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永き誓い・第二話



 ヴェルダン王国に入ったアイラ達だったが、そこで旅銀はほとんど尽きてしまった。
 さすがに、金がなくては食料の調達すらままならない。
 自分はともかく、シャナンを飢えさせるわけにはいかず、アイラは何とか食料を得る方法を探そうとした。
 幸い、その方法はすぐに見つかった。
 ヴェルダン王国のジェノア城の城主、キンボイスが傭兵を募集していたのだ。アイラは傭兵の格好をしていたし、イザークでは女戦士は珍しくもなかったので、すぐ応募に応じた。何故この時期に傭兵を集め始めたか、不思議に思わなくもなかったが、アイラ達には迷っている余裕はなかったのだ。
 幸い、このヴェルダンまで来ると、イザーク王家の者の顔はもちろん名前すらも、いや、イザーク王国の存在すらほとんど知られていなかったので、アイラは本名で名乗った。アイラは配属の希望を聞かれたとき、シャナンから離れないために、城の守備を希望し、幸い、ここは女性であるからか、すんなりと受け入れられた。
 アイラ達に当てられた宿舎は、さすがに他の男達とは分けてあったが、それでも粗末なものだった。
 だが、アイラ達にとっては、何よりも雨風をしのげて、飢えを満たせるということがありがたかったのだ。とにかく、今は情勢が見えてくるまで動けない。いつか、イザークを奪還する兵を挙げるとしても、まずシャナンが成長しなければならないし、それ以前に飢えては話にならないのだ。まずは、生活していくことが、彼女らにとっては最重要課題だったのだ。
 しかし、アイラにとっては珍しくなくても、女で戦士であることはこの地方では珍しいことだった。そのため、アイラの存在は、すぐにキンボイスらの耳に届き、キンボイスがそれに興味を覚えるのは至極当然のことであっただろう。
 傭兵となって数日後、アイラはキンボイスに呼ばれた。
 シャナンを伴ってキンボイスの前に来たアイラは、ヴェルダンの野卑な男達の好奇の視線に晒され、シャナンは怯えながらアイラの服の裾を掴んでいる。しかし、男達はそんなシャナンの様子を気にもせず、まるで嘗め回すように二人を見物した。黒髪黒瞳のアイラやシャナンは、この地方ではかなり珍しく、それだけでも十分目を引いてしまうのだ。加えてアイラの容貌は、ヴェルダンの女達にはない美しさをもっていた。
「何の用だろうか。それとも戦うべき相手が決まったのか?」
 アイラは、ことさらぞんざいな口調を使うつもりはなかったのだが、この状況では、自然とそうなってしまった。アイラのその口調に男達は鼻白んだが、中央にあるイスに座った男はそれほど動じた風も見せず、アイラを見据えている。
「いや、まだだ。上手くいけば用無しですんでくれるかもしれんしな。ただ、もし戦うとしたら、グランベルとだ」
 グランベル、という言葉にアイラは思わず反応してしまう。軽く握っていたつもりの掌に力が入っていた。
「だが、今回はそんなことを言うためにお前を呼んだんじゃない。この地方じゃ、女の戦士なんて珍しくてな。正直言うと、腕の方に信用がもてない。同じ給金を受けるのは不公平だ、という奴が結構いる。そこであんたの腕を見せてもらおうと思ったわけだ」
 キンボイスがそう言うと大柄な男が一歩前に進み出た。両手で巨大な戦斧を持っている。確かに、当たったらひとたまりもあるまい。野卑な、という形容がピッタリの感じの大男は下品な視線でアイラを見た。
 周囲の男達が、下卑な笑いを浮かべている。
「いいだろう。その男と戦ってみせれば、いいのだな?」
 アイラはこともなげにそう言った。周囲からは失望したような声が漏れる。
 おそらく、アイラが許しを請うのを期待していたのだろう。確かに、普通の女性があんな者と戦え、と言われたらそういう反応をするだろうが、アイラは別段、何ら怖れるものはない。
「わ、分かっているなら早い。ジランド、やれ」
 キンボイスが命じると、ジランドと呼ばれた大男は、人のものかどうかすら疑いたくなるような意味不明の雄叫びを上げて、突進してくる。そして、間合いに入ったと思うや否や、その戦斧を振り下ろした。見ていた者は、女戦士がザクロのように砕けたのを想像したが、しかし斧は音高く床を砕いただけだった。
「遅い……!!」
 アイラは斧を楽々とかわすとそのまま懐に飛び込んだ。体格差と武器の差で、間合いはアイラの方が狭い。だが、懐に、剣の間合いに入ってしまえば、間合いの有利不利は逆転する。アイラはそのまま剣を振り抜いた。だが、一撃では、アイラの腕をもってしてもたいした傷にはならない。
 しかし。
 アイラは振り抜いた剣を返すと続けざまに連撃を浴びせた。ほんの一呼吸。その間に男は全身を斬り刻まれ、大きな音をたてて床に倒れた。
 周りの男達は声を失っていた。ここまで見事な剣技は見たことがなかった。もともと、ヴェルダン王国は森林が多く、最初は木こりが開拓した、といわれている。そのためか、武器も斧が主流で、剣を使う戦士などほとんどいない。故に、剣技はほとんど発達しなかったのだが、それでも、この女の剣技が卓越していることは、容易に想像がついた。
「み……見事だ。素晴らしい剣技だ。他の者達もこれなら文句は言うまい。どうだ、剣術指南として、ヴェルダンに仕えてみないか。あんたなら誰も文句はいわん」
「魅力ある誘いだが、遠慮しよう。私は人に教えるのが苦手だ」
 アイラはそう言って、出来るだけ穏便に断ろうとした。「魅力ある誘い」とはもちろん社交辞令だったし、このままこの地に、いつまでも留まるつもりもない。また、地位を手に入れて名が広まってしまうと、グランベルに自分とシャナンの生存を知られることにもなりかねない。
「そうか、残念だな。ところであんた何でこんな地方に来たんだ? 見たところ、他の地域の出身だろう? それにその子供はなんだい? あんたの子供か?」
 その声にシャナンは、ビクッとしてアイラの陰に隠れた。
「いや、兄の子だ。兄はもう死んでこの世にはいない。だから私が世話している」
「う〜ん。そうかい。城の守備を希望したのも、その子供から離れないためか?」
「そうだ」
 言ってからしまった、とアイラは思った。向こうに切り札を握らせてしまった。
「そうかい。大変だなぁ。だが出来ればあんたくらいの腕があるなら、迎撃の方をまかせたいのだがなぁ。もちろん、そんなにこの城から離れてもらおう、なんて思っちゃいない。だが、あんただって城の防御よりは、城門を出て迎撃する方が得意だろう?その子供にもその方が安全だろうしな」
 やられた。事実上、シャナンを彼らに人質に取られてしまった、と気が付いた。そして、今のキンボイスの言葉は、アイラの配置を変更する決定を下したも同然だ。あるいは、ここを出て行こうとも考えたが、おそらく彼らは自分を逃がしてはくれないだろう。しかし、今ここでこの場にいるもの全てを斬り伏せることが出来ても、どうしようもないことは分かっていた。
 彼女らには、もう逃げる場所はないのだ。

 アイラ達の宿舎は別のところへ移された。前よりも立派な、城内の一室に。だがこれは、容易に逃げられないようにするためだということは、アイラには分かっていた。だがそれでも、シャナンが害される可能性は低かったので、この状況を甘受するしかなかった。
 間もなく、グランベルのシアルフィ公子シグルドが軍を率いてジェノアの北のエバンス城を占領した、との報が入り、いよいよグランベル軍と戦うことになった。
 もちろん、アイラにとってはグランベルは憎むべき祖国の仇であり、戦うことになんら不満はなかったが、シャナンを置いて行かざるをえないのが、どうしようもなく不安だった。
 エバンス城がグランベルに攻め落とされた報が入った四日後、シグルド公子の率いる軍がエバンス城を出立した、との報が入った。キンボイスはただちに傭兵部隊に招集をかけ、出撃の準備をしている。そして、アイラも呼び出された。
「俺達はとりあえず、シグルドとやらの軍を迎え撃つ。だが、支えきれなかった分がこっちまで抜けてくるだろう。あんたはそれを迎撃してくれればいい。シャナンがいるんだから、グランベルに城を攻められたら終わりだぞ。いいな。妙な行動をするなよ。甥っこの命はこっちが握っているんだからな」
 キンボイスはそう言うと、傭兵部隊をジェノアの北方に展開した。アイラは一度準備をするために自室に戻る。部屋にはシャナンの他に、世話係、と称して長身の男がいた。だが、その男が監視役であるのは明らかだ。
「アイラ、戦っちゃダメだ。なんか間違ってるよ」
「だが敵はグランベルだ。グランベルは憎むべき相手だ」
「違う。アイラは嘘をついている。グランベルが憎いから戦うんじゃない」
 アイラはそれには答えられなかった。グランベルと戦うのは望むところのはずだ。なのに何故、こんなにも気が滅入るのか。何かが違う、そう感じているのはアイラも同じだった。だが、今はそんなことを考えている余裕はなかった。
「早く行きなよ。グランベル軍が来ても知らないぜ」
 長身の男が、せかすようにアイラに言う。
「分かっている。だが、シャナンにもしものことがあってみろ。貴様ら全員、生かしてはおかないからな」
「おぉ、恐い。わかってるよ。あんたがちゃんとグランベルを退けさえすりゃいいんだからな、こっちは」
「アイラ、行っちゃダメだ! 何か間違ってるよ!」
 アイラは、シャナンのその声から逃げるように部屋を出た。

 グランベル王国シアルフィ公子シグルド率いる部隊は、そのころキンボイスの部隊と戦闘に入っていた。
 しかし、その力の差は歴然としていた。聖戦士の力を受け継ぐ戦士はもちろん、正規の訓練を積んだ騎士と寄せ集めの部隊では、士気も、統率力も集団戦闘のやり方にも、差がありすぎる。数度の突撃でキンボイスの部隊は総崩れとなり、キンボイスは、わずかな部下と共にジェノア城へと退却した。ちょうど、アイラが城から出てきたところだった。
「早いな、キンボイス。だがその様子では、グランベル軍を退けたわけではなさそうだな」
 キンボイスは、アイラの憎まれ口に対応してやるような余裕は、もうなかった。
「う、うるさい。すぐにでもグランベルのシグルドが来る。お前はなんとしてもくい止めろ。分かってるな。ドジったら俺もお前も、お前の甥のシャナンもただではすまないんだぞ」
 アイラはキンボイスを睨み付けたが、すぐに正面を向く。
「わかっている。足手まといにならないようにどっかに隠れていろ。言っておくが、シャナンに何かあったら、貴様ら全員ただではすまんぞ」
 そうしているうちに山向こうから土煙が見えてきた。数は二十騎と言ったところか。だが、ここで負けるわけにはいかない。シャナンのためにも。イザークの民のためにも。

「女が一人?」
 シグルドは馬を止めた。ジェノアまではこの道をまっすぐ行けばすぐにでも着く。その道の真ん中に女が一人立っていた。ただの旅人でないことはすぐにわかった。身の丈もありそうな長大な剣を持った旅人など、いるものではない。ならば敵か。だが、ヴェルダンには女が戦うということはない、と聞いていた。だとすればいったい何者だろうか。シグルドが迷っていると女の方から口を開いた。
「グランベルの公子シグルド、というのはお前か」
「……そうだ」
 シグルドは女戦士の意図を図りかねたが、とりあえず肯定の返事をする。
「ならば、この場で斬り捨てる!」
 言うなり女戦士は跳躍した。迅い。シグルドはとっさに手綱を引き、馬は驚いて前足を上げた。女戦士は素早く横へ跳び、シグルドに斬りかかった。紙一重だった。シグルドは女戦士の剣を受け止め、はじいた。力はシグルドの方が上だったが、鋭さは女戦士の方が上だった。シグルドは馬上で剣をかわすことが難しいと悟り、とっさに飛び降りて、剣をかまえなおした。その時、シグルドは見た。女戦士の瞳に宿した、悲しみを。
(この女性はいったい……)
 シグルドはそう思ったが、女戦士の攻撃は苛烈で、余計なことを考えている余裕はなかった。だが、シグルドはこの戦いそのものに疑問を感じ、攻撃することが出来なかった。

 キンボイスは這々の体で、ジェノア城に帰還した。
「くそっ。あいつら、強すぎる。このままじゃ俺も危ねえ。アイラだってそう長くはもたねぇかも知れねぇ。ちくしょう」
 そうは言っても彼には逃げる場所はなかった。いまから城外へ出ても、兄ガンドルフの待つマーファ城に着く前に、グランベル軍に捕捉される可能性の方が高い。唯一の望みはアイラがグランベル軍を退けることだが、いくらキンボイスでも、アイラ一人でどうにか出来ると考えるほど楽天家ではなかった。
 そこへ、息を切らせて部下の一人が駆け込んできた。確か、守備隊の兵のはずだ。
「キンボイス様! グランベル軍が城門へ……」
「何だと! どういうことだ、アイラが止めていたんじゃねえのか?!」

 アイラは確かにシグルドを足止めすることは出来た。また、シグルドと共に来ていた者達も、その一騎打ちには手出しできず、見守っているしかなかった。だが、軍師として従軍していたオイフェは、後から来ていた歩兵部隊にこの隙のジェノア攻略を命じた。ジェノアにはもうまともな守備力は残されていない、と判断したからだ。
 結果、ジェノア城は簡単に陥落した。元々、守備隊などほとんど残されていなかったのだ。
 そしてその知らせは、即座にシグルド達の元へと届けられた。
「し……しまった!!」
 アイラは自分の迂闊さをののしった。グランベルの全軍がこれだけのはずはないのに、シグルド一人に時間をかけすぎてしまった。ジェノアが陥落したということは、シャナンがどうなったかはわからない。だが、敵国の王子を生かしておくわけはない。グランベルの人間なら、黒髪黒瞳がイザーク人であることはすぐに分かる。それに、シャナンには明確にオードの聖痕があるのだ。
「おのれぇ!!!」
 アイラは大剣を大きく振り上げ、シグルドに振り下ろした。だが、必殺の間合いだと思ったその一撃もシグルドは受け流す。だが、それは予想の範囲内だった。アイラは、一瞬動きの止まったシグルドに背を向け、自分がここまで乗ってきた馬に飛び乗り、ジェノアへと向かう。シグルド達は、その鮮やかさに見惚れ、呆然とそれを見送っていた。
 ジェノア城はすでにグランベルの手に落ちていた。それほど激しい戦闘にならなかったのか、火がつけられた跡などは見えない。アイラは制止しようとするグランベル兵をかわして、シャナンがいるはずの部屋へ向かった。だが、そこには誰もいなかった。
 やがて遅れてジェノア城に到着したシグルドは、ちょうど逃げようとしているキンボイスを見付けた。
「これ以上逃げても無駄だ。観念しろ」
「う、うるせえ! ちょっとでも近寄ってみろ。このガキを殺すぞ!」
 キンボイスはそう言うと、6歳くらいの子供を引きずり出した。黒髪の、さっきの女戦士と同じ瞳の色をした子供だった。
「貴様……そこまで愚劣な男だったのか」
 シグルドはそう言うと銀の剣を抜き、近寄ろうとした。だが、子供の喉元に突きつけられた短剣に力が入りそうになると、それ以上は進めない。そこへ、正門のところから先ほどの女戦士が現れた。
「シャナン!!」
 女戦士──アイラはそう叫ぶとシャナンの方へ走り出そうとしたが、その喉元に突きつけられた短剣を見て、立ち止まった。
「何のつもりだ。キンボイス」
 キンボイスはアイラの方を見ると、うわずった声で言った。おそらく、もう半ば狂気に置かされているような声である。
「ア、アイラ。シグルドを殺せ。そうすりゃ、このガキは放してやる。シグルドさんよぉ。別に抵抗してもいいぜ。へ、へへ」
「アイラダメだ、こんなの変だよ!! その人と戦っちゃダメだ!!」
 シャナンは必死に叫んだ。シャナンにもシグルドという男が憎きグランベルの人間であることはわかっている。だが、それでも今ここでアイラと彼が戦ってはいけない、と感じていた。
「うるさい、このガキ! 黙ってろ! は、早くやっちまえ。アイラ。でなければこの可愛いあんたの甥っ子が死ぬことになるんだぜ……」
「…………」
 アイラは何も答えずに、下を向いていた。そして顔を上げたとき、彼女は何も見ていないかのような表情で、シグルドの方へと歩き始めた。
 シグルドはいったい何がどうなっているのか、分からない。だが、女戦士が本意で、この戦いに参加しているわけではないということは分かっていた。また、シグルドが抵抗すれば、キンボイスはシャナンと呼ばれた子供を害するであろうことも。
 シグルドが次にとった行動は、その場にいたキンボイス以外の者全員を驚かせた。シグルドは剣を捨てたのだ。
 その行動に一番驚いたのはアイラだった。思わず彼女はシグルドを見て、正気か、と問いかけるような視線を向けるが、シグルドの方はさも当然、というような顔をしている。その時、アイラは自分が何をしているのか、分からなくなった。憎むべき敵国の公子が、見も知らない子供のために命を捨てようとまでしているのに、自分はいったい……。
「どうした! 今がチャンスだろうが! シグルドを殺せ!!」
 キンボイスのヒステリックな声が響く。だが、アイラはまるで金縛りにでもあったかのように動けなかった。
「この、役立たずめ、だったら俺が……」
 キンボイスはそう言うと、シャナンの首に腕を巻き付けたまま、斧を拾い上げ、シグルドに近づく。シグルドは何もしないでその場に立っていた。そして、キンボイスが斧を振り下ろそうとしたとき、アイラの中で何かが弾けた。
 刹那、ひらめいた閃光は、キンボイスを斬ったものだった。シグルドは驚いてアイラの方を見る。
「て、てめぇ……」
 その言葉を最後に、キンボイスは崩れ落ちる。そのキンボイスに潰される前に、シャナンがすばやくその腕から抜け出すと、アイラに抱きついた。
「卑怯者になりたくはなかった。それだけだ」
 アイラはそう言ってからシャナンを抱き上げた。
「君達は……」
「私は……イザーク王マリクルの妹、アイラだ。この子はシャナン。兄の子、つまり王子に当たる」
 アイラのその言葉には、その場にいたシグルドを含めた全ての者達が驚いた。イザーク王国はグランベル王国と戦争状態にある。しかし何故、その王妹と王子が、ヴェルダンにいるのか。
「兄はグランベルとの戦争が始まる前、私とシャナンを国外へ逃がした。だが、ここまで来て、生きていくために傭兵をせざるを得なくなった。そして、貴公らと戦うことになったというわけだ。グランベルと戦えるならそれでもいい、と思っていた。だが、あなたは見も知らないこの子を救うために命を投げ出そうとさえしてくれた。だから私はあなたを斬ることは出来なかった。……私にはもう帰る場所はない。私はこれからどうすれば……」
 最後の言葉はうつむいていたからか、消え入るような小さな、力無き声だった。
 なぜここまで言わなくてはならなかったのか、アイラにも分からなかった。
 ただもう、情けなくて、そしてもう何もかもがどうでも良くなっていた。だから、全てを告白したかったのかもしれない。
 しかし、言われた方の青い髪のグランベルの指揮官は、驚きつつもにっこりと微笑むと、アイラが想像も出来ないようなことを言ったのだ。
「我々と来るといい」
 その言葉が、目の前の指揮官――シグルドから発せられたということに気付くのに、半拍ほどの時間を、アイラは必要とした。
「だが、私達は敵国の……」
「私が受けた命令は、ヴェルダン王国にさらわれたエーディン公女を救出することだけだ。イザークの王妹と王子を捕らえろ、などという命令は受けていない。グランベルとイザークが戦争状態にあることは不幸なことだが、そんなことはこの子には関係ない。君と、このシャナンという子の事は、私、シアルフィの公子シグルドが、王国聖騎士の名において保証しよう。決して悪いようにはしない」
 アイラは何も言えなかった。自分はグランベルを憎み、その全てを殺そうとすら思っていたのに、目の前の男はその敵国の王子を保護してくれる、というのだ。アイラは自分の目頭が熱くなっているのに気付いた。
「ならば……ならば私はあなたがイザークを敵としない限り、あなたに剣を預けることにしよう」
 アイラはそう言うと剣を鞘ごと引き抜き、シグルドに差し出した。それは、イザークでは臣従を誓う儀式である。戦士が剣を主より賜り、そしてその剣に賭けて、その主のために戦うことを誓約する儀式。
 だが、当然シグルドにはそれは分からず、呆然と立ちつくしている。それを見て、アイラは笑って、私にもう一度剣を渡してくれればいい、と言った。
 こうして、アイラとシャナンはシグルドと行動を共にすることになった。




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