュリーの相手としては荷がかちすぎた。
 しかしそれでもなお、パメラの戦い方はレヴィンには奇妙に見えた。まるで、全力を出していないように見えるのである。いたぶっているのかとも思ったが、パメラにそうする理由はない。
「いったい……。……まさか、叔父上は……」
 かすかに浮かんだ考えは、同時に確信を導いた。そしてそれは、フォルセティを使わなければどうしようもないことを気づかせる。
 できれば使わずに済ませたかった。だが、使わずにこれ以上無駄な損害を出すわけにもいかない。レヴィンはともかく、シグルド達にとっては、この戦いは本来無関係であり、次なる戦いのために力を蓄えなければならなかったはずなのだから。
「離れていろ、リーヴィ」
 レヴィンは控えていた天馬騎士にそういうと、数歩前に進み出た。そして、懐から一冊の魔道書を取り出す。
 深い翡翠色の大きな宝玉のはめ込まれた魔道書を、レヴィンは静かにかざした。
「レヴィン王子……?」
 リーヴィが少しの緊張を孕んだ様子で問い掛けてきた。
「下がっていろ。俺も、どのくらいの力が出るのか分からない」
 その言葉で、リーヴィは慌てて十歩ほど後ろに下がった。
 シレジア人にとって、フォルセティは絶対的な力の象徴である。そしてそれが、今目の前で発現しようとしている。その事実に、リーヴィは興奮を抑え消えれなかった。少し前まで、出陣できない悔しさをかみ締めていたのだが、それも吹き飛んでしまっている。
 その、リーヴィの見ている前でレヴィンの周囲に風が渦巻き始めた。風自体は見えないが、雪が舞い上がるため、それで風がどのように舞っているかが分かる。
「風よ……我が意のままに……」
 その小さなレヴィンのつぶやきは、リーヴィにも聞こえなかった。
 そして直後。
 リーヴィの視界から、レヴィンは完全に姿を消していた。

「あっ」
 フュリーの見てる前で、次々と味方がやられていっていた。しかし、フュリーもまた彼女らをフォローする余裕などかけらもない。目の前にいるパメラに、全神経を集中していなければ、一瞬でやられてしまうだろう。
「どうしたんだい、フュリー。そんなものじゃないだろう。その程度の腕で、ディートバを倒せるはずはないからね」
「くっ!!」
 フュリーは続けざまに槍を突き出すが、いずれもパメラにはかすりもしない。
 パメラとしては、ここでフュリーが自分にのみ集中してくれるのは好都合だった。天馬騎士同士の戦いでは、指揮官の能力が大きくものを言う。パメラは、フュリーの才覚を決して過小評価していなかった。ディートバより少ない部隊で、彼女の部隊を打ち破っているのだから。
 だから、フュリーには自らがあたり、全体の指揮を執らせないようにしているのだ。こうすれば、元々混成部隊であるフュリー達のほうが、数で勝っていても戦いはパメラ達の部隊が優位に運ぶことができる。
「その程度の腕でこのパメラを相手にしようってのが無理だったんだね。いいよ。次でとどめを刺してあげる」
 既にフュリーの息は完全に上がっていて、また部隊全体もパメラ隊がかなり優勢な状態にあった。空の戦いの趨勢はほぼ決していたのだ。
「ま、まだ死ぬわけにはいきません。レヴィン様が、王位を継がれるその時まで……」
「ふん。あの王子に何ができる。現に今この戦場にだって現れていないじゃないか!!」
 パメラは苛立ったように語気を荒げると、槍を構えて一気に加速した。実際、彼女は苛立っていたのである。
 こんな戦いなど、無意味なのだ。レヴィン王子がフォルセティの力を振るえば、抵抗できるシレジア人などいるはずもない。ただそれだけで終わるというのに。
(レヴィン王子……まだ貴方は決断できないのですね。なら、貴方の前にこのフュリーの亡骸を出してでも……)
 そこにあるのは、レヴィンやフュリーに対する憎しみなどではなく、ただシレジアを思う心と、そしてもうひとつの思い。
「フュリー、覚悟!!」
 一気に加速したパメラは、その槍の先にフュリーを見据えて突っ込んだ。仮に直前でフュリーがよけようとしても対応できる。その自信があった。しかし、直後、その期待は完全に裏切られていた。
「……なに!?」
 パメラの渾身の一撃が、フュリーにかわされた。いや、違う。
 フュリーがかわしたのではなく、自分がはずしたのだ。
「馬鹿な……」
「レ、レヴィン様……」
「なに?!」
 フュリーの言葉に、驚いて顔をあげたパメラの視界に、レヴィンがいた。しかし、ここは地上ではない。天馬か飛竜でなければ到達することなどできるはずのない、城の尖塔の三倍以上の高さである。
「おまえ達の狙いが、やっと分かってきた……すまなかったな、パメラ。それに……」
 レヴィンは支えるものとてない宙空に浮いたまま、後方のザクソン城を見下ろした。
「叔父上も……」
 そのとき、空の戦場は完全に停止していた。全ての視線がレヴィンに注がれ、そして驚愕の表情を彩っている。
「別にそれほど驚くことでもあるまい。風は地を駆けるだけではない……」
 レヴィンはさも当然、というように呟くと、右手を高々と掲げた。
「全軍に通達する!!直ちに戦闘を停止しろ!!さもなくば、風の神罰が下ることになるぞ!!」
 その声は、異常に大きいということはなかったのだが、それでも戦場の全員の耳に直接響いていた。
 直後、地上の戦闘も停止し、あたりには唐突に奇妙な静寂が訪れる。その中、レヴィンはただ一人音もなくパメラのほうへと移動し、そして静かに口を開いた。
「パメラ。叔父上の元に案内しろ。これは、シレジア王レヴィンとしての命令だ」




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