し る べ     
風の道標・第二十八話




 砂漠というのは、極寒のシレジアとはまったく異なるものの、その過酷さにおいてはむしろシレジアをも凌ぐ。
 シグルド達は、それを痛感していた。
 雪原同様、まともに馬が足を進められない灼熱の砂の大地。
 その大地を容赦なく熱する灼熱の太陽。
 そして夜は、シレジアの夜を思わせるほどに冷える。
 人がまともに生きていける場所ではない――シグルド達はこのイード砂漠が『死の砂漠』と呼ばれる所以を思い知っていた。
 さらにこの砂漠には、いるかどうかも定かではないが、恐るべき脅威が存在する。
 この砂漠は、かつて聖戦において国を失い、人々に追われた暗黒教団の生き残りが潜伏した、と云われているのだ。
 確かに、ここに逃げ込まれたら、そうそう追撃は出来なかっただろう。というよりは、誰も追撃の必要すら感じないに違いない。
 誰もこの砂漠で、生きていけるとは思えないからだ。
 だがシグルドは知っている。
 ヴェルダン王国を操っていた者、そして妻ディアドラを攫っていった者が、暗黒教団であったことを。
 無論彼らがイード砂漠に潜んでいたとは限らない。どこか他の地で、百年の間潜伏していたのかもしれない。
 それ以外にも、元々砂漠に住む民、というのがいるらしい。
 その性向は血を好み、邪悪であり、一説には暗黒教団と祖を同じくする、とまで云われている。これについては真偽の程は明らかではないが、油断してはならない、油断の出来ない地であることは確かだ。
 いまだにヴェルトマー公国が、砂漠の監視役としての役割を持つからには、少なくともこの砂漠に脅威が存在する、ということを意味している。
 とりあえずシグルド軍は、夜に進軍し昼は日影で休みながら、オアシスの町フィノーラを目指して行軍を続けていた。
 灼熱の中で体力を奪われるよりは、夜を移動した方がマシなのである。
 そうしてイード砂漠に入って四日後、明日にはフィノーラに着く、という位置で、その報せはもたらされた。

「空を行く軍勢がいた?」
 レヴィンの元にその報せがもたらされたのは、朝日が昇ろうとしていて、これから休もうという時間だった。
 シレジア天馬騎士は、空を行くその特性上、少なくとも他の兵種ののような移動に関する制限を、砂漠でも受けない。そのため、レヴィンは天馬騎士を分散させ、各方向への警戒を強めていたのだが、そのうち、南方を監視していた小隊が、空を行く軍勢を確認した、と報告してきたのである。
 ユグドラル広しといえども、空を飛ぶことが出来る戦力というのはほとんど存在しない。
 そのうちの一つがシレジアの天馬騎士団。
 そしてもう一つ。『空の死神』とも呼ばれる、恐るべき存在がある。それが、トラキア竜騎士団である。
 現在、行動可能な天馬騎士の大半はここにいる。残るは、シレジアにいるはずだ。だとすれば、天馬騎士であることは、当然ありえない。
 と、すれば。
「トラキアの竜騎士……だが、なぜここに」
 考えられるとすれば、グランベルに雇われた、という可能性だ。トラキアの竜騎士は元々大陸各地で傭兵として雇われ、その力は各国が認めている。
 強大な軍を持つグランベルが、彼らが『戦場のハイエナ』と忌み嫌っているトラキアの竜騎士と契約することはちょっと考えにくいが、あるいはなりふりかまっていられなくなったのかもしれない。
「とにかく、シグルドに相談しよう」
 レヴィンは急いで天幕を出ると、宿営の準備で活気付いている陣を抜け、シグルドの天幕へと急いだ。

「トラキアの竜騎士だと……?」
 シグルドの反応は、至極もっともなものだった。だが同時に、その重々しい口調は、事態の深刻さを示している。
「やはり雇われたのだろうか」
「……いや、それは考えにくい。特にレプトール公爵はトラキアの竜騎士を非常に嫌っていた。彼が、トラキアの竜騎士と契約するとは思えない……それに、ドズル公が破れて焦ったとしても、早すぎる」
 ドズル公が破れてから、まだ十日と経っていない。普段から連絡を取り合っているのであればともかく、そうではないのにこの短時間でトラキアの竜騎士がここに現れるというのはちょっと考えられない。
「だよな……だとすると……」
 レヴィンが思索をめぐらそうとしたところで、シグルドが突然「あ」と声をあげた。
「どうした?」
「はは……忘れていたよ。多分だけど、フリージ公は私を賞金首にでもしたんじゃないかな。だとすれば、彼らが出てきてもおかしくはない」
「賞金首……って、おいおい」
 仮にもグランベル六公国の後継者を賞金首。
 普通に考えたら絶対にありえなさそうな話だが、そもそもこれまでだってありえないような状況の連続で、ここまで追い込まれてしまったのだ。
「……まあ正直、彼らが来た理由はどうでもいい……狙いは間違いなく、私だろう」
「だな」
 そのまま二人は黙りこくってしまう。
 竜騎士は、当然だが天馬騎士同様、砂に足が取られることなどない。また、十分な弓戦力があればともかく、シグルド達にはそれは少なく、また、彼らも行動しているのは夜であろう。
 昼間は、シグルドらはもちろん、竜騎士も、そして天馬騎士もまともに動ける時間ではないのだ。おそらく、その灼熱の太陽の下で一刻も動き回れば、疲労と脱水で戦うまでもなく死ぬ。人間が耐えられたとしても、乗騎が耐えられない。
 だが夜戦となると、現在、月はほぼ半月の状態であり、空から月明かりを頼りに軍勢を見出すことは容易でも、逆に地上から空を見上げて竜騎士の影を正確に捉えるのは非常に困難だ。つまり、地上からの迎撃は圧倒的に不利だ、ということである。
 加えて、竜騎士の攻撃力は並の騎兵を遥かに凌ぐ。
 これから、グランベル正規軍との決戦を控えるシグルドらにとっては、戦力の消耗はなんとしても避けなければならないことなのだが、それがいきなりけつまずいている。
「……これしかないな」
 レヴィンは意を決したように立ち上がった。
「レヴィン?」
「俺と、天馬騎士で竜騎士団を食い止める。シグルド達はこのまま、フィノーラへの道を目指せ」
「ま、待て。それでは……」
「騎兵は砂漠では話にならない。夜闇では弓もダメ。しかもやつらがこの軍を討ち取りに来たとなれば、投槍を大量に装備している恐れがある。そうなれば、こちらは反撃すら出来ず、槍の雨で全滅する」
 だが、とレヴィンは言葉を続ける。
「天馬騎士ならば、高さの不利はない。ペガサスは夜目はあまり利かないが、今ならばまだ月もそこそこに明るい。それに……俺がいる」
「だが、相手にもしトラバント王がいたら……」
「なんとかするさ。俺だってシレジア王だ」
 実際には何の根拠にも保証にもなっていない。
 天を操るという天槍グングニルは、本来竜騎士にとって弱点とされている弓や魔法すら無力化する、と云われているのだ。
「とにかく今のお前たちでは、竜騎士相手には勝負になりはしない。俺たちに任せてくれ」
 そう言われては、シグルドもそれ以上の言葉はなかった。
 実際、レヴィンの言うことは正しかったのだ。
「分かった。だが、必ず追いついてくれ。フィノーラで、待っている」

 方針が決定してからのシグルド達の動きは早かった。
 レヴィンは直ちにフュリーら天馬騎士に命じ、トラキアの竜騎士らの正確な情報を集めさせた。
 一方でシグルドは他の将兵にトラキアの竜騎士が来ている旨を伝え、万に一つに備えての準備をさせていた。
 幸いなのは、シグルド達が発見されている可能性が低いことだ。
 夜中に移動するのはお互いさまではあるが、移動中に発見される確率は空を飛ぶ方が高い。
 偵察に出ていた天馬騎士も、即座に身を伏せたという話なので、見られていたとしても鳥などと勘違いされている可能性が高い。
 ましてシグルド軍は山間の――昼間に日影が確保しやすい――道を選んでいるので、遠くから発見される可能性はないに等しいのだ。
 もっともシグルド軍の移動経路というのは必然的に限られるので、おそらくそこから推測はつくだろうが、それでも彼らは、まずシグルド軍の足跡を探さなければならない。そこに付け入れば、上手くいけば奇襲をかけられる可能性もある。
「ま、そこまでは期待していないけどな。俺の歌で眠らせる、とかできりゃいいんだけど」
 一通りの説明を終えたレヴィンは、最後にそう付け加えた。それで、緊張に包まれていた天馬騎士達に、笑みが洩れる。
 実際、彼女らは全員緊張していたのである。
 天馬騎士同士で戦うことは、全員経験がある。皮肉にも、先の内戦がその経験を積む機会を全員に与えてくれた。
 だが、今回は同じ空を舞う騎士でも、勝手が違う。
 相手が駆るのはペガサスではなく、それより遥かに強靭な飛竜である。
 天馬騎士と竜騎士はともに空を舞う騎士として、大陸では非常に有名な存在ではあるが、同時にこの二つが、まるで異なる戦い方を基本としていることを知っている者は、非常に少ない。
 天馬騎士は、基本的には通常の騎馬が空を飛んでいる、と考えてもまず差し支えはない。無論、空からの急降下によるチャージの威力は普通の騎兵とは比較にならないが、それ以外の戦術は実はそれほど違いがない。天馬騎士は地上における騎兵同様、滞空してその場で戦うことも出来るのだ。
 だが、竜騎士は異なる。
 通常、飛竜は空においてその場に留まることは滅多に――できないわけではないが――ない。そして、飛竜はその体躯がペガサスより格段に大きい。
 ゆえに、通常の武器で攻撃しようとすると、事実上飛竜が体当たりをするようなことになってしまう。確かに飛竜は馬よりも大きく頑丈だが、かといって騎兵などに体当たりでもしたら、さすがにバランスを崩して墜落してしまう。
 そこで、竜騎士が使う武器と言うのは総じて通常より遥かに長い槍が一般的である。その間合いの広さと、天馬騎士同様の強烈なチャージが、竜騎士最大の武器であるが、実はもう一つ武器がある。
 飛竜はペガサスに比べて格段に強靭であるがゆえに、より大きな荷重に耐えられる。
 それを利用して、投槍を多数装備し、高空からこれを投じる、というものだ。これは非常に強力な攻撃で、竜騎士が恐れられる最大の理由でもある。
 また、竜騎士自身も、天馬騎士に比べて遥かに重装備である。
 真っ向から激突しては、天馬騎士に勝ち目はほぼないといっていい。
「その分機動力勝負となるわけだが……」
 竜騎士に対して、天馬騎士が大きく勝っているのが小回りである。この差は圧倒的といって良い。飛竜はその速度においてはペガサスの比ではないが、代わりに小回りが利かない。これはそもそもの飛竜の特性なので、どれほど卓越した竜騎士であろうとも、例外はない。ゆえに竜騎士と戦う場合、天馬騎士はその長槍をかいくぐり、懐に飛び込んで勝負しなければならない。それとて分のいい勝負ではないが、それ以外では勝負にならないのだから仕方がない。
 もっともあくまで理論上は、だ。
 過去、天馬騎士と竜騎士が戦ったという記録はない。
 シレジアは他国に干渉することはなく、天馬騎士が他国に赴く時は大抵使者として、あるいは使者の護衛としてのみであり、戦闘を行うことはなかった。ゆえに、大陸のあちこちで戦いをしていた竜騎士と戦うことはなかったのである。
 無論、聖戦以前にあるいは戦うこともあったかもしれないが、その記録はまったく残っていない。ゆえに、事実上これが初めてとなる。
 しかも、相手には――。
「トラバント王がいないことを祈るしかない、か……」
 天槍グングニルを振るう、間違いなく大陸最強の竜騎士。彼と戦うことになれば、おそらく天馬騎士は全員まるで相手にならないだろう。そもそも、近付くことすら許されないに違いない。勝負になるとすれば、それは、同じ神器をもって対するしかない。
 おそらく、過去幾度もグングニルと刃を交えたのは、地槍ゲイボルグであろう。ノヴァの後継者は、北トラキアの守護者として、ダインの継承者と聖戦後、幾度も戦ったという。
 現在の後継者はシグルドの親友であるキュアン王子。
 彼は、シグルドのために、と一度故国であるレンスター王国に戻っているが、その後一年以上にわたって音沙汰はない。
 ただ、それは無理もないだろう。
 シレジアとレンスターは遠く、また、間にイード砂漠かグランベル王国がある。しかもシレジアは外部に情報が出にくい国だ。レンスターにあって、シレジアの内情など分かるはずがない。いつか、シグルドがバーハラに攻め上がることは分かっていても、タイミングを合わせるなど不可能に等しいはずだ。まして、昨年起きたシレジアの内乱など、キュアン王子の創造できるものではなかったはずだ。
 となれば、あと、シグルド軍が持つ神器は三つ。シグルドが持つ聖剣ティルフィング、ブリギット公女が持つ、聖弓イチイバル。そして最後の一つが、レヴィンの持つ風の神魔法フォルセティ。
 正直に言えば、どれもグングニルに対しての相性は悪い。
 騎兵であるシグルドが相性が悪いのは言うまでもない。そして本来、竜騎士にとって弱点であるはずの弓と魔法だが、こと、グングニル相手だと話が変わってくる。
 グングニルは『天槍』という名を持つとおり、天を操る、とされている。ここから先は、レヴィンも伝承でしか聞いたことがないが、グングニルを持つものには、弓はまるで通用せず、そして魔法も、風の魔法は通用しないとされているのだ。
「これがトールハンマーかファラフレイムなら違ったんだろうが……」
 だが、レヴィンが持つのはフォルセティである。
 並の魔法使いとは比較にならない力を振るう自信はある。まったく通じない、と言うことはないだろう、と思う。だが、他に援護が望めない状況で、一対一で戦いたい相手ではない。
「まあ、なるようになるさ。不意を撃てれば勝機もあるだろう」
 その時、レヴィンの元に、出撃準備が整った、という報せを持ったフュリーが現れた。

 戦端を開くに際し、不意を撃つのは絶対条件だった。
 そもそも、向こうはおそらくまだこちらに気付いていない。こちらの竜騎士を発見した天馬騎士は、単騎で行動していたので、おそらく竜騎士側から見えたとしても、鳥か何かに見えたはずだし、実際、彼女も出来るだけそう行動するようにしたらしい。完全にアテには出来ないが、気付かれていない、と考えてレヴィンは作戦を立てた。
 そこで今回、レヴィンは奇襲をかけることを選んだ。
 天馬騎士が竜騎士に対して勝っていることの一つに、地上からの上昇速度がある。実際に戦場で相対した時にはあまり意味がないが、飛竜は飛びあがってから速度が上がるまでに、多少時間がかかる。高度を取るにも、ある程度の速度を必要とする。だが、ペガサスはその必要はない。鳥のように羽ばたけば、その分高度は上がる。
 竜騎士がどの程度の高さを飛行するかは分からないが、その高度に達する前に、一気に下方から急襲し、そのまま上を取る。一度上を取ってしまえば、戦いはかなり有利になる。
 無論その前に完全に気付かれ、投槍を雨のように降らされたら相当な被害を被りかねないが、それに対しては、竜騎士のやや後方から奇襲をかければある程度は軽減できるだろう。
「とにかく今回は、スピード勝負だ。一気に決めないと、やられるのはこっちだ」
 レヴィンに告げられたフュリーは、小さく頷くと、背後にいる天馬騎士三百騎を振り返った。
 ごく一部、国内の治安維持のために残してきた部隊を除き、シレジアの天馬騎士の全軍に等しい数である。逆に言えば、本来の数――六百騎の半数しかいないことが、先の内戦でのシレジアへのダメージの大きさを感じさせる。
 先ほど戻った偵察――もう見つかると危険なので、徒歩で行った――によると、竜騎士は先ほど宿営地を発ち、こちらに向かっている、とのことである。ほぼ間違いなく、シグルド軍を目指している。おそらく、リューベックを陥落させた時に情報が行き渡ってしまっているのだろう。リューベックを陥落させた時間と、次の行動を考えれば、シグルド軍の現在位置は容易に想像可能だからだ。
 フュリーら天馬騎士は、自分達もフードで身を隠し、ペガサスの白い体躯も同じ色――土色――のマントをかぶせ、上空からは見えにくいようにした上で、さらに出来るだけ物陰に隠れるようにしている。竜騎士が上空を通過する時間だと、空も暗くなっていて月明かりくらいしかないので、見つかる可能性はないに等しい。
 しばらく息を潜めていると、やがて風を切る音が聞こえてきた。
 それは、ペガサスとは違う、何か巨大なものが空を飛び、風を切る音。それが飛竜によるものであるのは、もはや間違いない。
 ややあって、竜騎士が彼女らの近くを通過していく。その数、およそ二百騎。
 高度はそれほど高くはない。だが、だからこそ、その体躯の大きさには誰もが一瞬、息を呑んだ。
 竜騎士は、さほど速度を取っていないようで、ゆったりとした速度で通過していく。そして、その最後尾が、視界内に自分達を捉えきれなくなるような位置に移動した時、レヴィンは無言で手を掲げた。それに応えて、全天馬騎士が、フードとマントを取り払い、騎乗、即座にペガサスを宙に舞わせる。

 ここに、記録上では初の、竜騎士と天馬騎士による空中戦が行われようとしていた。




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