し る べ     
風の道標・第二十五話




 シグルド軍内での結婚式は、これで三回目となる。
 一度目はシレジアに着いてすぐで、冬に入らんとする季節に、ユングヴィのエーディン公女と騎士ミデェールの結婚式と、イザーク王女アイラと戦士ホリンの結婚式が共に行われた。
 二度目は夏の終わりに、ノディオン王女ラケシスと、レンスターの騎士フィンの結婚式があったばかりである。
 いずれもどこかの国の高位の貴族、あるいは王族の結婚式であり、本来であればそれだけで国を挙げての祭典となるはずのものであるが、実際には非常にしめやかに行われた。
 最大の理由は、彼らがいずれも国に戻ることが出来ないような立場になってしまっていること、そして、シグルド軍自体が客分であり、あまり大きな騒ぎにしてしまうわけにいかなかった、という事情がある。
 しかし、今回はそれらとはまったく異なる。
 シレジア王レヴィンと、騎士フュリーの結婚が発表されたのは、シレジアが本格的な冬に突入して一月ほど経ったときだった。
 今回は、客分の結婚式ではない。
 シレジアの国王が王妃を迎えるものであり、本来であれば、文字通りシレジアを挙げての祭典となる。
 だが今回は、そういうわけにはいかなかった。
 まず第一に、先の内乱での被害が大きく、特に野盗に荒らされたシレジアの被害は深刻だった。
 また、本来は王族の結婚式ともなれば、季節のよい夏を選ぶのが通例であるが、今回は先の内乱の喪が明けて程なく、つまり真冬に行われることになったのである。最大の理由は、隣国グランベルの存在だ。
 今回の内乱で、グランベルはシレジアに軍を入れた。それは、内乱の首謀者ダッカー公爵の支援ということであったが、最大の目的がグランベル王国にとっての逆臣、シグルドの存在の捕縛であったのは間違いない。
 シレジアはグランベルト対等の立場にある独立国であり、その地理的条件もあって攻めるに難き地である。それになにより、シレジアに進軍するための理由を、グランベルはこれまでもたなかった。
 しかし、グランベルはすでにシレジアに軍を入れた。
 それは、ダッカーの支援という形ではあっても、軍がシレジアに入ったという事実には変わりない。
 そしてこの先グランベルは、ダッカーの支援という形で――彼の生存如何にかかわらず――軍をシレジアに進めることにを躊躇いはしないだろう。
 事実、すでにシレジアの東の国境の先にあるリューベック城には、ドズル軍を中心とした軍が編成されつつある、という情報がある。春を待って、グランベルがシレジアに侵攻してくるつもりなのは、もはや疑いようもない。
 そしてまた、シグルドもそれをただ待つだけというつもりもなかった。
「春を待って、我らはグランベルへ征きます。これ以上、この美しい大地を戦場にしたくはありません」
 再三引き止めるラーナ王妃の懇願を、シグルドは丁重に断った。
「わかりました。しかし、我がシレジアが貴方に協力するのかしないのかは、私の判断すべきことではありません」
 ラーナはそう言うと、それまで黙っていた息子――いまやシレジア王となったレヴィンを見やる。
「いまさらシレジアは関係ない、なんて言うなよ。グランベルの軍がシレジアの領内に入ったのは、立派な侵略行為だ。俺はこれを、シレジア王としてグランベルに対して問い詰める責任がある」
 公式に、グランベルはシレジアに宣戦布告をしたわけではない。
 つまり、イザークにグランベルが侵攻したのとは、まったく事情が異なる。今回のことは、いわば前線が勝手に暴走し、シレジアの領土が蹂躙された、ということになるのだ。とすれば、シレジア王として、レヴィンはグランベルに対して賠償を求めることもできるのだ。
 無論これは建前に過ぎない。
 だが同時に、シグルドにはそのレヴィンの行動をとめるだけの材料を持たない。
 かくして、春の訪れを待って、シグルド軍はグランベルに向かうことが決定された。
 シレジアは軍を派遣しない。それでは、侵略になってしまうからだ。
 ゆえに、レヴィンが王として――彼に使者を派遣するという考えはまったくなかった――シグルドに同行し、グランベル王との会談を行う。もっとも、向こうが穏便に会談に応じれば、だが。
 そういうわけで、春になれば再びシレジアはきな臭くなる。少なくとも、レヴィンはゆっくり王都の復興を行って、夏を待って結婚式、などという余裕はない。
 ゆえに、きわめて異例の、真冬の国王の結婚式となったのである。
 また、結婚式そのものもザクソンで行われることとなった。
 シレジアが、聖堂も含めてまだ内乱の傷跡が色濃く残っており、対してザクソンは内乱での被害はほとんどなかったためである。
 結婚式の祭司は、やはりクロード神父が努めた。
 元々、王族の結婚式ともなれば、エッダから高位の司祭を祭司として招いて執り行われるものだ。
 その意味では、最良の人材がここにいたことになる。
 そして結婚式当日。
 真冬のシレジアとしては非常に珍しく、雲ひとつなく晴れ渡った空の下。
 ザクソンの大聖堂で、シレジア王レヴィンと、天馬騎士フュリーの結婚式が、盛大に執り行われたのである。

 人々の談笑しあう声が、遠くに聞こえる。多分今頃、聖堂は人でいっぱいだろう。
 シグルド軍の主要な人物はもちろん、シレジア王国の貴族たちのほとんどが来ているはずである。
「きれいよ、フュリー。本当に、レヴィンにはもったいないくらい」
「ラーナ様……」
 すでにフュリーは、純白のウェディングドレスを纏って、あとは式が始まるのを待つだけ、という状態にある。
 先ほどまでは着付けをしてくれた侍女たちがいたのだが、もう仕事がなくなったので今はいない。
 この日のために仕立て屋が縫い上げたウェディングドレスは、まさにフュリーのためのドレスであり、普段鎧に隠されてわかりにくくなっている、フュリーの非常に女性的な美しさをさりげなく強調するように、腰は細く締められ、また、胸は十分に余裕を持たされたつくりになっている。
「本当に……うそみたいです。今でも、正直、実感がわきません……」
「フュリー」
 ラーナはまるで娘を――実際今日から義理の娘になるわけだが――諭すように、ゆっくりとフュリーの正面に回る。
「あなたは、幸せにならないといけないのです。それが、マーニャの願いでもあったのですから」
「姉様の……」
「マーニャはあなたの気持ちを、おそらくあなた自身よりもよく知っていました。そして、いつもあなたの幸せを願っていた。マーニャはよく言っていました。妹の笑顔が、自分にとって何よりも嬉しい、と」
「でも……っ、姉様はそのために……」
 ぽろぽろと、フュリーの瞳から涙が流れ落ちる。溢れ出したその雫は、フュリーのドレスのスカートに落ちた。
「あらあら。そんなんでは、参列してくださった方が何があったのかと思うでしょう」
「は……い……」
「厳しいかもしれないけれど、あなたはこれから、シレジア王の妻となる。それは、すべてのシレジアの人々が、あなたに常に注目するようになる、ということでもあるの。それなのに、晴れの舞台で泣き顔を見せてしまっては、何事かと思うわよ」
「はい。すみませんでした。ラーナ様」
 フュリーは、サイドボードにあったハンカチで、涙を拭った。
 幸い、化粧はまったく崩れていない。
 元々肌の白いフュリーは、ほとんど化粧の必要がなく、化粧といっても唇に紅を差している程度なのだ。
「そう。マーニャのことを想うなら、常に笑顔でいてあげて。それが、あの子の望んでいたことなのだから」
「はい、ラーナ様」
「それから」
 ラーナはまるで、子供に言い聞かせるような――普段レヴィンと話しているような――口調に変わる。
「もう、他人行儀な呼び方はダメですよ。あなたは、私の娘になるのですから」
「あ……」
 考えてみればそのとおりである。
 レヴィンの妻になるということは、ラーナの義理の娘になるということだ。つまり、ラーナが義理の母になるということでもある。
「ふふ。式が終わって、まだ『ラーナ様』なんて呼んだら許しませんからね」
 フュリーは、式が終わってもそう呼べるかどうかについては、まったく自信がもてなかった。

 ラーナが式の準備のために部屋を出て行ってしまうと、部屋の音が消えた。
 聞こえるのは、聖堂などからかすかに聞こえてくる人々の、雑踏の中にも似た声だけだ。
 ラーナは一度レヴィンを呼んでくるから、と言っていたので、程なくレヴィンがくるだろう。
 窓の外を見ると、そこは一面白く輝く街並みが一望できる。見える範囲には、背の低い建物しかないように見えるが、それは雪に埋まっている結果であり、実際にはシレジアの街並みというのは総じて建物が高く、また、そのほとんどが地下室を持つ。
 そして冬の間人々は、地下室で寒さをしのぎ、上層階から出入りするのであるが、通常滅多に外にはでない。だが今、街には多くの人々があふれていた。
 そのいずれもが、新王妃の誕生を祝う人々のものなのだ。
「王妃……」
 その呼び名は、フュリーにとってはラーナそのものであった。
 しかし今後、フュリーがその『王妃』となるのである。
「そんな大役、私に……」
 今までそれを認識していなかったのも迂闊といえば迂闊だ。今でも、マーニャの代わりとして天馬騎士を統べてきていたが、それすら務まりきっているとは思えない。なのに、そのさらに上位の王妃となると、もはやその責務たるや、フュリーには想像すらできない。
 いまさらのようにそれに気付き、半ば呆然としかけたところで、コンコン、というノックの音が部屋に響いた。
「あ、はい。どうぞ」
 レヴィンが来たのかと思い、フュリーはあわてて表情を戻すと、居住まいを正して扉に向き直る。
 だが、その扉の影から現れたのは予想に反して淡い青色のドレスを纏った、シルヴィアだった。
「ちょっと様子を見に来たの。……うわ〜、きれい〜」
「あ、ありがとう。シルヴィアも……その、似合ってるわ」
 実際、シルヴィアのドレス姿はとても新鮮に思えた。
 普段シルヴィアは、ほとんど踊り子の衣装で過ごしていて、それ以外の服を着ていることは滅多にない。
 だが今は、淡い青色の、裾の長いドレスを纏い、髪も普段結っているのを梳いて、きれいに梳って頭飾りでゆるく纏めている。
 服一つでここまで雰囲気が変わるものか、と思うほど、見事な『深窓の令嬢』がそこにいた。
「うふふ。ありがと。正直、あたし自身もびっくりしてるもの。これだったら、レヴィンも振り向いてくれたかな?」
「シ、シルヴィア?!」
「あはは。冗談よ。それに、私がどんな格好してても、レヴィンはあなたを選んだと思うわ。レヴィンにとって、あなたは最初から特別だったもの。それは、間違いないわ」
「シルヴィア……」
「だからね。あたしが身を引くんだから、フュリーは幸せになること。これが、私が身を引く条件よっ」
「シルヴィア、それ、普通逆よ」
 フュリーがくすくすと笑う。シルヴィアも「やっぱそうよねぇ」などと笑い出した。
 その時、再び扉がノックされ、フュリーに先んじてシルヴィアが「どうぞー」と言うと、扉が開かれた。
 そしてそこに立っていたのは、今度こそフュリーの予想通りの人物――レヴィンだった。
 白を基調に、各所に緑や青の布を使っての装飾を施したその服は、シレジア王の正装の一つである。
 胸元には大きな翡翠石の飾りがあり、同じく翡翠石をあしらった白金の髪飾りが、レヴィンの収まりの悪い髪を留めている。これが、略式の冠らしい。
「おう。シルヴィアも来ていたのか。似合ってるじゃないか、それ」
「えへへ。ありがと、レヴィン。かわいいでしょ?」
「ああ」
 それからレヴィンはフュリーに向き直り……そしてそこで、言葉を失っていた。
 フュリーもまた、何も言わなくなってしまったレヴィンに何を言っていいかわからず、そのまま立ち尽くしている。
「……あ、じゃあ私はこれで失礼するわね。じゃ、フュリー、後で。今日は飛びっきりの踊りを見せてあげるからね」
 シルヴィアは式の後の宴で、踊りを披露することになっているのである。
「あ、はい。ありがとう、シルヴィア」
 シルヴィアはひらひら、と手を振ると、扉の影に消える。
 そして部屋には、レヴィンとフュリーだけが残された。
「あ、あの、レヴィンさま……?」
 沈黙に耐えかね、フュリーが恐る恐る声をかけると、レヴィンはようやく呪縛から解かれた様に、口を開いた。
「す、すまない。その……本当に綺麗だと思ったから……」
「あ、その、ありがとう、ございます……」
 頬が一気に紅潮するのを、フュリーは自覚した。だが、自覚したところで、顔が火照るのは止められない。
「今さらこんなことを言うのもなんだが、フュリーって本当に美人だよな」
「あ、あの、そのっ」
 何を言っていいか分からず、フュリーはただうろたえる。その仕草もまた、レヴィンにとっては微笑ましく思えた。
「そう緊張するな……って、無理かもしれんが。だが俺も、こう見えても緊張している。だから、安心しろ。これから先、もっと緊張する場面なんていくらでもありえるんだしな」
 その言葉に、再び先ほどの不安がフュリーの中に影を落とした。
「ん? どうした?」
「私に……王妃なんて、務まるのでしょうか……」
「は?」
「王妃という立場は、私にとってはラーナ様そのものでした。でも考えてみたら、私が、今日からその立場になるってことに……気付いて……。私、そんな、ラーナ様のようになんて……」
「だからお前は真面目過ぎるんだって」
 こつん、と。レヴィンはフュリーの頭を小突いた。
 フュリーは叩かれた場所を抑えて――ヴェールはまだ被っていない――不思議そうにレヴィンを見上げる。
「それ言ったら、俺はどうなるよ。母上は王妃という立場であれだけ立派に責任を果たしていた。そして俺は国王だ。お前の理屈で行けば、母上以上にうまくやれなきゃおかしいことになっちまう。だが、そんなのは到底無理な話だ」
「でも……」
「母上は十年以上も王妃やってたんだ。王妃の新人であるお前が、母上と同じことをやろうったって、無理な話だってことだ」
 レヴィンはフュリーの肩に手を置くと、フュリーを正面から見据えた。
「俺だって同じだ。国王の新人なんだ。最初から上手くできりゃ、苦労はない。だが、それは無理だろう。そうでなくてもこんな時代だ。だが、一人では役不足でも、二人なら少しは補い合えるだろう?」
「レヴィン……様……」
「俺もお前も、一人じゃこのシレジアを担うには役不足だろう。でも、二人なら少しはマシだと思う。そして、俺はお前となら、やっていけると思っているんだ。俺が足りないところは、お前が補う。お前が足りないところは、俺が補う。二人でも一人前にもならんかもしれんが、それでも成長していけば、母上と同じように、いや、もしかしたらそれ以上に出来るかもしれない。今は未熟でも、な。そして、俺たちは母上と父上じゃない。同じじゃないんだ。父上や母上の築いたこのシレジアを継ぐ。それは、俺一人では到底出来ることじゃない。それともお前は、何もかも全部一人でやるつもりだったのか?」
「あ……いえ……その……」
「真面目なのはいいさ。俺が不真面目な分、な。だが、一人でやろうとするな。俺はお前と伴に歩いていく、と決めた。俺一人で出来ないことでも、お前となら出来ると思ったからだ。お前は、どうなんだ?」
「私……は……」
 シレジアの王妃になるということ。レヴィンの妻になるということ。それは、ラーナ王妃を継ぐ、という意味ではないのだ。
「私も、レヴィン様と一緒に、このシレジアを支える力になりたい、と思います。今は、私一人では到底無理でも、きっと、レヴィン様が一緒にいてくだされば……」
「ああ。一緒にやっていこう、フュリー」
 レヴィンは、肩に置いた手をそのままフュリーの背に回すと、優しく抱き寄せた。フュリーは逆らわず、レヴィンの胸に収まる。
「キスの一つもしたいところだが……それは、後にとっておくか」
 その言葉に、フュリーの顔が再び、先ほど以上に紅潮した。
 結婚式は、最後に永遠を象徴する輪をなした指輪を交わし、そして誓いの口付けを交わす。考えないようにしていたが、それは参列者の前で行われるものなのだ。
「おいおい……大丈夫か?」
 しかしレヴィンの言葉は、フュリーにはほとんど聞こえていなかった。

 グラン暦七六〇年冬。
 シレジア王レヴィンは、四天馬騎士筆頭たるフュリーを妃として迎えた。
 その、式の最後の誓いの口付けで、花嫁が真っ赤になっていたのは――なまじ肌が白いのでよく目立った――後々まで参列者の間での話題となっていたという。
 しかし時代は、更なる混迷を深めようとしている。
 暗黒の時代の帳は、すぐそこまで迫ってきていたのだ。




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