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永き誓い・第九話




 嵐の前の静けさ、とはよく言われるが、今回は、おそらく誰もがその言葉を噛み締めただろう。
 ある意味、不気味と言えるほどに、シレジアの夏は静かに過ぎていった。平和な時であれば、別に普通のことだ。驚くに値しない。
 しかし、今やシレジアの先王の弟であるダッカー、マイオスの両大公が、反乱の意志を持って兵を集めていることは、シレジア国民全てにとって周知であったのだ。
 にもかかわらず、夏は何事もなく過ぎていった。あるいは、美しいシレジアの夏を、血と汗と血臭で満たすことは、彼らにとっても本意ではなかったのだろうか。誰もが、今年は何事もなかった、と思い始めた、秋の終り――といってももう雪が降り始めているが――にトーヴェ城城主、マイオスは兵を挙げた。無論、宣戦布告をしてきたわけではない。ただシグルド達は常にトーヴェ城の動きには注視していた。
 ザクソン城はシグルド達のいるセイレーン城からは遠く、また間にシレジアがある。ここには、分裂したとは言え、それでもまだ天馬騎士団の最精鋭であるマーニャの部隊百五十騎と、フュリーの部下から割いた五十騎がいる。雪が降り始め、騎兵が行動しづらくなったシレジアでは、天馬騎士は間違いなく最強の戦力であった。それを抜いて、ザクソンからセイレーンに攻撃があるとは思えない。
 シグルドは、トーヴェの軍は自分の兵だけで退けることをラーナ王妃に伝達し、直ちに兵を発した。
 といってもトーヴェ城はここからはかなり遠い。徒歩で行ける距離ではない。結局、ここでは歩兵部隊はほとんど居残り、となってしまった。
 だが、ホリンはそれに安堵した。アイラが、出撃する、と言い出したのだ。
 確かに、スカサハとラクチェが生まれてから、もう半年以上経っている。しかし、それでも体力が落ちているのは明らかだ。傍目には分からないらしいが、ホリンにははっきりと分かった。あるいは、ホリンでなければ気付かないほどなのだから、大した問題はないのかもしれないが、それでも無理をさせるべきではない。
 幸いなことに、結局歩兵部隊の出番はなく、シグルドが無事、トーヴェを制圧した、という報がもたらされたのは、シグルドが城を発ってから半月後だった。なにやら色々と問題があったらしいが、ホリンは詳しくは知らない。とりあえず、こちらには大きな犠牲はなかったらしい。
「結局出番なしか。つまらないな」
 アイラは退屈そうにしながら、剣を弄んでいた。剣を持つこと自体に、シャナンなどは難色を示すのだが、幸い、今回は出番はなさそうだ、ということで見ているだけである。正直、ホリンも口には出さないが、あまり戦場に出て欲しくはない、と思っている。
 別に母になったからといって戦場に立つな、というつもりはない。だが、完全ではない状態で戦場に立つのは危険だと思うだけだ。
 スカサハとラクチェが生まれてからも、アイラは『母』としての役割――ホリンも手伝えることは手伝ったが、母乳を与えるなどは出来るはずもない――が忙しく、剣の稽古など全然していなかった。それでも、ほとんどの者にそのブランクを感じさせないのはさすがだと思う。だが、それでも衰えているのは分かるのだ。だからシグルドは、歩兵にセイレーン城居残りを指示したのかもしれない。
「ダメだよ、アイラは少しなまっているんだから」
 ホリンは口に出しては言わないが、あるいは言う必要がないからかもしれない。こと、今回はシャナンが、ホリンが言いたいことをほとんど言ってくれる。それに、ホリンが言うより、シャナンの方が効果もある。
「私は……」
 アイラは反論しかけるが、自分でも分かってはいるのだろう。だから、その先の言葉が続かない。
「なまってしまったのであれば、また鍛え直せばいい。俺が付き合ってやる」
 ホリンはそういうと、鍛練場に向かって歩き始める。アイラが、やや駆け足で後に続いた。端から見ると、とても夫婦には見えない。
「お前もホリンも、ほんとう、過保護だな、アイラには」
 二人を見送っていたシャナンは、いきなり声をかけられて、びっくりして振り返った。立っていたのは青い髪の斧騎士、レックスである。
 万に一つ、天馬騎士がシグルド達の前線を突破してきたときのために、シグルドが多少の騎兵を残したのだが、彼はその騎兵を含めたセイレーン残留軍の指揮官として残ったのだ。
「そうかなあ?」
 シャナンは不思議そうに考え込む。
 考えてみれば、保護者と被保護者の立場が逆転している。シャナンはいつのまにかアイラの保護者、という認識を持っているのだから、これはこれでおかしなものだ。
 レックスがアイラのことを好きだった、という話は軍では有名だったが、シャナンは全然知らない。さすがに、そういう噂には疎かったようだ。
 レックスは、あとでシャナンが二人に結婚式を半ば無理矢理やらせた、と聞いたときは、さすがにこの少年が少し憎らしく思ったが、今ではもうそんな感情は消え失せている。アイラが幸せそうに――他人にはわかりにくいが――しているのを見ていると、これでよかったんだ、と思えるようになってきたのだ。
「といっても、確かにアイラはかつての体のキレはまだ戻っていないな。……まあ彼女ならすぐに元どおりになるだろう。もっとも、トーヴェの反乱も無事終息したし、出番なしだろうけどな。どうせ、すぐにまた冬だ。あの雪の中、兵を動かす奴はいないだろう」
 レックスはそういうと、その場をあとにした。
 だが、レックスもこのままこの戦乱が終わるとは思えなかった。トーヴェの乱は鎮圧されたが、まだザクソン城のダッカーが残っている。彼の動きがないのは、かえって不気味だ。
 ふとレックスは南の空を見上げた。遥か海の向こうに故郷であるドズルがあるはずだ。
 アゼルに付き合ってドズルを出てから、もう二年以上が過ぎている。シレジアにこれほど長く滞在することになるとは思わなかったが、こうなってしまうとさすがに帰れなくなるのでは、とも思えてきてしまう。
 一体親父は何を考えているのか、とも考えてみるが、さっぱり分からなかった。
 そんなレックスの思考は、いきなり中断された。フュリーの部下の一人だろう天馬騎士が、息を切らせて走ってきたのだ。天馬騎士は全員トーヴェに向かっていたのだが、彼女はシグルド達がトーヴェを制圧したことを知らせてきた天馬騎士だ。
「急いで執政室へ!! シレジアから急使が!!」
 まさか、と思ったがタイミングは合っている。だとすれば。
 そして、レックスの予想は現実となっていた。
 ザクソンのダッカーがシレジアに向けて、兵を挙げたのである。

 命令を遵守するのであれば、とるべき行動はセイレーン城の死守である。だが、それが最善の方法でないのは、セイレーン城の全員が分かっていた。
 だから、レックスはセイレーン城から出撃し、また、シグルドに伝令を飛ばした。
 どうせ、トーヴェからの脅威がないとすれば、セイレーン城からはシレジア城にしか行けないのだ。天馬騎士が上空を通過するのを見逃しさえしなければ、セイレーン城が陥落する可能性はない。それに、シグルド達が追いつくのもそう時間はかからないだろう。もう軍を返しているはずだ。
「結局戦場に出ることになったか。出るな、とは言わないが、無理はするな」
 ホリンは剣を手入れしている。以前使っていた剣はエルトシャンによって砕かれた。だからホリンの命があったのかもしれない。今もっているのは、魔法によって加工された、銀の大剣である。
「ふふ、その時は守ってくれないのか?」
 アイラは半ばからかうように言う。こちらは、ホリンの剣よりかなり小振りだ。勇者の剣。かつて、ホリンがアイラに贈った剣である。重さ自体は普通の長剣と変わらないが、扱いやすさが違う。アイラは、この剣が非常に気に入っていた。
「それはそうだが……」
 ホリンはらしくなくうろたえている自分に気が付いた。その反応を楽しむように見ていたアイラは、準備が終わるとすっと立ち上がって、子供たちの寝ているベッドの傍へ行く。双子は、安らかな寝息をたてて寝ていた。もう二人とも髪の毛が生え揃ってきている。二人とも黒髪だ。
「それじゃあ、お母さん、ちょっと出かけてくるけど、シャナンを困らせないように、おとなしくしているのよ」
 そう言って子供たちを覗き込むアイラの顔は、間違いなく『母』の優しさを持っていた。スカサハとラクチェは、その言葉を聞いていたのかいないのか、わずかに寝返りをうつ。
「シャナン、任せたわね」
「うん。でも、無理はしないでね」
 それまでずっと壁際の椅子に座っていたシャナンは、跳ねるように椅子を飛び降りる。
「大丈夫。ホリンも一緒だ。それに、そうかからずにシグルド殿も追いつくそうだしな」
 シグルド軍の行動は予想以上に早く、三日以内にはセイレーン城に到着するらしい。ただ、セイレーンとシレジアを結ぶ道は、険しい山道であり、実際に追いつくのはおそらく、シレジア平原だろう。
 しかし、その到着を待っていたら、手遅れになる可能性もある。シグルド軍の全員が、この国には返しきれないほどの恩義があるのだ。それに応えるためにも、急ぎシレジアに救援に行かなければならない。
「それじゃ、あとはよろしくね」
 アイラとホリンはそういうと部屋を出ていった。不安ではないといえば嘘になるが、それでもホリンがいるのなら安心だと思う。むしろ不安なのは、スカサハとラクチェが泣き出したときだ。セリスのときもそうだったが、シャナンはどうも赤ん坊の扱いが下手なのか、泣き止ませることは出来ない。だから、とにかく泣かないでくれ、と祈っていた。

 状況はシグルド軍にとっては最悪に近かった。
 セイレーンからシレジアへといたる山道で、先行部隊はシレジアの市民を保護することになった。そして、シレジアがすでに陥落し、マーニャを始めとする天馬騎士団のほとんどが戦死したことを知ったのである。
 しかし、その後のシグルド軍の行動は速かった。シグルド達騎兵は山道をおして行軍して先行部隊と合流し、シレジア平原に出てからは、一気にシレジアを急襲した。シレジアを制圧していた部隊は、まさかこれほど早くシグルド軍がシレジアに至るとは思っていなかったのか、対応が遅れ、そしてシグルド達の決断は早かった。
 シレジアの街は、半日の戦闘で解放され、ラーナ王妃も無事に保護された。
 そして、シグルド達はラーナ王妃の依頼を受けて、ザクソン城を攻撃することになった。このまま、シレジアとザクソンの間で矛を突き合わせたまま停戦、など出来るはずもない。
 また、マーニャの天馬騎士団が壊滅したのはユングヴィのバイゲリッターが介入したからだという。だとすれば、これからもう冬になるからグランベルからの介入はないとしても、来春には確実に介入してくるだろう。とすれば、その前にザクソン城の勢力を押さえなければならない。
 このまま春になれば、グランベルからの軍隊が公然と、シレジア領内に侵攻してくる。表向きはシグルドを捕らえるために。だが、その後に待つものがなにか。それはアグストリア、ヴェルダンを見てみれば分かることだ。シグルドは、この大恩あるシレジアを、そのような有様にしたくはなかったのだ。

「だとすると、レイミアと戦うことになるな……」
 ホリンは独り言のつもりだったが、シャナンとアイラはすぐ傍にいたため、シャナンが聞きとがめた。
「レイミアってあのいつだったか、セイレーンであった人?」
 シャナンが聞きとがめた。別に隠すようなことでもないので、ホリンはそのまま言葉を続ける。
「ああ。報告だとトーヴェにレイミアはいなかったらしい。だが、あのハイエナ共は間違いなくこのシレジアにいる。だとすれば、ザクソンにいると考えるのが自然だろう。
 『地獄のレイミア』の名は、無論アイラも知っていた。同じイザーク人だから、というのもある。噂では、何代かさかのぼるとイザーク王家ともつながりがある、ともいわれているが、これは噂の域を出ない。本人が、自分の実力を宣伝するために流したのだ、といわれているが、多分それが正しいだろう。
 だが、だとしてもその剣名までは偽りではない。少なくとも、話を聞く限りでは。
「なに、出てきたら私が斬り捨ててみせるさ。イザーク王家の末裔などを騙るやつには、相応の罰を与えなくてはな」
 冗談とも本気ともつかない。だが、ホリンは今のアイラでは難しいのでは、と考えていた。
 確かに、並の兵士を相手にする場合には問題はない。
 だが、レイミアは並の兵士ではない。イザーク王家の末裔だというのは騙りだとしても、それでもおかしくないほどの剣腕を誇っているのだ。
 対して、アイラは今明らかに体力が落ちている。体のこなしも、技のキレも、以前ほどではない。それは、この一年、稽古をしていなかったというのと、やはり出産という行為そのものが彼女の体力を奪っているのだろう。
 稽古が出来るようになったのは、最近のことだ。その間にも、アイラは驚くほどの回復速度でもとの調子を取り戻しつつある。だが、さすがに一年以上のブランクは、そうそう埋まるものではない。
 だが、これは言ってもアイラは聞かないだろう。それは、剣聖オードの直系の矜持が許さない。その気持ちはホリンにも分かる。だからホリンは、なんとしてもアイラを守り抜こう、と決めているのだった。

「それでは、任せていいのだな」
 シグルドの問いに、レックスはうなずいた。シグルドはそれを確認すると「それでは頼む」といって馬に鞭をうち、駆けて行く。風の神魔法フォルセティを継承したレヴィンと、天馬騎士を指揮するフュリーと弓兵、それにシグルドの率いる騎馬隊は、ザクソン城から出てくる傭兵団を避け、四天馬騎士の一人パメラの指揮する天馬騎士団と対決し、それを突破してザクソン城へ攻撃をかけることにしたのだ。
 そして、傭兵団――予想通りレイミアの傭兵団だった――はレックスが指揮する、元セイレーン残留部隊で迎撃するのだ。
 すでに景色は白一色である。まだ、靴が埋まる程度しか積もっていないとはいえ、やや歩きにくいのは否めない。だが、その条件に関しては敵も同じだ。空を駆ける天馬騎士が相手ならいざ知らず、この程度であればまだどうとでもなる。それに、数は多くないが、騎兵もいるので、状況はむしろ有利なはずだ。
 なんの遮るものとてない戦場で、両軍は向かい合った。互いの数はほぼ同じである。どちらが先に声を上げたかは分からないが、両軍はほぼ同時に突撃を開始した。ほんのわずかな時間を置いて、剣と剣、槍と槍、斧と斧、またはそれぞれがぶつかりあう音が、戦場のあちこちで響き渡った。
「邪魔なんだよ、死にたくなかったらさっさと帰りな!!」
 その、不快感を伴う女の声は、戦場のほぼ中央で聞こえていた。それに、斬撃と悲鳴が重なる。傭兵団の団長を務めるレイミアであった。
「おのれ!!」
 レックスは斧を振り上げてレイミアに斬りかかった。目の前で部下を次々に斬られて、頭に血が上っていたかもしれない。普段の彼であれば、もう少し冷静に対処できただろう。
 強烈な斧の一撃は、しかし何にも当たることなく空を切った。だが、これはレックスの予想のうちである。彼の今持つ斧は、絶妙のバランスで作られており、一撃目の威力をそのまま保って連撃を繰り出すことを可能にしている斧なのだ。
 だが。
 二撃目もまた、空を切った。正しくは切らされた。躱せないだろう、と思った一撃を、レイミアは剣の刃の上で滑らせて、微妙に方向を変えたのだ。大きく体がぶれる。そこに大剣の斬撃が襲ってきた。馬上では、迂闊に体勢を崩すわけにもいかない。落馬すれば頭を打ってしまう恐れがあるし、そうでなくても立ちあがる前に殺られてしまうだろう。手綱を引いてみようと思ったが、それも間に合うタイミングではなかった。
 だが、斬撃は来なかった。レイミアは、別の斬撃を防ぐために、レックスへ繰り出した斬撃の方向を転じたのだ。それは、アイラだった。
「ア、アイラ。すまない」
「一度は私を好きだといってくれた男が目の前で斬られるのは、目覚めが悪そうなのでな」
 アイラはさらりというと、レイミアに向き直った。
「アイラ……? その容姿……そうか。あのイザークのアイラか。グランベルにたてついてぶっ殺されたマリクルの妹の」
 レイミアはまるで、蔑むように言い切った。
「な……っ。兄上はやむを得ずグランベルと戦ったのだ。それを貴様にとやかく言われる筋合いはない!!」
「結局無駄に戦ってぶっ殺された馬鹿な王には変わりないだろう!!」
 まずい。ホリンはそう感じた。怒りで我を失わせるのがレイミアの狙いだ。怒りは力を与えるが、同時に、周りを見えなくしてしまう。
 ホリンは素早く周囲を見回した。その行動に隙があると見た傭兵の一人が斬りかかってきたが、その傭兵は次の瞬間、永久に思考しなくなる。その間に、アイラとレイミアの闘いは始まっていた。
 剣技そのものはアイラの方が上だ。だが、レイミアも押され気味になりつつも確実に反撃を返してくる。何度も打ち込んでいるが、アイラは一度も斬り込めてはいない。それは、明らかにかつてのアイラより体力が落ちていることが原因であった。おそらく、本来のアイラであれば一瞬で流星剣をもって勝負を決しているだろう。
「埒があかん!!」
 アイラのその言葉と同時に、アイラから、翡翠色の燐光が洩れた。オードの血統に伝えられし奥義、流星剣。ホリンもかつて、アイラが繰り出すのを一度だけ見ている。あの時は、獅子王エルトシャンが相手であったため、まったく通用しなかった。だが、今度の相手は、手強いが、エルトシャンとは比べるべくもない。これで決まったか、とホリンも一瞬安堵した。だが。
 突如アイラの体勢が崩れた。それが、どこからか飛来した矢によるものだと分かるのに一瞬。そして、その時にはホリンは一気にアイラの傍に駆け寄っていた。
「もらったよ!!」
 レイミアは勝ち誇ったようにアイラに大剣を振り下ろそうとしたが、すんでのところで止められた。いつのまに割って入ったのか、金色の髪の傭兵がそこにいた。無理矢理割り込んだために防ぎきれなかったのか、滑った刃が傭兵の肩の鎧を斬り裂き、血が飛び散る。
「なんだい、ホリンかい。邪魔すんじゃないよ!!」
 考えてみればでたらめな言い分だ。少なくともホリンがシグルド軍に属していることぐらい、レイミアにも判断がつくだろうに。
「あいにくだが、彼女を殺させるわけにはいかない。まして、一騎打ちに横やりを入れるような輩に、俺の妻は殺させない」
 ホリンは肩の傷を気にした様子もなく、平然と立ち上がる。レイミアは一瞬、何を言われたか分からない、というようにポカンと口を開け、それから大声で笑い出した。
「あはははは。そうか、あんたの女かい。なかなか出世したねぇ。イザークの王妹の婿とは」
 レイミアは、心底おかしい、というように大笑いをしていたが、それを突然収めると、その表情ががらりと変わり、ホリンを睨みつけた。
「だったらなおさら、あんたも殺してやるよ」
 レイミアの双眸には、敵愾心というだけでは収まらない憎しみが宿っていた。
「……何を憎んでいる」
 その言葉に、レイミアの感情が弾けたようだった。まるで、ドス黒いオーラに包まれているような印象すら受ける。髪の毛が逆立っているような錯覚すら見えそうだ。
「イザーク王家そのものさ!! 私の力を認めず、あまつさえ追放したイザーク王家なんざ、この世から消えてせいせいしたさ!!」
 レイミアがイザーク王家ではない、とは思っていたが、どうやらそれだけではすまない因縁があるような気がした。
 だが、この場合同情する余地はない。ただ、イザーク王家を憎んでいたのなら、何故イザーク王家に連なるもの、などという噂を受け入れていたのか。ホリンはちょっと考えて、すぐその理由に気がついた。イザーク王家に連なる、と噂されるレイミアが『地獄のレイミア』などと呼ばれるような蛮行を繰り返す。それは、イザーク王家への評価となるのだ。もしかしたら、イザークが蛮土と呼ばれる一因は、この女が作っていたのかもしれない。
「お前がいかなる憎しみをイザーク王家に抱いているかは、俺の知ったことではない。だが、アイラは殺させない。どうしてもやりたければ、この俺を倒してからにして見せろ」
「ホリン……!!」
 エーディンに治癒の魔法をかけてもらったのか、アイラがいつのまにか再び立ち上がっていた。幸い、傷は深くはなかったようだ。だが、腕をわずかに引きずっている。
「アイラ。怪我をしている状態で無理に戦うな。ここは俺に任せろ。お前の分も、奴に思い知らせる」
 アイラがその言葉に納得したかは分からないが、彼女は少しずつ後ろに下がった。いつのまにか戦場は停滞していて、レイミアとホリンの一騎打ちに注目している。
「そうだねえ。それじゃ、こいつを倒せたら戦ってやるよ!!」
 レイミアはそう言うと、横にいた大男をホリンにけしかけた。大男、という表現以外に出来ない。だが、分厚に鎧を纏い、しかもそれで雪の上で突進してくるのだから、その迫力は相当なものだ。一撃で倒したかったら、キュアン王子の持つゲイボルグや、ブリギッド公女の持つイチイバル級の威力が必要だろう。
「いくらあんたでもこいつを簡単に倒せ……」
 レイミアの言葉はそこで切れた。後ろから見ていたレイミアには、男の姿にホリンが消えたところまでしか見えない。そしてその刹那、剣閃が走った。数瞬後、大男の体が地面に倒れる。ただし、上半身だけ。さらに遅れること数瞬、足と腰だけになった『もの』が、己の半身を追うように倒れ込んだ。たった一撃。それで男は腰斬されていた。
「な……っ、馬鹿な!!」
「さて、こいつを倒せば、お前を殺してもいいんだな」
 ホリンの言葉と、斬撃は同時だった。レイミアはかろうじて剣で受け、そしてその時に見た。ホリンの体から、蒼い燐光が生まれ、それが剣に集まるのを。そして、その光に包まれた剣が、自分の剣をまるで紙で出来た剣を斬り裂くように両断し、そしてそのまま自分の頚部に迫るのを。
「イザークの祖、剣聖オードが編み出せし秘剣の一つ、月光剣。いかなるものとて防ぐことのかなわぬ秘剣だ」
 その言葉を、レイミアはもう聞いてはいない。レイミアの双眸は、もう光を宿すこともなく、シレジアの曇り空を見上げていた。

 シレジアの内乱は終わった。ダッカーは死に、そして王国には一時の平和と共に、冬が訪れた。
 これで、またしばらくは時間を稼げるだろう。だが、シグルド達はもう、この国にいつまでもいるわけにはいかなくなっていた。一度領内に兵を入れた以上、グランベルは何か口実をつけてまたシレジア領内に侵入してくるだろう。そして自分が、その大義名分を与えている、とシグルドには分かっていた。
 シグルドは、春の訪れと共に、グランベルへの侵攻を決意する。それは、悲しき運命の幕開けであった。



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