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永き誓い・第十六話




 目が覚めたときに天気が悪いと、やはりあまり気持ちの良いものではない。中でも、ただどんよりしている、はっきりしない天気だと、特にそうだ。いっそ、雨でも降っていてくれれば、と思うのだが、かといって雨が降っていては、あまり外に行きたくなくなるのも事実だ。
 もっとも、天気に関係なく、あまり晴れやかな気持ちになれないのだから、そう考えると天気はどうでも良いのだろう。
 このイザーク王国が、ドズル王国と名を変えてから、もう四年が過ぎていた。それ以来、シャナンは心の底から晴れやかな気持ちになったことは、ないように思う。
 ただそれでも、日々の喜びがないわけでは、もちろんない。
 セリス達は、恵まれない環境でありながらもすくすくと成長していて、そのこと自体はシャナンにとっては大変嬉しいことだった。
 セリスはもう、九歳になる。シャナンが同じ年のころは、すでにシグルド達と行動を共にしていた。
 そのシャナンは、もう十七歳である。すでに、今いる孤児院では最年長者になっていた。
 ここには、もう一人、あと少しで十七歳になる者がいる。フェイアである。彼女は、シャナンと同じ年齢で、シャナンより一月ほど若い。もう、体つきなどは女性特有のものに変わりつつあるが、性格はあまり変わってはいない。剣の腕は確かで、オシーンと分かれてからもずっと、シャナンと二人で稽古をしていた。ただ、さすがにシャナンには及ばない。女性であることを考慮しても、シャナンの剣腕は別格であった。
「いつか絶対、一本取るからね」
 フェイアの、最近の口癖である。
 孤児院を管理しているのはオロという五十歳近いイザーク人である。
 オシーンのかつての弟子の一人で、イザーク王国とグランベル王国が戦争していたときは、病で出陣できなかった。今もその後遺症で、足が少し不自由である。彼はそれをずっと悔やんでいた。やはり、イザーク人としてはあの戦いには参加したかったのだろう。
 オロの孤児院は、旧王都であるイザークの北東、キエの街にある。キエの街は、人口は二千人程度。イザークでは中堅の大きさの街であるが、イザーク王国――今はドズル王国だが――の奥地への入り口、ということもあって、旅人は多く訪れる。
 新たなイザークの支配者となったドズルのダナンは、王都をイザークではなく、リボーに置いた。これは、少しでも奥地に行きたくない、という気持ちの現われだろうか。
 話によると、ドズル家は、皇帝アルヴィスの即位に際して、功績をあまりあげられなくて、本来はイザーク王国とさらに南のダーナ周辺までの支配権を獲得するはずが、イザーク一国のみとなったのである。
 ただその分、ダナンはイザークの富をできる限りリボーに集めて、リボーで贅の限りを尽くしているという。
 飢饉などがあると多くのイザーク人が飢えに苦しみ、時には餓死者もでる。だがダナンは、彼らを見向きもしなかった。彼にとって、イザークは自分が支配する対象であり、守るべき対象ではないということなのか。
 しかし、イザーク人は必死に耐えていた。悔しい、と思ってはいても、すでに、イザークには戦う力はほとんど残されていないのだ。
 その状況を、ただ見ているだけ、というのはシャナンにはあまりにも辛かった。本来であれば、シャナン自身がイザーク人の先頭に立って、イザークを開放するべきなのだ。それを踏みとどまらせているのは、一つにはもちろんセリスのことがあった。
 今自分がイザーク王子として名乗りをあげれば、下手をするとセリスの存在もドズル家に発覚する恐れがある。また、そうでなくてもセリスを始めとした、預かった子供たちを見捨てることにもなる。
『もっと力があれば』
 そう思ったことは一度や二度ではない。
 だが、現実にないものを求めていても、それは逃避に過ぎない。そして、現状を打破することは、現時点では不可能だ。いかにダナンが暴政を行っていても、イザークの民はなんとかまだ生きていける。実際、一度あれだけの大敗をしてしまったため、もう一度戦争をする気力自体が、イザークにない。そんな中でシャナン一人が気を吐いたところで無駄なのである。
 さらにいえば、グランベル帝国の皇帝であるアルヴィスの治世には、それほどの問題はない。窮屈な印象は拭えないが、民には公平で、治安も安定している。
 少なくとも人々は、皇帝アルヴィスを受け入れているのだ。
 アルヴィスの治世で、一番民を驚かせたのは、即位してしばらくしてから、ロプト教の存在を認めたことだった。
 ロプト教は、滅びたと思われたが、ひっそりと継承されていたらしい。なんでも、イード砂漠に神殿を築いて、ずっとそこに隠れ住んでいたということだ。
 それが、アルヴィスの即位と共に、その市民権を認められた。あるいは、アルヴィスと暗黒教団の間に、何かしらの取引があったのかもしれない。アルヴィスが、暗黒教団と関りがあったのは明らかなのだから。
 ただ、だとしても、その存在を認めてもらうだけだとしたら、ささやかなものである。無論、ロプト教団が、ディアドラを攫ったことを許すつもりは、ない。少なくとも、シャナンにはアルヴィスも暗黒教団も許せるものではないのだ。
 それにシャナンには、暗黒教団の目的が、ただ市民権を獲得するためだけとは、到底思えない。何かがある。ただそれは、シャナンには想像がつくはずもなかった。
 少なくとも、現時点においては、ロプト教団は、ただごく普通の教団の一つとして存在しているに過ぎない。
 しかし。
 闇は、静かにその胎動を続けているのだ。

「また難しい顔して。何考えているの、シャナン」
 呼びかけられたシャナンは、ゆっくりと自分の後ろにいるファイアを振り返った。イザーク人らしい美しい長い黒髪と、黒い瞳。アイラと同じ髪型なのだが、アイラとは全然雰囲気が違う。年齢のせいもあるだろうが、アイラよりずっと幼くも見える。目が大きいからなのかもしれない。
 そしてその外見と同様、活発でいつもはきはきしている。気持ちがいいくらいさっぱりした性格であるが、それが彼女の持つ雰囲気にも出ているのだ。
「いや、別に。セリス達は?」
「いまはお昼寝中。畑仕事が疲れたんじゃない?みんな仲良く寝ているわ」
 そういいながら、フェイアはシャナンに練習用の剣を渡す。
 孤児院では、小さな畑を耕している。もちろん売り物ではなく、少ない食料を補うためのものだ。そしてそれを耕すのは、当然孤児院に住む者たちの仕事なのだが、子供であるセリス達には、さすがにまだ疲れる作業なのだ。
 本来、シアルフィの城で優雅な暮らしをしているはずだった、と考えると不憫な気がしなくもないが、セリスはそれをまったく気にしている様子はない。セリス自身、自分本来の身分などに固執するような子ではないのだろう。
「今日こそ、勝つからね」
 シャナンはその剣を受け取ると、その重さを確かめるように軽く振った。そして、フェイアのほうに向き直る。
「まだあきらめないのか、フェイア」
 そういいながら、シャナンは剣を構えた。
 ドズル王国となってからも、武器の携帯は禁止されなかった。これは、商業のことを考えたのかもしれない。
 ドズル王国の治安は、お世辞にも良くはなかった。かつて、直轄地であった頃の方が、まだ良かったかもしれない。
 治安が乱れれば、流通などに影響が出る。それゆえに、隊商などの自衛のために、武器を所有することを誰にでも認められているのだ。
 しかし、イザークの民はかつての戦争で多くの青年期、壮年期の男子を失い、まともに戦えるものは多くはない。
 とはいえ、もうあの戦争から十年も経っているから、当時まだ十歳前後だった者達が、いまは二十歳ぐらいになっている。全体的な働き手の数は、少しずつ回復しては来ているが、それでもあの戦争の傷跡は小さいものではないのだ。
 そういった事情のおかげで、シャナン達が武器を持つのも別に不思議とは思われてはいない。剣の稽古をしていたところで、それほど不自然ではないのだ。
 ただそれでも、シャナンは、あまり人前では、剣を振るわないようにしていた。自分の剣技が、普通の水準を遥かに超えた次元にあるのは、もう良く分かっている。そんなものをうかつに人前で見せて、噂が噂を呼び、もしダナンの耳にまで届いたりしたら面倒なことになる可能性もあるからである。
 だから、基本的にシャナンは孤児院の中でしか、剣を振るわない。
 もっとも、シャナンはあまり外に出ないようにもしていた。特に、イザークには一度も行っていない。
 本当は、かつて自分が住んでいた城を見て見たい、という欲求があるのだが、オロなどに言わせると、シャナンはかつてのマリクルの生き写しと思えるほど、父に似ているらしい。だから、それでまた、いらない憶測を呼ぶ可能性もあることを懸念したのである。
 もっとも、それでもイザーク以外の街には、結構行っている。それは主に、イザークの現状を見るためのもので、大抵フェイアと行く。
 ドズル家がイザークに入った際に別れたオイフェ達は、イザークでもほとんど人の住まないような奥地に住んでいるらしい。
 ごく稀に、手紙が来る程度だ。
 オイフェ達はそこを、神話の中の理想郷の名前を取って『ティルナノグ』と名付けたと手紙に書いてあった。
 ただし、その現状は理想郷とはほど遠いらしい。わずかな天候不順でも食料が不足する。あるいは開墾すればもう少し食料供給も安定するのだろうが、人手が足りないらしい。
 ティルナノグに集まっているのは、オシーン、オイフェ達のほか、イザーク王家に縁あるものや、イザークの各部族の生き残りなどもいるようで、彼らは、シャナンの生存を知ると、一様に喜んだと言う。そして、一刻も早くイザークの解放を望んでいるらしい。だがシャナンには、今そのつもりはない。
 いま戦争を起こしたとしても、勝ち目はない。それは、いたずらにイザークの、今を必死で生きている民を苦しめるだけである。加えて、王であるダナンには、聖斧スワンチカがある。正直、あれに勝てるとは思えない。神剣バルムンクがあれば話は別なのかもしれないが、神剣がいまどこにあるのか、まったく分かっていない。
「いいから、構えなさい。今日こそ勝つんだから」
 また少し考え事をしている間に、フェイアも剣を構えていた。
 実際、多分フェイアの剣才は、相当高いと、シャナンは思う。シャナンでも、油断したら危ないかな、と思うことはしばしばだ。ただそれでも、絶対的な実力の差、というものがシャナンとフェイアの間にはある。それは、シャナンが聖痕をもつ継承者である、というのが要因の一つなのだろう。
 最近になって、セリスも剣の練習をしたがることが多く、シャナンはどうするか悩んだ結果、教えることにした。知っていても無駄にはならない。
 それに、セリスはバルドの聖痕をもつ、聖剣ティルフィングの継承者だ。その継承者が剣を使えないのは問題があるだろうと思ったのだ。
 そしてセリスは、驚くほど早く上達していた。やはり継承者は特別らしい。ふと、かつてホリンやアイラも同じように感じたのだろうか、と思ったりもした。
 多分セリスは数年で、フェイアと同じくらいの実力にはなるのでは、と思う。
「今日はいつもと違うんだから。覚悟なさい、シャナン」
 フェイアはわずかに身を静めると、弓から放たれた矢のように突っ込んできた。立て続けに剣を繰り出してくる。だが、シャナンはそれを全て受け流す。
 フェイアの戦い方は、祖父オシーンの教えに、忠実だ。確実に『崩し』を仕掛けてくる。しかも鋭い。
 普通の相手であれば、数回剣を交えているうちに、防御できなくなって打ちこまれてしまうのだが、シャナンはフェイアより遥かに速い。崩し自体が通用しない。
 それどころか、ほとんど力を使わずに、フェイアがもっとも力が抜けてしまうようなタイミングでフェイアの剣を打ち、剣自体をはじく。フェイアはいつもそれで負けていた。しかし、今日は確かに違っていた。
 フェイアの剣の柄をうち、フェイアが剣を落とすと思ったら、フェイアはいきなり蹴りを繰り出してきた。これはさすがに予想の外にあり、シャナンはかろうじてその蹴りをかわす。その、シャナンがわずかに引いた場所に、フェイアはさらに一歩踏み込んで、突きを繰り出してきた。シャナンは、そのまま後ろにずれつつその突きを弾こうとして、剣を横に振りぬいた。
 だが、手応えがない。
 フェイアは、ほんのわずかな時間差で、フェイントをかけたのだ。
 剣が振りぬかれてできた空間に、フェイアの剣が突き出される。シャナンはさらに地面を蹴って後ろに飛んで逃れようとしたが、フェイアの踏み込みの方が深く、速かった。
 シャナンはそれでも、わずかに体をひねって、フェイアの突きをかわす。だが、勢いのついたフェイアは、そのままシャナンにぶつかってきた。後ろに重心のずれていたシャナンは、そのまま倒れこんでしまうが、フェイアもまた、一緒に倒れ込んでくる。
「痛たたた……」
 思いっきり体当たりをされたシャナンは、後頭部をしたたかに打ちつけた。ふと目を空けると、フェイアが上に乗った格好になっている。そして、その剣の切っ先が、シャナンの目の前に突きつけられていた。
「どう?」
 勝ち誇ったような声。実際、この状況ではどうしようもない。
「……私の負けだ、フェイア」
 シャナンのその言葉を聞くと、フェイアはにっこりと笑って、剣を置いた。そのまま、シャナンに倒れこむ。
「や〜っと、勝てた。ちょっと反則くさかったけど、やっと」
 フェイアは、そのままシャナンに抱きついた。
「これで、言いたいことが言える、か?」
 フェイアは驚いて起き上がる。その顔には、驚きと怒りの入り混じったような表情が浮かんでいた。
「知って……いたの?」
「気付かない方がどうかしている、と思うが。私は」
 フェイアの顔が、まるで夕焼けのときのように紅い。だが、今日は雲が出ているし、大体まだ昼前だ。
「多分、私に勝ったら、とか思っているだろう、とも察しはついていたけど。けど、それで私がわざと負けても、フェイアは納得しないだろう? だから、このままかな、と思ったんだが」
 恨めしそうに、フェイアはシャナンを睨んだ。
「いつ……から?」
「気付いたのはずいぶん前。けど、私もまあ言っていなかったから、おあいこか」
 シャナンがにこりと笑う。フェイアもつられて笑った。フェイアは、再びシャナンに抱きついた。

 シャナンとフェイア、それにスカサハ、ラクチェがソファラに向かったのは、秋の半ばであった。
 目的は現状視察なのだが、もう一つ、目的があった。オイフェからの手紙で、気になる情報があったのである。
 ホリンの縁者が生きているらしい、というのだ。
 ソファラは、現在も直轄地時代とあまり変わってはいない。この地は、かつてのイザーク戦争で、マリクル王他、イザークの名だたる戦士達が戦死した戦場の近くでもあるらしい。
 考えてみれば、ホリンはそのソファラの領主の子であったわけで、縁者が生きていても不思議ではない。
 ソファラは、入り組んだ山岳帯の奥にあり、交通の便が悪い。そのため、リボーからの統治もあまり行き届かず、ゆえに比較的自由な雰囲気の街でもあるという。
 キエの街から、ソファラまでは、歩いて二週間ほど。道案内は、フェイアがやる。フェイアは、イザークの敗戦後も各地を祖父オシーンと共に歩き回っていたため、ある程度は覚えているのだ。
 道中は、特に何の問題もなかった。実際、イザークの街でもない限り、マリクル王の顔を知るものはほとんどいない。その点では、それほど心配する必要はなかったのだが、むしろ心配したのは、スカサハとラクチェがついてきていることだった。二人とも、まだ八歳である。
 フェイアが迂闊にも、スカサハに今回の話を漏らしてしまったため、二人とも意地でもついて行く、と言いだしたのだ。二人とも、一度言い出すと聞かないところは、双子らしく同じで、シャナンはかなり悩んだのだが、結局連れて行くことにした。実際、父親のかつていたという場所を見ておくのは悪くはないし、なによりもし本当に縁者が生きているとするならば、スカサハやラクチェにとっては、父の縁者ということになるのだ。
 ソファラの街は、それほど昔と変わっていないらしい。らしい、というのは、シャナンもフェイアも、戦前のソファラを知らないから分からないのだ。
 イザークの街で、城壁を持つ街は非常に少ないのだが、このソファラはその数少ない街の一つである。かつての戦争で、イザーク王国は街を戦場とすることを嫌ったため、決戦場が近かったこのソファラも、ほぼ無傷で残されている。人口は五千人ほどというが、実際にはもっと少ないだろう。五千人という記録は、戦前のものだからだ。
 オイフェの、正しくはオシーンの友人の情報通りだとすると、そのホリンの縁者がいるというのは、ソファラの街から南へ少し行ったところにある、小さな山村らしい。村の名前までわかっていたので、探すのはそう難しくない、と思っていたのだが、甘かった。森が深くて、しかも村の場所を聞くことはできても、その正確な場所がわからなかったのだ。
 そして、気がついたときに盗賊――恐らくは元グランベル兵――に囲まれていた。すでに、陽は沈みかけていて、あたりは暗くなり始めていた。剣を持った男が五人。
「なんだあ? ガキばかりじゃねえか。金はなさそうだが……まあ売ればいいか」
 無論、シャナン達が抵抗しない理由はない。
 確かに、普通に考えれば、明らかに子供、というスカサハ、ラクチェ、あとはシャナンとフェイアであり、この二人もまだ十七歳だ。子供に見られても仕方ないだろう。
「フェイア、セリス達を頼む。こいつらは私が相手をする」
 フェイアは素直にうなずいた。この程度では、シャナンの相手ではない。
「このガキ、ふざけるんじゃねえぞ!!」
 五本の剣がほぼ同時に襲いかかる。シャナンはまったく動かずに相手がぎりぎりまで近づいてくるのを待つ。盗賊達はそれを、シャナンが抵抗するのをあきらめたのかと勘違いした。実際、この五人の同時攻撃は、普通は見切れない。
 しかし、それはあくまで常識のレベルの場合だ。
 剣閃が走ったとき、盗賊の一人の剣が地面に落ちた。ただし、手は剣を握ったままである。
「ぎゃあああああ!!」
 静まり返った山に、絶叫が響いた。続いて、二人、三人とあっという間に永久に思考する必要を失っていく。あっという間に、盗賊は一人だけになっていた。その男の目に、シャナンの剣の刃が映ったとき、男の全ての感覚は消滅した。
「で、いつまで見ている?」
 シャナンは最後の止めを刺した直後、そのまま気を抜いていない。フェイアはその時になって、もう一人の存在に気がついた。
「さすがじゃのう……気配は消したつもりじゃったのだが……」
 木の陰から出てきたのは、かなりの年齢の老人であった。一応、剣を下げているが、もう剣を振るうほどの体力が残っているようには見えない。
「あなたは?」
 すると老人はシャナンの前に出て、ひざまづく。
「元ソファラ公ラザンの父、オーヴァと申します。シャナン王子。良くぞ、おいでくださいました。そして……あの子らが、ホリンの子ですな」
 シャナンは驚いてオーヴァと名乗った老人を見た。ラザンの名には記憶がある。確か、ホリンの父親のはずだ。だとすれば、この老人は、スカサハとラクチェの曽祖父にあたるということか。
 そのスカサハとラクチェは、突然現れた老人に、どう反応すればいいかわからずに、呆然としていた。老人はゆっくりと二人に近づくと、まるで我が子を愛おしむように、抱きかかえる。
「ラザンも、ホリンも死したと思うておったのに、まさか曾孫に会えるとはの……わしは、幸せ者じゃ……」
 双子は、まだよく分からないという風に戸惑い、シャナン達の方を見た。
「その人、あなた達のお父さんの、お祖父さんにあたる方よ。だから、貴方にとってはひいおじいちゃん」
 双子の視線に答えたのはフェイアである。その言葉の意味を二人が理解したか分からないが、スカサハもラクチェも、嬉しそうに老人に抱き付いた。あるいは、直感的に分かるのかもしれない。
「オシーンから話を聞いたときは、まさか、と思ったが……間違いない。この子らは、あのホリンの子じゃ」

 オーヴァが案内したのは、本当に深い山の中にある村だった。村といっても、家屋がわずか七戸しかない。いるのは、老人ばかりかと思ったが、そうでもなかった。中には、この国で非常に少なくなった三十代の男性もいる。
「ここは、かつてのイザーク戦争で敗れた者たちばかりです。あるいはその縁者。もちろんわしも、その一人じゃが……」
 オーヴァはシャナン達を自分の家に案内すると、自分は杖をついて、ゆっくりと椅子に座った。
「やはりよく似ておるわ、ホリンの小さな頃にのう。いや、ラザンにも似ておるか」
 オーヴァはスカサハとラクチェを交互に見ている。まさしく、自分の孫――実際には曾孫だが――を見る目だ。
「さて、わざわざこの老骨に、孫を会わせるために来たわけではあるまい。何をお聞きになりたいのか?」
 シャナンは、一瞬オーヴァの眼光に気圧された。もう、齢八十歳にはなっているはずだというのに、その目は衰えていないようにも思える。
「あの、私の父マリクルの死んだ戦いが、いかなるものであったのか。そして……今、神剣バルムンクは何処にあるのか。オシーンが、貴方ならあるいは、と伝えてきましたので」
 オーヴァは、少し何かを思い出すように目を閉じる。そして、そのまま目を開けずに語り始めた。
「あの戦いを、わしはソファラの城郭から見ておった。マリクル陛下、そして我が子ラザンの戦い。目では見えなかったが、感じ取ることはできた」
 オーヴァはただ静かに、まるで詩人のように語った。ラザンの敗北、そして、マリクル王とグランベルの聖戦士達との戦い。マリクルの死。
「マリクル陛下は、優れた剣士であった。あるいは、最初から聖戦士達全員と戦っていれば、勝てていたかも知れぬ。だが、王は敗れ、イザークは滅んだ。これは、運命じゃろう」
 奇妙なことに、シャナンはそれほど悔しい、と思っていなかった。むしろ、誇らしかった。父は、グランベルの聖戦士を三人同時に相手してなお、圧倒したのである。かつてのシグルドの父、バイロンの言葉が思い出された。『知る限り最強の剣士』と言ってくれたこと。あれは決して、誇張ではなかったのだ。
「そして……神剣バルムンクじゃが……王子。貴方はバルムンクを求めて、何とするのです?」
 その質問は、シャナンも予測していた。
 強大すぎる力。それを手にするということの危険性。それは、シャナンにもよく分かっていた。
「どうもしません。今、神剣をもって戦うことは、全くの無意味です。現実、イザーク王国は滅び、私は王子ではなくなった。けど、その境遇が不遇であるとは思いません。けれど、もし、イザークの人々が本当にドズル家の打倒を――イザーク王家の復活を望んだとしたならば、私はその時に立ち上がるでしょう。そして、その時のための力、それが神剣です」
 オーヴァは満足そうにうなずくき、だが同時にすまなそうな表情になる。
「王子。貴方のご意志は非常に尊い。貴方こそ、神剣を持つに相応しい。ですが、申し訳ない。私もまた、神剣のありかについては知らないのです」
 シャナンはそれを聞くと、落胆する反面、安心もした。
「いえ、私も正直、神剣のありかについてはあまり期待はしていませんでした。ただ、父の話が聞けたことが嬉しかったです」

「シャナン、いいの?」
 フェイアが、シャナンに聞いてきた。もう遅いから、ということでシャナン達はオーヴァの家の一室を借り切っている。スカサハとラクチェは、さすがに疲れているのか、眠そうにしていた。シャナンは「構わないよ」といってから、フェイアの方を振り向く。
「神剣に頼っていては、剣士として、限界を極めることなんて出来はしない。伝承によると、剣聖オードは、神剣を得る前から畏敬を込めて『剣聖』と呼ばれていたそうだ。どうせ、剣を学ぶのであれば、私もそのくらいの剣士を目指したい。それに、神剣といっても、所詮は武器。武器の力で強くなったとはいわれたくないしね」
 フェイアは、そのシャナンの返事がなんとなく嬉しくなった。神剣を手にしたら、シャナンは自分など遠く及ばない存在になるような気がしていたのだ。
「それに」
 シャナンはフェイアを見たままにこりと笑う。しかし、どこかいたずらっぽい。
「フェイアが私に絶対に勝てなくなるだろう。そうしたら言いたいこと、言えなくなるんじゃないか?」
 フェイアはぷ〜っと頬を膨らませた。
「そんなことないわよ!」
 フェイアがいきなり、シャナンに飛びつくと、そのまま馬乗りになる。あっさりと押え込まれてしまった。しかもそこへ、スカサハとラクチェがフェイアに協力するように参入し、シャナンの腕を、二人で抑えてしまう。
「こ、こら、スカサハ、ラクチェ」
「ほら、あたしの勝ち」
「スカサハとラクチェまで敵に回るのは、考えなかったな」
 二人はクスクスと笑う。スカサハとラクチェもつられて笑い出した。
「二人とも、フェイアと私、どっちが好きなんだ?」
 どうやらあっさりと敵に回られたのが気に入らなかったのか、シャナンはいきなり二人に質問した。答えは一瞬で返ってきた。
「フェイアお姉ちゃん!!」
 見事なほど重なった声は、聞き違え様もない。シャナンは、なんとも情けない顔になった。
「振られたなあ、二人ともに」
 シャナンは再び笑った。フェイアが、シャナンの上をどくと、スカサハとラクチェもどく。さすがにもう、長旅の疲れも出ているのだろう。再びベッドに横になった二人は、あっさりと眠りに就いた。
「可愛い。ラドネイやロドルバンもそうだけど、やっぱりこの子達って、なんとなく弟や妹って気がする。実際、小さい頃から見てきているし。シャナンは?」
 シャナンは、それには答えずに立ち上がった。スカサハとラクチェが寝ているのを確認すると、扉の方へ歩き出す。
「ちょっと外に出ないか?」
 夜も更けているとはいえ、木枠の隙間から外からの月明りが漏れ出でている。今日は、満月に近い月が、地上を優しく照らしていた。

 山間にあり、森に囲まれている村といっても、上は意外に開けている。月明りだけで、十分すぎるほど明るかった。遠くに、灯火の明りがいつくか見える。多分、ソファラの街の明りだろう。
「私にとっては、弟と言うとやっぱり、セリスになるんだ」
 しばらく歩いたシャナンは、ぽつりと洩らした。フェイアは黙って聞いている。
「ディアドラ様は、私の母だった。彼女は、母のいない私に、誰よりも優しく、そして母親の温もりと言うものを教えてくれた人だったんだ。そして私は、あのときセリスを守る、と約束した。それは、セリスの兄として、だ。私が、セリスのことにこだわるのは、セリスが私の弟であるから。そしてまた、セリスを、弟を守る、というのがディアドラ様と交わした最後の約束だったんだ」
「少し、妬けちゃうな」
 フェイアがシャナンの正面に立つ。シャナンには、言葉の意味が分からなかった。
「恋敵がお母さんだと勝ち目が薄いな、って」
「え?!」
 シャナンは驚いて聞き返す。まさか、そんなことを言われるとは思ってもいなかった。
「冗談よ、シャナン。けど、どうしてもそのディアドラって人が羨ましくなるの。いつもシャナンの心の中にいる女性だから」
「今は、フェイアもいるよ」
 そういって、シャナンは微笑んだ。フェイアの顔が、自分より低い。いつのまにか、シャナンの方が背が高くなっていた。
「これからずっと、見上げていくのかなあ」
 フェイアはそう言いながら、つま先立ちになる。それでも、わずかにシャナンの方が高い。シャナンは、フェイアの肩に手を添える。フェイアが、シャナンの首に手を回した。
 月光が、一瞬雲に隠され、影がわずかな間消える。再び映った影は、一つに重なっていた。



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