し る べ     
風の道標・第二十九話




 風が、まるでこれから起こることを恐れるかのように凪いだ。
 直後、翼が風を切る音だけが、唐突に響き渡る。
 そしてそれは、片方にとってはまったく予期しない音であった。
「なんだ?」
 最後尾を飛んでいた竜騎士は、その直後、自分のすぐ後方に、地上から一気に舞い上がってきた白い翼を見た。
 一瞬それは、白い鳥のように見え、彼はそのようなものを見れたことの幸運を一瞬感じて――そして今いる場所を思い出した。
 ここは水辺でもなければ、湿地帯でも湖があるわけでもない。それどころか、トラキア王国よりも枯れた大地、イード砂漠の真ん中だ。そこで、このような鳥の群れがいることなど、あろうはずがない。
 そして、その翼が鳥のものではなく――。
「――ペガサス!?」
 知識としては、無論知っている。
 シレジアにある、竜騎士と並ぶ飛行戦力。
 しかし、その存在を聞いたことはあっても、見たことがあるわけではない。ゆえに、彼が判断を遅らせたのを責めることはできるものではないだろう。
 一方の天馬騎士たちにとっても、飛竜を駆る竜騎士は、知識としては知っていても実際に相対するのは初めてである。
 先だってのアグストリアの内乱で、小規模ながら竜騎士が傭兵としてシャガール王に雇われていたらしいが、その時、シグルド軍に属していたフュリーらは戦っていない。
 そして、記録に残っている範囲で、シレジアとトラキアが戦争をしたことはない。
 よってこれが、有史初の天馬騎士と竜騎士の激突なのである。
 基本的に、天馬騎士に比べて竜騎士ははるかに耐久力と攻撃力に優れる。
 無論、騎士個々の能力の差もあるが、そもそもの特性は圧倒的な差になるのだが、今回に限り、天馬騎士に圧倒的なアドバンテージがあった。
 それは、天馬騎士たちが竜騎士を敵として認識しており、対する竜騎士は、天馬騎士を認めたとしても、それが何を目的としていたのかの判断をする材料を持たず、また、天馬騎士がイード砂漠にいる、という事態は竜騎士たちの予想の中になかったのである。
 それが、本来速度に勝る竜騎士たちの懐に、天馬騎士が飛び込む決定的な隙を生み出したのであった。
「いった……!?」
 最後尾の騎士は、旋回して天馬騎士に対して警戒すべきかどうかを躊躇した後、その思考を永遠に止めることになった。
 先陣を切っていた天馬騎士の、その速度を利用した投槍が、騎士の咽喉を貫いたのである。
「何だ!?」
 さすがに歴戦の竜騎士である。天馬騎士が敵であることを理解した彼らは、即座に天馬騎士に対して戦闘態勢をとろうとする。
 ただ、竜騎士は致命的に不利な状況にあった。
 竜騎士は小回りが利かない。そして、竜騎士の最大の戦闘手段はその加速力を利した突撃である。
 だがこの時、竜騎士は完全に後ろから攻撃を受けていた。ゆえに、竜騎士はその最大の戦術を取ることができない状態だったのだ。
「何事だ!?」
 まして、普通の軍とは異なり、空を高速で飛ぶ竜騎士は隊列が長い。ゆえに、その先頭を行く隊長が事態を把握するのが遅れたのもまた、致命的な隙を生んでいた。
「マゴーネ様、敵襲ですっ」
「何だと? 何を馬鹿な。弓も何も……」
 竜騎士を率いるのは、トラキアの将軍の一人、マゴーネ。トラバント王の信任篤く、竜騎士団の副団長を務める、トラキアでも有数の竜騎士だ。
 その彼をしてこの対応は、いささか鈍いとは言えなくもないが、やはり責められるものではないだろう。竜騎士は高速で飛行しており、仮に弓兵がいたとしても、卓越した――それこそバイゲリッター――でもない限り、まともに捉えることすらできるはずがない。
「そ、それが……天馬騎士です!!」
「なに?」
 一瞬、マゴーネはその言葉の意味を取り損ねた。それも無理はない。彼らにとって、天馬騎士というのは存在こそ認識していても、それを敵とすることはもちろん、普段意識することすらない相手なのだ。
「バカな、天馬騎士がなぜ……!!」
 しかし、視線を隊の後方にやると、そこには空を自在に舞う白き翼が、白銀に輝く槍をもって次々と竜騎士に襲い掛かっている。
 元々竜騎士は空中で戦うことは想定されていない。これまで、竜騎士の相手は必ず地上の戦士であり、同じ空中で、しかも竜騎士以上の機動力を持つ相手などと戦ったことはないのだ。
 例外としては、竜騎士同士の模擬戦だが、そもそも天馬騎士と竜騎士では、その特性があまりにも異なる。
「くっ……ええい!! うろたえるな!!」
 竜騎士の隊を統べるものに求められる条件の一つに、実は声量がある。
 空中を高速で駆ける竜騎士は、隣の人間に対しても言葉を伝えるのが難しいことがあるのだ。
 その点において、マゴーネは十分に竜騎士を率いる者としての資格を備えていた。
「第一小隊から第三小隊は反転、残りは加速してから反転せよ!! 我らの速度に天馬騎士はついてこれぬ!!」
 そもそも、天馬騎士の攻撃力では、分厚い鎧を纏っている竜騎士を打ち倒すことは容易ではなく、また、天馬騎士最大の攻撃手段であるチャージも、速度に勝る竜騎士相手には通用しないのだ。
 戦いは、あっという間に乱戦に突入した。
 本来、竜騎士は空中での乱戦などやったこともなく、また不向きであるのは言うまでもない。
 そして、天馬騎士は先の内乱もあり、空中戦を経験しているものがほとんどである。
 その一点においては、天馬騎士たちに圧倒的なアドバンテージがあるのは否めない。また、天馬騎士の方が数も多い。
 だがそれでもなお、戦いは互角に展開した。
 いかに長槍をかいくぐり、一撃を加えたとしても、頑強な飛竜の上の竜騎士を、わずかにたじろがせるに過ぎない。
 天馬騎士の攻撃では、竜騎士の鎧を貫くことはできないのである。
 さらに、竜騎士は個々としても優れた戦士であり、仮に長槍をかいくぐられても、剣でもって応戦し、天馬騎士の攻撃を受け流してくるのだ。
 そんな中、一人竜騎士を圧倒していたのがフュリーだった。
 フュリーは竜騎士の攻撃を巧みな鐙捌き――彼女は基本的に手綱を持たずにペガサスを操れる――でかいくぐり、その手にある蒼風の槍は、的確に竜騎士の鎧のもっとも脆弱なところを貫く。それが致命傷にならなくても、深手を負った竜騎士は、続く天馬騎士たちの攻撃を捌ききれず、次々と攻撃を受けて地に落ちていく。
 しかしそのフュリーの奮戦も、数百という規模の戦いでは、全体に与える影響は微々たるものである。
 天馬騎士は、竜騎士たちの攻撃に対して、回避を優先に考えて戦っているため、まだほとんど被害は出ていない。
 だが、一撃でも受ければ致命傷になる天馬騎士と、攻撃は食らうが致命傷にならず、相手の動きが鈍くなるのを待てばいい竜騎士では、予想は出来ていたが、あまりにも分が悪かった。
 時間が経てば経つほど天馬騎士側が不利になるのは誰の目にも明らかである。
 実際、竜騎士たちの被害は、最初の奇襲と、フュリーと戦う一部を除けば、最初の奇襲以降、ほとんど出なくなっていた。
 マゴーネも、勝てる、と踏んだ直後。
 その変化は激烈だった。
 ドン、という何かが爆ぜたような音の後、突然巨大な竜巻が、戦場の真ん中に屹立したのである。
 しかもそれはただの竜巻ではなく、死をもたらす風の刃による竜巻であり、しかもあろうことか、竜騎士、天馬騎士共にすべて巻き込んでいるはずなのにも関わらず、その刃が切りつけるのは、例外なく竜騎士だけであったのだ。
「なっ……!!」
 その竜巻は、砂塵を巻き上げ、月明かりの下にあって黒い柱と化して、竜騎士たちに容赦なく襲い掛かった。
「い、一体これは……」
 こんな馬鹿げた自然現象など、聞いたことはない。あり得るはずがない。
 それでもなお、竜騎士たちは必死に竜巻をよけつつ抗戦していたのだが、何よりも不可解な風の恐怖が、彼らの士気を挫いていた。
「どうやら、グングニルはいないようだな……」
 恐ろしいほど落ち着いたその声を、マゴーネは驚くほど近くから聞いた。
「何者……」
 声のした方向を振り返り、そこでマゴーネは絶句した。
 自分の飛竜の、尾の上に、人が立っていたのである。
 月明かりに見えるその容貌は、二十台前半というところに見えるが、その威圧感をマゴーネは良く知っていた。
 自分たちの主、トラキア王トラバント。
 彼が天槍グングニルを手にしている時とまったく同じ威圧感を、この細身の男から感じ取っていたのである。
「き、貴様は……」
 マゴーネの頭の中は、すでに思考が停止している状態に近かった。
 そしてその男――レヴィンは、ゆっくりと周囲を見渡す。その視線に射抜かれたように、周りの竜騎士もまた、まったく動けなくなっていた。
「俺はシレジア王レヴィンだ……が、そんなことはどうでもいい。なぜこれだけの規模でトラバントはいない?」
「へ、陛下は……」
 逆らう、ということは許されない。それだけの威圧感が、シレジア王と名乗った人物にはあった。
「陛下はもう国にお帰りだ……レンスターの王子を討ち取ったからな……」
「なっ……」
 その言葉に、今度はレヴィンが驚愕した。
「レンスター王子というと、ゲイボルグの継承者、キュアン王子か!?」
 マゴーネは、それにただかくかくと首を立てに振る。
「バカな……」
 その瞬間、そのシレジア王から発せられる覇気が緩んだ。
 少なくとも、マゴーネはそう感じた。
「死ねっ……!!」
 その、マゴーネが最期に見た光景は、突き出した長槍が、まるで野菜かなにかのように先端から輪切りにされるものだった。

 戦闘は、結果としては天馬騎士側にはほとんど被害がないまま終わっていた。
 そもそもレヴィンは、トラバントがいることを想定し、彼に不意打ちをかけるつもりだったのだ。
 ゆえに、戦闘の初期においては身を伏せていたのだが、彼がいないと分かったため、一気に勝負をかけたのである。
 しかし、戦闘が終わった後のレヴィン達は、勝利に沸く気分には到底なれなかった。
 生き残った竜騎士から得られた情報は、絶望的なものだったのだ。
 レンスター王子キュアン、王子妃エスリンの戦死。ランスリッターの壊滅。
 確かに、キュアンはシレジアからレンスターに帰国する時、いつかシグルドがグランベルに攻めあがることがあれば、協力は惜しまない、と言っていた。
 おそらく今回も、彼はシレジア側の動きに注視していて、シグルドが兵を進めたのを察して、兵を挙げたのだろう。
 しかしそれを、長年北トラキアを狙っていたトラバントに付け入られたというわけだ。
 戦乱の時代にはよくある話だ。
 だが。
「一体……シグルドにどう伝えればいいんだ……」
 シグルドにとっては、親友と妹を同時に失ったことになるのだ。
 それに、キュアン王子、エスリン王女が出陣していたとなれば、おそらくは彼の従騎士だったフィンも一緒だろう。
 フィンはノディオンの王女ラケシスと結婚している。彼女にも、彼の死を伝えなければならないのだ。
「レヴィン様……」
 フュリーが心配そうにレヴィンを見やる。
 フュリーもまた、キュアン達の死にショックを受けているのだろう。顔が真っ青であるが、それでも自分を気遣ってくれるのが、レヴィンには嬉しく、また甘えたくなってしまう。
 それを誤魔化すように、レヴィンはやや力なく笑った。
「俺たちが今考えたところで、起きてしまった結果が変わるはずはない。また、これをシグルドたちに伝えないわけにもいかないし、竜騎士の脅威を取り除いたことも伝える必要がある……フュリー、部隊をまとめて、フィノーラに向かう。負傷した者は、応急処置だけ済ませて、動ける者でフォローしてやってくれ。さすがに、こんな砂漠の真ん中では休めないから、無理をしてでもフィノーラまでは行く必要がある」
「……はい、分かりました」
 なおも足取りがはっきりしないのは、仕方のないことかも知れない。
 だがここは砂漠の真ん中であり、また、砂漠の蛮族がいないとも限らない。
 いつまでもここにいるわけにはいかないのである。
「フュリー」
 レヴィンの言葉に、フュリーは一瞬身体を震わせて立ち止まると、振り返った。
「俺は死にはしない。安心しろ」
 その言葉に、フュリーは少しだけ微笑むと、「私も、です」と呟く様に言い、それから急ぎ指示を出すためにその場を立ち去っていった。

 レヴィンの報告は、最初にその場を安堵させ、それから場を凍りつかせた。
 そもそもシグルドは、ラケシスを報告の場に呼ぶ時点で、違和感は感じていたのだ。
 ただ、ラケシスは今やアグストリアの騎士達の指揮官であり、レヴィンと並んでシグルド軍内における最大部隊を率いる一人であるから、呼んだのだ、と。そう思ったいたのだが。
 だがその予想は、完全に裏切られた。
 竜騎士の撃退を報告したレヴィンは、続いて竜騎士から聞いた情報として、ランスリッターの壊滅を伝えたのである。
 その場にいる者達の顔は、蒼白、という言葉では足りないほどであった。
「……なぜだっ!!」
 ドン、という音と共に、シグルドの拳がテーブルに叩きつけられた。
 重厚な木製のテーブルが、その理不尽さに抗議するかのようにギシ、と軋む。
 一方のラケシスは、まるで目の前が見えていないかのように、視線が虚空を泳いでる。
「……竜騎士からの情報ではある。だが、複数から同様の証言が得られた……まず、間違いない。キュアン王子、エスリン王女以下、イード砂漠南端にて、俺達の援軍として駆けつけたランスリッターは全滅した。ただの一騎も、逃れることなく、だ」
 砂漠での騎兵の機動力は、通常の半分もない。
 そこを竜騎士に空から襲われれば、なす術などなかっただろう。
 それは、個人の武勇でどうにかなる違いではない。
 そしてその逆境すら跳ね返しうる力――神器を持つキュアンは、同じ神器を持つトラバントに封じられたのだろう。
「なぜ、彼が死ななければならないっ!! エルトも、キュアンも、なぜっ!!」
 その言葉に、ラケシスが再び身を震わせた。
 確かに、死ななくていい者ばかりが死んでいく。
 エルトシャンも、キュアンも。
 そしてシレジアで内乱を起こしたダッカー叔父、マイオス叔父にしたところで同じである。
 なぜこのようなことになっているのか。
 この戦乱のそもそもからして、何かがおかしい。
 グランベルのクルト王子は死に、側近であったバイロン卿、リング卿も殺された。
 アグストリアの動乱も、イムカ王が不可解な死を遂げなければおそらくは起きなかったはずで、そうなればエルトシャンが死ぬような事態にはならなかったはずである。
 そもそも、この戦いの発端であるダーナの虐殺からして、おかしいことだらけであるのは、当事者の一人であったアイラ王女からも聞いている。
 そして、シグルド達の出兵のきっかけとなった、ヴェルダンのユングヴィ襲撃。
 その裏にいたのは――。
「レヴィン?」
 ヴェルダンの突然の暴発の裏にいたのは暗黒教団だ。レヴィンは直接関わっていないが、間違いないと聞いている。
 アグストリアでも、シャガール王は暗黒教団と手を組んでいた、という噂があった。
 実際、シグルドの妻ディアドラが攫われる時、暗黒教団の司祭が目撃されている。
 シレジアでは、ダッカー叔父の元に、正体の知れない魔道士風の男が出入りしていたのも聞いている。
 それらの符号が導くものは……。
「暗黒教団……」
 だが、腑に落ちない点がある。
 いくら暗黒教団が蠢動しようが、今の状況では、戦乱を巻き起こしているだけだ。
 国家間の緊張状態を利用したのは確かだが、暗黒教団が再び勢力を握ろうとするのであれば、それは現在の秩序を完全に破壊した上でなければ不可能である。
 聖戦より百年経ってなお、暗黒教団への人々の憎しみは深い。
 そしてこの戦乱は、現在のところグランベル王国の一人勝ちだ。
 これでは、暗黒教団にはなんら利がない。
 少なくとも、そう思える。
「何か……見落としていることがあるのか……?」
「レヴィン?」
 さすがに落ち着いたのか、シグルドが不思議そうにレヴィンに問いかけた。ラケシスもまた、首を傾げている。
「……いや、たいしたこと……ではあるんだが。ただ、何かを見落としている。それも致命的なものを。そんな気がしてならないんだ」
 あるいは自分たちの行く先に、パズルの最後のピースがあるのか。
 神の力を継いでいても、神ならぬ身のレヴィンには、それは分からぬことであった。




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