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永き誓い・第十四話




「ここじゃ。わしらが住んでおるのは」
 オシーン老人に案内されて、シャナン達がたどり着いたのは、かつての王都イザークに程近い、山間にある小さな村であった。
 山麓がよく見通せる山の中腹にあり、天気がよければイザーク旧王都も見えるという。
 そのわりに、家々は木の影などになっていて、明りなどが見えることもほとんどないらしい。
 ここまでの道もかなり険しくて、シャナン達がオシーンとであった場所からここまでは、距離的には十日程度のはずの場所に、一月もかかった。無論、グランベル軍に見つからないように、山間の細道などを辿ったのも原因ではある。
 シャナン達は、オシーン老人からイザーク王国の現状について、かなり詳しい情報を得ることができた。
 イザーク王国は、すでに、シャナン、スカサハ、ラクチェを除く王族――アイラ王女が生きていれば別だが――は全て戦死したという。国内の有力貴族や部族の長も同じである。
 イザーク王国軍は、数において圧倒的に勝るグランベル軍に対して、地の利があることを最大限に生かすため、複雑に入り組んだ地形にグランベル軍を誘い込み、決戦を挑んだ。
 しかし、そこで敗れたという。神剣をもったマリクル王をはじめ、ソファラ、ガネーシャの勇猛を持ってその名を轟かせていた多くの武将達もまた、地に伏して再び立ち上がることのなき者となった。
 それでもなお、イザーク軍は組織的な抵抗を試み、その組織的な抵抗すら潰えて、グランベル軍の主軍が撤退――その時にクルト王子の暗殺事件が起きるのだが――した後も、各地で抵抗していたという。
 イザーク王国内で戦闘が行われなくなったのは、ほんの半年前だそうだ。それでもなお、抵抗を試みるものもいるのだが、さすがに無謀と悟ったのか、表立っては行われていない。
 後に判明することだが、この戦争で、イザーク人は、実に全人口の八分の一を――それも主に働き手となる二十代から四十代の男子を――失っている。
 オシーン老もまた、抵抗運動に参加を、と誘われたことはあるのだが、今のグランベル軍に対して、抵抗しても無駄であるということは分かりきっていたため、その申し出を固辞したのだ。
 実際、グランベル軍の占領政策は、決して強圧的ではなく、イザーク軍が街を破壊しなかったとはいえ、商業などは占領地ではすぐに回復させていたし、略奪行為なども厳しく禁止されていた。実際住民に対して略奪、暴行、陵辱等の行為に及んだ兵士達を、公開処刑にしていたほどである。
 これらの指示は、全て大将であるクルト王子の厳命によるものであったが、主軍の撤退後もこれは守られていた。また、主軍の撤退後は、街から兵士の数も減り、生活自体は以前とさほど変わらなくなっている。今後も同じとは限らないが、少なくとも現在は、それでもイザークにとって、悪い状況ではないという。
 それらの状態は、シャナン達にとっては悔しかったが、悪いことではない。少なくとも、無闇に探索されて、自分やセリスの正体がばれてしまう可能性が低いからである。
 シグルド達が、あの後どうなったかは分からないが、少なくとも状況が変わっていなければ、シグルドはバーハラ王家に弓引いた反逆者であり、セリスはその息子、ということになる。一般市民であれば、親の罪が子に及ぶことはそうそうないが、貴族となれば、しかもグランベル七公国の公主となるべき家柄であるとなれば話は別である。
 七公国は、それぞれ最大で約五千ものの軍を動員することが可能であり、その勢力は、基本的に同格である。常備軍だけでも二千はいるし、そのうちの五百は騎士だ。マンスター地方にある諸王国などと同等か、それ以上の勢力を持ち、その影響力は決して小さくない。
 そもそも、現在でこそグランベル王国として一つの国家となってバーハラ王家を頂点に頂いているが、もともとは別々の王国だったのだ。その一つが、盟主であるバーハラ王家に逆らった、というのは小さからぬ衝撃でもあるのだ。たとえ、濡れ衣であるとしても。
 このままであれば、シアルフィ公国は、継承者不在、ということで取り潰されるか、バーハラ王家直轄となるだろう。
 公主バイロンは反逆者として死に、公子シグルドが反逆者である以上、継承者がいない。
 他にシアルフィ家の縁者だと、シアルフィ公女にしてレンスター王太子妃でもあるエスリンがいるため、あるいは彼女の子が二人以上いれば、シアルフィの公主となる可能性もなくはないが、彼女の夫であるキュアンがシグルドの親友であり、またかつてアグストリアではシグルドと同じくグランベル王国に敵対するものとして追われたことを考えると、それすら怪しいだろう。
 もしシグルドが戦死したとなると、シアルフィの直系にして、正式に継承権を持つセリスが名誉と本来の地位を回復するのであれば、あるいは反旗を翻すことを考えなくてはならない。
 だが、おそらくそれは、シグルドが望むことではない。シグルドが望んだのはセリスが無事育つこと。決して、反乱の旗手として立てられることを望みはしないだろう。
 それに、もしかしたらシグルド公子も生きているかもしれない。シグルドが無実であることは、明らかだ。もし捕縛されて裁判、ということになれば、クロード神父のブラギの塔での神託が有力な証言となる。そうなれば、きっとそのうちこのイザークにも迎えが来るはずだ。
「ここからなら、イザークの街まで日帰りでも行ってこれる。情報を得るにも、何かと都合がよろしかろう」
 イザーク人であるシャナンやスカサハ、ラクチェは問題がないが、オイフェやその他の子供達、エーディンは目立つ。いくら占領されたとはいえ、特にエーディンはすぐに正体が分かってしまう可能性もある。
「ありがとうございます。なにからなにまで。何とお礼を言って良いのか……」
 するとオシーン老人は呵呵と笑った。
「なに。シャナン王子のお仲間であり、これまで王子のためにがんばってきて下さった方々には、こちらが礼を言いたいくらいじゃ。気になさるな」
 そういってから、老人はオイフェとシャナンを村の南側に流れる川まで案内した。
「この川沿いに馬で行けばイザーク王都まではすぐじゃ。馬は、乗れるな?」
 イザーク人は騎馬民族であり、馬術に長けた人が多い。そのわりに、何故か馬上で剣を操る技術があまり重視されなかったのは、国民性と、なにより剣聖オードの拓いた国であるからだろう。ただオイフェはもちろんシャナンも、馬術は水準以上にこなすことができる。
「さて、とりあえず家は……と。まあ適当なのを見繕うか。なんせ若いのが死んでしまったから空いている家は多いからの」
 その声には、多少の寂寥感が感じられた。無理もないだろう。実はオシーンの息子、つまりフェイアの父もまた、戦争においてグランベル軍に殺されたらしい。そのため、フェイアはグランベルを強く憎んでいて、はじめはオイフェやエーディンとは打ち解けなかったのだが、やがて、子供達を介してではあるが、少しずつ話してくれるようになった。無論、シャナンの口添えもあったのだろう。

 イザークで暮らすようになって、早二月が過ぎた。オイフェもエーディンも、ここの生活に慣れ、やっと今後のことを考える余裕が出てきた。食料の調達には苦労することが多かったが、村の人は親切で、幼い子供達の多い彼らに、なにかと支援してくれたのである。グランベルに追われている、ということが彼らを逆に信用させたのかもしれない。実際、オイフェ達の預かる子供達は、いずれもグランベルに弓引いた者たちの子供であり、その存在が知られれば確実に手配される子供達ばかりだ。状況が多少なりとも変わっていない限りは。
 村には他にも幼い子供達が、というよりレスターやスカサハ達と同じ歳の子供達がいた。ロドルバン、ラドネイという子で、親はやはりグランベル軍に殺され、オシーンが拾ったらしい。オイフェやエーディンは、この子供達の面倒も見ることになったのだが、もしかしてオシーン達がオイフェを助けたのはこの子供達のことを考えてのことだったのだろうか、とすら思えた。だが、スカサハ達兄妹とは仲良くなったようで、まだ一歳程度ながら、ゴロゴロと転がって遊びまわっているため、かえって苦労することとなったのだが、その苦労もまた、彼らにとっては楽しく感じられるものであった。
 シャナンと同年代の子は、オシーンの孫であるフェイアだけであったが、シャナンは同年代の友人ができたことは嬉しかった。フェイアは、シャナンと同じ年で、イザーク剣術指南の孫だけあって、剣術を祖父から習っている。その剣の才は、オイフェの目から見ても、相当高いと思えた。さすがにシャナンほどではないのだが、シャナンは別格と見るべきだ。
 しかし、そのシャナンは、今でこそフェイアとともにオシーンに剣を習っているが、果たしてあの時のトラウマが克服されたのかは、オイフェには分からなかった。
 オイフェ自身、初めて人を斬った時の衝撃は、未だに忘れられない。祖父スサールと共に狩りに出たときに盗賊に襲われて、撃退した。その時に初めて人を斬っている。だが、それでももう十三歳だった。シャナンは、まだ九歳だ。その時に受ける衝撃、というのはオイフェには想像もできない。
 平和とはいえ、グランベル軍の見回り、というものは定期的に巡回してきている。この村の近くにもくるのだが、この村の存在は知らないのか、幸いにも村までは巡回は来ない。巡回が近くに来たときは、村は炊事などを止め、その存在を隠す。森が深いため見通しが利かず、よほどのことがない限りは見つかることはないのだ。見回り自体も、一か月に一回程度であり、それも定期的であるので、それほど必要以上に警戒する必要はなかった。

 その予定と全然違うタイミングで、グランベル兵らしい影を見たという報告があったのは、夕刻も近く、森はすでに完全な闇に包まれている時刻であった。しかも、その兵士はまっすぐ村に向かっているという。奇妙なのは一人である、ということだった。今ごろになって、グランベル軍を離脱した兵士がさ迷って、食料を求めたのか、とも思われた。だとすれば、軍には戻れないだろう。だが、だとしても発見すら困難なこの村に、真っ直ぐ向かってくるというのは明らかに妙である。あるいは、ここがすでに発見されていて、その斥候、という可能性すらある。
「いずれにせよ、村に入れるわけにはいくまい。やむをえん」
 オシーンは重々しく言うと、壁にあった大剣を取った。殺す、ということである。オイフェはしばらく逡巡した後、立ち上がった。
「私も行きます」
 オシーンが軽い驚きを持ってオイフェを見た。
「斬れるのか」
 短く、それだけ聞く。今度の相手は、盗賊ではない。正規のグランベル兵であり、オイフェの同国人である。
 オイフェは、しばらく剣を持ったまましばらく動かなかったが、強い意志を持った目で、オシーンに向き直った。
「斬れます。今の私にとって、セリス様の身を脅かす全ては、敵です」
 オシーンは、しばらくオイフェを見つめていたが、やがてうなずくと「行くぞ」とだけ言うと外へ出ていく。シャナンも続こうとするが、それはオシーンに止められた。
「王子。万に一つに備えてここにいてください。フェイアと共に」
 反論を許さない、強い口調。言外に来ないでほしい、と言っている。また、シャナン自身もそれがわかっていた。今の自分が足手まといであることも。剣を持った右腕が震えている。
「……わかった。オイフェ、オシーン。気を付けて」
 うめくような声で言う。分かってはいても悔しいのだろう。
「行ってくる」
 オイフェは、それだけ言って出ていく。シャナンは、震える右腕をただじっと睨み付けていた。

「あれ、か」
 オイフェとオシーンはその兵士を、なんとか見える場所まで行った。恐らく、相手からは見えてはいないはずだ。
 暗がりの森の中を歩いている兵士は、どうやら弓を持っているようだ。単純に奇妙だ、と思った。森の中では弓はほとんど使い物にならない。まして、この暗い闇の中では、騎士級の技量を持っていなければ、敵に当てることなど、到底不可能だ。
 オシーンが無言で合図を送り、オイフェが走る。これは、ある意味ではオイフェ自身の覚悟をオシーンに示す場所でもあるのだ。
 相手との間を一気に詰める。男がオイフェの接近に気がついたのは、もうオイフェが十分斬りつけられる距離であった。
(もらった……!!)
 無言のまま剣を鞘走らせる。相手は、少なくとも長剣は持っていない。まともに防御できるとは思えない。
 響く鈍い金属の音。男はなんと、短剣で長剣を受けきった。しかし、間合いはまだ自分が有利だ。
 だが、そう思ったとき、突然足元が崩れた。地面が弱っていたのである。剣を地について、かろうじて倒れるのを防ぐ。だが、その時には間合いが開いてしまっている。男が弓の弦を引き絞る音が聞こえた。反射的にオイフェは跳ね飛んだ。だが、その鼻先を矢が掠める。驚いて再び跳ね飛ぼうとすると、その動きを止めるように立て続けに矢が放たれた。外れたのではない。外したのだ、ということが分かったとき、オイフェは戦慄した。相手は、騎士級の弓の技量を持っているのだ。それも、相当熟練した腕である。
「止めてください!! 私は戦うつもりはありません!!」
 その声が、その相手から発せられたということに気がつくのに、オイフェはほんの一瞬の間があった。その間に、オシーンが一気に間を詰めて、男に斬りかかろうとしている。その時、反射的に動いたオイフェのとった行動は、男とオシーンの間に入り、オシーンの剣を止めることだったのだ。
「な、何をする、オイフェ殿!!」
 オシーンが驚いたようだが、その行動でオイフェが裏切ったのだと思い、一気に連撃を繰り出してきた。オシーンとオイフェでは、少なくとも現時点では圧倒的な剣技の開きがある。しかし、数撃を受け止めたオイフェは、自ら剣を放り投げた。オシーンも驚いて、これには剣が止まる。
「待ってください!! この方は、私達の仲間です!!」

 戻ってきたオシーンとオイフェに、一人増えているのを見て、驚いたのはシャナンも同じであった。だが、エーディンの反応だけはやや異なっていた。
「ミ……ミデェール……」
 ぽろぽろと流れ落ちる涙は、とどまることなく、そのまま地面に落ちていく。オイフェとオシーンがグランベル兵だと思ったのは、エーディンの夫であるミデェールだったのだ。
「生きて、戻りましたよ……エーディンさ……エーディン」
 疲れきった様子で、それでもミデェールはにこりと笑った。エーディンはあふれる涙を押さえずに、そのままミデェールに抱きつくと、まるで子供のように泣き崩れる。
「ミデェール……生きていたんだ」
 シャナンも、その目に涙を浮かべている。まさか、あの時別れた人と再会できるとは思ってもいなかったのだ。
「シャナン王子。間違いはないのですか?」
 オシーンの言葉に、シャナンは驚いたように顔を上げた。今まで見たこともないほど厳しい顔をしている。
「そうだよ。ユングヴィの騎士ミデェール。エーディンさんの恋人……いや、もう結婚しているんだな」
 オシーンはその言葉を聞くと、納得したのか、一度うなずくと年相応の優しそうな老人の顔に戻った。
「ミ、ミデェール!?」
 突然のエーディンの声に、シャナンが顔をあげると、ミデェールがエーディンに倒れこんでいる。エーディンは青い顔になって何度も呼びかけている。
「ふむ。大丈夫じゃ。疲労で、気を失っておるだけじゃ」
 オシーンは倒れたミデェールをみやり、安心させるようにエーディンに言った後、休ませるように言って、家の一つを提供した。オイフェや、村の人たちでミデェールを家に運び、休ませる。オイフェ自身、本当はあのあと何があったのかを聞きたいのだが、今はそれはできそうにない。回復してから聞くしかないだろう。それは、シャナンも同じ気持ちだった。
「シャナン、ミデェールさんが回復してからにしよう。それに、今はエーディン様に任せるしかないしね」
 シャナンはうなずくと自分の家に戻っていく。セリスが、その後をとことこついていった。

 翌日。オイフェとシャナンが聞いた事実は、二人のかすかな希望の全てを打ち砕いた。
 レンスター王太子夫妻であるキュアン、エスリンの戦死。フリージ公レプトール率いるフリージ軍との決戦。バーハラでのアルヴィスの裏切り。そして、シグルド軍の『処刑』と、四散した仲間たち。
 その中、ミデェールは、イザークに逃れたエーディンを追ってイザークに入り、かすかな痕跡と、いくつか立ち寄った村などで聞いた話から、エーディンらがいる場所を突き止めたらしい。信用してもらうためには、大変だったようだ。
 全てを説明終えてから、ミデェールは、一つ、思い出した、と言って更に話を続けた。話を進めつつ、オイフェに目配せする。オイフェは一瞬意味が分からなかったが、話の内容を聞いているうちに、静かに移動して、身構える。
 その話は、シャナンに計り知れない衝撃を与えたのだ。
 ディアドラが生きていた。しかも、ヴェルトマー公アルヴィスの妻として。それを聞いた瞬間、シャナンは剣を持って飛び出そうとした。かろうじて、オイフェがその腕をつかむ。
「落ち着け!! シャナン、今君が行っても、どうしようもない!!!」
「離せ!!!」
 そう言って引っ張るシャナンの力は、オイフェの想像を超えていた。それでも、なんとか押さえようとする。するとシャナンは剣を引きぬき、オイフェに対していきなり振るいだした。鮮血が飛び散る。その血が、シャナンの顔にも跳ねたとき、シャナンはようやく正気を取り戻した。
「王子。オイフェ殿の言うこと、もっともです。今の王子では、いえ、今誰が出ていっても何もできますまい」
 血は、剣を素手でつかんだオシーンのものだった。剣を伝って、ぽらぽたと血が滴り落ちる。
「あ……あ……」
「王子。王子の力は、いずれは私など遥かに追い越し、多くの人の希望となるものです。今、ここで無為にその力を浪費なさいますな」
 オシーンは剣を離さずに、シャナンをじっと見つめている。シャナンの持つ剣の震えが、まだなおもオシーンの手を傷つけているが、それでもオシーンは剣を離さなかった。
「人を傷つけることが恐ろしいですか、王子?」
 シャナンはその滴り落ちる血を凝視したまま、小さく震えながらうなずいた。
「それで、よろしいのです。剣を持つものは、同時に剣の恐ろしさと、その罪深さを知らなければなりません。王子はそれをすでにご存知である。確かに、人を傷つけ、あるいは殺すのは罪悪です。ですが、その罪を犯してなお、成さなければならない何かがあるのであれば、その時、人は剣を振るうのです。王子。王子の成すべきこと、それを常に忘れないようにして下さい。そしてそれが、己が剣を振るうに値するのであれば、その時剣を振るってください」
 オシーンはなおも剣を離さない。やがて、シャナンの震えが小さくなり始めた。
「オシーン。人はなぜ剣を持つの?」
 その質問を予想していなかったのか、オシーンはしばらく考え込む素振りを見せた。やがて、一言一言、かみ締めるような口調で話し始める。
「人は、という質問に答えられるほど、私は悟りきってはおりません。ですが……私は、私の守りたいものを守るために、剣を取っております。王子と、孫のフェイア。そして王子が大切にしたいと思うもののために」
 シャナンは静かに剣を下ろした。いつのまにか、震えも止まっている。オシーンは静かに剣から手を離す。
「守りたいもののために振るう……」
 オシーンは静かにうなずいた。
「戦う目的、などとというのは、あるいは結局自己弁護に過ぎないのかもしれません。自分を納得させるための理由付けに。それでも私は、そのためにあえて、剣を取って人を殺すという罪悪を、許容しております。例え己がその罪によって、天に裁かれようとも、それで王子やフェイアを守ることができるのであれば、本望です」
 そういうオシーンの目には、迷いはなかった。ただ純粋に、己の信じる道を剣を持って切り開こうという強き意思。それを感じることができた。
「王子。王子がなぜ剣を握ることを選ばれたのか。そして、王子が何を成したいのか。それをもう一度見据えてください。その時、王子はきっともう一度剣を握れるのだと思います。王子から迷いが消えたとき、きっとお父上であらせられるマリクル様をも超える剣士になれる、と私は思います」
 オイフェは、その一連のやり取りをただ黙って見ていた。自分でも、なぜ剣を取ったのか、と考えてみる。結局、自分の命を、そして守りたいものを守るために剣を、武力をとった。多分それはほとんどの人がそうなのだろう。とすれば、セリスもまた、いつか剣を取る日がくるかもしれない。
「シャナン。私は騎士だから武器をとった。守りたいと思うものがあるから、戦いに身を投じた。難しく考えると、かえって分からなくなるよ。剣を振るったとき、シャナンはそうすべきだと考えたんだろう? きっとそれが、シャナンにとっては正しいんだよ」
 今まで、ことの成り行きを黙って見ていたミデェールが始めて口を開いた。エーディンが優しく微笑んでいる。
「剣は、それ自体は人を傷付けるためのものに過ぎません。王子。王子が正しいと思うとき、剣を振るって下さい」
 シャナンは、静かに剣を離す。剣はカラン、という乾いた音を立てて床に転がった。
「僕は何が正しいか、なんて分からないけど……でも今、ディアドラの元に行っても駄目だってことだけは分かる。行きたい。ディアドラに会って、セリスを抱かせてあげたい。でも、だめなんだ。きっと。オイフェもオシーンも、それが分かっているの?」
 オシーンは「はい」とだけ言い、オイフェは静かにうなずいた。
 アルヴィスの妻となったというディアドラ。
 そして、ディアドラが攫われた時に見た暗黒教団。
 シグルドの処刑。
 ディアドラの出自。
 アルヴィスの登極。
 不自然なほど、全てがアルヴィスのために動いている様に見える。それらは、おそらくパズルのピースに過ぎない。あるいは、アルヴィス自身もパズルのピースなのかもしれない。そのパズルが完成したとき、何が出来上がるのか。それは全く予想できない。
 だが、少なくとも、今自分達はそのパズルの中にはいない。パズル完成が何をもたらすのかは、オイフェにも予想はできなかったが、シグルドはそれに気付いていたのかもしれない。だから自分達を、そのパズルのピースからはじき出したのかも知れない。
 無論、これらは推測に過ぎない。
 それに、パズルが、たとえオイフェやシグルドの思惑と異なっても、ユグドラルに住む人々の大半の望む完成図であるならば、シグルドはいつまでも反逆者であるだろうし、自分達は永久に名乗りをあげられないだろう。
 だが、それでも、シグルドが、そして自分達に我が子を託した人達が望んだのは、自分達の子が健やかに育つこと、である。誰一人として、復讐を望む人はいないだろう。それは、確信できる。
「シャナン。私達は、少なくとも今は反逆者の子供達を抱える身だ。だけど、私達はこの子供達を無事育てることを託されている。まず、これを成し遂げようよ。そして、そのために私は剣を振るう。シャナンは……どうする?」
「僕も同じだ。セリス達が元気に育つための場所を、全力で守り抜く。それが、シグルドとディアドラの望みだと、思う」
 シャナンは間髪入れずに答えた。その瞳に、迷いはない。
「ごめん、オシーン。僕がどうかしていた。手、大丈夫?」
 すると老人は、いつものように呵呵と笑うと「なんてことはない」と言ってから、無造作に手に包帯を巻きつけた。



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