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永き誓い・第十一話




 リューベックの戦いに勝利したにもかかわらず、シグルド軍に戦勝に浮かれる雰囲気はなかった。
 むしろ、何も知らないものが見たら、この軍が先ほど自軍より多数の軍を打ち破るという、戦史にも残りうる大勝利を収めたなど、想像もつかないだろう。
 戦意はある。だが、軍全体の雰囲気は、むしろ死地に向かう軍であった。
 いや、実際その通りなのだ。大国グランベルを相手にして、騎士団一個大隊程度の軍勢で、その王都たるバーハラを目指そうというのだ。
 だが、絶望感に苛(さいな)まれているものは、一人もいない。そこにいるのは、自分達の正しさを信じて戦おうとする、悲壮なまでの覚悟を決めた戦士達だった。

 軍議は、当然のように長引いた。まだ子供であるシャナンは、当然その席には出席していない。いつもだと、一緒に子供たちの面倒を見てくれているオイフェも、当然軍師として会議に参加している。
 元々、オイフェは本来であれば、すでに騎士叙勲を受け、正式にシグルドの下で働いているはずの年齢である。それが、相次ぐ戦乱で、騎士叙勲を受けるために国元に戻れないまま、いつのまにか反逆者の一人とされてしまい、いまだに正式な騎士になれないでいる。
 オイフェ自身、その境遇にこだわりがあるのか、みずから剣をとって前線に出ようとはせず、あくまで軍師としてシグルドに助言するにとどまっていた。そしてシグルドもまた、オイフェを前線に立たせようとはしなかったのである。
 シャナンはふと、目の前の小さなベッドで寝ているセリスを見た。セリスは、もうすぐ二歳になる。最近、歩くことはもちろん、少し走るような歩き方まで覚えたため、目を離すと、いつのまにかいなくなっていることすらある。もう赤ん坊と呼べるような年じゃないんだな、と思うのだが、どうしても赤子の頃から見ているとその認識を外すことが出来ない。あるいは、次々に赤ん坊の世話をしていたからかもしれない。
 シグルド軍には、今子供が多い。長い戦いの中で生まれた共通意識なのか、軍にいた女性達の多くは、同じ軍の者達と結婚することが多くなっていた。それは、仕官も例外ではない――というより、軍の中心にいる女性達は、そのほとんどが結婚し、子をなしていた。
 最初に生まれたのはエーディンの子レスターである。そしてすぐに、アイラの子スカサハとラクチェが生まれた。その後も何人か生まれて、主だった者で子がいないのはレヴィン王子とフュリー、ジャムカ王子とブリギッド公女だけである。しかし、そのブリギッド公女も懐妊しているらしい、という噂もあった。
 成り行き上、というよりはむしろ経験を買われて、なのかもしれないが、オイフェとシャナンはそのままその子供たちの面倒を見ることになった。
 無論、母親達も協力してはくれるが、先のシレジアの内乱、さらに今回の戦いなどでは女性達も戦っており、子供の世話にかかりっきりになることは出来なかったのだ。
 その子供たちも、今は安らかに眠っている。窓の外を見てみると、すでに星が見えていた。
 廊下へ出て、耳を澄ましてみるが、まだ軍議が終わった様子はない。
 もうしばらく待とうかと思っていたのだが、眠くなってきたのでそろそろ自分も寝ようかな、と思ったとき、廊下の方からいくつかの足音が聞こえてきた。軍議が終わったのだろうか、と思い、もう一度廊下を覗いてみるとオイフェが走ってきた。その後ろに、何人かの気配がしたところをみると、やはり軍議が終わって、解散したのだろう。
「オイフェ、お疲れ様。どうだったの?」
 オイフェはその質問には答えず、少し憔悴した顔で、シャナンを見て、それから部屋の中を見渡した。
 子供たちの眠りを妨げないように、室内には最小限の照明しかない。その中を、オイフェは出来るだけ足音を立てないように歩いて、セリスの寝ているベッドの横に行く。何をするのだろう、とシャナンがいぶかしんでみてみると、オイフェは、静かにセリスを抱き上げようとした。だが、その気配を察したのか、セリスが危うく泣き出しそうになる。このような場所では、一人が泣き始めると、全員が泣き始める。そうなってはものすごい騒がしいことになるため、オイフェは慌てて手を離した。
「どうしたの? オイフェ」
「シグルド様が、セリス様を連れてきてくれって。けど、これじゃあ起こせないよ……」
 困り切っているオイフェの横を歩いて、シャナンはセリスのベッドの横に立った。
「セリス、ちょっと起きて。シグルド様が呼んでいるから」
 その声に反応するように、セリスがわずかに寝返りをうつ。シャナンが続けて呼びかけると、セリスはわずかに目を開けた。
「しゃなー、なに〜?」
 眠そうな目をこっちに向けている。シャナンはセリスの手を取ると、ゆっくりと立ち上がらせた。
「お父さんが呼んでいるから、行くよ、セリス。歩ける?」
 セリスは駄々をこねるように首を横に振った。シャナンはふぅ、と息をつくとセリスに背中を向ける。
「はい。掴まって」
 するとセリスはのろのろと――傍から見たら嬉しそうに――シャナンの背におぶられた。あるいは、初めからこうしてもらいたかったのだろうか。どちらにしても、オイフェは、シャナンのセリスの扱いの上手さには感心した。
「慣れているんだね、シャナン」
 シャナンは「まあね」と言ってから、あまり揺らさないようにゆっくりと立ち上がって言葉を続けた。
「剣の練習か、セリスの世話ばかりしていたからね。もうセリスがどういう反応を見せたとき、何をして欲しいかもわかっちゃうようになってるよ」
 そういう少年の声には翳りはない。だが、オイフェは急に申し訳なくなってしまった。
 イザーク王家の王子、とはいってもまだ九歳の少年である。まだまだ遊びたい盛りだろう。それなのに、その双肩にはイザーク王国復興という重責がすでにかかっている。
 ともすれば、大人ですら己の不幸な境遇に自暴自棄になってしまうかもしれない状況で、この少年は元気、前向きに生きている。自分の置かれている状況が分かっていないだけだ、という人もいるかもしれないが、オイフェは、シャナンが聡い子であることはよく知っていた。だからこそ、シャナンは明るく振る舞って、シグルド様や、アイラ王女の負担にならないようにしているのだと。
 それは、目の前でシグルドの妻ディアドラ攫われてしまった、という責任感からくるものかもしれない。だがそれは、九歳の子供にはあまりにも過ぎた認識である。それに押しつぶされない精神の強靭さ。それが、シャナンの最大の強さかもしれない、とオイフェは思った。
 オイフェに案内されてシャナンとセリスが入ったのは、さっきまで軍議をやっていた場所である。入ってみると、ほとんど消された照明の中に、シグルドがいた。酷く疲れている。シャナンは最初にそう感じた。だが、無理もないことだろう。
「セリス……シャナンも来たのか」
「すみません。シャナンでないと泣き出してしまいそうだったので……」
 オイフェがすまなそうに言う。だが、シグルドは、構わない、というとセリスをシャナンから受け取り、抱き上げた。
「シグルド様……」
 オイフェが辛そうに言った。シャナンには何のことか分からない。
「オイフェ、セリスを頼む。無事ことがすんだら、必ず迎えに行く」
「はい……シグルド様」
 シャナンには全く話が見えなかった。ただ、なにか、良くないようなことの気がする。そういう時に持ち上がってくる子供の好奇心――というよりは怖いもの見たさに通じるものがあるが――は抑えられるものではない。
「ねえ、どういうこと? セリスとシグルド様、離れ離れになるの?」
 その質問には、シグルドが答えた。
「オイフェには、セリス他、何人かの子供と一緒に、一時的にイザークへ行ってもらうことになった。この先、進軍するのは砂漠だ。幼い子供たちには辛い環境であるし、またおそらく子供たちに構う余裕もなくなってくるだろう」
 シャナンの目が驚きと共に見開かれた。
 その意味するところは、シャナンにも分かる。
「じゃあ僕も行く!!」
 シグルドが言葉を続ける前に、シャナンは半ば叫ぶように言いきった。その声に驚いたセリスが、泣き出しそうになる。それを見て取ったシャナンが素早くセリスを受け取ってあやすと、セリスは途端に泣き止んだ。ディアドラがいなくなってからもう一年以上こうやって来たのだ。さすがに慣れている。
「イザークは僕の国だ。オイフェだけで行ったって、イザークの人達が協力してくれるかは分からないよ。それに、セリスを守るのは、僕の役目だ。ディアドラと、約束したんだから。だから……」
 シャナンは半ば、泣き出しそうな顔になっていた。
「セリスは僕が守る。そして、いつかディアドラに許してもらうんだ。それまで、オイフェにだって渡さない!!」
 子供じみた独占欲からの言葉にも聞こえなくはない。だが、シャナンは真剣だった。
 シャナンがどれほどディアドラの失踪の責任を感じているか。それは、誰よりもシグルドがよく分かっていた。
「シグルド様。わたしもシャナンがいてくれた方が心強いです。なにより、イザークの人々の協力を得られると思います。シャナンももう立派な戦士です。それに、シグルド様は、彼を巻き込みたくないとお考えでしょうが、今後従軍させる方が、あるいは危険ではないでしょうか?」
 オイフェの言葉は的を得ていた。確かに、幼いシャナンを巻き込みたくはない、という感情から、オイフェに同行させることを躊躇ったのである。だが、このまま従軍させる方が、確かに危険だ。それよりは、彼の素性を考えても、共にイザークに行かせるのが安全だろう。
「そうか……わかった。そうだな。……シャナン、セリスを守ってくれ。頼む」
 その言葉は、シアルフィ公子としてではなく、一人の父親としての言葉であった。もう自分がセリスを守ってやれないのではないか、という想いから、シグルドは逃れられなかったのだ。
「うん。僕、もっともっと強くなってセリスを守る。そしていつか、ディアドラと……」
 半ば涙声になっているのは、ディアドラのことを思い出したからだろうか。シャナンの目から溢れそうになる涙を、シグルドは優しく拭った。
「シャナン。守る、と言ったそばから泣いているんじゃ、不安になるじゃないか。お前は、強くなるんだろう。だったら、振り返るな。ディアドラのことは、私に責任がある。だからシャナン。お前はディアドラと約束したように、セリスを守ってくれ。いいな」
「うん……」
 シャナンは顔を上げると大きくうなずいた。その瞳には、強い決意の色がある。
「それはそうと……シャナンが行くのであれば、アイラ王女や、ホリン殿は……」
 オイフェが思い出したように言う。確かにそうだ。アイラ王女は、シャナンを守ってイザーク王国を復興させるのが最大の目的だ。このような事態になったとなれば、シャナンについていくだろう。有能な戦闘指揮官を二名欠くことになるのは戦力的に痛いが、仕方ない。
「アイラは……多分残るよ。そんな気がする」
 シャナンは、セリスと部屋を出るときに、少しだけ寂しそうにぽつりと言った。

 出立の準備をしているシャナンのところにアイラとホリンが来たのは、もう夜も遅かった。いざ出て行く、となると色々準備が忙しく、シャナンも普段であればとっくに寝ている時間なのだが、今回はさすがに寝ているわけにはいかないのだ。
「シャナンちょっといい?」
 アイラは、忙しそうに動いていたシャナンが、一度動きを止めたのを見計らったかのように、部屋に入って来た。後にホリンが続いている。
「うん。もうほとんど終っているから」
 実際、それほど持っていけるものが多いわけではない。
 あの後、シグルドが何人かに相談して、エーディン公女がオイフェ達と同行することになった。それにともない、彼女とミデェールの息子、レスターもついてくることになった。さらに、ラケシスも息子デルムッドを預かって欲しい、と頼んできた。彼女自身は、アグストリア動乱の責任を問うためにバーハラに行かなければならない。だが、万に一つを考えると、デルムッドを連れては行けない、というわけだ。
 実際、エーディン公女が来てくれることになったおかげで、オイフェ達に多少の精神的余裕が出て来てたので、そのくらいは受け入れられるようになっていた。ただ、その代わり、準備は大忙しではあったのだが。
「私達は……」
「残るんでしょう?」
 アイラが言い難そうにしているのを見て、シャナンがその続きをあっさりと言ってしまう。アイラはちょっと呆気に取られたようにシャナンを見ていた。
「なんで……そう思うの?」
 シャナンは一度外を――東のイザークの方を――見てから、アイラに向き直る。
「最後まで見届けたいんでしょう、この戦いを。僕のことは心配要らない。これでも、かなり強くなったんだよ。それに、アイラがいないと、シグルド様がどこへセリスを迎えに来たらいいか、分からないじゃないか」
 シャナンは、努めて明るく言っている。アイラには、それが痛々しかった。そう。これはアイラのけじめなのだ。野垂れ死にしてもおかしくなかったアイラとシャナンがこれまで生きてこれたのは、シグルドのおかげである。また、グランベルをただ憎み続けたアイラに、相手もまた人間であることを教えてくれたものまた、シグルドであった。その恩を、まだ返せたとは思えないのだ。
「ホリンはどうして?」
 それまで何も言わなかった金髪の剣士は、そこで始めて口を開いた。
「俺はもともとシグルド公子の剣が、何を導けるのかを知りたくてこの軍に入った。無論、アイラがいてくれたから、というのもある。そのアイラが残るという。そしてそれは、俺の見届けたいものを見るためにもちょうどいい。もっとも、本当はアイラには一緒にイザークに行ってもらいたいのだが……」
 アイラは、そのホリンの言葉に反応して、睨み付けた。ホリンが少し肩を竦めてみせる。
「ホリン。私は行くぞ。私一人が安穏としているつもりなんてない。二人で一緒に……」
「スカサハとラクチェを迎えに来るんでしょう? 分かってるよ。ここまで増えたらあまり変わらないから、預かるよ。僕にとっては従兄妹にあたるんだしね」
 またシャナンがあっさりとアイラの言葉を引き継いだ。アイラもびっくりしたようにシャナンを見ている。
「スカサハとラクチェが一緒だとどうしても後方が気になる。アイラは元々、周囲に気を配って戦うのが得意じゃないんだから、だったら僕が預かった方が安全。そうでしょう?」
 まるで自分は出来る、というような口調だが、本人は認識していないだろう。しかし、図星であったのは確かだ。アイラは何も言い出せないでいた。そのため、奇妙な時間が空いたが、その沈黙を破ったのはホリンである。
「すまない、シャナン。スカサハとラクチェも預かってくれ。必ず、迎えに行く」
 それは約束ではなく、祈り。シャナンには直感的にそう感じてしまった。だが、もちろんそんなことは言わない。
「うん。しかし僕、ずいぶんたくさんの子の、お兄さんになるんだなあ」
 するとオイフェはお父さんなんだろうか、と一瞬考えてアイラは吹き出してしまった。吹き出したのを見咎めたシャナンも訳を聞くと吹き出した。ホリンもくつくつと笑っている。
 シャナンは、明日オイフェを見たときに笑わないですむかどうか、という的外れな心配をしてしまっていた。

 翌日、まだ陽も昇らぬうちに、エーディン、オイフェ、シャナン、セリス、レスター、スカサハ、ラクチェ、デルムッドを乗せた馬車は、リューベックを出発した。手綱を握るのはオイフェである。あまり大人数で見送りをして、斥候に気取られるとまずいので、ごく限られた者達だけでの見送りである。
「シャナン。必ず迎えに行く。その時まで、あの子達を頼む」
 シグルドのその言葉を最後に、オイフェは馬に鞭を打った。馬は小さく嘶くと、街道を走り出す。目指すはイザーク。かつては蛮族の住む土地、とすら蔑まれた大地。
 だが、オイフェ達は、そう思っていない。そこは、アイラやホリン、シャナンのような人々を生み出した国なのだ。
 朝の闇に紛れて、旅商人の偽装をした馬車は、一路東へ向かっていった。

 馬車の旅は、思ったより快適であった。ただ、グランベル軍の占領地や、駐留地を避けていくため、自然道は悪くなり、進行速度も落ちる。
 幸い、食糧や水はたくさん持って来ていたので、その不安はなかったが、余裕が出てくると、どうしてもオイフェなどはシグルド達の心配をしてしまう。今ごろはどこまで進軍したのだろうか。無事、バーハラに着いて、無実を証明できたのだろうか、と。
 オイフェが、ぼんやりとそんな考え事をしていながら山道を馬車に走らせていた時、突然その思考はけたたましい泣き声によって破られた。無論、これまでも何度も赤子達が泣き出してしまうことはあったのだが、それでもこれほどではなかった。しかも、泣いているのは、もうほとんど泣き出すことのなくなったセリスだったのだ。続いて、スカサハとラクチェが――この子達は滅多に泣かない――が泣き出した。デルムッドやレスターも、つられてすごい勢いで泣く。
「ど、どうしたんですか。エーディン様。なんとか……」
 言いかけて、オイフェははっとなって、西の空を見た。その方向に見えるのは、山々と曇り空だけ。だが、オイフェはとてつもなく嫌な予感に襲われた。
「まさか……シグルド様!!」
 オイフェは慌てて馬首を返そうとするが、そこに鋭い声が響いた。
「オイフェ!!!!」
 シャナンの声に、オイフェはびっくりして手を止めた。
「僕達はイザークに行くんだ。そう、約束したじゃないか。だから、このまま進むんだ」
「でも……」
 言いかけてオイフェは口をつぐんだ。エーディンは子供たちをあやすのに必死で、聞こえていなかったようだ。シャナンは、手を強く握り締めていた。その掌から、わずかに血が滴り落ちる。ともすると、暴発してしまいそうになる自己を、シャナンは必死で押さえているのだ。オイフェは、一度深呼吸をして、自分を落ち着かせた。
「すまない、シャナン。危うく目的を見失う所だった。ごめん。さあ、行こう」
 オイフェは、何かを振り払うように一度頭を振ると、再び手綱を握り締めた。
 イザーク王国は、もうすぐだった。




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