前へ 次へ

永き誓い・第四話




 アグスティは高台にあり、道もかなり険しいため、本来、防御には適した地形である。さらに堅牢な城壁を誇るアグスティ城は、篭城するには非常に適した城であった。セオリーどおりなら、数の劣るシグルド軍は、篭城戦をするべきである。敵の戦力はシグルド軍の総数より多いが、篭城すれば、数ヶ月は持ちこたえられるだけの貯えもあったのだ。しかし、シグルド軍は、篭城戦をするわけにはいかなかった。
 その理由は、シグルド達が、援軍を期待出来ないことであった。篭城戦とは、そもそも援軍が来るまで持ちこたえるための戦いであり、今回、シグルド軍に援軍は期待出来ない。これまで、幾度もバーハラへ向けて送られた使者は、帰ってくるときは、いつも同じ文書を携えているのだ。
「現状のまま、治安の維持に努めよ」
 それが、バーハラにいる国王アズムールの意志であるのならば、シグルドは、従うしかない。だが、おそらくこれは、反王子派のレプトール卿辺りの意志だろうということは、政治に疎いシグルドでも分かる。レプトール達反王子派は、王子派に属するバイロンの息子のシグルドも毛嫌いしていた。シグルドは、シアルフィにいた時はまったく気にもかけなかったが、このような時にそのような力関係が関わってくるとは、思わなかった。
 さらに、そこにショッキングな話がもたらされた。バーハラから来た、エッダ家当主クロード神父によってもたらされた情報である。それは、無形の破裂物と化して、シグルド軍全体を動揺させた。
『バーハラ王太子クルト、イザーク遠征の帰路にて、何者かに害され、死去。犯人はバイロン卿か』
 シグルドはこの知らせに、愕然となった。これに対し、クロード神父は、真実を知るために、この地にあるエッダの聖地である、ブラギの塔へ行くのだという。シグルドは、危険だと言ったのだが、クロード神父は、このままではグランベル、ひいてはユグドラル大陸全体に、何か、よからぬことが起きるような気がする、といって、出立した。
 シグルドは、ぎりぎり可能な範囲の護衛だけでも、と言ったが、神父は「人数がいると、かえって見つかる事もあるでしょう。私なら、旅人と思われてくれるでしょうから」といって、丁重に断った。一緒にいた、フリージの公女ティルテュの無邪気な明るさが、今のシグルドには恨めしかった。
 この時点で、シグルドには、援軍がよこされる可能性が、まったくなくなったのだ。
 したがって、篭城戦になっても消耗戦になるだけで、また、外からの補給もままならなくなる。それに、長期にわたって篭城した場合、市民に対する影響も考慮せざるをえない。今のところ、シグルド達の必死の努力もあって、市民達はシグルド軍に対して、占領直後ほどの悪印象はない。だが、かといって、不満に思っている市民がいないわけではなく、長期の篭城戦などを行えば、いつその不満が爆発しないとも限らなかった。
 こういった諸事情から、シグルド軍は数で劣るにも関わらず、迎撃戦を展開せざるをえなかった。しかも、出来るだけ短時間で、敵を撃破しなければならない。時間を与えると、クロスナイツの出撃すらあり得る。それだけは、絶対に避けなければならない。敵の主城であるマディノを攻め落とす、というのが一番早いのだが、シグルドはこれ以上、侵略行為をしたくなかったのだ。

「あ〜あ、暇だなぁ。アイラがいないから、剣の練習も出来ないし」
 シャナンはそういって椅子に座った。そのまま足をぶらぶらさせる。
 その様子を見て、ディアドラは小さく笑うと、その向かいの椅子でセリスを抱いて、子守歌を歌い始めた。小さな、しかし、聞いていて気持ちよくなるような、澄んだ声が部屋に響く。

 永遠を鎮める森の奥
 御霊は還る その優しき腕(かいな)の内へ
 英雄も 咎人も 愚者も 賢者も 等しく
 母なる者よ 優しき者よ
 ただ今は 慈悲をもって
 その大いなる安らぎの揺り籠を
 安息を得し 御霊のために……

「きれいだね、その歌」
 ディアドラはセリスが寝付いたのを確認すると、そっとベッドに寝かせて、それからまた椅子に座った。
「昔、お母様に教えていただいたの。」
「へぇ、ディアドラのお母さんってどんな人だったの?」
 ディアドラは、少し悲しげな表情になったが、シャナンはそれには気付かなかった。
「そうね……とってもきれいだったわ。それに優しかった。でも、いつもどこかも悲しそうな瞳をしてらしたわ」
「なんで?」
 ディアドラはそれには首をかしげて、さぁ、とだけ答えた。
 母シギュンは、美しく、優しかったが、よく外を見ては悲しげな顔をしていた。また、森の者達はシギュンを戒めを破ったもの、として厳しく糾弾し、シギュンはいつも辛そうにしていたように思う。ただ、ディアドラ自身も、子供のころから戒めについては強く言われ続け、自分は、この森で一生を終えるものだと思っていた。シグルドに逢うまでは。
「どうしたの? ディアドラ。顔、赤いよ」
 気が付くと、シャナンの顔がすぐ前にあった。ディアドラは慌てて頬を押さえる。
「う、ううん。なんでもないわ。シャナンのお母さんはどんな方だったの?」
 ディアドラは慌てて話題をそらそうと、シャナンに話をふった。が、その後すぐに後悔した。
「僕のお母さん、僕を生んだ後、すぐに死んじゃったんだって。父さんが教えてくれた」
「あ……ごめんなさい。シャナン」
 ディアドラは自分の迂闊さを呪った。今でこそ明るく振る舞っているが、この、まだ十歳にもならない少年は、すでに祖国と、アイラ王女を除く身内を失っているのだ。
「ううん。気にしなくていいよ。今はシグルド様もいるし、ディアドラもいる。オイフェも、セリスも。だから全然寂しくなんか、ないから」
 元気よく言うシャナンだったが、ディアドラはその内側にある悲しみを感じ取っていた。
 ディアドラは、セリスを寝台に寝かせると、シャナンを優しく抱きしめる。
「あなたは強い子ね、シャナン。私でよかったらあなたのお母さんになってあげるわ。だからもう、無理はしなくていいのよ」
「ディアドラが……僕のお母さん?」
「ええ、そうよ」
「うん……。じゃあ……僕はセリスのお兄さんになるんだ……」
 シャナンは気持ちよさそうに、ディアドラに体を預けた。
「お母さんみたいな……匂いがする……」
 ディアドラは、再び先ほどの子守歌を口ずさんだ。
 やがて、シャナンはすやすやと寝息をたてて、眠っていた。
 ディアドラは、シャナンを、セリスのとなりに寝かせる。二人はまるで兄弟のように、仲良く並んで安らかな寝息を立てていた。
 ディアドラは、まだしばらく子守歌を歌っていた。

 戦局は、けっして良いとはいえなかった。シャガール王は、この攻撃をずっと用意していたようで、敵軍の数は予想を遥かに越えていた。アグスティを大きく囲む包囲網を形成し、数に任せた戦術を取ってくる。それは、用兵としては完全に正しい。
「向こうに、かなり戦いなれた指揮官がいるようです」
 オイフェはそう判断した。このままでは戦力に劣るシグルド軍は、確実に消耗し、いつかはアグスティも陥とされるだろう。短期に決着を、と考えていたシグルドだったが、到底出来そうにない。やがて、オイフェは、マディノの攻略を進言した。
 シグルドは、この時点になってもまだ、各個迎撃にこだわっていたのだが、状況はその時間的猶予を許さなかった。やがて、シグルド軍内部からも、マディノ攻略の許可を求める声が起き始めたのだ。
 シグルドは、悩んだ末、マディノ攻略の令を出した。

 マディノの攻略は、予想よりは容易であった。シグルドは、精鋭のみを引き連れ、残りの部隊の指揮をオイフェに任せた。オイフェは、部隊(主に傭兵が中心だった)を騎兵と歩兵の部隊の二つに分け、歩兵はアグスティを防衛し、騎兵の指揮をキュアン王子に任せて、一撃離脱戦法で、各個撃破を繰り返すように指示した。
 その一方で、シグルド達はマディノに奇襲をかけ、マディノを陥落させた。あっけなく落城した最大の理由は、奇襲をかけた時点で、シャガール王が大慌てで城を脱出したからだった。そのため、指揮系統が混乱し、指揮権が再統合される前に、シグルドは、傭兵部隊の司令官であったジャコバンを斬った。それで、勝負はついた。
 その後、シグルドは各方面に出ているマディノの傭兵隊に、マディノが落ちたことを知らせ、これ以上の戦いが無意味である、と通達した。雇い主がいなくなれば、傭兵には戦う理由はない。彼らは新たなる戦いを求めて、次々とアグストリアから出ていった。もうこの地では、自分達が稼げるような機会はない、と判断したのである。
 こうして、アグストリアを平定したシグルドは、その旨をアグスティに知らせ、その一方で、逃げたシャガール王の行方を探させたが、これは大体の見当はついていた。
 マディノの軍が撃破された以上、アグストリアに残された軍隊は、もはやシルベールにあるクロスナイツのみである。シャガール王は、先王イムカに重用されていたエルトシャンを嫌っていて、おそらくこの戦いでも、クロスナイツに出撃命令は出ていない。だが、もうそんなこと気にしている余裕などないだろう。
 しかしそれは、エルトシャンと戦わなければならなくなる、ということでもある。それが、シグルドの気持ちを沈ませていた。

「シャナン、私、シグルド様にお会いしてくるわ」
 ディアドラは突然、そう言い出した。セリスをあやしていたシャナンは、一瞬、言葉の意味を理解しかねたが、慌ててディアドラを止めようとする。
「だめだよ、ディアドラ。いくらなんでも、まだ外は危ないよ。マディノの残党とかいるかもしれないし。それに、セリスはどうするの?」
 ディアドラは、さっさと外出用のマントを羽織る。
「大丈夫よ。さっき遣いの方がいらして、マディノまでの道は安全になったって言っていたから。セリスのことはあなたにお願いしたいの、シャナン」
 ディアドラは手を合わせてシャナンに頼み込む。シャナンは一瞬頷きかけて、慌てて首を振った。
「やだよ。赤ちゃんの世話なんて。男のすることじゃない」
 すると、ディアドラは少し怒ったような表情になる。
「あら、あなたはセリスのお兄さんになるんでしょう? そのお兄さんが、そんなこと言っていいの?」
 シャナンは、何も言い返せない。
「お願い、すぐに戻るから。ね、シャナン、お願いだから……」
 しばらく黙っていたシャナンだが、やがてあきらめたように、ため息をついて言った。
「ちぇ、わかったよ。でも気を付けてね。まだ外が完全に安全だって保証は、ないんだから。それからすぐに戻ってきてね。セリスが泣き出したら、ディアドラじゃなきゃだめなんだから」
 ディアドラは、嬉しそうに微笑むと、
「ありがとう、シャナン、それじゃ、すぐ戻ってくるからね」
 といって、シャナンの頬にキスをした。それから、セリスが寝ているところへ行き、
「お母さん、ちょっと出かけてくるから、お兄さんと一緒に待っていてね、セリス」
 そう言って、セリスの頬にもキスをする。
 それから、扉のところで振り返り、シャナンにもう一度、ありがとう、と言って出ていった。
 シャナンはディアドラが廊下の影で見えなくなるまで、手を振って見送ると、セリスの元に戻り、椅子に座る。
 しかし。
 シャナンはこの時のことを、後々まで悔やむことになる。

 ディアドラが出ていって幾らも経たないうちに、突然、セリスが火が付いたように泣き始めた。
 シャナンは必死にセリスをなだめようとしたが、セリスは泣き止まない。
 突然、シャナンは何か、言いようのない不安に駆られた。
 まるで、胸を締め付けられるような、あるいはなにかに貫かれ、体の一部がなくなってしまうかのような、不安感と、喪失感。しかし、その正体が、シャナンにはまるで分からない。
 しかしそれでも、あるいは天意が降りた、と言うべきなのか。シャナンは、壁にあった剣を取って、部屋を飛び出した。そのまま、凄まじい速さで城内を駆け抜け、城門まで来る。不思議と、行かなければならない方向は分かった。しかし、遠い。シャナンは周りを見回した。
 城門のそばには、伝令兵用の早馬が、常に何頭かつながれている。シャナンは迷わずそのうちの一頭に飛び乗り、つながれている綱を剣で切った。
 イザークの民は乗馬を得意とする。それは、幼少であるシャナンとて同じ事だ。シャナンはまるで何かにとり憑かれたように、凄まじい速度で馬を走らせた。城門の兵が、何事か、と騒ぐ声が聞こえたが、一瞬後にはシャナンは城壁の外にいて、数瞬で見えなくなっていた。

 シャナンは、すぐにディアドラを見つけることが出来た。しかし、そこにはもう一人いた。
 漆黒のローブを纏ったその人物は、なによりその感じさせるオーラが邪悪だった。少なくとも、シャナンにはそう感じられた。その人物はディアドラの手をつかみ、無理矢理連れ去ろうとしている。
「ディアドラを離せ!!」
 シャナンは、馬をそのままその人物の方に突撃させる。しかし、その人物は突然のシャナンの登場に驚きつつも、避けもせず、右手をシャナンの方にかざしてきた。
「シャナン、避けて!!」
 ディアドラが叫ぶ。シャナンは、その声に弾かれるように、馬から飛び降りた。そのまま地面に叩きつけられる。そして、馬は何か、大きな者に跳ね飛ばされたように、進行方向と逆に吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。そして鈍い音がして、馬は動かなくなった。
「ふん。とんだナイトの出現か。だが、その傷ではもう立てまい……」
 ローブの中から響いたのは男、それも老人の声だった。しかし、老人という言葉で括るには、あまりにも邪悪な雰囲気を醸し出す声だった。
「シャナン!!」
 ディアドラは老人の手を振り払って、シャナンの方に行こうとするが、老人は、その年齢には不似合いなくらい力が強く、ディアドラはシャナンの方に行くことは出来ない。
「ディアドラを……離せ……」
 シャナンは、立ち上がって、老人の方に、ゆっくりと歩き始めた。高速で疾走する馬から飛び降りたのだ。おそらく、全身に打撃傷などを受け、普通なら、大人ですら立つことが辛いであろう状態である。だが、今のシャナンには、そんなことは気にならなかった。
「ほぅほぅ。なかなか……殺すには惜しい子供だな。いっそ我が神の生け贄に……」
 老人にはまだ余裕があった。相手が大怪我をして、動く事すら辛いはずである。しかも、まだ十にもならないような子供もだったのもある。
 しかし、相手はただの子供ではなかった。十二聖戦士中、最高の剣技を誇った、剣聖オードの血を引く、神剣の継承者である。だた、老人にそれを知る術はなかった。それが、油断につながった。
「ディアドラを……離せ!!」
 声と同時に突っ込んできた少年の速さは、老人の予想を遥かに越えていた。速い、などというものではない。次の瞬間、剣は、老人の胸に、深く突き刺さっていた。剣先が、老人の背から突き出ている。
「ぐっ……」
 老人の口から血が溢れる。だが、老人は倒れなかった。
「このガキ……。まさか、聖戦士の……末裔か……」
 老人はそう言うと、シャナンの腕をつかみ、何かを唱えた。奇妙な韻音が止まったとき、今度はシャナンが吹き飛んだ。シャナンには、いったい何が起きたか、わからない。ただ、体はもう、まったく動かなかった。
「く……力が……。だがこのガキ、ここで殺しておかないと、後々、我らにとって、大きな障害となるやもしれん……」
 老人はそう言うともう一度何かを唱えようとする。
「止めて!!」
 ディアドラが老人にしがみついて、必死になってそれを妨害した。
「どけ、この娘が!」
 老人はディアドラを殴り飛ばすと、もう一度、何かを唱えようとして、そこで動きを止めた。その耳には、かすかだが複数の馬蹄の響きが聞こえる。
「ぬぅ、運のいいガキだ。今回は見逃してやる」
 老人はそう言うと、別の言葉を紡ぎだした。
「シャナン!」
 ディアドラは、必死に老人の手を振り払おうとしたが、それは叶わなかった。
「ディアドラを……離せ……」
 シャナンは、動かない体で、しかし瞳だけは老人から離さなかった。
「シャナン!! セリス!! ……シグルド様!! 助けて……!!!」
 やがて、ディアドラのその声は、姿と共に虚空に消えた。
「ディアドラを……離せ……」
 シャナンはまだ、ディアドラの消えた空間を凝視したまま、呟いていた。やがて、意識が闇に支配された。



第三話  第五話

目次へ戻る