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光の世界。その中で、特に優しく光る紫銀の光。 そして、世界は突然闇に覆われた。闇は、容赦なく光を、そして紫銀のぬくもりを包み込もうとする。 その闇を必死に払おうとしても、闇を手に掴むことは、出来はしない。 声を張り上げているのに、それも聞こえない。 ただひたすら無力な自分が、そこにいた。しかし、それでも手を伸ばさずにいられない。 今にも消えそうな、その紫銀の光を失わないために。 「ディアドラ!!」 伸ばされた腕が掴んだのは虚空。その向こうに見えたのは、すこしくすんだ白い天井だった。 「ディアドラ……?」 周囲にいたのは、エスリン王女とオイフェ、そして、アイラだけ。 あの優しい光は、ない。 「もう、大丈夫みたいね。よかった。一時期は命が危なかったのよ」 エスリン王女が、安心したように言う。その後、「それじゃ、私はこれで」と言って部屋を出ていった。かなり憔悴しきった様子で、シャナンの回復のために、回復の杖を使い続けていたのだろう。 「シャナン……いったい何があったのです?あなたが急に飛び出したというから、後を追ってみたら、あなたが瀕死の重傷を負って、倒れていたんですよ。いなくなったディアドラ様と、何か関係があるのですか?」 シャナンは、その質問に答えようとして、そのまま泣き崩れてしまった。 「ディアドラが、ディアドラが……」 「シャナン……?」 オイフェは、なおも何か聞こうとしたが、シャナンが泣き止む様子がないため、あきらめた。 「申し訳ありません。アイラ王女。この場はお任せしてもよろしいでしょうか。シャナンが落ち着いたら、知らせて下さい」 アイラは、涙を拭いながら頷いた。オイフェは「では、よろしくお願いします」と言うと、部屋を出ていく。シャナンはやがて、泣き疲れたのか、再び眠ってしまっていた。 傷だらけのシャナンを見たとき、アイラは背筋が凍りついた。兄から託された、剣聖オードの、神剣バルムンクの継承者。しかし、あやうく、シャナンは命を落とすところだった。エスリン王女が治療している間、アイラはどうしようもなく不安で、仕方なかった。今のアイラにとって、シャナンは甥であるという以上に、アイラ自身の生きる目的でもあるのだ。そのシャナンが死んでしまったとしたら、アイラはもはやこの先、どうやって生きていけばいいのか、想像すらできない。だから、シャナンが気が付いたとき、アイラは自然に涙が出てきてしまっていたのだ。 しばらくして、扉をノックする音が聞こえ、ホリンが入ってきた。アイラは、慌てて涙の痕を拭う。良く考えると、オイフェやエスリン王女には見られているのだが、何故かこの男には見られたくなかった。 そのアイラの様子は気にもせず、ホリンはシャナンの眠る寝台の横に来る。 「容体は?」 「今は眠っているだけだ。もう命に別状はないらしい」 ホリンは、そうか、とだけ言うと、近くにあった椅子に座った。 「ここは俺が代わる。おまえは少し寝ておいた方がいい。もう丸一日寝ていないだろう」 「いや、私はここにいる。シャナンの側に。私はシャナンを守る、と兄と約束した」 アイラはそう言って、動かなかった。 「俺では信用できないか?」 「そういう訳ではないが……」 ホリンは実際、シャナンによくかまってくれている。シャナンが一方的になついているだけなのかもしれないが、時々、話し相手になってくれているらしい。 「まだ戦いは終わっていない。今おまえがするべきことは、十分に休むことだ。次の戦いに備えてな。休息もまた、戦士の仕事だ」 ホリンはそう言うと剣を背からはずして、手入れを始めた。 実際、アイラは相当疲労していた。 戦闘はそれほどでもないが、それ以上に心が疲労している。シャナンが眠り続けている間は気が高ぶっていて気付かなかったが、丸一日緊張していたためか、体は睡眠を強く望んでいた。 「……わかった。確かにお前の言うとおりだ。すまないが、シャナンを頼む。シャナンが目を覚ましたたら、呼んでくれ。」 アイラは、ホリンの「分かった」という言葉を受けて、自室に戻っていった。 |
「もう……起きているんだろう?」 どのくらい時が経ったか、ホリンはシャナンに話しかけた。 「うん……」 シャナンは目だけ開けて、それに答える。 「何があった?」 ホリンは、シャナンに尋ねた。しかし、それに責めるような感じはない。 「守れなかった……」 シャナンは絞り出すように、それだけを言う。何を、とも何から、とも言わない。だが、ホリンはそれだけ聞くと、立ち上がった。 「アイラが心配していた。お前が目を覚ましたことを伝えれば、安心するだろう。呼んでくる」 「ホリン」 扉を開けようとしたホリンを、シャナンが呼び止めた。ホリンは扉の取っ手にかけた手を止める。 「僕を強くして。大切な人を、守れるくらいに。ホリンがアイラを守るように、守れるくらいに」 ホリンは驚いたように振り返った。 「知って……いたのか」 「うん。ホリンはいつも、アイラの後ろを守っていた。アイラは確かに、強い。でも、アイラはいつも前に進むことばかり考えて、背後に敵が残っていることを忘れるくせがある。僕がヴェルダン王国で、人質に取られていたときも、アイラはやっぱり自分の後ろのことを忘れていた。だけど、アイラは、相手がどんどん強くなっている今でも、背後のことを忘れている。それでも無事でこれたのは、ホリンがずっと守っていたから」 ホリンは驚いたようにシャナンを見た。まだ、十歳にもならない子供だというのに、この子は、確実に『戦闘』を見る目を持っている。剣聖オードの直系というのは、伊達ではないな、とホリンは思った。 「アイラは、剣を教えてくれないのか?」 拒否するような印象を与える聞き方ではない。ただ、確認するような口調である。その問いに、シャナンは首を横に振った。 「教えてくれる。でも、アイラは、いつも僕がイザークの王子だからって怪我しないように、無理は稽古はしてくれない。でも、僕は強くならなくちゃいけない。セリスを守る。ディアドラとそう約束したんだ。弟を守るって。だからホリン、剣を教えて。強くなるために。本当に強くなるための剣を。セリスを、ディアドラが帰ってくるまで、守るために」 シャナンはまっすぐホリンを見ている。その瞳に、揺るぎ無い決意が宿っているのを、ホリンは感じた。 「いいだろう。だが、一応アイラには許可を取っておけ。それじゃ、俺はアイラを呼んでくる」 ホリンはそう言うと、立ち上がり、部屋を出ていった。 |
アイラははじめ、シャナンがホリンに稽古をつけてもらうことは、承諾しなかった。しかし、シャナンの決意が固く、結局アイラの方が折れることになった。 しかし、現在は呑気に稽古をしている状況ではなかった。シグルド軍は、シルベールから出撃してくるであろうエルトシャン率いるクロスナイツと、戦わなければならない状況に追い込まれていたのだ。そして、その親友と戦わなければならないという事態が、現在シグルドを苦しめていた。 オイフェは、出来ればシグルドをこれ以上苦しめるような報告はしたくなかった。しかし、ディアドラの失踪をシグルドに伝えないわけにはいかない。 オイフェは、城に残されていた兵力をまとめ、アグスティを出立した。アグスティに残ったのは、ごく少数の警備の兵と、あとは文官だけだ。 グランベルから来た役人達は、アグスティをほぼ空にすることに強く抵抗したが、オイフェは無視した。元々、彼らには一兵たりとも指揮する権限はありはしない。 それに、アグストリアもはや、アグストリアに残っている軍隊は、シルベールのクロスナイツのみであり、あとはもう村や街の警備の兵だけだ。守備の兵など残しておく必要はないのである。 しかし、その残されたクロスナイツは、アグストリア最強の騎士団と呼ばれ、エルトシャンが直接指揮したときの力は、大陸最強とまで評されている。それだけに、一兵でも多く、シグルド軍は合流させておく必要があったのだ。 |
シグルドに、ディアドラの失踪を伝える役目は、はじめ、オイフェがやろうとしたが、シャナンがそれを断った。守れなかった自分が報告したい、と言ったのだ。オイフェも、それを止めることは出来なかった。 シグルドが、ちょうど軍議のため、部屋を出てきたところを、シャナンは呼び止めた。シグルドはシャナンに気付くと、かなり疲れている様子だったが、それでも「どうしたんだ?」と優しく聞いてくる。 「あ……」 シャナンは、ディアドラのことを話そうとしたが、すぐに言葉が詰まってしまった。そして、涙が溢れてくる。そして、言おうと思っても、言葉が出なかった。 「ごめんなさい、ごめんなさい……」 結局、口から出たのは、ただひたすら謝る言葉だけ。シグルドは困ったような顔になり、目線の高さをシャナンに合わせるように屈み込んだ。 「どうしたんだ、シャナン。泣いていてはわからない。何があったんだ?」 しばらくすると、シャナンは泣き止み、絞り出すように話した。 「ディアドラが……いなくなっちゃったんだ。なんか、よく分からないややつに、連れて行かれたんだ。ごめんなさい、僕が守る約束だったのに……僕がもっと強かったら……」 シグルドは一瞬呆然としていた。だが、やがてはっと気がついたように、シャナンの肩を掴み、問いかける。 「誰に、誰に攫われたんだ。それに、セリスはどうしたんだ」 「セリスは、僕が預かっていたから、今は部屋で寝ている。でも、攫ったやつは……」 シャナンは何も分からない、というように首を横に振る。 「……そうか……分かった。シャナン。お前のせいじゃない、もう気にするな。ディアドラは私が探す」 シグルドは出来るだけ優しく言った。だが、シャナンは泣き止みはしなかった。 「でも、僕がもっと強ければ、ディアドラを守れたんだ。僕が……」 シグルドはシャナンの頭をなでてあげた。 「お前のせいじゃない。シャナン。もういいんだ」 シグルドは、そういって、シャナンをなだめると、アイラにシャナンを任せ、軍議に向かった。しかし、その後ろ姿は前にもまして、疲れきっている。その姿を見て、アイラはある決意をした。 |
クロスナイツがシルベール砦を出たのは、三日後の事だった。シグルド達は、エルトシャンの妹ラケシスの説得によって、戦闘を避ける努力をしようとしている。軍全体は出撃の準備で忙しく、シャナンもシグルドの周りで、必死に手伝いをしていた。そのため、アイラがいなくなっていることに、誰も気付かなかった。唯ひとりを除いては。 |
「こんなことをしたら、あとで只ではすまないだろうな」 その呟きは、誰も聞いていなかった。アイラは、あの翌日の早朝に宿営地を抜け出して、今はシルベールへと続く道の途中にいる。 アイラは、シグルドとエルトシャンを戦わせてはならない、と感じていた。ならば、自分がエルトシャンを斬ればいい、と結論付けた。 無論、そんなことをすれば、シグルドはそれを許しはしないだろう。処罰は受ける。あるいは、処刑されることもあるかもしれない。 しかし、シグルドなら、シャナンに悪いようにはしないに違いない。考えてみたら、敵国の公子であるシグルドをここまで信用していることは、アイラには奇妙ではあったが、シグルドはそれだけ信頼に足る人物だと、アイラは思っている。 問題はエルトシャンを倒せるか否か、だが、アイラにはその自信があった。同じ神器の継承者である兄マリクルとは、よく剣の稽古をしていた。マリクルは、アイラを、自分と同等の剣士、と誉めてくれた。ならば、エルトシャンにも劣らない自信がある。確かに、エルトシャンの名前は、遠くイザークでも聞き及んでいた。だが、マリクルの剣技の噂もまた、アグストリアでも噂を聞くことが出来る。 大陸で最高の剣技を持つ剣士。 そのマリクルと互角であった以上、エルトシャンに負けるわけはない。アイラはそう思っていた。かつて、シグルドと戦ったとき、アイラはシグルドに勝てなかった。だが、あの時とは違う。あの時、自分には迷いがあった。だが、今はない。今ならば、イザーク王家のみに伝わる最強の剣技、流星剣を繰り出す自信がある。この技なら、たとえ名高きエルトシャンといえでも斬ることが出来る。アイラには、絶対の自信があったのだ。 そして、シルベールから出撃してくるであろうクロスナイツを、森の入り口で待ち続けた。シグルド軍のいる宿営地に行くには、必ずこの森を抜けようとするのは分かっていたからだ。 |
そして三日後、クロスナイツは出撃した。アイラは、その先頭に立っているのがエルトシャンだとすぐに分かった。顔は、一度だけ見たことがある。シグルドがアグスティを陥落させた後に、彼と話していたのを見ているのだ。 だが、今、エルトシャンだと判断できたのは、その存在感と、圧倒的な重圧感だった。『この男が騎士団の中心だ』と万人に思わせるだけだけの『何か』が今のエルトシャンにはある。 一瞬気圧されたアイラだが、すぐにそれを振り払った。そして剣を抜き、エルトシャンの前に立ちふさがる。その剣は、ホリンにもらった勇者の剣ではなく、使いなれた大剣だった。相手が相手なだけに、使い慣れた武器の方がいいと思ったからだ。 いきなり目の前に現れた女戦士を、前に、エルトシャンは馬の歩みを止めた。アイラはまっすぐにエルトシャンを凝視する。そして、エルトシャンの金茶の瞳もまた、アイラをまっすぐに見据えていた。 「獅子王と名高き、エルトシャン王とお見受けする。私の名はイザークの王妹アイラ。シグルド殿のため、ひいてはシャナンのために、悪いがここで死んでいただく」 アイラはそう言うと剣の鞘を落す。長大な刀身が、太陽の光を受け、美しく輝いた。 「こいつ……」 クロスナイツの一人が前に進み出て、アイラに斬りかかろうとする。が、その騎士の動きは止められた。物理的な力ではなく、強力な意志を持った声に。 「止めろ!! その姫君は私に用があるようだ」 エルトシャンはそう言うと鞍に固定してあった剣を抜き放つ。アイラの大剣にも劣らない、その長大な刃は、すべてが黒く、光っていた。 「いいだろう。このエルトシャンが相手をしよう」 魔剣ミストルティン。神剣バルムンクと並ぶ、神器三剣の一振り。神器の中でも最強の攻撃力を有するという魔剣だった。 「くるがいい」 エルトシャンはそのままミストルティンを構える。 速さは自分に分がある。アイラはそう考えた。攻撃力では勝負にならない。剣の威力が違うし、それに相手は馬上だ。だが、スピードで圧倒すれば、いかに神器を持っている者とはいえ、勝てるはずだ。自分の最強の攻撃をもって、一気に勝負をつける。アイラはそう考えていた。 アイラは先に動いた。一瞬後にはエルトシャンの上にいた。 身の軽いアイラならではの跳躍である。これで、高低差による有利不利は逆転する。しかもアイラは、攻撃に落下による威力も加えることが出来る。 「もらった!!」 アイラはそのまま、流星剣を繰り出さした。連続で幾度も斬りつける、イザーク王家にのみ伝わる必殺剣技。たとえ一撃、二撃を受けたとしても、まだ続くその連続攻撃は、相手に防御をさせない。 このタイミングなら、避けられない。アイラは勝利を確信した。しかし、その予想はあっけなく裏切られた。 エルトシャンは一撃目を魔剣で受けた。二撃、三撃。エルトシャンは、凄まじい速度で繰り出される連続攻撃を、いとも簡単に受け止めた。しかも、高所より振り下ろされている一撃にも関わらず、エルトシャンの剣はまるで軽い一撃を受けているかのように、びくともしない。 アイラは自分の目を疑った。アイラも、一撃目や二撃目が受けられるのは予想している。だが、それでもなお続く連撃には、対応できないと思っていた。 「イザーク王家の剣技、流星剣か。噂には聞いていたが、凄まじいものだな」 エルトシャンはそのすべてを受けきった後で、平然と言った。息も乱してはいない。 アイラは戦慄した。エルトシャンは、まだ本気を出してはいない。この騎士は、自分より確実に強い。アイラの中の、剣士としての勘が、そう告げていた。到底勝てる相手ではない。だが、剣聖オードの末裔であるアイラには、それをすんなりと認めることはできなかった。 「まだだ!!」 アイラはもう一度、流星剣を繰り出す。しかし、今度の流星剣は一撃目までしか繰り出されなかった。 エルトシャンは、再び流星剣を受ける。しかし、今度はただ受けたわけではなかった。剣と剣がぶつかったとき、響いた音は、先ほどとはまったく違っていた。エルトシャンは、流星剣にあわせて、自分が斬撃を繰り出していたのだ。 魔剣の破壊力が、アイラの剣を粉々にした。 そして、魔剣の一撃が、そのままアイラに襲いかかる。空中で、不安定な体勢でもあったアイラに、その攻撃を避けられるはずはない。しかし、魔剣の一撃はアイラには命中しなかった。アイラは、誰かに突き飛ばされ、魔剣の一撃を避けることが出来たのだ。 それは、ホリンだった。 「まったく……一人で抜け出して何をするのかと思えば……」 ホリンはそう言ったが、その顔には脂汗が大量に浮いている。 「ホリン!?」 彼のうずくまった大地が、どす黒く染まる。それが、血によるものであるのは、誰の目にも明らかだ。見ると、ホリンの腹部が深々とやられていた。それも、今できた傷であるのは見れば分かる。間違いなく、今の、魔剣ミストルティンによる一撃であった。 「馬鹿な!! なんでこんなことを……。しっかりしろ!! ホリン!!」 アイラは、なかばパニック状態になって、ホリンに呼びかけた。 「気にするな……俺が勝手に怪我しただけのことだ……お前のせいじゃない……」 ホリンはそのまま意識を失った。しかし、ただの傷ではない。人の生命を吸う、とすら言われている魔剣ミストルティンの傷である。事実、アイラの目にもホリンの傷は致命傷にみえた。 「ホリン!! 目を開けろ!! 目を開けるんだ!! 私の言うことが聞こえないのか!!」 アイラは、ホリンが死ぬ、という現実を感じたとき、言い知れぬ恐怖と、絶望感に襲われた。まるで、自分の一部が切り取られたような感覚。自分でも、何故これほどの喪失感を感じるのか、わからない。しかし、今のアイラには、何も、どうする事も出来ず、ただ泣いているだけだった。 エルトシャンはその間に、魔剣を鞘に納めていた。そして、軍に進軍を指示する。クロスナイツの一人が、エルトシャンの横に馬をつけて、尋ねてきた。 「あの者達を放っておいてよろしいですか?」 エルトシャンは少し考えた後、「かまわん、放っておけ」とだけ命令した。 |